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利用者:キュアラプラプ/サンドボックス/戊
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弾ける音。体をひとつに維持しようとする力を逃れ、なるがまま空中に脱出した小さなかけらが、精一杯手足を引っ込めて、小さいボールの形になっている。彼らはすぐに元の体に飲み込まれる。世界を隔てる無数の境界のうち二つが、重なって、同じになる。その弾ける音が、誰の耳にも届かないようなささやかな音が、ひょっとすると人一人の人生よりもっと多彩な命をたたえて、あらゆる速さで、あらゆる角度で、あらゆる場所から水平線を埋め尽くしている。無数の音が折り重なり、なめらかな、まるでこぼれる砂のような、涼しい深みのグラデーションを伝える。 唸る音も聞こえる。途方もなく大きい体に縛られて、つかのまの自由すら手にできない部分が、それでもバラバラになろうとしてもがく。しかし、ねじられ、折られ、つぶされてさえ、その体はすべてを抱擁し、受け入れてしまう。聞こえてくるのは、その抵抗がもたらした、ただ無限に深くぶあつい永遠の音だけだ。今度はその低さという意味で、誰の耳にも届かないようなどす黒い音が、まるで幽霊のようにこの宇宙に沈殿していると思うと、ぞっとする。 ――これは海の音だ。ようやく気づいた。急速に意識が覚醒し、視界が開いていく。宇宙服が体にのしかかる。 宇宙飛行士は、ある星系の調査に来ていた。グローバル化が完成し、あらゆる社会制度、文化、価値観が一つに集約・規定されてから、人類は宇宙への進出を激化させていった。この宇宙飛行士も、その末端の一人だった。不幸なことに、違法なスペースデブリとの衝突によって宇宙船の機体が損傷し、この未知の惑星への不時着を余儀なくされた。気を失う前、最後に見たのは、星一面に広がる青く黒い海だった。 起き上がった宇宙飛行士は、惑星の原住生物らしき未知の生命体に囲まれていた。彼らは乳白色の皮膚と、一対の腕、一対の脚を持ち、直立二足歩行の機能を備えていた。かなり人間に近い見た目だが、頭部に相当する部位を持たず、脳は体内に、感覚器官は腕の先に配置されている。宇宙飛行士は、このような地球外生命体との接触に慣れていたので、さして動揺しなかった。宇宙に豊富に存在する炭素を骨格に、十分に複雑な化合物が合成され、それらが互いに組み合わさって、生物というシステムになる。宇宙進出が本格化してから、こういう現象はありふれたものだと分かったし、高い知能をもつ文明的生物ほど、ヒトにも当然当てはまる「直立二足歩行」や「薄い体毛」といった形質に収斂されていくことも知られるようになった。 生物は、何かうがいのような音を体から立てながら、宇宙飛行士の周りを飛び跳ねており、その度に地面が揺れた。そこは、海上に浮く藁のような植物のかたまりに構成される、いわゆる浮島だった。とりあえず携帯デバイスの音声言語分析システムを起動させると、彼らのそれがやはり意味をもつ言葉であることが分かった。直訳が表示される。 「広い陸地! あなたは歓迎されています!」 {{転換}} この惑星のひときわ目をひく特徴は、陸地が無いことだ。文字通り、見渡す限りの海の上を、彼らは浮島の上に暮らしている。だから、乗ってきた宇宙船を捜すべく、宇宙飛行士が超小型ドローンを使って周辺の地図を作成しようとしたときも、出来上がったのはただの青黒い四角形で、よく見ると黄褐色の浮島があるのが辛うじて分かるくらいだった。 しかし、数百年に一度だけ、この星にも陸地が現れる。普段は海に覆われているから、惑星はほぼ完全な球体に見えるが、実のところ水面下の形状は非常に歪で、太った円錐のような形をしている。そのおかげで、公転軌道のある地点で巨大ガス惑星に接近するとき、強い潮汐力のはたらきで海水が底面の方に流出・集中し、数か月から半年、長ければ一年のあいだ、惑星の円錐頂点部分が地上として露出した。 宇宙飛行士が聞いた話によると、その生物の文明はある時点の「陸地期」に生まれ、以来長い「海洋期」と短い「陸地期」をくりかえし経験しながら、現在まで絶えることなく続いてきたという。陸地期には、普段は海底で休眠している生物群も一斉に活動を再開し、惑星は一時の繁栄を謳歌する。彼らは神殿を建造し、石板に自身の名前を刻みつけて、その時代に立ち会うことのできた奇跡を称える。もっとも自由によろこびを歌い、狂ったように踊る。 生物のほとんどは、この美しい時代の到来を待たずに死ぬか、ほんのすこし遅れて産まれてきてしまう。自身が幸運の世代であることを祈りながら、彼らは長い海洋期を生きている。浮島は陸地期の度に編みなおされるが、海上では波にさらされて劣化していくので、常に補修しつづけなければならない。さもなければ、浮島は裂けるように腐り落ち、別の浮島として分断されてしまった。半分になった浮島では、もとの人口の重さに耐えられないから、彼らはそのまま別の浮島で生きていくしかない。二百年も経つころには、積まれていた補修の材料も尽き、浮島は数百に分裂してしまうという。 細かくなった浮島の行く末は運任せに近い。彼らの主食でもある魚に似た小型海洋生物の皮や骨は、もろすぎて補修材には適さないが、この限りなく海だけが広がる星ではそれにすら頼らざるを得ない。浮島が完全に大破するまでに陸地期が来ることを、ただ祈っているしかない。 しかし、時には恵みもある。宇宙飛行士が彼らから聞かされた言い伝えによると、浮島を守るものは稀に「空から落ちてくる」という。これは基本的に、この星に住む翼竜のようなある大型生命体を指している。この巨鳥は生態系の頂点に立っており、陸地期にも海洋期にも変わらず空を飛び回る。巨鳥は時に彼らの浮島にさえ襲い掛かるが、その死体、特にその翼の部分は強固かつ軽いので、浮島を修復する助けになった。しかし驚くべきことは、これが異星人を指している場合もあるということだ。彼らの記録によると、この惑星には少なくとも十四回以上にわたって異星人が不時着しているらしい。彼らは、異星人の使う、人類が呼ぶところの「パラシュート」を引き上げて、補修材に用いていた。 これを言われて初めて、宇宙飛行士はこの浮島の一部に自身の機体に搭載されていたパラシュートが充てられていることに気づいた。こうやって惑星にやってくるパラシュートは、当然ながら高度な宇宙進出文明によって作られており、非常に強固な繊維を有しているため、これによる補修は数十年から長ければ百年もの間機能する。彼らの歓迎は、どうやらこの「恵み」に対する感謝の表れだったらしい。彼らは豪華に盛り付けられた「魚料理」を宇宙飛行士に捧げてきたが、未知の異星人の提供するものを食べるのは危険だし、そもそもこの惑星の外気はヒトに適さず、宇宙服を脱いで何かを食べるということ自体ができなかったので、汎用翻訳機を通じて丁重に断っておいた。 こういった宇宙遭難に備えて、宇宙船には救難信号の発信機と、半永久的に稼働できる生命維持室が用意されていた。しかし、宇宙服単独の生命維持機能は、わずか5日間で終了する。宇宙飛行士は、それまでに海底のどこかに沈む宇宙船を捜し出さなければならなかった。このだだっ広い、青黒い四角形の世界で、何をどう見つけることができるのか。幸いにも、浮島の住民たちは宇宙飛行士に休息の場を与えてくれたが、疲労は募るばかりであった。 この惑星の空は、日が沈むときも青いままだ。空と海を結ぶ水平線は、二つの青を凝縮した強く黒い青色に染まって、世界を完全に包囲していた。気まぐれに風に揺れる海の小さな欠片が、何万回、何億回とぶつかり合い、世界に一度しか生まれ得ないような偶然の瞬間に立って、周期を一致させ、世界を分断する平面を飛び越える。波は前進し、さらに大きくなって、やがて海の下へ帰っていく。この繊細かつ豊かなダイナミクスを感じるには、海はあまりにも巨大すぎた。海面に浮かぶ海底の屈折した景色が暗すぎて見えないのが、それぞれの太陽の光に目を焼かれないようにするためなら、海はいったい何を感じようとしているのだろうか。 水平線に、この星の太陽が、沈んでいる。海から反射する白い閃光が、まるで生き物のような軌道を描いて泳ぐ。雲は濃い青の夕焼けに飲み込まれ、褪せた埃のように見えた。この星の生物が地球を訪れ、昼と夜との間に挟まる毒々しいオレンジの空を見たとき、やはり不気味に思うだろうか。日の入りの逆方向に目を向けると、夜空が暗くて見えないせいで、そこに輝く星が見えることに気づいた。 {{転換}} 翌朝、宇宙飛行士が目を覚ますと、何やら辺りが騒がしかった。事情を聴いてみると、どうやら昨夜、住民の一人が寿命を迎えて死んだらしく、今は葬儀を行っているという。しかし、宇宙飛行士の目に映るのは、悲しみに暮れる住民たちの姿ではなく、むしろ陽気な宴会とさえいえる代物だった。住民は「魚」をたらふく食べ、酩酊作用を引き起こすらしい貝のエキスを呑みながら、例のうがいのような音でかすれた弦楽器のようなハーモニーを奏でている。宇宙飛行士はたまらず近くの住民をつかまえ、その老人の死が悲しいとは思わないのかと尋ねた。その住民が訝しげに語ったことによれば、確かに彼が陸地期を待たずして死ぬことになったのは残念だが、結局はいつかのタイミングで、陸地期の周期と何度めかも分からない生まれ変わりの周期を一致させ、陸地に還っていくものだという。それが遅かろうが早かろうが、本質的には違わず、海の底に名前を刻む瞬間は誰にでも訪れるのだ。 海だけの世界に生まれ落ちて、全てを海に見出し、かつ海に全てを見いだす彼らの自然観は、しかし宇宙飛行士には少し不気味に映っていた。それはあるいは、この時遠くの空に浮かんでいた黒く分厚い雲の接近や、徐々に高く、激しくとぐろを巻きはじめた海流の縦横のうねりに、恐るべき嵐の動乱を予感させられたからかもしれない。とにかく、その日が沈まないうちに、浮島は暴風雨に見舞われた。
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