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Sisters:WikiWiki麻薬草子/不快感による自由の制限について
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ツイッターをしていて、「表現規制」という言葉を見ない日はありません。毎日誰かが、小説や漫画、アニメといった創作物を取り上げて、「この作品は気持ち悪い」「この作品のこういうところが不愉快だ」だとかいって非難し、しまいには「この作品は受け手を不快にさせるから締め出すべきである」と結論づけて規制を訴えるのです。規制しないことによって誰がどの程度傷つくのか、社会がどのような不利益を被るのか、よく検証された主張であればまっとうだと言えそうなものですが、残念ながら、そのような根拠によらない主張も多いのが現状です。これらの言説が、表現者を圧迫する、受容しがたいものであることは、ほとんど誰の目にも明らかだと思います。 そしてこれは、表現行為に限った話ではありません。個人の自由として認められるべき諸々の行為が、あくまで独善的な他者の不快感のみを理由に、不当で苛烈な制限を受けているのです。では、そのような自由の制限は、果たしてどこまで容認されるのでしょうか。 仮に、高校生のAさんが、クラスメイトのBさんに対し、日常的に暴力を振るっているとしましょう。Aさんは軽いノリのつもりで殴っているのですが、これがかなり力強く、Bさんの方は殴られるたびにつらく悲しい気持ちになります。耐えかねたBさんは、保護者や先生に相談するなどして、Aさんの、好きなときに暴力を振るうという一種の自由を制限しようと動き出すことにしました。さて、この制限に異議を唱えようとする人は、なかなか居ません。もしすべての人に暴力の自由が与えられれば、社会はきっと殺伐とした困難なものになってしまうのですから、制限するどころか、そのような自由ははなから認められていないわけです。 しかし、次の場合はどうでしょう。Cさんという高校生が、Dさんというクラスメイトをひどく嫌っているとします。Dさんはとてもよい人なのですが、Cさんはその風貌や喋り方がどうも気に食わず、Dさんが視界に入るたびに面白くない気持ちになります。嫌気が差したCさんは、Dさんに「君を見るといつも不快になる。クラスを替えることはできないのだから、もう学校に来ないでほしい」と言ってしまいました。果たして一体、どこの誰が、どのような事実を根拠に、この独り善がりな<!-- 制裁、もとい -->制限を容認するというのでしょうか。小さな嫌悪感や不快感から来る負担は、たしかに、時として深刻な問題に発展することもありますが、多くの場合、人はそれに耐えることができます。そもそも人を嫌いになるということは、人間にとって何も特別なことではなく、むしろ頻繁に起こりうることです。それゆえに人間社会は、誰かを嫌いになった個人の一々に何か対策を講じることをすでに諦め、代わりに、その軽度の負担を人々の方に我慢してもらうことを選択しているように思えます。この例で言えば、Cさんの不快感は、Dさんの登校禁止によってではなく、Cさんの忍耐によって解決されるべきだ、ということです。 自宅のドアを破壊されて怒らない人はめったに居ませんが、インターフォンを鳴らされたくらいで電気代を払えと凄んでくるような人はもっと居ません。壊されたドアを直すのにはかなりのお金と時間がかかりますが、インターフォンが音を鳴らすのに消費される電力なんてかわいいものです。それはたしかに損失ですが、訪問という、社会の中でも基本的な営為のなされるたびにわざわざ請求していてはきりがありません。個人にとっても、社会にとっても実に無駄なことです。 このように、人が被る損失というものは、たとえそれが誰か他の人の行為に由来していたとしても、その誰かの自由を制限する理由にならない場合があります。家を建てるものがインターフォンを鳴らされることを承知の上でいるのと同様に、社会の中に生きる私たちが日々小さな不愉快さを抱かされることは、ある程度自分の中で許容しなければなりません。社会生活は、ノーコストではありえないのです。 このことを顧みないケースは、冒頭でも挙げたツイッターにおける表現規制主張のような社会問題から、私たち高校生の人間関係における小さなトラブルに至るまで、さまざまな形で見受けられます。情報化が進んで各人の発言力も大きくなりつつある昨今、個人が個人の自由を実際に制限できてしまうことはそう珍しくありません。今こそ、あなたが不快でありたくないという思いが、社会にとっていかに無価値であるか、慎重に考えるべきです。
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