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ローマ帝国の興亡
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===3世紀の危機=== 五賢帝体制以降、各地方で独自に皇帝を擁立して争う'''軍人皇帝'''の時代が始まった。この時期には混乱が続き、ササン朝のシャープール王に軍人皇帝ウァレリアヌス帝が捕虜とされてしまうという事件さえあった。また、属州を作って領土を拡大することにも限界が訪れ、これによる戦争捕虜の不在は奴隷不足を誘った。奴隷を主な労働力としていた農場・ラティフンディアに代わって、'''コロヌス(小作人)'''を用いた'''コロナトゥス'''という新しい形の農場経営形態が拡大した。また、軍の兵力や税収の維持のため、属州にローマ市民権を拡大する動きが高まった。'''カラカラ帝'''は、'''アントニヌス勅令'''によって帝国のすべての自由民にローマ市民権を与えた。これに伴い、ローマ法は市民法から万民法へと変化した。
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