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素晴らしい
序 はじまりの過ち
 
==とりまやりたいことやる==
中庭を歩いていた。冷たい風が吹き、白い髪がさらさらと靡いた。中庭には、昨夜の雪がまだ残っていた。
 
もうすぐ、もうすぐ運命の時だ。
 
私は緊張を解すように胸をそらせて、少し晴れてきた空を見上げた。朝の番組ではまた雪が降ると言っていたから心配してたけど、もう晴れてしまいそうね。
{{色変化|変化方法=grainbow|style=font-size:5vw|内容=これやってみたかった!!!}}
雲の切間から太陽の光が差し込んでいる。一筋の光が冬の空から降りてくる様はとても見事で美しい。
 
それに見惚れながら、私は上を向いて歩いていた。
 
   
{{色変化|変化方法=patrol|style=font-size:5vw|内容=すげー!!!}}
青春と本
 
   
<br>
バレンタインデーには、その日だけの特別な雰囲気がある。
{{Loading}}{{Loading}}{{Loading}}{{Loading}}{{Loading}}{{Loading}}{{Loading}}{{Loading}}
学校は男子の隠しきれない期待と、チャンスを待つ女子の純情かつ野生的な視線で一気に飽和状態になり、その緊張を覆い隠すかのように騒がしさが増す。
==思想について==
今は午後四時三十分、つまり放課後である。そして放課後といえば、バレンタインデー一番の山場なのである。軽いリュックに敗北感を背負い帰宅する者もいる反面、最も自由でロマンティックな想像が膨らむ時間。まるで消える直前の、最も勢いづいた蝋燭の炎のように、学校は鮮やかな青春に染まる。
 
例に漏れずこの閉邦高校一年B組も、バレンタインデーの空気が教室を支配していた。そして、いつもより少し甘い香りのする教室で皆が青春ゲームに勤しんでいる中、僕、村上光太は一人、窓際の席で本を読んでいた。
 
本は好きだ。俗世間のしがらみを捨て去って、どんな世界にも行くことができる。まあ、これといって俗世間のしがらみに囚われ、苦しんでいるというわけではないのだが、そんなことは良い。とにかく僕は本に没頭していた。ここまで空気感の違う教室で一人の世界に入り込むというのは至難の業であったが、僕は慣れていた。
{{天皇陛下万歳}}
尤も、そのゲームに興じる級友たちが羨ましくないのかと言われるとそれは違う。むしろ僕なんかよりずっと有意義な時間を過ごしているのかもしれないと思うこともある。だがそれは僕には縁のないものだ。そもそも僕は、興味のないものには全く動かない根っからの出不精であるため、労力を払ってまで彼等のようになろうとは思えないのであった。その点、読書というものはコスパ最強じゃないか?
<br>
僕はくだらない御託を胸にしまい、本から目を離して窓の外を見た。確か昼ごろから雪が降るという予報だったが、冬の中庭はこれ以上ないくらいの良い天気だ。昼まで残っていた雪も粗方解けてしまっている。わざわざ靴箱から引っ張り出して履いてきたスノーブーツは、あまり意味がなかったようだ。
{{粛清}}
今読んでいる本も段々とクライマックスに近づいてきた。家でゆっくり続きを読もう、そう思って教室の時計に目をやった。四時四十四分。夢中になっているうちに十五分近く経っていたようだ。あれ……四時四十四分? 何かを忘れている気がする。僕はその時計を見つめて考えた。一体何を忘れているんだ? 昨日の記憶をじっくりと思い出していく。そして真実に辿り着いたその時、ガチッと時計が揺れて長針が四十五分を差した。それと同時に、ガラガラと、前方の引き戸が開かれる音がした。その大きな音に、先刻まで騒がしかった教室が凪のように静かになり、全員の視線が扉へ向けられる。そして、僕の顔もみるみる赤くなる。これはまずい。
<br>
「光太! 行こうぜ!」
{{ナチス}}
静まり返った一年B組に、近くで聞いたら耳がやられそうなくらいの大声が響く。数秒前に危惧したことが、想像通りに起こった。僕は顔を耳まで赤くして、そそくさと準備をすませて教室を出た。僕が出ていくまで、教室は静かなままであった。
  <br>
「祐介、あんなうるさく言わなくたっていいだろ」
[[利用者:Mapilaplap|Mapilaplap]]は中道で<ruby>右派左派<rt>うはさは</rt></ruby>している左右同体の気狂い! 極道だぞ!!!
僕は怒りながら言った。
 
「目立ちたくないんだよ」
{{基礎情報_ポケモン|名前=ナズナちゃん|英名=Nazunatyan|画像=ナズナちゃん.jpg|全国図鑑番号=No.1圧倒的No.1|分類=吸血鬼だってさ。かぁわいい。|タイプ=お姉さん<br>かわいい|特性=下ネタとビールだってさ。かぁわいい。|隠れ特性=添い寝屋だってさ。いつか利用したいね。|たかさ=1.6m位だってさ。かわいい。|おもさ=45kg位だってさ。かぁわいい。|進化前=進化前もかわいいらしいね。かぁわいい。|進化後=かわいいらしいね。かわいらしいね。かわいいね。}}
「光太、お前が遅れたんだろ。四時四十分迄に部室に来い、来なかったらお前のクラスに突撃してやるって、俺は確かに言ったはずだ」
 
おいおい突撃するなんて言ってたか? 僕は澄ました裕介の横顔を睨んだ。
 
彼は友人、相沢祐介だ。クラスは一年C組。ご覧のとおり時間に厳しい男で、それでいて気障な奴である。語っておいて今思ったのだが、自分のペースを大事にしたい僕と、こんな感じの裕介、本来なら相性最悪だろ。どうしてこんな奴が僕の親友なんだ。
  <br>
「お前が来ないと映研部の活動に支障が出てくるんだよ。それに俺は毎日六時半には校門を出て、七時きっかりには家に着いていなきゃいけない。これはお前が怠惰な罰だ」
 
昨日のことを思い出す。突然切羽詰まったように、ミステリ映画を作りたいと僕に頼み込んできた祐介の顔。僕がミステリ好きだから、という短絡的な理由でプロジェクトの参加者に抜擢されたのだ。しかも強制的に。「脚本についてのアドバイス等が欲しい」などと言っているが、経験上、裕介が欲しいのは勝手の良いお手伝いに過ぎない……。
{{ジョン殺}}
「忘れてたんだ。お前の映画になんて興味がないからな! そもそも『部』室とか映研『部』とか言ったって、祐介のそれは映画研究『同好会』じゃないか」
 
もうおわかりだろうが祐介は大の映画好きで、将来の夢は小さな頃から映画監督であった。そして今彼は、彼一人しか在籍していない『映画研究同好会』で、せっせと映画作りに励んでいるのである。
 
「それは違う。俺が部を作る時に登録した名前は、『映画研究部同好会』だ。つまり、映研部と呼んでもなんの差し支えもない」
 
もとい、『映画研究部同好会』らしい。めんどくさい奴だ。
 
「そんなことは関係ない! そもそも僕はそんな部活入ってないし、お前のお願いを聞くなんて一言も……」
 
「ああ、うるさい。遅れたんだから早くしろよ」
 
清々しい程の理不尽さに半ば呆れつつも、僕は仕方なく映画研究部同好会の部室へ向かった。
 
 
映画研究部同好会
 
 
映画研究部同好会の部室は、校舎東棟三階の理科室の奥にある、こぢんまりとした部屋だった。そこには四人くらいが使えそうな机と三つのパイプ椅子、なぜか新しめのホワイトボード、そして雑多に機材が入った学校らしい棚があるだけだった。なかなか良い雰囲気だ。その狭さはまるで秘密基地のようで、僕の男の子の心が嫌でもくすぐられる。窓は北側に一つ。そこからは先ほど一階から見ていたより高い位置から校庭が見下ろせる。
 
「へえ、同好会でも部室ってもらえるんだな」
Oh! ウサリンゴ!! カワイイネ!!カワイイネ……
僕はニヤリと笑って言う。皮肉である。
 
「ああ。少し頑張った」
<br>
祐介はニコリともせず言った。大方、先生に何度も頼み込んだ、というところだろう。自分の好きなことには全力を出せる、しかし興味ないことには全く動かない。その点において僕らは似たもの同士なのかもしれない。
{{テンプレート|帯の色=white|背景色=red|画像ファイル=ナズナ2.jpg|文章='''ナズナちゃんを愛そう!!!}}
「昨日も言ったが、俺たちはこれからミステリ映画を作る。そういうことで光太。お前を呼んだんだが、まずお前に聞きたいことがある」
 
棚の奥から電気ポットと茶葉、そしてティーポットを取り出した祐介は、優雅な手つきで紅茶を淹れはじめた。どこに隠してんだよ。
 
僕はパイプ椅子に腰掛けて答える。
 
「聞きたいことってなんだよ」
{{革命|nation=ドイツ第二帝国}}
「聞きたいこと、それは……」
 
祐介はいやに勿体ぶって言葉を溜める。そしてどこからか出してきたカップ二つに紅茶を注ぎ、僕の前に置いた。いちいち仕草が癪に触るんだよな。
 
「……ミステリって、なんだ?」
<span style="border:3px solid red">座布団!!!</span>
祐介の凄まじいワイルドピッチに、僕は紅茶のひと口目を噴き出しそうになる。
 
そっからかよ! そう叫びたくなるのをグッと堪える。
<br>
「そっからかよ!」
<br>
おっと堪えきれなかった。叫ぶと気管に水が入ってしまって、咳き込んでしまった。僕は涙目で馬鹿を見上げる。祐介はこういうところがある。頭は良いらしいが、時々驚異的なくらい間抜けだ。
==ほっと一息文芸タイム==
「全く知らないわけじゃない。光太の話を聞いてみたいんだよ」
 
どれだけこいつと過ごしてきたことか。こいつは本当に知らないな。なぜ知らないものをやろうと思ったのか。そこらの密室なんかより百倍謎である。
<br><br>月光の中に
一瞬荷物を背負ってそのまま帰りたいという欲求に駆られたが、そんなことをしては今後何が起きるかわからない。溜息を吐いて、覚悟を決める。ここは一肌脱いで、講釈してやるしかないのか……。
 
僕は席を立ってホワイトボードの前に立った。祐介は向かい側の椅子に座った。
<br><br>この廃港に来て朽ちた桟橋を歩み
「まず、『ミステリ』の意味は知ってるか?」
<br>まあるい金色の月を見上げた。
「知ってる。mystery。不思議とか怪奇とかいう意味だ」
<br>小舟の帆柱はゆるい蛇状を描き
「そう、その通りだ。そして、その言葉通り、不思議、神秘、怪奇等のフィクション作品を総じてミステリと呼ぶ。僕はその中のミステリ小説しか知らないから、それについて少し話そう」
<br>ゆら、ゆら、ゆらとゆれている。
祐介は棚からバームクーヘンを取り出して、切り分けはじめている。本当に聞いてるのか? 僕は無視して続ける。
 
「ミステリ小説には大きく分けて五つくらいの種類がある。それは……」
<br><br>今日のひる
僕はホワイトボードの上部に『ミステリ小説』と書き、その下に五つの点を並べた。そして喋りながらペンを走らせていく。
<br>コケツトの少女がやつて来て
「主にサスペンス小説、警察小説、スパイ小説、ハードボイルド。そして最後に……本格ミステリ」
<br>オリオンはどの方角へ出るのと聞いた。
僕は最後に挙げた本格ミステリの点に大きく丸をつけた。
<br>桟橋。
「祐介がやりたいのは映画だろう? なら、この本格ミステリがいいよ。なぜかというと、他のミステリは比較的映像化の敷居が高いから。サスペンス小説やスパイ小説ならギリギリ行けるかもしれないけど、警察小説なんかはまず無理だろ」
 
「本格ミステリは映像にしやすいのか」
<br><br>僕のマントのえりを、
「まあ、僕が言ったことをまとめるとそうだけど、厳密には結構違う。本格ミステリって言う言葉はあまりに広義的で曖昧なものなんだ。普通に考えるとこんな感じの面子に並べるのはちょっと違う気もしてくるんだけど……。まあいいか。簡単に言うと、本格ミステリはその中に沢山の種類があるから、一概には言えない。しかし、そのぶんやりやすそうなものもあるってことさ。僕が映像化しやすいジャンルとして真っ先に思いつくのは『暗号解読』とか『日常の謎』とかかな。どちらも、製作の上でどうしてもネックとなる演出――例えばリアリティが必要な人の死体とか、より専門的で高度な知識が必要な場面とか――を回避しやすいと思う」
<br>ひゆつ、ひゆつと過ぎる凍つた風
「それはいいな。ところで、『日常の謎』ってなんだ?」
<br>もう少女が来ないのかしら。
「『日常の謎』っていうものは、文字通り日常に潜む謎に迫ったミステリー作品のことだ。現実に起こり得るかもしれない身近な謎が多いから、物語に入り込みやすいことも特徴だよ。これは僕たち学生でも作りやすい。一つ例を挙げるとするならこんなのはどうだろう。『喫茶店で、三人の若い女性がサービスで置いてある砂糖を大量に競い合うように入れる不可解な行動をしている』」
<br>瞳。月光にゆれて光つた瞳。
祐介は目を閉じ、時間をかけて考えた後、優雅に降参のポーズを取って
<br>ああ、
「それだけじゃ情報が少なすぎる。もっと詳しく教えてくれ」
<br>また明日の寝覚めに
などと言う。
<br>夜見た夢の幸福を抱きしめて泣かう。
「これは北村薫作『空飛ぶ馬』の中の『砂糖合戦』という話だ。是非読んでみてほしい。きっと参考になるはずさ。でも、僕の口からは語れない。自分で読むからこそ感じられるものがあるからね。その機会を奪うつもりはないさ」
<br>火星が出ている。
祐介の顔が少し歪む。これから僕が言うことがなんとなくわかってきたのだろう。僕は迷わず続けた。
<br>波に、ゆられて泣きたい。
「総括しよう。僕が映画化するとして一番推すのは『日常の謎』だ。でも祐介なら、もしかしたら『暗号解読』でも面白いものが作れそうだ。工夫したら他のものも作れると思うから、まず僕がおすすめするのは自分でミステリに触れることだ」
 
僕は最後にホワイトボードに大きく『ミステリに触れること』と書いた。
<br>『愛謡』1929年 河田誠一 18歳
祐介は友人だが、こんな茶番につき合っている暇はない。さっきの仕打ちも許してはいない。そして今は本の続きも気になっている。
 
「これで僕が知っていることから考えた祐介へのアドバイスは以上だ。それではお暇させて頂くよ。紅茶、ありがとう。実に美味しかった」
<br><br><br><br><br><br>白氷の扉
僕は先刻教室を後にしたくらいのスピードで部屋を出ていこうと試みた。しかし、僕の腕を祐介が掴んだ。
 
「なあ、時間がないんだ。ミステリ映画を作れって兄貴が言うんだよ」
<br><br>火のようにせつなくもゆるこころに
祐介が背後で言った。
<br>ミミイよ。
そういえば、祐介の兄貴は四月から演劇を学びにヨーロッパに行くんだったな。祐介の兄貴、有吾さんは僕が手放しに尊敬できると思う、数少ない大人の一人だ。
<br>秋は白氷の扉。
彼は、とにかく全てがカッコ良いのだ。ルックスもさながら、立ち居振る舞い、趣味、性格まで。祐介とは大違いだ。しかも大のミステリ愛好家で僕が敬愛する理由はそこにもある。有吾さんはここ半年くらい忙しいらしく、僕は彼に会えていないが、会いたい気持ちは変わらない。手をつけてなかった有吾さんおすすめの江戸川乱歩の全集をちょうどこの前読み終えたところなのだ。早く有吾さんと話したいな。
<br>奇跡の街のかぜは羊の冷い乳房をながれ、
「兄貴は四月に出発するから、その二週間前くらいには完成させたいんだ」
<br>木樂林をゆく影はとほい木霊のさやぎに消える。
そうすると、締め切りは三月半ば。つまりあと一ヶ月程しかない。
<br>苦行の渓谷、
僕は立ち止まって暫し一考した。
<br>文明の星。
ここで祐介のお手伝いをすると、素直な祐介のことだから必ず僕のことを話してくれるだろう。そうすれば彼からの評価も上がるかもしれない。勿論その場合出来が悪いのを作るわけにはいかない。うんと良いものを作らなければ。メリットデメリットを考え、僕は有吾さんに良いところを見せたいと思った。
<br>魚養は卵の溶けた満月のなかを
「わかったよ。しょうがないな……」
<br>青い馬にのつて海底をくぐるあの人の童貞を追ふ。
そう言って振り向くとそこには鼻にかかる笑みを湛えた祐介が立っていた。
<br>赤い耳環とサイレン塔。
「はい、お願い」
<br>淡麗な秋のみなとに
祐介は真っ新な絵コンテ用紙と作文用紙の束を僕の両手に渡して、余裕綽綽の様子で席へと戻りティータイムを再開した。そして、
<br>そのあした、白い山嶺はそびえたか。
「やってくれると思ってたぜ」
<br><br>   ×
などと言う。
<br><br>夏の海ほのにもゆる夕は
「なあ、祐介。手伝ってやるよ……手伝ってやるけどよ……」
<br>ミミイよ。
僕は手に持っていた紙をテーブルに置いた。
<br>わが胸の火の悲しみ極まりなく、
「いっぺん殴らせろ!」
<br>赤い月は、ボロボロの性欲。
まさに祐介の後頭部を叩いてやろうと手を上げたその時、こんこんとドアをノックする音と共に、
<br>さるを、
「ねえ、コータ? 居る?」
<br>昆蟲は星となり、
と聞き慣れた声が聞こえた。聞き慣れてはいるが学校では殆ど聞かない声だ。それが今聞こえたということは……まずい。ガラリと扉が開いた。
<br>墓石はみごもつた子宮をたべ
「あー、えっと、喧嘩中?」
<br>せかいはくらがりの重圧をかんじない。
これは……まためんどくさいことになりそうだ。
<br>失意の耳。
<br>アネモネの春。わが若き青き生活に
幼馴染み
<br>火よりもなほはげしくうたふいのちに
<br>ミミイよ、
「あー、えっと、喧嘩中?」
<br>かたき白氷の扉。
うるうるとした目で首を傾げるショートカットの彼女の名前は辻村瞳。僕の……幼馴染みというのだろう。クラスは祐介と同じ一年C組。バレー部期待の新人で、一年生ながらレギュラー入りしているスポーツマン、いや、スポーツウーマンか。
 
「大丈夫。そんなんじゃない」
<br><br>『愛謡』1930年 河田誠一 19歳
僕はグッと気持ちを押し込めて答える。すると、
 
「そうだそうだ」
 
と祐介も横から言ってくる。うるさい。
<br><br><br><br><br>河田 誠一(かわだ せいいち、1911年〈明治44年〉11月23日 – 1934年 〈昭和9年〉2月3日)は、香川県出身の日本の詩人であり小説家。
「ああ、それなら良かった」
<br>早稲田大学第二高等学院で田村泰次郎と出会い、深い交流があったほか井上友一郎や坂口安吾などと文学活動を行った。文芸誌『東京派』や『桜』を創刊し、豊かな才能を認められながらも、結核により22歳で夭折した。……
瞳はまるでアニメの登場人物のようなリアクションで安心した後、すっとシリアスな表情になり、どうやってここへ来られたかを尋ねる間もなく本題に入った。多分、さっきの出来事をB組の誰かにでも聞いて、僕らが映研の部室にいると考えたとか、そんなところだろう。
<br><br><br><br><br>最も猥褻なものは縛られた女の肉体である――サルトル
「ところでコータ。私ちょっと今日気になることがあって……」
<br><br><br><br><br>十九歳
またこれである。実は瞳と僕は家が隣同士で、何か話したいことがあればいつでも帰れば話せるはずなのだ。しかし、それでも学校にいる間に瞳が僕を訪ねてくるということは、何か気になる『謎』を見つけてしまったからに違いない。
<br><br>五歳の時
小学生の頃、瞳のふとした疑問を解いてあげてから、謎を発見すると僕に聞きに来るというルーティンがすっかりでき上がってしまっていたのだ。困るんだよ、下手に期待されるの。今まではなんとか運で解決できてはいたものの、今回もそうなるとは限らない
<br>わたしは宝石を失くした
「ところで、部活はどうしたんだよ」
<br><br>十歳の時
僕は話の腰を折って、どうにか有耶無耶にできないか、苦し紛れに質問をしてみる。
<br>わたしは宝石が何であるかを知った
「そう、そうなの。部活のことなんだけど……」
<br><br>十五歳の時
おっと、やってしまったようだ。祐介が隣で紅茶を吹き出した。笑ってんじゃねぇぞ。
<br>わたしは宝石をさがしに出かけた
「いつもは部活に来る由紀がね、今日はなんか態度がおかしくて、ちょっと体調悪いのかわからないけど、もう帰っちゃったんだ」
<br><br>十七歳の時
ふむ。瞳はいつも通りよくわからない。
<br>わたしの宝石は水の中で光った
「そんなこと、由紀さんの友達に聞いてみればいいんじゃないの?」
<br><br>十九歳の時
「由紀はそんなに友達作るタイプじゃなくて、一番の親友は私なのよ」
<br>わたしは愛という名の宝石を手に入れた
胸をそらせて誇らしげに言う彼女を、僕はとりあえずパイプ椅子に座らせた。
<br><br>だが
しょうがない……逃げられないなら、じっくり聴いてやろうじゃないか。
<br>それはわたしの失くした宝石ではない
<br>わたしの失くした宝石は
<br>いまも
エルサの真実
<br>世界のどこかで
<br>名もない星のように光っていることだろう
「わかったよ。瞳。順を追って話してくれ」
<br><br>              寺山修司
僕は彼女の目を見て言う。
 
「まず、由紀さんって誰?」
 
すると祐介が口を開いた。
<br><br><br><br><br>    恋 ロ 愛         愛 モ 恋
「1―Cの青崎由紀だよ。ほら、エルサって呼ばれてる人だ。光太も知ってるだろ?」
<br>  一 の | さ い     い さ | の 一
ああ、瞳に聞くより何倍もわかりやすい。青崎由紀、またの名を1のCのエルサ。この学校ではちょっとした有名人だ。整った容姿に良い成績。運動神経も抜群で、今目の前にいる瞳と同じように、一年生ながらも不動のレギュラーの座に着いている。そのうえ品行方正で、自分にも他人にも厳格なその姿は不思議と見る人に自然と『お嬢様』を思わせるのだ。何より目立つのはその白みがかったグレーの髪だろう。人より色彩が薄く目立つその髪は、その容姿と相まって素晴らしい造形を作り出しているのだ……ということらしい。僕の知っていることはどれも噂の域を出ないものだ。正直なところ何回か見かけた覚えがあるくらいで、殆ど知らないのだ。まあ、噂と明らかに違うようなところはなかったと思う。
<br>み 本 本 ラ な の 一 ぼ の な ツ 本 本 み         ハ
彼女はそのハイスペックさと厳格な性格、そして何よりその髪色からだろうか、数年前に流行った児童向け映画に出てくる氷の女王の名前が冠され、嫉妬と尊敬の入り混じった視線を向けられている。
<br>ず の 恋 ン い 愛 羽 く 愛 い ア 恋 の ず         |
「それで、由紀さんがどうかしたの?」
<br>え 楡 の サ の せ の は せ の ル の 楡 え         ト
僕はひとまず瞳に聞いてみることにした。どうやら瞳はよっぽど興味津々なようで、一気に話しはじめる。
<br>  の 本 ン 愛 な 蝶 口 な 愛 ト 本 の           型
「由紀はね、とっても真面目で努力家なの。だからいつもは部活に誰よりも早く来て練習をしてるんだ。でも今日はなんだか朝から様子がおかしかった」
<br>  木 恋 を せ い も 笛 い せ を 恋 木           の  
祐介がどこからかカップをもう一つ取り出し、紅茶を淹れ、瞳の前に置いた。
<br>    の 読 な の 哲 が の な 聴 の             思
「あ、祐介くんありがとう」
<br>    本 ん い 愛 学 吹 愛 い い 本             い 
瞳はひと口でその紅茶を飲みきると、また話しはじめた。忙しないな。
<br>      だ の さ を け さ の た          寺    出
「それで、由紀はずっとそんな感じで、結局帰りの会が終わってすぐに鞄持って帰っちゃったんだ。ねえ、祐介くん、おかわりある?」
<br>      夏 愛 な す な な 愛 夏          山
彼女は空のティーカップを祐介に差し出す。祐介は軽やかな手つきでそれを受け取り、ポッドからもう一杯淹れはじめた。
<br>        さ い る か い さ
「どうぞどうぞ。茶葉は余ってるんだ。幾らでも飲んでくれたまえよ……」
<br>        な の だ っ の な            修
その間、僕は思案した。瞳は、気になり出すと解決するまで止まらない猪突猛進タイプだ。納得のいく回答をしない限り離してくれないだろう。これがまた面倒臭いのだ。もし万が一そうなれば、今日の読書は諦めるより他ない。だからどうにか納得してくれるような仮説を考え出すしかない。だが、この情報の量ではどうしても足りない……。
<br>          ? ろ た ?              司
「なあ、瞳。他に何か気になることはなかった?」
<br>            う ん
彼女はいつのまにか、祐介が出したバームクーヘンを口いっぱいに頬張っていた。なんとか飲み込んで答えた。
<br>            か だ
「いや、気になることはなかったよ」
<br><br><br><br><br><br>寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12月10日 - 1983年〈昭和58年〉5月4日)は、日本の歌人・劇作家。「言葉の錬金術師」「アングラ演劇四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表した。
これは伝わってないな。言い方を変えてみよう。
<br><br><br><br><br>
「じゃあ、今日起きたことをはじめから全部説明してくれない?」
==『ハート型』打つの疲れた==
「わかった……」
でも<span style="border:3px solid red">後悔</span>{{色変化|変化方法=grainbow|style=font-size:5vw|内容=は}}<span style="border:3px solid red">して</span>{{色変化|変化方法=grainbow|style=font-size:5vw|内容=いない!!!}}
瞳と話す時には工夫が大事である。
 
「今日はいつも通り朝練のために登校した。その時にはもう由紀はいたと思う」
{{Cursor|class=none|style=color:green|表示文=オデュッセイアとは、ギリシャの吟遊詩人ホメロス作とされる英雄叙事詩です。トロイア戦争に勝利したギリシャ連合軍の知将オデュッセウスの後日譚であり、同じくホメロス作のトロイア戦争を題材とした叙事詩イリアスの後に作られました。
「ああ、由紀さんは朝練してたのか。それは何時頃?」
 
「確か……七時ちょうどくらい。由紀はもう来てて、一人で壁打ちしてた。偉いよね。家も部内で一番遠いはずなのにいつも一番乗りなの。……それから五分くらいしたら先輩も全員集まったらから、いつも通り練習をはじめた。そして朝練を終えて八時に教室に行ったわ。おかしなことは何もなかった。ちょっと由紀はソワソワしてたけど、大会前だし緊張してたからみんなそんな感じだったかも……。そっから普通に授業を受けた。あ、そういえば……」
主人公となるオデュッセウスは小さな島国イタケ―の王。物語の大部分は、トロイア戦争終結後にオデュッセウスが神々の陰謀によるさまざまな困難を乗り越えながら10年間の長い歳月をかけて故郷のイタケーに戻る途中の冒険談です。さらに、その後自国に到着してから妻に求婚を迫っている男たちを粛清する話が書かれています。
彼女は何か思い出したようだ。
 
「……そういえば、由紀、昼休みに西棟に生徒会活動しに行ったよ。確か……」
オデュッセイアは紀元前8世紀頃にホメロスをはじめとする吟遊詩人によって歌われ、その詩を紀元前6世紀頃に書写して作られたと考えられています。そして後世に編集され、約1万2,000行にわたる24巻で構成されています。
彼女はこめかみに指先を当てて思い出そうとしている。少し時間がかかりそうだ。僕は紅茶をひと口飲んだ。窓の外では数名の陸上部がトラックを駆けている。先程教室にいた時から少し空が曇ってしまって、校庭にはどんよりとした雰囲気が漂っている。
 
「あっ、そうそう。由紀ね。部活用の鞄を持って、制服で向かったのに、なぜかジャージに着替えて帰ってきたんだ。どうしてかな〜とは思ったけど、理由は聞かなかったなぁ」
叙事詩の題名であるオデュッセイア(odysseia)は、「オデュッセウス」の歌という意味です。ギリシャの知将オデュッセウスを主人公とし、物語の中でオデュッセウス自身が語り手となっている場面もあります。オデュッセウスの帰還物語を歌ったため、そのままオデュッセウスの歌という題名がつけられたと考えられます。
ほうほう。なかなか難解になってきたぞ。関係があるかどうかはわからないけど、置いといて続きを聞くか。
 
「それからはまた、普通に午後の授業を受けて、帰りの会が終わった。そしたらね、その瞬間に私の前に来て、『ごめん。今日は部活行けない』ってだけ言って、走って教室を出ていっちゃった」
なお、英語ではオデュッセイアは、オデッセイ(odyssey)と呼ばれています。英単語のodysseyは、オデュッセイアの内容に由来して「長期間の放浪冒険旅行」の意味もあります。
「出ていったと言ったけど、由紀さんが帰ったことはしっかり確認したの?」
 
「うん。窓から校門に走って帰ってく由紀を見たの」
オデュッセイアの作者ホメロスとは?
「じゃあ、どこに行ったかわかる?」
 
「見当もつかないわ。今、部活サボってまですることなんて……」
ホメロスは、紀元前850年頃にトルコのスミルナ(現イズミル)に住んでいた吟遊詩人です。現代でも世界中で読み継がれる叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』を生み出したとされ、古代ギリシャ時代の価値観や、その後の文化・芸術に多大な影響を及ぼしました。
「連絡取れないの?」
 
「既読がつかない」
しかし実は、イリアスとオデュッセイアが本当にホメロスによって作られたかどうかは未だ議論が続いており、それどころかホメロスが実在したかどうかもはっきりと解明されていません。
そうか……。僕は考えた。これだけじゃ何もわからない。そう思いながら僕はホワイトボードに向かった。ホワイトボードを裏返し、新しい真っ新な面にこう書いた。
 
『由紀さん部活サボり事件』
ホメロス実在の真偽は別として、キャラクターや物語の一貫性から、イリアスとオデュッセイアはそれぞれ一人の詩人によって作られたと考えられています。一方で、物語の構成や特徴がそれぞれ明確に異なっていることから、イリアスとオデュッセイアの作者は異なるとする説が主流になっているのです
「ねえ、由紀はサボってるわけじゃないよ。きっと理由があるから、それを考えようって……」
 
瞳が不服そうに言う。
オデュッセイアの登場人物一覧
「そういえば今女バレは部活中だと思うけど、大会前なんだろ、瞳は行かないの?」
 
「わ、私はいいのよ。よくサボるし。今は由紀が来ないのが心配なの」
オデュッセウス:物語の主人公。イタケーという小さな島国の王であり、トロイア戦争でも活躍した知将。
そう言って瞳は顔を赤くする。僕はそのまま作業を続ける。
ペーネロペー:オデュッセウスの妻。オデュッセウス不在の中、多くの求婚者に迫られる。
「今回の謎は『いつもなら人一倍努力家の由紀さんが部活をサボって帰ってしまった。その理由は?』だな。そして今まで確認できたおかしなことは昼休みに生徒会活動へ行き、帰ってきた時にジャージに着替えていたこと、これだけだ」
テレマコス:オデュッセウスの息子。ペーネロペーの求婚者の横暴に耐え兼ね、父を探す旅に出る。
閉邦高校では朝練は許可されているが、昼練は許可されていない。生徒会活動でまさか運動するとは考えられないが、どんな作業をしたのだろう。制服をジャージに着替える理由として考えられるのはどんなものがあるだろう。
メネラーオス:トロイア戦争で副大将を務めたスパルタの王。
あ、そういえば。
カリュプソー:オデュッセウスを愛していたことから彼を捕らえた女神。
「祐介もC組だろ。由紀さんについて何か知っている?」
ポセイドン:オリュンポス十二神の一柱。度々オデュッセウスの帰路を妨害する。
悠長に窓の外を眺めてティーブレイク中の祐介に尋ねる。こいつはそもそも話を聞いているかも怪しいが……もしかしたら望みがあるかもしれない。
ナウシカアー:ポセイドンによって漂流してしまったオデュッセイアを助けたスケリア島の王女。ジブリ作品『風の谷のナウシカ』の名前の由来。
「ああ、青崎の話か。実は今日、俺は青崎とする生徒会活動が昼休みにあったんだが……」
キルケ:アイアイエー島に住む魔女。オデュッセウスたちを館に住まわせ、冥界への旅路を手助けする。
全く予期していなかった答えに僕は驚愕した。そういやこいつも生徒会だったっけか。
 
「おい、なんでそんなことを黙っていたんだよ。すっごく大事なことじゃないか」
 
「聞かれなかったから」
オデュッセイアは、10年にわたる長い歳月の中でオデュッセウスが持ち前の勇気と知力を使ってさまざまな困難に立ち向かいながら、故郷を目指してエーゲ海や地中海周辺を旅する壮大な冒険談です。戦いだけでなく多彩な要素が詰め込まれた重層的なストーリーであり、イリアスより短いため、オデュッセイアのほうが読みやすく楽しめると感じる人も多いでしょう。
「さいですか」
 
そうだった。こいつはこういう奴だ。
一方、オデュッセイアは主人公であるオデュッセウスが中心の物語で、叙事詩イリアスと比べると他のギリシャの英雄たちの登場機会はあまりありません。そのためトロイア戦争における多くの英雄や神々の活躍が描かれたイリアスのほうが、特に子供たちにとっては胸躍る物語かもしれません。ブラッド・ピット主演の映画「トロイ」で興味を持った方などは、まずイリアスを手に取ってみるといいでしょう。
「それで、どうだったんだ? その時の由紀さんの様子は」
 
「青崎は俺とクラスが一緒だからな、普通なら二人で西棟に行けば良かったんだが。俺は職員棟に用があったからそこに寄ってから西棟の生徒会室へ向かったんだ。そこで昼休みに会計の仕事をするはずだった」
有名なトロイの木馬が出てくるのはオデュッセイア
「はず? やらなかったのか?」
難攻不落のトロイア城陥落のカギとなったのがトロイの木馬作戦であることは有名ですが、実はイリアスは主人公アキレウスに焦点を当てたトロイア戦争終盤の51日間のみを描く叙事詩であり、トロイの木馬やトロイア戦争終結の顛末までは書かれていません。
「ああ、そうだ。実はこの作業、会計係の俺と青崎、二人でやる仕事だったんだ。しかし、青崎が来なくてね。結局一人でやることになったから、終わらせることができなかった」
 
「そうか。そのあと教室に戻ったあと、由紀さんの様子はどうだった?」
トロイの木馬作戦については、オデュッセイアの中盤で発案者であるオデュッセウス自身が語るかたちで描かれます。しかし、今日私たちがよく知るトロイの木馬のストーリーの多くは、ホメロスの時代よりもしばらく後、紀元前20年ごろに古代ローマの詩人ウェルギリウスが書いた叙事詩『アエネーイス』によるものなのです。
「別に、何も」
 
「ありがとう」
アエネーイスは、トロイア戦争でトロイア側について活躍した英雄アエネーアースを主人公とする物語で、ホメロスのイリアスとオデュッセイアを模倣して作られたため、構成がよく似ています。
祐介の話をホワイトボードに書き加える。
 
僕は数分ほどそれに向かい合って考えていたが、その後すぐに落胆した。衝撃の新事実に少し興奮したが、状況はあまり好転していないことに気づいたのだ。これでは納得のいく仮説は立てられない。会計など、ジャージに着替えるまでもないような作業だしそのために着替えたとは考え難い、そのうえ生徒会室に来るはずだった由紀さんが来なかった、という新しい謎まで作り出してしまった。
オデュッセイアの主人公オデュッセウスはどのような人物?
僕は思いつくままの思考を口にした。
オデュッセウスはイタケーという小さな島国の王で、武力にも優れていますが、力よりも策略や知力を駆使して戦う知将です。現在のギリシャのイオニア海にイタキ島という島がありますが、この島がオデュッセウスの国であるかどうかは判明していません。
「由紀さんは体調が悪かったのかもしれない。でもこれは違うかな。体調が悪い時により防寒性の低いジャージに着替えることは考えにくい……。または、何か家の用事があって早めに帰ったのかもしれない。昼休みに生徒会活動をサボってまでジャージに着替えないといけないような用事が……」
 
僕は苦しい仮説に沈黙した。ダメだ。これでは完全に行き詰まってしまっている。この情報量では、結論を出すことはできない……。
トロイア戦争では、アキレウスと共に活躍をするギリシャの武将で、様々な活躍が描かれています。ホメロスのイリアスではアキレウスと一緒に2大英雄として扱われています。また、オデュッセウスはトロイア戦争を終結させたトロイの木馬作戦の発案者です。
「僕が考え得る学校で起きた事象によって由紀さんが部活に行くのを止め、家に帰ってしまう可能性はとても低い。だから何か別の、外部の理由があったんじゃないか……? なんにせよ瞳の話だけで推理できるものじゃない気がするんだ。彼女は学校でも有名な完璧人間だし……」
 
「え? 由紀が完璧人間?」
オデュッセウスの父親はイタケー前王のラーエルテースで、妻はペーネロペー、子供はテレマコスです。戦いや知恵の女神アテーナーから強い加護を受けており、トロイア戦争中や帰還の途中にアテーナーに助けられることが多くありました。
瞳が僕の言葉に目を見開いて驚いた。
 
「あれ、何か間違えてる?」
オデュッセウスは、トロイア戦争に参加した際は、長期にわたり故郷に戻ることが出来ないという神託を受けていました。そのためオデュッセウスは一計を案じ、畑に塩を撒くなどの行動をすることで、精神が不安定であるふりをしました。しかし、畑を耕す牛の前に息子を置かれた際に、鋭い刃を持つ農具が息子を避けて通ったことから計略と分かってしまい、トロイア戦争に参加せざるを得なくなってしまいます。
「それは違うよ! 確かに勉強も運動もすごくできるけど……。まあ、コータは由紀のことあんまり知らないものね。由紀も人とはあんまり関わらないタイプだし、誤解されてるのかなぁ……」
 
どうやら僕は重大な勘違いをしていたらしい。青崎由紀の人柄を、噂ばかりの情報で考えていた。これは完全な失態だ。初歩的な過ちを恥じる心と、これで解決に近づくかもしれないと期待する心、それぞれ半々の状態で瞳に聞く。
トロイア戦争が10年間続き、戦争後、様々な困難が待ち受けイタケーに帰還するのに10年かかったため、神託のとおり出発してから20年後に故郷に帰ることが出来ました。
「じゃあ由紀さんはどんな人なの?」
 
「由紀はね。簡単に言うと真面目でかわいいドジっ子だよ」
【全解説】オデュッセイアのあらすじ
瞳は破顔した。
1~2巻:テレマコス旅立ちの決心
「この間だってね。料理が苦手だから練習したいって、由紀の家でお菓子を作ったんだけど、その時由紀、砂糖と塩を間違えて入れちゃって、本当に塩辛いマフィンができたんだもの。あの時は笑ったなぁ……」
3~4巻:テレマコスがオデュッセウスの手がかりを発見
瞳の話を聞いて、僕は頭のなかで再び事実を確認しはじめる。可能性が限りなく広がっていく感覚がする。
5~8巻:オデュッセウスがカリュプソーの島から脱出
そして、僕はすぐに一つの仮説に辿り着いた。ずっと初めの方に捨ててしまっていた仮説だ。確認は必要だけど、きっと間違いはないだろう。しかし、これは……この状況はまずい。
9巻:ロートパゴス族とキュプロクスの島(オデュッセウスの冒険談)
僕は少し考え、瞳にお願いをすることにした。
10巻~11巻:魔女キルケと冥界への旅(オデュッセウスの冒険談)
「なあ、瞳。ちょっとお遣いを頼まれてくれ」
12巻:怪物セイレーンとスキュラ(オデュッセウスの冒険談)
13巻~16巻:オデュッセウスとテレマコスのイタケー帰還
17巻~19巻:老人に扮したオデュッセウスとペーネロペーの再会
ベタな置き場所こそ最初に確認すべし
20巻~22巻:オデュッセウスによる求婚者たちへの粛清
23巻~24巻:オデュッセウスとペーネロペーの本当の再会
私は、幼馴染のコータのお遣いで、今生徒用玄関に向かっている。
 
お遣いの内容はこうだ。
オデュッセイアは、息子テレマコスが父を探してオデュッセウスが故郷への帰還の旅を始める(1~8巻)、オデュッセウスの冒険談(9~12巻)、オデュッセウスが自国イタケ―に帰還して妻との再会を果たす(13~24巻)と、大きく3部に分けられます。
『靴箱に行き、そして着いたらメールしてくれ。それから指示を出すよ。』
 
最後の階段を駆け降り、玄関に着いた私は、早速スマホを取り出し、コータとのチャット欄に文字を打ち込んで送信した。
 1~2巻―テレマコス旅立ちの決心
『靴箱着いたよ!私は何をしたらいいのかな?』
 
すると時間を空けずにコータから返信が来た。
トロイア戦争が終結した後も、オデュッセウスは自国イタケーには戻ってきていませんでした。イタケー王宮には、オデュッセウスの妻ペーネロペーと息子テレマコスが暮らしており、他にペーネロペーと結婚を望む多くの求婚者が住みついています。オデュッセウスが帰国しないことから、オデュッセウスは亡くなったと考えられていました。そのためイタケー王国の財産目当てでペーネロペーに求婚をするものが後を絶たず、彼らは宮殿に滞在し、宴会を開き傍若無人にふるまっていました。
『まずは由紀さんの靴箱を確認してくれよ。』
 
『おっけ!』
オリンポスの神々の間では、オデュッセウスを故郷イタケーに帰すかどうかの協議が行われていました。ほとんどの神が帰還させることに同意をしていましたが、海の神ポセイドンだけは反対をします。ポセイドンは自分の子供である一つ目巨人ポリュペーモスの目を、オデュッセウスが潰したことに怒っていました。そのためオデュッセウスに対して海難を与えていました。
由紀はとっくに帰ってしまったはずだ。その靴箱に何があるというのだろう。そんなことを思いながら私は由紀の靴箱を開けてみる。すると、そこにはなんと由紀のローファーが置かれているではないか。てっきり帰ったものだとばかり思ってた私は、心底びっくりした。校門から走っていく姿は見たけど、まさか戻ってきていたなんて。
 
『由紀の靴がある。まだ帰ってなかったんだ!』
ポセイドンが不在の間に、オデュッセウスの守護者である知恵の神アテーナーは、最高神ゼウスにオデュッセウスが故郷に帰るための許可を頼み込みました。次にアテーナーは、異国の王メンテースに姿を変え、イタケー王宮に行きオデュッセウスの子供テレマコスに会いました。そして、求婚者たちが我が物顔で王宮を占拠している状況を変えるためには、父親の生死をはっきりさせる必要があると助言をしました。そのためにテレマコスが父親を探す旅に出る事を説きます。
送信っと。またすぐに返事が届く。
 
『靴の種類は?』
テレマコスは翌日に集会を開き、イタケー市民の前で、求婚者たちが横暴なふるまいをしていることを話しました。しかし、求婚者たちが次々と反論してテレマコスの言葉をかき消したため、市民に訴えるだけでは問題解決にはなりませんでした。そしてついにテレマコスは父を探す旅に出る事を決意します。アテーナーが船と乗組員を手配し、求婚者たちが眠っている夜の間にイタケーを出発し、ギリシャ本土のピュロスにいる老将ネストールを訪ねることにしました。
私もすぐさま返信した。
 
『ローファー』
 3~4巻―テレマコスがオデュッセウスの手がかりを発見
『やっぱりそうか。じゃあ、家庭科室に向かってくれ。きっと由紀さんはそこにいる。そして、多分、これは多分だけど、彼女は瞳の助けを必要としていると思うんだ。』
 
私にも少しずつことの全貌が掴めてきた。私はコータの賢さに笑い、そして由紀の可愛さにも笑った。
ピュロスに到着したテレマコスとメンテース王に変装したアテーナーは、トロイア戦争にオデュッセウスと共に参戦していた老将ネストールに面会をします。ネストールによると生き残った英雄たちは帰国時に2つの部隊に別れ、ネストールとオデュッセウスは別々の部隊となったため、オデュッセウスの行方と生死は分からないということでした。
『コータありがとう。由紀を助けてくるね!』
 
コータはいつも頼りになる。私より先を見て、私を助けてくれるんだ。私は頬が紅潮するのを感じた。待って、今は由紀の一大事なのよ! 時計を見ると、五時二十分を過ぎたところだった。それと同時にスマホの通知音が鳴る。画面を見ると、コータから新しいメッセージが来ている。
ネストールは自分が情報を知っている他のギリシャの英雄たちの話を聞かせました。その中で、トロイア戦争で副大将を務めていたメネラーオスが、エジプトへ漂流をしたのち、最近スパルタに帰国した話をしました。そしてテレマコスにスパルタ王のメネラーオスを訪ねることを提案します。
『P.S.そういえば、祐介は六時三十分きっかりに校門を出て、帰ってしまう。』
 
私はそのメッセージを見ると急いで家庭科室へ駆け出した。
翌日ネストールの息子の案内でスパルタに向けて出発します。無事にスパルタ王国に到着し、メネラーオス王とその妻のヘレネーに会いました。オデュッセウスの息子であると知ると彼らは感激し、トロイア戦争でのオデュッセウスの活躍をテレマコスに伝えました。さらに彼らがエジプトから帰る途中のファロス島で、海の神プロテウスからオデュッセウスがカリュプソーの島で捕らわれているという話を聞いたことを伝えます。
そう、早く乾かすには、テンパリングが大事なのだ。
 
全速力で家庭科室に着き、扉を開けるとジャージにエプロン姿の髪色の薄い少女が、所々にチョコレートを浴びながら、涙目でボウルに向き合っていた。彼女は扉が突然開いたことに驚き、ビクッとしてこちらを見た。不器用だけど一生懸命な彼女の姿に、私は思わず微笑んでしまう。
一方、そのころイタケーの王宮にいる求婚者たちは、テレマコスがいなくなっているのに気づきます。怒った求婚者たちはテレマコスがイタケーに戻って来るときに、途中で待ち伏せして殺してしまうという計画を立てました。テレマコスの母ペーネロペーは彼らの陰謀を耳にし、女神アテーナーに息子が無事帰還することを祈ります。
「由紀。その混ぜ方だとダメだよ。乾くのに時間がかかって間に合わない」
 
私は教卓に置かれていたエプロンを素早く着て、由紀に近づいていく。
 5~8巻―オデュッセウスがカリュプソーの島から脱出
「瞳ちゃん、助けてくれる?」
 
由紀が涙目で私に助けを求めてくる。彼女が混ぜるボウルの横には近くのスーパーの袋に入った複数枚の板チョコと、昼休みに壊してしまったであろう手作りのチョコレートが置いてある。手作りチョコの方は割れてしまうまでは綺麗なハート型だったのだろうが、今は無惨な形になってしまっている。でも……これなら。
スパルタ王のメネラーオスの話の通り、オデュッセウスは女神カリュプソーの島で7年間捕らわれていました。オデュッセウスが故郷への帰還を望んでいるにも関わらず、カリュプソーはオデュッセウスを愛していたため、彼に不死を与え夫として一緒に暮らすことを望んでいました。しかし、アテーナーから嘆願を受けたゼウスがオデュッセウスの帰還を許可し、ゼウスから遣わされたヘルメースがその旨をカリュプソーに伝えました。
「由紀、大丈夫。これなら間に合う。とびきり美味しいの作ろう!」
 
私はエプロンの紐をキュッと締めた。
最高神ゼウスから連絡を受けた女神カリュプソーは、オデュッセウスに衣類や食べ物を与え、オデュッセウスはいかだを作り島から出発します。しかし、オデュッセウスが島から出たことを知ったポセイドンが、大きな波を起こし、いかだを転覆させました。海に投げ出されたオデュッセウスは海の妖精の助けも得て、数日間必死に泳ぎ続けて海岸に漂着しました。疲れ果てたオデュッセウスは、海岸の草の茂みの中で眠りに落ちました。
 
家に着くまで
翌朝、夢の中でアテーナーからお告げを受けた女性ナウシカアーが、お告げの通り海岸線に行くとオデュッセウスを見つけました。ナウシカアーはスケリア島の王女で、父であるアルキノオス王の元にオデュッセウスを案内します。アルキノオス王はオデュッセウスの素性を知りませんでしたが、彼を歓迎し、帰国するための船を用意することを約束します。
 
瞳を送り出した後、僕はミステリ映画の大まかな方向性について祐介と議論した。祐介はまるで瞳がここを訪れたことは忘れてしまったかのように、熱心に映画について話している。スマホを確認すると、瞳に最後に送ったメッセージには返信こそないが、しっかりと既読がついている。これならもう心配することはないだろう。あとは瞳が上手くやってくれているはずだ。
オデュッセウスは数日間スケリア島に滞在し、帰国前にアルキノオスが別れの宴を開きました。その宴席で、吟遊詩人がトロイア戦争でのトロイアの木馬の詩を歌いました。大勢がお酒を飲みながら楽しく聞いていましたが、オデュッセウスだけが悲しい表情で涙を流していました。その姿に気づいたアルキノオス王が、ついにオデュッセウスに素性を訪ねます。
その議論によって、最終的に今回の映画では『暗号解読』をメインテーマとして扱うことになった。僕は議論の流れから、『頭を使うのが好きな祐介のことだ、面白いものを作ってくるだろう』などと安易に考えていたが、どうやら祐介は脚本を書き、その根幹となる謎の作成は僕の担当らしい。やれやれ、また一つ仕事が増えてしまった。しかし、有吾さんのためだ。頑張ろう……。
 
六時二十分を回った頃に、僕らは部室を後にした。職員棟に鍵を返却し、校門へ向かう。上手くいっていたのなら、きっと校門に二人が居るはずだ。しかし、校庭には彼女たちの姿は見当たらなかった。
 
間に合わなかったのかな……。そう思いながら僕と祐介がちょうど校門を潜り、外へ出ようとした時だった。
 9巻―ロードパゴス族とキュプロクスの島(オデュッセウスの冒険談)
校舎の方から祐介を呼ぶ声が聞こえた。そう思うのと同時に髪色の薄い可憐な少女がこちらへ走ってくるではないか。
 
僕は途端に安堵した。良かった。間に合ったんだ。
オデュッセウスはギリシャの武将としてトロイア戦争に参加していたこと、自分がトロイアの木馬作戦を立案したことなどを話し、自分の素性を明かしました。そしてトロイア戦争後に自分の身に起こったことを語りだします。
「祐介くんっ!」
 
全速力で駆けてきた由紀さんは姿勢を正すと、聡明そうな瞳で祐介を見つめた。
トロイア戦争終結後、トロイア王国の北にある東トラキアから、ギリシャを目指しました。しかし地中海で北風と波によって、オデュッセウスの船団は航路を外れてしまいます。最初に到着したのはロードパゴス族の土地で、部下たちはロードパゴス族からもらったロートスの果実を食べました。ロートスの実には魔力があり、部下たちはロートスの実を食べながらこの土地に住み続けたいと考えるようになりました。ロートスの実を食べなかったオデュッセウスは、帰国の意思をなくした部下たちを無理やり船に連れて帰り、なんとかこの地を離れます。
「ねえ、今、時間あるかしら? 話があるの」
 
祐介は事態が飲み込めない様子で唖然としていたが、ちょっと遅れて返事をする。
次に緑豊かな一つ目巨人キュクロプスの島にたどり着きました。部下たちと共に島を探検すると、チーズが置かれ羊が飼われている洞窟を発見しました。洞窟の中に入ったところ、戻ってきた一つ目巨人ポリュペーモスに入り口を巨石でふさがれてしまいました。オデュッセウスは、解放をするようにポリュペーモス頼みましたが、ポリュペーモスは聞き入れず部下たちを食べ始めました。ポリュペーモスはオデュッセウスに名前を訪ね、お前は最後に食べてやろうと言います。オデュッセウスは自分の名前を「誰でもない」と答えました。
「わ、わかった。青崎。どうしたんだ?」
 
「えっと、私……」
オデュッセウスは部下と共に洞窟から脱出するために、ポリュペーモスにワインを飲ませ、鋭い木の棒で目を攻撃し目を見えなくしました。ポリュペーモスの叫び声を聞いた他の一つ目巨人たちがやってきて、ポリュペーモスに誰にやられたか尋ねました。ポリュペーモスは「誰でもない」と答えたため、一つ目巨人たちは帰ってしまいます。そしてオデュッセウスたちは、羊が洞窟から出される時に羊の下に隠れて洞窟から脱出しました。
そう言って由紀さんは俯いてしまう。ここに来て、勇気が出ないのだろうか。僕は心の中でエールを送った。頑張れ!
 
その時だった。
目を失ったポリュペーモスは父親のポセイドンに祈り、オデュッセウスが長い間故郷に帰れなくするように呪いをかけることを頼みました。
何かが空から降ってきて、僕の頬を濡らした。
 
「雪だ……」
 10巻~11巻―魔女キルケと冥界への旅(オデュッセウスの冒険談)
僕が言うと、由紀さんと祐介も空を見上げた。粉のような雪がふわりふわりと、無数に空から舞い降りてくる。
 
僕らはその光景にしばし目を奪われていた。それはとても美しい景色だった。そして、空を見上げたままの由紀さんがポツリと言った。
キュクロプスの島から脱出したオデュッセウスは、立ち寄った島で、風の神アイオロスから無事に故郷に帰れるように逆風の中でも風を吹かすことが出来る袋をもらいました。順調に航海し、故郷のイタケーが見えてきた時に、船員が袋を開けてしまいました。その船員は、オデュッセウスが袋の中に黄金を隠していると思ったからです。袋を開けると強風が吹き、元来た方角に戻されてしまいました。
「私、祐介くんのことが好き」
 
横目で祐介を見ると、彼は今まで見たことないような顔をしていた。
風の神アイオロスに再び助けを乞いましたが、不吉に感じたアイオロスは手助けを拒否し、再びイタケーに向けて航海をします。航海の途中で立ち寄った島で巨人ライストリュゴネス族に、多くの部下を殺されてしまい、残ったのは船1隻と約40名の部下のみとなってしまいました。
僕はその場をゆっくりと離れ、その雪の中、校舎の方に居る瞳の許へ向かった。もうあの二人は大丈夫だろう。
 
タイムリミットに間に合ったのだ。
1隻の船で航海を続け、なんとか魔女キルケが住むアイアイエー島に着きました。部隊を半分に分けて島内を探索していたところ、オデュッセウスとは別の部隊がキルケの館を見つけました。そして館に招待された部下が出されたワインとチーズを食べたところ、入っていた薬によって豚に姿が変わってしまいます。
近くへ行くと、瞳は誇らしげな表情で言った。
 
「間に合ったね。本当に良かった。ほら見てよ、あの二人」
部下たちを助けるためにオデュッセウスがキルケの館に向かいます。その時ヘルメースが現れ、特別な薬草モーリュを与えキルケの薬が効かないようにしました。オデュッセウスは出されたワインを飲んでも豚にならず、キルケは驚きます。そして部下たちを元に戻すように迫りました。観念したキルケは部下たちを人間に戻し、オデュッセウスたちを歓迎し、キルケの館で暮らし1年が経ちました。
そう言って校門の方を指差す。そしてうっとりとした表情で言った
 
「ホワイトバレンタイン。あの二人に、すっごくお似合いね。ねえ、そう思わない?」
望郷の思いが強くなった部下たちは、オデュッセウスに訴え、アイアイエー島から出発をすることにします。キルケは旅立つ彼らに、イタケーに向かう前に冥界に向かい預言者テイレシアースから助言をもらうように言います。
「うん。そうだな」
 
僕は同意した。
キルケの言う通り、生贄の羊を船に積み込み冥界に向かいました。冥界に着き生贄を捧げると、預言者テイレシアースが現れます。テイレシアースは、トリーナキエー島でヘーリオスの神聖な家畜を食べないようにすれば、無事に家に帰ることが出来ると告げます。また、オデュッセウスは冥界で母親やアガメヌノーン、アキレウスなどのトロイア戦争の英雄たちと話すことができました。
「ねえ、今日、一緒に帰らない? 聞きたいことがあるの」
 
「いいよ」
 12巻―怪物セイレーンとスキュラ(オデュッセウスの冒険談)
僕は答える。雪も降ってきたし、もうこんな時間だ。
 
「早めに行こう」
冥界から戻ったオデュッセウス達は、キルケの館を出発します。イタケーへの航海の途中、人の顔を持ち鳥の体を持つセイレーンが住む島の近くを通ることになりました。セイレーンの歌声を聞くと、理性を失い彼らの元に近づいて食べられてしまいます。
瞳は黙って頷いた。
 
そのため部下たちは蜜蝋で耳をふさぎ、オデュッセウスは歌に興味があったため耳はふさがず、セイレーンの近くに行かないように自身の体をマストに縛り付けました。音が聞けない船員たちは、オデュッセウスの様子を見て、セイレーンの海域を離れたか判断して無事に通過することが出来ました。
 
スノータイムリミット
次に6つの頭を持つ怪物スキュラの近くを通過する必要がありました。スキュラのそれぞれの頭に6人の部下が食べられてしまいますが、なんとかこの犠牲だけで切り抜けることが出来ました。
 
「ねえ、どうしてあの時点で全部わかったの?」
一行はトリーナキエー島の近くに着きますが、冥界でテイレシアースに受けた助言の通り、島に上陸をしないように部下に伝えました。しかし、嵐が一か月間続いたため島の近海から動けなくなり、用意をしていた食料がなくなってしまいました。そのため部下が言いつけを守らず島に上陸し、ヘーリオスの娘が大事に世話をしていた牛を食べてしまいました。
通学路。粉のような雪が降りしきる中、真っ白な息を吐きながら瞳が聞いてくる。僕は少し考えてから答えた。
 
「瞳の話と祐介の話、それぞれ聞いて整理すると、最初に、由紀さんと祐介と二人きりの状況が生まれるはずだったことがわかる。そこでまず『バレンタインチョコをあげる』という可能性を考えたんだ。そして、西棟へ行くまでになんらかの事件があって、生徒会活動ができなくなったんだ、って思ったんだ。他にもたくさん考えつくことはあるけど、情報がなかったから検証のしようがなかった。それに、バレンタインデーに特別二人きりという状況において、そう考えるのが妥当だと思ったからね。でも、その時は上手に仮説を立てることができなかった。由紀さんが生徒会室に行かなかったという事実と、ジャージ着替えていたという事実、それぞれにしっかりとした整合性を持った仮説が考えつかなかったんだ。でもそれは、僕が由紀さんの人柄について誤解していたからだったんだよ。瞳が由紀さんの人物像を教えて、僕の視野が狭窄してしまっていたのを気づかせてくれたおかげでこの謎は解決したんだ。由紀さんを瞳から聞いたような人であると考えることで、中庭を通って西棟に行くまでの間に転倒し、そのうえチョコを壊して制服を汚してしまった、という仮説を思いつくことができたんだ。それによって昼休みにジャージに着替えて生徒会活動を休み、そして放課後部活を休んで学校を出ていってしまったことにそれぞれ納得のいく説明ができる」
怒ったヘーリオスはゼウスに罰を下すように訴えます。ゼウスが放った雷が出航した船に直撃し、船は壊れ部下たちは全員溺死をしてしまいます。ただ一人オデュッセウスだけが、女神カリュプソーの島に流れ着きました。
「でも、なぜ転んじゃったことがわかったの? そんなのわからないんじゃない?」
 
「まあ、確かにそう言いきることはできないかもね。でも制服を全身ジャージに着替えるなんて全身が濡れてしまうことくらいしか考えつかないし、それに昼頃まで……」
 
あっと瞳が声を上げる。
 13巻~16巻―オデュッセウスとテレマコスのイタケー帰還
「……確か昼頃まで中庭には雪が残ってたわ」
 
「そうなんだ。でも、これでも正しいと言いきる根拠には足り得ない。そこで靴箱を確認してもらったんだ。由紀さんが本当に学校へ戻ってきているかどうかと、その靴が、この僕が今履いてるスノーブーツとかじゃなく、滑りやすい靴かどうかを、……例えば、ローファーとかね」
オデュッセウスの困難に満ちた話を聞いたスケリア島のアルキノオス王は、深く同情し彼に財宝を与えることにします。そして、彼が与えた船はオデュッセウスが寝ている夜の間に出航し、翌朝イタケーの港に到着しました。トロイア戦争に参加してから実に20年ぶりの帰国です。到着したオデュッセウスの前にアテーナーが現れ、彼の財宝を近くに洞窟に隠し、オデュッセウスを誰にも気づかれないように老人の姿に変えました。
「そうなのね……。じゃあなぜ由紀が学校に戻ってきていることがわかったの? そう推測した理由、教えてよ」
 
なんだ、そんなことは簡単だ。僕は横にいる瞳を見て言った。
オデュッセウスは、港から街に行く途中にある豚飼いのエウマイオスの小屋を訪れます。エウマイオスは突然やって来た老人(オデュッセウス)を歓迎します。エウマイオスから、オデュッセウス王の帰還を待ちわびていることや、王子テレマコスが王を探すために旅立ってしまった事を聞きました。オデュッセウスは自らの身分を明かさず、夕食を取り眠りにつきました。
「由紀さんの家は学校から遠いって、瞳が言ったんだ。チョコレートは今日のうちに渡したいでしょ? だからだよ」
 
「……そうなんだ。コータ、凄いね」
一方、父親を探してスパルタのメネラーオスの館にいたテレマコスは、アテーナーから助言を受け、イタケーに戻ることにします。アテーナーは、求婚者たちがテレマコスを亡き者にしようとしていることを教え、イタケーに着いたら豚飼いのエウマイオスを訪ねるように言いました。
数秒の間をあけて瞳が感心したようにポツリと言った。そして、気づくと僕らは見慣れた場所にいた。夢中になって話しているうちに、家に着いたのだ。
 
瞳の家の方が学校に近いから、時々一緒に帰る時には、瞳が家に入るのを見届けてから家に帰る。
イタケー近海での求婚者たちの待ち伏せを回避し、無事イタケーに着いたテレマコスは、エウマイオスの小屋へ向かいました。エウマイオスは無事帰国した王子テレマコスをもてなし、母親が住む王宮に王子の帰還を報告しにいきました。
「さよなら瞳。いいものも見れたし、今日は結構楽しかったよ」
 
そう言って僕は行こうとした。その時、瞳が僕の手を握った。瞳は手袋をしていて僕は素手。彼女の手の温かさが布越しに伝わってくる。
そして、アテーナーはオデュッセウスを元の姿に戻し、目の前に突然現れた父親を見てテレマコスは驚きます。オデュッセウスとテレマコスは20年ぶりに再会することが出来ました。そして二人は、求婚者たちを王宮から追い出すための計略を立てることにします。
「ねえ、話。もう一つあるの」
 
「何?」
 17巻~19巻―老人に扮したオデュッセウスとペーネロペーの再会
振り向くと、瞳ははいっと言ってチョコレートを手渡してきた。
 
「これ、あげる」
エウマイオスの小屋を出発し、先にテレマコスが王宮に向かいました。母親のペーネロペーが無事に戻ってきた息子を歓迎します。人が大勢いる中では求婚者たちは、テレマコスに手を出すことが出来ません。
「え? ありがとう」
 
驚いた。知り合って何年も経つが、こんな表情を見るのははじめてだったからだ。心が温かいもので満たされていくような感覚がした。
そして再び老人の姿に戻ったオデュッセウスが、エウマイオスに連れられて客人としてやってきました。オデュッセウスはその貧しい身なりから、求婚者たちに嘲笑されます。しかし、ペーネロペーは身なりで判断をせずに、旅をしてきたこの客人が夫の情報を知っているかもしれないと考え、話をしたいと言います。
「勘違いしないでよ。さっき作ったのじゃなくて、朝作って家から持ってきたやつだからね!」
 
彼女は笑って言う。勘違いしないでって、そっちかよ。僕も笑った。真っ白な雪の中、今目の前にいる少女が、僕には本当に綺麗なものに見えた。
オデュッセウスは求婚者たちに罰を与えるための作戦のために、ペーネロペーに身分を明かすことを我慢します。嘘をつき自分はクレタ島でオデュッセウスに会ったと言い、ペーネロペーから受けた質問に対して丁寧に答えました。そしてオデュッセウスは近いうちに必ず帰って来る旨を伝えました。
「今日はありがとう。じゃあね。素敵なお返し、楽しみにしてるから」
 
そう言った瞳はくるりと振り向いてしまうと、足早に家に入っていってしまった。ガチャリとドアが閉まり彼女が視界から消えた後も僕はそこで呆然と立ち尽くして、しばらくの間、ひたすらに降り続ける雪を見ていた。
オデュッセウスの情報を得たペーネロペーは、この老人をもてなすために、足を洗い寝床を用意するように家政婦たちに言います。年老いた家政婦のエウリュクレイアが、老人のお世話をすることになり、たらいにお湯を用意して彼の足を洗いました。老人の足にある古傷をみてエウリュクレイアは、この老人がオデュッセウスであることに気づきます。
そうしているうちに僕は、瞳が部活をサボって僕のところに来ていた理由が、なんとなくわかった気がした。
 
その日は家に帰っても、ページを捲る手は全く進まなかった。
王の帰還に胸がいっぱいとなり、ペーネロペーにこのことを伝えようとしますが、ペーネロペーはアテーナーによって気をそらされており、気づくことはありません。オデュッセウスは自分のことを秘密にするようにエウリュクレイアに伝えました。
 
終 僕のリミット
 20巻~22巻―オデュッセウスによる求婚者たちへの粛清
 
あの日、バレンタインデーから三日が経った土曜日。
老人に姿を変えたオデュッセウスが王宮に戻った翌日に、ペーネロペーの夫を決めるための競技大会の開催が決まっていました。なかなか夫を選ばないペーネロペーに業を煮やした求婚者たちに対して、アテーナーの助言により開かれた競技大会です。
瞳と由紀さんはバレーの大会で市民体育館へ赴いており、祐介も由紀さんの応援のために同行しているそうだ。祐介はあの日から目に見えてデレデレしている。僕はあれから毎日映研につき合わされているので、正直言って非常に不愉快である。
 
映画制作の方は、今僕が有吾さんのためにせっせと映画の「謎」を考えている最中だ。これがなかなか楽しい作業でこれからは読書のようにはまってしまいそうだ。まだ脚本の状態で、一ヶ月後の締め切りに間に合うかどうかはわからないが、ベストを尽くそうと思う。久々に夢中になれることを見つけられた気がする。
オデュッセウスはこの日に求婚者たちを打ち倒す計画を立てており、気持ちが高ぶっていました。ゼウスはオデュッセウスを鼓舞するために、晴天の空に雷鳴をとどろかせます。
一方瞳と僕はというもの、あれから取り立てて言及すべきようなことは何もない。正直、どう接すれば良いのかわからない。自分には全く縁のないものだと思っていた世界に、たった一つのチョコで放り出されてしまったのだ。僕はまだ、自分の気持ちさえ掴めていない。まあこれにも、一ヶ月あまりの余裕がある。
 
そう、僕のタイムリミットは約一カ月後、ホワイトデーのその日なのだ。
競技はオデュッセウスの弓を使い、丸い穴が開いた斧の刃を12本並べて、矢に紐を結び付け、穴に矢を通過させるというものでした。12個全ての穴に紐が通過したものが勝者となります。競技が始まりましたが、オデュッセウスの強弓を前にして、ほとんどの求婚者たちは弦を張ることすら出来ません。しかし老人に扮したオデュッセウスはやすやすと弓を引き、12個全ての穴に矢を通してしまいました。求婚者たちの中で驚きと動揺が広がりました。
だからそれまで、気長に考えようと思う。
 
オデュッセウスはすぐに、求婚者たちの中でリーダー的存在のアンティノウスの喉を矢で射貫き、テレマコスや腹心の部下たちと共に次々と求婚者たちを討ち取って行きます。矢が尽きたあとは、テレマコスがあらかじめ準備をしていた槍や剣を手に取り、求婚者たち全員の凄惨な粛清が行われて行きました。求婚者たちと不貞を行っていた家政婦たちも、有罪として粛清をされました。
 
 23巻~24巻―オデュッセウスとペーネロペーの本当の再会
 
一連の騒動の中、ペーネロペーはアテーナーによって眠らされていました。家政婦のエウリュクレイアがペーネロペーに、オデュッセウスが帰還して求婚者たちを倒したことを伝え、眠りから起こします。ペーネロペーの前にオデュッセウスが現れましたが、求婚者たちに多くの嘘をつかれ続けていたペーネロペーは、本物のオデュッセウスかどうか半信半疑でした。
 
そこで、ペーネロペーは家政婦にベッドを寝室から動かすように言います。すかさずオデュッセウスが、そのベッドは根が生えているオリーブの木から自分が作ったため動かすことは出来ないと言いました。二人だけの秘密を聞いたペーネロペーは、オデュッセウスを本人であると確信をして感極まり、20年ぶりの再会をした夫の胸に飛び込みました。
 
一方、求婚者たちはイタケーの有力者たちであったため、求婚者たちを殺されてしまった一族たちが団結をして、オデュッセウスに復讐をしようと考えていました。オデュッセウスを倒すために大人数が終結しましたが、オデュッセウスの味方はテレマコスや腹心の部下10数名のみです。それでもオデュッセウス達が果敢に立ち向かい、刃を交えた時にゼウスが雷を落としアテーナーが現れます。そしてアテーナーは、同じイタケー人同士の戦いをやめて停戦をするように言いました。こうして停戦協定が結ばれ、物語は終わります。
 
オデュッセウスの誓い
 
スパルタ王の娘であり絶世の美女ヘレネーには求婚者が後を絶たず、父親であるテュンダレオースは結婚相手が決定した際に他の求婚者との間で争いになることを懸念していました。
 
そこで武将オデュッセウスが、求婚者全員に「結婚相手となった男が困難な状況になった場合は、その男を求婚者全員で力を合わせて助ける」と誓わせ、争いが起きないようにしました。しかし、オデュッセウス自身もヘレネーの求婚者の一人であったため、ヘレネーの夫であるメネラーオスを助けるためにトロイア戦争に参加することになってしまいます。
 
なおオデュッセウスの誓いを考えたことで、テュンダレオースからヘレネーの従姉妹であるペーネロペーとの結婚を認められています。
 
英雄アキレウスを味方に引き入れる
 
スキュロス島で女装して隠れ住んでいた英雄アキレウスを見破り、トロイア戦争に参加させました。また、アキレウスの死後は息子のネオプトレモスに父親の武具を与えトロイア戦争に参戦させることに成功しました。アキレウスとネオプトレモスはトロイア戦争で活躍します。
 
預言を打ち破って最初にトロイアの地に降り立つ
 
預言者カルカースが、最初にトロイアの地を踏んだ者は戦死をすると預言をしたため、皆が船から降りるのを躊躇していました。オデュッセウスは、自分の盾を地面に投げて、船から飛び降り盾の上に降り立ちました。それを見た武将が船から降りて、預言の通りその武将は戦死をしてしまいます。オデュッセウスは知力を使い預言を回避しました。
 
トロイア陥落の道筋を作り出したキーマン
 
神託によると、トロイア陥落のために都市の守護神であるアテーナーの木像(パラディウム)を盗み出す必要がありました。そこで物乞いに変装し、ディオメデスと共にトロイア城内の神殿に侵入し、木像を盗み出すことに成功をしました。
 
さらに、難攻不落のトロイアの城壁を打ち破るために、巨大な木馬を作り、木馬の中にギリシャの精鋭が隠れて城内に引き入れさせる作戦を考えました。これが有名なトロイアの木馬作戦です。
 
ギリシャの武将たちは、作戦通り城内に潜入しますが、トロイアの木馬の中に武将たちが潜んでいる時に、ギリシャ軍の策を疑ったトロイア兵は罠をしかけます。武将たちの妻の声を真似して、木馬に語りかけます。長期間会えない妻たちの声を聞き、武将たちは声を出さないようにして涙を流しながら耐えました。しかし、アンティクロスだけは思わず返事をしてしまいそうになります。オデュッセウスはアンティクロスの口を強く押さえ、何とか敵の策を回避することが出来ました。
 
こうしてトロイアに潜入したギリシャ軍は城門を開け放ち味方を引き入れ、トロイア戦争に勝利しました。
 
オデュッセイアの名がつけられたもの
 
オデュッセイアは後世のヨーロッパ文学に大きな影響を与え、その壮大な物語は多くの絵画の題材にもなりました。様々なものがオデュッセイアから影響を受けていますが、現代の日本でオデュッセイアの名前が付けられたものをご紹介させていただきます。
 
オデュッセイア(バラ)
 
2013年にバラの育種家の木村卓功(きむらたくのり)氏が発表したバラが、オデュッセイアと名付けられました。これはホメロスのオデュッセイアから名前が取られています。ヨーロッパ品種ではないため日本の環境で育てやすく、バラ愛好家から大きな支持を集めています。興味がある方は是非育ててみてはいかがでしょうか。
 
オデュッセイア2001(日本酒)
 
菊正宗酒造株式会社より限定170本で販売された日本酒が、オデュッセイア2001です。純米大吟醸「治郎右衛門」を2001年から冷却貯蔵し、2020年12月に蔵出しをされました。長期間寝かせることを、オデュッセウスが故郷を離れて20年にわたる旅になぞらえ、オデュッセイアと名前が付けられました。
 
ホンダ・オデッセイ(自動車)
 
本田技研工業が1994年から販売していた高級ミニバンがホンダ・オデッセイです。日本では2021年で生産が終了しました。オデュッセイアを語源とする長い冒険旅行の意味で、オデッセイという名前となりました。おいしーー!|文=概要}}
<br>{{色変化|変化方法=grainbow|style=font-size:15vw|内容=肺内!!!}}
 
 
 
<br>{{出ずる|class=hov|style=font-size:5vw|現る=ソビエトロシアでは[[ジョン]]がお前を殺す!!!}}

4年10月12日 (黃) 00:44時点における最新版

序 はじまりの過ち

中庭を歩いていた。冷たい風が吹き、白い髪がさらさらと靡いた。中庭には、昨夜の雪がまだ残っていた。 もうすぐ、もうすぐ運命の時だ。 私は緊張を解すように胸をそらせて、少し晴れてきた空を見上げた。朝の番組ではまた雪が降ると言っていたから心配してたけど、もう晴れてしまいそうね。 雲の切間から太陽の光が差し込んでいる。一筋の光が冬の空から降りてくる様はとても見事で美しい。 それに見惚れながら、私は上を向いて歩いていた。

青春と本

バレンタインデーには、その日だけの特別な雰囲気がある。 学校は男子の隠しきれない期待と、チャンスを待つ女子の純情かつ野生的な視線で一気に飽和状態になり、その緊張を覆い隠すかのように騒がしさが増す。 今は午後四時三十分、つまり放課後である。そして放課後といえば、バレンタインデー一番の山場なのである。軽いリュックに敗北感を背負い帰宅する者もいる反面、最も自由でロマンティックな想像が膨らむ時間。まるで消える直前の、最も勢いづいた蝋燭の炎のように、学校は鮮やかな青春に染まる。 例に漏れずこの閉邦高校一年B組も、バレンタインデーの空気が教室を支配していた。そして、いつもより少し甘い香りのする教室で皆が青春ゲームに勤しんでいる中、僕、村上光太は一人、窓際の席で本を読んでいた。 本は好きだ。俗世間のしがらみを捨て去って、どんな世界にも行くことができる。まあ、これといって俗世間のしがらみに囚われ、苦しんでいるというわけではないのだが、そんなことは良い。とにかく僕は本に没頭していた。ここまで空気感の違う教室で一人の世界に入り込むというのは至難の業であったが、僕は慣れていた。 尤も、そのゲームに興じる級友たちが羨ましくないのかと言われるとそれは違う。むしろ僕なんかよりずっと有意義な時間を過ごしているのかもしれないと思うこともある。だがそれは僕には縁のないものだ。そもそも僕は、興味のないものには全く動かない根っからの出不精であるため、労力を払ってまで彼等のようになろうとは思えないのであった。その点、読書というものはコスパ最強じゃないか? 僕はくだらない御託を胸にしまい、本から目を離して窓の外を見た。確か昼ごろから雪が降るという予報だったが、冬の中庭はこれ以上ないくらいの良い天気だ。昼まで残っていた雪も粗方解けてしまっている。わざわざ靴箱から引っ張り出して履いてきたスノーブーツは、あまり意味がなかったようだ。 今読んでいる本も段々とクライマックスに近づいてきた。家でゆっくり続きを読もう、そう思って教室の時計に目をやった。四時四十四分。夢中になっているうちに十五分近く経っていたようだ。あれ……四時四十四分? 何かを忘れている気がする。僕はその時計を見つめて考えた。一体何を忘れているんだ? 昨日の記憶をじっくりと思い出していく。そして真実に辿り着いたその時、ガチッと時計が揺れて長針が四十五分を差した。それと同時に、ガラガラと、前方の引き戸が開かれる音がした。その大きな音に、先刻まで騒がしかった教室が凪のように静かになり、全員の視線が扉へ向けられる。そして、僕の顔もみるみる赤くなる。これはまずい。 「光太! 行こうぜ!」 静まり返った一年B組に、近くで聞いたら耳がやられそうなくらいの大声が響く。数秒前に危惧したことが、想像通りに起こった。僕は顔を耳まで赤くして、そそくさと準備をすませて教室を出た。僕が出ていくまで、教室は静かなままであった。 「祐介、あんなうるさく言わなくたっていいだろ」 僕は怒りながら言った。 「目立ちたくないんだよ」 「光太、お前が遅れたんだろ。四時四十分迄に部室に来い、来なかったらお前のクラスに突撃してやるって、俺は確かに言ったはずだ」 おいおい突撃するなんて言ってたか? 僕は澄ました裕介の横顔を睨んだ。 彼は友人、相沢祐介だ。クラスは一年C組。ご覧のとおり時間に厳しい男で、それでいて気障な奴である。語っておいて今思ったのだが、自分のペースを大事にしたい僕と、こんな感じの裕介、本来なら相性最悪だろ。どうしてこんな奴が僕の親友なんだ。 「お前が来ないと映研部の活動に支障が出てくるんだよ。それに俺は毎日六時半には校門を出て、七時きっかりには家に着いていなきゃいけない。これはお前が怠惰な罰だ」 昨日のことを思い出す。突然切羽詰まったように、ミステリ映画を作りたいと僕に頼み込んできた祐介の顔。僕がミステリ好きだから、という短絡的な理由でプロジェクトの参加者に抜擢されたのだ。しかも強制的に。「脚本についてのアドバイス等が欲しい」などと言っているが、経験上、裕介が欲しいのは勝手の良いお手伝いに過ぎない……。 「忘れてたんだ。お前の映画になんて興味がないからな! そもそも『部』室とか映研『部』とか言ったって、祐介のそれは映画研究『同好会』じゃないか」 もうおわかりだろうが祐介は大の映画好きで、将来の夢は小さな頃から映画監督であった。そして今彼は、彼一人しか在籍していない『映画研究同好会』で、せっせと映画作りに励んでいるのである。 「それは違う。俺が部を作る時に登録した名前は、『映画研究部同好会』だ。つまり、映研部と呼んでもなんの差し支えもない」 もとい、『映画研究部同好会』らしい。めんどくさい奴だ。 「そんなことは関係ない! そもそも僕はそんな部活入ってないし、お前のお願いを聞くなんて一言も……」 「ああ、うるさい。遅れたんだから早くしろよ」 清々しい程の理不尽さに半ば呆れつつも、僕は仕方なく映画研究部同好会の部室へ向かった。

映画研究部同好会

映画研究部同好会の部室は、校舎東棟三階の理科室の奥にある、こぢんまりとした部屋だった。そこには四人くらいが使えそうな机と三つのパイプ椅子、なぜか新しめのホワイトボード、そして雑多に機材が入った学校らしい棚があるだけだった。なかなか良い雰囲気だ。その狭さはまるで秘密基地のようで、僕の男の子の心が嫌でもくすぐられる。窓は北側に一つ。そこからは先ほど一階から見ていたより高い位置から校庭が見下ろせる。 「へえ、同好会でも部室ってもらえるんだな」 僕はニヤリと笑って言う。皮肉である。 「ああ。少し頑張った」 祐介はニコリともせず言った。大方、先生に何度も頼み込んだ、というところだろう。自分の好きなことには全力を出せる、しかし興味ないことには全く動かない。その点において僕らは似たもの同士なのかもしれない。 「昨日も言ったが、俺たちはこれからミステリ映画を作る。そういうことで光太。お前を呼んだんだが、まずお前に聞きたいことがある」 棚の奥から電気ポットと茶葉、そしてティーポットを取り出した祐介は、優雅な手つきで紅茶を淹れはじめた。どこに隠してんだよ。 僕はパイプ椅子に腰掛けて答える。 「聞きたいことってなんだよ」 「聞きたいこと、それは……」 祐介はいやに勿体ぶって言葉を溜める。そしてどこからか出してきたカップ二つに紅茶を注ぎ、僕の前に置いた。いちいち仕草が癪に触るんだよな。 「……ミステリって、なんだ?」 祐介の凄まじいワイルドピッチに、僕は紅茶のひと口目を噴き出しそうになる。 そっからかよ! そう叫びたくなるのをグッと堪える。 「そっからかよ!」 おっと堪えきれなかった。叫ぶと気管に水が入ってしまって、咳き込んでしまった。僕は涙目で馬鹿を見上げる。祐介はこういうところがある。頭は良いらしいが、時々驚異的なくらい間抜けだ。 「全く知らないわけじゃない。光太の話を聞いてみたいんだよ」 どれだけこいつと過ごしてきたことか。こいつは本当に知らないな。なぜ知らないものをやろうと思ったのか。そこらの密室なんかより百倍謎である。 一瞬荷物を背負ってそのまま帰りたいという欲求に駆られたが、そんなことをしては今後何が起きるかわからない。溜息を吐いて、覚悟を決める。ここは一肌脱いで、講釈してやるしかないのか……。 僕は席を立ってホワイトボードの前に立った。祐介は向かい側の椅子に座った。 「まず、『ミステリ』の意味は知ってるか?」 「知ってる。mystery。不思議とか怪奇とかいう意味だ」 「そう、その通りだ。そして、その言葉通り、不思議、神秘、怪奇等のフィクション作品を総じてミステリと呼ぶ。僕はその中のミステリ小説しか知らないから、それについて少し話そう」 祐介は棚からバームクーヘンを取り出して、切り分けはじめている。本当に聞いてるのか? 僕は無視して続ける。 「ミステリ小説には大きく分けて五つくらいの種類がある。それは……」 僕はホワイトボードの上部に『ミステリ小説』と書き、その下に五つの点を並べた。そして喋りながらペンを走らせていく。 「主にサスペンス小説、警察小説、スパイ小説、ハードボイルド。そして最後に……本格ミステリ」 僕は最後に挙げた本格ミステリの点に大きく丸をつけた。 「祐介がやりたいのは映画だろう? なら、この本格ミステリがいいよ。なぜかというと、他のミステリは比較的映像化の敷居が高いから。サスペンス小説やスパイ小説ならギリギリ行けるかもしれないけど、警察小説なんかはまず無理だろ」 「本格ミステリは映像にしやすいのか」 「まあ、僕が言ったことをまとめるとそうだけど、厳密には結構違う。本格ミステリって言う言葉はあまりに広義的で曖昧なものなんだ。普通に考えるとこんな感じの面子に並べるのはちょっと違う気もしてくるんだけど……。まあいいか。簡単に言うと、本格ミステリはその中に沢山の種類があるから、一概には言えない。しかし、そのぶんやりやすそうなものもあるってことさ。僕が映像化しやすいジャンルとして真っ先に思いつくのは『暗号解読』とか『日常の謎』とかかな。どちらも、製作の上でどうしてもネックとなる演出――例えばリアリティが必要な人の死体とか、より専門的で高度な知識が必要な場面とか――を回避しやすいと思う」 「それはいいな。ところで、『日常の謎』ってなんだ?」 「『日常の謎』っていうものは、文字通り日常に潜む謎に迫ったミステリー作品のことだ。現実に起こり得るかもしれない身近な謎が多いから、物語に入り込みやすいことも特徴だよ。これは僕たち学生でも作りやすい。一つ例を挙げるとするならこんなのはどうだろう。『喫茶店で、三人の若い女性がサービスで置いてある砂糖を大量に競い合うように入れる不可解な行動をしている』」 祐介は目を閉じ、時間をかけて考えた後、優雅に降参のポーズを取って 「それだけじゃ情報が少なすぎる。もっと詳しく教えてくれ」 などと言う。 「これは北村薫作『空飛ぶ馬』の中の『砂糖合戦』という話だ。是非読んでみてほしい。きっと参考になるはずさ。でも、僕の口からは語れない。自分で読むからこそ感じられるものがあるからね。その機会を奪うつもりはないさ」 祐介の顔が少し歪む。これから僕が言うことがなんとなくわかってきたのだろう。僕は迷わず続けた。 「総括しよう。僕が映画化するとして一番推すのは『日常の謎』だ。でも祐介なら、もしかしたら『暗号解読』でも面白いものが作れそうだ。工夫したら他のものも作れると思うから、まず僕がおすすめするのは自分でミステリに触れることだ」 僕は最後にホワイトボードに大きく『ミステリに触れること』と書いた。 祐介は友人だが、こんな茶番につき合っている暇はない。さっきの仕打ちも許してはいない。そして今は本の続きも気になっている。 「これで僕が知っていることから考えた祐介へのアドバイスは以上だ。それではお暇させて頂くよ。紅茶、ありがとう。実に美味しかった」 僕は先刻教室を後にしたくらいのスピードで部屋を出ていこうと試みた。しかし、僕の腕を祐介が掴んだ。 「なあ、時間がないんだ。ミステリ映画を作れって兄貴が言うんだよ」 祐介が背後で言った。 そういえば、祐介の兄貴は四月から演劇を学びにヨーロッパに行くんだったな。祐介の兄貴、有吾さんは僕が手放しに尊敬できると思う、数少ない大人の一人だ。 彼は、とにかく全てがカッコ良いのだ。ルックスもさながら、立ち居振る舞い、趣味、性格まで。祐介とは大違いだ。しかも大のミステリ愛好家で僕が敬愛する理由はそこにもある。有吾さんはここ半年くらい忙しいらしく、僕は彼に会えていないが、会いたい気持ちは変わらない。手をつけてなかった有吾さんおすすめの江戸川乱歩の全集をちょうどこの前読み終えたところなのだ。早く有吾さんと話したいな。 「兄貴は四月に出発するから、その二週間前くらいには完成させたいんだ」 そうすると、締め切りは三月半ば。つまりあと一ヶ月程しかない。 僕は立ち止まって暫し一考した。 ここで祐介のお手伝いをすると、素直な祐介のことだから必ず僕のことを話してくれるだろう。そうすれば彼からの評価も上がるかもしれない。勿論その場合出来が悪いのを作るわけにはいかない。うんと良いものを作らなければ。メリットデメリットを考え、僕は有吾さんに良いところを見せたいと思った。 「わかったよ。しょうがないな……」 そう言って振り向くとそこには鼻にかかる笑みを湛えた祐介が立っていた。 「はい、お願い」 祐介は真っ新な絵コンテ用紙と作文用紙の束を僕の両手に渡して、余裕綽綽の様子で席へと戻りティータイムを再開した。そして、 「やってくれると思ってたぜ」 などと言う。 「なあ、祐介。手伝ってやるよ……手伝ってやるけどよ……」 僕は手に持っていた紙をテーブルに置いた。 「いっぺん殴らせろ!」 まさに祐介の後頭部を叩いてやろうと手を上げたその時、こんこんとドアをノックする音と共に、 「ねえ、コータ? 居る?」 と聞き慣れた声が聞こえた。聞き慣れてはいるが学校では殆ど聞かない声だ。それが今聞こえたということは……まずい。ガラリと扉が開いた。 「あー、えっと、喧嘩中?」 これは……まためんどくさいことになりそうだ。

幼馴染み

「あー、えっと、喧嘩中?」 うるうるとした目で首を傾げるショートカットの彼女の名前は辻村瞳。僕の……幼馴染みというのだろう。クラスは祐介と同じ一年C組。バレー部期待の新人で、一年生ながらレギュラー入りしているスポーツマン、いや、スポーツウーマンか。 「大丈夫。そんなんじゃない」 僕はグッと気持ちを押し込めて答える。すると、 「そうだそうだ」 と祐介も横から言ってくる。うるさい。 「ああ、それなら良かった」 瞳はまるでアニメの登場人物のようなリアクションで安心した後、すっとシリアスな表情になり、どうやってここへ来られたかを尋ねる間もなく本題に入った。多分、さっきの出来事をB組の誰かにでも聞いて、僕らが映研の部室にいると考えたとか、そんなところだろう。 「ところでコータ。私ちょっと今日気になることがあって……」 またこれである。実は瞳と僕は家が隣同士で、何か話したいことがあればいつでも帰れば話せるはずなのだ。しかし、それでも学校にいる間に瞳が僕を訪ねてくるということは、何か気になる『謎』を見つけてしまったからに違いない。 小学生の頃、瞳のふとした疑問を解いてあげてから、謎を発見すると僕に聞きに来るというルーティンがすっかりでき上がってしまっていたのだ。困るんだよ、下手に期待されるの。今まではなんとか運で解決できてはいたものの、今回もそうなるとは限らない 「ところで、部活はどうしたんだよ」 僕は話の腰を折って、どうにか有耶無耶にできないか、苦し紛れに質問をしてみる。 「そう、そうなの。部活のことなんだけど……」 おっと、やってしまったようだ。祐介が隣で紅茶を吹き出した。笑ってんじゃねぇぞ。 「いつもは部活に来る由紀がね、今日はなんか態度がおかしくて、ちょっと体調悪いのかわからないけど、もう帰っちゃったんだ」 ふむ。瞳はいつも通りよくわからない。 「そんなこと、由紀さんの友達に聞いてみればいいんじゃないの?」 「由紀はそんなに友達作るタイプじゃなくて、一番の親友は私なのよ」 胸をそらせて誇らしげに言う彼女を、僕はとりあえずパイプ椅子に座らせた。 しょうがない……逃げられないなら、じっくり聴いてやろうじゃないか。  

エルサの真実

「わかったよ。瞳。順を追って話してくれ」 僕は彼女の目を見て言う。 「まず、由紀さんって誰?」 すると祐介が口を開いた。 「1―Cの青崎由紀だよ。ほら、エルサって呼ばれてる人だ。光太も知ってるだろ?」 ああ、瞳に聞くより何倍もわかりやすい。青崎由紀、またの名を1のCのエルサ。この学校ではちょっとした有名人だ。整った容姿に良い成績。運動神経も抜群で、今目の前にいる瞳と同じように、一年生ながらも不動のレギュラーの座に着いている。そのうえ品行方正で、自分にも他人にも厳格なその姿は不思議と見る人に自然と『お嬢様』を思わせるのだ。何より目立つのはその白みがかったグレーの髪だろう。人より色彩が薄く目立つその髪は、その容姿と相まって素晴らしい造形を作り出しているのだ……ということらしい。僕の知っていることはどれも噂の域を出ないものだ。正直なところ何回か見かけた覚えがあるくらいで、殆ど知らないのだ。まあ、噂と明らかに違うようなところはなかったと思う。 彼女はそのハイスペックさと厳格な性格、そして何よりその髪色からだろうか、数年前に流行った児童向け映画に出てくる氷の女王の名前が冠され、嫉妬と尊敬の入り混じった視線を向けられている。 「それで、由紀さんがどうかしたの?」 僕はひとまず瞳に聞いてみることにした。どうやら瞳はよっぽど興味津々なようで、一気に話しはじめる。 「由紀はね、とっても真面目で努力家なの。だからいつもは部活に誰よりも早く来て練習をしてるんだ。でも今日はなんだか朝から様子がおかしかった」 祐介がどこからかカップをもう一つ取り出し、紅茶を淹れ、瞳の前に置いた。 「あ、祐介くんありがとう」 瞳はひと口でその紅茶を飲みきると、また話しはじめた。忙しないな。 「それで、由紀はずっとそんな感じで、結局帰りの会が終わってすぐに鞄持って帰っちゃったんだ。ねえ、祐介くん、おかわりある?」 彼女は空のティーカップを祐介に差し出す。祐介は軽やかな手つきでそれを受け取り、ポッドからもう一杯淹れはじめた。 「どうぞどうぞ。茶葉は余ってるんだ。幾らでも飲んでくれたまえよ……」 その間、僕は思案した。瞳は、気になり出すと解決するまで止まらない猪突猛進タイプだ。納得のいく回答をしない限り離してくれないだろう。これがまた面倒臭いのだ。もし万が一そうなれば、今日の読書は諦めるより他ない。だからどうにか納得してくれるような仮説を考え出すしかない。だが、この情報の量ではどうしても足りない……。 「なあ、瞳。他に何か気になることはなかった?」 彼女はいつのまにか、祐介が出したバームクーヘンを口いっぱいに頬張っていた。なんとか飲み込んで答えた。 「いや、気になることはなかったよ」 これは伝わってないな。言い方を変えてみよう。 「じゃあ、今日起きたことをはじめから全部説明してくれない?」 「わかった……」 瞳と話す時には工夫が大事である。 「今日はいつも通り朝練のために登校した。その時にはもう由紀はいたと思う」 「ああ、由紀さんは朝練してたのか。それは何時頃?」 「確か……七時ちょうどくらい。由紀はもう来てて、一人で壁打ちしてた。偉いよね。家も部内で一番遠いはずなのにいつも一番乗りなの。……それから五分くらいしたら先輩も全員集まったらから、いつも通り練習をはじめた。そして朝練を終えて八時に教室に行ったわ。おかしなことは何もなかった。ちょっと由紀はソワソワしてたけど、大会前だし緊張してたからみんなそんな感じだったかも……。そっから普通に授業を受けた。あ、そういえば……」 彼女は何か思い出したようだ。 「……そういえば、由紀、昼休みに西棟に生徒会活動しに行ったよ。確か……」 彼女はこめかみに指先を当てて思い出そうとしている。少し時間がかかりそうだ。僕は紅茶をひと口飲んだ。窓の外では数名の陸上部がトラックを駆けている。先程教室にいた時から少し空が曇ってしまって、校庭にはどんよりとした雰囲気が漂っている。 「あっ、そうそう。由紀ね。部活用の鞄を持って、制服で向かったのに、なぜかジャージに着替えて帰ってきたんだ。どうしてかな〜とは思ったけど、理由は聞かなかったなぁ」 ほうほう。なかなか難解になってきたぞ。関係があるかどうかはわからないけど、置いといて続きを聞くか。 「それからはまた、普通に午後の授業を受けて、帰りの会が終わった。そしたらね、その瞬間に私の前に来て、『ごめん。今日は部活行けない』ってだけ言って、走って教室を出ていっちゃった」 「出ていったと言ったけど、由紀さんが帰ったことはしっかり確認したの?」 「うん。窓から校門に走って帰ってく由紀を見たの」 「じゃあ、どこに行ったかわかる?」 「見当もつかないわ。今、部活サボってまですることなんて……」 「連絡取れないの?」 「既読がつかない」 そうか……。僕は考えた。これだけじゃ何もわからない。そう思いながら僕はホワイトボードに向かった。ホワイトボードを裏返し、新しい真っ新な面にこう書いた。 『由紀さん部活サボり事件』 「ねえ、由紀はサボってるわけじゃないよ。きっと理由があるから、それを考えようって……」 瞳が不服そうに言う。 「そういえば今女バレは部活中だと思うけど、大会前なんだろ、瞳は行かないの?」 「わ、私はいいのよ。よくサボるし。今は由紀が来ないのが心配なの」 そう言って瞳は顔を赤くする。僕はそのまま作業を続ける。 「今回の謎は『いつもなら人一倍努力家の由紀さんが部活をサボって帰ってしまった。その理由は?』だな。そして今まで確認できたおかしなことは昼休みに生徒会活動へ行き、帰ってきた時にジャージに着替えていたこと、これだけだ」 閉邦高校では朝練は許可されているが、昼練は許可されていない。生徒会活動でまさか運動するとは考えられないが、どんな作業をしたのだろう。制服をジャージに着替える理由として考えられるのはどんなものがあるだろう。 あ、そういえば。 「祐介もC組だろ。由紀さんについて何か知っている?」 悠長に窓の外を眺めてティーブレイク中の祐介に尋ねる。こいつはそもそも話を聞いているかも怪しいが……もしかしたら望みがあるかもしれない。 「ああ、青崎の話か。実は今日、俺は青崎とする生徒会活動が昼休みにあったんだが……」 全く予期していなかった答えに僕は驚愕した。そういやこいつも生徒会だったっけか。 「おい、なんでそんなことを黙っていたんだよ。すっごく大事なことじゃないか」 「聞かれなかったから」 「さいですか」 そうだった。こいつはこういう奴だ。 「それで、どうだったんだ? その時の由紀さんの様子は」 「青崎は俺とクラスが一緒だからな、普通なら二人で西棟に行けば良かったんだが。俺は職員棟に用があったからそこに寄ってから西棟の生徒会室へ向かったんだ。そこで昼休みに会計の仕事をするはずだった」 「はず? やらなかったのか?」 「ああ、そうだ。実はこの作業、会計係の俺と青崎、二人でやる仕事だったんだ。しかし、青崎が来なくてね。結局一人でやることになったから、終わらせることができなかった」 「そうか。そのあと教室に戻ったあと、由紀さんの様子はどうだった?」 「別に、何も」 「ありがとう」 祐介の話をホワイトボードに書き加える。 僕は数分ほどそれに向かい合って考えていたが、その後すぐに落胆した。衝撃の新事実に少し興奮したが、状況はあまり好転していないことに気づいたのだ。これでは納得のいく仮説は立てられない。会計など、ジャージに着替えるまでもないような作業だしそのために着替えたとは考え難い、そのうえ生徒会室に来るはずだった由紀さんが来なかった、という新しい謎まで作り出してしまった。 僕は思いつくままの思考を口にした。 「由紀さんは体調が悪かったのかもしれない。でもこれは違うかな。体調が悪い時により防寒性の低いジャージに着替えることは考えにくい……。または、何か家の用事があって早めに帰ったのかもしれない。昼休みに生徒会活動をサボってまでジャージに着替えないといけないような用事が……」 僕は苦しい仮説に沈黙した。ダメだ。これでは完全に行き詰まってしまっている。この情報量では、結論を出すことはできない……。 「僕が考え得る学校で起きた事象によって由紀さんが部活に行くのを止め、家に帰ってしまう可能性はとても低い。だから何か別の、外部の理由があったんじゃないか……? なんにせよ瞳の話だけで推理できるものじゃない気がするんだ。彼女は学校でも有名な完璧人間だし……」 「え? 由紀が完璧人間?」 瞳が僕の言葉に目を見開いて驚いた。 「あれ、何か間違えてる?」 「それは違うよ! 確かに勉強も運動もすごくできるけど……。まあ、コータは由紀のことあんまり知らないものね。由紀も人とはあんまり関わらないタイプだし、誤解されてるのかなぁ……」 どうやら僕は重大な勘違いをしていたらしい。青崎由紀の人柄を、噂ばかりの情報で考えていた。これは完全な失態だ。初歩的な過ちを恥じる心と、これで解決に近づくかもしれないと期待する心、それぞれ半々の状態で瞳に聞く。 「じゃあ由紀さんはどんな人なの?」 「由紀はね。簡単に言うと真面目でかわいいドジっ子だよ」 瞳は破顔した。 「この間だってね。料理が苦手だから練習したいって、由紀の家でお菓子を作ったんだけど、その時由紀、砂糖と塩を間違えて入れちゃって、本当に塩辛いマフィンができたんだもの。あの時は笑ったなぁ……」 瞳の話を聞いて、僕は頭のなかで再び事実を確認しはじめる。可能性が限りなく広がっていく感覚がする。 そして、僕はすぐに一つの仮説に辿り着いた。ずっと初めの方に捨ててしまっていた仮説だ。確認は必要だけど、きっと間違いはないだろう。しかし、これは……この状況はまずい。 僕は少し考え、瞳にお願いをすることにした。 「なあ、瞳。ちょっとお遣いを頼まれてくれ」  

ベタな置き場所こそ最初に確認すべし

私は、幼馴染のコータのお遣いで、今生徒用玄関に向かっている。 お遣いの内容はこうだ。 『靴箱に行き、そして着いたらメールしてくれ。それから指示を出すよ。』 最後の階段を駆け降り、玄関に着いた私は、早速スマホを取り出し、コータとのチャット欄に文字を打ち込んで送信した。 『靴箱着いたよ!私は何をしたらいいのかな?』 すると時間を空けずにコータから返信が来た。 『まずは由紀さんの靴箱を確認してくれよ。』 『おっけ!』 由紀はとっくに帰ってしまったはずだ。その靴箱に何があるというのだろう。そんなことを思いながら私は由紀の靴箱を開けてみる。すると、そこにはなんと由紀のローファーが置かれているではないか。てっきり帰ったものだとばかり思ってた私は、心底びっくりした。校門から走っていく姿は見たけど、まさか戻ってきていたなんて。 『由紀の靴がある。まだ帰ってなかったんだ!』 送信っと。またすぐに返事が届く。 『靴の種類は?』 私もすぐさま返信した。 『ローファー』 『やっぱりそうか。じゃあ、家庭科室に向かってくれ。きっと由紀さんはそこにいる。そして、多分、これは多分だけど、彼女は瞳の助けを必要としていると思うんだ。』 私にも少しずつことの全貌が掴めてきた。私はコータの賢さに笑い、そして由紀の可愛さにも笑った。 『コータありがとう。由紀を助けてくるね!』 コータはいつも頼りになる。私より先を見て、私を助けてくれるんだ。私は頬が紅潮するのを感じた。待って、今は由紀の一大事なのよ! 時計を見ると、五時二十分を過ぎたところだった。それと同時にスマホの通知音が鳴る。画面を見ると、コータから新しいメッセージが来ている。 『P.S.そういえば、祐介は六時三十分きっかりに校門を出て、帰ってしまう。』 私はそのメッセージを見ると急いで家庭科室へ駆け出した。 そう、早く乾かすには、テンパリングが大事なのだ。 全速力で家庭科室に着き、扉を開けるとジャージにエプロン姿の髪色の薄い少女が、所々にチョコレートを浴びながら、涙目でボウルに向き合っていた。彼女は扉が突然開いたことに驚き、ビクッとしてこちらを見た。不器用だけど一生懸命な彼女の姿に、私は思わず微笑んでしまう。 「由紀。その混ぜ方だとダメだよ。乾くのに時間がかかって間に合わない」 私は教卓に置かれていたエプロンを素早く着て、由紀に近づいていく。 「瞳ちゃん、助けてくれる?」 由紀が涙目で私に助けを求めてくる。彼女が混ぜるボウルの横には近くのスーパーの袋に入った複数枚の板チョコと、昼休みに壊してしまったであろう手作りのチョコレートが置いてある。手作りチョコの方は割れてしまうまでは綺麗なハート型だったのだろうが、今は無惨な形になってしまっている。でも……これなら。 「由紀、大丈夫。これなら間に合う。とびきり美味しいの作ろう!」 私はエプロンの紐をキュッと締めた。

家に着くまで

瞳を送り出した後、僕はミステリ映画の大まかな方向性について祐介と議論した。祐介はまるで瞳がここを訪れたことは忘れてしまったかのように、熱心に映画について話している。スマホを確認すると、瞳に最後に送ったメッセージには返信こそないが、しっかりと既読がついている。これならもう心配することはないだろう。あとは瞳が上手くやってくれているはずだ。 その議論によって、最終的に今回の映画では『暗号解読』をメインテーマとして扱うことになった。僕は議論の流れから、『頭を使うのが好きな祐介のことだ、面白いものを作ってくるだろう』などと安易に考えていたが、どうやら祐介は脚本を書き、その根幹となる謎の作成は僕の担当らしい。やれやれ、また一つ仕事が増えてしまった。しかし、有吾さんのためだ。頑張ろう……。 六時二十分を回った頃に、僕らは部室を後にした。職員棟に鍵を返却し、校門へ向かう。上手くいっていたのなら、きっと校門に二人が居るはずだ。しかし、校庭には彼女たちの姿は見当たらなかった。 間に合わなかったのかな……。そう思いながら僕と祐介がちょうど校門を潜り、外へ出ようとした時だった。 校舎の方から祐介を呼ぶ声が聞こえた。そう思うのと同時に髪色の薄い可憐な少女がこちらへ走ってくるではないか。 僕は途端に安堵した。良かった。間に合ったんだ。 「祐介くんっ!」 全速力で駆けてきた由紀さんは姿勢を正すと、聡明そうな瞳で祐介を見つめた。 「ねえ、今、時間あるかしら? 話があるの」 祐介は事態が飲み込めない様子で唖然としていたが、ちょっと遅れて返事をする。 「わ、わかった。青崎。どうしたんだ?」 「えっと、私……」 そう言って由紀さんは俯いてしまう。ここに来て、勇気が出ないのだろうか。僕は心の中でエールを送った。頑張れ! その時だった。 何かが空から降ってきて、僕の頬を濡らした。 「雪だ……」 僕が言うと、由紀さんと祐介も空を見上げた。粉のような雪がふわりふわりと、無数に空から舞い降りてくる。 僕らはその光景にしばし目を奪われていた。それはとても美しい景色だった。そして、空を見上げたままの由紀さんがポツリと言った。 「私、祐介くんのことが好き」 横目で祐介を見ると、彼は今まで見たことないような顔をしていた。 僕はその場をゆっくりと離れ、その雪の中、校舎の方に居る瞳の許へ向かった。もうあの二人は大丈夫だろう。 タイムリミットに間に合ったのだ。 近くへ行くと、瞳は誇らしげな表情で言った。 「間に合ったね。本当に良かった。ほら見てよ、あの二人」 そう言って校門の方を指差す。そしてうっとりとした表情で言った 「ホワイトバレンタイン。あの二人に、すっごくお似合いね。ねえ、そう思わない?」 「うん。そうだな」 僕は同意した。 「ねえ、今日、一緒に帰らない? 聞きたいことがあるの」 「いいよ」 僕は答える。雪も降ってきたし、もうこんな時間だ。 「早めに行こう」 瞳は黙って頷いた。  

スノータイムリミット

「ねえ、どうしてあの時点で全部わかったの?」 通学路。粉のような雪が降りしきる中、真っ白な息を吐きながら瞳が聞いてくる。僕は少し考えてから答えた。 「瞳の話と祐介の話、それぞれ聞いて整理すると、最初に、由紀さんと祐介と二人きりの状況が生まれるはずだったことがわかる。そこでまず『バレンタインチョコをあげる』という可能性を考えたんだ。そして、西棟へ行くまでになんらかの事件があって、生徒会活動ができなくなったんだ、って思ったんだ。他にもたくさん考えつくことはあるけど、情報がなかったから検証のしようがなかった。それに、バレンタインデーに特別二人きりという状況において、そう考えるのが妥当だと思ったからね。でも、その時は上手に仮説を立てることができなかった。由紀さんが生徒会室に行かなかったという事実と、ジャージ着替えていたという事実、それぞれにしっかりとした整合性を持った仮説が考えつかなかったんだ。でもそれは、僕が由紀さんの人柄について誤解していたからだったんだよ。瞳が由紀さんの人物像を教えて、僕の視野が狭窄してしまっていたのを気づかせてくれたおかげでこの謎は解決したんだ。由紀さんを瞳から聞いたような人であると考えることで、中庭を通って西棟に行くまでの間に転倒し、そのうえチョコを壊して制服を汚してしまった、という仮説を思いつくことができたんだ。それによって昼休みにジャージに着替えて生徒会活動を休み、そして放課後部活を休んで学校を出ていってしまったことにそれぞれ納得のいく説明ができる」 「でも、なぜ転んじゃったことがわかったの? そんなのわからないんじゃない?」 「まあ、確かにそう言いきることはできないかもね。でも制服を全身ジャージに着替えるなんて全身が濡れてしまうことくらいしか考えつかないし、それに昼頃まで……」 あっと瞳が声を上げる。 「……確か昼頃まで中庭には雪が残ってたわ」 「そうなんだ。でも、これでも正しいと言いきる根拠には足り得ない。そこで靴箱を確認してもらったんだ。由紀さんが本当に学校へ戻ってきているかどうかと、その靴が、この僕が今履いてるスノーブーツとかじゃなく、滑りやすい靴かどうかを、……例えば、ローファーとかね」 「そうなのね……。じゃあなぜ由紀が学校に戻ってきていることがわかったの? そう推測した理由、教えてよ」 なんだ、そんなことは簡単だ。僕は横にいる瞳を見て言った。 「由紀さんの家は学校から遠いって、瞳が言ったんだ。チョコレートは今日のうちに渡したいでしょ? だからだよ」 「……そうなんだ。コータ、凄いね」 数秒の間をあけて瞳が感心したようにポツリと言った。そして、気づくと僕らは見慣れた場所にいた。夢中になって話しているうちに、家に着いたのだ。 瞳の家の方が学校に近いから、時々一緒に帰る時には、瞳が家に入るのを見届けてから家に帰る。 「さよなら瞳。いいものも見れたし、今日は結構楽しかったよ」 そう言って僕は行こうとした。その時、瞳が僕の手を握った。瞳は手袋をしていて僕は素手。彼女の手の温かさが布越しに伝わってくる。 「ねえ、話。もう一つあるの」 「何?」 振り向くと、瞳ははいっと言ってチョコレートを手渡してきた。 「これ、あげる」 「え? ありがとう」 驚いた。知り合って何年も経つが、こんな表情を見るのははじめてだったからだ。心が温かいもので満たされていくような感覚がした。 「勘違いしないでよ。さっき作ったのじゃなくて、朝作って家から持ってきたやつだからね!」 彼女は笑って言う。勘違いしないでって、そっちかよ。僕も笑った。真っ白な雪の中、今目の前にいる少女が、僕には本当に綺麗なものに見えた。 「今日はありがとう。じゃあね。素敵なお返し、楽しみにしてるから」 そう言った瞳はくるりと振り向いてしまうと、足早に家に入っていってしまった。ガチャリとドアが閉まり彼女が視界から消えた後も僕はそこで呆然と立ち尽くして、しばらくの間、ひたすらに降り続ける雪を見ていた。 そうしているうちに僕は、瞳が部活をサボって僕のところに来ていた理由が、なんとなくわかった気がした。 その日は家に帰っても、ページを捲る手は全く進まなかった。

終 僕のリミット

あの日、バレンタインデーから三日が経った土曜日。 瞳と由紀さんはバレーの大会で市民体育館へ赴いており、祐介も由紀さんの応援のために同行しているそうだ。祐介はあの日から目に見えてデレデレしている。僕はあれから毎日映研につき合わされているので、正直言って非常に不愉快である。 映画制作の方は、今僕が有吾さんのためにせっせと映画の「謎」を考えている最中だ。これがなかなか楽しい作業でこれからは読書のようにはまってしまいそうだ。まだ脚本の状態で、一ヶ月後の締め切りに間に合うかどうかはわからないが、ベストを尽くそうと思う。久々に夢中になれることを見つけられた気がする。 一方瞳と僕はというもの、あれから取り立てて言及すべきようなことは何もない。正直、どう接すれば良いのかわからない。自分には全く縁のないものだと思っていた世界に、たった一つのチョコで放り出されてしまったのだ。僕はまだ、自分の気持ちさえ掴めていない。まあこれにも、一ヶ月あまりの余裕がある。 そう、僕のタイムリミットは約一カ月後、ホワイトデーのその日なのだ。 だからそれまで、気長に考えようと思う。