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某日、一人の常習者がこう言った。
'''音楽創造計画'''とは、かねてより一部の常習者達により進められている、'''音楽'''を創造するプロジェクトである。
 
「音楽の母はヘンデルなんだよ」
 
その言葉から、音楽創造計画は始まった。……


==概要==
全ての音楽制作は自慰行為に過ぎない。音楽創造の真似事であり、独りよがりの寂しい行為だ。
<br>全ての音楽は真の音楽の粗悪な模倣に過ぎない。しかし粗悪であってもそれは例外なく模倣であり、僅かながらの類似性を含む。
<br>では、真の音楽とはどのようにして生み出されるのだろうか。それは至極簡単だ。
<br><br>'''真の音楽'''とは、'''音楽の父'''と'''音楽の母'''によって創造されるのである。
<br>


'''音楽創造計画'''とは、かねてより一部の常習者達により進められている、'''音楽'''を創造するプロジェクトである。
==概要==
全ての音楽制作はただの自慰行為に過ぎない。音楽創造の擬似行為であり、しかもそれは独りよがりの寂しいものだからだ。では、真の音楽とはどのようにして生み出されるのだろうか。それは至極簡単な理屈で説明できる。'''真の音楽'''とは、'''音楽の父'''と'''音楽の母'''によって創造されるのである。
==詳細==
===音楽の父===
===音楽の父===
音楽の父は、バッハである。[[ファイル:バッハ2.jpeg|サムネイル|右|300px|バッハ。音楽の父]]
音楽の父は、バッハである。[[ファイル:バッハ2.jpeg|サムネイル|右|300px|バッハ。音楽の父]]
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バロック音楽の重要な作曲家の一人で、鍵盤楽器の演奏家としても高名であり、当時から即興演奏の大家として知られていた。バッハ研究者の見解では、バッハはバロック音楽の最後尾に位置する作曲家としてそれまでの音楽を集大成したとも評価されるが、後世には、西洋音楽の基礎を構築した作曲家であり音楽の源流であるとも捉えられ、「音楽の父」と称されている。
バロック音楽の重要な作曲家の一人で、鍵盤楽器の演奏家としても高名であり、当時から即興演奏の大家として知られていた。バッハ研究者の見解では、バッハはバロック音楽の最後尾に位置する作曲家としてそれまでの音楽を集大成したとも評価されるが、後世には、西洋音楽の基礎を構築した作曲家であり音楽の源流であるとも捉えられ、「音楽の父」と称されている。


彼、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(独: Johann Sebastian Bach)は少なくとも1685年3月31日頃から存在していることがわかっている。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(独: Johann Sebastian Bach)は少なくとも1685年3月31日頃から存在していることがわかっている。


我々は幸運にも、計画発足時点でバッハを既に発見、捕捉していた。
我々は幸運にも、計画発足時点でバッハを既に発見、捕捉していた。


右の肖像画は現在彼は
 




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ドイツ出身の作曲家、オルガニスト。イタリアで成功した後にイギリスで長年活躍し、イギリスに帰化した。後期バロック音楽の著名な作曲家の一人で、特にイタリア語のオペラ・セリアや英語のオラトリオの作曲で知られ、自ら公演事業にも携わった。オラトリオ『メサイア』は現在でも特に人気が高い。
ドイツ出身の作曲家、オルガニスト。イタリアで成功した後にイギリスで長年活躍し、イギリスに帰化した。後期バロック音楽の著名な作曲家の一人で、特にイタリア語のオペラ・セリアや英語のオラトリオの作曲で知られ、自ら公演事業にも携わった。オラトリオ『メサイア』は現在でも特に人気が高い。


彼、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(ドイツ語: Georg Friedrich Händel)は少なくとも1685年2月23日頃から存在していることがわかっている。
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(ドイツ語: Georg Friedrich Händel)は少なくとも1685年2月23日頃から存在していることがわかっている。
 
<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
 
==詳細==
 研究室を出て廊下を進むと、突き当たりにオフィスの扉が見えた。近づいていくほどに、うっすらとしていたクラシック音楽の音が大きくなっていく。懐古趣味の悦楽主義者。私はため息を吐くと、博士のオフィスへと、ノックもせずに入った。
<br> 扉を開くとバイオリンの荘厳な音色が聞こえた。アンティーク品が所狭しと置かれた雑多な部屋だ。研究室との違いは全くわからないが、ここはオフィスらしい。彼はそういうことにうるさい。私は扉に背を向け窓の方を向いている博士に
<br> 「こんにちは」
<br> 返事はない。私は再びため息を吐いて、彼の右耳に装着されている白い器具を奪った。
<br> 「こんにちは」
<br> 「ああ君か」
<br> 彼は勿体ぶった様子でもう片方の器具を取ると、私に笑いかけた。
<br> 「まあ、座りたまえよ」
 
 
<div style="display:flex;margin: 0 auto;width:fit-content;">
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| style="white-space:nowrap;font-size:3vw ; border: 10px solid green ; width:10vw ; vertical-align:middle; -ms-writing-mode:tb-rl; -webkit-writing-mode:vertical-rl; writing-mode:vertical-rl;" | '''<big style="position:relative;left:50%;transform: translateX(-50%);display:block;">ラプラプはあなたを見ています</big>'''
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素晴らしい
 
==とりまやりたいことやる==
 
 
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{{色変化|変化方法=patrol|style=font-size:5vw|内容=すげー!!!}}
 
<br>
{{Loading}}{{Loading}}{{Loading}}{{Loading}}{{Loading}}{{Loading}}{{Loading}}{{Loading}}
==思想について==
 
 
{{天皇陛下万歳}}
<br>
{{粛清}}
<br>
{{ナチス}}
<br>
[[利用者:Mapilaplap|Mapilaplap]]は中道で<ruby>右派左派<rt>うはさは</rt></ruby>している左右同体の気狂い! 極道だぞ!!!
 
{{基礎情報_ポケモン|名前=ナズナちゃん|英名=Nazunatyan|画像=ナズナちゃん.jpg|全国図鑑番号=No.1圧倒的No.1|分類=吸血鬼だってさ。かぁわいい。|タイプ=お姉さん<br>かわいい|特性=下ネタとビールだってさ。かぁわいい。|隠れ特性=添い寝屋だってさ。いつか利用したいね。|たかさ=1.6m位だってさ。かわいい。|おもさ=45kg位だってさ。かぁわいい。|進化前=進化前もかわいいらしいね。かぁわいい。|進化後=かわいいらしいね。かわいらしいね。かわいいね。}}
 
 
<br>
 
{{ジョン殺}}
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Oh! ウサリンゴ!! カワイイネ!!カワイイネ……
 
<br>
{{テンプレート|帯の色=white|背景色=red|画像ファイル=ナズナ2.jpg|文章='''ナズナちゃんを愛そう!!!}}
 
 
 
{{革命|nation=ドイツ第二帝国}}
 
 
<span style="border:3px solid red">座布団!!!</span>
 
<br>
<br>
==ほっと一息文芸タイム==
 
<br><br>月光の中に
 
<br><br>この廃港に来て朽ちた桟橋を歩み
<br>まあるい金色の月を見上げた。
<br>小舟の帆柱はゆるい蛇状を描き
<br>ゆら、ゆら、ゆらとゆれている。
 
<br><br>今日のひる
<br>コケツトの少女がやつて来て
<br>オリオンはどの方角へ出るのと聞いた。
<br>桟橋。
 
<br><br>僕のマントのえりを、
<br>ひゆつ、ひゆつと過ぎる凍つた風
<br>もう少女が来ないのかしら。
<br>瞳。月光にゆれて光つた瞳。
<br>ああ、
<br>また明日の寝覚めに
<br>夜見た夢の幸福を抱きしめて泣かう。
<br>火星が出ている。
<br>波に、ゆられて泣きたい。
 
<br>『愛謡』1929年 河田誠一 18歳
 
<br><br><br><br><br><br>白氷の扉
 
<br><br>火のようにせつなくもゆるこころに
<br>ミミイよ。
<br>秋は白氷の扉。
<br>奇跡の街のかぜは羊の冷い乳房をながれ、
<br>木樂林をゆく影はとほい木霊のさやぎに消える。
<br>苦行の渓谷、
<br>文明の星。
<br>魚養は卵の溶けた満月のなかを
<br>青い馬にのつて海底をくぐるあの人の童貞を追ふ。
<br>赤い耳環とサイレン塔。
<br>淡麗な秋のみなとに
<br>そのあした、白い山嶺はそびえたか。
<br><br>   ×
<br><br>夏の海ほのにもゆる夕は
<br>ミミイよ。
<br>わが胸の火の悲しみ極まりなく、
<br>赤い月は、ボロボロの性欲。
<br>さるを、
<br>昆蟲は星となり、
<br>墓石はみごもつた子宮をたべ
<br>せかいはくらがりの重圧をかんじない。
<br>失意の耳。
<br>アネモネの春。わが若き青き生活に
<br>火よりもなほはげしくうたふいのちに
<br>ミミイよ、
<br>かたき白氷の扉。
 
<br><br>『愛謡』1930年 河田誠一 19歳
 
 
<br><br><br><br><br>河田 誠一(かわだ せいいち、1911年〈明治44年〉11月23日 – 1934年 〈昭和9年〉2月3日)は、香川県出身の日本の詩人であり小説家。
<br>早稲田大学第二高等学院で田村泰次郎と出会い、深い交流があったほか井上友一郎や坂口安吾などと文学活動を行った。文芸誌『東京派』や『桜』を創刊し、豊かな才能を認められながらも、結核により22歳で夭折した。……
<br><br><br><br><br>最も猥褻なものは縛られた女の肉体である――サルトル
<br><br><br><br><br>十九歳
<br><br>五歳の時
<br>わたしは宝石を失くした
<br><br>十歳の時
<br>わたしは宝石が何であるかを知った
<br><br>十五歳の時
<br>わたしは宝石をさがしに出かけた
<br><br>十七歳の時
<br>わたしの宝石は水の中で光った
<br><br>十九歳の時
<br>わたしは愛という名の宝石を手に入れた
<br><br>だが
<br>それはわたしの失くした宝石ではない
<br>わたしの失くした宝石は
<br>いまも
<br>世界のどこかで
<br>名もない星のように光っていることだろう
<br><br>              寺山修司
 
 
<br><br><br><br><br>    恋 ロ 愛         愛 モ 恋
<br>  一 の | さ い     い さ | の 一
<br>み 本 本 ラ な の 一 ぼ の な ツ 本 本 み         ハ
<br>ず の 恋 ン い 愛 羽 く 愛 い ア 恋 の ず         |
<br>え 楡 の サ の せ の は せ の ル の 楡 え         ト
<br>  の 本 ン 愛 な 蝶 口 な 愛 ト 本 の           型
<br>  木 恋 を せ い も 笛 い せ を 恋 木           の  
<br>    の 読 な の 哲 が の な 聴 の             思
<br>    本 ん い 愛 学 吹 愛 い い 本             い 
<br>      だ の さ を け さ の た          寺    出
<br>      夏 愛 な す な な 愛 夏          山
<br>        さ い る か い さ
<br>        な の だ っ の な            修
<br>          ? ろ た ?              司
<br>            う ん
<br>            か だ
<br><br><br><br><br><br>寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12月10日 - 1983年〈昭和58年〉5月4日)は、日本の歌人・劇作家。「言葉の錬金術師」「アングラ演劇四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表した。
<br><br><br><br><br>
==『ハート型』打つの疲れた==
でも<span style="border:3px solid red">後悔</span>{{色変化|変化方法=grainbow|style=font-size:5vw|内容=は}}<span style="border:3px solid red">して</span>{{色変化|変化方法=grainbow|style=font-size:5vw|内容=いない!!!}}
 
{{Cursor|class=none|style=color:green|表示文=オデュッセイアとは、ギリシャの吟遊詩人ホメロス作とされる英雄叙事詩です。トロイア戦争に勝利したギリシャ連合軍の知将オデュッセウスの後日譚であり、同じくホメロス作のトロイア戦争を題材とした叙事詩イリアスの後に作られました。
 
主人公となるオデュッセウスは小さな島国イタケ―の王。物語の大部分は、トロイア戦争終結後にオデュッセウスが神々の陰謀によるさまざまな困難を乗り越えながら10年間の長い歳月をかけて故郷のイタケーに戻る途中の冒険談です。さらに、その後自国に到着してから妻に求婚を迫っている男たちを粛清する話が書かれています。
 
オデュッセイアは紀元前8世紀頃にホメロスをはじめとする吟遊詩人によって歌われ、その詩を紀元前6世紀頃に書写して作られたと考えられています。そして後世に編集され、約1万2,000行にわたる24巻で構成されています。
 
叙事詩の題名であるオデュッセイア(odysseia)は、「オデュッセウス」の歌という意味です。ギリシャの知将オデュッセウスを主人公とし、物語の中でオデュッセウス自身が語り手となっている場面もあります。オデュッセウスの帰還物語を歌ったため、そのままオデュッセウスの歌という題名がつけられたと考えられます。
 
なお、英語ではオデュッセイアは、オデッセイ(odyssey)と呼ばれています。英単語のodysseyは、オデュッセイアの内容に由来して「長期間の放浪冒険旅行」の意味もあります。
 
オデュッセイアの作者ホメロスとは?
 
ホメロスは、紀元前850年頃にトルコのスミルナ(現イズミル)に住んでいた吟遊詩人です。現代でも世界中で読み継がれる叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』を生み出したとされ、古代ギリシャ時代の価値観や、その後の文化・芸術に多大な影響を及ぼしました。
 
しかし実は、イリアスとオデュッセイアが本当にホメロスによって作られたかどうかは未だ議論が続いており、それどころかホメロスが実在したかどうかもはっきりと解明されていません。
 
ホメロス実在の真偽は別として、キャラクターや物語の一貫性から、イリアスとオデュッセイアはそれぞれ一人の詩人によって作られたと考えられています。一方で、物語の構成や特徴がそれぞれ明確に異なっていることから、イリアスとオデュッセイアの作者は異なるとする説が主流になっているのです
 
オデュッセイアの登場人物一覧
 
オデュッセウス:物語の主人公。イタケーという小さな島国の王であり、トロイア戦争でも活躍した知将。
ペーネロペー:オデュッセウスの妻。オデュッセウス不在の中、多くの求婚者に迫られる。
テレマコス:オデュッセウスの息子。ペーネロペーの求婚者の横暴に耐え兼ね、父を探す旅に出る。
メネラーオス:トロイア戦争で副大将を務めたスパルタの王。
カリュプソー:オデュッセウスを愛していたことから彼を捕らえた女神。
ポセイドン:オリュンポス十二神の一柱。度々オデュッセウスの帰路を妨害する。
ナウシカアー:ポセイドンによって漂流してしまったオデュッセイアを助けたスケリア島の王女。ジブリ作品『風の谷のナウシカ』の名前の由来。
キルケ:アイアイエー島に住む魔女。オデュッセウスたちを館に住まわせ、冥界への旅路を手助けする。
 
 
オデュッセイアは、10年にわたる長い歳月の中でオデュッセウスが持ち前の勇気と知力を使ってさまざまな困難に立ち向かいながら、故郷を目指してエーゲ海や地中海周辺を旅する壮大な冒険談です。戦いだけでなく多彩な要素が詰め込まれた重層的なストーリーであり、イリアスより短いため、オデュッセイアのほうが読みやすく楽しめると感じる人も多いでしょう。
 
一方、オデュッセイアは主人公であるオデュッセウスが中心の物語で、叙事詩イリアスと比べると他のギリシャの英雄たちの登場機会はあまりありません。そのためトロイア戦争における多くの英雄や神々の活躍が描かれたイリアスのほうが、特に子供たちにとっては胸躍る物語かもしれません。ブラッド・ピット主演の映画「トロイ」で興味を持った方などは、まずイリアスを手に取ってみるといいでしょう。
 
有名なトロイの木馬が出てくるのはオデュッセイア
難攻不落のトロイア城陥落のカギとなったのがトロイの木馬作戦であることは有名ですが、実はイリアスは主人公アキレウスに焦点を当てたトロイア戦争終盤の51日間のみを描く叙事詩であり、トロイの木馬やトロイア戦争終結の顛末までは書かれていません。
 
トロイの木馬作戦については、オデュッセイアの中盤で発案者であるオデュッセウス自身が語るかたちで描かれます。しかし、今日私たちがよく知るトロイの木馬のストーリーの多くは、ホメロスの時代よりもしばらく後、紀元前20年ごろに古代ローマの詩人ウェルギリウスが書いた叙事詩『アエネーイス』によるものなのです。
 
アエネーイスは、トロイア戦争でトロイア側について活躍した英雄アエネーアースを主人公とする物語で、ホメロスのイリアスとオデュッセイアを模倣して作られたため、構成がよく似ています。
 
オデュッセイアの主人公オデュッセウスはどのような人物?
オデュッセウスはイタケーという小さな島国の王で、武力にも優れていますが、力よりも策略や知力を駆使して戦う知将です。現在のギリシャのイオニア海にイタキ島という島がありますが、この島がオデュッセウスの国であるかどうかは判明していません。
 
トロイア戦争では、アキレウスと共に活躍をするギリシャの武将で、様々な活躍が描かれています。ホメロスのイリアスではアキレウスと一緒に2大英雄として扱われています。また、オデュッセウスはトロイア戦争を終結させたトロイの木馬作戦の発案者です。
 
オデュッセウスの父親はイタケー前王のラーエルテースで、妻はペーネロペー、子供はテレマコスです。戦いや知恵の女神アテーナーから強い加護を受けており、トロイア戦争中や帰還の途中にアテーナーに助けられることが多くありました。
 
オデュッセウスは、トロイア戦争に参加した際は、長期にわたり故郷に戻ることが出来ないという神託を受けていました。そのためオデュッセウスは一計を案じ、畑に塩を撒くなどの行動をすることで、精神が不安定であるふりをしました。しかし、畑を耕す牛の前に息子を置かれた際に、鋭い刃を持つ農具が息子を避けて通ったことから計略と分かってしまい、トロイア戦争に参加せざるを得なくなってしまいます。
 
トロイア戦争が10年間続き、戦争後、様々な困難が待ち受けイタケーに帰還するのに10年かかったため、神託のとおり出発してから20年後に故郷に帰ることが出来ました。
 
【全解説】オデュッセイアのあらすじ
1~2巻:テレマコス旅立ちの決心
3~4巻:テレマコスがオデュッセウスの手がかりを発見
5~8巻:オデュッセウスがカリュプソーの島から脱出
9巻:ロートパゴス族とキュプロクスの島(オデュッセウスの冒険談)
10巻~11巻:魔女キルケと冥界への旅(オデュッセウスの冒険談)
12巻:怪物セイレーンとスキュラ(オデュッセウスの冒険談)
13巻~16巻:オデュッセウスとテレマコスのイタケー帰還
17巻~19巻:老人に扮したオデュッセウスとペーネロペーの再会
20巻~22巻:オデュッセウスによる求婚者たちへの粛清
23巻~24巻:オデュッセウスとペーネロペーの本当の再会
 
オデュッセイアは、息子テレマコスが父を探してオデュッセウスが故郷への帰還の旅を始める(1~8巻)、オデュッセウスの冒険談(9~12巻)、オデュッセウスが自国イタケ―に帰還して妻との再会を果たす(13~24巻)と、大きく3部に分けられます。
 
 1~2巻―テレマコス旅立ちの決心
 
トロイア戦争が終結した後も、オデュッセウスは自国イタケーには戻ってきていませんでした。イタケー王宮には、オデュッセウスの妻ペーネロペーと息子テレマコスが暮らしており、他にペーネロペーと結婚を望む多くの求婚者が住みついています。オデュッセウスが帰国しないことから、オデュッセウスは亡くなったと考えられていました。そのためイタケー王国の財産目当てでペーネロペーに求婚をするものが後を絶たず、彼らは宮殿に滞在し、宴会を開き傍若無人にふるまっていました。
 
オリンポスの神々の間では、オデュッセウスを故郷イタケーに帰すかどうかの協議が行われていました。ほとんどの神が帰還させることに同意をしていましたが、海の神ポセイドンだけは反対をします。ポセイドンは自分の子供である一つ目巨人ポリュペーモスの目を、オデュッセウスが潰したことに怒っていました。そのためオデュッセウスに対して海難を与えていました。
 
ポセイドンが不在の間に、オデュッセウスの守護者である知恵の神アテーナーは、最高神ゼウスにオデュッセウスが故郷に帰るための許可を頼み込みました。次にアテーナーは、異国の王メンテースに姿を変え、イタケー王宮に行きオデュッセウスの子供テレマコスに会いました。そして、求婚者たちが我が物顔で王宮を占拠している状況を変えるためには、父親の生死をはっきりさせる必要があると助言をしました。そのためにテレマコスが父親を探す旅に出る事を説きます。
 
テレマコスは翌日に集会を開き、イタケー市民の前で、求婚者たちが横暴なふるまいをしていることを話しました。しかし、求婚者たちが次々と反論してテレマコスの言葉をかき消したため、市民に訴えるだけでは問題解決にはなりませんでした。そしてついにテレマコスは父を探す旅に出る事を決意します。アテーナーが船と乗組員を手配し、求婚者たちが眠っている夜の間にイタケーを出発し、ギリシャ本土のピュロスにいる老将ネストールを訪ねることにしました。
 
 3~4巻―テレマコスがオデュッセウスの手がかりを発見
 
ピュロスに到着したテレマコスとメンテース王に変装したアテーナーは、トロイア戦争にオデュッセウスと共に参戦していた老将ネストールに面会をします。ネストールによると生き残った英雄たちは帰国時に2つの部隊に別れ、ネストールとオデュッセウスは別々の部隊となったため、オデュッセウスの行方と生死は分からないということでした。
 
ネストールは自分が情報を知っている他のギリシャの英雄たちの話を聞かせました。その中で、トロイア戦争で副大将を務めていたメネラーオスが、エジプトへ漂流をしたのち、最近スパルタに帰国した話をしました。そしてテレマコスにスパルタ王のメネラーオスを訪ねることを提案します。
 
翌日ネストールの息子の案内でスパルタに向けて出発します。無事にスパルタ王国に到着し、メネラーオス王とその妻のヘレネーに会いました。オデュッセウスの息子であると知ると彼らは感激し、トロイア戦争でのオデュッセウスの活躍をテレマコスに伝えました。さらに彼らがエジプトから帰る途中のファロス島で、海の神プロテウスからオデュッセウスがカリュプソーの島で捕らわれているという話を聞いたことを伝えます。
 
一方、そのころイタケーの王宮にいる求婚者たちは、テレマコスがいなくなっているのに気づきます。怒った求婚者たちはテレマコスがイタケーに戻って来るときに、途中で待ち伏せして殺してしまうという計画を立てました。テレマコスの母ペーネロペーは彼らの陰謀を耳にし、女神アテーナーに息子が無事帰還することを祈ります。
 
 5~8巻―オデュッセウスがカリュプソーの島から脱出
 
スパルタ王のメネラーオスの話の通り、オデュッセウスは女神カリュプソーの島で7年間捕らわれていました。オデュッセウスが故郷への帰還を望んでいるにも関わらず、カリュプソーはオデュッセウスを愛していたため、彼に不死を与え夫として一緒に暮らすことを望んでいました。しかし、アテーナーから嘆願を受けたゼウスがオデュッセウスの帰還を許可し、ゼウスから遣わされたヘルメースがその旨をカリュプソーに伝えました。
 
最高神ゼウスから連絡を受けた女神カリュプソーは、オデュッセウスに衣類や食べ物を与え、オデュッセウスはいかだを作り島から出発します。しかし、オデュッセウスが島から出たことを知ったポセイドンが、大きな波を起こし、いかだを転覆させました。海に投げ出されたオデュッセウスは海の妖精の助けも得て、数日間必死に泳ぎ続けて海岸に漂着しました。疲れ果てたオデュッセウスは、海岸の草の茂みの中で眠りに落ちました。
 
翌朝、夢の中でアテーナーからお告げを受けた女性ナウシカアーが、お告げの通り海岸線に行くとオデュッセウスを見つけました。ナウシカアーはスケリア島の王女で、父であるアルキノオス王の元にオデュッセウスを案内します。アルキノオス王はオデュッセウスの素性を知りませんでしたが、彼を歓迎し、帰国するための船を用意することを約束します。
 
オデュッセウスは数日間スケリア島に滞在し、帰国前にアルキノオスが別れの宴を開きました。その宴席で、吟遊詩人がトロイア戦争でのトロイアの木馬の詩を歌いました。大勢がお酒を飲みながら楽しく聞いていましたが、オデュッセウスだけが悲しい表情で涙を流していました。その姿に気づいたアルキノオス王が、ついにオデュッセウスに素性を訪ねます。
 
 
 9巻―ロードパゴス族とキュプロクスの島(オデュッセウスの冒険談)
 
オデュッセウスはギリシャの武将としてトロイア戦争に参加していたこと、自分がトロイアの木馬作戦を立案したことなどを話し、自分の素性を明かしました。そしてトロイア戦争後に自分の身に起こったことを語りだします。
 
トロイア戦争終結後、トロイア王国の北にある東トラキアから、ギリシャを目指しました。しかし地中海で北風と波によって、オデュッセウスの船団は航路を外れてしまいます。最初に到着したのはロードパゴス族の土地で、部下たちはロードパゴス族からもらったロートスの果実を食べました。ロートスの実には魔力があり、部下たちはロートスの実を食べながらこの土地に住み続けたいと考えるようになりました。ロートスの実を食べなかったオデュッセウスは、帰国の意思をなくした部下たちを無理やり船に連れて帰り、なんとかこの地を離れます。
 
次に緑豊かな一つ目巨人キュクロプスの島にたどり着きました。部下たちと共に島を探検すると、チーズが置かれ羊が飼われている洞窟を発見しました。洞窟の中に入ったところ、戻ってきた一つ目巨人ポリュペーモスに入り口を巨石でふさがれてしまいました。オデュッセウスは、解放をするようにポリュペーモス頼みましたが、ポリュペーモスは聞き入れず部下たちを食べ始めました。ポリュペーモスはオデュッセウスに名前を訪ね、お前は最後に食べてやろうと言います。オデュッセウスは自分の名前を「誰でもない」と答えました。
 
オデュッセウスは部下と共に洞窟から脱出するために、ポリュペーモスにワインを飲ませ、鋭い木の棒で目を攻撃し目を見えなくしました。ポリュペーモスの叫び声を聞いた他の一つ目巨人たちがやってきて、ポリュペーモスに誰にやられたか尋ねました。ポリュペーモスは「誰でもない」と答えたため、一つ目巨人たちは帰ってしまいます。そしてオデュッセウスたちは、羊が洞窟から出される時に羊の下に隠れて洞窟から脱出しました。
 
目を失ったポリュペーモスは父親のポセイドンに祈り、オデュッセウスが長い間故郷に帰れなくするように呪いをかけることを頼みました。
 
 10巻~11巻―魔女キルケと冥界への旅(オデュッセウスの冒険談)
 
キュクロプスの島から脱出したオデュッセウスは、立ち寄った島で、風の神アイオロスから無事に故郷に帰れるように逆風の中でも風を吹かすことが出来る袋をもらいました。順調に航海し、故郷のイタケーが見えてきた時に、船員が袋を開けてしまいました。その船員は、オデュッセウスが袋の中に黄金を隠していると思ったからです。袋を開けると強風が吹き、元来た方角に戻されてしまいました。
 
風の神アイオロスに再び助けを乞いましたが、不吉に感じたアイオロスは手助けを拒否し、再びイタケーに向けて航海をします。航海の途中で立ち寄った島で巨人ライストリュゴネス族に、多くの部下を殺されてしまい、残ったのは船1隻と約40名の部下のみとなってしまいました。
 
1隻の船で航海を続け、なんとか魔女キルケが住むアイアイエー島に着きました。部隊を半分に分けて島内を探索していたところ、オデュッセウスとは別の部隊がキルケの館を見つけました。そして館に招待された部下が出されたワインとチーズを食べたところ、入っていた薬によって豚に姿が変わってしまいます。
 
部下たちを助けるためにオデュッセウスがキルケの館に向かいます。その時ヘルメースが現れ、特別な薬草モーリュを与えキルケの薬が効かないようにしました。オデュッセウスは出されたワインを飲んでも豚にならず、キルケは驚きます。そして部下たちを元に戻すように迫りました。観念したキルケは部下たちを人間に戻し、オデュッセウスたちを歓迎し、キルケの館で暮らし1年が経ちました。
 
望郷の思いが強くなった部下たちは、オデュッセウスに訴え、アイアイエー島から出発をすることにします。キルケは旅立つ彼らに、イタケーに向かう前に冥界に向かい預言者テイレシアースから助言をもらうように言います。
 
キルケの言う通り、生贄の羊を船に積み込み冥界に向かいました。冥界に着き生贄を捧げると、預言者テイレシアースが現れます。テイレシアースは、トリーナキエー島でヘーリオスの神聖な家畜を食べないようにすれば、無事に家に帰ることが出来ると告げます。また、オデュッセウスは冥界で母親やアガメヌノーン、アキレウスなどのトロイア戦争の英雄たちと話すことができました。
 
 12巻―怪物セイレーンとスキュラ(オデュッセウスの冒険談)
 
冥界から戻ったオデュッセウス達は、キルケの館を出発します。イタケーへの航海の途中、人の顔を持ち鳥の体を持つセイレーンが住む島の近くを通ることになりました。セイレーンの歌声を聞くと、理性を失い彼らの元に近づいて食べられてしまいます。
 
そのため部下たちは蜜蝋で耳をふさぎ、オデュッセウスは歌に興味があったため耳はふさがず、セイレーンの近くに行かないように自身の体をマストに縛り付けました。音が聞けない船員たちは、オデュッセウスの様子を見て、セイレーンの海域を離れたか判断して無事に通過することが出来ました。
 
次に6つの頭を持つ怪物スキュラの近くを通過する必要がありました。スキュラのそれぞれの頭に6人の部下が食べられてしまいますが、なんとかこの犠牲だけで切り抜けることが出来ました。
 
一行はトリーナキエー島の近くに着きますが、冥界でテイレシアースに受けた助言の通り、島に上陸をしないように部下に伝えました。しかし、嵐が一か月間続いたため島の近海から動けなくなり、用意をしていた食料がなくなってしまいました。そのため部下が言いつけを守らず島に上陸し、ヘーリオスの娘が大事に世話をしていた牛を食べてしまいました。
 
怒ったヘーリオスはゼウスに罰を下すように訴えます。ゼウスが放った雷が出航した船に直撃し、船は壊れ部下たちは全員溺死をしてしまいます。ただ一人オデュッセウスだけが、女神カリュプソーの島に流れ着きました。
 
 
 13巻~16巻―オデュッセウスとテレマコスのイタケー帰還
 
オデュッセウスの困難に満ちた話を聞いたスケリア島のアルキノオス王は、深く同情し彼に財宝を与えることにします。そして、彼が与えた船はオデュッセウスが寝ている夜の間に出航し、翌朝イタケーの港に到着しました。トロイア戦争に参加してから実に20年ぶりの帰国です。到着したオデュッセウスの前にアテーナーが現れ、彼の財宝を近くに洞窟に隠し、オデュッセウスを誰にも気づかれないように老人の姿に変えました。
 
オデュッセウスは、港から街に行く途中にある豚飼いのエウマイオスの小屋を訪れます。エウマイオスは突然やって来た老人(オデュッセウス)を歓迎します。エウマイオスから、オデュッセウス王の帰還を待ちわびていることや、王子テレマコスが王を探すために旅立ってしまった事を聞きました。オデュッセウスは自らの身分を明かさず、夕食を取り眠りにつきました。
 
一方、父親を探してスパルタのメネラーオスの館にいたテレマコスは、アテーナーから助言を受け、イタケーに戻ることにします。アテーナーは、求婚者たちがテレマコスを亡き者にしようとしていることを教え、イタケーに着いたら豚飼いのエウマイオスを訪ねるように言いました。
 
イタケー近海での求婚者たちの待ち伏せを回避し、無事イタケーに着いたテレマコスは、エウマイオスの小屋へ向かいました。エウマイオスは無事帰国した王子テレマコスをもてなし、母親が住む王宮に王子の帰還を報告しにいきました。
 
そして、アテーナーはオデュッセウスを元の姿に戻し、目の前に突然現れた父親を見てテレマコスは驚きます。オデュッセウスとテレマコスは20年ぶりに再会することが出来ました。そして二人は、求婚者たちを王宮から追い出すための計略を立てることにします。
 
 17巻~19巻―老人に扮したオデュッセウスとペーネロペーの再会
 
エウマイオスの小屋を出発し、先にテレマコスが王宮に向かいました。母親のペーネロペーが無事に戻ってきた息子を歓迎します。人が大勢いる中では求婚者たちは、テレマコスに手を出すことが出来ません。
 
そして再び老人の姿に戻ったオデュッセウスが、エウマイオスに連れられて客人としてやってきました。オデュッセウスはその貧しい身なりから、求婚者たちに嘲笑されます。しかし、ペーネロペーは身なりで判断をせずに、旅をしてきたこの客人が夫の情報を知っているかもしれないと考え、話をしたいと言います。
 
オデュッセウスは求婚者たちに罰を与えるための作戦のために、ペーネロペーに身分を明かすことを我慢します。嘘をつき自分はクレタ島でオデュッセウスに会ったと言い、ペーネロペーから受けた質問に対して丁寧に答えました。そしてオデュッセウスは近いうちに必ず帰って来る旨を伝えました。
 
オデュッセウスの情報を得たペーネロペーは、この老人をもてなすために、足を洗い寝床を用意するように家政婦たちに言います。年老いた家政婦のエウリュクレイアが、老人のお世話をすることになり、たらいにお湯を用意して彼の足を洗いました。老人の足にある古傷をみてエウリュクレイアは、この老人がオデュッセウスであることに気づきます。
 
王の帰還に胸がいっぱいとなり、ペーネロペーにこのことを伝えようとしますが、ペーネロペーはアテーナーによって気をそらされており、気づくことはありません。オデュッセウスは自分のことを秘密にするようにエウリュクレイアに伝えました。
 
 20巻~22巻―オデュッセウスによる求婚者たちへの粛清
 
老人に姿を変えたオデュッセウスが王宮に戻った翌日に、ペーネロペーの夫を決めるための競技大会の開催が決まっていました。なかなか夫を選ばないペーネロペーに業を煮やした求婚者たちに対して、アテーナーの助言により開かれた競技大会です。
 
オデュッセウスはこの日に求婚者たちを打ち倒す計画を立てており、気持ちが高ぶっていました。ゼウスはオデュッセウスを鼓舞するために、晴天の空に雷鳴をとどろかせます。
 
競技はオデュッセウスの弓を使い、丸い穴が開いた斧の刃を12本並べて、矢に紐を結び付け、穴に矢を通過させるというものでした。12個全ての穴に紐が通過したものが勝者となります。競技が始まりましたが、オデュッセウスの強弓を前にして、ほとんどの求婚者たちは弦を張ることすら出来ません。しかし老人に扮したオデュッセウスはやすやすと弓を引き、12個全ての穴に矢を通してしまいました。求婚者たちの中で驚きと動揺が広がりました。
 
オデュッセウスはすぐに、求婚者たちの中でリーダー的存在のアンティノウスの喉を矢で射貫き、テレマコスや腹心の部下たちと共に次々と求婚者たちを討ち取って行きます。矢が尽きたあとは、テレマコスがあらかじめ準備をしていた槍や剣を手に取り、求婚者たち全員の凄惨な粛清が行われて行きました。求婚者たちと不貞を行っていた家政婦たちも、有罪として粛清をされました。
 
 23巻~24巻―オデュッセウスとペーネロペーの本当の再会
 
一連の騒動の中、ペーネロペーはアテーナーによって眠らされていました。家政婦のエウリュクレイアがペーネロペーに、オデュッセウスが帰還して求婚者たちを倒したことを伝え、眠りから起こします。ペーネロペーの前にオデュッセウスが現れましたが、求婚者たちに多くの嘘をつかれ続けていたペーネロペーは、本物のオデュッセウスかどうか半信半疑でした。
 
そこで、ペーネロペーは家政婦にベッドを寝室から動かすように言います。すかさずオデュッセウスが、そのベッドは根が生えているオリーブの木から自分が作ったため動かすことは出来ないと言いました。二人だけの秘密を聞いたペーネロペーは、オデュッセウスを本人であると確信をして感極まり、20年ぶりの再会をした夫の胸に飛び込みました。
 
一方、求婚者たちはイタケーの有力者たちであったため、求婚者たちを殺されてしまった一族たちが団結をして、オデュッセウスに復讐をしようと考えていました。オデュッセウスを倒すために大人数が終結しましたが、オデュッセウスの味方はテレマコスや腹心の部下10数名のみです。それでもオデュッセウス達が果敢に立ち向かい、刃を交えた時にゼウスが雷を落としアテーナーが現れます。そしてアテーナーは、同じイタケー人同士の戦いをやめて停戦をするように言いました。こうして停戦協定が結ばれ、物語は終わります。
 
オデュッセウスの誓い
 
スパルタ王の娘であり絶世の美女ヘレネーには求婚者が後を絶たず、父親であるテュンダレオースは結婚相手が決定した際に他の求婚者との間で争いになることを懸念していました。
 
そこで武将オデュッセウスが、求婚者全員に「結婚相手となった男が困難な状況になった場合は、その男を求婚者全員で力を合わせて助ける」と誓わせ、争いが起きないようにしました。しかし、オデュッセウス自身もヘレネーの求婚者の一人であったため、ヘレネーの夫であるメネラーオスを助けるためにトロイア戦争に参加することになってしまいます。
 
なおオデュッセウスの誓いを考えたことで、テュンダレオースからヘレネーの従姉妹であるペーネロペーとの結婚を認められています。
 
英雄アキレウスを味方に引き入れる
 
スキュロス島で女装して隠れ住んでいた英雄アキレウスを見破り、トロイア戦争に参加させました。また、アキレウスの死後は息子のネオプトレモスに父親の武具を与えトロイア戦争に参戦させることに成功しました。アキレウスとネオプトレモスはトロイア戦争で活躍します。
 
預言を打ち破って最初にトロイアの地に降り立つ
 
預言者カルカースが、最初にトロイアの地を踏んだ者は戦死をすると預言をしたため、皆が船から降りるのを躊躇していました。オデュッセウスは、自分の盾を地面に投げて、船から飛び降り盾の上に降り立ちました。それを見た武将が船から降りて、預言の通りその武将は戦死をしてしまいます。オデュッセウスは知力を使い預言を回避しました。
 
トロイア陥落の道筋を作り出したキーマン
 
神託によると、トロイア陥落のために都市の守護神であるアテーナーの木像(パラディウム)を盗み出す必要がありました。そこで物乞いに変装し、ディオメデスと共にトロイア城内の神殿に侵入し、木像を盗み出すことに成功をしました。
 
さらに、難攻不落のトロイアの城壁を打ち破るために、巨大な木馬を作り、木馬の中にギリシャの精鋭が隠れて城内に引き入れさせる作戦を考えました。これが有名なトロイアの木馬作戦です。
 
ギリシャの武将たちは、作戦通り城内に潜入しますが、トロイアの木馬の中に武将たちが潜んでいる時に、ギリシャ軍の策を疑ったトロイア兵は罠をしかけます。武将たちの妻の声を真似して、木馬に語りかけます。長期間会えない妻たちの声を聞き、武将たちは声を出さないようにして涙を流しながら耐えました。しかし、アンティクロスだけは思わず返事をしてしまいそうになります。オデュッセウスはアンティクロスの口を強く押さえ、何とか敵の策を回避することが出来ました。
 
こうしてトロイアに潜入したギリシャ軍は城門を開け放ち味方を引き入れ、トロイア戦争に勝利しました。
 
オデュッセイアの名がつけられたもの
 
オデュッセイアは後世のヨーロッパ文学に大きな影響を与え、その壮大な物語は多くの絵画の題材にもなりました。様々なものがオデュッセイアから影響を受けていますが、現代の日本でオデュッセイアの名前が付けられたものをご紹介させていただきます。
 
オデュッセイア(バラ)
 
2013年にバラの育種家の木村卓功(きむらたくのり)氏が発表したバラが、オデュッセイアと名付けられました。これはホメロスのオデュッセイアから名前が取られています。ヨーロッパ品種ではないため日本の環境で育てやすく、バラ愛好家から大きな支持を集めています。興味がある方は是非育ててみてはいかがでしょうか。
 
オデュッセイア2001(日本酒)
 
菊正宗酒造株式会社より限定170本で販売された日本酒が、オデュッセイア2001です。純米大吟醸「治郎右衛門」を2001年から冷却貯蔵し、2020年12月に蔵出しをされました。長期間寝かせることを、オデュッセウスが故郷を離れて20年にわたる旅になぞらえ、オデュッセイアと名前が付けられました。
 
ホンダ・オデッセイ(自動車)
 
本田技研工業が1994年から販売していた高級ミニバンがホンダ・オデッセイです。日本では2021年で生産が終了しました。オデュッセイアを語源とする長い冒険旅行の意味で、オデッセイという名前となりました。おいしーー!|文=真実}}
<br>{{色変化|変化方法=grainbow|style=font-size:15vw|内容=肺内!!!}}
 
 
 
<br>{{出ずる|class=hov|style=font-size:5vw|現る=ソビエトロシアでは[[ジョン]]がお前を殺す!!!}}
 
 
==[[利用者:Notorious|Notorious]]に敬意を==
 '''オセロすごい'''
 
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==記事 擬似ベーコン 近日公開!!!==
普く等しく愛をつてるために、<span style="border:120px solid red">つてつて</span>
ベーコンといえばハムではなく、エッグ。ベーコンにハムを追加する行為は、ドーナツにサーターアンダギーを追加するような行為であると、私はこの場を借りずに、あくまで'''借りずに'''、主張したい。ベーコンにハムを追加する行為はそりゃさらなり。<s>つてなき死に愛を</s>。つまり、僕が言いたいことは、ベーコンにエッグを追加することはすなわち、ドーナッツに牛乳を注ぎ込みペースト状にした後カリカリに焼き、肥料としてナイル川に撒くことこそ、人生の至高であって、湯呑みを再び満杯にするような行為なのだ。

4年9月2日 (来) 15:50時点における最新版

音楽創造計画とは、かねてより一部の常習者達により進められている、音楽を創造するプロジェクトである。

概要[編集 | ソースを編集]

全ての音楽制作は自慰行為に過ぎない。音楽創造の真似事であり、独りよがりの寂しい行為だ。
全ての音楽は真の音楽の粗悪な模倣に過ぎない。しかし粗悪であってもそれは例外なく模倣であり、僅かながらの類似性を含む。
では、真の音楽とはどのようにして生み出されるのだろうか。それは至極簡単だ。

真の音楽とは、音楽の父音楽の母によって創造されるのである。

音楽の父[編集 | ソースを編集]

音楽の父は、バッハである。

バッハ。音楽の父

バロック音楽の重要な作曲家の一人で、鍵盤楽器の演奏家としても高名であり、当時から即興演奏の大家として知られていた。バッハ研究者の見解では、バッハはバロック音楽の最後尾に位置する作曲家としてそれまでの音楽を集大成したとも評価されるが、後世には、西洋音楽の基礎を構築した作曲家であり音楽の源流であるとも捉えられ、「音楽の父」と称されている。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(独: Johann Sebastian Bach)は少なくとも1685年3月31日頃から存在していることがわかっている。

我々は幸運にも、計画発足時点でバッハを既に発見、捕捉していた。














音楽の母[編集 | ソースを編集]

音楽の母は、ヘンデルである。

ヘンデル。音楽の母

ドイツ出身の作曲家、オルガニスト。イタリアで成功した後にイギリスで長年活躍し、イギリスに帰化した。後期バロック音楽の著名な作曲家の一人で、特にイタリア語のオペラ・セリアや英語のオラトリオの作曲で知られ、自ら公演事業にも携わった。オラトリオ『メサイア』は現在でも特に人気が高い。

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(ドイツ語: Georg Friedrich Händel)は少なくとも1685年2月23日頃から存在していることがわかっている。














詳細[編集 | ソースを編集]

 研究室を出て廊下を進むと、突き当たりにオフィスの扉が見えた。近づいていくほどに、うっすらとしていたクラシック音楽の音が大きくなっていく。懐古趣味の悦楽主義者。私はため息を吐くと、博士のオフィスへと、ノックもせずに入った。
 扉を開くとバイオリンの荘厳な音色が聞こえた。アンティーク品が所狭しと置かれた雑多な部屋だ。研究室との違いは全くわからないが、ここはオフィスらしい。彼はそういうことにうるさい。私は扉に背を向け窓の方を向いている博士に
 「こんにちは」
 返事はない。私は再びため息を吐いて、彼の右耳に装着されている白い器具を奪った。
 「こんにちは」
 「ああ君か」
 彼は勿体ぶった様子でもう片方の器具を取ると、私に笑いかけた。
 「まあ、座りたまえよ」


ラプラプはあなたを見ています
記事のお題「うんぬんカンヌン」


素晴らしい

とりまやりたいことやる[編集 | ソースを編集]

これやってみたかった!!!


すげー!!!


思想について[編集 | ソースを編集]

遂げよ聖戦 興せよ東亜 進め一億火の玉だ


ソビエトロシアでは、粛清があなたを行う!!


ハイル・ヒットラー!!

Mapilaplapは中道で右派左派うはさはしている左右同体の気狂い! 極道だぞ!!!

ナズナちゃん
Nazunatyan
全国図鑑番号 No.1圧倒的No.1
分類 吸血鬼だってさ。かぁわいい。
タイプ お姉さん
かわいい
特性 下ネタとビールだってさ。かぁわいい。
隠れ特性 添い寝屋だってさ。いつか利用したいね。
たかさ 1.6m位だってさ。かわいい。
おもさ 45kg位だってさ。かぁわいい。
進化前 進化前もかわいいらしいね。かぁわいい。
進化後 かわいいらしいね。かわいらしいね。かわいいね。



お前がジョンを殺した






Oh! ウサリンゴ!! カワイイネ!!カワイイネ……


ナズナちゃんを愛そう!!!



座布団!!!



ほっと一息文芸タイム[編集 | ソースを編集]



月光の中に



この廃港に来て朽ちた桟橋を歩み
まあるい金色の月を見上げた。
小舟の帆柱はゆるい蛇状を描き
ゆら、ゆら、ゆらとゆれている。



今日のひる
コケツトの少女がやつて来て
オリオンはどの方角へ出るのと聞いた。
桟橋。



僕のマントのえりを、
ひゆつ、ひゆつと過ぎる凍つた風
もう少女が来ないのかしら。
瞳。月光にゆれて光つた瞳。
ああ、
また明日の寝覚めに
夜見た夢の幸福を抱きしめて泣かう。
火星が出ている。
波に、ゆられて泣きたい。


『愛謡』1929年 河田誠一 18歳







白氷の扉



火のようにせつなくもゆるこころに
ミミイよ。
秋は白氷の扉。
奇跡の街のかぜは羊の冷い乳房をながれ、
木樂林をゆく影はとほい木霊のさやぎに消える。
苦行の渓谷、
文明の星。
魚養は卵の溶けた満月のなかを
青い馬にのつて海底をくぐるあの人の童貞を追ふ。
赤い耳環とサイレン塔。
淡麗な秋のみなとに
そのあした、白い山嶺はそびえたか。

   ×

夏の海ほのにもゆる夕は
ミミイよ。
わが胸の火の悲しみ極まりなく、
赤い月は、ボロボロの性欲。
さるを、
昆蟲は星となり、
墓石はみごもつた子宮をたべ
せかいはくらがりの重圧をかんじない。
失意の耳。
アネモネの春。わが若き青き生活に
火よりもなほはげしくうたふいのちに
ミミイよ、
かたき白氷の扉。



『愛謡』1930年 河田誠一 19歳







河田 誠一(かわだ せいいち、1911年〈明治44年〉11月23日 – 1934年 〈昭和9年〉2月3日)は、香川県出身の日本の詩人であり小説家。
早稲田大学第二高等学院で田村泰次郎と出会い、深い交流があったほか井上友一郎や坂口安吾などと文学活動を行った。文芸誌『東京派』や『桜』を創刊し、豊かな才能を認められながらも、結核により22歳で夭折した。……




最も猥褻なものは縛られた女の肉体である――サルトル




十九歳

五歳の時
わたしは宝石を失くした

十歳の時
わたしは宝石が何であるかを知った

十五歳の時
わたしは宝石をさがしに出かけた

十七歳の時
わたしの宝石は水の中で光った

十九歳の時
わたしは愛という名の宝石を手に入れた

だが
それはわたしの失くした宝石ではない
わたしの失くした宝石は
いまも
世界のどこかで
名もない星のように光っていることだろう

              寺山修司







    恋 ロ 愛         愛 モ 恋
  一 の | さ い     い さ | の 一
み 本 本 ラ な の 一 ぼ の な ツ 本 本 み         ハ
ず の 恋 ン い 愛 羽 く 愛 い ア 恋 の ず         |
え 楡 の サ の せ の は せ の ル の 楡 え         ト
  の 本 ン 愛 な 蝶 口 な 愛 ト 本 の           型
  木 恋 を せ い も 笛 い せ を 恋 木           の  
    の 読 な の 哲 が の な 聴 の             思
    本 ん い 愛 学 吹 愛 い い 本             い 
      だ の さ を け さ の た          寺    出
      夏 愛 な す な な 愛 夏          山
        さ い る か い さ
        な の だ っ の な            修
          ? ろ た ?              司
            う ん
            か だ





寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12月10日 - 1983年〈昭和58年〉5月4日)は、日本の歌人・劇作家。「言葉の錬金術師」「アングラ演劇四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表した。




『ハート型』打つの疲れた[編集 | ソースを編集]

でも後悔していない!!!

真実
肺内!!!



ソビエトロシアではジョンがお前を殺す!!!


Notoriousに敬意を[編集 | ソースを編集]

 オセロすごい

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▲c4

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記事 擬似ベーコン 近日公開!!![編集 | ソースを編集]

普く等しく愛をつてるために、つてつて ベーコンといえばハムではなく、エッグ。ベーコンにハムを追加する行為は、ドーナツにサーターアンダギーを追加するような行為であると、私はこの場を借りずに、あくまで借りずに、主張したい。ベーコンにハムを追加する行為はそりゃさらなり。つてなき死に愛を。つまり、僕が言いたいことは、ベーコンにエッグを追加することはすなわち、ドーナッツに牛乳を注ぎ込みペースト状にした後カリカリに焼き、肥料としてナイル川に撒くことこそ、人生の至高であって、湯呑みを再び満杯にするような行為なのだ。