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利用者:キュアラプラプ/サンドボックス/戊
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*昔は記事がメインで、イベントも記事を中軸に据えたものだった。 *しかしノベルや公序ソングなど作品として既存の枠組みがあるメディアの発展で記事は創作の主要な舞台ではなくなりつつある。 *この論考では、専門的姉妹らの中で記事というメディアにいかなる価値付けをなすことができるのか述べる。まず、記事からノベルへの移行の過渡期に起こった現象を考えることで記事の本質を理解する。 元始、記事は実に太陽であった。常習者のあふれ出る創作意欲は専ら標準名前空間に向かい、日常のあらゆる気づきが膨らまされて記事となった。秀逸な記事選考や定例コンテストといったイベントも、記事を中心とした活動の一環として意欲的に催された。しかし同好会・イベントルーム体制から「受験の闇」を経て情報局体制に至った今日、記事は秀逸な記事選考の前日または当日(!)に自薦記事の駒を確保するためだけに用意なく書き始められる例がほとんどだ。どうして記事への熱が依然と比べて失われたのか、その一つの答えは小説や楽曲、漫画といった既存の枠組みを持つ作品を投稿するメディアが姉妹プロジェクトによって発展したことだ。コンテンツとして洗練された規範を与えられていなかった記事というメディアは、この状況において積極的に創作の主要な舞台とする理由を見出されなくなってしまった。特に記事の競合となったのは、同じく専ら文章による創作の舞台となるオンラインノベルである。近年の名作とされる記事を見ても、一見明白にその大部分がオンラインノベルにあって不思議の無いものであることは多い。今、記事は月である。本来のあり方から倒錯した秀逸な記事選考に依って生き、オンラインノベル的価値付けの光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。 本稿は、記事を再びWikiWiki文化の中心の太陽とする準備として、記事というメディアを価値づける試みである。
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