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ギニア
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====終戦==== 首都のニアメこそ陥落しなかったものの、<u>東インド州、西インド州、南亜インド州を失った</u>大インド帝国にもはや戦争継続能力は存在せず、西暦1029年、大インド帝国の無条件降伏という形で幾連印戦争は終結した。 '''コナクリ講和会議'''の結果、東インド諸島では、ニューギニア島の全土がパプアニュー・ギニア州に併合された。また、その他の東インド地域には<u>ギニア連合王国の傀儡国家</u>である「'''ギニドネシア'''」が建設され、西インド州はそれぞれが国家として独立した。さらに、南アジアでは、パキスタン地方はナントカスタン中亜同盟に併合され、他の地方ではまとめて<u>ナントカスタン中亜同盟の傀儡国家</u>である「'''ヒンドゥスタン'''」が建設された。これによって<u>大インド帝国は解体</u>され、中央インド地方はもとの「'''インド'''」に戻った。 {|class="wikitable" style="background-color:white;" |style="border:1px solid white;"|[[ファイル:幾連印戦争5.png|代替文=|フレームなし]] |style="border:1px solid white;"| {| class="wikitable" |'''ギニア連合王国の勢力圏 ''':<span style="background-color:#0099ff ; color:#0099ff ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> |- |'''ナントカスタン中亜同盟の勢力圏''':<span style="background-color:#009966 ; color:#009966 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> |- |'''インドの勢力圏 ''':<span style="background-color:#ff0000 ; color:#ff0000 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> |} |}
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