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惨闢
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==8月13日19時57分 神代晃平== 小さい頃から、物を引き寄せられた。代々、神代家の男はこの力を持っていたらしい。 掌にぐっと力をこめると、物が見えない糸に引っ張られるように、すっ飛んでくる。 祖父は、机の上の皿をゴトゴトと引きずってくるくらいの力しか出せなかったが、俺は部屋の反対側の花瓶をひゅんと飛ばしてきてキャッチするくらいはできた。どうやら、代を重ねるごとに力は強まっているらしい。 生まれてから30年間、ずっとこの力は秘密にしてきた。しかし、この力──{{傍点|文章=彼ら}}が言うには「グラビティ」──を持つ者を探そうと思えば、案外あっさり見つかるものらしい。彼らは俺をグラビティ持ちと見抜いて、連絡してきた。そして今、俺は妻と1歳の息子を連れて、約束された場所──ここ沖縄──に来ている。 「葵、どうしたの?」<br>妻の椿が、ぐずる葵を抱いてあやしている。俺たちが何をしにここへ来たのか判っているから、葵はこんなに不機嫌なのだろうか。 午後8時。俺たちはホテルを探して那覇市街を歩き回っていた。数時間前に那覇空港に降り立ち、明朝の{{傍点|文章=約束}}に向けて一泊だけすれば良かった。しかし、盆休みの国内有数の観光地、ホテルはどこも満杯で、もう2時間ほど歩きっぱなしだ。荷物は少ないとはいえ、流石に堪える。日も沈み、いよいよ本格的に暗くなってきた。 「椿、あそこに行ってみよう」<br> ゆいレールの線路がある大通りから一本外れた小道に、民宿の看板が立っていた。俺は引き戸を開け、戸をくぐった。葵を抱いた椿も続く。中の狭いロビーには、先客の外国人グループがいた。タトゥーを入れた東洋人が3名。黙礼して、無人の受付のベルを鳴らす。椿は歩き疲れたのか、外国人たちが座るソファーの端に腰を下ろした。中から人が来る様子はまだ無い。 先客が屯しているし、やはり部屋は埋まっているのだろうか。東洋人たちは知らない言語で何事か喋っている。後ろで、ソファーから人が立ち上がる気配がした。俺が業を煮やして再度ベルを鳴らしたとき、背中に誰かがぶつかった。振り返ると、1人の外国人が出口へ歩いているところだった。引き戸を開けている。別の宿泊所を探すのだろうか。 その時、ふと嫌な予感がした。尻ポケットに手をやる。無い。入れていた財布が、無い。 ──掏摸か! 外国人は、戸を閉めて出ていったところだった。取り返さねば。<br>「掏られた。葵を頼む」<br> 素早く伝えると、ポカンとしている椿を残し、走り出した。 ガラガラと戸を開け、薄闇に包まれた外へ走り出す。右に、外国人はいた。振り返っているそいつと目が合う。途端、そいつは走り出した。路駐された車の横を駆け、俺も急いで後を追う。掏摸の右手には、財布が。距離は、10mほど。辺りに掏摸以外の人影は無い。 いけるか。 俺は足を止め、右腕をまっすぐ突き出した。掏摸の右手に向けた掌に、力を込める。 ──来い! 掏摸の右腕が、ぐんと後ろに引かれる。掏摸は驚いて振り返った。誰も手を引いていないことに、驚愕を隠せないでいる。だが、財布は手を離れていない。掏摸は引力を振り払い、後ろの俺を恐怖の目で見ながら、また走り出した。 もっと強く。俺は動かないまま、一層強く力を込めた。ただし、目標を少し遠くして。思い切り、引き寄せる。 ヒュッ。 掏摸が風切り音に前を向いた瞬間、飛んできたプランターが頭に直撃した。掏摸は昏倒し、今度は手から離れた財布が飛んでいく。俺はそれをパシリと掴み、ほっと息をついた。 どうにか、取り返すことができた。掏摸も、死んではいるまい。だが、暴れてしまったから、この民宿には泊まれないだろう。また別の場所を探さねば。重い気持ちになりながら、引き返そうとしたその時だった。 女の悲鳴が響き、同時に派手な音を立てて民宿の戸が開き、外国人が2人、飛び出てきた。そのうち1人の腕の中には、大声で泣いている赤ん坊。まさかあれは、葵? 彼らは道に駐まっている車に乗り込み、急発進してこっちに向かってくる。呆然としていた俺は、慌てて横に飛び退いた。車はギャリギャリと音を立て、倒れた掏摸を避けつつ通りへと走り去った。 「晃平さん! あ、葵が!」<br> 椿が出てきて、悲痛な叫びを上げる。葵は、攫われてしまった。掏摸に人攫いなんて、あの東洋人たち、堅気ではないと思っていたが……。しかし、そんなことはどうでもいい。 怒りが、満ちてきた。葵を取り返さないと……! 「は、早く警察に通報しないと……!」<br>「駄目だ、{{傍点|文章=それじゃ間に合わない}}。椿、ここから離れろ」<br>「え?」<br>「葵を助ける」<br>「どうやって⁈」<br>「『だいだらぼっち』になる」 代々伝わる伝説に、「先祖が巨人だいだらぼっちになった」というものがある。桁外れの力を持っていた先祖が、大量の物を引き寄せて全身に纏い、巨人の体を形作ったという。椿は、神代家の能力を知っている。意図は伝わったようだ。 椿は、青ざめた顔で頷いた。今の俺の力の強さなら、おそらくできる。<br>「近くの、奥武山公園で待ち合わせよう」<br>「わかったわ」<br>俺は車が去った方向へと走り出した。椿は、反対方向へと走っていく。 椿を巻き込まぬよう、距離を取ってから力を発動しないと。だが葵を見失いかねないから、早くしなければ。大通りに駆け出た。煌びやかな明かりに包まれ、多くの人や車が行き交っている。 車線の位置からして、葵を連れ去った車は、国道330号線を北に走っているはずだ。巨人の歩幅になれば、追いつける。 ゴウッといってモノレールが頭上を通過していく。俺は両腕を真横に伸ばし、目を瞑り、掌に全神経を集中させた。 椿は、もう逃げただろうか。俺は、周りのすべてを思いっきり引き寄せた。
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