「利用者:Notorious/サンドボックス/ぬいぐるみ」の版間の差分

提供:WikiWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動
(文字起こし)
(文字起こし)
56行目: 56行目:
<br>「はいはい」
<br>「はいはい」
<br> 取り敢えず、考える時間を稼ぐ。
<br> 取り敢えず、考える時間を稼ぐ。
<br> 麗は
<br> 麗は一旦玄関から離れ、鞄やらを片付け始めた。ああ言った以上、片付けをする音を立てておかないと、怪しまれかねない。このアパートは全く防音できないんだから。
<br> 麗の部屋の間取りは、風呂・トイレ付きの1DK。燿が通り魔なら、家に入れた時点で逃げ場はない。
<br> いや、周りに助けを求めれば……。そこまで考えて麗は頭を抱えた。2階の住人は麗を除いて1人だが、その1人は長期旅行中。更に、下の階の管理人老夫婦は耳が遠い。いくら泣き叫んでも助けは来ないだろう。
<br> 燿を部屋に入れないのが一番安全だが、潔白だったら入れない訳にはいかない。やはり、燿が通り魔か否か、慎重に見極めなければならない。
 
 
 でも、どうやって? 途方に暮れていると、麗はテレビをつけっ放しにしていたことに気づいた。スタジオでは、現場周辺の略図を描いて事件のあらましを解説している。発生からあまり時間が経っていないのに、大したものだ。
<br> 事件が起こったN駅通りは、N駅から南に真っ直ぐ延びている。夜8時頃、そのN駅から100mほど進んだところで、第一の被害者が出た。夜勤に出ようとしていた女性が胸を刺され、重体となっている。先程の写真も、この時を写したものだ。その数分後、更に500mほど南下したところで、第二、第三の凶行が相次いで為された。会社員の男性と女子大生が今度は右腹を刺され、肝門脈損傷により失血死した。いずれの事件も、犯人は被害者をすれ違いざまにナイフで刺し、周囲が異変に気づいた頃には既に歩き去っていたという。
<br> そうアナウンサーは早口で解説した。第二・第三の事件現場は、ここから300mほどしか離れていない。もし燿が通り魔でも、ここに到着した時間は矛盾しない。
<br> 待ちかねたのか、燿が不満を訴えた。
<br>「まだあ? こう見えても俺、結構怯えてるんだけど」
<br> 聞き慣れているはずの燿の声が、なぜか気味悪く感じる。怯えているのは、こっちの方だ。
<br>「……燿。あんた、何で外にいたの?」
<br>「バイト帰りだよ。N駅通りの居酒屋で働いてるって、前に言わなかったっけ?」
<br> 随分前に言われた気がする。

2年9月21日 (I) 09:25時点における版

 は〜あ、定期的にガス抜きしなきゃ、クレーム対応なんてやってらんないわ。
 支倉麗はせくられいは、アパート2階の自室に入るなり、バタリと倒れ込んだ。ヒールのない靴を乱暴脱ぎ、雑多に物が詰まった鞄を放る。日もとうに沈んだ金曜日の夜8時半、勤めているコールセンターからようやく帰宅した。5日間に亘って知らん中年どもの文句を聞かされて、心身共に疲弊し切っている。
 冷蔵庫に缶ビールがあったはずだ。何か適当につまんで、さっさと寝てしまおう。麗は重い足を引きずって奥へと向かった。
 ヘアゴムをぐいと取り、座布団にどっかと腰を下ろす。うら若き乙女にあるまじき所作だが、独り暮らしの社畜なんて皆こんなものだろう。いや、そうでなきゃ困る。
 麗は、何の気無しにテレビをつけた。別段見たい番組がある訳ではないが、食事の時くらいこの空虚な部屋を音で埋めたかったのだ。
 ところが、テレビはつくなり、緊迫した声を響かせた。
『……り返します。K県S市で、連続通り魔事件が発生しました』
 ぎょっとした。自然とテロップに目が吸い寄せられる。
《S市で連続通り魔 2名死亡、1名重体》
「えっ⁈」
 2名死亡、1人重体? K県S市、ここだ。え?
 麗の動転をよそに、アナウンサーは淡々と原稿を読み上げる。
『午後8時頃、S市のN駅通りで「人が刺された」と通報がありました。警察によると、2人が死亡、1人が意識不明の重体となっています。また、犯人は逃走中とのことで、付近の住民に注意を呼びかけています』
 N駅通りとは、麗の帰宅ルートであり、ついさっきも歩いてきた。時間は確か、8時頃。そう言えば、歩いているとき後ろの駅側がやけに騒がしかったっけ。
 ようやく麗は事態を理解した。私のすぐ近くで、通り魔が人を刺したのだ。
 反射的に玄関を振り返る。扉の鍵は、掛かっていた。ホッとすると体の力が抜けた。後ろにパタリと倒れ込む。何だか笑いが込み上げてきた。アハハハという乾いた笑いが部屋に響く。
 こんなことが、起こるなんて。
……疲れてるみたいだ。こりゃさっさと寝ないと。
 その時、テレビの中のスタジオがざわめき出した。アナウンサーの動揺が声に乗って伝わってくる。
『新しい情報が入ってきました。犯人が写った写真があるそうです』
 慌てて身を起こし、画面を見つめる。そこに写っていたのは、なかなかにショッキングな画像だった。
 中央に、モザイクがかけられた人影。体は右側に向いており、右半身しか見えない。そして、彼もしくは彼女は、ガクリと膝を折って今にも崩れ落ちようとしていた。胸の辺りから、鮮血が迸っている。
 刺された直後なのか。麗は戦慄した。呼吸が浅くなる。
 そして、写真の左端。被害者とは反対方向に進んでいる人の左半身。見切れてしまい後頭部と背中くらいしか写っていないが、ニット帽とマスク、黒いジャンパーを着けていることは確認できる。こいつが、通り魔。
 アナウンサーは何か説明を加えているが、その声がどんどん遠ざかっていく。反比例して、麗の心の中に一つの思いが膨れ上がっていった。
 写真に写っていた通り魔。あれは、ようじゃないか?
 頭や耳の形、歩く姿勢、短めの髪。それらはなんだか、弟の燿に似ている。燿は麗の2つ下の弟で、就活中の大学4年生。住まいも、N駅の反対側で現場から遠くはない。それに、燿はサイコサスペンス映画を偏愛している。何回かDVDを借りたこともあるが、通り魔を題材にしたものもあったような……。
 いや、馬鹿馬鹿しい。そんな妄想で実の弟を犯罪者扱いしてしまうなんて。あの賢い子が通り魔なんてする訳ない。それに、写真の特徴に合致する人なんて、この町には掃いて捨てるほどいるだろう。
 やっぱり、疲れてるんだ。さっさと寝ないと。
 冷蔵庫から缶ビールを出そうと立ち上がりかけた時、ドアをノックする音が聞こえた。
「姉貴、いる?」
 紛れもない、支倉燿その人の声だった。


「よ、燿? どうしたのよ?」
 声が裏返りそうだった。なぜ、燿がここに?
「通り魔が出たって外は騒ぎになってるんだ。姉貴、知ってる?」
「え、ええ」
「恥ずかしながら、怖くなっちゃってさ。犯人は捕まってないっていうし。家に帰るには現場の近くを通らないといけないからさ。悪いけど、今夜だけ泊まらせてくれない?」
 ドアの向こうで頭を掻く燿が目に浮かぶ。
「でも、事前に連絡くらいくれたっていいじゃない」
「したさ。でも姉貴は全然LINE見ないじゃん。なら直接行った方が早いかなーって」
「そうなの。まあ仕方ないわね。今開けるわ」
「ありがとう、姉貴」
 麗は玄関へと歩いていき、サムターンに手をかけた。
 その時、一つの疑念が首をもたげた。馬鹿馬鹿しいはずなのに、どうしても捨てきれない疑念。
 燿が、通り魔なんじゃないか? 家に上げていいのか? 女の麗が、力で燿に敵う訳がない。部屋に入ったら、いやドアを開けた瞬間、刺されてもおかしくないのではないか?
 体が固まった。嫌な汗が滲み出てくる。
「……姉貴?」
 燿が不審そうに声をかけてきて、麗は我に返った。選択しなければ。
「……やっぱり部屋を片付けさせて。しばらく待ってなさい」
「え〜っ、別に気にしないよ」
「私が気にするの」
「思春期かよお」
「文句言うなら入れないわよ」
「はいはい」
 取り敢えず、考える時間を稼ぐ。
 麗は一旦玄関から離れ、鞄やらを片付け始めた。ああ言った以上、片付けをする音を立てておかないと、怪しまれかねない。このアパートは全く防音できないんだから。
 麗の部屋の間取りは、風呂・トイレ付きの1DK。燿が通り魔なら、家に入れた時点で逃げ場はない。
 いや、周りに助けを求めれば……。そこまで考えて麗は頭を抱えた。2階の住人は麗を除いて1人だが、その1人は長期旅行中。更に、下の階の管理人老夫婦は耳が遠い。いくら泣き叫んでも助けは来ないだろう。
 燿を部屋に入れないのが一番安全だが、潔白だったら入れない訳にはいかない。やはり、燿が通り魔か否か、慎重に見極めなければならない。


 でも、どうやって? 途方に暮れていると、麗はテレビをつけっ放しにしていたことに気づいた。スタジオでは、現場周辺の略図を描いて事件のあらましを解説している。発生からあまり時間が経っていないのに、大したものだ。
 事件が起こったN駅通りは、N駅から南に真っ直ぐ延びている。夜8時頃、そのN駅から100mほど進んだところで、第一の被害者が出た。夜勤に出ようとしていた女性が胸を刺され、重体となっている。先程の写真も、この時を写したものだ。その数分後、更に500mほど南下したところで、第二、第三の凶行が相次いで為された。会社員の男性と女子大生が今度は右腹を刺され、肝門脈損傷により失血死した。いずれの事件も、犯人は被害者をすれ違いざまにナイフで刺し、周囲が異変に気づいた頃には既に歩き去っていたという。
 そうアナウンサーは早口で解説した。第二・第三の事件現場は、ここから300mほどしか離れていない。もし燿が通り魔でも、ここに到着した時間は矛盾しない。
 待ちかねたのか、燿が不満を訴えた。
「まだあ? こう見えても俺、結構怯えてるんだけど」
 聞き慣れているはずの燿の声が、なぜか気味悪く感じる。怯えているのは、こっちの方だ。
「……燿。あんた、何で外にいたの?」
「バイト帰りだよ。N駅通りの居酒屋で働いてるって、前に言わなかったっけ?」
 随分前に言われた気がする。