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アンモク共和国
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====侵略の詳細==== エドワードは旅人だった。服装や持ち物、あるいは生への執念やフットワークの軽さなどは他の旅人と何ら変わりはなかったのだが、唯一決定的な違いがあった。思想である。彼は「アンモク共和国の存在は本来的に邪悪である。征服できるものなら征服して、正義に導いてやりたい」というようなことを普段から平気で考えていた。その思想に自ら危険意識を持っていた彼は、アンモク共和国のあるピートロヘトには足を踏み入れないよう、厳重に注意していた。 普通の旅人生活を送っていたエドワードだが、彼の25歳の誕生日、すなわち1313年8月12日、友人のサプライズで目隠しをされ、ピートロヘトに作られたパーティー会場<ref group="†">現在と違い、当時は外国人が勝手に領内に入って自由に経済活動をすることが許された。</ref>に連れてこられてしまう。目隠しは会場に着いてから室内で外されたため、しばらくはその地がピートロヘトであることは意識されなかった。しかし、会話の流れでエドワードにそれが明かされると、不意に立ち上がり<ref group="†">このとき、あまり勢いよく立ち上がったため、座っていた椅子は後方に吹き飛んで大破した。</ref>、会場を飛び出して、アンモク共和国の議事堂まで突っ走り、議事堂の庭から木の枝をせっせとかき集め、持っていた3つの百円ライターで火をつけ、建物にそれを投げ込んで放火した。議事堂は59日かけて全焼し、そのときの気温マイナス8度は、アンモク中を震え上がらせた。 [[ファイル:アンモク共和国現議事堂.jpeg|146px|thumb|right|エドワードが建てた、現在も使用されるアンモク共和国議事堂。]] ほどなくしてエドワードは議事堂の跡地にもう一度議事堂を作り、議員を自分のみにしてほぼ思い通りの議決を出したり<ref group="†">「ほぼ」としたのは、国民に円周率314桁の暗記を強制させる旨の法案を1314年1月5日午前9時に可決するという洒落たことをやりたかったのに、当日に風邪をひいて議会を欠席してしまうなどの出来事があったためである。</ref>、人々を集めて何度か演説をしたりした。この独裁は、1352年に彼が死ぬまで続いた。
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