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「
Sisters:WikiWikiリファレンス/『海と夕焼』に関する探究
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===⑴ 三島が語る主題=== 三島由紀夫は『海と夕焼』の主題についてこのように語っている。 <blockquote>奇蹟の到来を信じながらそれが来なかつたといふ不思議、いや、奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議といふ主題を、凝縮して示さうと思つたものである。この主題はおそらく私の一生を貫く主題になるものだ。人はもちろんただちに、「何故神風が吹かなかつたか」といふ大東亜戦争のもつとも怖ろしい詩的絶望を想起するであらう。なぜ神助がなかつたか、といふことは、神を信ずる者にとつて終局的決定的な問いかけなのである。『海と夕焼』は、しかし、私の戦争体験のそのままの寓話化ではない。むしろ、私にとつては、もつとも私の問題性を明らかにしてくれたのが戦争体験だつたやうに思はれ、「なぜあのとき海が二つに割れなかつたか」といふ奇蹟待望が自分にとつて不可避なことと、同時にそれが不可能なことは、実は『詩を書く少年』の年齢のころから、明らかに自覚されていた筈なのだ。</blockquote> この三島由紀夫の言葉からは様々な情報が読み取れる。中でも最も重要なのが、『海と夕焼』の主題が「奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議」であるということだ。私達の探究の目的は主題の読み解きであるから、私達の探究はつまり「奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議」を考察することとなる。この「奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議」という言葉は私達の探究のテーマの指針となる。
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