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アンモク共和国
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==歴史== アンモクの偉大な歴史について説明するときは、概ね以下のような歴史区分が用いられる。 *神話時代 - 「オー神(オーかみ)」という唯一神の兄弟{{矛盾|date={{CURRENTYEAR}}年{{CURRENTMONTHNAME}}}}が宇宙を支配していた時代。 *建国時代 - 神話時代と神国時代の間にある、兄弟が「アンモク神国」建国のための行動を取っていた時代。 *神国時代 - アンモクが「アンモク神国」という名の立憲君主制の国家であった時代。 *共和国時代 - アンモクが「アンモク共和国」という名の共和制の国家である時代。現代もこの時代に当てはまる。 ===神話時代=== アンモク国において'''神話時代'''とは、第一次宇宙消失以前の時代から、「アンモク神国」の建国の意思が示された時期までを指す時代区分である。 ====絶対神「オー神」==== 古来、絶対かつ唯一の神に'''オー神(オーかみ)兄弟'''という二人の兄弟がいた{{矛盾|date={{CURRENTYEAR}}年{{CURRENTMONTHNAME}}}}。兄の'''ルピルラス=ハフティクリ'''(Lujirathas-Hafgjuyki)と、弟の'''ティナディヨ=ハフティクリ'''(Innaghdjo-Hafgjuyki)である。当時、生命ある存在といえば兄弟の他には無かったため、兄弟は真に兄弟自身で暮らしていた。 兄弟は可愛らしいすがたをしていた。うす茶色の毛、すらりとした肢、短い耳に長い尻尾、大きくて重い頭などが特徴的であったが、その中でも特筆すべきは、その速い足と鋭い歯である。狩りの際の走るスピードは最高時速70キロメートルにもなり、捕まえた獲物はいとも簡単に、全部で42本ある歯を使って豪快に食いちぎる。このように、兄弟はとても可愛らしいすがたをしていた。{{矛盾|date={{CURRENTYEAR}}年{{CURRENTMONTHNAME}}}} 兄弟はそれぞれ寛大<ref group="†">[https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E5%AF%9B%E6%94%BF%E5%A4%A7%E5%AD%A6 寛政大学]とは異なる。</ref>でとても仲が良く、喧嘩なども滅多にしなかった。彼らが喧嘩したのは、ティナディヨのバタートーストをルビルラスが横取りしようとした時のみである(なお、このルビルラスの目論見は失敗に終わった。ティナディヨのバタートーストを釣り竿で釣り上げようと試みたのだが、引っ掛け方を間違えて「聖なる床」に落としてしまったためである<ref group="†">このとき、パンがバターの付いた面を下にして落ちたことは宇宙の基礎定数として確定し、今日では「マーフィーの法則」との呼称で知られる。</ref>)。 ====宇宙狭小化現象とゲブクス会議==== ある段階で、宇宙は日に日に狭くなっていた(='''宇宙狭小化現象''')。したがって兄弟は頭を悩ませていた。「さて宇宙をどうしようか」、口を開くと出てくる言葉はそればかりであった。すでに42もの解決案が出ていた。しかし案の多いことは必ずしも良いことではない。最終的に実行する案を、一つに決めなければならないからである。互いに鋭い歯を軋らせながら話し合い、考えに考え、兄弟は計画を以下の三つまで絞った。 #使用人を雇い、宇宙のいちばん外側の方に配置し、手で外向きに力を加えさせることで収縮を食い止めるという案 #宇宙の真ん中で「アノ呪文」を唱え続けることで収縮の力の向きを反転させ、逆に膨張させてしまうという案 #もはや諦めてしまうという案 しかし、あろうことか兄弟は、ここへ来て怠け始めたのだ。「もう三つに決まったのだ」と言い、休息を欲したのである。 そうしておよそ12年が過ぎた頃、ティナディヨはふいに叫んだ。 <blockquote> 「やっべ」 </blockquote> この叫びを端緒として兄弟は、この重大な話し合いにふたたび取り掛かる決意をした。とはいえ、今まで通りやるのではまたすぐに怠けてしまうだろう。よって兄弟は新しい手段を探さなければならなかった。難しい話である。兄弟は困った。そのうえ、どれほど困っていようが、兄弟は神頼みをすることさえ許されなかった。皮肉なことに、自身らが神だったからである。 新しい手段はなかなか見つからなかった。兄弟にとって探し物とは、原始そういうものであった。兄弟は二人とも部屋が汚く、少なくとも探し物をする環境ではなかった為である。 それから28日が経ち、ついに兄弟は一つの手段を見つけ出した<ref group="†">絶対に無いと思っていたはずの引き出しから見つかったという。</ref>。ルビルラスはこの手段をひょいと持ち上げ、目前でよく観察してからこう言い放った。 <blockquote> 「なるほど我々の仲が良すぎるのがいけないようだ。話し合いの場において、相手に対して他人行儀であることはたしかに大切だ。かつよそよそしく、かつ礼儀正しく」 </blockquote> 彼らは見つかった新しい手段に従って静粛に話し合いを始めた。これが'''ゲブクス会議'''<ref group="†">「ゲブクス」とは古[[アンモク語]]で「1にまつわるもの」。従って「ゲブクス会議」は「最初に開かれた会議」の意味。</ref>である。 兄弟はこの思いつきを得て仕事に取り掛かったのだが、三つのうちのどの案も、非常に魅力的に思えるものだった。そのため兄弟は実に42ヶ月の月日を費やして頭を悩ませ、そしてようやく二つの自明な真理に気づいた。 #(その当時は)宇宙の収縮を抑えこむことのできる者はいないため、そのような仕事をする使用人を雇うことは不可能である。 #「アノ呪文」の話は幼少の頃、祖父・ボレクシュナット(Bodghchjuenagjtt-Hafgjuyki)から聞かされたものだが、よく考えてみればその内容も文言も知らないので、そのような呪文を唱えることは不可能である。 この気づき<ref group="†">これは世のあらゆる気づきのなかで最初のものであるため、現在では"o-ugrhvett' Fjdsughrk"「偉大なる気づき」と呼ばれ讃えられている。</ref>によって兄弟は決意を固めた。すなわち消去法で、 <ol start="3"> <li>もはや諦めてしまう。</li> </ol> を選んだのであった。 ====第一次宇宙消失==== 兄弟の選択により、当時の宇宙狭小化現象がついに止まることはなかった。宇宙はすさまじいスピードで狭まっていき、ついに「ただの一点」<ref group="†">「特異点」とも。</ref>となった。これを'''宇宙消失(第一次宇宙消失)'''と呼ぶ。<ref group="†">ちなみに、大した事件ではない。</ref> ====再興==== 第一次宇宙消失の6.481秒後、宇宙は膨張を始めた。宇宙は再び形づくられ、すべては元の通りとなった。これを'''再興'''という。 再興の後、兄弟は何事もなかったかのように息を吹き返し、勢いそのまま「アンモク神国」の建国を始めた。 ===建国時代=== アンモク共和国において'''建国時代'''とは、「アンモク神国」の建国に係る具体的な手続きがなされた時期を指す時代区分である。約15年ほど。 兄弟は「再興」のあと、「アンモク神国」の建国を決意し、実行に移した。 ====建国準備期==== 誰が決めたわけでもないが、国が国であるためには以下の三要素が必須とされた。<ref group="†">この決まりは現在の国際法にもおおよそ引き継がれている。</ref> #一定の面積を持った領地 #その領地に住む住民 #その住民を代表する政府 兄弟は、これらの要素を順に創造していった。 {{格納|名前=1. 領地の宣言|中身= {{!}}- {{!}}15年の建国時代のほとんどは、領地を置く場所の決定に費やされた。 兄弟にとって領地とは、全宇宙を指し得たのだが、それを宣言するのはあまりにも[[Wikipedia|ナンセンス]]だと考えた。やはり特定の土地を指して領地とするのがよい、としたのである。 「ではどこを領地としようか?<ref group="†">なお、これは世界で最も有名な問いである。</ref>」と言って兄弟は、宇宙のあらゆる場所を調査した。兄弟の結論は、地球という惑星のシズーカ州の東端にある、「[[Sisters:WikiWiki麻薬ショナリー#「紫なる山」|紫なる山]]」に囲まれた部分「[[Sisters:WikiWiki麻薬ショナリー#「ピートロヘト」|ピートロヘト]]」が我々の領地としてふさわしい、というものであった。 理由はただ一つ。兄弟は「その惑星の他の土地には昇る『オヒサマ<ref group="†">日本語の「太陽」とほぼ同義。</ref>』が、唯一昇らない」「その惑星の他の土地からは沈む『オヒサマ』が、唯一沈まない」という条件に当てはまる土地を探していたのである。最初に兄弟が見つけたのは南極や北極であったが、以下の理由で決定は見送られた。 *条件を満たすのに季節が限定される *どちらか一方の条件しか満たさない *めちゃくちゃ寒い 他方、次に兄弟が見つけた地、[[Sisters:WikiWiki麻薬ショナリー#「ピートロヘト」|ピートロヘト]]は実に完璧であった。すなわち、 *一年中条件が満たされる点 *二つの条件を併せ持つ点 *生活に適度な気候を持っている点 をすべて備えていたのである。 <span style="float:right;">――ヒジュダス『損益とアンモク人』挿話「彼らの領地獲得における哲学的課題を示す第四挿話――これも氷山の一角に過ぎないのだ」より</span> }} {{格納|名前=2. 住民の創造|中身= {{!}}- {{!}}宇宙最強の神にとって、ヒトを創り出すことなど造作もないことだった。わずか7秒で47人の人間を創り、次の7秒で6人を殺害した。これをもってアンモク神国に人類が誕生した。 <span style="float:right;">――英シンボル社公式サイト「企業概覧」より</span> }} {{格納|名前=3. 政府の決定|中身= {{!}}- {{!}}政権の在り処をどこにすべきか――この3番目の問題は、より簡単なものであった。政府にだれを置くかなど、わざわざ議論するものではなかった。 アンモク神国には兄弟がいる。このことに疑う余地は無い。誰が何と言おうと、そのとき兄弟は存在していた。明らかに存在していた。存在していたのである。何度でも言わせていただく。兄弟は存在していた。兄弟は、どのような議論を運ぼうと、疑念の隙の微塵もなしに、事象の点在を繋ぎとめる規則と華麗な因縁とによって、また断々乎とした支持と心ある正義とによって、あるいは稀有なる奇跡と明瞭なるレゾンデートルとによって、確かに、まさしく、断じて、必ず存在していた。 これを根拠にして、「政府は兄弟が務めればよい」という決定が、不自然なほど自然に下されたのであった。 <span style="float:right;">――ヒジュダス『レゾンデートルとアンモク神国』第238章「アンモッシュ思想信条の根源」より、一部改変</span> }} このようにして建国時代は終わりを迎えた。世界最初の国家、'''アンモク神国'''が誕生したのである。 ===神国時代=== アンモクの偉大な歴史のうち、最初の6時間は兄弟によって成り立っていた。この時代を'''神国時代'''という。アンモク神国は、神が絶対的地位に君臨し、なおかつその権力が近代的な法律によって制限された、立憲君主制の国である。 アンモク神国は[[#ナチュラライゲン化]]によって、創立から6時間で事実上崩壊し、共和制国家になった。 ===共和国時代=== アンモク神国誕生の6時間後、場所を同じくして「アンモク共和国」が誕生した。これは現在のものとほぼ同一の国家である。アンモク共和国が出来てから消滅するまでの時代を'''共和国時代'''という<ref group="†">もちろんアンモク共和国は現存するが、歴史学会によって「消滅した際には違う時代区分名で呼ぼう」ということが決まっているため、このような書き方をした。</ref>。 ====ナチュラライゲン化現象==== 「アンモク神国」が共和制の国家になり「アンモク共和国」に変化したこと、またその瞬間を、'''ナチュラライゲン化現象'''または'''ナテュラライゲン化現象'''という。 前述したが、アンモク神国はわずか6時間で壊れてしまった。実はアンモク神国には当初から不穏な空気があったのである。具体的にどのような空気だったのかははっきりしていない(ただし、首都ヒュデロユイナ市から2209キロメートル離れたところにある洞窟で、「アンモク神国の不穏な空気」とのラベルが貼られた缶詰が発見されたという。現在ドイツの研究者チームによって分析が進められており、新たな発見が期待されている。<ref >[[Sisters:WikiWikiオンラインニュース#アンモク神国の不穏な空気、ついに発見か|WikiWikiオンラインニュース「アンモク神国の不穏な空気、ついに発見か」]](7月21日)より。</ref>)。少なくとも、その不穏な空気によってナチュラライゲン化現象は起こったのである。 同現象の起こりは次のようなものである。神国時代、兄弟神の連立皇帝就任式の日、兄弟は二人とも体調を崩して欠席してしまった。これを受けて住民41人の97%、すなわち39.77人が「彼らは不信任である」してデモを始めた。けが人が出るほどのデモである。狭い場所を好む国民性がある彼らはわざわざ狭い道を選んでデモ行進をしたのだが、その圧迫感に気を失った男、声を張り上げすぎて貧血症状が出た女、デモの参加者に勢い余って杖を蹴飛ばされ、どこかに行ってしまったので帰れなくなった老人、騒ぎに紛れてポケットに入っていた[[Cookie Clicker|クッキー]]が割れてしまって喚く子供、冬眠から覚めたら何やらめんどくさいことになっていたので二度寝を決意したモグラ……これらのように、このデモは多くの犠牲者を生んだという。 そしてこの騒動を受けて兄弟は「んね、これどうする?」「まあ良いんじゃない?」等、厳粛な話し合いのもとにその権力を住民に明け渡すことにしたのである<ref >[[Sisters:WikiWikiリファレンス/アンモク議事録/第一号「山の輝く夏にて_兄弟」|アンモク議事録第一号「山の輝く夏にて 兄弟」]]より。</ref>。一般に「ナチュラライゲン化」と言った場合、この瞬間のことを指すことが多い。 ちなみに、このときに出来た'''住民自治会議(ウズ・ユハーゲル)'''によってすぐに'''シハヤタ会議'''<ref group="†">「シハヤタ」とは古[[アンモク語]]で「2にまつわるもの」。従って「シハヤタ会議」は「(ゲブクスに次いで)二回目に開かれた会議」という意味。</ref>が開かれ、「やはり彼女じゃないか」「うむ、彼女こそふさわしい」「そうだ、どう考えても彼女が適任だ」等、厳粛な話し合いのもとに新しい代表として選ばれたのが[[レイシゴ・ハヤカワ]]である<ref group="†">議事録は存在しないが、どのアンモク人に聞いても必ず「シハヤタ会議が最初に選んだ代表は[[レイシゴ・ハヤカワ]]で、そのときの会議は厳粛に行われた」と返答されるので、恐らくそうなのだろう。</ref>。なお、この「住民自治会議」は当時からほとんど変化の無い状態で現在も残っている。 ====言語の表記法の誕生==== {{main|1=#言語|2=アンモク語#歴史}} 住民自治会議によってシハヤタ会議が開かれた直後、人々が気付いたことがあった。議会には議事録が無くてはならないということである。人々はすでに[[アンモク語|共和国式アンモク語]](現代アンモク語)を話していたが、言語を表記するための文字が無いことについては古アンモク語と同様であった。仕事の早い彼らは早速、自分たちが持っている音素を満遍なく表すことができるような、以下の'''アンモク語アルファベット'''を編み出した。アンモク語アルファベットは、ラテンアルファベットの起源の一つとなった。 {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="text-align:center;" |+アンモク語アルファベット ! style="width:1em;" | 字種 !! 三書 !! 字形 !! 名称<ref group="†">なお、子音は [[ファイル:ag-silent.jpeg|35px|middle]] を除いて特定の名称を持たない。</ref> !! IPA<ref group="†">最も一般的なもののみ示した。音声表記が2つ並ぶものは、左が強勢のないとき、右が強勢のあるとき。</ref> !! 翻字 !! 備考 |- ! rowspan="18" | 母音字 ! rowspan="7" | ティナ・アーン<ref group="†">古アンモク語で「きわめて立派な文字ども」の意。</ref> |[[ファイル:ag-a.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | アー || [ə] || a || style="text-align:left;" |[[ファイル:ag-a-2.jpeg|35px|middle]](異体字) |- |[[ファイル:ag-e.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | エ || [ɛ]/[e] || e || |- |[[ファイル:ag-ei.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | ミ || [ɪ] || ei || |- |[[ファイル:ag-i.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | ティ || [ɨ] || i || style="text-align:left;" | 原則として語頭にのみ出現する。 |- |[[ファイル:ag-oa.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | パ || [ɔ] || oa || |- |[[ファイル:ag-oah.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | アープ || [ɔː] || oah || |- |[[ファイル:ag-aae.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | マペ || [aɛ] || aae || |- ! rowspan="5" | プコース・アーン<ref group="†">古アンモク語で「冗長な文字ども」の意。</ref> |[[ファイル:ag-ae.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | クター || [ɛ] || ae || style="text-align:left;" | 現在では、固有名詞を除いてほぼ使用されない。 |- |[[ファイル:ag-o.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | ト || [o] || o || |- |[[ファイル:ag-eih.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | イート || [ɪː] || eih || |- |[[ファイル:ag-ey.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | ターキ || [eɨ] || ey || style="text-align:left;" | 原則として語末にのみ出現する。 |- |[[ファイル:ag-oy.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | トーキ || [oɨ] || oy || style="text-align:left;" | 原則として語末にのみ出現する。 |- ! rowspan="17" | メイタス・アーン<ref group="†">古アンモク語で「かわいらしいふりをした文字ども」の意。</ref> |- |[[ファイル:ag-oe.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | エース || [ø] || oe || |- |[[ファイル:ag-aa.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | カー || [əː]/[ʌ] || aa || style="text-align:left;" | [ʌ] と発音するときは直後の子音が長子音となる。 |- |[[ファイル:ag-oh.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | オー || [oː] || oh || |- |[[ファイル:ag-ai.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | メイ || [ɛi] || ai || |- |[[ファイル:ag-oi.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | オイス || [oɪ] || oi || |- ! rowspan="11" | 子音字 |- |(文字なし) || - || [p] || p || [[ファイル:ag-i.jpeg|35px]] 以外の母音字が音節の先頭に書かれるとき、その音節の頭には音素 /p/ が付される。 |- |[[ファイル:ag-silent.jpeg|35px]] || style="text-align:left;" | ムカット || (発音なし) || (該当なし) || |- |[[ファイル:ag-m.jpeg|35px]] || - || [m] || m || |- |[[ファイル:ag-k.jpeg|35px]] || - || [k] || k || |- |[[ファイル:ag-t.jpeg|35px]] || - || [t] || t || |- |[[ファイル:ag-s.jpeg|35px]] || - || [s] || s || |- |[[ファイル:ag-p-b.jpeg|35px]] || - || [p] || p || |- |[[ファイル:ag-k-b.jpeg|35px]] || - || [k] || k || |- |[[ファイル:ag-t-b.jpeg|35px]] || - || [t] || t || |- |[[ファイル:ag-h.jpeg|35px]] || - || [ː] || h || 直前の子音を長子音化する。 |} アンモク語アルファベットが出来たことで、ようやく、国政にとって不可欠である議事録を作ることが可能になった。たとえば、以下は住民自治会議第五の会議の議事録である。 <blockquote> </blockquote> ===エドワードによる侵略=== 時代は移って1313年、アンモク共和国は、エドワード(Oedvort、ファミリーネームなし、1288年8月12日 - 1352年12月31日)という外国人に侵略を受けた。 ====侵略の詳細==== エドワードは旅人だった。服装や持ち物、あるいは生への執念やフットワークの軽さなどは他の旅人と何ら変わりはなかったのだが、唯一決定的な違いがあった。思想である。彼は「アンモク共和国の存在は本来的に邪悪である。征服できるものなら征服して、正義に導いてやりたい」というようなことを普段から平気で考えていた。その思想に自ら危険意識を持っていた彼は、アンモク共和国のあるピートロヘトには足を踏み入れないよう、厳重に注意していた。 普通の旅人生活を送っていたエドワードだが、彼の25歳の誕生日、すなわち1313年8月12日、友人のサプライズで目隠しをされ、ピートロヘトに作られたパーティー会場<ref group="†">現在と違い、当時は外国人が勝手に領内に入って自由に経済活動をすることが許された。</ref>に連れてこられてしまう。目隠しは会場に着いてから室内で外されたため、しばらくはその地がピートロヘトであることは意識されなかった。しかし、会話の流れでエドワードにそれが明かされると、不意に立ち上がり<ref group="†">このとき、あまり勢いよく立ち上がったため、座っていた椅子は後方に吹き飛んで大破した。</ref>、会場を飛び出して、アンモク共和国の議事堂まで突っ走り、議事堂の庭から木の枝をせっせとかき集め、持っていた3つの百円ライターで火をつけ、建物にそれを投げ込んで放火した。議事堂は59日かけて全焼し、そのときの気温マイナス8度は、アンモク中を震え上がらせた。 [[ファイル:アンモク共和国現議事堂.jpeg|146px|thumb|right|エドワードが建てた、現在も使用されるアンモク共和国議事堂。]] ほどなくしてエドワードは議事堂の跡地にもう一度議事堂を作り、議員を自分のみにしてほぼ思い通りの議決を出したり<ref group="†">「ほぼ」としたのは、国民に円周率314桁の暗記を強制させる旨の法案を1314年1月5日午前9時に可決するという洒落たことをやりたかったのに、当日に風邪をひいて議会を欠席してしまうなどの出来事があったためである。</ref>、人々を集めて何度か演説をしたりした。この独裁は、1352年に彼が死ぬまで続いた。 ====41アパーラ令とその影響==== 39年間にも及んだこの独裁体制下での出来事のうち最も印象的なのは、恐らく1329年の'''41アパーラ令'''発布・施行である。41の「アパーラ」(エドワードの国の言語で「してはならないこと」の意)を定めた法令で、この体制においては強力な拘束力を持つものとされた。違反者は死刑が原則だった。ただ、アンモク共和国で正義を実現するためとも、あるいは独裁者として堂々と私欲を満たすためとも思えない、いわば「中途半端な」規則が目立つ。具体的には、以下の事項が禁止された。 {| class="mw-collapsible mw-collapsed" |+'''41アパーラ令に定められた禁止事項''' | #公共の場で酒やたばこをやってはならない。 #いついかなるときも乱暴な発言をしてはならない。<ref group="†">この規則によって人々の発話頻度は20分の1に減少した。</ref> #目上の者との和を乱してはならない。 #親の愛を侮ってはならない。 #老人を酷使してはならない。 #老人及び妊婦を殴ってはならない。 #てんかんを発病した者を5人以上の健常者をもって差別してはならない。 #宗教的な表現を用いてはならない。<ref group="†">エドワードはこの規則を字義以上に厳しく施行し、「兄弟」という言葉さえ使用禁止にした。</ref> #エドワード<ref group="†" name="名前呼び">彼は自分のことを名前で呼んでいたようである。</ref>とすれ違ったときは挨拶を忘れてはならない。 #エドワード<ref group="†" name="名前呼び"></ref>に対する挨拶は土下座または国歌<ref group="†">この「国歌」が古来からのアンモク共和国国歌を指さない可能性は高いが、エドワードが独自の国歌を作った痕跡は見つかっていない。</ref>の奉唱でなければならない。 #エドワード<ref group="†" name="名前呼び"></ref>の陰口を言ってはならない。 #永遠を求めてはならない。 #スモモの下で冠を直してはならない。<ref group="†">この規則は理不尽な規則の代表格として知られた。人々はこれを皮肉って、「たとえ何一つ間違いのない行為でも、それが面倒を招くのなら慎みなさい」の意味で「スモモの下で冠を直すな」と言ったりした。これが「李下に冠を正さず」ということわざの由来である。</ref> #公共の場で[[影踏み|じゃんけん]]をするときはグーを出してはならない。<ref group="†">暴力を助長する恐れがあるためであったと考えられる。</ref> #きらきら星のメロディーに乗せてドイツ語アルファベットを歌ってはならない。<ref group="†">「アーベーツェーデーエーエフゲー ハーイーヨットカーエレメノペー クーエルエスウントテーウーファオ ヴェーイクスユプシロンツェットエスツェット」となり、英語版には存在する脚韻が損なわれるためであったと考えられる。</ref> #羽を休めているトンボを注視してはならない。<ref group="†">どうやらトンボのプライバシーを守るためらしい。</ref> #身長が2メートルを超えてはならない。 #一国について説明する文章に299日も掛けてはならない。 #画像リプを送っただけで何か主張した気になってはならない。 #ふと突き落としてはならない #無心に刺してはならない。 #うっかり撃ってはならない。 #気軽に熱してはならない。 #思慮なく潰してはならない。 #何とはなしに絞めてはならない。 #怒りで震えて涙が止まらない。 #老人を殺してはならない。 #ペーパーレス化のマッキンリー山では、12枚の高層ビルは電卓を必要としてはならない。 #私が見つけた真に驚くべき証明を書けるほどの余白を用意してはならない。 #机の引き出しに枕を3つ以上入れてはならない。 #テーブルにアイロン台を置いてその上に飛び乗り、サーフィンみたいにしてはならない。 #日没以降、部屋の窓を開けてサッシに肘をつき、「物思いする自分」に陶酔してはならない。 #リモコンの電池ホルダーを何往復かスライドさせて、DJみたいにしてはならない。 #メントスのごみを落とした者が男子である可能性が高いことを、男子全員が罪悪であることの根拠にしてはならない。 #18時30分までに犯人を見つけ出して職員室に報告しに来るように自分の方から言い付けたのに、18時10分頃に帰ってはならない。 #「偽善」という言葉が気に食わなかったからと言って、残りの授業時間を全部自分が喋りたいことに消費してはならない。 #しょうもないことしか言えないのに、作業中の生徒を集合させて説教っぽいことをしてはならない。 #授業のスライド資料の文字に読みづらいポップ体を使用してはならない。 #生徒から「既往歴」の意味を尋ねられたのに無視してはならない。 #必要性皆無なのに「ポルノ税」なる税を紹介し、教室の空気を凍りつかせてはならない。 #以上40の規則を破ってはならない。 |} この法令の施行直後、エドワードは行政に法務部を設置し、自ら長官となった。<ref group="†">それ以前から住民自治会議の管轄として同名の機関があったが、この法務部とは全く異なる。</ref> 部下が一人も居なかったのにもかかわらず、業務は甚だ楽であった。アンモク共和国が当時から人口の少なかったこともあってか、41アパーラ令違反は2年か3年に一度くらいしか発生しなかったからである。 41アパーラ令の第3、4、27条は'''「老人三法」'''と総称されていたが、幸か不幸か、人々は老人に危害を加えてばかりいたので、法務部の仕事はほとんど老人三法に関するものに限定されていた<ref group="†">このことから、当時の法務部は「老人法務」と呼ばれていた。</ref>。エドワードは幼いころから目の前の人間が老人に危害を加えたかどうかを判別する能力に長けていたようだが、さらに法務部長官として経験を積むことでその技量は上達し、業務はより迅速に、より容易になっていった。 41アパーラ令施行からおよそ23年後の1352年12月30日、エドワードは、机の引き出しに枕を7つ入れていた529歳の女性を第30条を根拠に逮捕・処刑した。その日の晩、眠りにつく直前に彼が気づいたこととは、自分が老人を殺してしまったということである。律儀で愚鈍なエドワードは翌日の正午ごろ、第27条を根拠に自らを逮捕し、絞首刑の代わりとして服毒自殺した。 彼が自殺したことはその日のうちに国民全員に知れ渡り、人々は前議長の[[ミトシ・ハヤカワ]]を議長に再任させ、これがエドワード独裁体制の事実上の崩壊となった。 ====独裁体制のその後==== エドワード独裁体制崩壊の翌月13日、議長をミトシ・ハヤカワとする住民自治会議は、侵略の再発防止のための'''特別決'''を出した。その骨子は以下の通りである。 <blockquote> *現時点においてアンモク共和国国籍を持たない国内滞在者及びその国内不動産は、1352年2月15日をもって退去及び撤去させる。退去または撤去しないものは、事由を問わず、同年同月20日をもって処分するものとする。 *原則として、アンモク共和国国籍を持たないいかなる個人及び法人も、1352年1月14日より本国領内に入ってはならない。 **アンモク共和国国籍を持たない個人または法人は、住民自治会議から特別の入国許可を受ける場合においてのみ、本国領内に入ることができるものとする。 </blockquote>
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