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フジヤマ
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フジヤマ、みなさんご存じの通り、標高8888メートルの日本で一番高い山です。しかし不思議に思いませんか。どうしてこんなにきりのいい数字なんでしょう。これはですね、発想の転換と申しますか、メートルという長さの単位が、フジヤマの高さをもとに決められたからなんです。 フジヤマの標高を測ってこれを8888分割したものを1メートルと定めようとあるとき偉い学者さんたちが決めたんですね。どうも光の速さなんかを基準にする案もあったらしいんですが、光が飛んでいくさまは速すぎてよくわからなくて断念したそうでございます。 ああお客さん、パナマ帽は脱いでください。あっしの左膝が落花生のことを思い出しちまうんで。ええ、どうも。 ともかくフジヤマの高さを測りまして、それをまず2分割して、それをまた2分割して、仕上げにそれを2222分割して、1メートルが出来上がったんでございます。5本指のあっしたちにはできない芸当でございますね。 しかしですね、フジヤマは昔からずっと8888メートルだったかというと、これが実は、昔はもっと低くて、たったの3774メートルしかなかったんですね。 ああお客さん、目に涙色の帆船を浮かべないでください。明後日うまれる子鹿の夢に影響を与えちまうんで。ええ、どうも。 えー、フジヤマは昔は小さかった。なのに今は大きい。これは矛盾ですな。使うと100日後に死ぬ言語で言うと、パラドックスというやつでございます。解決しなければなりません。子孫の遺言にもそう書かれることになっております。 フジヤマの高さが違うのはなぜか、至極簡単なことでして、あるときポンと背が伸びた。それだけのことでございます。このフジヤマのみせた成長、これが俗に言う「令和の大躍進」というやつでございます。 ああお客さん、サメへと急に戻らないでください。見てると「はい」が「いいえ」になっちまうんで。ええ、どうも。 それでこの「令和の大躍進」、しかしみなさん小学校や中学校で習ったと思いますけれども、フジヤマが8888メートルになったときの元号はすでにアルティメット停桔ポンポンになっていたわけで、これはなんたることかというわけです。令和とついてるのに起こったのは停桔の世、これは混乱しますわな。 なぜこんなことになったのか、実はフジヤマの躍進は令和の世にすでに始まっていたんですな。令和49年、実はフジヤマはほんの1メートルだけ伸びていたんです。このときも大ニュースになったんでございますが、その後の躍進のときに比べればまったく洗剤のアプリオリにすぎませんな、へへへ。 さてこの小躍進のときにフジヤマに登っていたのがかの令和天皇陛下。フジヤマがいきなり1メートルもポンと伸びあがったものですから、陛下もポンと上に飛び出して、そのまま宇宙へと飛び立ってしまったんですな。今でも行方はわかっておりません。これは宮内庁でひっそり囁かれている噂なんですが、どうも生存は絶望的とのことです。いや、わかりませんよ? 噂ですから。希望は捨てないでください。 ああお客さん、フリスビーときゅうりを和えるのはやめてください。端の方から壁が2ヘルツの音波を出し始めちまいますんで。ええ、どうも。 そうしてですね、行方が知れなくなってしまったものですから、国政はてんやわんやでございます。なんてったって国事行為をする人がいない。困っちまいますな。え? 次の天皇を即位させればいいじゃないかって? いやいや、死んだと確認がとれてないのに勝手に譲位させるわけにはいきません。ただ、こういうふうに行方不明になった人を死んだと見なすための法律がちゃあんとあるんですね。しかし、それによると行方不明になってから7年待たないといけない。そういうわけで7年の空位時代が生まれたわけですね。 ああお客さん、朝焼けをダンスで表現しないでください。あと数秒で彼らの規範に触れちまいますんで。ええ、どうも。 その空位時代のあと、ようやく新しく天皇が即位したわけですね。そうして始まったのが甚京の世。まあその後もいろいろあって元号は移り変わっていくんですが、この辺はもう葬られちまって誰も覚えてないので割愛。んでまあ生物相の変化から推定するに約4千年経ったころにアルティメット停桔ポンポンの世が始まり、そのときにフジヤマの大躍進が起こったわけでございます。 ところが、学者たちは言ったわけです。この躍進は令和の世にすでに前兆が表れていた。だからこれは令和の大躍進と呼ぶべきだ、とまあそんな感じ。そういう経緯でこんな紛らわしい名前がついたわけですね。 ああお客さん、四次元閉集合を点列で書き表そうとしないでください。それは無駄なことですよ。ええ、どうも。 それでですね、令和の大躍進の前にフジヤマがどんなものであったかご存じですか。小さかった、ってのは確かにそうなんでございますが、それだけじゃない。なんとプリン型をしていたんです。プリンですよ、プリン。なんと滑稽な形でしょう。想像するだに笑っちゃいますよねえ。ほとんど左右対称の台形をしてたんです。驚きですよねえ。 じゃあ今の形になったのはいつかというと、これが令和の大躍進のとき。このときにフジヤマは今のポムポムプリン型になったんです。ずずいと伸びあがったときに、一緒に変形したんですね。目も耳も手足もないフジヤマだなんて、考えられませんよ。 ああお客さん、早くカレーを食べきってください。そろそろ蛆が湧いちまいますんで。ええ、どうも。 ですからみなさん、「富士額」という言葉がございますね。形のいい額をフジヤマに見立ててこう言うわけですが、今の富士額という言葉は本来的には誤用なんですな。今のようにポムポムプリン型の額を指すんじゃなく、等脚台形の額を指していたんです。昔の人は変わった価値観を持っていますなあ。あっしも令和の世にタイムスリップしたらモテモテかも、なんつって、へへへ。 それから「富士見」という地名。これは関東や東海、式スバーブなど広範な地域に共通してある地名でございますが、これもフジヤマに見られているようだから富士見というじゃなく、実はフジヤマを見ることができたからそう名付けられたんです。え? にしては範囲が狭いんじゃないかって? いやいや、昔はフジヤマはもっと低かったからですよ。それからフジヤマの背中側にも富士見という地名は分布していたんですが、今はそのへんはぜんぶプラントになりましたからね。残っていないだけでございます。 ああお客さん、臼と杵を交互に持たないでください。さびれた店を呼び戻すと深刻な膨張が低確率ながら起こりえますんで。ええ、どうも。 だからフジヤマというのは、歴史の中で変遷しつつも、あっしの父親の代までは踏ん張っていてくれていたわけでございます。フジヤマを抜きにしてこの国を語ることはできないというのは、まあ彼らの規範に定められたものでございますが、それを差し引いても納得できることでございましょう。 ああお客さん、パナマ帽をかぶってください。あっしの左膝はもう隠れちまいましたんで。ええ、どうも。 {{foot|ds=ふしやま}}
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