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===2014年5月号掲載「奇妙な儀式と未解決事件……9年前に消えた謎のカルトを追え!」===


{{基礎情報_事件・事故|名称=2016古民家カフェ騒乱|場所=古民家カフェ「ブルー・ヘリング」|日付=2016年12月8日|攻撃側人数=117名|概要=陰謀論者のグループによる店舗の襲撃|損害=店舗内での多少の器物損壊|犯人=坂口百々御御足(主犯格)}}
 先日の「瀬戸内海の人魚伝説」の調査も終わり、一息ついた「となりのオカルト調査隊」。そんな我々の元に、新しい調査依頼が舞い込んだ。依頼人は、神奈川県某所在住の白坂憲二氏(74歳男性・仮名)である。
'''2016古民家カフェ騒乱'''とは、2016年12月8日に発生した、古民家カフェ「ブルー・ヘリング」店舗内での騒動の俗称である。事件発生直後の一時期は「'''古民家カフェの惨劇'''」とも呼ばれていたが、現在ではこの呼称は専らある別の事件にあてられている。
==概要==
===背景===
事件当時の2016年、大統領選挙が行われていたアメリカでは、「[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%B6%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88 ピザゲート]」という噂が拡散されていた。これは、大統領候補者の一人であったヒラリー・クリントンの関係者に人身売買や児童ポルノとの繋がりがあるとする陰謀論に端緒をなす、ピザ店「コメット・ピンポン」において秘密裏の人身売買・児童買春が行われているとする風説である。


この事件において古民家カフェを襲撃したグループは、後に警察の取り調べに対して「このカフェが『ピザゲート』に関わっていると思った」と供述しており、2016古民家カフェ騒乱の背景にはこの陰謀論があると考えられる。また、事件の4日前、2016年12月4日に「コメット・ピンポン」で発生した発砲事件も、件の事件に影響を及ぼしたとされている。
「私は、息子夫婦が入会していたある『団体』のことを調べてもらいたいんです」


===「ブルー・ヘリング」===
 白坂氏は、調査隊を自宅に招き、こう語った。彼の深い皺には、往年の苦労が刻まれているようだ。
事件の舞台となった古民家カフェ「ブルー・ヘリング」は、沖縄県糸満市郊外に位置している、琉球建築住宅を改修して作られた喫茶店である。2011年オープン。元開業医でもあるオーナー、<ruby>柳田宏平<rt>やなぎだこうへい</rt></ruby>がテレビ番組に出演したことから世間に広く認知され始め、今では人気の古民家カフェとなっている。


沖縄ぜんざいやかき氷が人気商品であり、県外からの旅行客も多い。また、近隣の土地一帯を所有しており、私有牧場での動物ふれあい体験や、ガマ(洞窟)内での沖縄戦にまつわる資料展示など、さまざまな取り組みを行っていることでも知られている。
「私たちは、それは仲のいい家族でしたよ。私と女房、それに一人息子の三人で、笑顔の絶えない家庭だった。やがて息子が結婚し、実家を出ていくと、少し寂しくなりましたけどね、時々孫のアヤカを連れて遊びに来るんです。それがもう、お爺ちゃんとお婆ちゃんには嬉しくてたまらないんですよ。アヤカはよく懐いてくれました。おもちゃも沢山買ってあげましたよ。お嫁さんもいい人でねえ、うちの女房と会ったその日から友達みたいに仲良くなって。こんな幸せがずっと続くと思っていた。……しかし、そうはならなかったんです」


==事件の経緯==
 調査隊も、重い空気を感じ取った。白坂氏は、固く拳を握りしめて続ける。
===計画===
2016年12月6日、とあるネット掲示板を閲覧していた<ref>自衛隊を韓国軍と比較して褒め称えるスレッドで、「キムチは家畜の食べ物だ」とか書き込んでいたという。</ref><ruby>坂口<rt>さかぐち</rt></ruby><ruby>百々御御足<rt>どどおみあし</rt></ruby>は「ピザゲート」の噂を聞きかじり、Facebookに以下の文章を投稿した。
<blockquote>
アメリカ選挙で、ヒラリークリントンが、児童買春でヒトモウケしているという話で持ち切りです。ピザ屋の振りをして、児童ポルノの数々!?許せない。
</blockquote>
これに賛同したのが、坂口のFacebookアカウントをフォローしていたドナルド・トランプ<ref>"あの"</ref>である。彼は坂口の書き込みに反応して、すぐさま以下のリプライを送った。
<blockquote>
Make America Great Again
</blockquote>
ドナルド・トランプの影響力は、瞬く間に坂口の書き込みを拡散。これによって気を良くした坂口は、以下の文章を投稿した。
<blockquote>
4日前勇敢な青年がピザ屋を偽装した、悪魔崇拝者アジトに攻撃したが、悪徳のケーサツたちが止めてしまった。私たちも、彼のよう社会を訴えよう、、、、


場所は私の家の近くの喫茶店に明後日です。one to oll、oll to one。
「忘れもしない、11年前のことです。一家で夏祭りに行った日だった。アヤカはもう九歳になっていました。花火を見たり、出店で遊んだりして、夜も遅いしそろそろ帰ろうか、となった時、アヤカがトイレに行きたいと言い出したんです。ちょうど私の女房もトイレをしたかったから、息子夫婦が車を取りに駐車場に行く間に、私と女房でアヤカをトイレに連れて行くことになりました。私は女子トイレの前のベンチで待っていましたよ。するとね、女房が真っ青な顔で出てきて、『アヤカがいない!』と言ったんです。
</blockquote>
こうして「ブルー・ヘリング」は、ただ坂口の住む家の近くに店を構えてしまったがために、陰謀論者たちの攻撃対象にされてしまったのであった。


===入店===
 どうやらトイレは相当混雑していたみたいで、女房が用を済ませて出てくると、もうアヤカの姿は見えなかったらしい。……それから私たちは必死でアヤカを捜しました。もちろん、警察も必死で捜してくれました。それなのに、一日経っても、二日経っても、アヤカは見つかりませんでした。誘拐されたんです。女房は、自分のせいだと言って、息子夫婦に泣いて謝りました。しかし、トイレの外にいた私が注意していたら、こんなことにはならなかったかもしれない。息子夫婦は私たちを責めるようなことはしませんでしたが、とにかく、あの日を境に、家族はバラバラになってしまったんです」
2016年12月8日午前9時ごろ、「ブルー・ヘリング」の開店準備をしていた柳田は、店の駐車場の大部分が謎の高級リムジンバス<ref>後に、ドナルド・トランプが手配したものだったと判明した。</ref>に占領されていることに気づいた。別のところに停めてもらおうとリムジンに近づいたところ、そこから陰謀論者計117名がぞろぞろと這い出てきて、叫び始めた。柳田の証言によれば、このように聞こえたという。
<blockquote>
<p style="position:absolute;padding-top:20px">児童ポルノの取引をやめろ!</p><p style="position:absolute;padding-top:20px;padding-left:8em">違法薬物を白状しろ!</p><p style="position:absolute;padding-top:30px">人身売買を直ちに謝罪しろ!</p><p style="position:absolute;padding-left:7em">鼠書け!</p><p style="position:absolute;padding-top:10px;padding-left:10em">トイレ貸してください!</p><p style="position:absolute;padding-top:25px">ポリコレに配慮しろ!</p><p style="position:absolute;padding-top:10px;padding-left:3em">もっと声出せ!</p><p style="position:absolute;padding-left:10em">のこったのこった!</p><p style="position:absolute;padding-top:30px;padding-left:5em">ヒラリークリントンを落選させろ!</p><p style="position:absolute">子供たちを解放しろ!</p>
おねがい、たすけて。


 日本では、毎年千人を超える児童が行方不明になっている。その多くはわずか数日で発見されるが、中には何十年経っても消息がつかめない例もあるのだ。アヤカちゃんも、失踪から12年が経った今なお、その行方はおろか生死すら分かっていない。


</blockquote>
「それからは、捜査の進展も全くなく、息子夫婦とはどんどん疎遠になっていきました。……本題はここからです」
まとまりのなさすぎる珍奇な連中に呆然とする柳田には目もくれず、陰謀論者たちは「ブルー・ヘリング」店舗内に侵入し、悪逆の限りを尽くし始める。ここに、所謂「2016古民家カフェ騒乱」が勃発することとなった。
===騒動===
{{大喜利|場所=3}}
彼らの暴虐は以下のようなものであった。
*玄関で靴を並べないまま店に入る
*柱という柱にささくれを作りまくる
*コーヒーシュガーを一気飲みする
*フォーク二つを噛み合わせ、ぎしぎし嫌な音を立てる
*電気のひもを高速で上下させ、点けたり消したりする
*厨房でふざけた行動をした後、それをTikTokに上げる
*牧場の堆肥箱から糞を集めてきてお手玉を試みる
*傘を盗む
*百合の間に挟まる
*自分とは無関係の会話に横入りしてくる
*メントスのごみを落とした者が男子である可能性が高いことを、男子全員が罪悪であることの根拠にする
*18時30分までに犯人を見つけ出して職員室に報告しに来るように自分の方から言い付けたのに、18時10分頃に帰る
*「偽善」という言葉が気に食わなかったからと言って、残りの授業時間を全部自分が喋りたいことに消費する
*しょうもないことしか言えないのに、作業中の生徒を集合させて説教っぽいことをする
*授業のスライド資料の文字に読みづらいポップ体を使用する
*生徒から「既往歴」の意味を尋ねられたのに無視する
*必要性皆無なのに「ポルノ税」なる税を紹介し、教室の空気を凍りつかせる
*[[アンモク共和国#41アパーラ令とその影響|人が頑張って書いた文章]]をコピペする
*ファストフードの氷が浮いたコーラを見て「下痢みたいだなあ」と思う
*死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留及び科料を主刑とし、没収を付加刑とする
*クレヨンで描いた絵を消しゴムで消そうとする
*英単語などとの類似性から意味を推測したりすることができないドイツ語の単語に怒りを覚える
*自衛隊を韓国軍と比較して褒め称えるスレッドで、「キムチは家畜の食べ物だ」とか書き込む
*まだ「トルコ風呂」と呼ぶ
*まだ「ダッチワイフ」と呼ぶ
*子供に「<ruby>百足<rt>むかで</rt></ruby>」と名付ける
*逆張りして「<ruby>百々御御足<rt>どどおみあし</rt></ruby>」に改名する
*炊飯器の内蓋を洗わないまま米を炊きつづける
*専門家でもないのに「同定する」とか言う
*専門家でもないのに「妥当する」とか言う
*専門家でもないのにとかなんとか言って、人様の言葉の使い方に文句をつける
*ニンジンをフラッシュライトに見立てて、FBIごっこをする
*生ごみの袋をにぎにぎして遊ぶ
*あらゆる危険を子供の手の届かないところに置いておくために、子供を床下に埋める
*バッタの足を体に絡ませて、動かしたら千切れるような状態にした後、その千切れるのを傍観する
*2chを神格化する
*2chを神格化する人に「いや2chとかほんとしょうもないやつしかいないけどなw」とか言って通ぶる
*2chを神格化する人、そしてそれを批判する人のどちらをも揶揄することによって、冷笑的傍観者アピールをする
*2chの神格化にまつわる一連の主張をすべて馬鹿にすることで、自身の思慮深くウィットに富んださまを誇示しようとする
*浅慮なやつだと思われないようにするための保険を自意識過剰によってかけたくなり、嫌な奴のメタ揶揄を何回も行った結果、やめどきが分からなくなる
*ポケットティッシュをトイレに流す
*積読を放置する
*ナイフを舐めてイキる
*[[Sisters:WikiWikiリファレンス/公序ソング|公序ソング]]を作る
*足の爪を切るのを怠り、靴下を破りまくる
*リズム感のある文章すべてを種田山頭火が作った句と見なす
*海外の反応とは名ばかりの一部の熱狂的日本オタクのオーバーリアクションを見て、自身のアイデンティティを国家に投影し、気持ち良くなる
*いわゆるサイコパスになろうとして、人の生死に無関心ですよ的スタンスを取る
*鉛筆のケツを噛む
*まだ「グルジア」と呼ぶ
*まだ「キエフ」と呼ぶ
*この記事をスマホまたはタブレットのデスクトップビューで見ている
*[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E7%95%8C%E3%83%BB%E8%B1%A1%E5%BE%B4%E7%95%8C%E3%83%BB%E6%83%B3%E5%83%8F%E7%95%8C#%E8%B1%A1%E5%BE%B4%E7%95%8C 象徴界]において、最近知ったばっかの難しい言葉を使ってイキる
*イチゴやスイカ等を果物として扱う人に対して、「いやそれ実は野菜なんだよなあwww」とか言う
*愛玩動物にアフレコして、「ご主人様ぁ~」とか言わす
*まっさらなキャンパスを持ち出し、「これは現代アートです」とか言う


===収束===
 我々は、いっそう身を引き締めて話に聞き入った。
柳田の通報の結果、陰謀論者たちのグループは器物損壊罪や住居侵入罪の容疑で普通に警察に現行犯逮捕され、この騒動は収束を迎えた。
==脚注==
<references />
{{vh|vh=50}}
<blockquote>
<p style="position:absolute;padding-top:20px">児童ポルノの取引をやめろ!</p><p style="position:absolute;padding-top:20px;padding-left:8em">違法薬物を白状しろ!</p><p style="position:absolute;padding-top:30px">人身売買を直ちに謝罪しろ!</p><p style="position:absolute;padding-left:7em">鼠書け!</p><p style="position:absolute;padding-top:10px;padding-left:10em">トイレ貸してください!</p><p style="position:absolute;padding-top:25px">ポリコレに配慮しろ!</p><p style="position:absolute;padding-top:10px;padding-left:3em">もっと声出せ!</p><p style="position:absolute;padding-left:10em">のこったのこった!</p><p style="position:absolute;padding-top:30px;padding-left:5em">ヒラリークリントンを落選させろ!</p><p style="position:absolute">子供たちを解放しろ!</p>
おねがい、たすけて。


「最後に息子夫婦に会ったのは、あれから一年ほど経った後です。どうやら息子夫婦はその時、『関東地方誘拐被害児童の家族の会』という団体に入会したみたいでしてね、私らに、『アヤカに関係する物がもし残っていたら、渡してほしい』と言うんです。話を聞いてみると、どうやら彼らの会では、『セキホウ』……『痕跡』の『跡』に『奉納』の『奉』で、『跡奉』です。そういう取り組みを行っているらしく、被害児童の持ち物や服などを会に納めて、無事に帰ってくることをお祈りするんだそうです。正直、少し……きな臭さというか。そういうものを感じなかったわけではありませんが、特に拒む理由もないと思って、アヤカのために置いてあった箸や食器を渡しました。


</blockquote>
 それからまた一年くらいした後、警察から電話が来ました。アヤカの件で何か進展があったのかと思いましたが、そうではありませんでした。……息子夫婦の死体が、発見されたんです。それも、遠く離れた栃木県の○○山に埋められた状態の、明らかな他殺体だったそうです。私も女房も、愕然となりました」
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<blockquote>
<p style="position:absolute;padding-top:20px">児童ポルノの取引をやめろ!</p><p style="position:absolute;padding-top:20px;padding-left:8em">違法薬物を白状しろ!</p><p style="position:absolute;padding-top:30px">人身売買を直ちに謝罪しろ!</p><p style="position:absolute;padding-left:10em">のこったのこった!</p><p style="position:absolute;padding-top:30px;padding-left:5em">ヒラリークリントンを落選させろ!</p><p style="position:absolute">子供たちを解放しろ!</p>
おねがい、たすけて。


 白坂氏は大きな呼吸を置いて、再び話し始めた。


</blockquote>
「事件の取り調べの中で、息子夫婦の交友関係について尋ねられた時、私はその『家族の会』のことを話したんです。すると、警察の方は驚いた様子で、慌ただしくどこかに連絡し始めました。なんでも、ちょうどその当時、この会に関わる捜査が別件でなされていたんだそうです。詳しいことまでは、教えてもらえませんでしたけどね。……しかし、結局、息子夫婦の事件も迷宮入りになってしまいました。不思議なことに、犯人の痕跡が一切見つからなかったそうです。
{{vh|vh=50}}
<blockquote>
<p style="position:absolute;padding-top:20px">児童ポルノの取引をやめろ!</p><p style="position:absolute;padding-top:20px;padding-left:8em">違法薬物を白状しろ!</p><p style="position:absolute;padding-top:30px">人身売買を直ちに謝罪しろ!</p><p style="position:absolute">子供たちを解放しろ!</p>
おねがい、たすけて。


 それからは、心の傷も癒えぬまま、二人でひっそりと暮らしてきました。あの団体のことなんて忘れていましたよ。ただ女房は、年のせいもあってか、次第に病気がちになってしまってね、半年前にぽっくりと逝ってしまいました。……しかし、ほんの数日前のことです。女房の部屋で、遺品を整理しているとき、思いがけないものが出てきました」


</blockquote>
 そう言うと、白坂氏は机の上に一枚の封筒を置き、中身を出した。差出人は、白坂氏の息子になっている。そして消印は平成17年――息子夫婦の遺体が発見された年だった。
{{vh|vh=50}}
<blockquote>
<p style="position:absolute;padding-top:20px;padding-left:8em">違法薬物を白状しろ!</p><p style="position:absolute">子供たちを解放しろ!</p>
おねがい、たすけて。


「息子は、殺される直前に、この手紙を家によこしていたんです。一体なぜ、女房はこれを隠していたのか……その理由は、すぐに分かりました。どうぞ、手紙の文面を読んでみてください」


</blockquote>
 荒い字でそこに書かれていた内容は、にわかには信じがたいものだった。
{{vh|vh=50}}
<blockquote>
<p style="position:absolute;padding-top:20px;padding-left:8em"></p><p style="position:absolute">子供たちを解放しろ!</p>
おねがい、たすけて。


 文章は、例の「家族の会」への称賛から始まる。「誘拐児たちを取り戻したいという切実な願いを持った親たちの強い結束」……さぞや立派な団体なのだろう。しかし、問題の記述によると、「家族の会」に属する親たちは、会が所有する施設内にいるという「まがいじじい」と呼ばれているらしい人物に対し、殴る、蹴る、あるいは熱湯を浴びせる等の暴行を、日常的に行っていたというのだ。白坂氏の息子は、この「まがいじじい」のことを、誘拐被害児童の受ける苦しみを肩代わりしてくれる「妖精」なのだと説明しており、この行為のことを誇らしげに書いている。また、詳細は書かれていないものの、そのような「誇らしい」行為のひとつとして挙げられている「きょうだい跡奉」も不気味だ。白坂氏が言っていたように、「跡奉」が誘拐児童の痕跡を会に納めるものだとすると、この「きょうだい跡奉」は、その誘拐児童のきょうだいの身柄を会に納める行為であるとでもいうのだろうか? 手紙の最後には、「家族の会」の施設に強制捜査が入ったこと、警察の手を逃れるために、近いうちに会が一旦「解散」すること、そしてその間はしばらく実家に身を寄せたいということが書かれていた。


</blockquote>
「息子は責任感があって、真面目な子でした。……こんな異常なこと、見過ごすはずがありませんよ。きっとこの『家族の会』に変えられて、頭がおかしくなってしまったんです。あれはカルトだったんです!」
{{vh|vh=50}}
<blockquote>
おねがい、たすけて。


 白坂氏の語気が荒くなる。


</blockquote>
「すみません、少し取り乱してしまいました。とにかく私は、あの『家族の会』がどんなものだったのか、そして息子夫婦の身に何があったのかを、ただ知りたいんです。……しかし、警察には依頼できない。こんな田舎ですからね、『あの息子夫婦はキチガイのカルト信者だった』だとか、まず間違いなく近所で噂が立ってしまうでしょう。女房がこの手紙を隠していたのも、きっとそのためだったんです。これ以上、不幸な、かわいそうな息子夫婦の顔に、泥を塗りたくなかったんです。
<span style="font-size:150%">古民家カフェの惨劇</span>
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{{基礎情報_事件・事故|名称=古民家カフェの惨劇|場所=古民家カフェ「ブルー・ヘリング」|日付=2011年6月13日~2016年12月20日|死者=238名|生存者=1名|概要=多数の児童の監禁、虐待、殺害、死体損壊等|犯人=柳田宏平(主犯格)}}
'''古民家カフェの惨劇'''とは、2011年6月13日から2016年12月20日にかけて行われていた、古民家カフェ「ブルー・ヘリング」敷地一帯での多数の児童の監禁・虐待、また非合法の臓器摘出などに関わる一連の事件の俗称である。


2011年、自身の診療所が経営破綻した柳田宏平は、莫大な債務を抱えることとなった。このとき、闇金業者からも借り入れを行っていた柳田は、その医療行為の技術に目をつけられ、以降違法な臓器摘出を斡旋されることとなる。
 本当にわがままで、愚かなお願いだということは百も承知です。聞けば、あなた方の雑誌では、実際に未解決事件を扱い、行き詰っていた捜査を進展させたこともあるらしい。……あれから九年経って、ようやく尻尾を掴めたんだ。しかし、こんな老いぼれ一人には何もできやしません。……どうか、お力を貸していただけないでしょうか」


ここから数千万もの元手を得た柳田は、さらに多くの資金を借りて沖縄県糸満市の外れにある安い土地を買い、古民家カフェ「ブルー・ヘリング」を開いた。このことについて、柳田は獄中で以下のように回顧している。
 そう言って、白坂氏は頭を下げた。「となりのオカルト調査隊」は、もとより社会の裏を扱うエキスパート集団である。かくして我々は、白坂氏の素性を全面的に隠匿しながらも、この謎多きカルトの正体に迫るべく、調査を開始することにしたのだ!
<blockquote>
業者から送られてくる生体を捌くにあたって、今までは幅広くサポートを受けていましたが、天引き無しの返済効率を求めて独立するとなると、意外とたくさんのものが必要になります。


まず、安全な輸送経路です。業者から生体を受け取って、その後別の業者に臓器を渡す。この過程がばれないか、またはばれても自然に思われるようでないといけません。幸い彼らは警察に勘づかれないようにするのが上手いようですが(賄賂や利権がらみの噂も聞きました)、僕は尻尾切りされるのが怖かったので、逆に飲食店なんかを装うことにしました。「木を隠すなら森の中」、警察も人の往来があれば怪しむきっかけが減るでしょう。傍目には、段ボールとクーラーボックスしか見えません。
 実は、我々は既に当時「家族の会」に関わりがあったという人物を見つけ出し、取材のアポを取ることに成功している。この情報は、次号に掲載することになる。もし、この団体や事件について何か知っていることがあるという人は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。


次に、生体から臓器を摘出する場所です。医療器具はもともと持っているので、十分なスペースがほしいところでした。それもなるべく、誰にもばれないような、例えば地下室とかです。僕が目をつけたのはガマでした。手前側を展示スペースにして、奥の方は崩落の危険により立ち入り禁止だとか言って誤魔化す。実際にはそこが作業場になるわけです。また、臓器を新鮮なまま輸送するために、意外と氷が大事でした。使いきりなので、怪しまれないように氷のブロックを大量に用意するのは難しそうでしたが、メニューにぜんざいやかき氷を入れたら上手く行きました。今では人気メニューです(笑)
===2014年6月号掲載「カルトに洗脳された妻……夫が覗いた怪しい施設の闇とは」===


また、摘出後にできる死体の処理も大変でした。臓器を運んでくれる業者は、死体の運搬を請け負ってくれません。持ってきてくれる業者に渡そうにも、一週間に一回来るか来ないかくらいなので、その間に死体は腐ってしまいます。腐敗臭をどう隠そうか考えた挙句、僕は自分で牧場を作ることにしました。獣臭さでだいぶ不自然な匂いが緩和されてくれるし、そもそも死体を糞尿や残飯と一緒にコンポスターに入れてしまえば勝手に肥やしになって処理の必要がないので、一石二鳥でした。人肉を食べると聞いたことがあったので、最初は死体を豚に食べさせようとしたこともあったのですが、うまく行かなかったので諦めました。
 先月号、調査依頼を受け、我々は『関東地方誘拐被害児童の家族の会』の調査を開始した。その過程で連絡を取ることができたのが、群馬県在住の北口和也氏(41歳男性・仮名)である。


このように準備して、古民家を改装し、ついにカフェを開店することが出来ました。飲食店や牧場の審査は、業者の人に頼んで、賄賂で上手い具合にやってもらいました。
「こんな狭いアパートで、すいませんね」


それからは順調に臓器摘出の仕事をして、借金の返済を進めることができました。夜にカフェが閉店した後、業者から段ボールを受け取る。臓器を抜いたら、死体はコンポスターに入れ、臓器はクーラーボックスで別の業者に渡し、札束を受け取る。彼らが業者同士で連絡を取り合ってくれていたようなので、僕のやることはこれだけでした。意外にも、古民家カフェの方の知名度が上がって売り上げが伸びたので、それも助けになりました。また、ここに来る子供は麻酔で意識を失った状態で段ボールに詰められてくるので、児童ポルノの製造も容易でした。東南アジア系の子ばっかりだったので、たまに日本人の子が来るとちょっと嬉しかったですかね(笑)
 我々調査隊が北口氏に連絡をとったきっかけは、インターネット上に公開されていた彼のブログである。そのブログは、いたって普通の家庭の生活を記録したものであったが、愛娘の失踪、そして『関東地方誘拐被害児童の家族の会』への妻の入会を書いた13年前の記事を最後に、更新が止まっていた。しかし、調査隊がブログのプロフィールに記載されていたメールアドレスにだめ元で取材依頼を送ってみたところ、なんと連絡を取り合うことに成功。こうして取材を取り付けるに至ったわけだ。
</blockquote>
このように長きにわたって水面下で行われてきた古民家カフェの惨劇が白日の下にさらされることとなったのは、かの2016古民家カフェ騒乱の影響であった。件の事件後、警察署で取り調べを受けていた陰謀論者の一人の爪の間から、行方不明になっていた県内の少女のDNAと一致する毛髪の欠片が発見されたのである。


その陰謀論者はすぐさま素性を洗われたが、これといった犯罪組織との関与は認められず、取り調べをしても何も知らないと言うばかりで、捜査は混迷を極めた。しかし、ふとしたことで判明した、2016古民家カフェ騒乱におけるその陰謀論者の「牧場の堆肥箱から糞を集めてきてお手玉を試みる」という行動を足掛かりにして、捜査は大きく進展する。
「私が22歳のころだから、19年前ですか。妻とは、当時勤めていた会社で出会いました。職場結婚ってやつです。大事な商談をダメにしちゃった時にも、励ましてくれたりして、気づいたら好きになっていたんです。その勢いのまま、プロポーズでしたよ(笑)。でも、後から聞いた話なんですが、そのとき既に妻は私のことを狙っていたらしいんですね。まんまと策に乗せられてしまったというわけです(笑)」


2016年12月20日、別件でその犯罪組織と警察高官との間に行われていた贈収賄が発覚していたことも功を奏し、警察は当該犯罪組織に属する犯罪行為の一斉摘発に成功。この古民家カフェの惨劇も例外ではなく、柳田宏平はついに突入した警察によって強制性交等罪の現行犯で逮捕されることとなった。
 北口氏は楽しそうに過去を振り返る。部屋の奥にある棚の上には、家族三人の笑顔の写真が飾られているが、そこに写る北口氏はずいぶんと若々しいままだ。


なお、このことから明らかになった2016古民家カフェ騒乱における陰謀論者たちの主張の正当性によって、ピザゲートひいてはQアノンなどの様々な陰謀論の信者が世界中で大規模に増加したと目されている。
「結婚してからすぐ、娘もできましてね。私ももう父親かと、なんだか感慨深くなったのを覚えています。娘は元気な子でね、休日にはいつもどこかに遊びに行きたいと駄々をこねて、私たちを困らせましたよ(笑)。あの時は、本当に楽しかったなあ。今でもたまにブログは見ています。娘の笑顔が、よく映っているんです。……そろそろ話を進めましょうか。小学校に入学して、もうすぐ二年生というとき、娘は誘拐されてしまったんです」
{{foot|ds=こみんかかふえのさんけき|cat=事件・事故}}
 
 どこか遠くを見つめるように、北口氏は語る。
 
「きっかけになったのは、入学して半年ほど経って、学校にも慣れてきた頃でした。それまでは私たちが娘の送り迎えをしていたんですが、娘がある日『友達と一緒に登下校したい』と言い出したんです。家も近かったし、通学路も人通りが多かったので、私たちはそれを認めてあげることにしました。……あの時の自分の判断を、13年経った今でも強く悔やんでいます。娘はそのせいで、誘拐されてしまったんです。
 
 そして、ついにあの日……私たちは知らなかったんですが、いつも一緒に登校する約束をしていた友達が風邪で休んでいたみたいで、娘は一人で学校へ向かっていたらしいんです。そしてその途中で、誘拐されてしまった。娘が来ていないという連絡を学校から受けて、血の気が引きましたよ。警察にも連絡して、大規模な捜査が始まりましたが、一向に娘は見つかりませんでした。私も妻も、焦りと後悔で、パニックに陥りました。……そんなとき、妻が知ったのが、あの『家族の会』だったんです」
 
 北口氏の妻は、当時作られて間もなかったネット掲示板の書き込みから、「家族の会」の存在を知ったのだという。そこから彼女は、日に日にその団体にのめり込んでいくようになったのだ。
 
「妻は、東京郊外にあるらしい『家族の会』の建物にたびたび行って、会員の方と交流するようになりました。彼女によれば、『家族の会』は不安や苦悩を親身になって聞いてくれて、いろいろな相談にも乗ってくれたそうです。私も当初、妻の話を聞く限りでは、何の変哲もない、それどころか素晴らしい団体だと思っていました。だから、妻が正式に『家族の会』に入会することになったときももちろん反対しませんでした。……後になってみれば、私はこのとき、またも選択を間違えたんです。
 
 おかしなことが起こり始めたのは、それからすぐでした。妻が、娘の部屋にあった物をどこかに持って行ってしまうんです。最初、服やおもちゃを持って行ったときは、少し怪しいとは思いましたが、娘の好きなものを『家族の会』で共有しているのかと思って、自分を納得させていました。しかし、妻は一向にそれらを家に持って帰ってこないばかりか、しまいには娘の使っていた教科書まで持ち出したんですよ。流石におかしい。そう思って直接妻に聞いてみると、彼女は娘の物を勝手に持ち出して、『家族の会』の『跡奉』という取り組みに使っていたということが分かりました」
 
 「跡奉」――前回の依頼人も話していた、「家族の会」での儀式だ。誘拐の被害にあった児童の残した物を納め、無事に帰ってくることを祈るものだという。
 
「正直、怖いな、って思ったんです。もちろん、娘の物は『跡奉』のために一旦置いているだけであって、持ち帰ること自体はいつでもできると言っていました。しかし、妻はあの時、本当に娘の持ち物をすべて持って行こうとしているくらいの気持ちに見えました。何というか、とにかく、異様だったんです。……でも、妻の話を聞く限りでは、『家族の会』は良い団体です。だから、ある日曜日、不安な気持ちを払拭するために、私も妻と一緒に『家族の会』の施設に行ってみることにしたんです。
 
 カーナビに従い、数時間ほど車を運転して着いたのが、彼らが『本館』と呼んでいる建物でした。東京と言っても、かなり田舎の方で、近くの道路も往来はまばらでしたね。木々に囲まれた『本館』の外見は、コンクリートの打ちっぱなしの直方体といった感じで、シンプルなつくりになっていました。しかし、中に入ってみると、意外に重厚感のある内装で驚いたのを覚えています。壁は落ち着きのあるクリーム色で塗られていて、小さいシャンデリアのようなものが天井に吊り下げられていました。そこで妻に紹介してもらったのが、『家族の会』の代表という立場にあるらしい、アミさんという同年代くらいの女性でした。アミさんによれば、この建物は『家族の会』の先々代、すなわち四代目の代表が、被害者家族たちの憩いの場となるようにと造り上げたものだそうです。
 
 そこから案内されたのが、奥の扉の先にあった、『跡奉』のために用意されたという広い場所でした。そこにはたくさんの仮設トイレのような個室が並べられており、私は妻に連れられて、その中の娘に割り当てられているという個室のところへ行きました。渡された鍵で扉を開けると、その中には確かに、妻が持ち出した娘の物がきれいに収まっていました。妻は、これで納得しただろう、というふうにこちらを見てきました。……しかし私は、ますますこの団体のことを疑わしく思うようになりました。というのも、私がいた間中ずっと、その部屋のあちこちの個室から、ずっと子供の泣き声がしてきたからです。妻によれば、誘拐被害児童のきょうだいを連れてきている親も大勢おり、その子供がぐずっているだけだというのですが、聞こえてくる泣き声は明らかに赤ん坊のものだけではありませんでした。物心ももうついているくらいの子供の声で、号泣しているのが、あちこちから聞こえてきたんです」
 
 「跡奉」のための部屋に、その被害児童の「きょうだい」……この状況は、前回出てきた「きょうだい跡奉」という儀式に何か関係しているのだろうか?
 
「明らかに異常だとか、そういったことは断言できません。自分のきょうだいが誘拐された子供が、精神的に不安定になって泣いているだけなのかもしれないし、同じくストレスを感じている親にも、泣いている子供の世話をする余裕が無かったのかもしれない。だから私は、口を出せませんでした。でも、本能的なものなのでしょうか、子供の泣き声をずっと聞いていると、言いようのない不安でくらくらしてきて、ここにはいられないと思いました。妻に『もう帰ろう』と言うと、妻は大人しく、『分かった』とだけ答えました。……それから、アミさんにあいさつをして、二人で車に乗り込んだときでした。妻がいきなり、思い出したように『ちょっと別館に行ってくる』と言ったんです。『すぐ戻ってくるから車で待っていてもいい』と言われた私は、もうこの施設に近づきたくなかったので、言われた通りに車で待っていました。
 
 しかし、一つだけ気になることがありました。『別館』の場所です。入って来た時、正面から見たこの施設には、『本館』しか建物がありませんでしたし、『本館』の裏手にある駐車場からも、『別館』は見当たりませんでした。不思議に思って、妻が歩いて行った方向をリアガラス越しに見た瞬間、ぞっとしましたよ。『本館』裏の、何もない、ただの地面に向かって、妻が険しい顔で何かを叫んでいるんです。目が合いそうになったので、慌てて前を向きなおしました。……その後、何事も無かったかのように助手席に乗ってきた妻は、本当に僕の知る妻なのかと、ひどく恐ろしくなりました」
 
 北口氏が感じただろう、愛する妻への恐怖は、相当なものだったらしい。北口氏の表情は、過去の回想の中であってさえ、恐ろしげに歪んでいた。
 
「そして……娘の死体が発見されたのは、その日の夜でした」
 
 目線を落として、北口氏は続ける。
 
「消息を絶ってから二週間後のことでした。娘は、他殺体で発見されました。首を絞められて……川に沈められていたそうです。その後すぐ、犯人も逮捕されました。娘は通学路で、車に乗せられて連れ去られ、その後すぐ……。すいません。まだ、このときの話は、うまくできません。とにかく、娘はもういない。もういないということが、分かったんです。分かってしまったんです。それなのに、それなのに、妻は……まだ、あの団体で、『娘は戻ってくる』と、言い続けたんです! 必死に説得しました。私もつらかった。でも、妻もつらかったんでしょう。そのせいで、あんなことになってしまったのかもしれない。でも、妻は、妻は……」
 
 調査隊は、北口氏の目に涙が浮かんでいることに気づいた。
 
「すいません、取り乱してしまって。……私には、もう分からないんですよ。私はどうにか、妻がおかしくなった原因を、あの『家族の会』に押し付けようとしているのかもしれない。本当は、あの団体は何も悪くなくて、ただ妻は、妻の心は娘の死に耐えられなかっただけなのかもしれない。……その後、妻は失踪しました。今に至るまで、妻の姿は見ていません。一応、警察に捜索願は出しましたが、事件性の低い、ただの痴話げんかによる家出として扱われ、捜索は行われませんでした。あの時の家からは、それから三年ほどした後、引っ越しました。こうして、今に至ります。……これが、私の話せる限りの、全てです」
 
 北口氏の妻は、なぜ狂ってしまったのか、その答えを知る者はいない。しかし、先月号でお伝えした白坂氏の悲劇、そしてこの北口氏の悲劇の両方に深く結びつく奇妙な団体が、何かしらの形で一枚噛んでいるのはまず間違いないだろう。我々はこの団体の調査を続ける。もし、この団体や事件について何か知っていることがあるという人は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。
 
 
 
 '''付記'''
 
 北口氏への取材が終わった後、彼の携帯電話に非通知の電話がかかってきた。それ自体は何の変哲もないことだが、電話を切った北口氏は奇妙そうに取材班にこう話した――非通知設定の、聞き覚えのないしわがれた老人の声で、「ハマナソウキチくんをご存じですか」と尋ねてくる電話がかかってきた、と。
 
 北口氏が戸惑って黙っている間に、電話は切れてしまったという。普通に考えればただの間違い電話だが、老人といえば、先月号の話に出てきた「まがいじじい」を連想してしまう。この奇妙な出来事は、我々の取材に何かしらのつながりを持っているのだろうか? オカルト記者としては、つい勘ぐってしまうところだ。

4年6月5日 (ゐ) 12:19時点における最新版

2014年5月号掲載「奇妙な儀式と未解決事件……9年前に消えた謎のカルトを追え!」[編集 | ソースを編集]

 先日の「瀬戸内海の人魚伝説」の調査も終わり、一息ついた「となりのオカルト調査隊」。そんな我々の元に、新しい調査依頼が舞い込んだ。依頼人は、神奈川県某所在住の白坂憲二氏(74歳男性・仮名)である。

「私は、息子夫婦が入会していたある『団体』のことを調べてもらいたいんです」

 白坂氏は、調査隊を自宅に招き、こう語った。彼の深い皺には、往年の苦労が刻まれているようだ。

「私たちは、それは仲のいい家族でしたよ。私と女房、それに一人息子の三人で、笑顔の絶えない家庭だった。やがて息子が結婚し、実家を出ていくと、少し寂しくなりましたけどね、時々孫のアヤカを連れて遊びに来るんです。それがもう、お爺ちゃんとお婆ちゃんには嬉しくてたまらないんですよ。アヤカはよく懐いてくれました。おもちゃも沢山買ってあげましたよ。お嫁さんもいい人でねえ、うちの女房と会ったその日から友達みたいに仲良くなって。こんな幸せがずっと続くと思っていた。……しかし、そうはならなかったんです」

 調査隊も、重い空気を感じ取った。白坂氏は、固く拳を握りしめて続ける。

「忘れもしない、11年前のことです。一家で夏祭りに行った日だった。アヤカはもう九歳になっていました。花火を見たり、出店で遊んだりして、夜も遅いしそろそろ帰ろうか、となった時、アヤカがトイレに行きたいと言い出したんです。ちょうど私の女房もトイレをしたかったから、息子夫婦が車を取りに駐車場に行く間に、私と女房でアヤカをトイレに連れて行くことになりました。私は女子トイレの前のベンチで待っていましたよ。するとね、女房が真っ青な顔で出てきて、『アヤカがいない!』と言ったんです。

 どうやらトイレは相当混雑していたみたいで、女房が用を済ませて出てくると、もうアヤカの姿は見えなかったらしい。……それから私たちは必死でアヤカを捜しました。もちろん、警察も必死で捜してくれました。それなのに、一日経っても、二日経っても、アヤカは見つかりませんでした。誘拐されたんです。女房は、自分のせいだと言って、息子夫婦に泣いて謝りました。しかし、トイレの外にいた私が注意していたら、こんなことにはならなかったかもしれない。息子夫婦は私たちを責めるようなことはしませんでしたが、とにかく、あの日を境に、家族はバラバラになってしまったんです」

 日本では、毎年千人を超える児童が行方不明になっている。その多くはわずか数日で発見されるが、中には何十年経っても消息がつかめない例もあるのだ。アヤカちゃんも、失踪から12年が経った今なお、その行方はおろか生死すら分かっていない。

「それからは、捜査の進展も全くなく、息子夫婦とはどんどん疎遠になっていきました。……本題はここからです」

 我々は、いっそう身を引き締めて話に聞き入った。

「最後に息子夫婦に会ったのは、あれから一年ほど経った後です。どうやら息子夫婦はその時、『関東地方誘拐被害児童の家族の会』という団体に入会したみたいでしてね、私らに、『アヤカに関係する物がもし残っていたら、渡してほしい』と言うんです。話を聞いてみると、どうやら彼らの会では、『セキホウ』……『痕跡』の『跡』に『奉納』の『奉』で、『跡奉』です。そういう取り組みを行っているらしく、被害児童の持ち物や服などを会に納めて、無事に帰ってくることをお祈りするんだそうです。正直、少し……きな臭さというか。そういうものを感じなかったわけではありませんが、特に拒む理由もないと思って、アヤカのために置いてあった箸や食器を渡しました。

 それからまた一年くらいした後、警察から電話が来ました。アヤカの件で何か進展があったのかと思いましたが、そうではありませんでした。……息子夫婦の死体が、発見されたんです。それも、遠く離れた栃木県の○○山に埋められた状態の、明らかな他殺体だったそうです。私も女房も、愕然となりました」

 白坂氏は大きな呼吸を置いて、再び話し始めた。

「事件の取り調べの中で、息子夫婦の交友関係について尋ねられた時、私はその『家族の会』のことを話したんです。すると、警察の方は驚いた様子で、慌ただしくどこかに連絡し始めました。なんでも、ちょうどその当時、この会に関わる捜査が別件でなされていたんだそうです。詳しいことまでは、教えてもらえませんでしたけどね。……しかし、結局、息子夫婦の事件も迷宮入りになってしまいました。不思議なことに、犯人の痕跡が一切見つからなかったそうです。

 それからは、心の傷も癒えぬまま、二人でひっそりと暮らしてきました。あの団体のことなんて忘れていましたよ。ただ女房は、年のせいもあってか、次第に病気がちになってしまってね、半年前にぽっくりと逝ってしまいました。……しかし、ほんの数日前のことです。女房の部屋で、遺品を整理しているとき、思いがけないものが出てきました」

 そう言うと、白坂氏は机の上に一枚の封筒を置き、中身を出した。差出人は、白坂氏の息子になっている。そして消印は平成17年――息子夫婦の遺体が発見された年だった。

「息子は、殺される直前に、この手紙を家によこしていたんです。一体なぜ、女房はこれを隠していたのか……その理由は、すぐに分かりました。どうぞ、手紙の文面を読んでみてください」

 荒い字でそこに書かれていた内容は、にわかには信じがたいものだった。

 文章は、例の「家族の会」への称賛から始まる。「誘拐児たちを取り戻したいという切実な願いを持った親たちの強い結束」……さぞや立派な団体なのだろう。しかし、問題の記述によると、「家族の会」に属する親たちは、会が所有する施設内にいるという「まがいじじい」と呼ばれているらしい人物に対し、殴る、蹴る、あるいは熱湯を浴びせる等の暴行を、日常的に行っていたというのだ。白坂氏の息子は、この「まがいじじい」のことを、誘拐被害児童の受ける苦しみを肩代わりしてくれる「妖精」なのだと説明しており、この行為のことを誇らしげに書いている。また、詳細は書かれていないものの、そのような「誇らしい」行為のひとつとして挙げられている「きょうだい跡奉」も不気味だ。白坂氏が言っていたように、「跡奉」が誘拐児童の痕跡を会に納めるものだとすると、この「きょうだい跡奉」は、その誘拐児童のきょうだいの身柄を会に納める行為であるとでもいうのだろうか? 手紙の最後には、「家族の会」の施設に強制捜査が入ったこと、警察の手を逃れるために、近いうちに会が一旦「解散」すること、そしてその間はしばらく実家に身を寄せたいということが書かれていた。

「息子は責任感があって、真面目な子でした。……こんな異常なこと、見過ごすはずがありませんよ。きっとこの『家族の会』に変えられて、頭がおかしくなってしまったんです。あれはカルトだったんです!」

 白坂氏の語気が荒くなる。

「すみません、少し取り乱してしまいました。とにかく私は、あの『家族の会』がどんなものだったのか、そして息子夫婦の身に何があったのかを、ただ知りたいんです。……しかし、警察には依頼できない。こんな田舎ですからね、『あの息子夫婦はキチガイのカルト信者だった』だとか、まず間違いなく近所で噂が立ってしまうでしょう。女房がこの手紙を隠していたのも、きっとそのためだったんです。これ以上、不幸な、かわいそうな息子夫婦の顔に、泥を塗りたくなかったんです。

 本当にわがままで、愚かなお願いだということは百も承知です。聞けば、あなた方の雑誌では、実際に未解決事件を扱い、行き詰っていた捜査を進展させたこともあるらしい。……あれから九年経って、ようやく尻尾を掴めたんだ。しかし、こんな老いぼれ一人には何もできやしません。……どうか、お力を貸していただけないでしょうか」

 そう言って、白坂氏は頭を下げた。「となりのオカルト調査隊」は、もとより社会の裏を扱うエキスパート集団である。かくして我々は、白坂氏の素性を全面的に隠匿しながらも、この謎多きカルトの正体に迫るべく、調査を開始することにしたのだ!

 実は、我々は既に当時「家族の会」に関わりがあったという人物を見つけ出し、取材のアポを取ることに成功している。この情報は、次号に掲載することになる。もし、この団体や事件について何か知っていることがあるという人は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。

2014年6月号掲載「カルトに洗脳された妻……夫が覗いた怪しい施設の闇とは」[編集 | ソースを編集]

 先月号、調査依頼を受け、我々は『関東地方誘拐被害児童の家族の会』の調査を開始した。その過程で連絡を取ることができたのが、群馬県在住の北口和也氏(41歳男性・仮名)である。

「こんな狭いアパートで、すいませんね」

 我々調査隊が北口氏に連絡をとったきっかけは、インターネット上に公開されていた彼のブログである。そのブログは、いたって普通の家庭の生活を記録したものであったが、愛娘の失踪、そして『関東地方誘拐被害児童の家族の会』への妻の入会を書いた13年前の記事を最後に、更新が止まっていた。しかし、調査隊がブログのプロフィールに記載されていたメールアドレスにだめ元で取材依頼を送ってみたところ、なんと連絡を取り合うことに成功。こうして取材を取り付けるに至ったわけだ。

「私が22歳のころだから、19年前ですか。妻とは、当時勤めていた会社で出会いました。職場結婚ってやつです。大事な商談をダメにしちゃった時にも、励ましてくれたりして、気づいたら好きになっていたんです。その勢いのまま、プロポーズでしたよ(笑)。でも、後から聞いた話なんですが、そのとき既に妻は私のことを狙っていたらしいんですね。まんまと策に乗せられてしまったというわけです(笑)」

 北口氏は楽しそうに過去を振り返る。部屋の奥にある棚の上には、家族三人の笑顔の写真が飾られているが、そこに写る北口氏はずいぶんと若々しいままだ。

「結婚してからすぐ、娘もできましてね。私ももう父親かと、なんだか感慨深くなったのを覚えています。娘は元気な子でね、休日にはいつもどこかに遊びに行きたいと駄々をこねて、私たちを困らせましたよ(笑)。あの時は、本当に楽しかったなあ。今でもたまにブログは見ています。娘の笑顔が、よく映っているんです。……そろそろ話を進めましょうか。小学校に入学して、もうすぐ二年生というとき、娘は誘拐されてしまったんです」

 どこか遠くを見つめるように、北口氏は語る。

「きっかけになったのは、入学して半年ほど経って、学校にも慣れてきた頃でした。それまでは私たちが娘の送り迎えをしていたんですが、娘がある日『友達と一緒に登下校したい』と言い出したんです。家も近かったし、通学路も人通りが多かったので、私たちはそれを認めてあげることにしました。……あの時の自分の判断を、13年経った今でも強く悔やんでいます。娘はそのせいで、誘拐されてしまったんです。

 そして、ついにあの日……私たちは知らなかったんですが、いつも一緒に登校する約束をしていた友達が風邪で休んでいたみたいで、娘は一人で学校へ向かっていたらしいんです。そしてその途中で、誘拐されてしまった。娘が来ていないという連絡を学校から受けて、血の気が引きましたよ。警察にも連絡して、大規模な捜査が始まりましたが、一向に娘は見つかりませんでした。私も妻も、焦りと後悔で、パニックに陥りました。……そんなとき、妻が知ったのが、あの『家族の会』だったんです」

 北口氏の妻は、当時作られて間もなかったネット掲示板の書き込みから、「家族の会」の存在を知ったのだという。そこから彼女は、日に日にその団体にのめり込んでいくようになったのだ。

「妻は、東京郊外にあるらしい『家族の会』の建物にたびたび行って、会員の方と交流するようになりました。彼女によれば、『家族の会』は不安や苦悩を親身になって聞いてくれて、いろいろな相談にも乗ってくれたそうです。私も当初、妻の話を聞く限りでは、何の変哲もない、それどころか素晴らしい団体だと思っていました。だから、妻が正式に『家族の会』に入会することになったときももちろん反対しませんでした。……後になってみれば、私はこのとき、またも選択を間違えたんです。

 おかしなことが起こり始めたのは、それからすぐでした。妻が、娘の部屋にあった物をどこかに持って行ってしまうんです。最初、服やおもちゃを持って行ったときは、少し怪しいとは思いましたが、娘の好きなものを『家族の会』で共有しているのかと思って、自分を納得させていました。しかし、妻は一向にそれらを家に持って帰ってこないばかりか、しまいには娘の使っていた教科書まで持ち出したんですよ。流石におかしい。そう思って直接妻に聞いてみると、彼女は娘の物を勝手に持ち出して、『家族の会』の『跡奉』という取り組みに使っていたということが分かりました」

 「跡奉」――前回の依頼人も話していた、「家族の会」での儀式だ。誘拐の被害にあった児童の残した物を納め、無事に帰ってくることを祈るものだという。

「正直、怖いな、って思ったんです。もちろん、娘の物は『跡奉』のために一旦置いているだけであって、持ち帰ること自体はいつでもできると言っていました。しかし、妻はあの時、本当に娘の持ち物をすべて持って行こうとしているくらいの気持ちに見えました。何というか、とにかく、異様だったんです。……でも、妻の話を聞く限りでは、『家族の会』は良い団体です。だから、ある日曜日、不安な気持ちを払拭するために、私も妻と一緒に『家族の会』の施設に行ってみることにしたんです。

 カーナビに従い、数時間ほど車を運転して着いたのが、彼らが『本館』と呼んでいる建物でした。東京と言っても、かなり田舎の方で、近くの道路も往来はまばらでしたね。木々に囲まれた『本館』の外見は、コンクリートの打ちっぱなしの直方体といった感じで、シンプルなつくりになっていました。しかし、中に入ってみると、意外に重厚感のある内装で驚いたのを覚えています。壁は落ち着きのあるクリーム色で塗られていて、小さいシャンデリアのようなものが天井に吊り下げられていました。そこで妻に紹介してもらったのが、『家族の会』の代表という立場にあるらしい、アミさんという同年代くらいの女性でした。アミさんによれば、この建物は『家族の会』の先々代、すなわち四代目の代表が、被害者家族たちの憩いの場となるようにと造り上げたものだそうです。

 そこから案内されたのが、奥の扉の先にあった、『跡奉』のために用意されたという広い場所でした。そこにはたくさんの仮設トイレのような個室が並べられており、私は妻に連れられて、その中の娘に割り当てられているという個室のところへ行きました。渡された鍵で扉を開けると、その中には確かに、妻が持ち出した娘の物がきれいに収まっていました。妻は、これで納得しただろう、というふうにこちらを見てきました。……しかし私は、ますますこの団体のことを疑わしく思うようになりました。というのも、私がいた間中ずっと、その部屋のあちこちの個室から、ずっと子供の泣き声がしてきたからです。妻によれば、誘拐被害児童のきょうだいを連れてきている親も大勢おり、その子供がぐずっているだけだというのですが、聞こえてくる泣き声は明らかに赤ん坊のものだけではありませんでした。物心ももうついているくらいの子供の声で、号泣しているのが、あちこちから聞こえてきたんです」

 「跡奉」のための部屋に、その被害児童の「きょうだい」……この状況は、前回出てきた「きょうだい跡奉」という儀式に何か関係しているのだろうか?

「明らかに異常だとか、そういったことは断言できません。自分のきょうだいが誘拐された子供が、精神的に不安定になって泣いているだけなのかもしれないし、同じくストレスを感じている親にも、泣いている子供の世話をする余裕が無かったのかもしれない。だから私は、口を出せませんでした。でも、本能的なものなのでしょうか、子供の泣き声をずっと聞いていると、言いようのない不安でくらくらしてきて、ここにはいられないと思いました。妻に『もう帰ろう』と言うと、妻は大人しく、『分かった』とだけ答えました。……それから、アミさんにあいさつをして、二人で車に乗り込んだときでした。妻がいきなり、思い出したように『ちょっと別館に行ってくる』と言ったんです。『すぐ戻ってくるから車で待っていてもいい』と言われた私は、もうこの施設に近づきたくなかったので、言われた通りに車で待っていました。

 しかし、一つだけ気になることがありました。『別館』の場所です。入って来た時、正面から見たこの施設には、『本館』しか建物がありませんでしたし、『本館』の裏手にある駐車場からも、『別館』は見当たりませんでした。不思議に思って、妻が歩いて行った方向をリアガラス越しに見た瞬間、ぞっとしましたよ。『本館』裏の、何もない、ただの地面に向かって、妻が険しい顔で何かを叫んでいるんです。目が合いそうになったので、慌てて前を向きなおしました。……その後、何事も無かったかのように助手席に乗ってきた妻は、本当に僕の知る妻なのかと、ひどく恐ろしくなりました」

 北口氏が感じただろう、愛する妻への恐怖は、相当なものだったらしい。北口氏の表情は、過去の回想の中であってさえ、恐ろしげに歪んでいた。

「そして……娘の死体が発見されたのは、その日の夜でした」

 目線を落として、北口氏は続ける。

「消息を絶ってから二週間後のことでした。娘は、他殺体で発見されました。首を絞められて……川に沈められていたそうです。その後すぐ、犯人も逮捕されました。娘は通学路で、車に乗せられて連れ去られ、その後すぐ……。すいません。まだ、このときの話は、うまくできません。とにかく、娘はもういない。もういないということが、分かったんです。分かってしまったんです。それなのに、それなのに、妻は……まだ、あの団体で、『娘は戻ってくる』と、言い続けたんです! 必死に説得しました。私もつらかった。でも、妻もつらかったんでしょう。そのせいで、あんなことになってしまったのかもしれない。でも、妻は、妻は……」

 調査隊は、北口氏の目に涙が浮かんでいることに気づいた。

「すいません、取り乱してしまって。……私には、もう分からないんですよ。私はどうにか、妻がおかしくなった原因を、あの『家族の会』に押し付けようとしているのかもしれない。本当は、あの団体は何も悪くなくて、ただ妻は、妻の心は娘の死に耐えられなかっただけなのかもしれない。……その後、妻は失踪しました。今に至るまで、妻の姿は見ていません。一応、警察に捜索願は出しましたが、事件性の低い、ただの痴話げんかによる家出として扱われ、捜索は行われませんでした。あの時の家からは、それから三年ほどした後、引っ越しました。こうして、今に至ります。……これが、私の話せる限りの、全てです」

 北口氏の妻は、なぜ狂ってしまったのか、その答えを知る者はいない。しかし、先月号でお伝えした白坂氏の悲劇、そしてこの北口氏の悲劇の両方に深く結びつく奇妙な団体が、何かしらの形で一枚噛んでいるのはまず間違いないだろう。我々はこの団体の調査を続ける。もし、この団体や事件について何か知っていることがあるという人は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。


 付記

 北口氏への取材が終わった後、彼の携帯電話に非通知の電話がかかってきた。それ自体は何の変哲もないことだが、電話を切った北口氏は奇妙そうに取材班にこう話した――非通知設定の、聞き覚えのないしわがれた老人の声で、「ハマナソウキチくんをご存じですか」と尋ねてくる電話がかかってきた、と。

 北口氏が戸惑って黙っている間に、電話は切れてしまったという。普通に考えればただの間違い電話だが、老人といえば、先月号の話に出てきた「まがいじじい」を連想してしまう。この奇妙な出来事は、我々の取材に何かしらのつながりを持っているのだろうか? オカルト記者としては、つい勘ぐってしまうところだ。