「惨闢」の版間の差分

提供:WikiWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
(3、4)
134行目: 134行目:
そして、その腕がゆっくりと上がってきている。雅登は、ホームにへたり込んだまま、巨人を見つめていた。腕が地面と並行にまで上がったとき、唐突に腕が横に走った。轟音とともに、ビルが砕け、コンクリートの欠片が散る。わずかに遅れてホームが揺れる。そこで、雅登は我に返った。巨人は、破壊行為をしている。ここは、危険だ。慌てて立ち上がると、雅登は断続的に襲ってくる揺れに怯えながら、階段を下りていった。
そして、その腕がゆっくりと上がってきている。雅登は、ホームにへたり込んだまま、巨人を見つめていた。腕が地面と並行にまで上がったとき、唐突に腕が横に走った。轟音とともに、ビルが砕け、コンクリートの欠片が散る。わずかに遅れてホームが揺れる。そこで、雅登は我に返った。巨人は、破壊行為をしている。ここは、危険だ。慌てて立ち上がると、雅登は断続的に襲ってくる揺れに怯えながら、階段を下りていった。


{{誓いのスタブ|署名=--[[利用者:Notorious|Notorious]] ([[利用者・トーク:Notorious|トーク]]) 2年11月10日 (I) 21:41 (JST)}}
==8月13日20時32分 城島浩司==
YGT-081-“ロックイーター”の調査は順調に進んでいた。沖縄県糸満市に位置する、沖縄本島最南端の喜屋武岬。波打ち際より少し陸側に、礁池が広がっている。ここの方言では「イノー」というらしい。
 
日は沈んだが、そこかしこに設置された投光器によって、岩の地面は明るく照らされていた。埋め立て工事前の調査という名目で、YGT財団機動部隊第二十七分隊“ルック・ハイ”は派遣されていた。その真の目的は、半径10メートルもの岩をくり抜く、ロックイーターの調査。このYGTは最近発見されたばかりで、どのような形態をしているのか、そもそも実体があるのかすらわかっていない。だからこそ、この調査は意義がある。“ルック・ハイ”分隊長・城島浩司は、そう考えていた。
 
第一小隊長の樋口小百合が、資料が挟まれたバインダー片手に駆け寄ってきた。
<br>「分隊長、超音波探査が完了しました。向こうの旗が立っている地点の直下12.08メートル地点を中心に、半径9.66メートルの完全な球の岩がくり抜かれています」
<br>「半径は今まで発見された穴のそれと一致するな」
<br>「はい。崩落の危険性は、当座は無いようです」
<br>「よし。至急報告書をまとめろ。日付が変わらないうちに、本部に送付するんだ」
<br>「了解です。……カバーストーリーはどうなるんでしょうかね。やっぱりシンクホールとかでしょうか」
<br> 樋口が職務範囲を逸脱する話をすることは今まで無かったから、浩司はちょっと驚いた。
<br>「まあそんなところじゃないか。だがそれは隠蔽作業員のやつらが考えることだ。俺たちが考える必要は無い」
<br>「……おっしゃる通りです。失礼しました」
<br> ちょっと冷淡に言い過ぎただろうか。樋口の声が想像より沈んでいたため、浩司は付け足した。
<br>「樋口は隠蔽作業員を目指しているのか?」
<br> 少し躊躇するような間のあと、樋口は首肯した。ショートカットの髪が揺れる。
<br> 財団職員、常習者はAからEまでのクラスに分類されている。アルファベットが早いほど、安全で機密へのアクセス権も強い。樋口を含めた機動部隊員はDクラスで、浩司をはじめとする分隊長だけはCクラス職員だ。職員たちは、経験や貢献度、技能などに応じて、次のクラスへと昇格されていく。
<br>「分隊長はどうして機動部隊に残ったんですか? Cクラスだから、隠蔽作業員にもなれたのに」
<br> 当然だが、直接YGTと対峙する機動部隊員よりも、隠蔽作業員の方が安全である。そのため、ほとんどのCクラス職員は隠蔽作業員を志願する。しかし、浩司は違った。
<br>「ちょっと事情があってな。そういう樋口はどうして隠蔽作業員を志望してるんだ?」
<br>「ちょっと事情がありまして」
<br> そう言うと、樋口はふわりと微笑んだ。つられて浩司も唇をほころばせる。調査の結果、ロックイーターのオブジェクトクラスがKohinoorを脱さないだろうことがわかり、部隊の緊張が緩んでいたのだ。
<br>「さあ、報告書をよろしく頼んだぞ」
<br> 樋口は背を向け、崖下に建設された調査拠点へと、小走りに向かっていった。その拠点も、明日には引き払うことになるだろう。浩司は真っ暗な海に目を向けた。闇に隠れて水面はほぼ見えないが、規則正しい波音が海の存在を知らせてくる。浩司は昔から、夜の海が好きだった。理由はわからない。しかし、落ち着くようなノスタルジックになるような、なんとも形容し難い気持ちになるのが、心地よかった。
<br> 浩司は今年29歳、財団職員となって10年目だ。高卒直後に常習者となったため、勤続年数が長く、そのため20代でのCクラス入りという異例の出世を成し遂げている。対する樋口は27歳。年はほぼ同じなのに、階級の差のせいで堅苦しい話し方をされるのは、少し居心地が悪く思っている。
<br> 樋口小百合の仕事ぶりは上々だ。丁寧かつ迅速で、些細なことにもよく気づく。今年度上半期の昇級分隊長推薦は、彼女が妥当だろうな。彼女の夢が叶うのも、そう遠くない未来かもしれない。
<br> そんな思惟は、当の樋口の上擦った叫び声で途切れた。
<br>「分隊長! 那覇市街に外部存在が出現しました!」
 
分隊長の浩司と10の小隊の隊長全員、総勢11名が拠点の会議室に集まっていた。備えつけのスクリーンに、第十二分隊“さきがけ”の航空部隊が撮影している映像が映っている。市街地におけるHoeflerクラスのYGTの出現。前代未聞の一大事だ。いや、前例はあったか……?
 
スクリーンは3分割され、そのうち2つには上空から対象に接近するヘリコプターからの映像が、残りの1つは地上のエージェントからの映像が流れている。ヘリは対象から100メートルほど離れたところを旋回している。その対象、それは巨人だった。瓦礫の体に火花をまとった、首無し巨人。浩司は、いやこの部屋にいる全員は、その威容に圧倒されていた。巨人は鉄の腕を振り回して、ビルを殴る。その度に、ビルは揺れてコンクリートの破片が散っていく。その足元で、まるで蟻のように散り散りに逃げていく影が、人間であると気づいた時、浩司は戦慄した。
 
この緊急事態に、財団は最寄りの第十二分隊に接近調査を命じた。その航空部隊が、先遣隊として偵察に向かっている。第二十七分隊は、バックアップ部隊に指名された。今、隊員たちは出動準備を大わらわで進めている。
 
画面の中の巨人が伸び上がり、太い右腕をビルの屋上に振り下ろした。建物が限界を迎え、亀裂が入った屋上の一角が崩落した。それに続いて、ビル全体が大きく揺れた。あっという間もなく、ビルはふわりと視界から消え、代わりに灰色の煙がもうもうと上がってくる。わずかに遅れ、ドオォーンという轟音が聞こえてきた。室内の全員が、思わず息を呑んだ。なんて暴力、なんて脅威。
 
2機のヘリは、巨人から80メートルほどに接近していた。互いが巨人に対して反対側の位置にいる。画面越しに、ヘリの無線が聞こえてきた。雑音混ざりだが、浩司の耳は会話の断片を聞き取った。
<br>「──リ機関砲の使用を許可する」
<br>「コブラ・ワン了解、15ミリ機関砲準備」
<br>「コブラ・ツー了解、15ミリ機関砲準備」
<br>本部が、武器の使用を許諾したのだ。他の抑制方法を諦め、武力によってこの巨人を制圧するという選択。
<br>「撃ち方用意。……撃て!」
<br>バリバリバリという銃撃音が響き、巨人の肌の2カ所から細かい破片が舞う。巨人は変わらず近くのビルに体当たりをしていた。2機のヘリは、機関砲を正確に当て続けた。狙う場所を徐々にずらしていく。絶え間なく放たれる銃弾が首のあたりをえぐった時、巨人に変化が訪れた。身をよじり、弾を気にしたような素振りを見せたのだ。腕を振り回し、空を掻く。ヘリは細かく移動しながら、照準を首に合わせ続ける。効いている、と浩司は思った。巨人に攻撃が効いている、つまり無敵ではないということだ。物理攻撃が通るという事実が、浩司の心を休めた。
<br>「こちら本部。コブラ・ワン、コブラ・ツー、空対地ミサイルの使用を許可する」
<br>「コブラ・ワン了解、ミサイル発射用意」
<br>「コブラ・ツー了か……ん?」
 
その時だった。巨人が腕を伸ばし、掌をまっすぐヘリに向けた。
 
==8月13日20時40分、瑞慶覧雅登==
息を弾ませ、雅登は道を走っていた。後方からは、ビルが打たれる轟音が響いてくる。血でぬらつく両の手のひらを握り、車道をとにかく遠くへと駆ける。
 
振り返ると、黒々とした巨体が200メートルほど離れたところに、十分大きく見えた。地上では、大量の人が一方向に逃げていく。雅登もその中の一人だ。車道には、乗り捨てられた車がそこかしこに転がっている。それらを縫って走る群衆に、周りの家屋から出てきた人々が次々と加わっていく。祭りかと見紛うほどの人数が、そこにはいた。彼らの表情に、尋常でない恐怖と混乱が浮かんでいなければ。無秩序な悲鳴と遠い衝撃音が聞こえてこなければ。暴虐の化身の襲来に、群衆はパニックに陥っていた。
 
通勤鞄を持ったままのサラリーマン、ハイヒールを脱いで素足で走る女性、小さな子供をおぶっている母親……さまざまな人が、雅登と並んで走っている。モノレールの駅から脱した雅登は、大通りをそのまま走って逃げた。しかし、不運なことに、巨人の移動方向と逃げる方向が一致してしまった。追いつかれこそしていないものの、5分弱走り続けた割に、距離を稼げていない。
 
上空から、ヘリコプターの飛行音が響いてくる。自衛隊の軍用ヘリだろうか、ひょっとすると米軍のものかもしれない。まるで特撮映画みたいだ、なんて呑気とも言えることを雅登は思った。その時、ぎゃっという叫びが前方から聞こえた。目を向けると、転んだのか若い女の人が道路に倒れ込んだところだった。次の瞬間、後続の集団の無数の足が、彼女を踏み越えていき、くぐもった悲鳴が響いた。反射的に雅登は目を逸らした。前方に視線を固定し、女性が横たわっているであろう場所の脇を走り抜けていく。雅登は、振り返らなかった。体がこわばり、息が苦しくなる。でも、足を止めることはできなかった。乾いた目で、地面を凝視する。足に神経を集中させる。間違っても、躓いてしまわぬように。
 
耳をつんざくような轟音が後ろからしたのは、その時だった。はっと振り返ると、巨人の横のビルが、だるま落としのようにふっと下へ落ちるところだった。ドドドという音がし、火砕流のような粉塵が地上を高速で舐めてくるのが見えた。咄嗟に、雅登はリュックを捨て、群衆の列と垂直方向に走った。後続の人と次々に体がぶつかるが、どうにかバランスを保って走る。雅登が列から脱し、ビルの合間の路地に飛び込んだのと同時に、大通りを土煙が襲った。灰色の雲が一気に群衆を覆い、全く見えなくなる。いくつもの悲鳴が、煙の中から迸った。路地にも粉塵と細かい礫が舞い入ってくる。目に沁み、呼吸がしづらくなる。ハンカチで口を覆い、立ち上がった。必死に路地の向こうへと走る。
 
路地を抜けて一本向こうの道に出ると、目と喉の痛みはだいぶましになった。道幅は狭く、人影はない。さっきと同じ、巨人から離れる方へと駆け出した。息が切れ、なかなか足が動かない。こんなことなら、もっと体力をつけておくんだった。足が遅いから死ぬんだろうか。涙が出てきた。
 
ふと、そこらを満たす悲鳴の喧騒の奥に、バリバリという異質な音が聞こえるのに気づいた。これは、と走りながら巨人の方を振り仰ぐと、家並みの上に、軍用ヘリが見えた。機体の下に閃光が見える。巨人を撃っているのだ。いいぞ、そのまま引きつけていてくれ。そう切に祈った。
 
ヘリは巨人と少し離れたところにホバリングしている。軍が倒してくれるという安堵と、軍が相手しているということはただ事でないんだという恐怖が、同時に雅登の心に押し寄せる。その時、巨人が大きな右腕をヘリへと伸ばした。あのモノレールの車両を、さらに瓦礫が覆った、鉄とコンクリートの腕。しかし、ヘリに届く長さでは到底ない。
 
次の瞬間、ヘリがぎゅんと急発進した、ように見えた。機体のバランスが崩れ、錐揉み状態になる。だが、まっすぐ、巨人の掌に向かってすっ飛んでいく。あっという間もなく、ヘリは巨人の掌に激突、爆発した。わずかに遅れて、衝撃波が雅登の周りの空気を揺らす。ヘリの破片が散っていくのを、雅登は呆然と見ていた。いや、散っていない。一瞬舞い散るが、すぐに巨人の掌に吸い寄せられている。はっと気づいた。{{傍点|文章=引き寄せているのだ}}。巨人はヘリを、引き寄せたのだ。
 
いつの間にか、雅登の足は止まっていた。もう、体が限界だった。足がガクガクと震え、たまらずその場にへたりこむ。ぜえぜえと荒い息しかできない。でも、目は巨人の手から離せなかった。少し前に身を持って味わったあの重力。巨人は、それを自由に使えるのだ。まるっきり未知の能力に、既存の軍隊は太刀打ちできるのか? 急に背筋が寒くなった。
 
突然、シュウウッという空気を切り裂く音が、頭上から聞こえた。微かな航跡を残して何かが、巨人の胴にぶつかり、ドンと爆ぜた。一瞬、巨人が明るく照らされ、その体からいくつかの破片が落ちていくのが見えた。いつの間にか雅登の上方に来ていたヘリコプターから、ミサイルが発射されたのだった。
 
すぐにもう一発のミサイルが撃ち込まれる。それは正確に標的の方へ飛んでいき、今度は巨人の肩に着弾した。巨人は顕著に反応した。姿は見えないが虫の羽音が聞こえたときのように、盲滅法に腕を振り回す。みたびミサイルが巨人の鉄の皮膚を穿ち、巨人の恐慌はヒートアップした。
 
攻撃が効いている。そう喜ぶ余裕は、雅登には全く無かった。雅登の心中は、ヘリのパイロットへの怨嗟で満ちていた。なんだって俺の真上に陣取ったんだ、これじゃあ俺が巻き添えを食いかねないじゃないか。嫌な予感につき動かされ、雅登は立ち上がり、再び一目散に走り出した。巨人のいない方へ、道をまっすぐ逃げる。
 
ヘリは猛攻を加えていた。友機が撃墜された恨みも籠めてか、空対地ミサイルを絶え間なく発射し続ける。何せ的が大きい。巨人から300メートル離れていても、外れる攻撃は無かった。一発一発の威力は小さくとも、少しずつ少しずつ巨人の装甲を削ることができている。
 
それは、7発目のミサイルを発射したときだった。巨人の動きが止まった。ダメージを受けて動けなくなったのではない。巨人に顔はないのに、パイロットは視線に射すくめられるように感じた。ゆっくりと、巨人の左腕が上がっていく。
 
見つかった、と雅登は確信した。巨人は遂に、うるさい虫の姿を捉えたのだ。雅登は全力疾走しながら、首をねじ曲げて後ろを見ていた。巨人がヘリを見つけた。巨人の左腕が上がっていく。これは、まずい。ヘリもそれを察知したのだろう、ヘリが機首を上げ、後退しようとするが、それより早く巨人の掌がヘリを向いた。泣きそうになりながら、雅登は思った。だから言ったじゃないか。
 
グンッという音が聞こえた気がした。気がしただけで無音だったのだが、間違いなく、巨人が重力を発動したのだ。ヘリが、巨人の方にぐっと動く。しかし、ヘリは落ちていかなかった。機体を大きく傾け、機底を巨人に向け、平衡を保っていた。{{傍点|文章=下}}という方向の変化に、推力の方向を巧みに合わせたのだ。ヘリはほとんど真横になりながら、ホバリングしている。出力を上げたローターの轟音が、耳に刺さる。
 
雅登は心の中で、ヘリに向かって快哉を叫んだ。よくやった、頑張れ! ヘリからは100メートルほど離れたが、道がまっすぐだから、ヘリも巨人もよく見えた。もしかしたら、逃げ切れるかもしれない。
 
その瞬間、ヘリが巨人と反対方向に吹っ飛んだ。いや違う、巨人の重力がなくなったんだ、と雅登は瞬時に思い直した。引力を相殺するための推力が不要になり、放り出されたのだ。あたかも綱引きの最中に、相手が突然綱を離したかのように。ヘリは激しく回転して高度を下げてくる。ちょうど雅登の方へと。雅登の顔から血の気が引いた。だから、こっちに来るなって……。走るスピードを上げようとした途端、何かに激突し、胸をしたたかに打った。吐きそうになり、思わずアスファルトに倒れ込む。
 
後ろばかり見ていたのが仇となり、乗り捨てられた車にぶつかってしまったのだ。一瞬ののち雅登は空を見上げた。ヘリは体勢を整えていた。だいぶ高度は落ち、橇がしっかり見えるほどだったが。よかった、なんとか凌げた、と思った直後、雅登は巨人の動きに気づいた。
 
巨人の右腕の動きが、スローモーションのように見えた。後方からぐわあっと上がってきた右腕は、頭上にまっすぐ伸びていた。そのまま前方に振り下ろされてくる。これは、投球フォームだ。腕に遅れることコンマ数秒、右の掌に引かれた大量の瓦礫が猛スピードで射出された。こちら目がけて、まっすぐ。
 
「うわあぁぁああ」
<br>高速の瓦礫は、散弾のようにヘリを襲った。散弾の範囲は、動けない雅登の少しだけ上に広がっていた。唸りを上げて飛んできた無数のコンクリート片は、ヘリコプターと周りのビルや道路を砕いた。
 
ドガガガガと死の散弾が相次いで着弾し、雅登の後ろで石の煙が上がる。腰が抜けて、立つことができない。直後、上で爆発音がした。ヘリが胴から黒煙をあげ、激しく回転しながら落ちてくる。ヘリは最後の最後にバランスを崩し、50メートルほど先で、横倒しになって墜落した。その瞬間大きな爆発が起こり、外れたプロペラが火焔を切り裂いて道路を駆ける。巨大な回転刃は、猛スピードで雅登を襲った。雅登が横に飛び退いた瞬間、プロペラは一瞬前まで雅登が空間を裂き、車に深々と突き刺さった。プロペラに衝突された車は横転し、そして爆炎を上げた。雅登は爆風に吹っ飛ばされ、路面に転がった。炎の熱は頬を炙り、光は辺りを明るく照らしていた。
 
しばし雅登は呆然としていた。アスファルトにへたりこんだまま、どれほど放心していたかわからない。地面が大きく揺れ、雅登は我に返った。地響きの正体は、巨人の足音だった。こちらに向かって歩いてきている。黒い体に火をまとった巨体が、炎をあげるヘリの残骸の向こうに聳え立っているのが見えた。それが、ゆっくりと、しかし一歩ずつ、近づいてきている。
<br>「……もう許してくれよ」
<br>目から涙がこぼれた。
<br>「なんで、なんでこっちにくるんだよ。あっちいけよ。なんで……」
<br>逃げなくては。ふと、思い出した。ここから、あの巨人から、逃げなくては。雅登は震える足で、また立ち上がり、よたよたと走った。巨人が歩むたびに地面が揺れ、転びそうになる。道にはコンクリート片が散らばり、何度もそれに躓きそうになる。
 
嗚咽で息ができず、また倒れ込んだ。手の平が痛み、安里駅で負った傷を思い出した。ほんの数十分前の出来事のはずなのに、遥か昔のことのように思える。巨人の足音が、地獄の鐘の音に聞こえた。あれは、俺の死刑判決を知らせているんだ。逃げられないぞと、そう知らせてるんだ……。
 
絶望の中、雅登はゆっくりと振り返った。ほんの数十メートル先に、巨人はいた。また一歩、巨人は歩を進める。震動に体が跳ねる。あと数歩。もう少しで、俺はあいつに踏み潰される……。ふと、家族の姿が脳裏をよぎった。ホントなら今頃、俺は家に帰って晩飯を食べているはずなのに。母さんがご飯をよそってくれて、父さんはテレビのスポーツ中継を見ていて、妹は隅でスマホをいじっているはずなのに。なんで、なんでこんな目に遭ってるんだ? なんでだ? なんで……?
 
そのとき、思いも寄らぬことが起こった。巨人が、ぐらりと揺れたのだ。そのまま巨人は前に倒れていく。それだけではない。巨人を形作る瓦礫が、崩れ落ちていく。腕が外れ、派手な音を立てて落下する。倒れて接地した部分から、ガラガラと瓦礫が崩れていく。巨体を繋ぎ留めていた引力が、解除されたのだろうか。轟音を立てて巨人が倒れていく。
 
巨人は雅登に覆いかぶさるように、倒れてくる。雅登は飛び起き、逃げ出した。ここで、死んでたまるか。雅登は全力で走り、横に伸びている路地に飛び込んだ瞬間、巨人が地面に激突する大音響が響き渡った。
 
地面が激しく揺れ、土煙がもうもうと舞い上がり、雅登を包み込んだ。雅登は頭を抱えて地面に伏せ、じっとしていた。たっぷり5分は経っただろうか。土煙が晴れ、呼吸もしやすくなってから、雅登はおそるおそる身を起こした。体に積もった粉塵を払い、振り返った。巨人が倒れた道には、うずたかく瓦礫が堆積していた。とりあえず、急に動き出したりする気配はない。
 
すると、道の方から、若い女の声が聞こえた。それに続いて、男の声、それから赤ちゃんのぐずる声も。雅登は道の瓦礫の上に登り、周りを見回した。左、堆積した瓦礫の突端。その上で、一組の家族が固く抱き合っていた。泣きじゃくる赤ん坊を、母親と父親が両側から固く抱き締めている。巨人の崩落に巻き込まれるのを、辛くも免れたのだろうか。雅登は心が温まるのを感じ、そっと背を向けた。後ろでその母親が、「よかった、帰ってきてくれて」と涙まじりに言うのが聞こえた、ような気がする。
 
俺は助かったのだろうか? 路地を歩きながら、ぼんやりと雅登は考えた。虎口を脱したのだという実感が湧かない。今になって、体の各所が痛み始めた。ずっと逃げ続けたから、体も心もふらふらだ。路地を歩きながら、雅登は公衆電話を探そうと決意した。携帯は失くしてしまった。まずは、家族に無事を伝えよう。雅登は、瓦礫の少ない方へ、ゆっくりと歩いていった。
 
 
雅登が、あの家族が瓦礫の{{傍点|文章=上}}にいたことに疑問を持つのは、まだ先のことである。
 
{{誓いのスタブ|署名=[[利用者:Notorious|Notorious]] ([[利用者・トーク:Notorious|トーク]]) 3年1月23日 () 10:24 (JST)}}

3年1月23日 (黃) 10:24時点における版

WikiWiki

個野記事派このきじは個武手巣戸二死宇利死田記事コンテストにしょうりしたきじ
管理者かんりしゃ画位宇野駄化羅真血画位名位がいうのだからまちがいない個野記事尾差羅二このきじをさらに秀逸しゅういつ二出希流戸位宇野名羅にできるというのなら編集へんしゅう氏手未背名差位してみせなさい
和田氏派亜名田他血野個戸尾未手位流わたしはあなたたちのことをみている

吸巨化事件1号

吸巨化事件1号
場所 日本 沖縄県
日付 2028年8月13日〜14日
概要 1人の吸巨化能力者による無差別攻撃。

吸巨化事件1号とは、2028年8月13日〜14日にかけて沖縄県で起こった、世界初の吸巨化事件である。1人の吸巨化能力者が無差別攻撃を断続的に行い、多くの死者が出た。

この事件によって吸巨化能力者の存在が明るみに出た。この事件から数日後、吸巨化能力者による人類への攻撃が開始され、惨劇戦争が始まった。

吸巨化事件1号は、惨劇戦争の嚆矢となった事変であり、そのため惨闢と呼ばれることもある。

8月13日19時57分、神代晃平

小さい頃から、物を引き寄せられた。代々、神代家の男はこの力を持っていたらしい。

掌にぐっと力をこめると、物が見えない糸に引っ張られるように、すっ飛んでくる。

祖父は、机の上の皿をゴトゴトと引きずってくるくらいの力しか出せなかったが、俺は部屋の反対側の花瓶をひゅんと飛ばしてきてキャッチするくらいはできた。どうやら、代を重ねるごとに力は強まっているらしい。

生まれてから30年間、ずっとこの力は秘密にしてきた。しかし、この力──彼らが言うには「グラビティ」──を持つ者を探そうと思えば、案外あっさり見つかるものらしい。彼らは俺をグラビティ持ちと見抜いて、連絡してきた。そして今、俺は妻と1歳の息子を連れて、約束された場所──ここ沖縄──に来ている。

「葵、どうしたの?」
妻の椿が、ぐずる葵を抱いてあやしている。俺たちが何をしにここへ来たのか判っているから、葵はこんなに不機嫌なのだろうか。

午後8時。俺たちはホテルを探して那覇市街を歩き回っていた。数時間前に那覇空港に降り立ち、明朝の約束に向けて一泊だけすれば良かった。しかし、盆休みの国内有数の観光地、ホテルはどこも満杯で、もう2時間ほど歩きっぱなしだ。荷物は少ないとはいえ、流石に堪える。日も沈み、いよいよ本格的に暗くなってきた。

「椿、あそこに行ってみよう」
 ゆいレールの線路がある大通りから一本外れた小道に、民宿の看板が立っていた。俺は引き戸を開け、戸をくぐった。葵を抱いた椿も続く。中の狭いロビーには、先客の外国人グループがいた。タトゥーを入れた東洋人が3名。黙礼して、無人の受付のベルを鳴らす。椿は歩き疲れたのか、外国人たちが座るソファーの端に腰を下ろした。中から人が来る様子はまだ無い。

先客が屯しているし、やはり部屋は埋まっているのだろうか。東洋人たちは知らない言語で何事か喋っている。後ろで、ソファーから人が立ち上がる気配がした。俺が業を煮やして再度ベルを鳴らしたとき、背中に誰かがぶつかった。振り返ると、1人の外国人が出口へ歩いているところだった。引き戸を開けている。別の宿泊所を探すのだろうか。

その時、ふと嫌な予感がした。尻ポケットに手をやる。無い。入れていた財布が、無い。

──掏摸か!

外国人は、戸を閉めて出ていったところだった。取り返さねば。
「掏られた。葵を頼む」
 素早く伝えると、ポカンとしている椿を残し、走り出した。

ガラガラと戸を開け、薄闇に包まれた外へ走り出す。右に、外国人はいた。振り返っているそいつと目が合う。途端、そいつは走り出した。路駐された車の横を駆け、俺も急いで後を追う。掏摸の右手には、財布が。距離は、10mほど。辺りに掏摸以外の人影は無い。

いけるか。

俺は足を止め、右腕をまっすぐ突き出した。掏摸の右手に向けた掌に、力を込める。

──来い!

掏摸の右腕が、ぐんと後ろに引かれる。掏摸は驚いて振り返った。誰も手を引いていないことに、驚愕を隠せないでいる。だが、財布は手を離れていない。掏摸は引力を振り払い、後ろの俺を恐怖の目で見ながら、また走り出した。

もっと強く。俺は動かないまま、一層強く力を込めた。ただし、目標を少し遠くして。思い切り、引き寄せる。

ヒュッ。

掏摸が風切り音に前を向いた瞬間、飛んできたプランターが頭に直撃した。掏摸は昏倒し、今度は手から離れた財布が飛んでいく。俺はそれをパシリと掴み、ほっと息をついた。

どうにか、取り返すことができた。掏摸も、死んではいるまい。だが、暴れてしまったから、この民宿には泊まれないだろう。また別の場所を探さねば。重い気持ちになりながら、引き返そうとしたその時だった。

女の悲鳴が響き、同時に派手な音を立てて民宿の戸が開き、外国人が2人、飛び出てきた。そのうち1人の腕の中には、大声で泣いている赤ん坊。まさかあれは、葵?

彼らは道に駐まっている車に乗り込み、急発進してこっちに向かってくる。呆然としていた俺は、慌てて横に飛び退いた。車はギャリギャリと音を立て、倒れた掏摸を避けつつ通りへと走り去った。

「晃平さん! あ、葵が!」
 椿が出てきて、悲痛な叫びを上げる。葵は、攫われてしまった。掏摸に人攫いなんて、あの東洋人たち、堅気ではないと思っていたが……。しかし、そんなことはどうでもいい。

怒りが、満ちてきた。葵を取り返さないと……!

「は、早く警察に通報しないと……!」
「駄目だ、それじゃ間に合わない。椿、ここから離れろ」
「え?」
「葵を助ける」
「どうやって⁈」
「『だいだらぼっち』になる」

代々伝わる伝説に、「先祖が巨人だいだらぼっちになった」というものがある。桁外れの力を持っていた先祖が、大量の物を引き寄せて全身に纏い、巨人の体を形作ったという。椿は、神代家の能力を知っている。意図は伝わったようだ。

椿は、青ざめた顔で頷いた。今の俺の力の強さなら、おそらくできる。
「近くの、奥武山公園で待ち合わせよう」
「わかったわ」
俺は車が去った方向へと走り出した。椿は、反対方向へと走っていく。

椿を巻き込まぬよう、距離を取ってから力を発動しないと。だが葵を見失いかねないから、早くしなければ。大通りに駆け出た。煌びやかな明かりに包まれ、多くの人や車が行き交っている。

車線の位置からして、葵を連れ去った車は、国道330号線を北に走っているはずだ。巨人の歩幅になれば、追いつける。

ゴウッといってモノレールが頭上を通過していく。俺は両腕を真横に伸ばし、目を瞑り、掌に全神経を集中させた。

椿は、もう逃げただろうか。俺は、周りのすべてを思いっきり引き寄せた。

8月13日20時23分、瑞慶覧雅登

ゴト、コトト。高校2年生の雅登を乗せたモノレールが、軌道を走っていく。雅登は、吊り革を掴んで単語帳を見ていた。学校から塾に行った帰り、そろそろ降りるべき安里駅に着く。到着メロディーが流れ初め、雅登は単語帳をリュックにしまった。

車両が減速していく。雅登は扉の前に移動した。時間が遅いこともあって、乗客は多くはない。モノレールは、キィッと音を立てて安里駅に停車した。軽快な電子音とともに、ドアがプシューと開く。雅登は右足をホームに下ろした──その時だった。

左足が、床ごとズルッと横に動いた。
「うおっ」
小さく叫んで、慌ててホームに飛び出た。ちょっとふらついてたたらを踏む。見ると、モノレールがずるずると動き出していた。扉を開けたまま出発するとは何事だ、危ないじゃないか。──と、体がバランスを失い、雅登は左にバタリと倒れた。

え? 何があった? 引き倒されたのか? いや、引っ張られた?

その時、ようやく遠くから聞こえてくる異音に気がついた。メキメキ、ギギギ。乗ってきたモノレールは、速度を上げつつあった。そして、雅登の体も、ズルズルと引きずられていく。何にも、触れられていないのに。

 何だ? 何が起こっている?

謎の引力は、ますます強くなっていく。雅登は勢いよくホームの床を滑り、端のガラス壁にぶつかった。ホームにいた数人の客は、階段や自販機にしがみついている。下の通りでは、どちらの車線の車も、一方向に走っていく。激しく横転しながら転がっていくものもある。その先を見ようとした時、悲鳴が聞こえた。モノレールが、ここから100mほど先のカーブで止まっていた。そして、カーブの外側に向かって大きく傾いている。

直後、遂に車両が限界を迎えた。黒い破片が散り、2両編成のモノレールが、線路の外へと転げ落ちた。──いや、落ちていない。車両は破片もろとも、真横の何かに猛スピードで激突した。破片が、散ることなく何かの表面にへばりつく。まるで、そこが地面であるかのように。地球の引力など存在していないように。

雅登は、やっと引力の中心である何かに目を向けた。巨人、だった。夜闇をバックに、黒々と聳え立つ巨人。それに、次々と物がぶつかっていく。ガラス、看板、車……あらゆるものが、全方位から巨人に落ちていく

すぐ近くで叫び声が聞こえたかと思うと、階段の壁に掴まっていたサラリーマンが、雅登の横に落ちてきた。ガラスに激突し、ヒビが入る。雅登自身も、痛いほどガラスに押しつけられていた。これは、重力だ。もはや、下は地球の中心を意味しない。この薄いガラスの壁が破れれば、100m先の巨人に落ちて死ぬ。

重力に逆らい首を上に向けると、ホームの反対側の端にある自販機の基部に掴まったOLが、宙吊りになっていた。体は床と平行に伸び、足先がまっすぐこっちを向いている。ヒビの入ったガラスが、たっぷり位置エネルギーを持った人一人の落下に耐えられるとは到底思えない。

しかし、希望はありそうだ。OLは恐怖に顔を歪めてはいるが、握力はあるらしい。まだ、彼女の落下には間がある。その前に、重力の方向の変化に対応し、安全な場所に移動すれば……。

その瞬間、駅がガクンと揺れた。ガラスが撓み、弾け飛んだ。雅登の体が再度落ちる。咄嗟に金属の枠を掴み、次の瞬間、肩に衝撃が走った。歯を食いしばり、細い枠を握りしめる。サラリーマンは、枠を掴めなかった。一瞬で、彼の姿が小さく見えなくなった。

時間がゆっくり感じられた。思考が駆け巡った。モノレールの駅は、耐震設計とはいえ、継続する強烈な真横向きの力に耐えられるわけがない。どこかの柱が折れでもしたのだろう。さっきの揺れはそれだ。そして……。雅登はとてつもなく重い首を持ち上げた。あのOLが、この衝撃に耐えられるわけがない。

思った通り、OLはこっちへ落ちてきていた。雅登には、それがひどくゆっくりに見えた。この細い鉄枠と自分の握力も、彼女の落下に耐えられるとは思えない。

死ぬんだな。雅登は、そう感じた。次の瞬間、ひどい痛みが神経を駆けた。


──ぐりんと視界が回転し、体が軽くなった。両掌に焼けるような痛みが走り、思わず手を開こうとしたが、すんでのところで踏みとどまった。背中が壁にぶつかる感触が、リュックごしに伝わってくる。

 何が、起こった?

目線の先に、巨人が見えた。三半規管や全身の感覚器官をフル動員し、ようやく気づいた。

巨人の重力が消えている

さっきまであったビリビリと引かれる感覚が、消え失せている。そして、体はいつも通り、地表へとぶら下がっている。未だ、自分は危険な状態にあるのだ。掴んでいるのは、細い鉄枠。正面には、闇の中の巨人。10mほど真下には、派手に車が転がっている道路。雅登は、駅の外壁にぶら下がっていた。

「大丈夫⁈」

OLが、上から手を伸ばしてくれた。彼女が駅の外へ落ちる前に、巨人の重力が消えた。だから、ぎりぎりホームにとどまれたのだろう。OLは、雅登の脇に手を差し込み、体を引き上げた。なんとかホームに上がり、雅登は荒い息を整えようとした。

ガラスの破片が付いた鉄枠に全体重をかけ、更にひねりまで加えたから、両の掌はズタズタになって血塗れだった。しかし、それ以外に目立った外傷はない。命が助かったことに比べれば、こんな怪我くらいなんでもない。

「お姉さん先に逃げてるからね、ぼくも早く逃げるのよ?」

そういうと、OLは階段を駆け降りていった。そうだ、まだ助かったとは限らない。雅登は後ろを振り返った。巨人は変わらず聳え立っていた。重力は消えたのに、体は崩れていない。吸引をやめただけで、体を構成するパーツへの重力は保っているのかもしれない。その時、血の気が引いた。

巨人が動いた

見間違いか? いや、確かに、動いている。この時、雅登は初めて巨人の細部を観察した。巨人は長い腕と太い胴、同じくらい太い脚があり、人の頭に当たる部分はない。まるで首を斬られたようだ。車やビルから飛んできたであろう事務用品、看板、タンク……。大量のものがモザイク画のように集まり、20mほどの巨体を形作っている。連結部分が引きちぎれたモノレールの車両2つが両腕の骨となり、それをさらにたくさんのものが覆っている。脚は、主に潰れた車からなる塊だ。ガソリンに火がついたのか、ちらちらと炎が覗いている。胴には電線が巻きつき、青い火花が散っていた。鬼神。そんな言葉が浮かんだ。

そして、その腕がゆっくりと上がってきている。雅登は、ホームにへたり込んだまま、巨人を見つめていた。腕が地面と並行にまで上がったとき、唐突に腕が横に走った。轟音とともに、ビルが砕け、コンクリートの欠片が散る。わずかに遅れてホームが揺れる。そこで、雅登は我に返った。巨人は、破壊行為をしている。ここは、危険だ。慌てて立ち上がると、雅登は断続的に襲ってくる揺れに怯えながら、階段を下りていった。

8月13日20時32分 城島浩司

YGT-081-“ロックイーター”の調査は順調に進んでいた。沖縄県糸満市に位置する、沖縄本島最南端の喜屋武岬。波打ち際より少し陸側に、礁池が広がっている。ここの方言では「イノー」というらしい。

日は沈んだが、そこかしこに設置された投光器によって、岩の地面は明るく照らされていた。埋め立て工事前の調査という名目で、YGT財団機動部隊第二十七分隊“ルック・ハイ”は派遣されていた。その真の目的は、半径10メートルもの岩をくり抜く、ロックイーターの調査。このYGTは最近発見されたばかりで、どのような形態をしているのか、そもそも実体があるのかすらわかっていない。だからこそ、この調査は意義がある。“ルック・ハイ”分隊長・城島浩司は、そう考えていた。

第一小隊長の樋口小百合が、資料が挟まれたバインダー片手に駆け寄ってきた。
「分隊長、超音波探査が完了しました。向こうの旗が立っている地点の直下12.08メートル地点を中心に、半径9.66メートルの完全な球の岩がくり抜かれています」
「半径は今まで発見された穴のそれと一致するな」
「はい。崩落の危険性は、当座は無いようです」
「よし。至急報告書をまとめろ。日付が変わらないうちに、本部に送付するんだ」
「了解です。……カバーストーリーはどうなるんでしょうかね。やっぱりシンクホールとかでしょうか」
 樋口が職務範囲を逸脱する話をすることは今まで無かったから、浩司はちょっと驚いた。
「まあそんなところじゃないか。だがそれは隠蔽作業員のやつらが考えることだ。俺たちが考える必要は無い」
「……おっしゃる通りです。失礼しました」
 ちょっと冷淡に言い過ぎただろうか。樋口の声が想像より沈んでいたため、浩司は付け足した。
「樋口は隠蔽作業員を目指しているのか?」
 少し躊躇するような間のあと、樋口は首肯した。ショートカットの髪が揺れる。
 財団職員、常習者はAからEまでのクラスに分類されている。アルファベットが早いほど、安全で機密へのアクセス権も強い。樋口を含めた機動部隊員はDクラスで、浩司をはじめとする分隊長だけはCクラス職員だ。職員たちは、経験や貢献度、技能などに応じて、次のクラスへと昇格されていく。
「分隊長はどうして機動部隊に残ったんですか? Cクラスだから、隠蔽作業員にもなれたのに」
 当然だが、直接YGTと対峙する機動部隊員よりも、隠蔽作業員の方が安全である。そのため、ほとんどのCクラス職員は隠蔽作業員を志願する。しかし、浩司は違った。
「ちょっと事情があってな。そういう樋口はどうして隠蔽作業員を志望してるんだ?」
「ちょっと事情がありまして」
 そう言うと、樋口はふわりと微笑んだ。つられて浩司も唇をほころばせる。調査の結果、ロックイーターのオブジェクトクラスがKohinoorを脱さないだろうことがわかり、部隊の緊張が緩んでいたのだ。
「さあ、報告書をよろしく頼んだぞ」
 樋口は背を向け、崖下に建設された調査拠点へと、小走りに向かっていった。その拠点も、明日には引き払うことになるだろう。浩司は真っ暗な海に目を向けた。闇に隠れて水面はほぼ見えないが、規則正しい波音が海の存在を知らせてくる。浩司は昔から、夜の海が好きだった。理由はわからない。しかし、落ち着くようなノスタルジックになるような、なんとも形容し難い気持ちになるのが、心地よかった。
 浩司は今年29歳、財団職員となって10年目だ。高卒直後に常習者となったため、勤続年数が長く、そのため20代でのCクラス入りという異例の出世を成し遂げている。対する樋口は27歳。年はほぼ同じなのに、階級の差のせいで堅苦しい話し方をされるのは、少し居心地が悪く思っている。
 樋口小百合の仕事ぶりは上々だ。丁寧かつ迅速で、些細なことにもよく気づく。今年度上半期の昇級分隊長推薦は、彼女が妥当だろうな。彼女の夢が叶うのも、そう遠くない未来かもしれない。
 そんな思惟は、当の樋口の上擦った叫び声で途切れた。
「分隊長! 那覇市街に外部存在が出現しました!」

分隊長の浩司と10の小隊の隊長全員、総勢11名が拠点の会議室に集まっていた。備えつけのスクリーンに、第十二分隊“さきがけ”の航空部隊が撮影している映像が映っている。市街地におけるHoeflerクラスのYGTの出現。前代未聞の一大事だ。いや、前例はあったか……?

スクリーンは3分割され、そのうち2つには上空から対象に接近するヘリコプターからの映像が、残りの1つは地上のエージェントからの映像が流れている。ヘリは対象から100メートルほど離れたところを旋回している。その対象、それは巨人だった。瓦礫の体に火花をまとった、首無し巨人。浩司は、いやこの部屋にいる全員は、その威容に圧倒されていた。巨人は鉄の腕を振り回して、ビルを殴る。その度に、ビルは揺れてコンクリートの破片が散っていく。その足元で、まるで蟻のように散り散りに逃げていく影が、人間であると気づいた時、浩司は戦慄した。

この緊急事態に、財団は最寄りの第十二分隊に接近調査を命じた。その航空部隊が、先遣隊として偵察に向かっている。第二十七分隊は、バックアップ部隊に指名された。今、隊員たちは出動準備を大わらわで進めている。

画面の中の巨人が伸び上がり、太い右腕をビルの屋上に振り下ろした。建物が限界を迎え、亀裂が入った屋上の一角が崩落した。それに続いて、ビル全体が大きく揺れた。あっという間もなく、ビルはふわりと視界から消え、代わりに灰色の煙がもうもうと上がってくる。わずかに遅れ、ドオォーンという轟音が聞こえてきた。室内の全員が、思わず息を呑んだ。なんて暴力、なんて脅威。

2機のヘリは、巨人から80メートルほどに接近していた。互いが巨人に対して反対側の位置にいる。画面越しに、ヘリの無線が聞こえてきた。雑音混ざりだが、浩司の耳は会話の断片を聞き取った。
「──リ機関砲の使用を許可する」
「コブラ・ワン了解、15ミリ機関砲準備」
「コブラ・ツー了解、15ミリ機関砲準備」
本部が、武器の使用を許諾したのだ。他の抑制方法を諦め、武力によってこの巨人を制圧するという選択。
「撃ち方用意。……撃て!」
バリバリバリという銃撃音が響き、巨人の肌の2カ所から細かい破片が舞う。巨人は変わらず近くのビルに体当たりをしていた。2機のヘリは、機関砲を正確に当て続けた。狙う場所を徐々にずらしていく。絶え間なく放たれる銃弾が首のあたりをえぐった時、巨人に変化が訪れた。身をよじり、弾を気にしたような素振りを見せたのだ。腕を振り回し、空を掻く。ヘリは細かく移動しながら、照準を首に合わせ続ける。効いている、と浩司は思った。巨人に攻撃が効いている、つまり無敵ではないということだ。物理攻撃が通るという事実が、浩司の心を休めた。
「こちら本部。コブラ・ワン、コブラ・ツー、空対地ミサイルの使用を許可する」
「コブラ・ワン了解、ミサイル発射用意」
「コブラ・ツー了か……ん?」

その時だった。巨人が腕を伸ばし、掌をまっすぐヘリに向けた。

8月13日20時40分、瑞慶覧雅登

息を弾ませ、雅登は道を走っていた。後方からは、ビルが打たれる轟音が響いてくる。血でぬらつく両の手のひらを握り、車道をとにかく遠くへと駆ける。

振り返ると、黒々とした巨体が200メートルほど離れたところに、十分大きく見えた。地上では、大量の人が一方向に逃げていく。雅登もその中の一人だ。車道には、乗り捨てられた車がそこかしこに転がっている。それらを縫って走る群衆に、周りの家屋から出てきた人々が次々と加わっていく。祭りかと見紛うほどの人数が、そこにはいた。彼らの表情に、尋常でない恐怖と混乱が浮かんでいなければ。無秩序な悲鳴と遠い衝撃音が聞こえてこなければ。暴虐の化身の襲来に、群衆はパニックに陥っていた。

通勤鞄を持ったままのサラリーマン、ハイヒールを脱いで素足で走る女性、小さな子供をおぶっている母親……さまざまな人が、雅登と並んで走っている。モノレールの駅から脱した雅登は、大通りをそのまま走って逃げた。しかし、不運なことに、巨人の移動方向と逃げる方向が一致してしまった。追いつかれこそしていないものの、5分弱走り続けた割に、距離を稼げていない。

上空から、ヘリコプターの飛行音が響いてくる。自衛隊の軍用ヘリだろうか、ひょっとすると米軍のものかもしれない。まるで特撮映画みたいだ、なんて呑気とも言えることを雅登は思った。その時、ぎゃっという叫びが前方から聞こえた。目を向けると、転んだのか若い女の人が道路に倒れ込んだところだった。次の瞬間、後続の集団の無数の足が、彼女を踏み越えていき、くぐもった悲鳴が響いた。反射的に雅登は目を逸らした。前方に視線を固定し、女性が横たわっているであろう場所の脇を走り抜けていく。雅登は、振り返らなかった。体がこわばり、息が苦しくなる。でも、足を止めることはできなかった。乾いた目で、地面を凝視する。足に神経を集中させる。間違っても、躓いてしまわぬように。

耳をつんざくような轟音が後ろからしたのは、その時だった。はっと振り返ると、巨人の横のビルが、だるま落としのようにふっと下へ落ちるところだった。ドドドという音がし、火砕流のような粉塵が地上を高速で舐めてくるのが見えた。咄嗟に、雅登はリュックを捨て、群衆の列と垂直方向に走った。後続の人と次々に体がぶつかるが、どうにかバランスを保って走る。雅登が列から脱し、ビルの合間の路地に飛び込んだのと同時に、大通りを土煙が襲った。灰色の雲が一気に群衆を覆い、全く見えなくなる。いくつもの悲鳴が、煙の中から迸った。路地にも粉塵と細かい礫が舞い入ってくる。目に沁み、呼吸がしづらくなる。ハンカチで口を覆い、立ち上がった。必死に路地の向こうへと走る。

路地を抜けて一本向こうの道に出ると、目と喉の痛みはだいぶましになった。道幅は狭く、人影はない。さっきと同じ、巨人から離れる方へと駆け出した。息が切れ、なかなか足が動かない。こんなことなら、もっと体力をつけておくんだった。足が遅いから死ぬんだろうか。涙が出てきた。

ふと、そこらを満たす悲鳴の喧騒の奥に、バリバリという異質な音が聞こえるのに気づいた。これは、と走りながら巨人の方を振り仰ぐと、家並みの上に、軍用ヘリが見えた。機体の下に閃光が見える。巨人を撃っているのだ。いいぞ、そのまま引きつけていてくれ。そう切に祈った。

ヘリは巨人と少し離れたところにホバリングしている。軍が倒してくれるという安堵と、軍が相手しているということはただ事でないんだという恐怖が、同時に雅登の心に押し寄せる。その時、巨人が大きな右腕をヘリへと伸ばした。あのモノレールの車両を、さらに瓦礫が覆った、鉄とコンクリートの腕。しかし、ヘリに届く長さでは到底ない。

次の瞬間、ヘリがぎゅんと急発進した、ように見えた。機体のバランスが崩れ、錐揉み状態になる。だが、まっすぐ、巨人の掌に向かってすっ飛んでいく。あっという間もなく、ヘリは巨人の掌に激突、爆発した。わずかに遅れて、衝撃波が雅登の周りの空気を揺らす。ヘリの破片が散っていくのを、雅登は呆然と見ていた。いや、散っていない。一瞬舞い散るが、すぐに巨人の掌に吸い寄せられている。はっと気づいた。引き寄せているのだ。巨人はヘリを、引き寄せたのだ。

いつの間にか、雅登の足は止まっていた。もう、体が限界だった。足がガクガクと震え、たまらずその場にへたりこむ。ぜえぜえと荒い息しかできない。でも、目は巨人の手から離せなかった。少し前に身を持って味わったあの重力。巨人は、それを自由に使えるのだ。まるっきり未知の能力に、既存の軍隊は太刀打ちできるのか? 急に背筋が寒くなった。

突然、シュウウッという空気を切り裂く音が、頭上から聞こえた。微かな航跡を残して何かが、巨人の胴にぶつかり、ドンと爆ぜた。一瞬、巨人が明るく照らされ、その体からいくつかの破片が落ちていくのが見えた。いつの間にか雅登の上方に来ていたヘリコプターから、ミサイルが発射されたのだった。

すぐにもう一発のミサイルが撃ち込まれる。それは正確に標的の方へ飛んでいき、今度は巨人の肩に着弾した。巨人は顕著に反応した。姿は見えないが虫の羽音が聞こえたときのように、盲滅法に腕を振り回す。みたびミサイルが巨人の鉄の皮膚を穿ち、巨人の恐慌はヒートアップした。

攻撃が効いている。そう喜ぶ余裕は、雅登には全く無かった。雅登の心中は、ヘリのパイロットへの怨嗟で満ちていた。なんだって俺の真上に陣取ったんだ、これじゃあ俺が巻き添えを食いかねないじゃないか。嫌な予感につき動かされ、雅登は立ち上がり、再び一目散に走り出した。巨人のいない方へ、道をまっすぐ逃げる。

ヘリは猛攻を加えていた。友機が撃墜された恨みも籠めてか、空対地ミサイルを絶え間なく発射し続ける。何せ的が大きい。巨人から300メートル離れていても、外れる攻撃は無かった。一発一発の威力は小さくとも、少しずつ少しずつ巨人の装甲を削ることができている。

それは、7発目のミサイルを発射したときだった。巨人の動きが止まった。ダメージを受けて動けなくなったのではない。巨人に顔はないのに、パイロットは視線に射すくめられるように感じた。ゆっくりと、巨人の左腕が上がっていく。

見つかった、と雅登は確信した。巨人は遂に、うるさい虫の姿を捉えたのだ。雅登は全力疾走しながら、首をねじ曲げて後ろを見ていた。巨人がヘリを見つけた。巨人の左腕が上がっていく。これは、まずい。ヘリもそれを察知したのだろう、ヘリが機首を上げ、後退しようとするが、それより早く巨人の掌がヘリを向いた。泣きそうになりながら、雅登は思った。だから言ったじゃないか。

グンッという音が聞こえた気がした。気がしただけで無音だったのだが、間違いなく、巨人が重力を発動したのだ。ヘリが、巨人の方にぐっと動く。しかし、ヘリは落ちていかなかった。機体を大きく傾け、機底を巨人に向け、平衡を保っていた。という方向の変化に、推力の方向を巧みに合わせたのだ。ヘリはほとんど真横になりながら、ホバリングしている。出力を上げたローターの轟音が、耳に刺さる。

雅登は心の中で、ヘリに向かって快哉を叫んだ。よくやった、頑張れ! ヘリからは100メートルほど離れたが、道がまっすぐだから、ヘリも巨人もよく見えた。もしかしたら、逃げ切れるかもしれない。

その瞬間、ヘリが巨人と反対方向に吹っ飛んだ。いや違う、巨人の重力がなくなったんだ、と雅登は瞬時に思い直した。引力を相殺するための推力が不要になり、放り出されたのだ。あたかも綱引きの最中に、相手が突然綱を離したかのように。ヘリは激しく回転して高度を下げてくる。ちょうど雅登の方へと。雅登の顔から血の気が引いた。だから、こっちに来るなって……。走るスピードを上げようとした途端、何かに激突し、胸をしたたかに打った。吐きそうになり、思わずアスファルトに倒れ込む。

後ろばかり見ていたのが仇となり、乗り捨てられた車にぶつかってしまったのだ。一瞬ののち雅登は空を見上げた。ヘリは体勢を整えていた。だいぶ高度は落ち、橇がしっかり見えるほどだったが。よかった、なんとか凌げた、と思った直後、雅登は巨人の動きに気づいた。

巨人の右腕の動きが、スローモーションのように見えた。後方からぐわあっと上がってきた右腕は、頭上にまっすぐ伸びていた。そのまま前方に振り下ろされてくる。これは、投球フォームだ。腕に遅れることコンマ数秒、右の掌に引かれた大量の瓦礫が猛スピードで射出された。こちら目がけて、まっすぐ。

「うわあぁぁああ」
高速の瓦礫は、散弾のようにヘリを襲った。散弾の範囲は、動けない雅登の少しだけ上に広がっていた。唸りを上げて飛んできた無数のコンクリート片は、ヘリコプターと周りのビルや道路を砕いた。

ドガガガガと死の散弾が相次いで着弾し、雅登の後ろで石の煙が上がる。腰が抜けて、立つことができない。直後、上で爆発音がした。ヘリが胴から黒煙をあげ、激しく回転しながら落ちてくる。ヘリは最後の最後にバランスを崩し、50メートルほど先で、横倒しになって墜落した。その瞬間大きな爆発が起こり、外れたプロペラが火焔を切り裂いて道路を駆ける。巨大な回転刃は、猛スピードで雅登を襲った。雅登が横に飛び退いた瞬間、プロペラは一瞬前まで雅登が空間を裂き、車に深々と突き刺さった。プロペラに衝突された車は横転し、そして爆炎を上げた。雅登は爆風に吹っ飛ばされ、路面に転がった。炎の熱は頬を炙り、光は辺りを明るく照らしていた。

しばし雅登は呆然としていた。アスファルトにへたりこんだまま、どれほど放心していたかわからない。地面が大きく揺れ、雅登は我に返った。地響きの正体は、巨人の足音だった。こちらに向かって歩いてきている。黒い体に火をまとった巨体が、炎をあげるヘリの残骸の向こうに聳え立っているのが見えた。それが、ゆっくりと、しかし一歩ずつ、近づいてきている。
「……もう許してくれよ」
目から涙がこぼれた。
「なんで、なんでこっちにくるんだよ。あっちいけよ。なんで……」
逃げなくては。ふと、思い出した。ここから、あの巨人から、逃げなくては。雅登は震える足で、また立ち上がり、よたよたと走った。巨人が歩むたびに地面が揺れ、転びそうになる。道にはコンクリート片が散らばり、何度もそれに躓きそうになる。

嗚咽で息ができず、また倒れ込んだ。手の平が痛み、安里駅で負った傷を思い出した。ほんの数十分前の出来事のはずなのに、遥か昔のことのように思える。巨人の足音が、地獄の鐘の音に聞こえた。あれは、俺の死刑判決を知らせているんだ。逃げられないぞと、そう知らせてるんだ……。

絶望の中、雅登はゆっくりと振り返った。ほんの数十メートル先に、巨人はいた。また一歩、巨人は歩を進める。震動に体が跳ねる。あと数歩。もう少しで、俺はあいつに踏み潰される……。ふと、家族の姿が脳裏をよぎった。ホントなら今頃、俺は家に帰って晩飯を食べているはずなのに。母さんがご飯をよそってくれて、父さんはテレビのスポーツ中継を見ていて、妹は隅でスマホをいじっているはずなのに。なんで、なんでこんな目に遭ってるんだ? なんでだ? なんで……?

そのとき、思いも寄らぬことが起こった。巨人が、ぐらりと揺れたのだ。そのまま巨人は前に倒れていく。それだけではない。巨人を形作る瓦礫が、崩れ落ちていく。腕が外れ、派手な音を立てて落下する。倒れて接地した部分から、ガラガラと瓦礫が崩れていく。巨体を繋ぎ留めていた引力が、解除されたのだろうか。轟音を立てて巨人が倒れていく。

巨人は雅登に覆いかぶさるように、倒れてくる。雅登は飛び起き、逃げ出した。ここで、死んでたまるか。雅登は全力で走り、横に伸びている路地に飛び込んだ瞬間、巨人が地面に激突する大音響が響き渡った。

地面が激しく揺れ、土煙がもうもうと舞い上がり、雅登を包み込んだ。雅登は頭を抱えて地面に伏せ、じっとしていた。たっぷり5分は経っただろうか。土煙が晴れ、呼吸もしやすくなってから、雅登はおそるおそる身を起こした。体に積もった粉塵を払い、振り返った。巨人が倒れた道には、うずたかく瓦礫が堆積していた。とりあえず、急に動き出したりする気配はない。

すると、道の方から、若い女の声が聞こえた。それに続いて、男の声、それから赤ちゃんのぐずる声も。雅登は道の瓦礫の上に登り、周りを見回した。左、堆積した瓦礫の突端。その上で、一組の家族が固く抱き合っていた。泣きじゃくる赤ん坊を、母親と父親が両側から固く抱き締めている。巨人の崩落に巻き込まれるのを、辛くも免れたのだろうか。雅登は心が温まるのを感じ、そっと背を向けた。後ろでその母親が、「よかった、帰ってきてくれて」と涙まじりに言うのが聞こえた、ような気がする。

俺は助かったのだろうか? 路地を歩きながら、ぼんやりと雅登は考えた。虎口を脱したのだという実感が湧かない。今になって、体の各所が痛み始めた。ずっと逃げ続けたから、体も心もふらふらだ。路地を歩きながら、雅登は公衆電話を探そうと決意した。携帯は失くしてしまった。まずは、家族に無事を伝えよう。雅登は、瓦礫の少ない方へ、ゆっくりと歩いていった。


雅登が、あの家族が瓦礫のにいたことに疑問を持つのは、まだ先のことである。

この項目は、すくなくとも今は書きかけの項目ですが、私は後にこの記事を書きあげることを誓います。
署名:Notorious (トーク) 3年1月23日 (黃) 10:24 (JST)