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Sisters:WikiWikiオンラインノベル/善人しか出てこない話
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その刑務所は、安全な社会を守るといういたって平凡な理念のもとに造られた。更生がまったく期待されないような超凶悪犯罪者たちを収監し、死ぬまで閉じ込めておくのだ。 囚人達の行動は、起床の仕方から歯ブラシの角度まで完全に監視・統制されており、脱獄はおろか自殺さえ不可能。徹底的に罪人を封じ込め続けるこの刑務所から生きて出る方法を、わたしは未だ知らない――そう、「善人-1グランプリ」の優勝トロフィーを除いては。 古代ギリシア、プラトンの言った「哲人政治」の思想を継ぐこの国家において、「善」は最も重視される概念として君臨してきた。その善性によって選出される歴代の王たち――かの『国家』の「哲人王」にあやかって「善人王」とも呼ばれる――が、強固な独裁政治を通じて、ついに制度として打ち立てるに至ったのが、この「善人-1グランプリ」なのである。 「善人-1グランプリ」の開催は、百人以上千人未満の構成員を持つすべての共同体から派遣され、いくつかの戦いを勝ち残った各代表たちによるトーナメントという形式で行われる。予選大会を通過して、地区大会にも勝利し、さらに本大会で一位の座を手にした者だけが、晴れて「善人王」の地位を獲得するというわけだ。 その予選大会は、学校や職場、病院はもちろん、刑務所においても開催される。これゆえに、あの鉄壁の刑務所から抜け出せる唯一の方法として、「このグランプリで『善人王』になり、王としてまったく正当に出獄する」というものがあるのである。 こういうわけで、その刑務所は「善人しか出てこない刑務所」の異名を取る。 {{転換}} 「一年に一度の『善人-1』。この鉄壁の……人呼んで『善人しか出てこない』刑務所にも、予選大会が開かれる時期が巡って参りました。中継はわたくしアナウンサー若松兼五郎の実況と、」 「生朋大学哲学部准教授であります、篠目恵美の解説でお送りいたします」 「さて早速ですが、今回の予選はどのように行われるのでしょうか?」 「今回の刑務所での予選は、運営側が決めた二つのステージで争うことになります。まず一つは、『グループロールプレイ』。参加者を二つのグループに四人ずつ分けて、それぞれ同じシチュエーションを体験させます。そして、そのグループの中で最も善性を見せた者を一人ずつ選び出し、彼ら二人だけがステージ2に進むという手筈です」 「篠目さん、では今回この予選に参加する囚人はたった八名ということですか?」 「ええ、少ないですね。一昨年の予選は242名、去年の予選でも97名参加したわけですから。しかし……無理もありません。今予選にもまた、『善人-1』六連覇中のあの今上善人王が出場するわけですからね」 「善人王……六年前、第231代善人王として選出された今上善人王は、それから一年に一回のペースで大量殺戮事件を引き起こしては権威を失ってこの刑務所に入り、『善人-1』に優勝しては善人王に返り咲く……といった奇行を繰り返しています。彼は間違いなく狂人ですが、やはり今回もまた善人王として認められてしまうのでしょうか!? 目が離せません!」 「紛れもなく、今大会全体で見ても彼こそが最有力善人王候補でしょうね」 「……さて、グループAによるステージ1、『グループロールプレイ』がもう間もなく始まります。ではその前に、このグループで戦う四人を紹介しておきましょう。まずは一人目、天才学者にして、道徳試験1級の全問正解を暗記で成し遂げた男……囚人番号249番です!」 「彼は研究職に勤める傍ら、その高い知能指数で完全犯罪を生み出し続けてきました。執念の捜査を経て逮捕されてからは、熱心に道徳の教科書を読み漁り、善性を暗記によって獲得したというわけなんですね。果たして彼の論理的善性は、実戦に耐えうるほどのものなのか、注目です」 「続いて二人目、暗殺・薬物・臓器売買のネットワークを束ねる古株マフィアの『ゴッドファーザー』、囚人番号81番です!」 「警察組織とも深く癒着して、長らく裏社会のトップとして姑息かつ残忍に君臨、犯罪をシステム化して国中に星の数ほどの不幸をもたらしてきた彼ですが、あるいは隠された善性の才能を見せてくれるかもしれません。彼の統治能力が国家運営に生かされる日も近いのでしょうか?」 「そして三人目。パーティー会場を地獄と悲鳴の空間に仕立て上げた、大量毒殺犯の狂った異人、囚人番号632番です!」 「彼女はジャングルの奥地で暮らす、特異な宗教を崇める民族の出身でして、その地域に生息する猛毒キノコをパーティの参加者全員に『ごちそう』として振る舞ったのです。警察が踏み込んだ時には、そこは血、吐瀉物、糞尿が飛び散る阿鼻叫喚の地獄絵図。中指を立てながら手錠を掛けられた彼女は今、何を思って出場を決めたのでしょう」 「さあ四人目だ。目に入る人間を一人残らずめった刺しにした、千年に一度の最悪極悪サイコパス、囚人番号357番です!」 「27歳の夏、彼は家族全員を惨殺したのち、街に躍り出て数々の通り魔的犯行に及び、即座に我が国の最高刑・無期懲役を言い渡されました。法廷でも悔悟の様子を全く見せなかった彼ですが、署内ではまるで人が違ったようになっているとのことです。もしかすると、今大会のダークホースになるかもしれませんね」 「ではいよいよ……おっとここで、ようやく映像が入ってきました。ステージ1の舞台はどうやら『地下鉄』に設定されているようです。四人は駅のホームにいます。さてこの中から、果たして来年度の善人王となる者は現れるのでしょうか!? ……今、ゴングが鳴り、戦いの火蓋が切られましたーっ!」 「四人は電車の中に入っていきましたね。お、四人とも着席しました。刑務所予選でありがちな『座席で寝転がる』といったミスもないようです」 「そうこうしているうちに、早くも次の駅に着きました。このロールプレイは、電車が三駅分移動するまで続きます。しかし、短いながらも油断は禁物。この車両には、各駅から悪人を炙り出すための刺客が送り込まれてくるのです!」 「車両はだいぶ混雑してきましたね。座席もほとんど残されていない状況ですが……」 「おっと、これは!? 『暗記の善人』囚人番号249番、高齢者に席を譲ろうとしています! さて、判定は……?」 「審判、レッドカードを掲げています。アウトですね。『プライドおじいさん』に席を譲ろうとするという痛恨のミスです。暗記に頼ったことでの弱さが出てしまった形でしょうか。囚人番号249番、惜しくもここで、敗退となります」 {{転換}} この刑務所に入ってから、ようやく「善」というものの素晴らしさを理解したというのに。 ……自分で言うのもなんだが、僕は天才だった。だから、幼稚園を卒業する時に大学の試験を受けて、そのまま飛び級で最高学府に入学したんだ。しかも親もかなりの放任主義だったから、結局僕は誰にも「道徳」をきちんと教わらないまま大人になってしまった。「愛」だの「正義」だのを賛美するような寓話的な絵本もアニメも、一度だって見なかった。見ようという発想自体なかった。テレビに犯罪者が映るたびに、馬鹿だなあと思った。だって、犯罪はバレなければ犯罪にならないのだから。 でも、バレてしまった。無期懲役刑で、この刑務所に入れられることになった。悲しかったし、悔しかった。もう研究なんてできたもんじゃない。だから、半分やけくそみたいな感じで、置いてあった絵本を読んでみたんだ。多分、バカにしてやろうっていう魂胆だったんだと思う。 その絵本は、いたって普通の絵本だった。犬を猫が助けて、その恩返しに犬が猫を助けるというだけの、起伏も何も無いような話だ。……でも、僕には、何か強く惹かれるものがあった。だから、他の絵本もとにかくたくさん読んでみた。それでようやく、今更になって分かったのが、「善」というものの素晴らしさだった。 それからは、道徳の教科書を何回も読んだ。読むたびに発見があって、楽しかった。……いつしか、「ちゃんと道徳心を持ちたい」と思うようになった。今はまだ道徳の知識を覚えることしかできないけど、これを積み重ねていけば、みんなと同じような「普通の善い人」になれるかもしれないと思った。だから頑張って、「道徳」を暗記し続けた。 けれど、どうやら僕は間違っていたらしい。善意による行動でも、受け取る人が善いことだと思わないなら、善ではないのか。人によって「善」が変わるなら、ここで言う「善」の正当性はどこにあるんだ? 「きれいごと」という言葉の意味を、みんなより何週も遅れて理解して、僕はこの挫折に耐えられなさそうだ。僕の焦がれていた「善」、世界中の誰もを喜ばせ、みんなで輪になれるような、そんな「善」への希望は、たった今、打ち砕かれてしまった。 {{転換}} 「さて、『暗記の善人』囚人番号249番の敗退によって、残るは三人。『ゴッドファーザー』囚人番号81番、『毒カルト信者』囚人番号632番、『最悪サイコパス』囚人番号357番です。篠目さん、この展開、どう予想しますか?」 「そうですね、事前に入っております情報によりますと、囚人番号81番は意外にもかなりの子煩悩・孫煩悩な人物であるようでして、プレゼントのおもちゃをおもちゃ屋の店舗ごと買ってあげたという逸話もあります。今回出獄を望むのも、孫の結婚式に参列するためだという噂もありますし、彼の部分的に見え隠れする善性に期待しています」 「なるほど……ここで、二つ目の駅に到着しました。早くももうあと一駅です。おや、何やら小さな子供たちが乗り込んできましたね」 「ここで来ましたか。彼らは、過去にも数々の参加者から勝利を奪ってきた悪魔……『クソガキ』と呼ばれる子供たちです」 「おっとここで、『クソガキ』は囚人番号81番の方に移動しました。何やら彼を揶揄するような暴言を吐き続けているようですね……ああっと! 『クソガキ』、隠し持っていた生卵を囚人番号81番に投げつけます! ここで! 囚人番号81番は激昂! ……あああっ、殴ったあ――っ!」 「……残念ながら、囚人番号81番、ペナルティ『ただの子供のいたずらじゃないか』、そして『暴力』によってアウト、敗退となります。いやあ、予想的中ならず、ですね」 {{転換}} 俺が好きなのは子供じゃない、家族だ! ああそうだ、もしあのガキ共と同じ行動をウチの息子や孫がやったとしても、俺は笑って許しただろう。だが奴らは知らない赤の他人だ。あんなこと許されるはずがない! なぜ俺が、まったく自分との繋がりのない奴にまで優しくなければならないんだ? どう考えたって理屈が通らない。おかしいじゃないか。 ……「ペットの虐待死は良くない」とか言ってる奴らに比べたら、「家畜の屠殺は良くない」と言ってる奴はめっぽう少ないだろう。つまり、結局「善」の運用される範囲なんて恣意的なものじゃないか。その動物が「かわいい」かそうでないか、その死が人間に無益か有益かで、動物の死を「かわいそう」かそうでないか判断しているだけだ。 俺は数多くの犯罪を取りまとめてきた。俺の事業は数えきれないほどの人間を死なせただだろうし、苦しませただろうし、不幸にさせただろう。だがこの「稼ぎ」は、すべて俺と俺の家族のためだった。ここにどんな違いがある? 牛や豚の命を奪って食う他の奴らと、どんな違いがあるというんだ? 俺も家族も他人も猫も犬も豚も牛も鶏も、みんな生きてるし、殺される時は苦痛を感じるだろう。もちろん、生活のために動物の中に「殺して良い」ラインを引かなければいけないことは否定しない。しかし、なぜそれを人間の中に持ち込んではいけないんだ? 「他人がいないと生きていけない」なんて当然だ。「食料になる動物がいないと生きていけない」とまったく同じように当然だよ。 結局、数の論理じゃないか。もはやかつての人種差別は完全な「悪」だし、ヴィーガニズムはまさしく「善」になろうとしている。数世紀後には「植物愛護」「細菌愛護」「ウイルス愛護」が始まるだろうな。 俺は原始時代に産まれていたならば極めて常識的な人物であっただろう。時代によって「善」が変わるなら、現在の「善」の正当性はどこにある? {{転換}} 「『ゴッドファーザー』囚人番号81番が脱落。これで残ったのは『毒カルト信者』囚人番号632番、『最悪サイコパス』囚人番号357番の二人です。……と、そうこうしているうちに三駅目、ロールプレイの終着駅ですが……」 「いや、まだロールプレイは終わっていないようですよ、若松アナ。あれを見てください」 「……!? な、なんと、三駅目のホームの向かい側に、どう見ても自殺しようとしている感じの人が! これはどうしたものでしょうか……おっと、囚人番号357番、車両から降り、猛ダッシュで反対側のホームへ移動しています……あ、間もなく車両が来るというその時、357番、自殺志願者を保護することに成功しました――っ!」 「これはどっちでしょうか。審判の判定は……セーフです。『いのちだいじに』ボーナスを獲得です」 「そして……! 決着がついたようですAグループ! 勝者は……『最悪サイコパス』囚人番号357番となりました!」 「『毒カルト信者』囚人番号632番は惜しくもここで敗退となりましたね」 「では、熱い戦いを見せてくれましたステージ1、Aグループ、以上で終了になります。お疲れ様でした」 「お疲れ様でした」 {{転換}} アーギリ教を信じることが「善」じゃないって言いたいのかしら! たぶん、アーギリ教徒とあいつらでは、生と死の考え方が真逆なんでしょうね。あたしにはあいつらの考えがちっとも理解できないけど。だって普通に考えたら分かるでしょ、死んだら完全な安らぎがもたらされるのに比べて、一度産まれてしまったら死ぬまで――痛みや苦しみによって死ぬその時まで――生きていなければならないのよ!? 友達にももう苦しい思いをしてほしくなかったから、こっそり毒キノコを食事に混ぜたの。あたしは糾弾されたわ。「彼らはそんなこと望まなかった!」って。でもその論理に基づくなら、自殺志願者を止めることも同じくらい駄目なんじゃないの? 彼らの自己決定権は、どうして尊重されないの? 「自殺は他の人の迷惑にもなるし、何より取り返しがつかない」なんてのもまた、あいつら固有の宗教的な考えに過ぎないじゃない。 あたしにとって、自殺を止めるっていうのは……あいつらの常識で言えば、ちょうど「妊婦を殴る」くらいかしら。「自殺は迷惑」っていうのは、「出産は迷惑」に置き換えられるのでしょうね。言ってて全然「ひどさ」がピンとこないけど。「取り返しがつかない」っていうのも、そりゃあそれが目的ですからね、としか言いようがない。全然理解できないわ。 ……もしかしたらあいつらはあたしを、あるいはアーギリ教を、狂気の沙汰だと思ってるのかもしれない。ただ、あたしの故郷ではまったく逆。狂人はあいつらよ。結局「善」なんて、その辺で一番支持者が多いっていう特徴があるだけのただの一価値観に過ぎないじゃない。あたしはあまりにも違う文化圏で育ったから分からないけれど、もしかしたらこの国にも、あたしとはまた別の理由で「自殺しようとしている人を止めるのはおかしい」って思ってる人がいるかもしれない。 周りの人によって「善」が変わるなら、あいつらが尊ぶ「善」の正当性はどこにあるのかしら? やっぱりあいつら、全然理解できないわ。 そういえば、逮捕される時のあたしの「無抵抗です」のハンドサインも、何やら侮辱と捉えられたみたいだし。常識がまるっきり違う人を相手にしたら、価値観なんて脆いものね。 {{転換}} 「さて、それではグループBによる『グループロールプレイ』がそろそろ始まるところですが……おっと、どうされました?」 「ただいま放送席に入った連絡によると、どうやらグループBなんですけれども、なぜだか善人王以外の参加者との連絡が取れなくなってしまったようで、彼らは棄権と判断。よって勝者は、繰り上がり式に今上善人王その人となったそうです」 「……!? いったい何があったのでしょうか、気になるところではありますが……とすると、もうステージ2がいきなり始まるわけですね」 「ええ、そういうわけですね。ステージ2の参加者は、グループAの勝者『最悪サイコパス』囚人番号357番、そしてグループBの勝者、今上善人王となります。そしてこのステージ2、当予選における事実上のラストステージで行われるのは『凶悪犯罪者チェスバトル』です」 「きょ、『凶悪犯罪者チェスバトル』!?」 「このゲームは、ルールとしてはいたってシンプルな普通のチェス。しかし特徴的なのは、各16個、計32個のチェスの駒が、すべて刑務所内から連れてこられた凶悪犯罪者で代用されていることでしょう」 「なるほど……善人王たるもの、ただ軟弱で優しいだけの人物ではなく、悪人を指導・指揮して従わせることのできる『強い善人』でなければならないんですねえ。ただ、流石に身一つでこの数の悪人を従わせるというのは難しい気がしますが……」 「そんな時のために、このゲームにはいくつかの特別なアイテムが用意されています。一つは『ムチ』、一つは『アメ』、そして最後に『アサルトライフル』です。これらは凶悪犯罪者たちを統制するのに非常に役立ちますが、使いすぎると減点対象になるようです。また、相手チームの駒にアイテムを使用するのは禁止されています」 「甘い『アメ』に恐怖の『ムチ』、死の象徴『アサルトライフル』の効果的運用、さらには単純なチェスの技能も併せて、善人としての複雑なタスク処理能力が試されるゲームなんですねえ……おっと、中継、繋がりました! なるほど巨大な盤面の上に、テレビで見たような凶悪犯の数々がずらりと並んでいる、異様な光景です!」 「先攻は今上善人王、後攻は囚人番号357番になります」 「さあ始まります、ステージ2、『凶悪犯罪者チェスバトル』に勝利し、地区大会、ひいては本大会への切符をつかむのは、無敗の善人・今上善人王か、それともダークホース357番の下剋上成るか!? 今、始ま――」 「――!?」 「――な、なんということでしょうか!? このような展開を、いったい誰が予想できたというのでしょうか!? せ、先攻の今上善人王、開局の合図と同時に、アサルトライフルで32人の凶悪犯罪者を一人残らず射殺――っ!」 「あ、今、審判……はい、今、これは反則行為とみなされ、当予選大会の勝者は『最悪サイコパス』、囚人番号357番となりました」 「こんなことがあっていいのでしょうか!? まさかあの優勝候補が、予選で、しかも反則行為のペナルティによって、敗北を迎えることとなってしまいました!」 「大変な番狂わせです。今上善人王はいったい何を思って、このような凶行に及んだのでしょうか……」 {{転換}} 私は悪人を殺すためだけに善人王になった。 六年前、職場の予選で勝ち、地区大会にも、本大会にも勝ち、初めて善人王になったあの時、私は死刑制度の復活論を唱えた。しかし私は、この行為を咎める法の記述によって、善人王の地位はそのまま、手続き的に特権を簒奪されたのだ。調べてみると、この国には隠された絶対のルールが存在していた――「殺人は善ではありえない」。 数世紀前までは、この国にも死刑制度が残っていた。しかし、近年になって廃止されてしまった。いわく諸外国の圧力に屈したらしい。私はこれが許せなかった。悪人を殺すためだけに、この国の独裁者たる「善人王」にこぎつけたのに、この仕打ちだ。……しかし私はある計画を思いついた。無限に犯罪者を殺し続けられる計画だ。 私はそれをさっそく実行に移した。まず、国一番の凶悪犯が集まる刑務所――人呼んで「善人しか出られない刑務所」――に銃器を携えて侵入し、乱射。犯罪者たちをできる限り多く殺害する。そして当然、私は大量殺人の咎で逮捕され、刑務所に入れられる。そう、「善人しか出られない刑務所」に。 しかし、そう、私は善人なのだ。悪人を殺害するという「善」を行う、完全なる善人なのだ。善人王なのだ。だから、「善人-1」でもやすやすと優勝、善人王の座を手にできる。……この計画は、完全に成功した。私はこの六年間の間に数百の犯罪者を殺害したのだ。今回の予選に関しては、わざわざトップクラスの犯罪者を集め、おあつらえ向きに銃まで用意してくれていたから、今年分の計画は特別に凍結させ、グループBの罪人もろとも今ここで殺害しただけだ。目的は常にここだ。見失ってはいけない。 だが、計画の中で私が善人王となることは、もう一つの意味を持っていた。それは、万一にも刑務所上がりの善人王を誕生させないためだ。悪人は決して更生しない。悪人を社会に出してはならない。 しかし今回、私は予選で脱落している。ならば今、32名の死体を挟んで相対しているあの犯罪者をどう脱落させるか――こういう時のための秘策は、既に準備してあった。「トロッコ問題」を出題するのだ。 {{転換}} 「こ、これは……!? この予選大会、いったい何が起きているのでしょうか、次から次へと、信じられないことです。今上善人王が、囚人番号357番に『トロッコ問題』を出題――っ!」 「『トロッコ問題』……数世紀前、当時の善人王が刺客にこれを出題された時に言った、『これってどっち選んでも悪人みたいにされちゃうじゃんか。結局こういう問題出してくる奴が一番悪い奴なんじゃない?』という言葉を根拠に、明確に法的に出題を禁じられた問題ですが……今上善人王は、囚人番号357番を道連れにしようとしているのでしょうか? 確かに、これが出題された以上、どっちを答えたにしろ嫌な感じになってしまうので、審判の判定によっては地区大会への出場資格を降り消されてしまう可能性があります」 「いや、しかし、それなら答えないとか、その当時の善人王みたいにしてはっきり解答するのを上手く回避すればいいのではないでしょうか」 「それがですよ、彼は今上善人王なんです。獄中に居て独裁権こそ失われているものの、囚人番号で呼ばれることすらない。『善人王』の地位が未だ持続しているのです。これは一年おきの『善人-1』でしか移動しないものですからね。つまり、まだ彼は立場的には『善人王』なのです。そんな彼の質問から逃げるようなことは、『悪』とみなされる可能性が高い。実際、善人王をシカトしたり、善人王の質問に答えなかったりするのは悪であるという判例は、枚挙にいとまがありません」 「では、囚人番号357番は……『詰み』ですか?」 「ええ、奇しくも……『チェックメイト』といえるでしょう」 「……ん、おおっと! 今、『最悪サイコパス』囚人番号357番が、口を開こうとしています!」 「いったい彼は、何を語るのでしょうか」 {{転換}} レバーを引けば、五人は助けられるが一人殺すことになる。レバーを引かなければ、五人を見殺しにしたことになる。 あるいは、例えば「臓器くじ」などというのもある。健康な人間の中からランダムに選んだ一人から、その健康な臓器をすべて摘出し、それぞれ必要としている患者に渡す。共通点は、多数の命を救うために少数の命を殺すことになるというところだろう。しかし、例えば一人の方は子供で、五人の方は後期高齢者だったとしたら? 一人の方は有名アーティストで、五人の方は前科のある人たちだったなら? 一人の方はあなたの家族で、五人の方はわたしの家族だったなら? まあしかし、わたしの家族を五人、トロッコの線路の上に並べようとも不可能だ。彼らは全員、既にわたしが殺してしまっている。彼らは本当に酷かった。物心ついた時にはわたしは庭の小屋に監禁されていて、二日に一度残飯のようなものがもらえた。父と母は毎日私を殴った。しかし弟と二人の妹はいたって普通に学校に行って、友達と遊んで、勉強していた。なぜ私だけがあんなふうに扱われていたのかは分からない。 わたしはしぶとく生きた。ある日、父がナイフでわたしを刺そうとした時、わたしは初めて父に反逆し、ナイフを奪って全身をめった刺しにした。あのとき何故あんなことができたのかは分からない。しかし気分が良かったのは確かだった。ナイフで自分の髪を切って、そのまま母をめった刺しにした。まったく同じ要領で、弟と二人の妹もめった刺しにした。 家から出て、まったく同じ要領で、通行人をめった刺しにした。まったく同じ要領で、通行人をめった刺しにした。まったく同じ要領で、通行人をめった刺しにした。まったく同じ要領で、通行人をめった刺しにした。まったく同じ要領で、通行人をめった刺しにした。まったく同じ要領で、通行人をめった刺しにした。まったく同じ要領で、警察をめった刺しにしようとしたら、拳銃で撃たれて、気づいたら小屋よりも快適な知らない場所で寝ていた。 そこは刑務所というところだった。わたしはここで、ちょうど「囚人番号249番」――「暗記」の彼と同じように、「善」とは素晴らしいものだということに気づいた。「善」について、いろいろ考えた。いい気もちだった。しかし考えれば考えるほど、「善」は色褪せていった。「善」とは何か、分からなくなった。「善」なんて無いのかもしれない、そう思った。 なにせ、全員を幸せにするような理想的な「善」は、存在しえないらしいのだ。トロッコ問題なんて最たる例だ。あの一分の隙も無くモデル化された命の選択に関われば最後、もうそれは「善」ではなくなってしまう。誰かが幸せになることは、どうしたって誰かが不幸になることと紙一重だ。理想的で完全な「善」は、フィクションの世界の「めでたしめでたし」にしか存在しないのだ。――そこまで考えて、気づいた。なるほど、ならばその「フィクション」を創ればいい。 こういうわけで、私は小説を書き始めた。どうやって書けばいいのかよく知らなかったが、とりあえず最初に物語に登場する要素を説明した。その後、実況中継風の二人の人物の会話を通じて、数人の犯罪者を登場させた。展開に併せて、彼らの内面を描写した。私は死刑になるらしいから、そういう私が恐ろしく思う考えも書いた。後で使うからだ。そして今、私を投影した人物に、私を代弁してもらっているのだ。 さて、いよいよ、理想的で完全な「善」を行うことができる。それは、誰にでも等しく受け入れられる、とても善く、素晴らしく、現実にはあり得ないような何かだ。今、わたしは、それを行った。すると、今まで出てきたすべての登場人物が喜んだ。彼らは更生し、善人になったのだ。「今上善人王」さえ、発言を撤回してくれた。「死刑制度はやはり廃止すべきものだった」「あなたはもう更生して、善人になっている」と言っている。 そこでわたしは、この小説のタイトルを変更することにした。元は「善人しか出てこない刑務所」だったのを、今、「善人しか出てこない話」にした。なぜなら、登場人物は今や完全に更生し、善人としか言いようがない存在になっているからだ。わたしだってそうだ。ここにいるわたしは、現実にはあり得ないような何かによって、もはや善人としか言いようがない存在になっている。 わたしも早くそこへ行きたい。 ---- <p style="text-align:center"><big>'''解説([[利用者:キュアラプラプ]])'''</big></p> 「いったい何が『善人しか出てこない話』だ」という指摘はもっともだ。しかし、作者・西尾彰は、何故このような奇妙な短篇を獄中にて書き上げ、そして自殺するまでに至ったのだろうか。そこを考えることで、どうしてこれが「善人しか出てこない話」であるのか、真相に近づけるとは思わないだろうか。私としてはだが、おそらくそこには「善人」への強い憧憬と、その自己矛盾性による葛藤があったのだろうと考えている。 西尾は、端的に言えば、善人になりたかったのだ。死刑を控えるだけの身であった彼は、善人となることで、自身を救いたいと思うようになったのだろう。そして「善」とは何か、突き詰めて考えるにつれ、このような結論に至ったのだ。「完全な善」それそのものと規定されたものを用いて、自分の世界の中で完全に受け入れられる行為をし、それを「完全な善行」として、それを行った自分のアバター、ひいては部分的であれ西尾自身もが「完全な善人」であるとするという考えだ。 死刑囚という彼の立場から考えると残酷なものでしかない「今上善人王」という登場人物の意見も、後から撤回させ、捻じ曲げ、自分に都合のいいようにするためだけに創られたのだ。つまり、「悪人だったものも善人になれる」「悪人だからって殺してはならない」という自己弁護のためだ。これは、タイトルの変更の意図とも一致する。「悪人が更生して善人になった」という構図を強調するものだ。 はっきり言って、これは非常に馬鹿馬鹿しい論理だ。西尾の言う「善」は、彼の世界の中で完結した、極めて自己中心的なものに過ぎない。他者との関わりというものの一切が欠如した、完全なる机上の空論であり、「ごっこ遊び」だ。それに、彼は自分の被害者性さえ誇張して書いている。彼が虐待を受けて育ったというのは否定できることではないが、あそこまでの仕打ちを受けていたという事実はないし、西尾は高校を卒業してからは典型的な「ひきこもり」として実家に寄生していた。 おそらく父がナイフで彼を殺そうとしたというのは真実なのだろうが、全体を通して、あれは西尾にとって都合がいいように改変された、ただのでっちあげのストーリーである。そもそも、数十年間も小屋に閉じ込められ、残飯を食わされていたような人間がいたとして、そいつに大量殺人ができるほどの運動能力など期待できないはずだ。 しかし、西尾はこの事実――この「馬鹿馬鹿しさ」――をよく分かっていたのだと思う。それを分かったうえで、ある種露悪的に、この「善人しか出てこない話」の中に自身にとってのユートピアを希求したのだ。善人になろうともがげばもがくほど、「善」への希望は壊れ、歪んでいった。その終着点として生まれたのが架空の「善」であっても、もはやその架空性を高尚なものとみなす他なかったのだ。さもなければ、西尾の「善」という宗教は崩壊し、死刑という恐ろしい未来の不安から逃れられなくなる。 ただそれすらも、彼は壊してしまった。最後の「わたし」は、囚人番号357番ではなく、西尾彰だ。この物語は、最後の最後で「善人しか出てこない話」ではなくなってしまったのだ。これは、西尾自身は彼の世界に完結した存在でないために、登場人物たちのような「善人」ではありえないという意味でもあるし、架空の「善」、架空の「善人しか出てこない話」という理想郷に、自身の憧憬という現実をあてることで、その絶対性のルーツを毀損して「完全な善」を揺るがしてしまったという意味でもある。 とにかく、もう西尾は、どうしようもないような状況であったのだろう。自身の拠り所であった完全に純粋で美しい「善」の素晴らしさへの希望は、それを求めれば求めるほど形を崩していき、しまいには姿を消してしまった。「フィクションの世界の『めでたしめでたし』」を創ろうとして、結局文章の最後に書かれたのは「めでたしめでたし」ではなく「わたしも早くそこへ行きたい」だ。この苦悩で、彼は自殺を決意したのだろうか。 あるいは、逆にこう考えることもできる――つまり西尾は、その自殺をもって「完全な善人」になった。先に述べた通り、当然だが西尾自身は彼の世界に完結した存在ではない。彼はその肉体をもって、空間的な広がりを占めている、現実の存在としての側面を持っているからだ。……ならば、その側面を捨ててしまえばいいだけの話なのではないか? 我々にはそれを知る手段こそ無いが、もしも死後の人間にも我々の言う意識のようなものがあるとするなら、こうして西尾は彼の閉じた世界に還元され、架空的で馬鹿馬鹿しい「完全な善人」に、彼自身が規定したその通りの存在になったといえるだろう。他者との関わりなどあり得ないというような状態の中では、「ごっこ遊び」が否定されるようなことさえまったくあり得ないのだ。 ――私は、この作品の結末はこっちなのだろうと思う。そもそも「わたし」の侵入によって「善人しか出てこない話」が壊れるとするならば、西尾が執筆の目的として徹頭徹尾持っていた憧憬のために、最初のパラグラフに出てくる「わたし」の時点で、その崩壊、特に「絶対性のルーツの毀損」は発生してしまっているはずだからだ。 それに、これはこの「解説」の論理性を毀損するような馬鹿げた理由なのだが、この作品は――真なる「善」を狂気的に求めた死刑囚・西尾彰の処女作にして遺作でもあるこの作品は――真に「善人しか出てこない話」であった方が、美しいではないか。
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