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'''10月の真実'''とは、「10月事件」についての様々な仮説の総称である。
===2014年5月号掲載「奇妙な儀式と未解決事件……9年前に消えた謎のカルトを追え!」===
==10月事件==
{{基礎情報_事件・事故|名称=10月事件|日付=77周46.52度(旧暦:2457年5月22日)|場所=不明|行方不明者=1人|概要=「10月」の調査に赴いた宇宙飛行士の失踪}}
10月事件は、惑星「10月」<ref>固着の知的生命体を有する惑星の呼称の慣例に従い、「人間が発見した10番目の文明惑星」として、旧暦において使われていた「月("month")」の概念の借用のもとに命名されたもの。この方式で、現在「15月」までが名づけられている。</ref>の第2次調査へと向かった宇宙飛行士11110番が謎の失踪を遂げた事件である。


その経緯の不可解さ・不明瞭さから、この事件には長きにわたって様々な説が唱えられており、未だ真相の解明には至っていない。
 先日の「瀬戸内海の人魚伝説」の調査も終わり、一息ついた「となりのオカルト調査隊」。そんな我々の元に、新しい調査依頼が舞い込んだ。依頼人は、神奈川県某所在住の白坂憲二氏(74歳男性・仮名)である。
===宇宙往還機の反応喪失===
事件の嚆矢となったのは、46.25度における11110番が搭乗していた自動操縦宇宙機の通信能力の喪失であった。


太陽風の影響や、宇宙生命体の攻撃<ref>実際、地球から「10月」に至る航路には、ここを行くうえでその食害を全く受けないのは不可能に近いというほど特に多くのホシクズムシが集中して分布しており、最悪の場合、これによって宇宙船の外装が食い破られることもある。</ref>、はたまた11110番の故意など、これには様々な原因が考えられているが、当時の整備記録などの情報から、近年の専門家の意見では「単なる制御装置の故障」として一致している。
「私は、息子夫婦が入会していたある『団体』のことを調べてもらいたいんです」


===惑星への不時着===
 白坂氏は、調査隊を自宅に招き、こう語った。彼の深い皺には、往年の苦労が刻まれているようだ。
暫くして、46.36度時点、宇宙機の反応は復帰し、11110番との意思の疎通も回復した。しかし、装置の故障のためか、位置情報の通信だけが不可能になっていた。<ref>このため実際には、11110番の所在はこの事件の中でずっと不明なままである。</ref>


11110番の報告によれば、機体はちょうどこのとき何らかの惑星に不時着していて、その衝撃で制御システムが復旧した可能性があるとのことであった。
「私たちは、それは仲のいい家族でしたよ。私と女房、それに一人息子の三人で、笑顔の絶えない家庭だった。やがて息子が結婚し、実家を出ていくと、少し寂しくなりましたけどね、時々孫のアヤカを連れて遊びに来るんです。それがもう、お爺ちゃんとお婆ちゃんには嬉しくてたまらないんですよ。アヤカはよく懐いてくれました。おもちゃも沢山買ってあげましたよ。お嫁さんもいい人でねえ、うちの女房と会ったその日から友達みたいに仲良くなって。こんな幸せがずっと続くと思っていた。……しかし、そうはならなかったんです」


その後、46.38度には、再び11110番からの報告が届いた。その内容は概ね以下の通りだった。
 調査隊も、重い空気を感じ取った。白坂氏は、固く拳を握りしめて続ける。


*11110番が不時着した場所は固着の生物のコロニーの近辺であった。
「忘れもしない、11年前のことです。一家で夏祭りに行った日だった。アヤカはもう九歳になっていました。花火を見たり、出店で遊んだりして、夜も遅いしそろそろ帰ろうか、となった時、アヤカがトイレに行きたいと言い出したんです。ちょうど私の女房もトイレをしたかったから、息子夫婦が車を取りに駐車場に行く間に、私と女房でアヤカをトイレに連れて行くことになりました。私は女子トイレの前のベンチで待っていましたよ。するとね、女房が真っ青な顔で出てきて、『アヤカがいない!』と言ったんです。
*その生物は高度な知能を持っており、友好的で、かつ簡単な地球語<ref>第二次冷戦以後に再制定された方のものであった。</ref>を話せた。
*彼らにここはどこかと尋ねると、土をなぞって(地球語で)「10月」と書き記した。
*このような彼らの反応から、少なくともこの惑星は人間の訪問を受けたことがあると考えられ、そのときに地球語等を教わっていたと考えると、この「10月」という標記にも信頼性が認められる。
*「10月」の第1次調査では、住民に地球語を教えたという記録が残っている。また、住民の特徴もこの「白い毛」「二足歩行」という記録と合致している。
*これらのことから、この惑星はほぼ間違いなく10月であると推測される。


===住民の調査===
 どうやらトイレは相当混雑していたみたいで、女房が用を済ませて出てくると、もうアヤカの姿は見えなかったらしい。……それから私たちは必死でアヤカを捜しました。もちろん、警察も必死で捜してくれました。それなのに、一日経っても、二日経っても、アヤカは見つかりませんでした。誘拐されたんです。女房は、自分のせいだと言って、息子夫婦に泣いて謝りました。しかし、トイレの外にいた私が注意していたら、こんなことにはならなかったかもしれない。息子夫婦は私たちを責めるようなことはしませんでしたが、とにかく、あの日を境に、家族はバラバラになってしまったんです」
11110番は以降、地球帰還のために位置情報システムを修理する傍ら、現地の生物の詳細な調査を行ったようで、48.21度時点には以下のような報告を残している。


*「住民」は陸棲の炭素生物であり、直立二足歩行を獲得しているなど、かなり人間に近い見た目をしている。
 日本では、毎年千人を超える児童が行方不明になっている。その多くはわずか数日で発見されるが、中には何十年経っても消息がつかめない例もあるのだ。アヤカちゃんも、失踪から12年が経った今なお、その行方はおろか生死すら分かっていない。
*皮膚は白~ベージュほどの色の体毛で薄く覆われている。
*腕と足はそれぞれ2つ、指は6本ずつある。爪は無い。
*目、耳、口はそれぞれ頭部に2つずつあるが、外見上、鼻に相当すると思しき感覚器官は見受けられない。<ref>ただし、調理に際して嗅覚を持っているらしい反応を示していたため、鼻のようなものとは別の形で嗅覚についての感覚器官を有していたと思われる、とのこと。</ref>
*この星におけるヒエラルキーは高いようで、武器を用いた他生物の狩猟、牧畜や農耕なども行っている。
*拙い地球語以外にも、少なくとも3種類の言語を使用することができる。
*文明レベルはそこそこ高く、人類の古代文明と比べても遜色ないほどである。


===住民による攻撃===
「それからは、捜査の進展も全くなく、息子夫婦とはどんどん疎遠になっていきました。……本題はここからです」
49.47度時点、11110番は以下のような報告を行った。


*第1次調査によって判明していた、住民の文化において「信頼」を示すという握手を行ってみたところ、住民は態度を一変させ、皆すべて激怒した。
 我々は、いっそう身を引き締めて話に聞き入った。
*第1次調査の記録によれば、初めて会った人間にさえ住民は求められれば好意的に握手をしてくれたというのに、何故か会話することさえできないほどの状況になってしまい頭を抱えている。
*住民は武器を用いて11110番に襲い掛かってきたため、やむをえず機内に戻ったものの、その宇宙機ごと攻撃され続けている。
*修理のために外装は外しており、すなわち内部回路が剝き出しになっている状況であるため、このまま攻撃されると機体が破壊されてしまう可能性がある。


===通信の途絶===
「最後に息子夫婦に会ったのは、あれから一年ほど経った後です。どうやら息子夫婦はその時、『関東地方誘拐被害児童の家族の会』という団体に入会したみたいでしてね、私らに、『アヤカに関係する物がもし残っていたら、渡してほしい』と言うんです。話を聞いてみると、どうやら彼らの会では、『セキホウ』……『痕跡』の『跡』に『奉納』の『奉』で、『跡奉』です。そういう取り組みを行っているらしく、被害児童の持ち物や服などを会に納めて、無事に帰ってくることをお祈りするんだそうです。正直、少し……きな臭さというか。そういうものを感じなかったわけではありませんが、特に拒む理由もないと思って、アヤカのために置いてあった箸や食器を渡しました。
49.52度、宇宙機の通信能力が完全に消失した。これを最後に、11110番からの通信は完全に途絶えた。


この時の反応は、外部損傷が許容範囲を超過したことを示したものであり、おそらくこれは住民の攻撃によるものだと推察されている。
 それからまた一年くらいした後、警察から電話が来ました。アヤカの件で何か進展があったのかと思いましたが、そうではありませんでした。……息子夫婦の死体が、発見されたんです。それも、遠く離れた栃木県の○○山に埋められた状態の、明らかな他殺体だったそうです。私も女房も、愕然となりました」


これを受けて、世界宇宙開発機関では11110番の捜索が即座に決定され、急遽として武装チームが組織された。しかし、奇しくもこの時、ニコバル諸島の領有権を巡って対立していたタミル・ナドゥ国と北マラヤ共和国との間にポンディシェリ・インシデントが発生。
 白坂氏は大きな呼吸を置いて、再び話し始めた。


これを理由にしたタミル・ナドゥ国の報復行動は、カザフスタンや自由カナダ共和国といった大国間の思惑も絡みあう中、遂に世界初の核戦争である第三次世界大戦を引き起こしてしまうこととなる。そして不運にも、これによって11110番の捜索は立ち消えとなってしまったのである。
「事件の取り調べの中で、息子夫婦の交友関係について尋ねられた時、私はその『家族の会』のことを話したんです。すると、警察の方は驚いた様子で、慌ただしくどこかに連絡し始めました。なんでも、ちょうどその当時、この会に関わる捜査が別件でなされていたんだそうです。詳しいことまでは、教えてもらえませんでしたけどね。……しかし、結局、息子夫婦の事件も迷宮入りになってしまいました。不思議なことに、犯人の痕跡が一切見つからなかったそうです。


第三次世界大戦のあまりにも大きな被害は、地球の文明レベルを大幅に後退させた。観測可能な宇宙は数十世紀も前のものに戻ってしまい、最早「3月」より先の惑星には辿り着けなくなってしまったのだ。
 それからは、心の傷も癒えぬまま、二人でひっそりと暮らしてきました。あの団体のことなんて忘れていましたよ。ただ女房は、年のせいもあってか、次第に病気がちになってしまってね、半年前にぽっくりと逝ってしまいました。……しかし、ほんの数日前のことです。女房の部屋で、遺品を整理しているとき、思いがけないものが出てきました」


これによって、真実の解明が不可能になってしまった「10月事件」は謎だけを残し、現在では多くの「仮のシナリオ」を生み出すことになった。
 そう言うと、白坂氏は机の上に一枚の封筒を置き、中身を出した。差出人は、白坂氏の息子になっている。そして消印は平成17年――息子夫婦の遺体が発見された年だった。


===カプセルの発見===
「息子は、殺される直前に、この手紙を家によこしていたんです。一体なぜ、女房はこれを隠していたのか……その理由は、すぐに分かりました。どうぞ、手紙の文面を読んでみてください」
そんな中、92周63.37度、11110番が登場していた宇宙機の機能によって宇宙空間に打ち上げられたと思しきカプセル<ref>もともとは、これは無人探査機による地質標本採集用に設計されたものであった。</ref>が地球近辺で発見された。


その中身は11110番の個人識別タグ<ref>世界宇宙開発機関の職員・宇宙飛行士に交付されるもの。携帯が義務付けられている。</ref>であった。ホシクズムシによる食害こそ見られなかったのだが、その中の「11110」という文字列の間には意図的なものと思しき記号のようなひっかき傷がつけられており、つまるところ「11+1=10」のような見た目になっていた。
 荒い字でそこに書かれていた内容は、にわかには信じがたいものだった。


しかし実際のところ、この傷の意味どころか、これを打ち上げたのが11110番なのか、それとも機内に侵入した住民たちなのかということさえ全く分からないため、結局これによって真相の解明が進むことはなかった。
 文章は、例の「家族の会」への称賛から始まる。「誘拐児たちを取り戻したいという切実な願いを持った親たちの強い結束」……さぞや立派な団体なのだろう。しかし、問題の記述によると、「家族の会」に属する親たちは、会が所有する施設内にいるという「まがいじじい」と呼ばれているらしい人物に対し、殴る、蹴る、あるいは熱湯を浴びせる等の暴行を、日常的に行っていたというのだ。白坂氏の息子は、この「まがいじじい」のことを、誘拐被害児童の受ける苦しみを肩代わりしてくれる「妖精」なのだと説明しており、この行為のことを誇らしげに書いている。また、詳細は書かれていないものの、そのような「誇らしい」行為のひとつとして挙げられている「きょうだい跡奉」も不気味だ。白坂氏が言っていたように、「跡奉」が誘拐児童の痕跡を会に納めるものだとすると、この「きょうだい跡奉」は、その誘拐児童のきょうだいの身柄を会に納める行為であるとでもいうのだろうか? 手紙の最後には、「家族の会」の施設に強制捜査が入ったこと、警察の手を逃れるために、近いうちに会が一旦「解散」すること、そしてその間はしばらく実家に身を寄せたいということが書かれていた。


==その仮説==
「息子は責任感があって、真面目な子でした。……こんな異常なこと、見過ごすはずがありませんよ。きっとこの『家族の会』に変えられて、頭がおかしくなってしまったんです。あれはカルトだったんです!」
10月事件の謎には、大きくこの二つがある。


*'''なぜ住民は豹変したのか'''
 白坂氏の語気が荒くなる。
*'''「11+1=10」はどういう意味なのか'''


これらを解決する仮説は、世界中で、時には思考遊戯として生み出され続けており、莫大な数が存在しているため、ここでは特に支持されているその一部を紹介する。
「すみません、少し取り乱してしまいました。とにかく私は、あの『家族の会』がどんなものだったのか、そして息子夫婦の身に何があったのかを、ただ知りたいんです。……しかし、警察には依頼できない。こんな田舎ですからね、『あの息子夫婦はキチガイのカルト信者だった』だとか、まず間違いなく近所で噂が立ってしまうでしょう。女房がこの手紙を隠していたのも、きっとそのためだったんです。これ以上、不幸な、かわいそうな息子夫婦の顔に、泥を塗りたくなかったんです。


===「住民の罠」説===
 本当にわがままで、愚かなお願いだということは百も承知です。聞けば、あなた方の雑誌では、実際に未解決事件を扱い、行き詰っていた捜査を進展させたこともあるらしい。……あれから九年経って、ようやく尻尾を掴めたんだ。しかし、こんな老いぼれ一人には何もできやしません。……どうか、お力を貸していただけないでしょうか」
この説によると、あの住民たちが最初のうち友好的に接していたのは全て油断を誘うための罠であり、最終的には住民たちは「宇宙人」を殺して、その技術を奪うか、または宗教的な「贄」にするのである。


*'''なぜ住民は豹変したのか→'''本性を現したから
 そう言って、白坂氏は頭を下げた。「となりのオカルト調査隊」は、もとより社会の裏を扱うエキスパート集団である。かくして我々は、白坂氏の素性を全面的に隠匿しながらも、この謎多きカルトの正体に迫るべく、調査を開始することにしたのだ!
*'''「11+1=10」はどういう意味なのか→'''住民たちがもっと多くの「宇宙人」を星に呼び込むために作った、意味ありげであるが実際には無意味なただの罠


この説への反論として、なぜ「握手」の後に彼らは怒ったのか、なぜ第1次調査のときには人間を攻撃しなかったのか、というものがあげられる。10月事件をもとにしたSF作品では、この説が採られることが多い。
 実は、我々は既に当時「家族の会」に関わりがあったという人物を見つけ出し、取材のアポを取ることに成功している。この情報は、次号に掲載することになる。もし、この団体や事件について何か知っていることがあるという人は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。


===「10月ではなかった」説===
===2014年6月号掲載「カルトに洗脳された妻……夫が覗いた怪しい施設の闇とは」===
この説によると、11110番が降り立った星は「10月」ではなかった。そしてその星の文化では「握手」はタブーであり<ref>実際に、「手のひら」にあたる部位に何らかの感覚器官を有している生物は「7月」や「12月」などで数例確認されていて、そのいずれもが「手のひら」への密着的な接触を忌避していた。恐らくこれには、宗教的な「手のひら」の神聖視も関わっている。</ref>、そのため11110番は住民たちに排斥されたのである。


*'''なぜ住民は豹変したのか→'''11110番がタブーに触れたから
 先月号、調査依頼を受け、我々は『関東地方誘拐被害児童の家族の会』の調査を開始した。その過程で連絡を取ることができたのが、群馬県在住の北口和也氏(41歳男性・仮名)である。
*'''「11+1=10」はどういう意味なのか→'''11110番が錯乱状態にあったが故の無意味なもの


第1次調査に赴いた宇宙飛行士たちの多くはこの説を支持している。というのも、彼らは「私たちの見た10月の住民には{{傍点|文章=鼻があった}}」と主張しており、11110番の言う「10月の住民」は真の「10月の住民」ではなかったとしているからである。
「こんな狭いアパートで、すいませんね」


しかしながら、これだと彼らが最初に地球語を使ってこの星を「10月」だと述べたことの説明がつかない。
 我々調査隊が北口氏に連絡をとったきっかけは、インターネット上に公開されていた彼のブログである。そのブログは、いたって普通の家庭の生活を記録したものであったが、愛娘の失踪、そして『関東地方誘拐被害児童の家族の会』への妻の入会を書いた13年前の記事を最後に、更新が止まっていた。しかし、調査隊がブログのプロフィールに記載されていたメールアドレスにだめ元で取材依頼を送ってみたところ、なんと連絡を取り合うことに成功。こうして取材を取り付けるに至ったわけだ。


===「11110番の妄想」説===
「私が22歳のころだから、19年前ですか。妻とは、当時勤めていた会社で出会いました。職場結婚ってやつです。大事な商談をダメにしちゃった時にも、励ましてくれたりして、気づいたら好きになっていたんです。その勢いのまま、プロポーズでしたよ(笑)。でも、後から聞いた話なんですが、そのとき既に妻は私のことを狙っていたらしいんですね。まんまと策に乗せられてしまったというわけです(笑)」
この説によると、11110番は最初の反応喪失以降ずっと宇宙空間を彷徨っており、その精神的ストレスのあまり全くの妄想を報告し続けていたのである。


*'''なぜ住民は豹変したのか→'''11110番の妄想(そもそも「住民」自体が妄想)
 北口氏は楽しそうに過去を振り返る。部屋の奥にある棚の上には、家族三人の笑顔の写真が飾られているが、そこに写る北口氏はずいぶんと若々しいままだ。
*'''「11+1=10」はどういう意味なのか→'''11110番が錯乱状態にあったが故の無意味なもの


この説には、一切の矛盾も生じない。このため、これを有力視する人も多く存在するが、その一方、これは精神病を都合よく使っているだけの、偏見を助長する幼稚な説であるという批判もある。
「結婚してからすぐ、娘もできましてね。私ももう父親かと、なんだか感慨深くなったのを覚えています。娘は元気な子でね、休日にはいつもどこかに遊びに行きたいと駄々をこねて、私たちを困らせましたよ(笑)。あの時は、本当に楽しかったなあ。今でもたまにブログは見ています。娘の笑顔が、よく映っているんです。……そろそろ話を進めましょうか。小学校に入学して、もうすぐ二年生というとき、娘は誘拐されてしまったんです」


==脚注==
 どこか遠くを見つめるように、北口氏は語る。
<references />
 
「きっかけになったのは、入学して半年ほど経って、学校にも慣れてきた頃でした。それまでは私たちが娘の送り迎えをしていたんですが、娘がある日『友達と一緒に登下校したい』と言い出したんです。家も近かったし、通学路も人通りが多かったので、私たちはそれを認めてあげることにしました。……あの時の自分の判断を、13年経った今でも強く悔やんでいます。娘はそのせいで、誘拐されてしまったんです。
 
 そして、ついにあの日……私たちは知らなかったんですが、いつも一緒に登校する約束をしていた友達が風邪で休んでいたみたいで、娘は一人で学校へ向かっていたらしいんです。そしてその途中で、誘拐されてしまった。娘が来ていないという連絡を学校から受けて、血の気が引きましたよ。警察にも連絡して、大規模な捜査が始まりましたが、一向に娘は見つかりませんでした。私も妻も、焦りと後悔で、パニックに陥りました。……そんなとき、妻が知ったのが、あの『家族の会』だったんです」
 
 北口氏の妻は、当時作られて間もなかったネット掲示板の書き込みから、「家族の会」の存在を知ったのだという。そこから彼女は、日に日にその団体にのめり込んでいくようになったのだ。
 
「妻は、東京郊外にあるらしい『家族の会』の建物にたびたび行って、会員の方と交流するようになりました。彼女によれば、『家族の会』は不安や苦悩を親身になって聞いてくれて、いろいろな相談にも乗ってくれたそうです。私も当初、妻の話を聞く限りでは、何の変哲もない、それどころか素晴らしい団体だと思っていました。だから、妻が正式に『家族の会』に入会することになったときももちろん反対しませんでした。……後になってみれば、私はこのとき、またも選択を間違えたんです。
 
 おかしなことが起こり始めたのは、それからすぐでした。妻が、娘の部屋にあった物をどこかに持って行ってしまうんです。最初、服やおもちゃを持って行ったときは、少し怪しいとは思いましたが、娘の好きなものを『家族の会』で共有しているのかと思って、自分を納得させていました。しかし、妻は一向にそれらを家に持って帰ってこないばかりか、しまいには娘の使っていた教科書まで持ち出したんですよ。流石におかしい。そう思って直接妻に聞いてみると、彼女は娘の物を勝手に持ち出して、『家族の会』の『跡奉』という取り組みに使っていたということが分かりました」
 
 「跡奉」――前回の依頼人も話していた、「家族の会」での儀式だ。誘拐の被害にあった児童の残した物を納め、無事に帰ってくることを祈るものだという。
 
「正直、怖いな、って思ったんです。もちろん、娘の物は『跡奉』のために一旦置いているだけであって、持ち帰ること自体はいつでもできると言っていました。しかし、妻はあの時、本当に娘の持ち物をすべて持って行こうとしているくらいの気持ちに見えました。何というか、とにかく、異様だったんです。……でも、妻の話を聞く限りでは、『家族の会』は良い団体です。だから、ある日曜日、不安な気持ちを払拭するために、私も妻と一緒に『家族の会』の施設に行ってみることにしたんです。
 
 カーナビに従い、数時間ほど車を運転して着いたのが、彼らが『本館』と呼んでいる建物でした。東京と言っても、かなり田舎の方で、近くの道路も往来はまばらでしたね。木々に囲まれた『本館』の外見は、コンクリートの打ちっぱなしの直方体といった感じで、シンプルなつくりになっていました。しかし、中に入ってみると、意外に重厚感のある内装で驚いたのを覚えています。壁は落ち着きのあるクリーム色で塗られていて、小さいシャンデリアのようなものが天井に吊り下げられていました。そこで妻に紹介してもらったのが、『家族の会』の代表という立場にあるらしい、アミさんという同年代くらいの女性でした。アミさんによれば、この建物は『家族の会』の先々代、すなわち四代目の代表が、被害者家族たちの憩いの場となるようにと造り上げたものだそうです。
 
 そこから案内されたのが、奥の扉の先にあった、『跡奉』のために用意されたという広い場所でした。そこにはたくさんの仮設トイレのような個室が並べられており、私は妻に連れられて、その中の娘に割り当てられているという個室のところへ行きました。渡された鍵で扉を開けると、その中には確かに、妻が持ち出した娘の物がきれいに収まっていました。妻は、これで納得しただろう、というふうにこちらを見てきました。……しかし私は、ますますこの団体のことを疑わしく思うようになりました。というのも、私がいた間中ずっと、その部屋のあちこちの個室から、ずっと子供の泣き声がしてきたからです。妻によれば、誘拐被害児童のきょうだいを連れてきている親も大勢おり、その子供がぐずっているだけだというのですが、聞こえてくる泣き声は明らかに赤ん坊のものだけではありませんでした。物心ももうついているくらいの子供の声で、号泣しているのが、あちこちから聞こえてきたんです」
 
 「跡奉」のための部屋に、その被害児童の「きょうだい」……この状況は、前回出てきた「きょうだい跡奉」という儀式に何か関係しているのだろうか?
 
「明らかに異常だとか、そういったことは断言できません。自分のきょうだいが誘拐された子供が、精神的に不安定になって泣いているだけなのかもしれないし、同じくストレスを感じている親にも、泣いている子供の世話をする余裕が無かったのかもしれない。だから私は、口を出せませんでした。でも、本能的なものなのでしょうか、子供の泣き声をずっと聞いていると、言いようのない不安でくらくらしてきて、ここにはいられないと思いました。妻に『もう帰ろう』と言うと、妻は大人しく、『分かった』とだけ答えました。……それから、アミさんにあいさつをして、二人で車に乗り込んだときでした。妻がいきなり、思い出したように『ちょっと別館に行ってくる』と言ったんです。『すぐ戻ってくるから車で待っていてもいい』と言われた私は、もうこの施設に近づきたくなかったので、言われた通りに車で待っていました。
 
 しかし、一つだけ気になることがありました。『別館』の場所です。入って来た時、正面から見たこの施設には、『本館』しか建物がありませんでしたし、『本館』の裏手にある駐車場からも、『別館』は見当たりませんでした。不思議に思って、妻が歩いて行った方向をリアガラス越しに見た瞬間、ぞっとしましたよ。『本館』裏の、何もない、ただの地面に向かって、妻が険しい顔で何かを叫んでいるんです。目が合いそうになったので、慌てて前を向きなおしました。……その後、何事も無かったかのように助手席に乗ってきた妻は、本当に僕の知る妻なのかと、ひどく恐ろしくなりました」
 
 北口氏が感じただろう、愛する妻への恐怖は、相当なものだったらしい。北口氏の表情は、過去の回想の中であってさえ、恐ろしげに歪んでいた。
 
「そして……娘の死体が発見されたのは、その日の夜でした」
 
 目線を落として、北口氏は続ける。
 
「消息を絶ってから二週間後のことでした。娘は、他殺体で発見されました。首を絞められて……川に沈められていたそうです。その後すぐ、犯人も逮捕されました。娘は通学路で、車に乗せられて連れ去られ、その後すぐ……。すいません。まだ、このときの話は、うまくできません。とにかく、娘はもういない。もういないということが、分かったんです。分かってしまったんです。それなのに、それなのに、妻は……まだ、あの団体で、『娘は戻ってくる』と、言い続けたんです! 必死に説得しました。私もつらかった。でも、妻もつらかったんでしょう。そのせいで、あんなことになってしまったのかもしれない。でも、妻は、妻は……」
 
 調査隊は、北口氏の目に涙が浮かんでいることに気づいた。
 
「すいません、取り乱してしまって。……私には、もう分からないんですよ。私はどうにか、妻がおかしくなった原因を、あの『家族の会』に押し付けようとしているのかもしれない。本当は、あの団体は何も悪くなくて、ただ妻は、妻の心は娘の死に耐えられなかっただけなのかもしれない。……その後、妻は失踪しました。今に至るまで、妻の姿は見ていません。一応、警察に捜索願は出しましたが、事件性の低い、ただの痴話げんかによる家出として扱われ、捜索は行われませんでした。あの時の家からは、それから三年ほどした後、引っ越しました。こうして、今に至ります。……これが、私の話せる限りの、全てです」
 
 北口氏の妻は、なぜ狂ってしまったのか、その答えを知る者はいない。しかし、先月号でお伝えした白坂氏の悲劇、そしてこの北口氏の悲劇の両方に深く結びつく奇妙な団体が、何かしらの形で一枚噛んでいるのはまず間違いないだろう。我々はこの団体の調査を続ける。もし、この団体や事件について何か知っていることがあるという人は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。
 
 
 
 '''付記'''
 
 北口氏への取材が終わった後、彼の携帯電話に非通知の電話がかかってきた。それ自体は何の変哲もないことだが、電話を切った北口氏は奇妙そうに取材班にこう話した――非通知設定の、聞き覚えのないしわがれた老人の声で、「ハマナソウキチくんをご存じですか」と尋ねてくる電話がかかってきた、と。
 
 北口氏が戸惑って黙っている間に、電話は切れてしまったという。普通に考えればただの間違い電話だが、老人といえば、先月号の話に出てきた「まがいじじい」を連想してしまう。この奇妙な出来事は、我々の取材に何かしらのつながりを持っているのだろうか? オカルト記者としては、つい勘ぐってしまうところだ。

4年6月5日 (ゐ) 12:19時点における最新版

2014年5月号掲載「奇妙な儀式と未解決事件……9年前に消えた謎のカルトを追え!」[編集 | ソースを編集]

 先日の「瀬戸内海の人魚伝説」の調査も終わり、一息ついた「となりのオカルト調査隊」。そんな我々の元に、新しい調査依頼が舞い込んだ。依頼人は、神奈川県某所在住の白坂憲二氏(74歳男性・仮名)である。

「私は、息子夫婦が入会していたある『団体』のことを調べてもらいたいんです」

 白坂氏は、調査隊を自宅に招き、こう語った。彼の深い皺には、往年の苦労が刻まれているようだ。

「私たちは、それは仲のいい家族でしたよ。私と女房、それに一人息子の三人で、笑顔の絶えない家庭だった。やがて息子が結婚し、実家を出ていくと、少し寂しくなりましたけどね、時々孫のアヤカを連れて遊びに来るんです。それがもう、お爺ちゃんとお婆ちゃんには嬉しくてたまらないんですよ。アヤカはよく懐いてくれました。おもちゃも沢山買ってあげましたよ。お嫁さんもいい人でねえ、うちの女房と会ったその日から友達みたいに仲良くなって。こんな幸せがずっと続くと思っていた。……しかし、そうはならなかったんです」

 調査隊も、重い空気を感じ取った。白坂氏は、固く拳を握りしめて続ける。

「忘れもしない、11年前のことです。一家で夏祭りに行った日だった。アヤカはもう九歳になっていました。花火を見たり、出店で遊んだりして、夜も遅いしそろそろ帰ろうか、となった時、アヤカがトイレに行きたいと言い出したんです。ちょうど私の女房もトイレをしたかったから、息子夫婦が車を取りに駐車場に行く間に、私と女房でアヤカをトイレに連れて行くことになりました。私は女子トイレの前のベンチで待っていましたよ。するとね、女房が真っ青な顔で出てきて、『アヤカがいない!』と言ったんです。

 どうやらトイレは相当混雑していたみたいで、女房が用を済ませて出てくると、もうアヤカの姿は見えなかったらしい。……それから私たちは必死でアヤカを捜しました。もちろん、警察も必死で捜してくれました。それなのに、一日経っても、二日経っても、アヤカは見つかりませんでした。誘拐されたんです。女房は、自分のせいだと言って、息子夫婦に泣いて謝りました。しかし、トイレの外にいた私が注意していたら、こんなことにはならなかったかもしれない。息子夫婦は私たちを責めるようなことはしませんでしたが、とにかく、あの日を境に、家族はバラバラになってしまったんです」

 日本では、毎年千人を超える児童が行方不明になっている。その多くはわずか数日で発見されるが、中には何十年経っても消息がつかめない例もあるのだ。アヤカちゃんも、失踪から12年が経った今なお、その行方はおろか生死すら分かっていない。

「それからは、捜査の進展も全くなく、息子夫婦とはどんどん疎遠になっていきました。……本題はここからです」

 我々は、いっそう身を引き締めて話に聞き入った。

「最後に息子夫婦に会ったのは、あれから一年ほど経った後です。どうやら息子夫婦はその時、『関東地方誘拐被害児童の家族の会』という団体に入会したみたいでしてね、私らに、『アヤカに関係する物がもし残っていたら、渡してほしい』と言うんです。話を聞いてみると、どうやら彼らの会では、『セキホウ』……『痕跡』の『跡』に『奉納』の『奉』で、『跡奉』です。そういう取り組みを行っているらしく、被害児童の持ち物や服などを会に納めて、無事に帰ってくることをお祈りするんだそうです。正直、少し……きな臭さというか。そういうものを感じなかったわけではありませんが、特に拒む理由もないと思って、アヤカのために置いてあった箸や食器を渡しました。

 それからまた一年くらいした後、警察から電話が来ました。アヤカの件で何か進展があったのかと思いましたが、そうではありませんでした。……息子夫婦の死体が、発見されたんです。それも、遠く離れた栃木県の○○山に埋められた状態の、明らかな他殺体だったそうです。私も女房も、愕然となりました」

 白坂氏は大きな呼吸を置いて、再び話し始めた。

「事件の取り調べの中で、息子夫婦の交友関係について尋ねられた時、私はその『家族の会』のことを話したんです。すると、警察の方は驚いた様子で、慌ただしくどこかに連絡し始めました。なんでも、ちょうどその当時、この会に関わる捜査が別件でなされていたんだそうです。詳しいことまでは、教えてもらえませんでしたけどね。……しかし、結局、息子夫婦の事件も迷宮入りになってしまいました。不思議なことに、犯人の痕跡が一切見つからなかったそうです。

 それからは、心の傷も癒えぬまま、二人でひっそりと暮らしてきました。あの団体のことなんて忘れていましたよ。ただ女房は、年のせいもあってか、次第に病気がちになってしまってね、半年前にぽっくりと逝ってしまいました。……しかし、ほんの数日前のことです。女房の部屋で、遺品を整理しているとき、思いがけないものが出てきました」

 そう言うと、白坂氏は机の上に一枚の封筒を置き、中身を出した。差出人は、白坂氏の息子になっている。そして消印は平成17年――息子夫婦の遺体が発見された年だった。

「息子は、殺される直前に、この手紙を家によこしていたんです。一体なぜ、女房はこれを隠していたのか……その理由は、すぐに分かりました。どうぞ、手紙の文面を読んでみてください」

 荒い字でそこに書かれていた内容は、にわかには信じがたいものだった。

 文章は、例の「家族の会」への称賛から始まる。「誘拐児たちを取り戻したいという切実な願いを持った親たちの強い結束」……さぞや立派な団体なのだろう。しかし、問題の記述によると、「家族の会」に属する親たちは、会が所有する施設内にいるという「まがいじじい」と呼ばれているらしい人物に対し、殴る、蹴る、あるいは熱湯を浴びせる等の暴行を、日常的に行っていたというのだ。白坂氏の息子は、この「まがいじじい」のことを、誘拐被害児童の受ける苦しみを肩代わりしてくれる「妖精」なのだと説明しており、この行為のことを誇らしげに書いている。また、詳細は書かれていないものの、そのような「誇らしい」行為のひとつとして挙げられている「きょうだい跡奉」も不気味だ。白坂氏が言っていたように、「跡奉」が誘拐児童の痕跡を会に納めるものだとすると、この「きょうだい跡奉」は、その誘拐児童のきょうだいの身柄を会に納める行為であるとでもいうのだろうか? 手紙の最後には、「家族の会」の施設に強制捜査が入ったこと、警察の手を逃れるために、近いうちに会が一旦「解散」すること、そしてその間はしばらく実家に身を寄せたいということが書かれていた。

「息子は責任感があって、真面目な子でした。……こんな異常なこと、見過ごすはずがありませんよ。きっとこの『家族の会』に変えられて、頭がおかしくなってしまったんです。あれはカルトだったんです!」

 白坂氏の語気が荒くなる。

「すみません、少し取り乱してしまいました。とにかく私は、あの『家族の会』がどんなものだったのか、そして息子夫婦の身に何があったのかを、ただ知りたいんです。……しかし、警察には依頼できない。こんな田舎ですからね、『あの息子夫婦はキチガイのカルト信者だった』だとか、まず間違いなく近所で噂が立ってしまうでしょう。女房がこの手紙を隠していたのも、きっとそのためだったんです。これ以上、不幸な、かわいそうな息子夫婦の顔に、泥を塗りたくなかったんです。

 本当にわがままで、愚かなお願いだということは百も承知です。聞けば、あなた方の雑誌では、実際に未解決事件を扱い、行き詰っていた捜査を進展させたこともあるらしい。……あれから九年経って、ようやく尻尾を掴めたんだ。しかし、こんな老いぼれ一人には何もできやしません。……どうか、お力を貸していただけないでしょうか」

 そう言って、白坂氏は頭を下げた。「となりのオカルト調査隊」は、もとより社会の裏を扱うエキスパート集団である。かくして我々は、白坂氏の素性を全面的に隠匿しながらも、この謎多きカルトの正体に迫るべく、調査を開始することにしたのだ!

 実は、我々は既に当時「家族の会」に関わりがあったという人物を見つけ出し、取材のアポを取ることに成功している。この情報は、次号に掲載することになる。もし、この団体や事件について何か知っていることがあるという人は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。

2014年6月号掲載「カルトに洗脳された妻……夫が覗いた怪しい施設の闇とは」[編集 | ソースを編集]

 先月号、調査依頼を受け、我々は『関東地方誘拐被害児童の家族の会』の調査を開始した。その過程で連絡を取ることができたのが、群馬県在住の北口和也氏(41歳男性・仮名)である。

「こんな狭いアパートで、すいませんね」

 我々調査隊が北口氏に連絡をとったきっかけは、インターネット上に公開されていた彼のブログである。そのブログは、いたって普通の家庭の生活を記録したものであったが、愛娘の失踪、そして『関東地方誘拐被害児童の家族の会』への妻の入会を書いた13年前の記事を最後に、更新が止まっていた。しかし、調査隊がブログのプロフィールに記載されていたメールアドレスにだめ元で取材依頼を送ってみたところ、なんと連絡を取り合うことに成功。こうして取材を取り付けるに至ったわけだ。

「私が22歳のころだから、19年前ですか。妻とは、当時勤めていた会社で出会いました。職場結婚ってやつです。大事な商談をダメにしちゃった時にも、励ましてくれたりして、気づいたら好きになっていたんです。その勢いのまま、プロポーズでしたよ(笑)。でも、後から聞いた話なんですが、そのとき既に妻は私のことを狙っていたらしいんですね。まんまと策に乗せられてしまったというわけです(笑)」

 北口氏は楽しそうに過去を振り返る。部屋の奥にある棚の上には、家族三人の笑顔の写真が飾られているが、そこに写る北口氏はずいぶんと若々しいままだ。

「結婚してからすぐ、娘もできましてね。私ももう父親かと、なんだか感慨深くなったのを覚えています。娘は元気な子でね、休日にはいつもどこかに遊びに行きたいと駄々をこねて、私たちを困らせましたよ(笑)。あの時は、本当に楽しかったなあ。今でもたまにブログは見ています。娘の笑顔が、よく映っているんです。……そろそろ話を進めましょうか。小学校に入学して、もうすぐ二年生というとき、娘は誘拐されてしまったんです」

 どこか遠くを見つめるように、北口氏は語る。

「きっかけになったのは、入学して半年ほど経って、学校にも慣れてきた頃でした。それまでは私たちが娘の送り迎えをしていたんですが、娘がある日『友達と一緒に登下校したい』と言い出したんです。家も近かったし、通学路も人通りが多かったので、私たちはそれを認めてあげることにしました。……あの時の自分の判断を、13年経った今でも強く悔やんでいます。娘はそのせいで、誘拐されてしまったんです。

 そして、ついにあの日……私たちは知らなかったんですが、いつも一緒に登校する約束をしていた友達が風邪で休んでいたみたいで、娘は一人で学校へ向かっていたらしいんです。そしてその途中で、誘拐されてしまった。娘が来ていないという連絡を学校から受けて、血の気が引きましたよ。警察にも連絡して、大規模な捜査が始まりましたが、一向に娘は見つかりませんでした。私も妻も、焦りと後悔で、パニックに陥りました。……そんなとき、妻が知ったのが、あの『家族の会』だったんです」

 北口氏の妻は、当時作られて間もなかったネット掲示板の書き込みから、「家族の会」の存在を知ったのだという。そこから彼女は、日に日にその団体にのめり込んでいくようになったのだ。

「妻は、東京郊外にあるらしい『家族の会』の建物にたびたび行って、会員の方と交流するようになりました。彼女によれば、『家族の会』は不安や苦悩を親身になって聞いてくれて、いろいろな相談にも乗ってくれたそうです。私も当初、妻の話を聞く限りでは、何の変哲もない、それどころか素晴らしい団体だと思っていました。だから、妻が正式に『家族の会』に入会することになったときももちろん反対しませんでした。……後になってみれば、私はこのとき、またも選択を間違えたんです。

 おかしなことが起こり始めたのは、それからすぐでした。妻が、娘の部屋にあった物をどこかに持って行ってしまうんです。最初、服やおもちゃを持って行ったときは、少し怪しいとは思いましたが、娘の好きなものを『家族の会』で共有しているのかと思って、自分を納得させていました。しかし、妻は一向にそれらを家に持って帰ってこないばかりか、しまいには娘の使っていた教科書まで持ち出したんですよ。流石におかしい。そう思って直接妻に聞いてみると、彼女は娘の物を勝手に持ち出して、『家族の会』の『跡奉』という取り組みに使っていたということが分かりました」

 「跡奉」――前回の依頼人も話していた、「家族の会」での儀式だ。誘拐の被害にあった児童の残した物を納め、無事に帰ってくることを祈るものだという。

「正直、怖いな、って思ったんです。もちろん、娘の物は『跡奉』のために一旦置いているだけであって、持ち帰ること自体はいつでもできると言っていました。しかし、妻はあの時、本当に娘の持ち物をすべて持って行こうとしているくらいの気持ちに見えました。何というか、とにかく、異様だったんです。……でも、妻の話を聞く限りでは、『家族の会』は良い団体です。だから、ある日曜日、不安な気持ちを払拭するために、私も妻と一緒に『家族の会』の施設に行ってみることにしたんです。

 カーナビに従い、数時間ほど車を運転して着いたのが、彼らが『本館』と呼んでいる建物でした。東京と言っても、かなり田舎の方で、近くの道路も往来はまばらでしたね。木々に囲まれた『本館』の外見は、コンクリートの打ちっぱなしの直方体といった感じで、シンプルなつくりになっていました。しかし、中に入ってみると、意外に重厚感のある内装で驚いたのを覚えています。壁は落ち着きのあるクリーム色で塗られていて、小さいシャンデリアのようなものが天井に吊り下げられていました。そこで妻に紹介してもらったのが、『家族の会』の代表という立場にあるらしい、アミさんという同年代くらいの女性でした。アミさんによれば、この建物は『家族の会』の先々代、すなわち四代目の代表が、被害者家族たちの憩いの場となるようにと造り上げたものだそうです。

 そこから案内されたのが、奥の扉の先にあった、『跡奉』のために用意されたという広い場所でした。そこにはたくさんの仮設トイレのような個室が並べられており、私は妻に連れられて、その中の娘に割り当てられているという個室のところへ行きました。渡された鍵で扉を開けると、その中には確かに、妻が持ち出した娘の物がきれいに収まっていました。妻は、これで納得しただろう、というふうにこちらを見てきました。……しかし私は、ますますこの団体のことを疑わしく思うようになりました。というのも、私がいた間中ずっと、その部屋のあちこちの個室から、ずっと子供の泣き声がしてきたからです。妻によれば、誘拐被害児童のきょうだいを連れてきている親も大勢おり、その子供がぐずっているだけだというのですが、聞こえてくる泣き声は明らかに赤ん坊のものだけではありませんでした。物心ももうついているくらいの子供の声で、号泣しているのが、あちこちから聞こえてきたんです」

 「跡奉」のための部屋に、その被害児童の「きょうだい」……この状況は、前回出てきた「きょうだい跡奉」という儀式に何か関係しているのだろうか?

「明らかに異常だとか、そういったことは断言できません。自分のきょうだいが誘拐された子供が、精神的に不安定になって泣いているだけなのかもしれないし、同じくストレスを感じている親にも、泣いている子供の世話をする余裕が無かったのかもしれない。だから私は、口を出せませんでした。でも、本能的なものなのでしょうか、子供の泣き声をずっと聞いていると、言いようのない不安でくらくらしてきて、ここにはいられないと思いました。妻に『もう帰ろう』と言うと、妻は大人しく、『分かった』とだけ答えました。……それから、アミさんにあいさつをして、二人で車に乗り込んだときでした。妻がいきなり、思い出したように『ちょっと別館に行ってくる』と言ったんです。『すぐ戻ってくるから車で待っていてもいい』と言われた私は、もうこの施設に近づきたくなかったので、言われた通りに車で待っていました。

 しかし、一つだけ気になることがありました。『別館』の場所です。入って来た時、正面から見たこの施設には、『本館』しか建物がありませんでしたし、『本館』の裏手にある駐車場からも、『別館』は見当たりませんでした。不思議に思って、妻が歩いて行った方向をリアガラス越しに見た瞬間、ぞっとしましたよ。『本館』裏の、何もない、ただの地面に向かって、妻が険しい顔で何かを叫んでいるんです。目が合いそうになったので、慌てて前を向きなおしました。……その後、何事も無かったかのように助手席に乗ってきた妻は、本当に僕の知る妻なのかと、ひどく恐ろしくなりました」

 北口氏が感じただろう、愛する妻への恐怖は、相当なものだったらしい。北口氏の表情は、過去の回想の中であってさえ、恐ろしげに歪んでいた。

「そして……娘の死体が発見されたのは、その日の夜でした」

 目線を落として、北口氏は続ける。

「消息を絶ってから二週間後のことでした。娘は、他殺体で発見されました。首を絞められて……川に沈められていたそうです。その後すぐ、犯人も逮捕されました。娘は通学路で、車に乗せられて連れ去られ、その後すぐ……。すいません。まだ、このときの話は、うまくできません。とにかく、娘はもういない。もういないということが、分かったんです。分かってしまったんです。それなのに、それなのに、妻は……まだ、あの団体で、『娘は戻ってくる』と、言い続けたんです! 必死に説得しました。私もつらかった。でも、妻もつらかったんでしょう。そのせいで、あんなことになってしまったのかもしれない。でも、妻は、妻は……」

 調査隊は、北口氏の目に涙が浮かんでいることに気づいた。

「すいません、取り乱してしまって。……私には、もう分からないんですよ。私はどうにか、妻がおかしくなった原因を、あの『家族の会』に押し付けようとしているのかもしれない。本当は、あの団体は何も悪くなくて、ただ妻は、妻の心は娘の死に耐えられなかっただけなのかもしれない。……その後、妻は失踪しました。今に至るまで、妻の姿は見ていません。一応、警察に捜索願は出しましたが、事件性の低い、ただの痴話げんかによる家出として扱われ、捜索は行われませんでした。あの時の家からは、それから三年ほどした後、引っ越しました。こうして、今に至ります。……これが、私の話せる限りの、全てです」

 北口氏の妻は、なぜ狂ってしまったのか、その答えを知る者はいない。しかし、先月号でお伝えした白坂氏の悲劇、そしてこの北口氏の悲劇の両方に深く結びつく奇妙な団体が、何かしらの形で一枚噛んでいるのはまず間違いないだろう。我々はこの団体の調査を続ける。もし、この団体や事件について何か知っていることがあるという人は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。


 付記

 北口氏への取材が終わった後、彼の携帯電話に非通知の電話がかかってきた。それ自体は何の変哲もないことだが、電話を切った北口氏は奇妙そうに取材班にこう話した――非通知設定の、聞き覚えのないしわがれた老人の声で、「ハマナソウキチくんをご存じですか」と尋ねてくる電話がかかってきた、と。

 北口氏が戸惑って黙っている間に、電話は切れてしまったという。普通に考えればただの間違い電話だが、老人といえば、先月号の話に出てきた「まがいじじい」を連想してしまう。この奇妙な出来事は、我々の取材に何かしらのつながりを持っているのだろうか? オカルト記者としては、つい勘ぐってしまうところだ。