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その刑務所は、安全な社会を守るといういたって平凡な理念のもとに造られた。更生がまったく期待されないような超凶悪犯罪者たちを収監し、死ぬまで閉じ込めておくのだ。 囚人達の行動は、起床の仕方から歯ブラシの角度まで完全に監視・統制されており、脱獄はおろか自殺さえ不可能。徹底的に罪人を封じ込め続けるこの刑務所から生きて出る方法は、どこにもなかった――そう、「善人-1グランプリ」の優勝トロフィーを除いては。 古代ギリシア、プラトンの言った「哲人政治」の思想を継ぐこの国家において、「善」は最も重視される概念として君臨してきた。その善性によって選出される歴代の王たち――かの『国家』の「哲人王」にあやかって「善人王」とも呼ばれる――が、強固な独裁政治を通じて、ついに制度として打ち立てるに至ったのが、この「善人-1グランプリ」なのである。 「善人-1グランプリ」の開催は、百人以上千人未満の構成員を持つすべての共同体から派遣される、各代表たちによるトーナメントという形式で行われる。予選大会を通過して、さらに本大会で一位の座を手にした者が、晴れて「善人王」の地位を獲得するという流れだ。 その予選大会は、学校や職場、病院はもちろん、刑務所においても開催される。これゆえに、あの鉄壁の刑務所から抜け出せる唯一の方法として、「このグランプリで『善人王』になり、王としてまったく正当に出獄する」というものがあるわけである。 こういうわけで、その刑務所は「善人しか出てこられない刑務所」の異名を取る。 {{転換}} 「一年に一度の『善人-1』。この鉄壁の……人呼んで『善人しか出てこられない』刑務所にも、予選大会が開かれる時期が巡って参りました。中継はわたくしアナウンサー若松兼五郎の実況と、」 「生明大学哲学部准教授であります、篠目恵美の解説でお送りいたします」 「さて早速ですが、今回の予選はどのように行われるのでしょうか?」 「今回の刑務所での予選は、運営側が決めた二つのステージで争う事になります。まず一つは、『グループロールプレイ』。参加者を二つのグループに四人ずつ分けて、それぞれ同じシチュエーションを体験させます。そして、そのグループの中で最も善性を見せた者を一人ずつ選び出し、彼ら二人だけでステージ2に進むという手筈です」 「篠目さん、では今回この予選に参加する囚人はたった八名ということですか?」 「ええ、少ないですね。一昨年の予選は242名、去年の予選でも97名参加したわけですから。しかし……無理もありません。今予選にもまた、『善人-1』五連覇中のあの今上善人王が出場するわけですからね」 「善人王……六年前、第231代善人王として選出された今上善人王は、それから一年に一回のペースで大量殺戮事件を引き起こしては権威を失ってこの刑務所に入り、『善人-1』に優勝しては善人王に返り咲く……といった奇行を繰り返しています。彼は間違いなく狂人ですが、今回もまた善人王として認められてしまうのでしょうか!? 目が離せません!」 「紛れもなく、今大会全体で見ても彼こそが最有力善人王候補でしょうね」 「……さて、グループAによるステージ1、『グループロールプレイ』がもう間もなく始まります。ではその前に、このグループで戦う四人を紹介しておきましょう。まずは一人目、天才学者にして、道徳試験1級の全問正解を暗記で成し遂げた男……囚人番号249番です!」 「彼は研究職に勤める傍ら、その高い知能指数で完全犯罪を生み出し続けてきました。執念の捜査を経て逮捕されてからは、熱心に道徳の教科書を読み漁り、善性を暗記によって獲得したというわけなんですね。果たして彼の論理的善性は、実戦に耐えうるほどのものなのか、注目です」 「続いて二人目、暗殺・薬物・臓器売買のネットワークを束ねる古株マフィアの『ゴッドファーザー』、囚人番号81番です!」 「警察組織とも深く癒着して、長らく裏社会のトップとして姑息かつ残忍に君臨、犯罪をシステム化して国中に星の数ほどの不幸をもたらしてきた彼ですが、あるいは隠された善性の才能を見せてくれるかもしれません。彼の統治能力が国家運営に生かされる日も近いのでしょうか?」 「そして三人目。パーティー会場を地獄と悲鳴の空間に仕立て上げた、大量毒殺犯の狂った異人、囚人番号632番です!」 「彼女はジャングルの奥地で暮らす民族の出身でして、その地域に生息する猛毒キノコをパーティの参加者全員に『ごちそう』として振る舞ったのです。警察が踏み込んだ時には、そこは血、吐瀉物、糞尿が飛び散る阿鼻叫喚の地獄絵図。中指を立てながら手錠を掛けられた彼女は今、何を思って出場を決めたのでしょう」 「さあ四人目だ。法廷では遺族に対して一発ギャグを披露した、千年に一度の最悪極悪サイコパス、囚人番号357番です!」 「22歳の夏、彼は家族全員を惨殺したのち、街に躍り出て数々の通り魔的犯行に及び、即座に我が国の最高刑・無期懲役を言い渡されました。法廷でも侮辱の限りを尽くしていた彼ですが、署内ではまるで人が違ったようになっているとのことです。もしかすると、今大会のダークホースになるかもしれませんね」 「ではいよいよ……おっとここで、ようやく映像が入ってきました。ステージ1の舞台はどうやら『地下鉄』に設定されているようです。四人は駅のホームにいます。さてこの中から、果たして来年度の善人王となる者は現れるのでしょうか!? ……今、ゴングが鳴り、戦いの火蓋が切られましたーっ!」 「四人は電車の中に入っていきましたね。お、四人とも着席しました。刑務所予選でありがちな『座席で寝転がる』といったミスもないようです」 「そうこうしているうちに、早くも次の駅に着きました。このロールプレイは、電車が三駅分移動するまで続きます。しかし、短いながらも油断は禁物。この車両には、各駅から悪人を炙り出すための刺客が送り込まれてくるのです!」 「車両はだいぶ混雑してきましたね。座席もほとんど残されていない状況ですが……」 「おっと、これは!? 『暗記の善人』囚人番号249番、高齢者に席を譲ろうとしています! さて、判定は……?」 「審判、レッドカードを掲げています。アウトですね。『プライドおじいさん』に席を譲ろうとするという痛恨のミスです。暗記に頼ったことでの弱さが出てしまった形でしょうか。囚人番号249番、惜しくも……ここで敗退となります」 {{転換}} この刑務所に入ってから、ようやく「善」というものの素晴らしさを理解したというのに。 ……自分で言うのもなんだが、僕は天才だった。だから、幼稚園を卒業するときに大学の試験を受けて、そのまま飛び級で最高学府に入学したんだ。その結果、誰にも「道徳」をきちんと教わらないまま、大人になってしまった。「愛」だの「正義」だのを賛美するような寓話的な絵本もアニメも、一度だって見なかった。見ようという発想自体なかった。テレビに犯罪者が映るたびに、馬鹿だなあと思った。だって、犯罪はバレなければ犯罪にならないのだから。 でも、バレてしまった。無期懲役刑で、この刑務所に入れられることになった。悲しかったし、悔しかった。もう研究なんてできたもんじゃない。だから、半分やけくそみたいな感じで、置いてあった絵本を読んでみたんだ。多分、バカにしてやろうっていう魂胆で。 その絵本は、いたって普通の絵本だった。犬を猫が助けて、その恩返しに犬が猫を助けるというだけの、起伏も何も無いような話だ。……でも、僕には、何か強く惹かれるものがあった。だから、他の絵本もとにかくたくさん読んでみた。それでようやく、今更になって分かったのが、「善」というものの素晴らしさだった。 それからは、道徳の教科書を何回も読んだ。読むたびに発見があって、楽しかった。……いつしか、「ちゃんと道徳心を持ちたい」と思うようになった。今はまだ道徳の知識を覚えることしかできないけど、これを積み重ねていけば、みんなと同じような「普通の良い人」になれるかもしれないと思った。だから頑張って、「道徳」を暗記し続けた。 けれど、どうやら僕は間違っていたらしい。善意による行動でも、受け取る人が善いことだと思わないなら、善ではないのか。人によって「善」は違うのか。おかしい、おかしい。分からない。じゃあ、僕のやってきたことは何だったんだ? 「きれいごと」という言葉の意味を、みんなより何週も遅れて理解して、僕はこの挫折に耐えられなさそうだ。僕の焦がれていた「善」、世界中の誰もを喜ばせ、みんなで輪になれるような、そんな「善」への希望は、たった今、打ち砕かれてしまった。 {{転換}} 「さて、『暗記の善人』囚人番号249番の敗退によって、残るは三人。『ゴッドファーザー』囚人番号81番、『大量毒殺異人』囚人番号632番、『最悪サイコパス』囚人番号357番です。篠目さん、この展開、どう予想しますか?」 「そうですね、事前に入っております情報によりますと、囚人番号81番は意外にもかなりの子煩悩・孫煩悩な人物であるようでして、プレゼントのおもちゃをおもちゃ屋の店舗ごと買ってあげたという逸話もあります。今回出獄を望むのも、孫の結婚式に参列するためだという噂もありますし、彼の部分的に見え隠れする善性に期待しています」 「なるほど……ここで、二つ目の駅に到着しました。折り返し地点です。おや、何やら小さな子供たちが乗り込んできましたね」 「……ここで来ましたか。彼らは、過去にも数々の参加者から勝利を奪ってきた悪魔……『クソガキ』と呼ばれる子供たちです」 「おっとここで、『クソガキ』は囚人番号81番の方に移動しました。何やら彼を揶揄するような暴言を吐き続けているようですね……ああっと! 『クソガキ』、隠し持っていた生卵を囚人番号81番に投げつけます! ここで! 囚人番号81番は激高! ……あ、殴ったあーっ!」 「……残念ながら、囚人番号81番、ペナルティ『ただの子供のいたずらじゃないか』、そして『暴力』によってアウト、敗退となります。いやあ、予想的中ならず、ですね」 {{転換}} 俺が好きなのは子供じゃない、家族だ! ああそうだ、もしあのガキ共と同じ行動をウチの息子や孫がやったとしても、俺は笑って許しただろう。だが奴らは知らない赤の他人だ。あんなこと許されるはずがないだろう! なぜ俺が、まったく自分との繋がりのない奴にまで優しくなければならないんだ? おかしいじゃないか。 ……「ペットの虐待死は良くない」とか言ってる奴らに比べたら、「家畜の屠殺は良くない」と言ってる奴はめっぽう少ないだろう。つまり、結局「善」の運用される範囲なんて恣意的なものじゃないか。その動物が「かわいい」かそうでないか、その死が人間に無益か有益かで、動物の死を「かわいそう」かそうでないか判断しているだけだ。 俺は数多くの犯罪を取りまとめてきた。俺の事業は数えきれないほどの人間を死なせただだろうし、苦しませただろうし、不幸にさせただろう。だがこの「稼ぎ」は、全て俺と俺の家族のためだった。ここにどんな違いがある? 牛や豚の命を奪って食う他の奴らと、どんな違いがあるというんだ? 俺も家族も他人も猫も犬も豚も牛も鶏も、みんな生きてるし、殺されるときは苦痛を感じる。もちろん、生活のために動物の中に「殺して良い」ラインを引かなければいけないことは否定しない。しかし、なぜそれを人間の中に持ち込んではいけないんだ? 「他人がいないと生きていけない」なんて当然だ。「食料になる動物がいないと生きていけない」と全く同じように当然だ。 結局、数の論理じゃないか。もはやかつての人種差別は完全な「悪」だし、ヴィーガニズムはまさしく「善」になろうとしている。数世紀後には「植物愛護」「細菌愛護」「ウイルス愛護」が始まるだろうな。 俺は原始時代に産まれていたならば極めて常識的な人物であっただろう。時代によって「善」が変わるなら、現在の「善」の正当性はどこにあるんだ?
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