「
世界五分後仮説
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====他の存在==== 前節で示したように、「自分」、そして「意識」の存在をも証明および反証することは不可能である。これはつまり、少なくともそれら以外の存在への意識が不確実であるということであり、 すなわち「存在」が確実に「存在」たりえることも不確実であるということである。いわば、「意識」と(その他の)「存在」は、「ピアノ」と「音」のように例えることができる。 「ピアノ」が壊れている可能性があるとき、必然的に「音」にもまた調子が外れている可能性が発生する。これと同様に、不確実な「意識」があることには不確実な「存在」しか発生しえないという至極当然のことなのである。 そもそも、自分と意識以外のすべての存在の不確実性は、誰もがもっとも簡単に理解できるものなのである。たとえば、この仮説を閲覧するにはパソコンやスマホなどの電子機器が必要になるが、もし今これがただの夢であるならば、 実際にはあなたがたった今この仮説の閲覧に用いているパソコンやスマホなどの電子機器、つまり自分と意識以外のすべての存在に含まれるその存在は存在しないことになり、さらにあなたが夢を見ていないという証明は、 前述した意識の証明と同様に、「無意味な永遠の再帰的思考」を求めるのみなのである。例えば、脳波を測定して覚醒状態にあると確定したとしても、その経験さえ夢の中のものである可能性が現れ、これが永遠に繰り返されるということだ。 これによって、世界(すべての存在)を構成する三つの存在「自分」、「他の存在」、そしてそれらをつなぐ「意識」の不確実性、つまりすべての存在、「世界」の不確実性が確認された。これがこの仮説の前提である。
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