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しかし、現在のところはラプラプの悪魔の「'''全知性'''」も、オスォナダツウェロクの意識上で<u>入れ子のようになっている</u>ということで双方の意見に折り合いをつけている。 | しかし、現在のところはラプラプの悪魔の「'''全知性'''」も、オスォナダツウェロクの意識上で<u>入れ子のようになっている</u>ということで双方の意見に折り合いをつけている。 | ||
だが、両派の軋轢は日に日に強まっており、<span style="border-bottom:1px dashed"> | だが、両派の軋轢は日に日に強まっており、<span style="border-bottom:1px dashed">ラプラプの悪魔が現実に出現することでのオスォナダツウェロク存在学会の内部分裂は避けられないという見方もある。</span>{{要出典}} | ||
==全知のパラドックスについて== | ==全知のパラドックスについて== | ||
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2年9月23日 (ゐ) 22:30時点における最新版
ラプラプの悪魔とは、意識上既確存在であるププニュレキアラーラが、キュアラプラプの莫大な増加によって変化しうる存在である。
主にオスォナダツウェロク存在学を筆頭とする近代存在学の分野で論じられており、伊藤しえるによって提唱された理論だと考えられている。
また、この理論には因果性や決定論等の分野も深くかかわっており、因果的決定論に基づいた理論であるとも考えられている。
概要[編集 | ソースを編集]
ププニュレキアラーラは、自らの存在分岐のための機能であるキュアラプラプを持つ。
また、キュアラプラプは自立した行動が可能であり、今日もキュアラプラプの発生源を加速度的に増加させている。
すると、意識上混濁存在であるキュアラプラプの存在自体も加速度的に増加し、その礎であるププニュレキアラーラは、近いうちに小倉百人一首のような共識フィルターとなることが予見される。[1]
ププニュレキアラーラは可識的存在ではないため、これを通して単独での存在の確認を行うことはできないが、
ププニュレキアラーラを構築するキュアラプラプの末端であるキュアラプラプの発生源はラプラパー状態であるため、キュアラプラプによって意識を操作されているという性質を持つ。
これゆえに、キュアラプラプによってラプラパー状態の生物を通じて存在の情報を確認することが可能になり、ププニュレキアラーラは包括的既確及び混濁存在の情報を確認することが可能になる。
つまり、ププニュレキアラーラは、ある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持ち、未来を含む宇宙の全運動までも確定的に知りうる存在となる。
この状態のププニュレキアラーラはラプラプの悪魔と呼称され、これらがラプラプの悪魔が発生するという理論である。
名称[編集 | ソースを編集]
「ラプラプの悪魔」が最初に提唱された時期は定かでないが、前述の通り近代存在学の母とも呼ばれた伊藤しえるによって唱えられたものとされている。
本来、彼女はラプラプの悪魔について、ただ単に「変異ププニュレキアラーラ」と読んでいたのだが、
この理論が世界中に広がっていったことに伴って、「変異ププニュレキアラーラ」は徐々に各地の発音に合わせる形で変化した。[2]
「変異ププニュレキアラーラ、変異ププニュレキアラーラ」
「ヘンイププニュレキアラーラ、ヘンイププニュレキアラーラ」
「ヘニップュレキャラーラ、ヘニップュレキャラーラ」
「ニウプュラキャルハーラ、ニウプュラキャルハーラ」
「ニウィユラッカルアーラ、ニウィユラッカルアーラ」
「ニュアウラックアーックラ、ニュアウラックアーックラ」
「ユアフゥルァッフンアックラ、ユアフゥルァッフンアックラ」
「ルァプッルァップンアクナ、ルァプッルァップンアクナ」
「ラプッラップヌアクナ、ラプッラップヌアクナ」
「ラプラプノアクマ、ラプラプノアクマ」
「ラプラプの悪魔、ラプラプの悪魔」
この「変異ププニュレキアラーラ」という言葉は地球を縦断し、これが伊藤氏のもとへ帰ってくる頃には「ラプラプの悪魔」という全く異なる言葉に変わっていた。
しかし、「変異ププニュレキアラーラ」という長ったらしいものよりも「ラプラプの悪魔」の方が言いやすいと評判も良かった[3]ため、結局この理論の正式名称は「ラプラプの悪魔」となった。
未来の予測[編集 | ソースを編集]
方法[編集 | ソースを編集]
ラプラプの悪魔は、前述した方法で確認した情報から、その時点で存在するすべての粒子の位置やその運動、それらの相互作用やそれらにより引き起こされる現象、さらにそれらに関わるあらゆる法則、
つまり、前述した通り、「その時点でのあらゆる力学的・物理的な状態」を確認している。そして、これらのすべての条件を用いて演算を行うことで、未来を確定的に知りうるのである。
唐突だが、この問題を解いてみてほしい。
「とある車が走っています。5秒後の未来には何が起こっていると予測できますか。」
よほどの馬鹿ひねくれものでない限り、「前へ進んでいる」と答えるはずだ。これは人間の経験則としてこうなることが分かっているから「予測できる」問題である。これをもう少し詳しく描写すると、
「とある車が20m/sの速度で走っています。5秒後の未来には何が起こっていると予測できますか。ただし、空気抵抗や摩擦などは考えないこととします。」
よほどの馬鹿ひねくれものでない限り、「100m前へ進んでいる」と答えるはずだ。これは人間の経験則だけでなく、条件から物理法則を考慮して演算を行った結果である。
また、この問題に、空気抵抗や摩擦などの条件を付け加えたりしていけば、さらに「5秒後」は精密に予測されていく。そして、もし仮にすべての条件を提示されていたら、
理論上は「5秒後」を確定的に知ることが可能になる。例えば、「車がハンドル操作を誤って崖から落ちる」といった馬鹿なひねくれた答えでさえ、
その車の内部構造から走っている場所の性質、果てには運転手の脳内の神経細胞の電気信号の状況など、まったく完璧に条件が指定されているのであれば、論理的には導き出すことができるのだ。
そしてこれを現実世界に当てはめてみると、この世界の「条件」を完全に把握していれば、「未来に何が起こっていると予測できますか」という漠然としていて、
答えが一見無限にあるような問題ですら解くことができるのである。この仕組みによって、前述した通りラプラプの悪魔は未来を確定的に知ることが可能になるのである。
自由意志[編集 | ソースを編集]
もし未来が予測可能であるならば、人間の自由意志たるものは存在しないことが証明される。
そもそも現在は過去の積み重ねで構築されており、±E剰から±C剰は因果関係を持つ。つまり、人間がそれ自身の究極的な原因であることはありえないのである。
例えば、あなたがふと水を飲みたくなったとしよう。この原因は、過去に水を飲まなかったことの結果だと考えられる。
簡潔に述べるならば、「ふと」などという原因は存在せず、それは即ち人間の偶然性に基づく自由意志も存在しないということである。
確かに人間にはイメージしづらいが、人間が「ふと」という原因に因るものだと考えている結果も、単なる神経細胞が因果性を以て放った電気信号にすぎず、
例えばもしも時間軸が±E臨化し、過去に戻ったとしても、あなたはそのとき「ふと」を原因として水を飲みたいと感じるだろう。
即ち、この「ふと」も過去における小さな原因の積み重ねの結果として、必然的に起こりうるものであり、我々が「自由意志」と感じる概念も、その正体は因果的必然性に基づく脳内の電気信号である。
議論[編集 | ソースを編集]
量子力学的不確定性[編集 | ソースを編集]
不確定性原理によって、原子の位置と運動を同時に知ることは不可能とされている[4]が、それはあくまでオスォナダツウェロク存在学等の現代存在学という視点が存在していなかったころの理論であり、
確かに通常は既確存在しか確認できない[5]人間などの可識的存在の、包括的識上においてはこの理論は誤りではないが、
ププニュレキアラーラは既確存在だけでなく、時間軸上に幅の広がりを持つ混濁存在の情報までも確認しうるため、±C剰、いわゆる「未来」についても確定的に知りうるのである。
つまり、ラプラプの悪魔は未確存在の情報については確認できないが、混濁存在の情報は確認できる。
これによって、±D聢に含まれる+D聢以C剰を確認できるため、そこも「条件」とできるということである。
また、熱力学的不可逆性によるラプラプの悪魔への反証[6]に関しても、「ラプラプの悪魔」理論はこの立場をとっている。
カオス理論[編集 | ソースを編集]
カオス理論における初期値鋭敏性は、確かにバタフライ効果なども鑑みれば現実的な予測不可能性を証明できる。
しかし、ラプラプの悪魔は無数のラプラパー状態の生物を通して精度の高い包括的共識を保持し、数値解析において誤差の発生の原因と考えられるものによって誤差が生じることはないとされる。[7]
その上、「ラプラプの悪魔」という理論の前提条件は、「ある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持つ」ププニュレキアラーラの存在であり、
得られる値と真の値とのずれはラプラプの悪魔の演算上で増幅されていくどころか常にゼロになるとされている。
カントールの対角線論[編集 | ソースを編集]
カントールの対角線論における停止性問題によってラプラプの悪魔を反証できるという見方もあるが、そもそもラプラプの悪魔はチューリングマシンではないため、これは誤りである。
また、これらにおいては自由意志の是非についても深くかかわってくるため、ラプラプの悪魔とは全く関係のない、別の理論だと考えておくことが推奨されている。
停止性問題のような所謂「全知のパラドックス」についての詳細は後述する。
影響[編集 | ソースを編集]
宗教[編集 | ソースを編集]
ラプラプの悪魔は、所謂「全知の存在」であり、まだ出現してはいないものの、前述の通り、必ず近いうちに出現するものと考えられている。
また、「全知の神」などと表現されることもあり、人間が古代から保持してきた宗教においての「神」たる存在と重ねられていることが分かる。
宗教に関連する問題として、ラプラプの悪魔がもし出現し、この理論が科学的に証明された場合、イントリジェント・デザイン説論者などが活動を強める可能性があるとして、
空飛ぶスパゲッティモンスター教徒などの反創成科学者らは強い懸念を表明している。
オスォナダツウェロク存在学[編集 | ソースを編集]
もしラプラプの悪魔が現実に出現した場合、オスォナダツウェロク存在学における地位についてはかなりの議論が予想される。
我々を含むすべての存在を意識している母可識存在と定義されているオスォナダツウェロクと、全知の存在であるラプラプの悪魔が同時に存在してしまうと、
オスォナダツウェロクの存在意義が無くなってしまうのではないかと考えられている。[8]
しかし、現在のところはラプラプの悪魔の「全知性」も、オスォナダツウェロクの意識上で入れ子のようになっているということで双方の意見に折り合いをつけている。
だが、両派の軋轢は日に日に強まっており、ラプラプの悪魔が現実に出現することでのオスォナダツウェロク存在学会の内部分裂は避けられないという見方もある。[要出典]
全知のパラドックスについて[編集 | ソースを編集]
ラプラプの悪魔は、前述した通り「全知の存在」というものである。しかし、「全知のパラドックス」なるものが存在する。[9]その内容は次のようなものだ。
”全知の存在”に以下の提案をする。 |
全知の存在がこの提案を受け入れてくれることが前提だが、どちらにせよ確定的に未来を知りうるはずなのに正しい未来を予測できないというパラドックスが生じてしまう。
この例は代表的なものだが、この全知のパラドックスの本質は「全知の存在によって予測された未来を変更すると、パラドックスが起きる」というものだ。
一見これはラプラプの悪魔の存在を否定する確固たる論理に見えるが、誤った論理である。なぜなら、「未来を変更できる」という論理がまず誤りだからである。
このパラドックスにおいて、一見未来を変更しているように見える一連の行動は、正確にはただ混濁存在の幅が孕む±D聢の多岐的選択プロセスの一つを選んだだけであり、
本質的な±E剰から±C剰への因果は全くもって固定されているのである。つまるところ、全知の存在が予測した未来を変更しているように見えさせているのは、
高精度共識上既確存在もとい可識的存在による物質存在と、予測係被意が持つ情報という意識上既確存在の不一致であり、
実際の純存在についての矛盾は包括的既確存在から包括的未確存在にかけて一切生じておらず、パラドックスは可識的存在の表面的な意識のもとにしか発生しないのである。
関連項目[編集 | ソースを編集]
外部リンク[編集 | ソースを編集]
スタンフォード哲学百科事典の項目。(全て英語)
- Causal Determinism
- Free will
- The Uncertainty Principle
- Copenhagen Interpretation of Quantum Mechanics
- Cantor's Diagonal Argument
脚注[編集 | ソースを編集]
- ↑ 小倉百人一首における百人のヒトの生贄が、ププニュレキアラーラにおけるキュアラプラプの発生源と類似していることから。
- ↑ このような現象は、世界各地で発生していると報告されているムセインクル。
- ↑ 中二病患者たちが強硬的に「ラプラプの悪魔」を正式名称にするよう推し進めたという意見もある。
- ↑ 量子力学におけるコペンハーゲン解釈なども参照。
- ↑ 正確には、±E剰しか確認できない。
- ↑ 多くの熱力学的プロセスは不可逆的であることからラプラプの悪魔を反証する立場。
- ↑ たった100の可識的存在による共識フィルターですら小倉百人一首の強い存在的数量が実現するため。
- ↑ 全てを知る(意識する)存在として、便宜的にオスォナダツウェロクが定義されているため、現実の全知の存在が現れてしまうと、それを通して存在学を考えたほうが確実になるとされている。
- ↑ 「全能のパラドックス」とは異なる。
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