「
世界五分後仮説
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===前提=== 前提として、世界の存在は証明も反証もできないものである。なお、この仮説では、「世界」を「他の全存在を含む存在」と定義している。即ち、全存在は証明も反証もできないものであるという前提である。 ここでは、この前提を三段階に分けて要約して説明していく。 ====「自分」の存在==== 「なにもかも存在しない」と言われて、まず反証に用いんとするのは「自らの存在について」であろう。ここではかの有名な「我思う、ゆえに我あり」を例に出す。 これは、「自分の存在を疑っている自分がある」という考えは「自分」の存在なしには成立しないため、「自分の存在を疑っている自分」が「自分」の存在を証明している、とするものである。 これには「意識するもの(可識的存在)は例外なく存在している」という考えが根本にあると考えられる。しかしながら、これは誤りであるのである。 実際のところには、可識的存在は意識的・共識的存在の意識が可能、即ち「意識するものは意識できるものを意識できる」という性質があるのみであって、 さらにその「意識できるもの」のことを「存在」と意識している。つまり、そもそも「我」を意識できている時点でそれは可識的存在からすれば存在しているものなのである。 いうならばこれは「我はこのボールを青く塗った、ゆえにこのボールは青い」というものと同様の、至極当然の平叙文を言っているだけなのであり、そこには如何なる真偽の余地もない。 つまるところ、「我思う、ゆえに我あり」は、「我」の存在の証明としては微塵も機能していないのである。 ところで、後述するように「意識」の存在は不確実である。このため、自分自身をその意識によって確立することもまた不可能であり、不確実なのである。 ====「意識」の存在==== では、前述した「意識」についてだが、まず後述するように、少なくとも自分とその意識以外の存在は証明も反証も不可能である。 となると、その「存在」つまり「意識できるもの」、それへの「意識」によって「存在」は「存在」たりえて、「意識」は「存在」を存在させる「存在」である。 さらに、意識は「自分」の存在と近いものがあるため、前述の通り「自分」の存在の不確実性も影響していくことになる。なお、ここで留意すべきことは、「意識」もまた「意識」自身によって存在しているということである。 意識の存在の証明は「物体Aのただ一つの材料である物体Aを分析し続けることで物体Aの構造を理解せよ」のような無意味な永遠の再帰的思考を求めるのみである。このことから、「意識」についてもその存在は不確実であることが理解される。 また、これによって、実質的には「自分」、そしてその他の存在を確実にしていた「意識」が不確実性を帯びることとなったため、それらの存在も不確実なものになる。 なお、ここでは自分の「意識」についての不確実性を述べたが、他人の「意識」は後述する「他の存在」と見做される。というのも、そもそも他人の意識はその存在がもともと不確実なものであり、 自分以外の全人類が'''哲学的ゾンビ'''とも称されるような意識を持たない存在(非可識的存在)である可能性を排除することはできないのだからだ。 ====他の存在==== 前節で示したように、「自分」、そして「意識」の存在をも証明および反証することは不可能である。これはつまり、少なくともそれら以外の存在への意識が不確実であるということであり、 すなわち「存在」が確実に「存在」たりえることも不確実であるということである。いわば、「意識」と(その他の)「存在」は、「ピアノ」と「音」のように例えることができる。 「ピアノ」が壊れている可能性があるとき、必然的に「音」にもまた調子が外れている可能性が発生する。これと同様に、不確実な「意識」があることには不確実な「存在」しか発生しえないという至極当然のことなのである。 そもそも、自分と意識以外のすべての存在の不確実性は、誰もがもっとも簡単に理解できるものなのである。たとえば、この仮説を閲覧するにはパソコンやスマホなどの電子機器が必要になるが、もし今これがただの夢であるならば、 実際にはあなたがたった今この仮説の閲覧に用いているパソコンやスマホなどの電子機器、つまり自分と意識以外のすべての存在に含まれるその存在は存在しないことになり、さらにあなたが夢を見ていないという証明は、 前述した意識の証明と同様に、「無意味な永遠の再帰的思考」を求めるのみなのである。例えば、脳波を測定して覚醒状態にあると確定したとしても、その経験さえ夢の中のものである可能性が現れ、これが永遠に繰り返されるということだ。 これによって、世界(すべての存在)を構成する三つの存在「自分」、「他の存在」、そしてそれらをつなぐ「意識」の不確実性、つまりすべての存在、「世界」の不確実性が確認された。これがこの仮説の前提である。
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