「利用者:Notorious/サンドボックス/ピカチュウプロジェクト」の版間の差分

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(書きゃあ)
(おんぎゃあ)
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<big>'''僕と卵焼き'''</big>
「柏原は、頭は切れるくせに変なところで抜けてるよね」
<br> 俺の前の席に後ろ向きにまたがった諏訪昇は、眼鏡越しに少し笑いながらそう言ってみせる。一方の俺は、心当たりがあるだけに強く言い返せない。
<br>「そのせいでプラマイマイナスになってることが多くない?」
<br>「自覚はあるんだけどなあ。直そうと思って直せる癖じゃない気がする」
<br>「今こうして机に齧り付いてるのも不注意の産物なわけだし」
<br> 机の上には数学のプリントが散乱していて、俺はそれらを片っ端から埋めている状況だ。木曜日、時計の針は五時を回っていて、放課後になってから一時間以上経っている。
<br>「明日が休みだなんて忘れてたんだ」
<br>「創立記念日だって先生も言ってただろう。聞いてなかったの?」
<br>「聞いてたさ。これが今週末に提出なのも知ってた。けど、その二つが結びつかないんだ」
<br>「そもそも三十枚もためこむなよ。こつこつやればよかったんだ」
<br>「今日の夜にまとめてやる予定だったんだ」
<br> 休み時間にも進めたが、いまだ十枚近く残っている。二人しかいない教室で俺は減らないプリントに苛立ちながら因数分解の問題を解き続け、諏訪は手伝う気もなさそうに見ているだけだ。
<br> 力を込めすぎてシャーペンの芯が折れた。机の横に手を伸ばし、見もせずに鞄をがさごそ探ってシャー芯のケースを引っ張り出してくる。いろんなものを無造作に放り込んだせいで筆箱と化した学校指定の鞄は、全開にされて机の横のフックにかけられている。力なく口を大きく開けたその姿は、気力を失った主人の心境を写しているみたいだ。
<br>「午前の物理だってさあ。あ、そこ計算違うよ。小テストで、えっ今舌打ちした?」
<br>「計算ミスに対してだから気にするな。消しゴムどこだ?」
<br>「そのプリントの下。武藤先生に晒し上げられてたじゃん」
<br>「定規忘れたんだ、仕方ないだろ」
<br> 力の合成と分解の小テストがあったのだが、俺は定規を家に忘れたから、やむを得ず矢印をフリーハンドで書いた。そうしたら、テストを回収して一通り目を通した武藤が俺の答案を全員の前で掲げて「物差しを使ってないやつが一人だけいるぞ誰だ柏原かちゃんと使うことガハハハ」みたいなことを言った。別に悪意あってのことではないから腹が立ちはしないが、合わせてけたたましく笑っていた女子たちには心を削られた。
<br>「忘れ物くらい誰だってするだろ」
<br> プリントに目を落としたまま、言い訳を口にする。諏訪が笑った気配がした。
<br>「こないだの体育のときだってそうでしょ。いつ聞いても傑作だね。抜けてるにもほどがあるよ」
<br>「結局間に合ったんだからいいだろ」
<br>「いやいや、ずっと寝てたならまだしも、寝ぼけて……」
<br> 諏訪が俺の失敗を掘り返そうとしたその時、教室の扉が開いた。


 卵焼きは僕が作れる数少ない料理の一つだ。小学生の時、年に一度、給食ではなく弁当を食べる行事があった。児童は少なくとも一品目は自作しないといけないというルールがあり、その際に母親からレシピを教わったように思う。溶き卵に軽く味をつけ、油を引いて温めたフライパンにまずは半量流し入れる。卵焼き用の小さくて四角いフライパンがあり、成形は小学生でも簡単だった。ある程度固まったら菜箸で巻いていき、空いたスペースに残りの卵を投入する。あとは同じことを繰り返せば完成だ。
 俺の席のすぐ後ろ、教室の後方の扉を開けて入ってきたのは、河北幹江だった。反射的に振り返った俺と目が合うと、そそくさと目を逸らして廊下側最後尾の彼女の席——俺の一つ後ろの席——に鞄を置いた。背が高くショートカットの彼女は一見バレーボールでもしていそうな見た目だが、なんの部活にも所属していないようだ。シャイな性格らしく、会話したことはあまりない。隣の瀬田は何かと話しかけているが。
<br> これから述べるのは完全な私見である。手軽さの割に、普段の食卓に卵焼きが並ぶことはあまりない。並ぶとしたら、似た料理なら目玉焼きかオムレツであろうか。思うに、卵焼きは弁当に特化した料理なのであろう。甘い味つけの卵焼きは、通常のご飯にはあまり向かない。しょっぱいおかずが席巻している食卓に、卵焼きが入り込む余地はもはや残されていないのだ。しかし、こと弁当となると、話が変わってくる。弁当とは、冷めることが前提となった料理である。常温のものを食べるとしたとき、甘いものの方が味が落ちにくい。そのため、卵焼きは弁当におけるタンパク源のエースとして世の弁当箱に君臨するに至ったのだろう。
<br> 特に仲がいいわけでもない人が近くにいると、馬鹿話をするのは気が引ける。俺は黙ってプリントを解き、諏訪も「そろそろあと九枚だよー」と思いもしない励ましを口にするのみになった。
<br> だが、僕はだし巻き玉子の方が好きだ。
<br> 後ろの河北が何をしているのかわからなかったが、やがて机の横を通って教室前方へと歩いていった。そして綺麗な教卓に手を添わせたところで目が合いそうになったので、俺は慌てて因数分解に集中した。足して四、かけてマイナス十二になるのはえーと……。
<br> しばし集中して一気呵成に二十一枚目のプリントを終わらせたとき、河北が横に立っているのに気づいた。俺の机の辺りを見ている。
<br>「どうかした?」
<br> そう聞くとビクッとこちらを見て、首を振った。
<br>「ごめん、なんでもない」
<br> 掠れた小さな声は、昼休みの教室だったら聞こえなかっただろうなと思った。河北はそのまま鞄を持つと、来たときと同じ扉から去っていった。
<br> 俺はなんとなく諏訪と目を合わせた。諏訪は小さく肩をすくめた。その通りだ。何かしら用があったのだろう。河北が「なんでもない」と言った以上、なんでもないことなのだろう。俺は解き終わったプリントを押し退けて、次の問題に取り掛かった。


<big>'''僕とタオルケット'''</big>
「しかし、終わらないなあ」
<br> 河北が行ってからしばらく沈黙が下りたが、伸びをしながらいまさらのように諏訪が言った。
<br>「あーあ、お前がそんなこと言うからやる気失せた」
<br> シャーペンを机に放り出して言ってみるが、すぐに拾って続きを始める。そうしないと終わらないから。
<br>「提出が今日だっていつ知ったの?」
<br>「五限」
<br> 数学の授業も終わろうとする頃、森下はやにわに「課題はまとめて職員室に出しに来てね〜」と通達し、みんながうぇ〜いと返事をする中、俺だけが雷のような驚きに打たれていた。そうか、明日は休みだった、と。
<br> そのおかげで五限と六限の間の休み時間はてんやわんやだった。授業が終わると同時にロッカーのプリントを机に全部に放り出した。数えるまでもなく、一日一枚一月分、計三十枚。周りに冷やかされながら、わずかな時間も惜しく、一枚目のプリントに取り掛かった。筆箱から筆記用具を取り出すのもまどろっこしく、中身を全部ぶちまけたから机上はもうカオスだ。一枚目を超特急で終わらせたところで、授業中から行きたかったトイレをこれまた超特急で済ませ、教室に戻ったところで人が少なくなっている。六限は音楽であることにそのとき気づき、机の上のものをすべて鞄に流し込み、そのまま音楽室へ向かったのだった。
<br>「鞄を持って音楽に行ったの? 教科書くらいしかいらないでしょ?」
<br>「筆記用具は必要だった。いちいち筆箱に戻してる時間はなかった」
<br>「だからって鞄に全部入れるとはねえ。午前もそうしていたらよかったのに」
<br>「そうか? 重いぞ」
<br> こうなると筆箱に戻すのがさらに面倒になり、いろんな筆記用具が入ったままの鞄が横に掛かっている。日も傾き始め、窓から入ってくる光もいつのまにか赤みがかっていた。
<br> ずっと机に向かっているから、いい加減息が詰まる。席を立って反対側の窓辺に行った。砂埃を噛んで軋む掃き出し窓を開け、ベランダに出る。背伸びして二階のベランダが持つ解放感をとくと味わう。
<br> 諏訪も来て、深呼吸を始めた。俺は目が疲れていたので、中庭を挟んだ特別棟のベランダの鉢植えを眺めた。凝り固まった水晶体が伸ばされる気がする。
<br>「ねえ、あれ河北さんじゃない?」
<br> 諏訪が特別棟を指差した。


 寒いが羽毛布団を引っ張り出してくるまでもない日は、とても寝苦しい。大抵僕は薄いタオルケット一枚で戦う。それをかぶって寝ようとするのだが、問題は頭である。突出部は効率的に放熱するので、特に耳なんかは非常に冷える。枕に押し付けて暖をとろうにも、嘆かわしいことに両耳を同時に下にすることはできない。そこでタオルケットを頭までかぶるのだが、そうすると今度は息が苦しい。呼吸が窮屈になって寝れたものではない。そうしてまたタオルケットを下ろすのである。
 正面より一つ右、向かいの棟の教室の中に、河北がいた。はっきりとは見えないが、長身に短いくせっ毛、猫背と間違いない。河北だった。下を向いて教室内を徘徊しているみたいだ。
<br> 一方、夏にはタオルケットをかぶる必要はない。しかし、困ったもので体の上に何か乗っていないと落ち着かないのだ。そこで、タオルケットを少しだけかける。問題は、どこにかけるのかだ。頭寒足熱というし足がいいかと思うが、姿勢を変えるたびに蹴飛ばしてしまう。冷やしてはいけないからお腹にしてみるが、今度は何か暑い。まったく、困ったものである。
<br>「あそこは、物理室か?」
<br> この前、気力がない上に寒かったので、昼だというのにベッドに寝転がってタオルケットをかぶっていた。すると、そのタオルケットが随分前からあるものであることに気がついた。二つ前の家に住んでいた時には既にあった。ところどころほつれてきていて、経てきた時間が感じられた。そこではたと思い当たったのだが、僕は今までタオルケットのことをまったく意識していなかった。タオルケットがあるのはもちろん知っていたし、毎夜使ってもいる。しかし、その細部は全くと言っていいほど認識していなかったのだ。そう気づく一分前にタオルケットの色を問われたら、答えられなかったように思うのだ。タオルケットがあることはわかっていたが、言うなれば『タオルケットという概念』として捉えていて、『前の前の家でも使っていた赤いタオルケット』という個体としては微塵も認識していなかった。
<br>「そうだね。物理の授業中は逆にこの教室が見えるし」
<br> 僕の記憶力や注意力が弱いだけなのか、それとも他の人も同じようなことがあるのか。あなたは自分の寝ているシーツがどんな柄だったか、覚えているだろうか。
<br>「窓際の特権だな」
 
<br>「そうだね」
<big>'''僕とソシャゲ'''</big>
<br> 河北は物理室の窓際から離れると、視界から消えた。俺は黙って教室の中に戻った。席に座って数学を再開した俺に、諏訪は言った。
 
<br>「河北さん、何してたんだろうね」
 一年前くらいまで、僕は多くの学生の例に漏れずソシャゲでたくさん遊んでいた。平日でも日に二時間は優に費やしていただろうか。やはり面白いのである。それに毎日ログインすることで得するようになっている。ログボだけでも集めたくなるのは仕方あるまい。多くは勝負事の体裁をとっているため、負けず嫌いの僕は「勝つまでご飯食べない!」などと馬鹿な決心をしては連敗し続けていたものだ。転機は去年の学園祭だった。[[名探偵武者小路の事件簿 消えた打出の小槌の謎|自主制作映画]]の編集をしていた僕は、そのためのストレージを確保するために多くのアプリを削除した。そこですっぱりというわけではないが、僕は次第にスマホゲームから離れるようになった。代わりにSNSの使用時間が大幅に増えたのだが。
<br>「さあな」
<br> 今ではゲームはほぼしなくなりSNSの時間も減った。あんなことで時間を浪費するなんて愚かしいとすら思っている。そう思うまでに、スマホを与えられてから三年近くもかかってしまった。代わりに音楽を流す時間が大幅に増えただけのような気もするが。親にスマホを買ってもらったとき、ほとんど一日中スマホを触っている姉や一緒に帰っているときにさえゲームをしている[[利用者:神座麟|級友]]の姿を見てきたために、ああはなるまいと思っていた。しかし実際はこのざまであった。
<br>「……ねえ、二年の教室で盗難が相次いでるって話、知ってる?」
<br> 中高生はスマホを持たせるにはあまりに幼すぎる。子供だから自制などできない。僕だっていい例だし、弟もテレビのある部屋に籠もりっきりで何をしているのかと思ったらどうもYouTubeを見ているらしい。大画面で。仕方ないのでマサラダといよわを大量に再生して履歴を汚染しておいた。それはいいとして、だからといって大人になってからスマホを持つようにしたらいいのかというと、それも違う気もする。大人になってからスマホを持ったとて、他の人で何年か遅れで同じルートを辿るだけのようにも思う。スマホから脱却するには、スマホを持ってからいろんなアホなことをしでかし、そこから自分で学ぶ経験こそが必要なのではないかと思ったりもする。ガキどもは僕が今まで捨ててきたアホな性格・言動を恥じることなくやっている。おそらく数年後には「死にたい……」と自分の過去を振り返っているのだろう。今の僕のように。最近は中学生を見てよくそのことを実感する。数年の黒歴史量産期間は誰にも不可避のものなのかもしれない。そう考えると、子供のうちに愚かな所業をしておいてできるだけ早い更生に期待するのがまだベターやもしれぬ。
<br> 目を上げたが、諏訪は頬杖をついて横を見ていた。俺はまた目を机に戻す。沈黙に誘い出され、口を開く。
 
<br>「どちらかといえば……」
<big>'''僕と数学'''</big>
<br>「どちらかといえば?」
 
<br>「いや、なんでもない」
 僕はたまに[[利用者:キュアラプラプ|キュアラプラプ]]氏と数学について議論を戦わせる。彼の主張はこうだ。「国語は読めば正答に辿り着ける。しかし数学は解法を思いついた者勝ちのインスピレーションバトルだ」。対する私は「数学の解法は論理的思考によって導出可能だ。国語こそ解釈しだいでどうとでも捉えられる」と言ってきた。数学の答えが一つに定まる厳密性に惹かれて理系に進学した者として、この主張を崩すわけにはいかない。
<br> 教室には俺がシャーペンを走らせる音だけが響く。俺は今日中にこれを終わらせないといけない。他人に構っている暇はない。諏訪も今度は何も言わない。一枚のプリントを横に除け、次に取り掛かる。それも押し退け、次の紙を引っ張り出す。
<br> ところが、少し前、数学の放課後講座に行ったときである。難関大学の入試問題が出され、僕は手も足も出なかった。出たとしても左足の指くらいだった。難関大の過去問とはいえ比較的易しく、既に習った範囲で(理論上は)解ける問題である。先生による解説がなされ、左足の指以上の出し方が説明されると、僕は思った。これはインスピレーションバトルだ。両辺にnをかけるなんて思いつくわけがない。
<br> あと五枚になったところで、集中が途切れた。シャーペンを置いて天井を仰ぎ、深々と息を吐き出す。そのまま目を瞑った。少し休憩するつもりだった。瞼の裏に去来するのは、心に引っかかっているのか、河北の姿だった。
<br> こうして僕は思い知った。数学はレベルが高いほどインスピレーションバトルになる。キュアラプラプ氏が数学をインスピレーションバトルだと言い募っていたのは、彼がより難しい数学をしていたためだったのだ。内進文系諸君はなぜか我々より難易度の高い教材を使っている。指導教諭の頭がおかしいとしか思えないのだが、ともかく彼らはハイレベルな問題を解こうとしているから、数学をインスピレーションバトルに感じるのではないか。
<br> あれは帰りのSHRだった。一二限に行われた卒業生の講話の感想シートを集める段になった。配られたプリントの下半分が感想欄になっていて、そこを切り取って提出することになっていた。
<br> ならばどうすればよいのか。十分な演習が解決すると僕は思う。膨大な量の問題を解くことで多くのインスピレーションを事前に獲得しておく。そうすることで、初見の解法が少なくなり、ハイレベルな問題もインスピレーションバトルではなくなるのではないか。そのとき、難関大の入試問題すらも論理的思考でねじ伏せることが可能になる。
<br> 講話中は寝ていたので、当然白紙だった。時間もなかったし、大きく「とてもためになりました」と書き殴った。隣の諏訪が眉を顰めた気がしたが気にしないことだ。そして手でビリリと紙を破った。切り口が歪んで「ました」の上の方がもっていかれてしまい、諏訪が確実に眉を顰めたが、気にしないことだ。
<br> 理論上はそうだ。実際問題、「膨大な量の問題を解く」なんてできそうにない。難しい数学はインスピレーションバトルであり続けるだろう。
<br> 後ろから紙を回すので、俺は振り返って後ろの河北を向いた。はさみを持っていないのは俺だけではなかったようで、河北は小さな消しゴムを切り取り線に当ててどうにか綺麗に紙を切ろうとしていた。
 
<br>「手で千切れば?」
<big>'''僕と睡眠時間'''</big>
<br>「あっ、えっと、あの」
 
<br>「ミッキーは柏原みたいに野蛮じゃないもんね~。はい、ハサミ貸したげる」
 この前、Mitchie Mの『ビバハピ』を聞いていたら驚いた。初音ミクの調声のあまりの上手さにではない。いやそれも驚嘆したが、「クタクタ 睡眠は8時間」という歌詞にである。これは僕の平日の睡眠時間に相当する。疲れてるなら10時間寝ろよと僕は思った。この歌に限らず、「8時間睡眠」といえば長い眠りの代名詞だし、フィクションの大人はよく1時くらいまで起きている。
<br>「あっ、ありがとうございます、すみません」
<br> 僕はおそらく多くの同年代の人より寝るのが早い。基本的に10時に床につく。最近は弟より早いくらいだ。僕が小学生のときは9時過ぎには寝ていたのに。平日は8時間近く寝ているが、十分かと言われるとそうでもない。その証拠に、休日は10時間くらい寝ている。つまり普段の睡眠は足りていないのだ。しかし、友達に就寝時刻を聞くと早くても11時とかで、日付が変わる頃が一番多いような気がする。この前なんか、朝8時くらいに起きて最近の更新をチェックしたら、深夜3時くらいに[[Sisters:WikiWikiリファレンス/公序ソング#コンビニ・バイト|公序ソング]]を投稿している[[利用者:芯|人]]がいた。寝ろやと僕は常々思っている。そしたらその時そいつは既に起床していた。僕はびっくりした。遅寝早起きである。僕の理想と正反対である。
<br> 俺の素晴らしく合理的な提案を棄却し、隣の瀬田由香梨がハサミを貸して河北は紙を切り取った。河北は小さな声で礼と謝罪を言ってハサミを返した。俺は河北がよく謝ることに気がついていた。
<br> 世にはショートスリーパーなどという生き物もいるらしい。そういう人と比すと、僕は一日当たり数時間も活動時間が短くなっているわけである。それは不利と言えるかもしれない。しかし、僕は長めに寝ることで健康を得ている気がするので、悔やむ気持ちはない。僕が危惧しているのは逆である。僕は無意識のうちに、自らの早寝を誇らしく思っていた。寝てない自慢の逆、寝てる自慢をしていた心当たりが僕にはある。「え〜そんな時間まで起きてたの? 僕は10時には寝てたよお」みたいな具合である。僕と話していた人は「墓場で一生寝てろボケナス」と思っていたのかもしれない。怖ろしい。寝てる自慢はやめようと僕は思った。え? 普段いつ寝てるかって? 11時半くらいですかね。

4年7月1日 (I) 23:55時点における版

「柏原は、頭は切れるくせに変なところで抜けてるよね」
 俺の前の席に後ろ向きにまたがった諏訪昇は、眼鏡越しに少し笑いながらそう言ってみせる。一方の俺は、心当たりがあるだけに強く言い返せない。
「そのせいでプラマイマイナスになってることが多くない?」
「自覚はあるんだけどなあ。直そうと思って直せる癖じゃない気がする」
「今こうして机に齧り付いてるのも不注意の産物なわけだし」
 机の上には数学のプリントが散乱していて、俺はそれらを片っ端から埋めている状況だ。木曜日、時計の針は五時を回っていて、放課後になってから一時間以上経っている。
「明日が休みだなんて忘れてたんだ」
「創立記念日だって先生も言ってただろう。聞いてなかったの?」
「聞いてたさ。これが今週末に提出なのも知ってた。けど、その二つが結びつかないんだ」
「そもそも三十枚もためこむなよ。こつこつやればよかったんだ」
「今日の夜にまとめてやる予定だったんだ」
 休み時間にも進めたが、いまだ十枚近く残っている。二人しかいない教室で俺は減らないプリントに苛立ちながら因数分解の問題を解き続け、諏訪は手伝う気もなさそうに見ているだけだ。
 力を込めすぎてシャーペンの芯が折れた。机の横に手を伸ばし、見もせずに鞄をがさごそ探ってシャー芯のケースを引っ張り出してくる。いろんなものを無造作に放り込んだせいで筆箱と化した学校指定の鞄は、全開にされて机の横のフックにかけられている。力なく口を大きく開けたその姿は、気力を失った主人の心境を写しているみたいだ。
「午前の物理だってさあ。あ、そこ計算違うよ。小テストで、えっ今舌打ちした?」
「計算ミスに対してだから気にするな。消しゴムどこだ?」
「そのプリントの下。武藤先生に晒し上げられてたじゃん」
「定規忘れたんだ、仕方ないだろ」
 力の合成と分解の小テストがあったのだが、俺は定規を家に忘れたから、やむを得ず矢印をフリーハンドで書いた。そうしたら、テストを回収して一通り目を通した武藤が俺の答案を全員の前で掲げて「物差しを使ってないやつが一人だけいるぞ誰だ柏原かちゃんと使うことガハハハ」みたいなことを言った。別に悪意あってのことではないから腹が立ちはしないが、合わせてけたたましく笑っていた女子たちには心を削られた。
「忘れ物くらい誰だってするだろ」
 プリントに目を落としたまま、言い訳を口にする。諏訪が笑った気配がした。
「こないだの体育のときだってそうでしょ。いつ聞いても傑作だね。抜けてるにもほどがあるよ」
「結局間に合ったんだからいいだろ」
「いやいや、ずっと寝てたならまだしも、寝ぼけて……」
 諏訪が俺の失敗を掘り返そうとしたその時、教室の扉が開いた。

 俺の席のすぐ後ろ、教室の後方の扉を開けて入ってきたのは、河北幹江だった。反射的に振り返った俺と目が合うと、そそくさと目を逸らして廊下側最後尾の彼女の席——俺の一つ後ろの席——に鞄を置いた。背が高くショートカットの彼女は一見バレーボールでもしていそうな見た目だが、なんの部活にも所属していないようだ。シャイな性格らしく、会話したことはあまりない。隣の瀬田は何かと話しかけているが。
 特に仲がいいわけでもない人が近くにいると、馬鹿話をするのは気が引ける。俺は黙ってプリントを解き、諏訪も「そろそろあと九枚だよー」と思いもしない励ましを口にするのみになった。
 後ろの河北が何をしているのかわからなかったが、やがて机の横を通って教室前方へと歩いていった。そして綺麗な教卓に手を添わせたところで目が合いそうになったので、俺は慌てて因数分解に集中した。足して四、かけてマイナス十二になるのはえーと……。
 しばし集中して一気呵成に二十一枚目のプリントを終わらせたとき、河北が横に立っているのに気づいた。俺の机の辺りを見ている。
「どうかした?」
 そう聞くとビクッとこちらを見て、首を振った。
「ごめん、なんでもない」
 掠れた小さな声は、昼休みの教室だったら聞こえなかっただろうなと思った。河北はそのまま鞄を持つと、来たときと同じ扉から去っていった。
 俺はなんとなく諏訪と目を合わせた。諏訪は小さく肩をすくめた。その通りだ。何かしら用があったのだろう。河北が「なんでもない」と言った以上、なんでもないことなのだろう。俺は解き終わったプリントを押し退けて、次の問題に取り掛かった。

「しかし、終わらないなあ」
 河北が行ってからしばらく沈黙が下りたが、伸びをしながらいまさらのように諏訪が言った。
「あーあ、お前がそんなこと言うからやる気失せた」
 シャーペンを机に放り出して言ってみるが、すぐに拾って続きを始める。そうしないと終わらないから。
「提出が今日だっていつ知ったの?」
「五限」
 数学の授業も終わろうとする頃、森下はやにわに「課題はまとめて職員室に出しに来てね〜」と通達し、みんながうぇ〜いと返事をする中、俺だけが雷のような驚きに打たれていた。そうか、明日は休みだった、と。
 そのおかげで五限と六限の間の休み時間はてんやわんやだった。授業が終わると同時にロッカーのプリントを机に全部に放り出した。数えるまでもなく、一日一枚一月分、計三十枚。周りに冷やかされながら、わずかな時間も惜しく、一枚目のプリントに取り掛かった。筆箱から筆記用具を取り出すのもまどろっこしく、中身を全部ぶちまけたから机上はもうカオスだ。一枚目を超特急で終わらせたところで、授業中から行きたかったトイレをこれまた超特急で済ませ、教室に戻ったところで人が少なくなっている。六限は音楽であることにそのとき気づき、机の上のものをすべて鞄に流し込み、そのまま音楽室へ向かったのだった。
「鞄を持って音楽に行ったの? 教科書くらいしかいらないでしょ?」
「筆記用具は必要だった。いちいち筆箱に戻してる時間はなかった」
「だからって鞄に全部入れるとはねえ。午前もそうしていたらよかったのに」
「そうか? 重いぞ」
 こうなると筆箱に戻すのがさらに面倒になり、いろんな筆記用具が入ったままの鞄が横に掛かっている。日も傾き始め、窓から入ってくる光もいつのまにか赤みがかっていた。
 ずっと机に向かっているから、いい加減息が詰まる。席を立って反対側の窓辺に行った。砂埃を噛んで軋む掃き出し窓を開け、ベランダに出る。背伸びして二階のベランダが持つ解放感をとくと味わう。
 諏訪も来て、深呼吸を始めた。俺は目が疲れていたので、中庭を挟んだ特別棟のベランダの鉢植えを眺めた。凝り固まった水晶体が伸ばされる気がする。
「ねえ、あれ河北さんじゃない?」
 諏訪が特別棟を指差した。

 正面より一つ右、向かいの棟の教室の中に、河北がいた。はっきりとは見えないが、長身に短いくせっ毛、猫背と間違いない。河北だった。下を向いて教室内を徘徊しているみたいだ。
「あそこは、物理室か?」
「そうだね。物理の授業中は逆にこの教室が見えるし」
「窓際の特権だな」
「そうだね」
 河北は物理室の窓際から離れると、視界から消えた。俺は黙って教室の中に戻った。席に座って数学を再開した俺に、諏訪は言った。
「河北さん、何してたんだろうね」
「さあな」
「……ねえ、二年の教室で盗難が相次いでるって話、知ってる?」
 目を上げたが、諏訪は頬杖をついて横を見ていた。俺はまた目を机に戻す。沈黙に誘い出され、口を開く。
「どちらかといえば……」
「どちらかといえば?」
「いや、なんでもない」
 教室には俺がシャーペンを走らせる音だけが響く。俺は今日中にこれを終わらせないといけない。他人に構っている暇はない。諏訪も今度は何も言わない。一枚のプリントを横に除け、次に取り掛かる。それも押し退け、次の紙を引っ張り出す。
 あと五枚になったところで、集中が途切れた。シャーペンを置いて天井を仰ぎ、深々と息を吐き出す。そのまま目を瞑った。少し休憩するつもりだった。瞼の裏に去来するのは、心に引っかかっているのか、河北の姿だった。
 あれは帰りのSHRだった。一二限に行われた卒業生の講話の感想シートを集める段になった。配られたプリントの下半分が感想欄になっていて、そこを切り取って提出することになっていた。
 講話中は寝ていたので、当然白紙だった。時間もなかったし、大きく「とてもためになりました」と書き殴った。隣の諏訪が眉を顰めた気がしたが気にしないことだ。そして手でビリリと紙を破った。切り口が歪んで「ました」の上の方がもっていかれてしまい、諏訪が確実に眉を顰めたが、気にしないことだ。
 後ろから紙を回すので、俺は振り返って後ろの河北を向いた。はさみを持っていないのは俺だけではなかったようで、河北は小さな消しゴムを切り取り線に当ててどうにか綺麗に紙を切ろうとしていた。
「手で千切れば?」
「あっ、えっと、あの」
「ミッキーは柏原みたいに野蛮じゃないもんね~。はい、ハサミ貸したげる」
「あっ、ありがとうございます、すみません」
 俺の素晴らしく合理的な提案を棄却し、隣の瀬田由香梨がハサミを貸して河北は紙を切り取った。河北は小さな声で礼と謝罪を言ってハサミを返した。俺は河北がよく謝ることに気がついていた。