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南・東南亜の国家形成
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===東南アジア世界=== 東南アジアは、古くから中国等諸地域の影響を受けており、'''銅鼓'''に特徴づけられる青銅器・鉄器文明の'''ドンソン文化'''などがあったが、南アジアや中国との交流がより盛んになると、メコン川下流に東南アジア初の国家である'''扶南'''が建国された。港だった'''オケオ'''からは、ローマの貨幣をはじめとした様々な交易物が発掘されている。また、その約一世紀後にはチャム人によってベトナム中部に港市国家・'''チャンパー'''が建国された。その後、4世紀末から5世紀には、海上でのインドの活動が盛んになり、東南アジア各地で「インド化」が起こった。メコン川中流域ではクメール人が扶南から独立して'''カンボジア'''を建国し、やがて扶南を滅ぼした。一度の分裂を経てカンボジアを再統一した'''アンコール朝'''では、ヒンドゥー教や仏教の影響を受けた'''アンコール=ワット'''を建設した。チャオプラヤ川流域では、モン人のドヴァーラヴァティー王国に続いてタイ人の'''スコータイ朝'''が開かれ、上座部仏教が信仰された。また、イラワディ川流域ではピュー人の'''ピュー'''に次いで南下してきたビルマ人が'''パガン朝'''を建て、ここでも上座部仏教が広まった。一方、前漢の武帝による南越制服以降、チャンパー以北ベトナム北部は中国に服属してきたが、唐の滅亡による混乱をついて'''李朝'''が独立し、国号を'''大越(ダイベト)'''とした。その後、'''陳朝'''は元の侵攻を撃退し、'''字喃(チュノム)'''を制定した。諸島部でも、スマトラ島の'''パレンパン'''を中心として海上交易で栄えた'''シュリーヴィジャヤ王国'''や、大乗仏教を信仰し仏教寺院'''ボロブドゥール'''を建設したジャワ島の'''シャイレンドラ朝'''、同じくジャワ島に位置しヒンドゥー教を信仰した'''古マタラム朝'''など、インドの影響を受けた様々な国家が成立した。 {{こひあ}} {{foot|ds=みなみ・とうなんあしあのこつかけいせい}}
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