メインメニューを開く
ホーム
おまかせ表示
ログイン
設定
WikiWikiについて
免責事項
WikiWiki
検索
「
利用者:Mapilaplap/サンドボックス
」を編集中 (節単位)
警告:
ログインしていません。編集を行うと、あなたの IP アドレスが公開されます。
ログイン
または
アカウントを作成
すれば、あなたの編集はその利用者名とともに表示されるほか、その他の利点もあります。
スパム攻撃防止用のチェックです。 けっして、ここには、値の入力は
しない
でください!
== kiji:無理数的宇宙観 == <br>無理数的宇宙観 <br>思考(創作物)は世界の観測 <br>我々の世界において存在=知覚である。 <br>観測(思考・創作・内面への探究)=存在の創造=我々のこの世界においてのその世界の創造 <br><br>・強烈に認識している自我が消滅するとは思えない。 <br>・死を境目として自我が何らかの性質変化が訪れるに過ぎないという確信に近い予感。 <br>・自分の思考(創作物)はどこかで、宇宙の内外を論外として存在しているという感覚。世界への認識。 <br>・この世界はどこまでも広く、全てが存在し得るという認識。 <br><br>自我は消滅しない。 <br>この世界観において、世界はどこまでも広く、あらゆる事象が既に起きています。その中で我々の自我というものは肉体と結びつきながらもあらゆる世界を観測する道具と定義されます。自我というものが時空を超えて世界を知覚するのです。 <br>つまり、私たちの精神活動の副産物である創作活動の全ては世界の観測なのです。 <br>我々の世界において、「知覚(認識)=存在」であるから、つまり、我々の創作活動は、世界の創造なのです。 <br><br>きっと我々は死んだ後、もしくは何かしらの形でこの世界との決別を迎えた後、無限の世界のどこかで新しい形で生まれ変わるのでしょう。世界は無限に存在するのです。もしかしたら何かの創作物の中にあなたの変化した先の姿が観測されているかもしれないですね。 以上です。 自我を投影する (我々の認識する世界において一番近いと思われる表現) その比喩として「無理数の数列に思いついた数字が入っているような世界」というもの。 思考がどこかで存在しているという世界の認識 思考の中で発現すること自体、実質的に存在していると言える。 何かしらの接続によって思考内に像を結ぶ。 我々の世界において知覚することこそ存在することであり、つまり思考による観測こそこの世界においてのその世界の創造である。 そういった点であらゆる思考・創作物はつまり世界の認識(切り取り/創造)でありそれらは次元を超えた接続を可能にする自我に用意された能力・手段であると言える。
編集内容の要約:
WikiWikiへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ・ゼロ(パブリックドメイン) (詳細は
WikiWiki:著作権
を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。
また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください。
著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください!
編集を中止
編集の仕方
(新しいウィンドウで開きます)