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オーストロェイリア
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== 歴史 == ===大ウィイイイン・オースト帝国=== ====あらびきウィンナーの神勅==== [[ファイル:大ウィーン.png|サムネイル|大ウィイイイン・オースト帝国旗]] 西暦29年、現在のオーストロェイリア領に居住していた人々は、場所も人種も、宗教も全く異なるのに関わらず、例外なく全員が突如として'''あらびきウインナー'''の姿を確認した。あらびきウィンナーは、その人々に対してこう告げた。 {{引用|引用文=ウィイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!<br>オーストロェイリアアアアアア!!!<ref name=":0">この言葉がオーストロェイリア語の根幹となっているため、いかなる言語への翻訳は不可能である。</ref><br><br> ――皇帝あらびきウィンナーI世, オーストロェイリア建国神話より抜粋<ref name="god" group="出典">[[Sisters:WikiWikiリファレンス/オストロレリア建国神話|オストロレリア建国神話]]</ref> }} この神勅を聞いた人々は団結し、'''大ウィイイイン・オースト帝国'''を建国した。大ウィーン・オースト帝国は'''あらびきウインナーI世'''を皇帝とした帝国となったが、皇帝が不在であるため、投票によって決められた首相が代わりに政治を行った。 また、現在の西オーストロェイリアに'''ウィイイイイイン!'''という都市を建設し、この都市を首都とした。ウィイイイイイン!では様々な産業が発達し、中でも'''食品加工業'''は大きく成長した。ここで作られた腸詰は食べやすさと保存のしやすさ、そしてその美味しさから、皇帝あらびきウィンナーI世の名を模して'''[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8 ウィンナー]'''と名付けられ、今日までオーストロェイリアのソウルフードとして君臨している。 ====I世の崩御と帝国の分裂==== 西暦129年、大ウィイイイイイン・オースト帝国国民に対して皇帝あらびきウインナーI世の二度目の、そして最後の神勅があった。 {{引用|引用文=ウィイイイイイイイイイイイイイイイン……<br>オーストロェイリアアアアアア……<ref>前述の通りこの文字列は翻訳できないが、悲しい雰囲気から、帝国国民を慰めようとした言葉だと考えられている。</ref><br><br> ――皇帝あらびきウィンナーI世, オーストロェイリア建国神話より抜粋<ref name="god" group="出典">[[Sisters:WikiWikiリファレンス/オストロレリア建国神話|オストロレリア建国神話]]</ref> }} これによって、大ウィーン・オースト帝国国民は、皇帝あらびきウィンナーI世が崩御したことを知った。皇帝の存在だけを頼りに保たれてきた同帝国は瞬く間に無政府状態になり、'''ウィインロレリア'''と'''スェイア'''がそれぞれ独立した。 ウィインロレリアの独立により首都を失い、スェイアの独立によってオーストラリア大陸の食品加工工場を失った同帝国は、国力を大幅にそぎ落とされてしまう。2ヵ月と9日後、大ウィイイイイイン・オースト帝国はついにはウィインロレリアに併合され、ウィインロレリアは'''神聖ウィインロレリア'''と国名を改めた。 そしてその僅か29日後、神聖ウィインロレリアはオーストラリア大陸を取り戻すためにスェイアに宣戦布告し、'''ロレイスレイ戦争'''が勃発。この戦争に勝利した神聖ウィインロレリアはスェイアを併合し、大ウィーン・オースト帝国の旧領奪還に成功した。 領土を再統一したとはいえども、依然として国内の混乱は収まらず、政治体制は最早機能していないも同然の状態であった。 ===ウィインロレリア神聖帝国=== ====II世の即位と帝国の再興==== [[ファイル:ウィーンロレリア.png|サムネイル|ウィインロレリア神聖帝国旗]]西暦158年、29年にも渡る国内の混乱を沈めたのは、またもやあらびきウィンナーからの神勅であった。 {{引用|引用文=ウィイイイイイイイイイイイイイイイン。<br>オーストロェイリアアアアアア。<ref>前述の通りこの文字列は翻訳できないが、厳かな雰囲気から、帝国の鎮静化のための言葉だと考えられている。</ref><br><br> ――皇帝あらびきウィンナーII世, オーストロェイリア建国神話より抜粋<ref name="god" group="出典">[[Sisters:WikiWikiリファレンス/オストロレリア建国神話|オストロレリア建国神話]]</ref> }} この'''あらびきウィンナーII世'''の即位により、国内は秩序、団結を取り戻した。また、皇帝の帰還により、神聖ウィインロレリアは'''ウィインロレリア神聖帝国'''と国名を改めた。 ウィインロレリア神聖帝国は'''第一次ウィナガイン'''と呼ばれる政策を行い、帝国内の体制を整備した。また、この時期から外国との交易も盛んに行われるようになり、'''ウィイイイイイン!!!'''と改称された首都ウィイイイイイン!は、ウィインロレリア帝国のみならず、世界的な貿易・経済活動の中心地となった。これから329年間もの間、同帝国は世界的な覇権国として名を轟かせることとなる。 なお、西暦229年には皇帝あらびきウィンナーII世が崩御した。しかし、ウィナガインによって整備された強固な帝国にはもう分裂時代のような悲劇は起きることはなく、スムーズに'''あらびきウィンナーIII世'''へと皇帝の座を献上することができた。 ====チョリェソ王国の侵略==== 西暦487年、この頃勢力を強めてきていた'''チョリェソ王国'''がウィインロレリア神聖帝国に対し侵略戦争を行い、'''ウィイン=チョリェソ戦争'''が勃発した。 チョリェソ王国はイベリア半島およびラテンアメリカのほぼ全域を支配する強国であり、ウィインロレリア帝国は地理的に挟撃される形となってしまった。ところが同帝国は、今までも何度か防衛戦を行った経験があること、そして皇帝あらびきウィンナーの加護を根拠に、チョリェソ王国との戦争を楽観視していた。当時の首相ウィンインでさえもが、普段通りにウィンナーを生産していればチョリェソ王国はそのうち攻めあぐねて撤退すると考えていた。 しかし、チョリェソ王国はそんな帝国の思惑に反して進撃し続け、戦争開始から29日間でオーストラリア大陸を完全に占領した。チョリェソ王国は'''[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8 チョリソー]'''と呼ばれる腸詰の生産を行っていて、ウィインロレリア神聖帝国軍の武器であったウィンナーを悉くチョリソーによる刺突で破壊して戦線を押し上げ続けていたのだ。この事実に首相が気付いた時には、ウィインロレリア神聖帝国の8割は既にチョリェソ王国によって占領されていた。 このままウィイイイイイン!!さえ陥落し、帝国が侵略者に屈してしまうというのが現実的なものになると思われ始めた矢先、以前よりチョリェソ王国と敵対していた'''フランクファウラ共和国'''が、ウィインロレリア神聖帝国側としてウィイン=チョリェソ戦争に突如参戦。分が悪いと判断したチョリェソ王国は撤退を選び、このためウィインロレリア神聖帝国はどうにか存続することができた。 ===聖ウィンナー帝国=== ====富国強兵と軍事同盟==== [[ファイル:聖ウィンナー.png|サムネイル|聖ウィンナー帝国旗]]先の戦でウィインロレリア神聖帝国の軍事力の弱さが明るみになり、さらに他国もウィンナーとは別の腸詰の生産をしていたことを知った帝国国民は、'''第二次ウィナガイン'''を行い、軍備を増強させた。また、腸詰ナショナリズムの高揚から、ウィインロレリア神聖帝国は'''聖ウィンナー帝国'''と国名を改めた。 この頃から、同帝国は外交面でも積極的に動くようになった。これを最も象徴するのは、フランクファウラ共和国、そして'''サルァミン大公国'''との間で西暦529年に結成された軍事同盟、'''三国腸詰同盟'''であろう。 西暦629年、世界の平和を見届けた皇帝あらびきウィンナーIII世が崩御した。皮肉にも、これによって世界の平和は音を立てて崩れ始める。 ====第一次腸詰国間戦争==== 第一次ウィナガインによって、皇帝の死による帝国の危機など最早過去の話となっていた。しかし、いくら強固な政治体制があろうとも、外国からの侵略を止めることなど不可能である。 西暦630年、同帝国は機能してこそいたものの、皇帝の死と不在によって民草の士気は著しく低下していた。これを見計らった'''ホッテストドッグ連合王国'''は、突如として聖ウィンナー帝国への侵攻の開始を表明。これを受け、三国腸詰同盟によってフランクファウラ共和国、サルァミン大公国がホッテストドッグ連合王国に宣戦。いっぽうホッテストドッグ連合王国と'''三国腸詰協力機構'''を結んでいた'''ベィ=コン連邦'''および'''ハゥム帝国'''は三国腸詰同盟に宣戦布告し、世界は連鎖的に二つの陣営に分かたれた。 西暦630年から西暦659年まで29年間もの間、腸詰同盟陣営と腸詰機構陣営によって継続されたこの戦争こそ、後に言う'''第一次腸詰国間戦争'''である。 {|class="wikitable" style="background-color:white;" |style="border:1px solid white;"|[[ファイル:World_Sausage_War_I_.png|代替文=|フレームなし]] |style="border:1px solid white;"| {| class="wikitable" |'''腸詰同盟陣営''' <span style="background-color:#ff6928 ; color:#ff6928 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span>:聖ウィンナー帝国 <span style="background-color:#f0e68c ; color:#f0e68c ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span>:フランクファウラ共和国 <span style="background-color:red ; color:red ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span>:サルァミン大公国 |'''腸詰機構陣営''' <span style="background-color:#009966 ; color:#009966 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span>:ホッテストドッグ連合王国 <span style="background-color:#ccff00 ; color:#ccff00 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span>:ベイ=コン連邦 <span style="background-color:lime ; color:lime ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span>:ハゥム帝国 |} |} この戦争に参加していた列強腸詰国たちの間では、食品加工産業、とりわけ'''ナショナル腸詰'''の生産に全国民を挙げて取り掛かるといった様相が多くみられ<ref>聖ウィーン帝国は'''ウィンナー'''を、フランクファウラ共和国は'''フランクフルト'''を、サルァミン大公国は'''サラミ'''を、ホッテストドッグ連合王国は'''ホットドッグ'''を、ベィ=コン連邦は'''ベーコン'''を、ハゥム帝国は'''ハム'''を生産した。また、第二次腸詰国間戦争の腸力戦において、カルプヮス帝国は'''カルパス'''を生産した。</ref>、第一次腸詰国間戦争はナショナル腸詰のプライドをかけた「'''腸力戦'''」ともよばれた。 戦争開始から26年の間は腸詰同盟陣営が優勢だったものの、西暦656年に起こった腸詰機構陣営の大規模反攻によって攻守は逆転する。加えて、サルァミン大公国の腸詰機構陣営への寝返りや、中立を維持してきた'''ハンバー合衆国'''の腸詰機構陣営への参加なども重なり、西暦659年、腸詰同盟陣営の無条件降伏という形で、第一次腸詰国間戦争は幕を下ろした。 ===オーストロェイリア共和国=== [[ファイル:オーストロェイリア旗.png|サムネイル|オーストロェイリア共和国旗]]この戦争での敗戦により、聖ウィンナー帝国は腸詰機構陣営に対する莫大な賠償金<ref>およそ1,834,297,227,456,649ウィイイイン!</ref>の支払いを義務付けられ、領土の約9割を喪失。そのうえ皇帝制の廃止も言い渡され、聖ウィーン帝国は'''オーストロェイリア共和国'''となった。国民は大いに絶望し、生きる気力を失った。 しかしその時、あらびきウィンナーは再び現れた。 {{引用|引用文=ウィイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!<br>オーストロェイリアアアアアア!!!<ref>前述の通りこの文字列は翻訳できないが、和やかな雰囲気から、帝国国民を励まそうとした言葉だと考えられている。</ref><br><br> ――皇帝あらびきウィンナーIV世, オーストロェイリア建国神話より抜粋<ref name="god" group="出典">[[Sisters:WikiWikiリファレンス/オストロレリア建国神話|オストロレリア建国神話]]</ref> }} 本来オーストロェイリアでは、この文章に意味などない。しかし、同国民にははっきりと皇帝の言葉が理解できた。 西暦660年、オーストロェイリア共和国は飢餓に苦しむハングリー共和国と合体、さらに皇帝制が禁止されたにも関わらず、'''皇帝あらびきウィンナーIV世'''を元首とする同君帝国、'''オーストロェイリア=ハングリー帝国'''を建設した。 ===オーストロェイリア=ハングリー帝国=== ====激動する世界情勢==== [[ファイル:オーストロェイリア=ハングリー帝国.png|サムネイル|オーストロェイリア=ハングリー帝国旗]]オーストロェイリア=ハングリー帝国は、ハングリーな人に対しウィンナーを分け与え、その代わりにウィンナーの生産をしてもらうといった、前資本主義的な国家方針のもとに成り立っていた。全帝国国民がウィンナーによって協力するこの国は、この動乱の時代を229年もの間生き抜いた。いつもウィンナーからの肉汁が滴っていたことから、同帝国は後には'''肉汁帝国'''とも呼ばれる。 その一方、ベイ=コン連邦での'''共産腸詰革命'''による'''ソーセージ連邦(ソ連)'''の成立や、サルァミン大公国での'''結束腸詰主義'''者の台頭による'''ファシ・サルァミ王国'''の成立、フランクファウラ共和国の'''帝国腸詰主義'''化による'''フランクファルタ帝国'''の成立、アジアの大国であった'''チャーシュー帝国'''を破って列強腸詰国に躍り出た、新興腸詰国'''カルプヮス帝国'''の進撃、さらにフランクファルタ帝国、ファシ・サルァミ王国、そしてカルプヮス帝国による三国腸詰軍事同盟の締結など、短期間のうちに世界の勢力図は大きく塗り替えられていた。今までになかった'''腸詰イデオロギズム問題'''も表面化し、世界情勢はますます混沌を極めていく。 ====第二次腸詰国間戦争==== 西暦729年、フランクファルタ帝国は突如として腸詰機構陣営に宣戦布告し、それに続いてファシ・サルァミ王国とカルプヮス帝国も宣戦。これによって始まり、西暦729年から西暦1019年まで290年間もの間、腸詰同盟陣営と腸詰機構陣営によって継続されたこの戦争を、'''第二次腸詰国間戦争'''と言う。 {|class="wikitable" style="background-color:white;" |style="border:1px solid white;"|[[ファイル:World_War_2.png|代替文=|フレームなし]] |style="border:1px solid white;"| {| class="wikitable" |'''腸詰同盟陣営''' <span style="background-color:#f0e68c ; color:#f0e68c ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span>:フランクファルタ帝国 <span style="background-color:red ; color:red ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span>:ファシ・サルァミ王国 <span style="background-color:#ff6928 ; color:#ff6928 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span>:カルプヮス帝国 |'''腸詰機構陣営''' <span style="background-color:#009966 ; color:#009966 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span>:ホッテストドッグ連合王国 <span style="background-color:#ccff00 ; color:#ccff00 ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span>:ソーセージ連邦 <span style="background-color:lime ; color:lime ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span>:ハゥム帝国 |} |} この戦争も、第一次腸詰国間戦争と同様の、しかし数百倍にも及ぶ規模を誇る腸力戦となり、各陣営ともに莫大な被害を被った。 オーストロェイリア=ハングリー帝国は、西暦829年、かつての盟邦だったフランクファルタ帝国に宣戦を受け、'''ウィンナー=フランク戦争'''を戦うこととなる。さらに、その2か月と9日後にはカルプヮス帝国にも宣戦を受け、'''ウィンナー=カルパス'''戦争も開始した。これにより、オーストロェイリア=ハングリー帝国は、西部オーストロェイリアと東部オーストロェイリアにおける広大な戦線を維持しなければならなくなった。 危機感を抱いた同帝国は、腸詰機構陣営への参加を申請するも、先の大戦の賠償金の支払いを終えていないという理由から却下されてしまう。現在、これは腸詰機構陣営による「捨て石作戦」の一環だったとされている。 ====腸詰自衛陣営の創立==== 西暦929年、深刻な物資不足と長引く戦争による経済の疲弊によって行き詰ったオーストロェイリア=ハングリー帝国は、苦肉の策として独自の陣営である'''腸詰自衛陣営'''を創立し、チョリェソ王国などを招待することで腸詰同盟陣営の逆包囲を図った。 {|class="wikitable" style="background-color:white;" |style="border:1px solid white;"|[[ファイル:World_War_2_2.png|代替文=|フレームなし]] |style="border:1px solid white;"| {| class="wikitable" |'''腸詰同盟陣営''':<span style="background-color:red ; color:red ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> |- |'''腸詰機構陣営''':<span style="background-color:yellow ; color:yellow ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> |- |'''腸詰自衛陣営''':<span style="background-color:#0099ff ; color:#0099ff ; border-top:1px solid #000000 ; border-bottom:1px solid #000000 ; border-left:1px solid #000000 ; border-right:1px solid #000000">....</span> |} |} この試みは運よく成功をおさめ、腸詰同盟陣営はこれ以上前線を伸張させることが事実上不可能になった。さらに西暦1000年には、'''機構・自衛合同大規模反攻'''が発生。これによって腸詰同盟陣営は、アフリカ、東南アジアにおける領域を完全に失うこととなる。 劣勢から立ち直った腸詰機構陣営は包囲殲滅を繰り返し、1008年、ついに強襲上陸によってファシ・サルァミ王国に占領されていたハゥム帝国本土の奪還に成功。戦力を消費しつくしたファシ・サルァミ王国は降伏した。 これにより、第一次腸詰国間戦争時と同じく今まで中立を維持してきたハンバー合衆国は最早腸詰同盟陣営に勝ち目はないと判断。1010年には、勝ち馬に乗るために腸詰機構陣営に参加した。その後しばらくは腸詰同盟陣営も抵抗を続けるも、終ぞ巻き返すことはできなかった。西暦1019年、フランクファルタ帝国およびカルプヮス帝国が無条件降伏する形で、第二次腸詰国間戦争は幕を下ろした。 ===オーストロェイリア帝国=== ====戦争の反省と腸詰基本法==== [[ファイル:オーストロェイリア旗・改.png|サムネイル|オーストロェイリア帝国旗]]無意味な腸詰イデオロギズムの衝突によって起こった第二次腸詰国間戦争を反省した列強腸詰諸国は、'''腸詰基本法'''を作成した。 {| class="wikitable" |'''腸詰基本法''' *腸詰イデオロギズムを認め合う *各々のナショナル腸詰を尊重する *腸詰を武器として使用しない <p style="text-align:right">――腸詰基本法</p> |} これにより、腸詰による平和が<span style="border-bottom:1px dashed">現在</span>{{疑問詞範囲|疑問詞=いつ?}}に至るまで保たれてきているといえる。 また、第二次腸詰国間戦争の後、オーストロェイリア=ハングリー帝国は、最早国内にハングリーな者はいないと判断。'''オーストロェイリア帝国'''と国名を改めた。これこそが、現在のオーストロェイリア帝国である。
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