「
世界五分後仮説
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====「自分」の存在==== 「なにもかも存在しない」と言われて、まず反証に用いんとするのは「自らの存在について」であろう。ここではかの有名な「我思う、ゆえに我あり」を例に出す。 これは、「自分の存在を疑っている自分がある」という考えは「自分」の存在なしには成立しないため、「自分の存在を疑っている自分」が「自分」の存在を証明している、とするものである。 これには「意識するもの(可識的存在)は例外なく存在している」という考えが根本にあると考えられる。しかしながら、これは誤りであるのである。 実際のところには、可識的存在は意識的・共識的存在の意識が可能、即ち「意識するものは意識できるものを意識できる」という性質があるのみであって、 さらにその「意識できるもの」のことを「存在」と意識している。つまり、そもそも「我」を意識できている時点でそれは可識的存在からすれば存在しているものなのである。 いうならばこれは「我はこのボールを青く塗った、ゆえにこのボールは青い」というものと同様の、至極当然の平叙文を言っているだけなのであり、そこには如何なる真偽の余地もない。 つまるところ、「我思う、ゆえに我あり」は、「我」の存在の証明としては微塵も機能していないのである。 ところで、後述するように「意識」の存在は不確実である。このため、自分自身をその意識によって確立することもまた不可能であり、不確実なのである。
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