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2年2月19日 (来) 22:43時点における版

 情報の氾濫するこの現代社会の中で、「アフリカ」を知らない人は早々いないだろう。しかしながら、巨視的に世界をひもとく上で、「アフリカ」をどのような地域区分として論じていくべきかについては、未だに意見が分かれている。一口に「アフリカ」と言えども、一般に「アフリカ」と見なされるアフリカ大陸、これは大きな差異を示す二つの地域を内包しているのである。

 まずアフリカ大陸について、これは北に地中海、東にインド洋と紅海、西に大西洋を抱える巨大な陸塊である。西アジアの一部としてなされたヨーロッパとの相対や、マダガスカルやエチオピアに代表されるアジア方面との接触、ヨーロッパ、アメリカ、そしてアフリカにまたがる19世紀の三角貿易、このような海外とのかかわりは、概して莫大に広がる海を経由するものだった。いっぽう陸路では、対照的にほとんど小径のようなシナイ半島を通じて、西アジア所謂中東とのかかわりを強く持った。この二つの共通点として、大航海時代まではそのほとんどがアフリカ北部におけるものだったという事実があげられる。外からの直接の接触は、地理的条件によって長らくアフリカ北部に留まっていたのだ。このような海を越える接触の特徴は、アフリカ南部を「未開の地」とした。これはヨーロッパ中心史観による旧世界の地図における「アフリカ」が、その上半分しか描かれていないということに如実に表れている。

 アフリカ南部は主にギアナ湾からコンゴ盆地にかけて熱帯雨林やサバンナ、ステップが広がる緑の地帯であり、いくつもの河川の合流にして人流と物流を支える巨大な水系、ニジェール川が湾曲しながら注ぐ。しかし、農耕と牧畜の有機的な結びつきはほとんど発生せず、略奪農法が主流だった。権力構造としては、遊牧民が地方の農耕民を支配するという形で各地に分散していた。なお、二グロイド系人種が主な居住者であることが由来して、しばしば「黒人アフリカ」とも呼ばれ、近代では「ネグリチュード」と呼ばれる黒人の精神運動の中心となった。

 一方、アフリカ北部は世界最大の砂漠であるサハラ砂漠をも有する広大な砂漠地帯である。イスラームが共通文化として広く浸透しており、伴ってアラビア文字がよく使われるなど、全体として中東の影響が非常に強く、広範な文化がなくほとんどが無文字社会でもあるアフリカ南部とは一線を画す。先述のように、海外との交流が多かったため経済活動も活発であった。権力構造としては大規模な王政のような集権構造が多くみられ、西アジアを中心とする強大なイスラム帝国の西端という性格が強かった。主な居住者はコーカソイド系人種である。

 このように、「アフリカ」における二つの地域は対照的な性格を持っているため、アフリカ北部と南部を同じ「アフリカ」というくくりで世界における一つの繋がった地域として区分することは、例えばアジアの最西端であるトルコとアジアの最東端である日本を、同じ「アジア」という区分をもとに歴史的に強く結びついてきたものと見做すようなものであり、非合理的なものである、という主張は強ち否めない。

 しかしながら、アフリカ北部と南部の交流は薄くはなく、むしろ「砂の海」とも形容されるサヘルにおけるラクダのキャラバンがアフリカ南部に与えた影響は決して無視しうるものではない。また、近現代においては、大陸そのものを列強によって分割され、資源や労働力の搾取から市場としての役割までをも一様に背負わされた過去を持ち、現在では民族分布も民意も無視した単なる「領域の国家」としてそれぞれ独立して、なおも植民地支配から尾を引いた多くの問題を抱えているこれら二つの地域は、先述したような通時的な世界への巨視的アプローチにおいて分離し難いものである。

 このことから、マクロな世界史の下には、アフリカ北部と南部というアフリカ大陸における二つの地域は、いわば東南アジアの大陸部と島嶼部のような形で、つまり相互に作用しあってきており、現在でも世界を構成する一部分として同様の役を果たしている「連なった地域」として、「アフリカ」という一つの地域区分に統合され、論じられていくべきであるのだ。


  • [「『地域からの世界史 - アフリカ』の導入部を4桁バイトにまとめる」というせうゆによってもたらされた課題を、キュアラプラプがこなしたものだとみられる。]