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(ページの作成:「 タイトルから社会主義的主張を語る草子を期待してしまった人がいたら申し訳ない。なんも関係ないので(' さて、私は記事分類学に新たな視点を見出してみた。そう、「労働」だ。 労働記事とはつまり、クリックなり何なりの行動を読み手にさせることについて、全体を通して主軸に据えた記事である。そして、これは自由度の程度により…」) |
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そんなこんなしていくうちに、エグイことになったのだった。当記事のソースの<nowiki><div id="</nowiki>[[うんたらかんたらちょめちょめ|なんちゃら]]<nowiki>"></nowiki>の部分を見てもらえれば分かると思うが、めちゃくちゃ多い。死ぬ。死んだ。 | そんなこんなしていくうちに、エグイことになったのだった。当記事のソースの<nowiki><div id="</nowiki>[[うんたらかんたらちょめちょめ|なんちゃら]]<nowiki>"></nowiki>の部分を見てもらえれば分かると思うが、めちゃくちゃ多い。死ぬ。死んだ。 | ||
その後も、選択ハブやら壁やらイベントやらの状態( | その後も、選択ハブやら壁やらイベントやらの状態(つまりその各種類と各リンク先たち)を指定する[[テンプレート:便所|テンプレート]]を作ったり、あるアンカーのときにそれと対応するやつだけを表示させるための[[テンプレート:便所/style.css|css]]を書いたり(これはびっくりするくらい短く行けた。疑似クラス「:target」を教えてくれた管理者に惜しみない感謝を。)、うわあああああああ!!!だった。 | ||
結局、下書きやら構成やらギミックの整理やらのために使ったパソコンのテキストファイルは実に11個、総計約125KBとなった。[[ピロリ語]]よりデカいじゃねえか。 | 結局、下書きやら構成やらギミックの整理やらのために使ったパソコンのテキストファイルは実に11個、総計約125KBとなった。[[ピロリ語]]よりデカいじゃねえか。 | ||
まあでも、頑張った甲斐あってめちゃくちゃ満足している。ガチのバグっぽいのを見つけたら、遠慮なく報告し、給え。}} | まあでも、頑張った甲斐あってめちゃくちゃ満足している。ガチのバグっぽいのを見つけたら、遠慮なく報告し、給え。}} |
2年9月14日 (I) 14:04時点における最新版
タイトルから社会主義的主張を語る草子を期待してしまった人がいたら申し訳ない。なんも関係ないので('
さて、私は記事分類学に新たな視点を見出してみた。そう、「労働」だ。
労働記事とはつまり、クリックなり何なりの行動を読み手にさせることについて、全体を通して主軸に据えた記事である。そして、これは自由度の程度によりさらなる分類が可能だ。
現在、労働記事の主流は、自由度が低い「単純労働記事」である。デバイスの画面を全選択することによって隠された記述が浮かび上がってくる「あぶり出し」に始まり、表の展開をギミック的に用いている「『呪術廻戦』ファンの夢を叶えるページ」「『呪術廻戦』ファンの細やかなニーズに応えるページ」「展開s」、記事内リンクによる移動で記述を進行させる、「粛清されました」「今、死ぬ?」「死ねカス」などがあたる。
これら単純労働記事の本質は、つまるところ誰が操作を行っても同じ結果になるというものだ。誰がCtrl+Aを押しても、誰が[展開]を押しても、その出力は完全に一つだけに定まるのである。
この点において、「ヨーグルト」は特殊なものとなっている。「労働」は「ガチャを引く」を押すというだけなのだが、その結果はランダム性を持っており、人によって違う出力がなされるからだ。
ただし、この性質は読み手の行動に起因するものではない。モジュール:選り抜き記事によって生じるランダムな数値を{{#switch}}の引数として、それらの返り値の分布を操作することで、ヨーグルトガチャは確率的に記述を変化させているのであって、これは読み手の操作といえるものではないのだ。
このことから、「ヨーグルト」は、自由度の高い労働記事というよりはむしろ、「ヨーグルトガチャを起動させる」という結果をもたらす単純労働記事に近いものとされるだろう。
そして、自由度が高い「自由労働記事」。これは、操作について読み手に選択の余地があり、なおかつその操作によって違う結果が生じるというものだ。現在、自由労働記事には「デデ二オン」と「便所の落書き」の二つがある。
自由労働記事の利点は、当然ながら没入感を高められることだ。自分のとる行動がページに影響していく、というのは、臨場感を醸成させることを容易にする。文字媒体のみでそれを作り出すのには、かなりの、もしかするとプロ並みの筆力が必要になるだろう。しかし自由労働記事では、それを構成するのが素人の書く文章であろうと、完全に読み手をページの中に設置することができるのである。
しかしながら、問題とまではいかないがちょっとしたデメリットもある。それは、作者に大変な気力がいることだ。自由労働記事をちゃんとしたシナリオを組んだうえで作るためには、莫大な選択肢の組み合わせにおいて読み手が通るルートを全て想定し、その論理的整合性を検証しまくらなければならない。とにかく作業量が多いのだ。ガチで大変である。ガチで。
さらに、作者のみならず読者にも気力が必要だ。このため、少なくとも「トートロジー」や「円周率」のようなコンパクトに刺してくる記事には全然向かない形式である。
しかし、頑張って練った記事案をこのような形に落とし込めた時の達成感にはエグいものがあるので、常習者諸賢も、是非とも自由労働記事を書いてみてはいかがだろうか。
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