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トンデヒニイツノムシの分布域は基本的に北アメリカ北部に留まり、それ以上自然に南下することは無かったが、アラスカ周辺のエネルギー資源をカナダの都市部や南方48州に輸送する長距離トラックや船舶、飛行機などに偶発的に侵入して、個体群レベルで南方に移動した例はしばしば確認されていた。このようにして運ばれてきたトンデヒニイツノムシも南方の既存の生態系に定着することはなく、ほとんどの場合自然に排除されたが、やはりコクゾウムシの一種であるゆえに家屋などの人工的な環境に住み着いて数世代の間繁殖することが稀にあった。このような例の中で最大の規模感を誇ったのが、テキサス州に存在するNASAの宇宙センターの一つであるジョンソン宇宙センターにおけるものだった。ジョンソン宇宙センターは最大の有人宇宙飛行の訓練施設であったが、ここに住み着いたトンデヒニイツノムシは配管等の内部で秘密裏に増殖し、ひどい時にはどの部屋に行ってもこの昆虫がいるという有様だったという<ref>この時期のアメリカ合衆国は、宇宙開発競争においてスプートニク1号を打ち上げたソ連に後れをとっていたために、一刻も早い月面着陸の実現を強硬的に推し進めていた。そのため、宇宙センターの衛生環境へは十分なリソースが割かれていなかった。後にセンター内のトンデヒニイツノムシは完全に駆除されたが、NASAはアメリカの科学技術の信用を守るためこの出来事を半世紀の間公表しなかった。</ref>。この研究施設内で人工的に再現された、放射線の暴露等を含む疑似的な宇宙環境の中で、一部のトンデヒニイツノムシが変異的に異常な耐久特性を獲得したことが示唆されている。例えばある職員は、数匹のトンデヒニイツノムシがEVA(宇宙船外活動)訓練のために疑似真空状態となった船室で活動していたと記録している。
トンデヒニイツノムシの分布域は基本的に北アメリカ北部に留まり、それ以上自然に南下することは無かったが、アラスカ周辺のエネルギー資源をカナダの都市部や南方48州に輸送する長距離トラックや船舶、飛行機などに偶発的に侵入して、個体群レベルで南方に移動した例はしばしば確認されていた。このようにして運ばれてきたトンデヒニイツノムシも南方の既存の生態系に定着することはなく、ほとんどの場合自然に排除されたが、やはりコクゾウムシの一種であるゆえに家屋などの人工的な環境に住み着いて数世代の間繁殖することが稀にあった。このような例の中で最大の規模感を誇ったのが、テキサス州に存在するNASAの宇宙センターの一つであるジョンソン宇宙センターにおけるものだった。ジョンソン宇宙センターは最大の有人宇宙飛行の訓練施設であったが、ここに住み着いたトンデヒニイツノムシは配管等の内部で秘密裏に増殖し、ひどい時にはどの部屋に行ってもこの昆虫がいるという有様だったという<ref>この時期のアメリカ合衆国は、宇宙開発競争においてスプートニク1号を打ち上げたソ連に後れをとっていたために、一刻も早い月面着陸の実現を強硬的に推し進めていた。そのため、宇宙センターの衛生環境へは十分なリソースが割かれていなかった。後にセンター内のトンデヒニイツノムシは完全に駆除されたが、NASAはアメリカの科学技術の信用を守るためこの出来事を半世紀の間公表しなかった。</ref>。この研究施設内で人工的に再現された、放射線の暴露等を含む疑似的な宇宙環境の中で、一部のトンデヒニイツノムシが変異的に異常な耐久特性を獲得したことが示唆されている。例えばある職員は、数匹のトンデヒニイツノムシがEVA(宇宙船外活動)訓練のために疑似真空状態となった船室で活動していたと記録している。


1969年、アメリカ合衆国がアポロ計画の完成としてアポロ11号を打ち上げる際、数十匹のトンデヒニイツノムシがアポロ11号司令船船内の保管庫に紛れ込んだ。アポロ11号はサターンV型ロケットに搭載され、NASAが有するロケットの打ち上げ施設であるケネディ宇宙センターにおいて地球を離れたが、これらのトンデヒニイツノムシはNASAの何らかの輸送手段に侵入して、ジョンソン宇宙センターからケネディ宇宙センターに直接移動したと見られている。これらのトンデヒニイツノムシの中には、ジョンソン宇宙センターの環境下で異常な耐久性を獲得した個体が複数存在した。このために当該集団の一部は宇宙空間への適応に成功し、人類初の月面着陸が成功裡に終わった背後で、何らかの経路によって司令船を脱出、月面に降下して、そのまま月面に定着していたのである。この集団は月面に放置されたゴルフボールや旗といった繊維質の記念品はもちろん、変異した食性で定期的に供給される宇宙船の破棄された部品や月面探査機のデブリなどを捕食するようになり、安定的な繁殖に成功した。こうして、月面に分布するトンデヒニイツノムシの地理的品種である、'''トンデヒニイルナツノムシ'''という亜種が登場した。トンデヒニイルナツノムシは生命の存在しない月面環境で完全な優位を得<ref>[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E9%9D%A2%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%A0%E3%82%B7 クマムシの群れが突如やって来たこと]もあったが、<ruby>乾眠<rt>ねむ</rt></ruby>っている隙に残らず捕食し絶滅させて難を逃れたという。[[筋トレするクマムシ|筋トレ]]しないクマムシの物理攻撃への弱さがはっきり出た形となった。</ref>、最終的に月面全土に分布するようになったが、探査機の映像技術で捕捉できないサイズだったことや、月の石を採集するローバーを本能的に避けていたためにサンプルとして回収もされなかったことから、人類は月面に降りることをしなかった一世紀の間、この亜種の存在に気が付くことはなかった。
1969年、アメリカ合衆国がアポロ計画の完成としてアポロ11号を打ち上げる際、数十匹のトンデヒニイツノムシがアポロ11号司令船船内の保管庫に紛れ込んだ。アポロ11号はサターンV型ロケットに搭載され、NASAが有するロケットの打ち上げ施設であるケネディ宇宙センターにおいて地球を離れたが、これらのトンデヒニイツノムシはNASAの何らかの輸送手段に侵入して、ジョンソン宇宙センターからケネディ宇宙センターに直接移動したと見られている。これらのトンデヒニイツノムシの中には、ジョンソン宇宙センターの環境下で異常な耐久性を獲得した個体が複数存在した。このために当該集団の一部は宇宙空間への適応に成功し、人類初の月面着陸が成功裡に終わった背後で、何らかの経路によって司令船を脱出、月面に降下して、そのまま月面に定着していたのである。この集団は月面に放置されたゴルフボールや旗といった繊維質の記念品はもちろん、変異した食性で定期的に供給される宇宙船の破棄された部品や月面探査機のデブリなどを捕食するようになり、安定的な繁殖に成功した。こうして、トンデヒニイツノムシの月面に分布する地理的品種である、'''トンデヒニイルナツノムシ'''という亜種が登場した。トンデヒニイルナツノムシは生命の存在しない月面環境で完全な優位を得<ref>[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E9%9D%A2%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%A0%E3%82%B7 クマムシの群れが突如やって来たこと]もあったが、<ruby>乾眠<rt>ねむ</rt></ruby>っている隙に残らず捕食し絶滅させて難を逃れたという。[[筋トレするクマムシ|筋トレ]]しないクマムシの物理攻撃への弱さがはっきり出た形となった。</ref>、最終的に月面全土に分布するようになったが、探査機の映像技術で捕捉できないサイズだったことや、月の石を採集するローバーを本能的に避けていたためにサンプルとして回収もされなかったことから、人類は月面に降りることをしなかった一世紀の間、この亜種の存在に気が付くことはなかった。


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トンデヒニイルナツノムシ
分類
 界:動物界 Animalia
 門:節足動物門 Arthropoda
 綱:昆虫綱 Insecta
 目:コウチュウ目 Coleoptera
亜目:多食亜目 Polyphaga
上科:ゾウムシ上科 Curculionoidea
 科:オサゾウムシ科 Dryophthoridae
亜科:オサゾウムシ亜科 hynchophorinae
 族:コクゾウムシ族 Sitophilini
 属:コクゾウムシ属 Sitophilus
 種:トンデヒニイツノムシ S. tondenheinuits
亜種:トンデヒニイルナツノムシ S. tondenheinuits lunas
保全状況評価
Least concern
生息年代
新生代
分布状況
地球全土、および月面
学名
Sitophilus tondenheinuits lunas
和名
飛んで火に入る夏の虫
屯田兵イヌイットルナツノムシ
英名
Tondenheinuit luna weevil

トンデヒニイルナツノムシは、「自分から危険な事に進んで関わった結果自滅してしまう」ことを意味することわざ、またはコクゾウムシ科コクゾウムシ属の昆虫の一種、トンデヒニイツノムシの亜種である。

生態

トンデヒニイルナツノムシは、イネ科の穀物を食害することで知られるコクゾウムシ(ツノムシ)の一種であり、生態は一般的なコクゾウムシとほとんど変わらない。ただし、トンデヒニイルナツノムシはイネ科穀物に限らず植物や肉などあらゆる食物を見境なく食い荒らし、さらには衣服等の繊維はもちろん木材や石材、時には金属まで食害するという異常な食性を持っている。体長は0.7~1.5mmほどであり、小さな隙間でも侵入してくる。

トンデヒニイルナツノムシは非常に優れた環境適応能力を持っており、-200度の低温から、1000度近い高温まで耐えることが出来る[1]。真空状態でも生存できるほか、毒性のある化学物質や放射線、物理的な衝撃に対しても非常に高度な耐性がある。そのスペックは筋トレするクマムシと互角とされるが、乾眠という特殊な状態に移行してようやく優れた耐久性を発揮できる筋トレするクマムシと違って、トンデヒニイルナツノムシはこの耐久性を常時発揮していること、また先述の異常な捕食能力を有していることから、総合的にはトンデヒニイルナツノムシの方が優れた生命力を持っているとされる。

進化史

第一の試練・北海道

コクゾウムシは古くから北海道にも分布しており、クリやドングリを食害していたが、それは人間が整備した温暖な住環境あってのものだった[2]。このため、明治期に屯田兵制が開始し、北海道が開拓されて急速に農村化・都市化が進行すると共に、そこにおいて収穫された大量の作物が貯蔵されるという好条件がそろうと、コクゾウムシはこの時期北海道において一気に繁殖することとなる。しかしそれも長くは続かず、明治政府が大発生したコクゾウムシによる食害を問題視して農村や都市において積極的な防除等の対策を行ったことで、多くのコクゾウムシは人間の整備した環境を離れざるを得なくなった。厳冬の北海道の奥地に移動したほとんどのコクゾウムシは寒冷な環境に耐えられず死滅していったが、ごく少数のコクゾウムシは寒冷な気候に適応した。個体数の母数が十分あったために、この適応した個体群はそのまま北海道の森林地帯に定着し、コクゾウムシから分化してトンデンヘイツノムシという種を成した。

トンデンヘイツノムシは、寒さへの高い耐性を獲得し、体長はコクゾウムシよりも一回り小さくなったが、食性は変わらず草食だった。コクゾウムシは気温が20℃以上の状況でのみ活発に飛翔し、また飛翔したとしてもその範囲は400mほどであるが[3]、トンデンヘイツノムシは-47~8℃までの非常に寒冷な環境でも飛翔が可能になり、また飛翔の範囲も4~5kmまで伸びた。これによってトンデンヘイツノムシはサハリン島やクリル列島、アリューシャン列島を経由して北進し、シベリア周辺の亜寒帯に分布域を広げていくことになる。

第二の試練・アラスカ~カナダ北部

1924年頃になると、トンデンヘイツノムシの生息域の限界は北極圏周辺にまで拡大していた。寒帯地域に生息したトンデンヘイツノムシは少なかったが、ツンドラ地帯に僅かに自生するイネ科植物を食物とし[4]、限られた資源のために激しい種内競争が発生した。この競争を淘汰圧として登場したのが、雑食化したコクゾウムシの一種トンデヒニイツノムシ(トンデンヘイイヌイットツノムシ)である。トンデヒニイツノムシは外見こそトンデンヘイツノムシと顕著な違いは無かったが、従来の草食性に加えてコケ食や肉食が可能になり、また獣毛を食することもあった。ほとんどのツンドラの植生、さらに動物の死骸を栄養源と出来たことから、トンデヒニイツノムシはトンデンヘイツノムシに変わってツンドラ地帯で台頭することになり、シベリアから西進して北アメリカ大陸北部にも進出した。

トンデヒニイツノムシを最初に発見したのは、特に伝統的な生活様式を保っていたイヌイットの集団だったとされる。イヌイットの伝統的な衣服はアザラシなどの動物繊維から作られており、以前は食害の被害はごく稀だったが、トンデヒニイツノムシがカナダ北部に広がり始めた1949年頃から、未知の昆虫による衣服の食害の報告が相次ぐようになった。これを受けてアメリカ合衆国の研究者らが調査を行った結果、トンデヒニイツノムシは公式に新種として認められることとなった。トンデンヘイツノムシとの近縁性から、研究チームはこの昆虫の通称として "Tondenhei weevil" に「イヌイット」を付け加えた "Tondenhei inuit weevil" というものを当初用いていたが、次第にこの名前は短縮されて "Tondenheinuit weevil" となり、この省略形がそのまま正式な学名にも適用された結果、日本語の名称も英語の発音に準じて「トンデヒニイツノムシ」と表記されることが一般的になった。

第三の試練・月面

トンデヒニイツノムシの分布域は基本的に北アメリカ北部に留まり、それ以上自然に南下することは無かったが、アラスカ周辺のエネルギー資源をカナダの都市部や南方48州に輸送する長距離トラックや船舶、飛行機などに偶発的に侵入して、個体群レベルで南方に移動した例はしばしば確認されていた。このようにして運ばれてきたトンデヒニイツノムシも南方の既存の生態系に定着することはなく、ほとんどの場合自然に排除されたが、やはりコクゾウムシの一種であるゆえに家屋などの人工的な環境に住み着いて数世代の間繁殖することが稀にあった。このような例の中で最大の規模感を誇ったのが、テキサス州に存在するNASAの宇宙センターの一つであるジョンソン宇宙センターにおけるものだった。ジョンソン宇宙センターは最大の有人宇宙飛行の訓練施設であったが、ここに住み着いたトンデヒニイツノムシは配管等の内部で秘密裏に増殖し、ひどい時にはどの部屋に行ってもこの昆虫がいるという有様だったという[5]。この研究施設内で人工的に再現された、放射線の暴露等を含む疑似的な宇宙環境の中で、一部のトンデヒニイツノムシが変異的に異常な耐久特性を獲得したことが示唆されている。例えばある職員は、数匹のトンデヒニイツノムシがEVA(宇宙船外活動)訓練のために疑似真空状態となった船室で活動していたと記録している。

1969年、アメリカ合衆国がアポロ計画の完成としてアポロ11号を打ち上げる際、数十匹のトンデヒニイツノムシがアポロ11号司令船船内の保管庫に紛れ込んだ。アポロ11号はサターンV型ロケットに搭載され、NASAが有するロケットの打ち上げ施設であるケネディ宇宙センターにおいて地球を離れたが、これらのトンデヒニイツノムシはNASAの何らかの輸送手段に侵入して、ジョンソン宇宙センターからケネディ宇宙センターに直接移動したと見られている。これらのトンデヒニイツノムシの中には、ジョンソン宇宙センターの環境下で異常な耐久性を獲得した個体が複数存在した。このために当該集団の一部は宇宙空間への適応に成功し、人類初の月面着陸が成功裡に終わった背後で、何らかの経路によって司令船を脱出、月面に降下して、そのまま月面に定着していたのである。この集団は月面に放置されたゴルフボールや旗といった繊維質の記念品はもちろん、変異した食性で定期的に供給される宇宙船の破棄された部品や月面探査機のデブリなどを捕食するようになり、安定的な繁殖に成功した。こうして、トンデヒニイツノムシの月面に分布する地理的品種である、トンデヒニイルナツノムシという亜種が登場した。トンデヒニイルナツノムシは生命の存在しない月面環境で完全な優位を得[6]、最終的に月面全土に分布するようになったが、探査機の映像技術で捕捉できないサイズだったことや、月の石を採集するローバーを本能的に避けていたためにサンプルとして回収もされなかったことから、人類は月面に降りることをしなかった一世紀の間、この亜種の存在に気が付くことはなかった。

ボーナスステージ

ことわざ

脚注

  1. このため、トンデヒニイルナツノムシは仮に火の中に入ったとしても何のダメージもない。
  2. 小畑弘己. (2022). コクゾウムシと縄文人 世界最古の貯蔵食物害虫の発見. 文化財の虫菌害. 83. 3-8.
  3. 宮ノ下明大, 佐野俊夫. (2016). 一般住宅地の屋外に設置したフェロモントラップに捕獲されたコクゾウムシの記録. ペストロジー. 31(2). 61-64.
  4. トンデンヘイツノムシにはコケ植物や地衣類を消化する能力がなかった。
  5. この時期のアメリカ合衆国は、宇宙開発競争においてスプートニク1号を打ち上げたソ連に後れをとっていたために、一刻も早い月面着陸の実現を強硬的に推し進めていた。そのため、宇宙センターの衛生環境へは十分なリソースが割かれていなかった。後にセンター内のトンデヒニイツノムシは完全に駆除されたが、NASAはアメリカの科学技術の信用を守るためこの出来事を半世紀の間公表しなかった。
  6. クマムシの群れが突如やって来たこともあったが、乾眠ねむっている隙に残らず捕食し絶滅させて難を逃れたという。筋トレしないクマムシの物理攻撃への弱さがはっきり出た形となった。