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租唖
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==破局== 租唖が猛威を振るっていたその時、とある男に歪んだ思いが芽生える。 男の名は都井睦男。貝尾に住む若い青年じゃった。両親を早くに結核で亡くし、祖母と二人で暮らしておった。自らも軽度の結核と肋膜炎を患っており、引きこもりがちではあったが学業の成績も良く、まずまず良好な生活を送っておった。 そんな中、租唖という奇病が出来する。睦男の祖母にも症状が表れた。みるみるうちに祖母は衰弱し、寝たきりとなった。薄い布団の上で呻き続け、日々の生活も儘ならない。じゃが、唯一の肉親を見捨てることも出来ぬ。その内、村では租唖の患者がみるみる増えていった。死人も出始め、睦男の心には絶望の澱がじわじわと積もっていった。軈て、祖母の食事や下の世話をしているうち睦男は、祖母の近いうちの死と自らの感染を疑わなくなった。 睦男は、租唖の正体を伝染病と見做しておった。公害病という概念が無い時代、一般人としては甚だ常識的な判断じゃったと言えよう。現に、学のある人間の殆どは、この説を信じておった。故に、実際にはインジウムを含んだ作物さえ摂取し続けねば罹患しないのじゃが、睦男は感染者に近づけば感染すると考えておった。この如何ともし難い事実の錯誤が、破局を生む。 或る日、井戸に水を汲みにいった睦男は、隣家の住人から「みつ代が村に帰ってくる」と聞いた。家に租唖の患者が出、看病の為に帰郷するのだという。金子みつ代は、睦男と同い年で、嘗ては交際もしていた娘じゃ。その後みつ代は余所の村に嫁いでいったが、睦男はみつ代に漠然とした好意を抱いておった。 知らぬ男と夫婦となったみつ代を分捕るような真似は勿論せぬし、そこまでする気もない。じゃが、彼女がこんな地獄に戻ってくるのは、止めねばならぬ。しかし、睦男にはみつ代と連絡を取る術は無いし、あったとて止められぬじゃろう。危ないから家族を見捨てろ、と言える訳も無い。みつ代がここに来、租唖に罹って苦しむことは何としても避けねばならぬ。もう己は租唖に感染しておるじゃろう。近いうちに死ぬことは疑いない。ならば、未だ前途のあるみつ代のために、この命を使っても構わぬ。どうにか、どうにかして、みつ代を救えぬか……。 その方法を、睦男は一つだけ思いついた。1938年春、都井睦男は、'''租唖患者の鏖殺'''を決意する。 1938年5月20日、みつ代が郷里である貝尾に帰ってきた。彼女が感染する前に、禍根を根絶やしにする決意を睦男は既にしておった。睦男は行動を開始する。夕方、まず電柱によじ登って送電線を切断した。集落は停電したが、それを気にする住民は殆どおらんかった。睦男は一旦家に戻り、凶行の準備を整えた。物置には急拵えで用意した刀剣類や猟銃が保管してあった。 翌21日の未明、睦男はまず横たわる祖母の許へと歩み寄った。手には、斧を持って。鏖殺の対象は肉親も例外ではなかった。荒い呼吸をして眠っているかも判らぬ祖母の首を、睦男は刎ねた。 暫く後、睦男は自宅から出てきた。学生服と地下足袋、軍用の脚絆を身に着け、頭には鉢巻を締めた。明かりと日本刀を提げ、猟銃も担いでおった。手始めに、睦男はまず隣家に侵入した。田舎の村ゆえ、固い戸締まりをしている家など無かったんじゃ。そして、租唖に苦しんでいた母親と3人の子供を斬り殺した。 症状が出ておらんかった主人は、なんとか逃げ出す。構わず睦男は集落の家々に侵入し、動けぬ罹患者を中心に殺戮を繰り返した。或る家では、虫の息で横たわる母親を泣きながら纏わり付く子供ごと撃ち殺した。或る家では、妻の死体を見て逃げ出す夫を後ろから射殺した。猟銃を主に使い、睦男は租唖の病人が居る家の人々を殺して回った。 明かり一つ無い闇夜に、怒号と悲鳴と銃声が響く。何処に殺人者が居るのか判らぬまま息を殺して怯えている人々の家の戸を蹴破って、鬼が現れるんじゃ。恐怖は、想像を絶する。 約一刻、惨劇は続いた。租唖の罹患者が居る家の住人、計三十三名が睦男の手に掛かった。 しかし、一人で殺せる人間には限りがある。睦男も根は心優しい男じゃったから、どうやら精神の限界が来たようじゃった。隣の集落へ歩いていった睦男は、旧知の友の家を訪れる。この集落では租唖は出ておらんかった。睦男は鉛筆と紙を貰い、山へと歩いていった。日が昇る頃、睦男は山の頂で遺書を書き、猟銃で自らの心臓を撃ち抜いた。享年、二十一。 結局、租唖の罹患者を含む三十人が命を奪われた。鏖殺とはいかぬまでも、十二分に多い数じゃ。この事件は大きな話題となり、租唖という大病の存在を全国に知らしめた。更に、行重の者達にとっては、租唖に罹れば殺されるかもしれぬという恐怖を植え付けた。延いては租唖自体への恐怖にも繋がり、租唖の悪魔を強くせしめたのじゃが、これは関係あるまい。 しかし、この後すぐに、件の租唖の悪魔が<span style="color:#ff3300">あやつ</span>に喰われてしまう。これによって、租唖は消滅してしもうた。租唖の患者がどうなったかは先に話した通りじゃが、この事件はどうなったか。動機となる租唖が消滅してしまい、代わりにありきたりな嫉妬・妄執・怨恨といったものが核に据えられ、都井睦男事件は'''[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/津山事件 津山事件]'''として知られるようになった。なんとも俗世的で淋しいものじゃのう。 租唖の話は、こんなところじゃ。今回はここまでにしよう。また、何かあればの。ほいじゃあ。 {{foot|ds=そあ|cat=消滅の悪魔}}__NOTOC__
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