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利用者:キュアラプラプ/サンドボックス/戊
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===序=== 元始、記事は実に太陽であった。常習者のあふれ出る創作意欲は専ら標準名前空間に向かい、日常のあらゆる気づきが膨らまされて記事となった。秀逸な記事選考や定例コンテストといったイベントも、記事を中心とした活動の一環として意欲的に催された。しかし同好会・イベントルーム体制から「受験の闇」を経て情報局体制に至った今日、記事は秀逸な記事選考の前日または当日(!)に自薦記事の駒を確保するためだけに用意なく書き始められる例がほとんどだ。どうして記事への熱が以前と比べて失われたのか、その一つの答えは小説や楽曲、漫画といった既存の枠組みを持つ作品を投稿するメディアが姉妹プロジェクトによって発展したことだ。コンテンツとして洗練された規範を与えられていなかった記事というメディアは、この状況において積極的に創作の主要な舞台とする理由を見出されなくなってしまった。特に記事の競合となったのは、同じく専ら文章による創作の舞台となるオンラインノベルである。近年の名作とされる記事を見ても、一見明白にその大部分がオンラインノベルにあって不思議の無いものであることは多い。今、記事は月である。本来のあり方から倒錯した秀逸な記事選考に依って生き、オンラインノベル的価値付けの光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。 本稿は、記事を再びWikiWiki文化中心の太陽とする準備として、記事というメディアを他の姉妹プロジェクトらと同等のレベルで新しく積極的に価値づける試みである。そこでは、「ノベル的な記事」という現象の考察から記事とノベルの別を理解し、特に「ノベルではなく記事を/記事で書く」ことの意味を記事の性質を元に論じる。記事の再興がイベントを盛り上げ、ひいては常習者間の生産的な連帯を高めることを期待したい。 ===物語る記事=== WikiWikiにおいて「物語」を載せる場として真っ先に言及されるのはWikiWikiオンラインノベルだろう。時代が下るとともにオンラインノベルに掲載される小説作品は際限なく完成度を高め、ついに傑作選が紙の本の形で出版されるに至りさえした。その一方で、物語はあらゆるメディアのコンテンツにありふれたものとも言える。公序ソングの歌詞や構談社の漫画本はもちろん、記事にも物語性を有するとされるものが多数ある。では、そこで言われる「物語」とは何か? ここではその内容面の議論を避け、簡単に「前の要素を承けて次々に展開していく筋書き」として考えた。ここでは物語は語られる内容であり、その語られ方である記事やノベル、あるいは公序ソングの歌詞や漫画といった形式とは明確に区別される<ref group="*">この定義においては、本稿の内容もまた物語であるといえる。</ref>。 物語を語る方法としてノベルや記事を考えると、その違いは歴然として現れる。ノベルすなわち小説の形式は、主に人物(むろん人間である必要は無く、動作または思考を行うものであればよい)をクローズアップして場面という狭い視野の中で情報を描写するものである。ノベルはその場面を自在に転換できるがゆえに、前の要素を承け新しい情報を展開させることに一切の制限が無いため、物語を描くのに適した形式といえる。先ほど挙げた公序ソングの歌詞や漫画も、文章が作品の主役でない点ではノベルと明確に異なるが、場面を展開する上での制限が無く物語を描きやすい形式であることは共通である<ref group="*">例えば "Meine Frau" は物語を音声情報によって語っており、文字情報がそれを補助していると(定義上)説明できる。公序ソングという形式には、自由にこれらの情報を展開する妨げとなる性質は存在しないのである。</ref><ref group="*">ただし、これらの形式が物語を描くのに適しているというのは、その形式で作られた全ての作品が物語を持っているということを全く意味しない。</ref>。これに対して、記事という形式は主題に関する情報を簡潔に書き記すという目的上、原則その全体像を一度に納め、平坦に情報を描写するものでなければならない。これを達成する記事の機能が節であり、節は複数の観点から並列にその主題を説明する役割を担う。このため、記事の構成要素である節は、ノベル等の構成要素である場面と違って相互の関連や前を承けての発展といったことを行うことが性質上難しく、ゆえに記事は情報を展開させて物語を描き出すのに適さない形式なのである。 では、「ノベル的な記事」はどのようにこの障壁を乗り越えているのだろうか。そのような記事は大きく三つに分類されるが、第一に「真実節」の方法論を用いた記事について述べる。真実節は「[[ジョン]]」を初出とする記事の最後に現れる節であり、その記事に関する隠されていた衝撃的な事実を示す役割を様々な記事で果たしている。ここにおいて、真実節が記事の中で行う機能は、その性質上主題に関するあらゆる情報を一度に平坦に書き記すことが強制されている「記事としての範囲」を(脚注後の空白によって空間的にも明白な形で)脱したスペースに、他の節と並列な関係でない形で情報を新しく展開させ、物語として成立させる、というものだと分析できる。真実節は節という記事の構成要素を踏襲しながらも、その性質はむしろノベル等の「場面」と同等なものなのである。ただし、もちろん真実節が他の節と並列なものでないという形式を満たすだけで物語が成立するわけではない。例えば「[[背面高等帝国]]」では、真実節の流れを汲んである節を真実節と同じ形式で設置しているが、それは物語を成立させるものではない<ref group="*">より極端な例を挙げるなら、[[平和教育実態調査]]や[[古民家カッフェの惨劇]]でも同じ事である。</ref>。真実節に書かれた内容こそが、その節に与えられる「真実」という絶対性から前の記事部分を相対化して一つの「場面」として従属させることで承け、新しい情報を展開させているという点で物語を成立させているのである。 あるいはまた、記事の形式をある程度保って物語を表現する真実節の手法とは全く異なるものとして、第二回伝説の記事にも輝いた「[[叙述トリック]]」のように、標準名前空間のページである点では間違いなく記事といえるものの、記事の形式や文体を無視して(ほぼ)完全にノベルの形式によって文章が書かれているような「ノベル的な記事」もある。「[[:カテゴリ:公序良俗に反する記事|公序良俗に反する記事]]」におけるこのような記事などには節の存在が見られることがあり、完全に純粋なノベルの形式で書かれているとは言えないものもあるとはいえ、これらは頻繁の節の機能を失っており、ノベル的章立て以上の意味を持たない。著者Notoriousが草子「[[Sisters:WikiWiki麻薬草子#叙述トリックについて|叙述トリックについて]]」で書いているように、このような記事は記事の形式を無視しつつも、「主題について解説する」という記事の本来的な目標には適ったものとなっており、定例コンテストを勝ち抜いたこの種類の「ノベル的な記事」も漏れなく、主題となる事件の説明を導入的に組み合わせることで、記事の目的を貫徹し果たすものとしてノベルの形式への橋渡しを行っている<ref group="*">「[[惨闢]]」「[[古民家カフェの惨劇]]」の著者Notoriousによれば、ノベル的な案をコンテストのレギュレーション(記事のみを対象とする)に則るために記事にした結果であるという。</ref>。これらの記事のように全面に渡るものではなくても、記事の中で部分的にノベルの形式を利用することはよく見られる現象であり、特に真実節で行われることが多いが、そもそもWikiWikiオンラインノベル誕生のきっかけとなった「[[非自己叙述的]]」自体その一つの例であるといえる。 第三に、完全に記事の形式で書かれ、真実節も存在しないにもかかわらず「ノベル的な記事」とされる記事もある。例えば草子「[[Sisters:WikiWiki麻薬草子#記事のオチ|記事のオチ]]」では「並々ならぬ文章量と情熱によって(中略)重厚な物語の風格を備えた記事」の一つとして「[[オーストロェイリア]]」が挙げられている。そのような記事の例としては、他に「[[シンジツノクチ]]」や、あるいは「[[古民家カッフェの惨劇]]」が挙げられるだろう。これらの記事に共通するのは年表性の高さであり、そのような内容を書く節の中では、時間的進行には従いながらもある程度自由に場面を用意してノベルのように物語を展開させていくことが可能となるのである。また、拙作「[[ドクターストップ]]」においては、人物記事によくある「経歴」と「評価」の節を組み合わせることで物語を展開させる試みを行っている。このように、記事の形式を逸脱しないまま、節を有効に活用して物語を表現した「ノベル的な記事」もいくつか存在している。以上に示した三種類の「ノベル的な記事」と他の一般的なノベルの概念図は、以下のようになる。 [[ファイル:物語る記事.png|サムネイル|図|なし]] 以上のことから、記事は物語を成立させるのが難しい媒体でありながらも、常習者たちは様々な手段によってその障壁を乗り越え、「ノベル的な記事」を書いてきたということが理解された。このような「ノベル的な記事」が現れたことからも、またそれが完成度の高い記事として高く評価されてきたことからも、常習者たちが物語を高級な創作物と位置付けてきた事は明らかである。このことを踏まえると、常習者たちは物語を描くという理想の創作活動のために今まで「仕方なく」主要な創作の舞台であった記事というメディアで活動してきたが、WikiWikiオンラインノベルが発展した今、あえて記事で物語を表現する苦労を負うよりも自然なノベルの形式で物語を完成させそのままオンラインノベルに投稿するようになった、という見方ができるようになる。記事の衰退をこのように説明すると、ここにおいて記事復興のために考えるべき二つのことが明確になった。一つは物語の価値相対化のためのもので、記事において可能になるような、物語とは異なる素晴らしい創作活動のあり方、そしてもう一つは物語即ノベルの風潮を見直すためのもので、純粋なノベルの形式ではなく記事の形式で物語を表現することのアドバンテージである。本稿では続けて、他の姉妹プロジェクトには無い記事独自の性質を挙げていきながら、この二つの観点によって「ノベルではなく記事を/記事で書く」ことに価値があるようなコンテンツについて論じていく。 ===記事の独自性=== 第一回WikiWiki情報局大会において、筆者は「ノベルに傾かない記事の良さ」として「情報集積性」「共同性」「労働性」の三つを挙げた。本項ではその考えを発展させ、さらにビジュアル表現に関する特長を加えた四つの特長を記事の独自性として挙げ、それがいかなる種類の「物語を書く」に留まらない素晴らしい創作活動を生み出すのか、また物語を記事の形式で書く時にそれがいかなる利点をもたらすのかを論じる。便宜上第一から第四の特長とするが、順番に意味はない。 第一の特長は、説明性である。前節でも述べたように、記事は主題に関する情報をフラットかつ網羅的に書き記すことを本質としている。このような意味での説明性はWikiWikiオンラインニュースやYGT財団にも期待することができるが、長大な情報の全体像を書き出すことにおいて記事は当然ニュースという媒体よりも優れており、YGT財団とは世界観的な棲み分けが存在するため、記事の独自性として挙げた。この性質により、記事が新概念の導入に最もよく適したメディアとなっていることは明らかだろう。加えて、一つのコンテンツにつき一つの独立したページが存在するという性質上、記事は内部リンクやカテゴリといった機能にも非常によく馴染むため、このような説明的な記事は相互に繋げることによってより大きな設定や深い世界観を創出することにも長けている。以上のように、説明性は新しい概念の発表やその概念同士の結びつけ、それによる世界観の創出といった創作行為の源となる。物語を記事の形式で書くにあたっては、説明性に付帯する客観性や簡潔さの要請により、人一人をクローズアップせずその等身大の感情や目線を描かないことになるが、あえてそのように物語を表現するゆえの儚さやおかしみといった味わいの変化を生むことが期待できる。国家の歴史のようなスケールで起きるあまりに大きな物語に関しても、俯瞰的に表現することによってある種のリアリティをもたらすことができるだろう。 第二の特長は、協働性である。専門化した姉妹プロジェクトらは個人がそれぞれで創作した作品を展示するという形で運営されており、「[[Sisters:WikiWikiリファレンス/『海と夕焼』に関する探究|『海と夕焼』に関する探究]]」など協働して制作されたものが稀にあってもその協働制作のプロセスがWikiWiki上で行われることは今までに皆無だったと言っていい。その点において、標準記事はもともと内容を充実させるべく協働編集に開かれたものとして作られており、複数人が協働して活動するのに適っている。この性質によって、これまでにもいくつかの、特に現実の出来事にまつわる記事が複数人の共同作成や編集によって充実してきたほか、言葉遊び系を含む様々な記事において、大喜利テンプレートの下で自由に回答を追加して記事に「参加」することが行われてきた。このように、協働性は常習者が協働して行う創作行為を可能にする。それによって作られ充実するコンテンツはもちろん、その協働的な取り組みへの参画自体に大きな価値があるといえよう。ただし、物語を協働的に書くにあたっては、[[多目的C教室]]にもある「一行詩」のような形式が考えられるが、最初に述べたような独立した個人の創作物としての物語を表現することには、この協働性という性質は馴染まないだろう。 第三の特長は、労働性である。記事における「労働」の概念は草子「[[Sisters:WikiWiki麻薬草子#労働と自由|労働と自由]]」に詳しいのでそちらを参照されたいが、簡単に説明するならば読者が記事に対して何らかの形で働きかけることであり、それを記事のあり方に組み入れたものは「労働記事」と呼ばれる。このような「労働」を取り入れたコンテンツの作成が可能であることが、第三の記事の特長として挙げた労働性である。先にも述べた記事の一コンテンツ一ページという性質が、節リンクでのページ内の移動を基本とする労働への反応に適していることが重要なのだが、実際のところこのような労働コンテンツはむしろWikiWikiオンラインコード上のゲーム作品が専門とするところであり、労働性が記事の独自性であるとは言い難い面もある。しかし、そのようなコンテンツをオンラインコードで発表するのにはWikiテキスト/HTMLやCSSを超えるより[[ヘルプ:チュートリアル/高度なコード|高度なコー]]ディング技術が必要であるという敷居の高さや、そもそもオンラインコードは姉妹の中でも特殊であることを鑑みて、ここでは記事の特長として挙げた。これにより可能になるのは、もちろん「[[ルービックキューブ]]」のようなゲーム的コンテンツの(比較的簡単な形での)制作である。物語を表現するにあたっては、「[[便所の落書き]]」のようにインタラクティブ性によって読者を没入させ、ただ読むのとは違った体験を生み出すことができるという明白な利点がある。 第四の特長は、ビジュアル性である。画像を使ったコンテンツを作れるというだけでは、構談社RAWはもちろんWikiWikiオンラインショップやWikiWikiオンラインDIYにおいても同じことが言えるが、ここでのビジュアル性はむしろ画像(あるいはCSSで描写されるオブジェクト)をいかに一つの要素としてコンテンツの中で活用できるかを問題にするものであり、それは画像がコンテンツそのものであったり、また画像の扱いに自由度が無いようなこれらの姉妹プロジェクトには無い、記事の明確な独自性の一つである。記事の中では、画面全体の中に画像を自由に配置してキャプションや本文で説明することを基本として、「[[鬱]]」や「[[創作漢字]]」、「[[ドア派]]」のように大喜利と組み合わせたり、「[[クーネル・サンダース]]」や「[[寿司]]」のように単にビジュアル表現を連ねたりして、印象深い作品を作り出すことが出来る。記事のビジュアル性は、単に画像の一枚一枚をコンテンツとして扱うことを超えて、画像やCSSのインパクトを最大限利用する作品を生み出すことを可能にするのである。物語への利用に関して、特に初期のオンラインノベルには挿絵やCSSデザインが利用されている例もあるが、記事のビジュアル性は単なる挿絵や装飾以上の重みをもつ視覚的要素を活用して物語の表現にインパクトを与えることができる。「[[空耳]]」や「[[ビタ眠剤]]」のようなラストを締めくくる働きもあれば、「[[将棋]]」や「[[バイクに乗るゴリラ]]」のような物語の経緯全てをビジュアルで描写するようなものもあり、いずれにしてもより視覚的で直接的な形で物語を見て楽しむことができる。 以上のように、記事には「説明性」「協働性」「労働性」「ビジュアル性」という、他の姉妹プロジェクトに無い(労働性に限っては他の姉妹プロジェクトで扱うのが難しい)独自の四つの特長が存在し、これらがそれぞれ記事でしかできない、物語とは違った形の素晴らしい創作活動を行うことを可能にしていること、さらにまたこれらの特長(協働性を除く)によって、ノベルではなく記事で物語を表現する積極的な利点が生まれることが明らかになった。姉妹プロジェクトが創作活動のメディアとして各々で専門性を持ち独立していく中で、全ての創作活動を包含する舞台だった記事はその役割を失ってしまったが、代わりに新たな輪郭を得、新しい姿で常習者の元に現れたのである。 ===結び=== 本項は、落日の記事がこれからどのような創作活動の舞台として積極的に意味づけられていくべきかを探るため、「ノベル的な記事」の考察を通してノベルと記事の関係そして記事の衰退の理由を独自に解釈し、そこから得られた記事復興の課題を今日明確になった記事の独自性と結びつける形で論じて、多くの収穫を得た。記事はWikiWikiの初期衝動を形にし、多くのイベントの焦点として常習者文化の起点かつ中心となってきたものだ。ここで整理され再定義された記事のあり方が、今後より一層洗練されて記事に還元され、WikiWikiの次の十年を引っ張っていく駆動力になることを願って筆を置かせてもらう。 「展開」についてのアイデアと寝食を提供してくれたNotoriousに捧げる。 ===脚注=== <references group="*"/>
編集内容の要約:
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WikiWiki:著作権
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