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Sisters:WikiWikiオンラインノベル/顔面蒼白
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深夜0時57分、川上功大は隣家のインターホンを押した。理由は、住人の森金吾を殺すためである。 <br> 1ヶ月前、この家に森が引っ越してきた。挨拶に来た森の顔を見たとき、俺は戦慄した。忘れもしない、中学のとき俺をいじめていた奴だったからだ。だがそれ以上に恐ろしかったのは、森が俺の名前はおろか顔すら覚えていないことだった。 <br> 俺を元同級生とは露知らず、森は順風満帆な近況を得意げに語った。小さなIT会社を設立し、経営が軌道に乗り始めたのだと。俺に水をかけ、靴を隠し、腹を蹴ったこいつが、キラキラした面でキラキラした生活を送ってやがる。俺は毎日ボロ工場で汗みずくになりながら働いているのに。 <br> 許せない。 <br> 殺意はむくむくと膨れ上がっていった。俺は森を殺す計画を立て、準備を整えてきた。そして今夜、実行する。 プッと音を立てて通話が始まった。 <br>「どちら様? あ、川北さんでしたっけ?」 <br>「川上です」 <br>「ああ、川上さん!」 <br>「森さん、夜分遅くにすみません。昨日話しそびれてしまったんですが、実は折り入って相談がありまして……」 <br>「そうでしたか! 外は寒いでしょう。今、ドアを開けますね」 <br>「ありがとうございます」 <br> この外面の良さ、ちっとも変わっちゃいない。お前なら家へ上げると思っていたよ。 <br> すぐに鍵を開ける音がし、ガチャリと扉が開いた。 <br>「さあ、どうぞ上がって」 <br>「お邪魔します」 <br> この家には昨日――いや、もう一昨日か――にも訪れた。森が挨拶ついでに招いてくれた前回は、茶を飲んで早々に退散したが。 <br> 森は、薄いTシャツと短パンにスリッパという格好だった。寝間着だろう。ビンゴだ。お前がFacebookで「毎日夜1時丁度に寝る」と投稿していたから、この時間にしたんだ。 <br> 俺は両手に手袋をしているが、森が怪しむ素振りは無い。俺は靴を脱ぐと、森が差し出した黒いスリッパを履いた。靴箱も、傘立ても、絨毯も、お洒落に揃えやがって。吐き気がする。 <br> 森は俺が提げている紙袋に目を留めた。ずっと前に誰かから貰った京都銘菓の袋だ。 <br>「京都ですか」 <br>「ええ、先日出張に行きまして」 <br> 真っ赤な嘘だ。 <br> 俺達は廊下を真っ直ぐ歩いていった。森は場を持たせようと何か喋っている。 <br>「京都ですかあ。中学の修学旅行で行ったきりですねえ」 <br> その修学旅行に俺もいたんだがな。廊下の突き当たりにある扉をくぐった。ここが居間だ。 <br>「そのとき買った木刀はまだ持ってますよ」 <br> 奥にはカーテンをひかれた、庭に続く窓。右手の扉の向こうが寝室。 <br>「あとは清水寺に行ったりね。いやー懐かしいなあ」 <br> 間取りは昨日確認しておいた。いける。背中に手を回し、ベルトに挟んだ鞘からナイフをそっと抜く。 <br>「……あれ?」 <br> 椅子を引こうとしていた森の動きがピタリと止まった。無防備に背中を見せている。 <br>「あんた、まさか」 <br> 振り返るより先に、後ろから抱きすくめるようにして、俺は森の腹にナイフを深々と刺した。森の体がびくりと痙攣する。ナイフは肝臓を貫いているだろう。俺は森を抱えたまま、机の少し横に体を向けさせた。こんなものか。 <br> 森は震える右手で腹を弱々しく押さえた。まだ出血は少ない。荒い呼吸をしながら、森はこちらを振り返った。顔を歪めてじっと見つめてくる。 <br>「川上……!」 <br>「ようやく思い出したか」 <br> 死ね。俺はナイフを森の体から引き抜き、床へ放った。傷口から大量の血が吹き出る。机の横、窓へは届かないほどに血飛沫が散った。森の顔からみるみる血の気が失われていき、だらりと右手が垂れ下がった。 <br> 俺が手を離すと、森は左へどさりと倒れた。フローリングに、どくどくと血溜まりが広がっていく。 <br> 森は死んだのだ。だが、意外と気持ちは落ち着いていた。まだやることがある。ゲームを淡々と進めていく感覚に近い。 <br> さあ、偽装工作開始だ。 ただ殺しただけでは、すぐに疑われてしまう。俺は森の隣人なのだし、中学で同級だったと判れば、一躍最重要容疑者だ。 <br> だから、計画を立てた。俺の計画はシンプル、“居直り強盗の仕業に見せかける”というものだ。森が寝ているとき、居間の窓を割って泥棒が侵入してくる。しかし目を覚ました森と鉢合わせ。慌てて刺してしまい、怖くなって何も盗まず逃走、というシナリオだ。 <br> 警察も忙しい。一度強盗の仕業に見えれば、そう結論づけてくれるだろう。 <br> 俺はまず、返り血を浴びていないか確認した。全身を軽く見ていく。どうやら、右の手袋以外は無事のようだ。左手で紙袋からビニール袋を取り出し、両手袋を外してそれに入れる。口をきつく閉じ、ビニール袋をまた紙袋に戻した。入れ替わりに軍手を出し、それを両手にはめる。 <br> 次は玄関だ。紙袋を持って廊下に出る。勿論、血溜まりを踏むようなヘマはしない。そのまま玄関まで行き、サムターンを捻ってドアを施錠した。そしてスリッパを脱ぎ、靴箱に戻しておく。最後に、土間の自分の靴を紙袋に入れた。靴下の足跡は残りにくいから、多少歩き回っても問題ない。 <br> 俺はまた居間へと引き返した。途中、廊下の照明を消しておくのも忘れない。居間に入ると、血痕を避けて、壁のインターホンをチェックした。どうやら、履歴は端から残らない機種のようだ。幸運。監視カメラの類もない事はリサーチ済み。どうやら天は俺に味方しているようだ。 さあ、ここからが本番。今までは、俺という“訪問客”の痕跡を消す作業だった。これからは架空の“侵入者”の痕跡を残す。 <br> カーテンをくぐり、窓を開けた。紙袋から新しい靴を一足出し、それを履いて庭へと出る。靴もナイフも、道具は全て入手ルートを辿れないものを用意した。これらから俺に捜査の手が及ぶ心配は無い。 <br> 紙袋を地面に置くと、庭を囲う柵にとりつき、乗り越えた。柵とはいっても、俺の胸くらいしかない。柵の外は小道で、向かい側はだだっ広い田圃になっている。周辺は真っ暗で、この時間に人通りはまず無い。 <br> 俺は一度深呼吸をした。俺は泥棒。今からこの家に侵入する。よし。 <br> 柵に手をかけ、体を引き上げる。さっきのように柵を乗り越え、庭に降り立った。ポケットからスマホを取り出し、ライトを点ける。紙袋に入れてあったハンマーを持ち、窓に近づいた。狙うはクレセント錠の付近。手首を素早く振り、ハンマーを打ちつけた。鈍い音がし、僅かに罅が入る。もう少し強く。再度ハンマーを振ると、バリンと拳大の穴が開いた。完璧。 <br> ハンマーを仕舞い、穴に手を突っ込む。当然鍵はかかっていないが、泥棒はこうして窓の鍵を開けるのだ。 <br> 窓をそっとスライドさせ、俺は室内に侵入した。日本の警察は優秀だ。こうして土足の足跡を残しておかないと、怪しまれかねない。だが、庭の土は乾いていたし、あまり気にする必要はなさそうだ。 <br> ゆっくりと机の近くまで歩み寄った。机の向こう側には森の死体がある。この後、不審な音を聞きつけた森が寝室から出てきて、居間の電気を点ける。そこで森と泥棒は互いを視認する。森は逃げようと廊下への扉に向かうが、泥棒は机の右側を駆け、持っていたナイフで森を正面から刺す。怖気づいた泥棒はそのまま遁走する……。 <br> 問題はないか? 俺は注意深く部屋を見渡した。何か不自然な点は……あっ! <br> ――寝室に続くドア! <br> 今、それは{{傍点|文章=閉まっている}}。しかし、侵入者と鉢合わせした状況で、{{傍点|文章=森が丁寧にドアを閉めるわけがない}}。森が寝室に蜻蛉返りせずに玄関を目指すのには、2つの理由がある。1つは寝室のドアに鍵がないこと、もう1つは寝室の窓に格子が嵌まっていることだ。要するに、寝室に戻っても、立て籠ることも逃げることもできないのだ。 <br> 俺は机を左から回り、寝室へのドアを慎重に開けた。ついでに中も覗いてみる。恐らく点けっ放しの常夜灯、整えられたシングルベッド、本が1冊乗ったサイドボード。不都合なものは無さそうだ。 <br> 血痕を踏まないよう注意しながら、また窓際へと戻った。今更ながら、背中を冷や汗がつたった。危なかった。もし気づかなかったら、どうなっていただろう。 さあ、集中しろ。部屋を再度見回したが、今度は何も引っ掛かるところはない。なら、さっさと帰ろう。近くを人が通りかかる可能性も、皆無ではないのだ。 <br> 最後に、森の蒼白な死に顔を眺めた。その無様な姿に、自然と笑みがこぼれる。 <br> 俺の、勝ちだ。 <br> カーテンを押しよけ、開けっ放しの窓から外に出た。泥棒改め殺人犯はひどく動揺している。窓は閉めなくていいだろう。夜の冷気が心地よい。 <br> 紙袋を拾い上げると、俺は柵をまた乗り越えた。毛髪なんかは残っているだろうが、俺は一昨日この家を訪れたのだ。何の問題もない。 <br> 電気は点いたままで窓は全開、さらに窓は割られてもいるのだ。事件の発覚は早いだろう。だが、俺に辿り着かれさえしなければ、一向に構わない。 <br> 靴を履き替え、隣の自宅に戻った。鍵を開けて中に入る。微細な血液が付いているかもしれないから、着ている服を纏めて紙袋に突っ込んだ。そして、紙袋ごと埃だらけの屋根裏に放り込む。これで、家宅捜索でもされない限り、大丈夫だ。これらは、ほとぼりが冷めた数年後に、少しずつ捨てよう。 <br> シャワーを浴びると、すぐに万年床に潜り込んだ。やっと、難事を成し遂げた達成感が湧いてきた。俺は高揚感に抱かれながらすぐに寝入った。何か楽しい夢を見た気がする。 俺が目を覚ますと、もう昼の11時だった。カーテンの隙間から隣家を見ると、玄関先にパトカーが停まり、何人もの警官が蠢いているのが見えた。想定内。自分でも驚くほど落ち着いている。 <br> ブランチを手早く済ませ、身支度をしたとき、呼び鈴が鳴った。人が殺されたのだ。周辺に聞き込みに来るのは当たり前。ボロさえ出さなきゃいい。 <br> 玄関を開けると、やはり警官が立っていた。小太りの初老の男と、ひょろりと細長い若い男。どちらも警察手帳を見せて名乗った。階級は、小太りな方が警部補、細長い方が巡査らしい。 <br>「いやー、突然すみません。川上功大さんで間違いないですか?」 <br>「はい。あの、警察の方がどういった御用で?」 <br>「あら、ご存じないですか?」 <br>「はい。さっきまで寝てたもんで」 <br>「そうでしたか。実は今朝、そこのお宅の森金吾さんが亡くなっているのが発見されたんですよ」 <br>「ええっ⁈」 <br> 我ながら、いいリアクション。そしてここはしっかり惚ける。 <br>「まさか、自殺とか……?」 <br>「いや、それが、他殺なんですよ」 <br>「えっ……」 <br> 何もかも先刻承知なのだが、警部補はそんなこと知る由もなく、話を続けた。 <br>「そういうわけで、川上さんにちょっと話を聞きたいんです。でも、話が長くなるんで、その……」 <br> 警部補は俺の後ろ、家の奥に目をやった。図々しい奴らだな。だが、内心に反して俺は愛想よく言った。 <br>「ああ、どうぞ上がってください」 <br>「ありがとうございます! いやー、本当助かります」 <br>「いいんですよ、外は暑いですからね」 <br> 一瞬、昨夜のことが頭をよぎった。駄目だ、俺は何も知らない無辜の市民でなければならない。 <br> 扉を大きく開き、警官2人を招き入れた。 <br>「どうぞどうぞ。なにぶん男の独り暮らしですから、むさ苦しいし汚いですが」 <br>「いえいえ、私の家の方がずっと汚いですよ」 <br> 警部補はそう言うとカラカラと笑った。人当たりのいい警官だ。一方、巡査はさっきから全く喋らない。無言で靴を脱ぎ、周りを見回しながら警部補の後についてくる。正直不気味だ。 <br> 俺は家中からどうにか椅子を3脚かき集め、食卓に並べた。冷蔵庫から麦茶を出し、3つのコップに注ぐ。それをテーブルに置き、俺の向かいに警官2人が並ぶ形で、俺達は座った。 <br>「で、俺に聞きたい話ってのは?」 <br> どうせ、怪しい人を見なかったか、とかだろうが。 <br> 茶を一口飲むと、警部補は口を開いた。 <br>「その前に事件の概要をお話ししておきましょう」 <br>「お願いします」 <br>「事件の発覚は、今朝の6時頃です。犬の散歩をしていたご婦人が、森さん宅の裏手の窓が割られているのを見つけたんです。そして声をかけても返事がない。不審に思って警察に通報し、駆けつけた私達が事切れた森さんを発見したんです」 <br> 発覚は思っていたより早かったのだな。もう5時間以上経っている。現場の捜査に時間がかかったのだろうか。 <br>「森さんは一体誰に殺されたんです?」 <br>「現場の状況からして、森さんはどうも盗人に殺されたようなんです」 <br> 俺は必死に笑みを隠した。捜査は俺の誘導した通りに進んでいる。 <br>「昨夜遅く、盗人は金槌か何かで窓を割り、手を突っ込んで鍵を開け、森さん宅のリビングに侵入した。ところが、森さんが起きてしまい、鉢合わせした。そこで焦った盗人は、そのまま森さんに襲いかかり殺してしまった。しかし怖くなり、何も盗まず逃げ出した」 <br>「なんて不運な……」 <br> 殊勝な顔をしていたが、俺はガッツポーズしたいくらいだった。 警部補は、声を一際大きくして言った。 <br>「と、最初は思われたんですがねえ」 <br>「え?」 <br>「どうも、犯人は盗人の犯行に見せかけたかったようなんです」 <br> まずい。最初に浮かんだ感想はそれだった。 <br> 俺は反射的にコップを引っ掴み、茶を含んだ。落ち着け。決定的な証拠があれば、問答無用で俺をしょっぴいているはず。こうして直接話して、怪しい挙動をしないか見極めているのだ。 <br> 戦闘態勢を整えろ。一字一句聞き逃すな。ボロを一切出すな。 <br> 俺は純粋に驚いたような顔をして、尋ねた。 <br>「どうして、そう判るんです?」 <br> 人懐っこい警部補の目が、気味悪く見えてくる。巡査は、変わらず無言で周囲を眺めている。 <br> 警部補は明るく言い放った。 <br>「{{傍点|文章=血痕}}ですよ」 <br>「血痕?」 <br>「さっき言ったようなことが起こったのなら、当然盗人は森さんを正面から襲ったことになる。でも、森さんの傷口から噴き出た血飛沫は、綺麗に床に散っていたんです」 <br> そういうことか! 俺は歯噛みした。 <br>「状況からして、犯人に返り血が当たるはずなのに、血が遮られた形跡が無い。そこは丁度壁と机に挟まれたところで、盗人が血飛沫を横っ跳びに避けたというのも考えづらい。これはおかしい。{{傍点|文章=正面から森さんを襲った盗人なんてのはいなかったんじゃないか}}、と考えられるわけです」 <br> 警部補はニヤリと笑った。 <br> だが俺は、半ば落ち着きを取り戻しつつあった。確かに血痕については考えが至らなかったが、流石に根拠が薄弱すぎる。いくらでも言い逃れはできる。 <br>「でも、いなかったと決めつけるのは早いのでは? 例えば、強盗は森さんを後ろからグサッと刺した、ということもあり得るのでは? 体の向きは、揉み合っているうちに変わったとか」 <br> そこまで言って、俺は戦慄した。慌てて付け加える。 <br>「まあ、{{傍点|文章=森さんがどこを刺されたか知らない}}ので、何とも言えないですけど」 <br> 危なかった……。実際俺は森をそのような体勢で殺している。これでは、現場の状況を知っていますよ、と言っているようなものじゃないか。 <br> 余計なことは言わないようにせねば。俺が動揺する中、警部補はまた口を開いた。 <br>「右の肋の間、肝臓の辺りを一突きでしたよ。だから、川上さんの仰るようなこともあり得る。確かに、これだけで決めつけるのは早計でしょうな」 しかし、警部補は笑みを一層強め、右手の人差し指を立てた。 <br>「でも、もう1つ、気になるところがあったんです」 <br> まだあるのか? 俺は焦りを覆い隠し、問うた。 <br>「何です?」 <br>「{{傍点|文章=あるもの}}が、現場に残されていたんです」 <br>「あるもの?」 <br> 何だ? 遺留品は残さなかったはず。 <br> 警部補の返答は、予想外のものだった。 <br>「{{傍点|文章=木刀}}です」 <br> 木刀? どこかで聞いたような……。 <br> 瞬間、雷のように衝撃が走った。確か、森は「木刀はまだ持ってます」と言っていた。なら、どこにあったのだ? 傘立て? いやそんなもの無かった。待て、そもそも木刀をなぜ持っていたんだ? <br> ふと、答えがよぎる。簡単なことだ。 <br> ――護身用。 <br> なら、どこに置く? 玄関ではない。残るは……。 <br> ――寝室かっ! <br> ギリリと奥歯が鳴った。気づいていないのか、警部補は饒舌に喋り続ける。 <br>「森さんの寝室、ベッドの脇に、恐らく護身用の木刀が置かれていたんです。おかしいですよね? {{傍点|文章=不審な音で目覚め}}、{{傍点|文章=様子を見に行くなら}}、{{傍点|文章=当然木刀は持っていくはず}}。独り身の男として、当たり前の備えですな」 <br> ……しまった。 <br> あの時、ちゃんと寝室の中を確認すべきだった。だが、後悔しても遅い。 <br>「血痕と木刀、この二点を鑑みれば、{{傍点|文章=誰かが盗人の犯行に見せかけたのではないか}}、という疑いが俄然強まる」 <br> 喉がカラカラだ。茶を呷り、俺は言い募った。 <br>「でも、あくまで疑いでしょう……?」 <br>「その通り。だから、徹底的に調べました」 <br> 警部補は高らかに言った。 <br>「犯人は盗人の仕業に見せかけようとした。なら、犯人はどこから家に入ったのか。当然、客として玄関から、でしょう。だから、玄関から死体のあるリビングまでを隈なく調べました。するとね、出たんですよ」 <br>「……何が?」 <br> 問いかける俺の声は、震えていた気がする。 <br>「ルミノール反応が、来客用スリッパから。つまり、スリッパに血が付いていたんです」 <br> 俺は愕然とした。必死に記憶を辿る。森を刺し、傷口を押さえていた森の右手がだらりと垂れ下がる……。 <br> ……あのときか! <br> スリッパは黒かった。だから、見落としたのか……。 <br> 警部補は尚も喋り続ける。 <br>「検査の結果、丁度犯行が為された時間帯に付いた、森さんの血液だと判明しました。スリッパがひとりでに靴箱へ戻るわけもない。つまりこれは、{{傍点|文章=スリッパを履いた来客が森さんを殺した証拠}}なんです」 <br> そこまで判っていたのか。こいつらがこの家に来た時点で、とっくに……。 「ところで、川上さん。森さんはあなたと同じ中学校出身らしいですね」 <br> ハッと思わず顔を上げた。そこまで調べがついているのか。想定より、ずっと早い。 <br> 警部補は顔に憐憫の情を滲ませた。 <br>「随分酷く、彼にいじめられていたそうじゃないですか」 <br> だったら俺は無罪になるか? そんなことはない。 <br>「それを恨んで、俺が森を殺したって言うんですか? 冗談じゃない!」 <br> そう叫ぶと、警部補は心なしか悲しげな顔をした。が、すぐに引き締まった表情に戻ると、俺を真っ直ぐ見つめた。 <br>「ところで、川上さん。先程血痕の話をした時、あなたは{{傍点|文章=強盗が森さんを刺した}}、と仰いましたよね?」 <br> 何を当たり前のことを。俺は思わず頷いた。 <br>「私は事件の概要を話す時、こう言ったんです。『{{傍点|文章=盗人は金槌か何かで窓を割り}}』『{{傍点|文章=鉢合わせし}}』『{{傍点|文章=そのまま森さんに襲いかかり殺してしまった}}』と。そして、{{傍点|文章=私は森さんが刺殺されたとは一言も言わなかった}}」 <br> 口から、得体の知れない息が漏れた。 <br> そうか、そうだったのか。 <br>「普通、森さんは金槌で撲殺されたと思うでしょう。{{傍点|文章=なのになぜ}}、{{傍点|文章=あなたは森さんが刺殺されたことを知っていたんです}}?」 <br> 最初から、俺はこの男の掌の上で踊らされていたのか。 <br> 咄嗟にコップを掴むが、茶はもう残っていない。 <br> ふと、恐怖が芽生えた。逮捕されたら、どうなる? 刑務所で何年暮らすんだ? 職場はどうなる? 親は? <br> 駄目だ、嫌だ! <br> 俺は立ち上がって叫んだ。 <br>「い、言いがかりだ! 俺が犯人だって証拠は1つも無いだろう!」 <br> 警部補は声色を変えることなく言う。 <br>「ええ。今はまだ」 <br> 続けて、警部補は隣の巡査に尋ねた。 <br>「どうだ?」 <br> 巡査は、あっさり口を開いた。 <br>「この部屋の隅の、天井裏への開口部。あそこだけ、埃や黴が付着していません。ごく最近開けたのでしょう」 <br>「よし」 <br> 警部補は俺の目を真っ直ぐ見て言った。 <br>「川上功大さん、あなたが森金吾さんを殺していないと仰るのなら、あそこを開けて、天井裏を見せてくれませんか?」 <br> 俺は、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。
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