「トンデヒニイルナツノムシ」の版間の差分
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6年1月16日 (I) 21:10時点における最新版
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トンデヒニイルナツノムシは、「自分から危険な事に進んで関わった結果自滅してしまう」ことを意味することわざ、またはコクゾウムシ科コクゾウムシ属の昆虫の一種、トンデヒニイツノムシの亜種である。
生態[編集 | ソースを編集]
トンデヒニイルナツノムシは、イネ科の穀物を食害することで知られるコクゾウムシ(ツノムシ)の一種であり、生態は一般的なコクゾウムシとほとんど変わらない。ただし、トンデヒニイルナツノムシはイネ科穀物に限らず植物や肉などあらゆる食物を見境なく食い荒らし、さらには衣服等の繊維はもちろん木材や石材、時には金属まで食害するという異常な食性を持っている。体長は0.7~1.5mmほどであり、小さな隙間でも侵入してくる。
トンデヒニイルナツノムシは非常に優れた環境適応能力を持っており、-200度の低温から、1000度近い高温まで耐えることが出来る[1]。真空状態でも生存できるほか、毒性のある化学物質や放射線、物理的な衝撃に対しても非常に高度な耐性がある。そのスペックは筋トレするクマムシと互角とされるが、乾眠という特殊な状態に移行してようやく優れた耐久性を発揮できる筋トレするクマムシと違って、トンデヒニイルナツノムシはこの耐久性を常時発揮していること、また先述の異常な捕食能力を有していることから、総合的にはトンデヒニイルナツノムシの方が優れた生命力を持っているとされる。
進化史[編集 | ソースを編集]
第一の試練・北海道[編集 | ソースを編集]
コクゾウムシは古くから北海道にも分布しており、クリやドングリを食害していたが、それは人間が整備した温暖な住環境あってのものだった[2]。このため、明治期に屯田兵制が開始し、北海道が開拓されて急速に農村化・都市化が進行すると共に、そこにおいて収穫された大量の作物が貯蔵されるという好条件がそろうと、コクゾウムシはこの時期北海道において一気に繁殖することとなる。しかしそれも長くは続かず、明治政府が大発生したコクゾウムシによる食害を問題視して農村や都市において積極的な防除等の対策を行ったことで、多くのコクゾウムシは人間の整備した環境を離れざるを得なくなった。厳冬の北海道の奥地に移動したほとんどのコクゾウムシは寒冷な環境に耐えられず死滅していったが、ごく少数のコクゾウムシは寒冷な気候に適応した。個体数の母数が十分あったために、この適応した個体群はそのまま北海道の森林地帯に定着し、コクゾウムシから分化してトンデンヘイツノムシという種を成した。
トンデンヘイツノムシは、寒さへの高い耐性を獲得し、体長はコクゾウムシよりも一回り小さくなったが、食性は変わらず草食だった。コクゾウムシは気温が20℃以上の状況でのみ活発に飛翔し、また飛翔したとしてもその範囲は400mほどであるが[3]、トンデンヘイツノムシは-47~8℃までの非常に寒冷な環境でも飛翔が可能になり、また飛翔の範囲も4~5kmまで伸びた。これによってトンデンヘイツノムシはサハリン島やクリル列島、アリューシャン列島を経由して北進し、シベリア周辺の亜寒帯に分布域を広げていくことになる。
第二の試練・アラスカ~カナダ北部[編集 | ソースを編集]
1924年頃になると、トンデンヘイツノムシの生息域の限界は北極圏周辺にまで拡大していた。寒帯地域に生息したトンデンヘイツノムシは少なかったが、ツンドラ地帯に僅かに自生するイネ科植物を食物とし[4]、限られた資源のために激しい種内競争が発生した。この競争を淘汰圧として登場したのが、雑食化したコクゾウムシの一種トンデヒニイツノムシ(トンデンヘイイヌイットツノムシ)である。トンデヒニイツノムシは外見こそトンデンヘイツノムシと顕著な違いは無かったが、従来の草食性に加えてコケ食や肉食が可能になり、また獣毛を食することもあった。ほとんどのツンドラの植生、さらに動物の死骸を栄養源と出来たことから、トンデヒニイツノムシはトンデンヘイツノムシに変わってツンドラ地帯で台頭することになり、シベリアから西進して北アメリカ大陸北部にも進出した。
トンデヒニイツノムシを最初に発見したのは、特に伝統的な生活様式を保っていたイヌイットの集団だったとされる。イヌイットの伝統的な衣服はアザラシなどの動物繊維から作られており、以前は食害の被害はごく稀だったが、トンデヒニイツノムシがカナダ北部に広がり始めた1949年頃から、未知の昆虫による衣服の食害の報告が相次ぐようになった。これを受けてアメリカ合衆国の研究者らが調査を行った結果、トンデヒニイツノムシは公式に新種として認められることとなった。トンデンヘイツノムシとの近縁性から、研究チームはこの昆虫の通称として "Tondenhei weevil" に「イヌイット」を付け加えた "Tondenhei inuit weevil" というものを当初用いていたが、次第にこの名前は短縮されて "Tondenheinuit weevil" となり、この省略形がそのまま正式な学名にも適用された結果、日本語の名称も英語の発音に準じて「トンデヒニイツノムシ」と表記されることが一般的になった。
第三の試練・月面[編集 | ソースを編集]
トンデヒニイツノムシの分布域は基本的に北アメリカ北部に留まり、それ以上自然に南下することは無かったが、アラスカ周辺のエネルギー資源をカナダの都市部や南方48州に輸送する長距離トラックや船舶、飛行機などに偶発的に侵入して、個体群レベルで南方に移動した例はしばしば確認されていた。このようにして運ばれてきたトンデヒニイツノムシも南方の既存の生態系に定着することはなく、ほとんどの場合自然に排除されたが、やはりコクゾウムシの一種であるゆえに家屋などの人工的な環境に住み着いて数世代の間繁殖することが稀にあった。このような例の中で最大の規模感を誇ったのが、テキサス州に存在するNASAの宇宙センターの一つ、ジョンソン宇宙センターにおける事例だった。ジョンソン宇宙センターは最大の有人宇宙飛行の訓練施設であったが、1968~69年ごろここに住み着いたトンデヒニイツノムシが配管等の内部で秘密裏に増殖し、ひどい時にはどの部屋に行ってもこの昆虫がいるという有様だったという[5]。この研究施設内で人工的に再現された、放射線の暴露等を含む疑似的な宇宙環境の中で、一部のトンデヒニイツノムシが変異的に異常な耐久特性を獲得したことが示唆されている。例えばある職員は、数匹のトンデヒニイツノムシがEVA(宇宙船外活動)訓練のために疑似真空状態となった船室で活動していたと記録している。
1969年、アメリカ合衆国がアポロ計画の完成としてアポロ11号を打ち上げる際、数十匹のトンデヒニイツノムシがアポロ11号司令船船内の保管庫に紛れ込んだ。アポロ11号はサターンV型ロケットに搭載され、NASAが有するロケットの打ち上げ施設であるケネディ宇宙センターにおいて地球を離れたが、これらのトンデヒニイツノムシはNASAの何らかの輸送手段に侵入して、ジョンソン宇宙センターからケネディ宇宙センターに直接移動したと見られている。これらのトンデヒニイツノムシの中には、ジョンソン宇宙センターの環境下で異常な耐久性を獲得した個体が複数存在したことが確実視されている。当該集団の一部または全部は、アポロ11号が月に到着し、人類初の月面着陸が成功裡に行われる中で、何らかの経路によって司令船を脱出し、密かに月面に降下したようである。異常な耐久性を持つ複数体のトンデヒニイツノムシは、船外宇宙空間に完全に適応し、生存することができた。生命の無い過酷な環境にもかかわらず、この集団は放置されたゴルフボールや旗といった繊維質の記念品はもちろん、変異した食性によって宇宙船の破棄された部品や月面探査機のデブリなどまで捕食することで、生命活動に必要な栄養を得ていた。特に後者の「食物」は、人間の様々な月面探査プロジェクトによって以降も定期的に供給され続けたために、この集団が安定して繁殖するのを助けたと考えられている。こうしてこの集団は月面に完全に定着し、トンデヒニイツノムシの月面に分布する地理的品種である、トンデヒニイルナツノムシ (英: Tondenheinuit luna weevil) という亜種として分化した。トンデヒニイルナツノムシは他の生物種が存在しない月面環境で完全な優位を得[6]、最終的に月面全土に分布するようになったが、探査機の映像技術で捕捉できないサイズだったことや[7]、月面の岩石を回収するローバー等を本能的に避けていたために、地球に持ち帰られるサンプルに混入することも無かったことから、人類は月面に降りることをしなかった半世紀の間、この亜種の存在に気付くことはなかった。
ボーナスステージ・地球[編集 | ソースを編集]
2027年、アポロ計画以来の有人月面着陸計画であるアルテミス計画の大詰めとしてアルテミス3号が打ち上げられ、1972年のアポロ17号による調査以来55年ぶりの月面有人探査が行われると、トンデヒニイルナツノムシの存在は初めて人類に知られるところとなった。この報告は、初めての地球外生命体の発見として地球上にセンセーショナルな反応を巻き起こした。アルテミス3号は詳しい調査のために15匹のトンデヒニイルナツノムシを生きたまま採取して地球に持ち帰ったが、その金属食性が知られていなかったために、船員らはこれらのトンデヒニイルナツノムシを地学的試料を入れるための金属製カプセルの予備の中で保管してしまった。これにより、捕獲されたトンデヒニイルナツノムシの内13匹が地球に帰還するまでの間にカプセルを食い破って脱出し、さらにその内11匹が研究機関の捕捉を完全に逃れて地球環境に入り込んでしまうという重大なインシデントが発生することになる。昼は110℃、夜は-170℃という月面の過酷な環境に適応していたトンデヒニイルナツノムシは、地球環境に対する侵略的外来種として振る舞い、常軌を逸した速さで広範囲にわたって繁殖していった。NASAの緊急要請を受け入れた世界各国の政府は当初連携してトンデヒニイルナツノムシの駆除にあたったが、トンデヒニイルナツノムシの繁殖スピードには追い付かず、インシデント発生から一週間後、NASAはついにトンデヒニイルナツノムシの地球環境からの完全な除去はもはや絶望的であるとの声明を発表した。
トンデヒニイルナツノムシは最終的に地球の生態系のほとんどを塗り替え、少なくとも212種の生物種を絶滅させたほか、人類にも未曽有の規模の食害被害をもたらした。トンデヒニイルナツノムシは文明社会の衣食住の供給全てに深刻な打撃を与え、人類を飢餓に陥れ、社会活動を停止させた。また、人間が直接的に危害を加えられる事例も少ないながら報告されている[8]。この結果、2044年頃には推計世界人口はトンデヒニイルナツノムシ飛来前の2/5の水準にまで落ち込み、生存した人間もほとんどは定住農耕社会を放棄して移動型狩猟採集社会に加わる事態となった。しかし21世紀末、トンデヒニイルナツノムシに対する非常に強力な殺虫剤が実用化され、大量生産が可能になったことで、人類は少しづつトンデヒニイルナツノムシに対して優位に立つようになっていき、遅くとも22世紀中葉には文明社会の再建を果たしたとされる。2167年10月6日、国際連合はトンデヒニイルナツノムシの根絶を宣言し、10月6日を「世界文明の日」とした。社会活動の半世紀に渡る休止により、トンデヒニイルナツノムシ以前の国際的課題であった環境等に関する持続可能性の問題の進行がリセットされたことで、この一世紀において科学技術は急速に発展することになるが、宇宙開発、特に月の話題はしばらくの間禁忌とされた[9]。
ことわざ[編集 | ソースを編集]
このように、人類は別に行かなくても良かったのにわざわざ月に行った結果非常に凶悪なミュータント昆虫を作り出し、しかもそれを自分たちの星に解き放ってとんでもない被害に遭った。これを教訓として、「トンデヒニイルナツノムシ」は「自分から危険な事に進んで関わった結果自滅してしまう」ことを意味することわざとしても知られるようになり、トンデヒニイルナツノムシ事変以降人類の間で警句として流行したのであった。
脚注[編集 | ソースを編集]
- ↑ このため、トンデヒニイルナツノムシは仮に火の中に入ったとしても何のダメージもない。
- ↑ 小畑弘己. (2022). コクゾウムシと縄文人 世界最古の貯蔵食物害虫の発見. 文化財の虫菌害. 83. 3-8.
- ↑ 宮ノ下明大, 佐野俊夫. (2016). 一般住宅地の屋外に設置したフェロモントラップに捕獲されたコクゾウムシの記録. ペストロジー. 31(2). 61-64.
- ↑ トンデンヘイツノムシにはコケ植物や地衣類を消化する能力がなかった。
- ↑ この時期のアメリカ合衆国は、宇宙開発競争においてスプートニク1号を打ち上げたソ連に後れをとっていたために、一刻も早い月面着陸の実現を強硬に推し進めていた。そのため、宇宙センターの衛生環境へは十分なリソースが割かれていなかった。1969年までにセンター内のトンデヒニイツノムシは完全に駆除されたが、NASAはアメリカの科学技術の信用を守るためこの出来事を半世紀の間公表しなかった。
- ↑ クマムシの群れが突如やって来たこともあったが、乾眠っている隙に残らず捕食し絶滅させて難を逃れたという。筋トレしないクマムシの物理攻撃への弱さがはっきり出た形となった。
- ↑ トンデヒニイルナツノムシの体長はトンデヒニイツノムシよりもさらに小さくなり、前述の通り0.7~1.5mmに落ち着いていた。
- ↑ 靄のようなトンデヒニイルナツノムシの群れが人間を完全に覆い、跡形も無く捕食しつくしてしまうという。
- ↑ 月面探査活動の中止により、月面に分布するトンデヒニイルナツノムシは豊富な食物を失い絶滅したのではないかという希望的推論があるが、それを確かめようとする者は2245年現在時点でもついぞ現れていない。