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ロジックは、私が目指すミステリには必要不可欠なものだ。犯人当てに限らず、どんでん返しものにも時には必要となる。真相を導き出すため、また導き出せたのだと読者に納得させるため、作者はロジックを腐心して案出する。
ロジックは、私が目指すミステリには必要不可欠なものだ。犯人当てに限らず、どんでん返しものにも時には必要となる。真相を導き出すため、また導き出せたのだと読者に納得させるため、作者はロジックを腐心して案出する。


ロジックの基本的な形は、こうだろう。誰が犯人か、あるいはどうやって犯行をなし得たか判らない茫漠とした自然状態がある。そこで、ある手掛かりから導かれる推論が、自然状態と食い違う。そこで、犯人などが特定ないし除外されるのだ。
ロジックの基本的な形は、こうだろう。誰が犯人か、あるいはどうやって犯行をなし得たか判らない茫漠とした自然状態がある。そこで、ある手掛かりから導かれる推論が、自然状態と食い違う。そこで、犯人候補が特定ないし除外されるのだ。


私が理想と思うロジックは、この"手掛かり"の意外性が高いものである。
私が理想と思うロジックは、この"手掛かり"の意外性が高いものである。
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あのロジックの肝は、僅かに余談に出たのみの木刀が、ラストで主人公を追い詰めるところである。あの余談を聞いた時点で、よくよく考えれば、主人公は寝室に木刀がある蓋然性が高いと判断できたのである。犯人が最初からわかっている倒叙ミステリでは、ロジックはこういう使い方をするんじゃないかなあと思っている。あまり読んだことがないのでよくわからないが。
あのロジックの肝は、僅かに余談に出たのみの木刀が、ラストで主人公を追い詰めるところである。あの余談を聞いた時点で、よくよく考えれば、主人公は寝室に木刀がある蓋然性が高いと判断できたのである。犯人が最初からわかっている倒叙ミステリでは、ロジックはこういう使い方をするんじゃないかなあと思っている。あまり読んだことがないのでよくわからないが。


繰り返すと、「意外な手掛かりからロジック派生させたい」ということである。プロの作品を引き合いに出すと、相沢沙呼の『マツリカ・マトリョシカ』とか最高である。
繰り返すと、「意外な手掛かりからロジックを派生させたい」ということである。プロの作品を引き合いに出すと、相沢沙呼の『マツリカ・マトリョシカ』とか最高である。


どうにかいい感じのロジックを思いつけないものだろうか。
どうにかいい感じのロジックを思いつけないものだろうか。
'''枠と骨'''
ミステリを執筆するには、主に2つのものを思いつく必要があると私は思う。それを、私は「枠」と「骨」と呼んでいる。
枠とは、大まかな話の流れである。犯人当てなのか、倒叙ものなのか。事件はいつ起こるのか。名探偵はいつ登場するのか。結末はどうするのか。そういうシチュエーションのようなものを、枠と呼んでいる。これは、発想力次第で面白いものをどんどん思いつける。
一方、骨とは、ミステリ的仕掛けのことである。ロジックやトリックの、考え抜かれたもの。これがないと、ミステリとして成立しない。私は大体これを思いつけなくて苦吟する。
枠だけでは、細部が何も決まっていないから、物語にできない。骨だけでも、それを生かす物語がないから、推理小説にはできない。2つが揃ってようやく、ミステリができるのだ。
私の場合、枠のストックはそこそこある。なぜなら、妄想を膨らませるだけでいいからだ。かと言って、骨のストックが皆無であるわけでもない。『青桐湖事件(仮題)』に使おうと思っていた骨が、無期限凍結されている。枠の力で瑕疵を乗り越え、どうにか形にならないかと思っている。
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2年9月18日 (ヰ) 15:57時点における最新版

この草子には、『顔面蒼白』のネタバレが含まれます。必ずこれを読んでからこの草子をお読みください。

小説としてのミステリ

推理小説は、当然だが小説に含まれる概念である。よって、小説としての体裁が整っていないと、ミステリ的評価の前に駄文となってしまう。

私がそんなことを思ったのは、現在(2年9月15日)私が『田中邸事件』の執筆に苦心しているからである。これまでに連続して書いてきた『陽成祭事件』や『顔面蒼白』は、そんなことなかった。筆がのっていて、後者なんか改稿を除けば2日で書けたくらいである。でも、『田中邸事件』はいまいち筆が進まない。どうしてだろう? 考え、私は結論に至った。それは、小説的に良くないからだと。より具体的に言えば、「小説としてのテーマの欠如」である。

『陽成祭事件』は『名探偵武者小路の事件簿 消えた打出の小槌の謎』のリメイクであり、動機とかキャラの立たせ方は物語らしく工夫した。それに加え、リメイクに際してあるテーマ(まだ発表していないので明言は避けさせてもらう)を据えて、小説としている。

『顔面蒼白』は、もともと文芸部の文集に載せる話ということで、小説になっていなければ話にならない。これにおける小説としてのテーマは、犯人が追い詰められていく過程である。まあ、元からこれを狙って書いたのではなく、書いてみたらこうなって嬉しいというのが実際のところではあるが。

このように、今まで書いた2作には、それぞれ小説としてのテーマが核となってあるのだ。だから筆がのった。

しかし、『田中邸事件』にはそれがない。その原因は、もともとが推理"クイズ"用のシナリオであるからだ。つまり、筋書きが全てで、キャラクターなどは幾らでも替えが効くのである。だから、これをそのまま小説にしようとすると、核となるテーマがないから、こんな風に苦心することになる。

だから、今からどうにか小説的テーマを付加させようと私は思っている。情景描写に特化させようか、あるいは主人公に何か苦悩させようか、それとも倫理的問題を提起しようか。

まあ、つまるところ、『田中邸事件』の完成はまだ暫く後になりそうである。


理想のロジック

ロジックは、私が目指すミステリには必要不可欠なものだ。犯人当てに限らず、どんでん返しものにも時には必要となる。真相を導き出すため、また導き出せたのだと読者に納得させるため、作者はロジックを腐心して案出する。

ロジックの基本的な形は、こうだろう。誰が犯人か、あるいはどうやって犯行をなし得たか判らない茫漠とした自然状態がある。そこで、ある手掛かりから導かれる推論が、自然状態と食い違う。そこで、犯人候補が特定ないし除外されるのだ。

私が理想と思うロジックは、この"手掛かり"の意外性が高いものである。

誰かが刺殺された事件で、そのナイフが手掛かりとなってロジックが派生するのは、あまり好ましくない。なぜなら、手掛かりになりそうなものだからである。読者は「それが手掛かりかも?」と思っているだろうし、見破られやすくもなる。ただ、盲点をついた意外な論理を思いつければその限りではないが。誤解しないでいただきたいのは、この論は私が"執筆する"時のことであって、プロ作家の作品を批評するものではないということである。

閑話休題、私は意外な手掛かりから導かれるロジックが理想的だと考えているのだ。その点、『顔面蒼白』の木刀のロジックは気に入っている。成否はわからないが、不意を打てていたらいいなと思っている。

あのロジックの肝は、僅かに余談に出たのみの木刀が、ラストで主人公を追い詰めるところである。あの余談を聞いた時点で、よくよく考えれば、主人公は寝室に木刀がある蓋然性が高いと判断できたのである。犯人が最初からわかっている倒叙ミステリでは、ロジックはこういう使い方をするんじゃないかなあと思っている。あまり読んだことがないのでよくわからないが。

繰り返すと、「意外な手掛かりからロジックを派生させたい」ということである。プロの作品を引き合いに出すと、相沢沙呼の『マツリカ・マトリョシカ』とか最高である。

どうにかいい感じのロジックを思いつけないものだろうか。


枠と骨

ミステリを執筆するには、主に2つのものを思いつく必要があると私は思う。それを、私は「枠」と「骨」と呼んでいる。

枠とは、大まかな話の流れである。犯人当てなのか、倒叙ものなのか。事件はいつ起こるのか。名探偵はいつ登場するのか。結末はどうするのか。そういうシチュエーションのようなものを、枠と呼んでいる。これは、発想力次第で面白いものをどんどん思いつける。

一方、骨とは、ミステリ的仕掛けのことである。ロジックやトリックの、考え抜かれたもの。これがないと、ミステリとして成立しない。私は大体これを思いつけなくて苦吟する。

枠だけでは、細部が何も決まっていないから、物語にできない。骨だけでも、それを生かす物語がないから、推理小説にはできない。2つが揃ってようやく、ミステリができるのだ。

私の場合、枠のストックはそこそこある。なぜなら、妄想を膨らませるだけでいいからだ。かと言って、骨のストックが皆無であるわけでもない。『青桐湖事件(仮題)』に使おうと思っていた骨が、無期限凍結されている。枠の力で瑕疵を乗り越え、どうにか形にならないかと思っている。