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比尾山大噴火
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==大噴火== 小噴火の様子はほとんど正しく伝わっておるから、儂が詳しく語ることじゃあない。さて、ようやく大噴火の話じゃ。 ===噴火前=== 比尾山は、高さ3149mととても高い活火山じゃった。そして、比尾山の地下には、大きなマグマ溜まりがあった。これが小噴火を起こしたのじゃ。じゃが実は、その直下には更に巨大なマグマ溜まりがあったのじゃ。鏡餅のような形を思い浮かべてくれ。<br>ところでマグマには、さまざまなガスが溶け込んでおる。そしてマグマは地中深くにあるため、とても高圧じゃ。比尾山の小噴火で、上のマグマ溜まりは空になった。それで終われば、こんな大量の犠牲は出なかったんじゃがのう。<br>小噴火が起こした揺れで、翌84年1月21日、二つのマグマ溜まりの間の岩盤が崩落したんじゃ。超高圧がかかっていたマグマは、空間が広がったことで一気に減圧された。するとマグマに溶け込んでいたガスが一瞬で発泡し、'''マグマ溜まり自体が爆発した'''。所謂'''[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/破局噴火 破局噴火]'''というやつじゃ。 ===噴火=== 午前9時11分、比尾山は噴火した。山の上層を吹き飛ばして莫大な量の火山噴出物が飛び出した。[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/火山爆発指数 火山爆発指数]は最大のVEI8。噴火の轟音は九州地方まで聞こえたという。噴煙柱は直径500m、高さ60kmに達した。小噴火の火山灰のせいで薄暗い中、山を突き破り立ち昇る、雷を纏った赤黒い巨柱は、とてつもなく暴力的で、かつ神々しかった。神の怒りを具現化したような、そんな姿じゃった。儂は噴火を''覚えておる''からのう。まあ、もともとは他人の記憶じゃがの。噴火を呆然と見ていた彼は、神々しさに心打たれて、家ほどもある噴石がまっすぐ飛んでくるのに気づくまで、恐怖なんて微塵も感じとらんかったのう。<br>火山礫や火山弾は半径10km範囲を襲った。小噴火で周りの集落に人は少なくなっておったが、小噴火の被害が比較的少なかった南側で、多く被害が出た。これによる死者は'''218人'''。<br>噴火と同時に小規模の火砕流が発生した。これは半径2kmを灼き尽くしたが、小噴火で人がほとんどいなかったため、死者は'''2人'''と少なかった。<br>噴煙柱はしばらく高く昇り続けたが、やがて自重に耐えきれなくなり、崩壊が始まった。その体積は1000立方キロメートル。噴火の4分12秒後のことじゃ。 ===大火砕流=== 噴煙柱を形作っていた大量の火山噴出物は、大火砕流となって四方八方に流れていった。ほぼ360°に広がり、時速100km以上であらゆるものを焼き尽くしていった。高さ100m近い灰神楽が猛スピードで迫ってくるのは圧巻じゃったのう。灼熱の灰に包まれ、皮膚が、髪が、喉が燃え上がるのは良い気分じゃないが。こんな経験を一体何万回させられたか。記憶にしかすぎないとわかってはいるが、さすがに応えるわい。<br><br>高崎の小村では、雪が降ったんで子供たちが雪遊びをしとったのう。子供は風邪をひかんと大人たちは笑っておったわい。じゃが、あの爆発音が聞こえ、空気は一変した。尋常じゃあない噴火が西の方角に見え、長老の決断で避難することにしたんじゃ。その時じゃった。轟音とともに木々を呑み込む巨壁が見えたのは。逃げ惑う人々のところに火砕流はあっという間に到達した。家に駆け込み柱の陰に隠れた者も、足がすくんで動けんまま火砕流を見つめていた者も、我が子を抱きかかえてその場にうずくまった者も、皆焼き尽くされた。村は、全滅じゃった。<br><br>駿河の富士山麓の村にはある家族が住んでおった。彼らの家からは、噴煙は富士のわずかに左に見えた。40分後、こちらへ駆ける火砕流が見えた。周りが畑ばかりで見通しが良かったことが幸いじゃった。火砕流の恐ろしさは[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/貞観大噴火 大昔の富士の噴火]の話からよくわかっておった。家族は富士の陰に隠れることにした。夫婦と、夫の両親、2人の息子と1人の娘の計7人は懸命に走った。しかし、高齢の2人は段々遅れていったのじゃ。他の5人が富士の陰に入ったとき、夫の両親は50mほど離れた位置にいた。夫は、妻と子供にここに居るよう言い含めると、両親を助けに走った。その2秒後、火砕流が襲った。夫の両親は一瞬で灰に呑まれて見えなくなった。夫は歯を食いしばり、戻ろうと踵を返した。その時、火砕流が富士山の峰を越えて襲ってきた。峰は火砕流を防げるほどまだ高くなかったんじゃ。しかし、火砕流は峰にある小さな峠で割られた。2つの流れは夫の左右にわかれ、悲鳴を上げる妻と子供たちを焼き、呑み込んだ。夫は、左右を塞がれ、その場で絶叫するしかなかった。その直後、峰が轟音とともに崩れ、土砂と火砕流が夫に迫っても、彼はもう逃げようとはせんかった。<br><br>能登半島の鹿島では、海で一艘の漁船が漁をしておった。それには男とその息子が乗っておった。噴火が起こったとき、彼は身の危険は感じなかった。しかし57分後、地平線の彼方、富山湾を挟んだ陸に大きな灰色の壁が見えた。彼はそれが何かわからんかった。しかし、着々と近づいてくるそれに本能的に恐怖を抱いた。じゃが、何かは知らぬが、間に海がある限り案ずることはないと漁を続けようとした。そこで息子が叫んだ。海を渡ってくる、と。彼らは知る由もなかったが、火砕流は非常に軽いため、水上をも進むのじゃ。あわてて男は船を岸に向けた。じゃがもう遅く、巨大な火砕流が船に迫った。男は咄嗟に海へ飛び込んだ。男は水中から、息子を乗せたままの船が砕かれ流れに呑まれるのを見た。すると、水が急激に熱くなってきた。男は、あれは炎の流れなのだと悟った。男は水を蹴り、深く潜った。じゃが、海面上の流れは全く終わらず、水は煮えていくばかりじゃった。男は、息子のように即死せんかったことを後悔しながら、徐々に苦しくなってきた体で更に深く潜っていくのじゃった。<br><br>この火砕流は半径100kmを灼き尽くした。山の陰にいた者などのわずかな例外を除いて、この範囲の人々は皆死んだ。まさに未曾有の大災害じゃった。これによる死者は、'''52万3359人'''。火砕流は広大な土地を、家々や人々の死体とともに埋めた。 ===飢饉=== 舞い上がった火山灰は空を厚く覆い、日光を遮った。小噴火のものも相まって、植物が全く育たなくなり、この年、歴史的な'''不作'''となった。米が穫れず、餓死者が続出し、人肉を食べる者も多く現れた。これが俗に言う'''[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/天明の大飢饉 天明の大飢饉]'''じゃ。特に東北地方で被害が大きかった。これも、見方によれば比尾山大噴火の一災害じゃろう。これによる死者は、'''48万7084人'''。聡明な者は、この犠牲者数が今言われておる犠牲者の数と大きく違うことに気づいたかもしれんの。それについてはこれから話すから、焦らんでも良い。
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