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帝国主義のパパイヤ
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===オランダ継承戦争=== 拡張室から解放された者たちの中にメリンダほど芳しい成果を挙げている者はなかったが、パパイヤはある白髪の老人に注目していた。彼の名は'''ウィレム=リートフェルト'''、第15代オランダ王ウィレム7世の実の息子であった。しかし、リートフェルトの運命は奇特なものだった。彼は当時の皇太子アレキサンダーの双子の弟として生まれたが、皮肉にも、それはオランダ政府が人口問題に耐えかねて一人っ子政策を発した直後のことだったのだ。リートフェルトの母である当時の王妃クラウディアが自室に残していた鍵付きの日記には、こう記されている。 <blockquote>われわれは勇壮なオランダ人だった。われわれは海を沈めて国をつくり、近世に植民地帝国を築きあげ、暗黒の時代と二度の世界大戦を経て再びヨーロッパの支配者となった。しかし、繁栄はみずからを貪り始めたのだ。この枯渇の世紀には、われわれは増えすぎた人口を収容できるあたらしい土地のための土すら買えない。そのせいで、そのせいで私は、私のかわいい子どもが――子どもたちが――双子だと知ったとき、喜ばなかった。二人目以降の出産に罰則を設けるあの法は、国会でもぎりぎりの水準で採決された。今でも反対するものは多い。それなのに、他ならぬ王室が二つの子を育てるとは、まるで示しがつかないではないか。 慎重な議論があった。どちらか一人は、その身元をすっかり隠して、どこか別の場所で育てさせることになった。そして、それは弟の方ということになった。もっと領土があれば。もっと領土があれば、家族は幸せだった。そう、領土さえあれば……。</blockquote> リートフェルトは最初国立の孤児院に引き取られたが、彼が二人目の王子であるという噂はすぐに広まった。そこで、次の「もっとも安全な場所」に名乗りを上げたのが、一般に認められるいわゆる「王族の権威」を検証することに積極的だったMIMCだった。その研究にはなんの成果もなかったが、MIMCにとって失敗はよくあることだったので、次第に彼の個性は忘れ去られ、結局彼は拡張室の一般被検体として30年余りを過ごしてきたのだった。パパイヤは、メリンダのテレパシー翻訳でデータセンターから被検体たちの情報をさらっていたとき、それを知って涙を流した<ref>もちろんそれは人間の流すような涙ではなく、むしろパパイヤの流すような涙だった。</ref>。彼の魂は、帝国の拡張への欲望と深く結びついて産み落とされた、パパイヤの帝国主義をくすぐるものに他ならなかった。
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