「利用者:キュアラプラプ/サンドボックス/丁」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
 
(同じ利用者による、間の115版が非表示)
1行目: 1行目:
'''十円ハゲ'''とは、十円硬貨の形状をとるハゲのことである。'''十円玉ハゲ'''、'''十円硬貨ハゲ'''とも。
===『関東カルト児童集団監禁事件』捜査資料:当時の被害児童が残したものとみられる手記===


==概要==
 お母さん、ごめんなさい。ごめんなさい。ここから出してください。ここはせまくて、暗いです。カッターで切られたあとが痛くて、涙が出てきます。もう生ごみを食べるのはいやです。トイレも無いので臭くて気持ち悪いです。ここから出してください。僕のことを思い出してください。僕は偽者ではありません。お母さん、お母さん、ごめんなさい。暗くて不しん者が出るから行くなっていつも言われていたのに、あの時、近道から帰ろうとしてごめんなさい。
十円ハゲは、毛髪境界<ref>ここでは、所与の空間における毛髪の分布について、その毛髪が占める空間とそうでない空間との境界として頭頂球面に沿った二次元または三次元上に現出する図形的な相のことをいう。</ref>が日本国政府の発行する法定通貨・十円青銅貨の形状を持つ頭頂のアスペクトとして定義される。十円ハゲが発生する原因としては、ストレスやアレルギー疾患との合併等による自己免疫疾患・円形脱毛症が最も多いとされる。また、ファッションとして意図的に十円硬貨型の剃りこみを入れた結果としての十円ハゲも多くある。


==類するハゲ==
===2014年5月号掲載「奇妙な儀式と未解決事件……9年前に消えた謎のカルトを追え!」===
十円硬貨以外にも、毛髪境界が何らかの形状をとるハゲは多数報告されている。ここでは、そのようなハゲを列挙する。
{{大喜利|場所=3}}
*一円ハゲ<ref>毛髪境界が一円アルミニウム貨の形状を持つハゲ。</ref>
*五円ハゲ<ref>毛髪境界が五円有孔黄銅貨の形状を持つハゲ。</ref>
*五十円ハゲ<ref>毛髪境界が五十円白銅貨の形状を持つハゲ。</ref>
*百円ハゲ<ref>毛髪境界が百円白銅貨の形状を持つハゲ。</ref>
*五百円ハゲ<ref>毛髪境界が五百円ニッケル黄銅貨または五百円バイカラー・クラッド貨の形状を持つハゲ。</ref>
*ギザ十ハゲ<ref>毛髪境界が1951年から1958年に製造された縁にギザギザがあるタイプの十円青銅貨の形状を持つハゲ。</ref>
*バーコードハゲ<ref>毛髪境界が一次元コードの形状を持つハゲ。</ref>
*QRコードハゲ<ref>毛髪境界が二次元コードの形状を持つハゲ。</ref><ref>「QRコード」はデンソーウェーブ(株)の登録商標です。</ref>
*前方後円墳ハゲ<ref>[[ハッピーランドヘルスセカンド|毛髪境界が前方後円墳の形状を持つハゲ。]]</ref>


==脚注==
 先日の「瀬戸内海の人魚伝説」の調査も終わり、一息ついた「となりのオカルト調査隊」。そんな我々の元に、新しい調査依頼が舞い込んだ。依頼人は、神奈川県某所在住の白坂憲二氏(74歳男性・仮名)である。
<references />
{{vh|vh=50}}
<span style="color:#cccccc">[[ンジャメナ#影響|2008年 地球の陸地面積約1億4724万km²の内約9513万km²が消失]]</span>


「私は、息子夫婦が入会していたある『団体』のことを調べてもらいたいんです」


 白坂氏は、調査隊を自宅に招き、こう語った。彼の深い皺には、往年の苦労が刻まれているようだ。


「私たちは、それは仲のいい家族でしたよ。私と女房、それに一人息子の三人で、笑顔の絶えない家庭だった。やがて息子が結婚し、実家を出ていくと、少し寂しくなりましたけどね、時々孫の綾香を連れて遊びに来るんです。それがもう、お爺ちゃんとお婆ちゃんには嬉しくてたまらないんですよ。綾香はよく懐いてくれました。おもちゃも沢山買ってあげましたよ。お嫁さんもいい人でねえ、うちの女房と会ったその日から友達みたいに仲良くなって。こんな幸せがずっと続くと思っていた。……しかし、そうはならなかったんです」


 調査隊も、重い空気を感じ取った。白坂氏は、固く拳を握りしめて続ける。


「忘れもしない、11年前のことです。一家で夏祭りに行った日だった。綾香はもう9歳になっていました。花火を見たり、出店で遊んだりして、夜も遅いしそろそろ帰ろうか、となった時、綾香がトイレに行きたいと言い出したんです。ちょうど私の女房もトイレがしたかったから、息子夫婦が車を取りに駐車場に行く間に、私と女房で綾香をトイレに連れて行くことになりました。私は女子トイレの前のベンチで待っていましたよ。するとね、しばらくして、女房が真っ青な顔で出てきて、『綾香がいない!』と言うんです。


 どうやらトイレは相当混雑していたみたいで、女房が用を済ませて出てくると、もう綾香の姿は見えなかったらしい。……それから私たちは必死で綾香を捜しました。もちろん、警察も必死で捜してくれました。それなのに、一日経っても、二日経っても、綾香は見つかりませんでした。誘拐されたんです。女房は、自分のせいだと言って、息子夫婦に泣いて謝りました。しかし、トイレの外にいた私が注意していたら、こんなことにはならなかったかもしれない。息子夫婦は私たちを責めるようなことはしませんでしたが、とにかく、あの日を境に、家族はバラバラになってしまったんです」


 日本では、毎年千人を超える児童が行方不明になっている。その多くはわずか数日で発見されるが、中には何十年経っても消息がつかめない例もあるのだ。綾香ちゃんも、失踪から11年が経った今なお、その行方はおろか生死すら分かっていない。


「それからは、捜査の進展も全くなく、息子夫婦とはどんどん疎遠になっていきました。……本題はここからです」


 我々は、いっそう身を引き締めて話に聞き入った。


「最後に息子夫婦に会ったのは、あれから一年ほど経った後です。どうやら息子夫婦はその時、『関東地方誘拐被害児童の家族の会』という団体に入会したみたいでしてね、私らに、『綾香に関係する物がもし残っていたら、渡してほしい』と言うんです。話を聞いてみると、どうやら彼らの会では、『セキホウ』……『痕跡』の『跡』に『奉納』の『奉』で、『跡奉』です。そういう取り組みを行っているらしく、被害児童の持ち物や服などを会に納めて、無事に帰ってくることをお祈りするんだそうです。正直、少し……きな臭さというか。そういうものを感じなかったわけではありませんが、特に拒む理由もないと思って、綾香のために置いてあった箸や食器を渡しました。


 それからまた一年くらいした後、警察から電話が来ました。綾香の件で何か進展があったのかと思いましたが、そうではありませんでした。……息子夫婦の死体が、発見されたんです。それも、遠く離れた栃木県のとある山に埋められて窒息死した、明らかな他殺体だったそうです。私も女房も、愕然となりました」


<p style="text-align:right ; color:#999999">「因循姑息の音」――違う!</p>
 白坂氏は大きな呼吸を置いて、再び話し始めた。


「事件の取り調べの中で、息子夫婦の交友関係について尋ねられた時、私はその『家族の会』のことを話したんです。すると、警察の方は驚いた様子で、慌ただしくどこかに連絡し始めました。なんでも、ちょうどその当時、この会に関わる捜査が別件でなされていたんだそうです。詳しいことまでは、教えてもらえませんでしたけどね。……しかし、結局、息子夫婦の事件も迷宮入りになってしまいました。不思議なことに、息子夫婦には抵抗した痕跡が見つからず、犯人の痕跡も一切残されていなかったそうです。


 それからは、心の傷も癒えぬまま、二人でひっそりと暮らしてきました。あの団体のことなんて忘れていましたよ。ただ女房は、年のせいもあってか、次第に病気がちになってしまってね、半年前にぽっくりと逝ってしまいました。……しかし、ほんの数日前のことです。女房の部屋で、遺品を整理しているとき、思いがけないものが出てきました」


 そう言うと、白坂氏は机の上に一枚の封筒を置き、中身を出した。差出人は、白坂氏の息子になっている。そして消印は平成17年――息子夫婦の遺体が発見された年だった。


「息子は、殺される直前に、この手紙を家によこしていたんです。一体なぜ、女房はこれを隠していたのか……その理由は、すぐに分かりました。どうぞ、手紙の文面を読んでみてください」


 荒い字でそこに書かれていた内容は、にわかには信じがたいものだった。


 文章は、例の「家族の会」への称賛から始まる。「誘拐児たちを取り戻したいという切実な願いを持った親たちの強い結束」……さぞや立派な団体なのだろう。しかし、問題の記述によると、「家族の会」に属する親たちは、会が所有する施設内にいるという「嘘つき」と呼ばれているらしい人物に対し、殴る、蹴る、あるいは熱湯を浴びせる等の暴行を、日常的に行っていたというのだ。白坂氏の息子はこの「嘘つき」のことを異様なほど憎んでいるようで、「生きている価値のない人間の屑」などと貶め、この行為のことを誇らしげに書いている。また、詳細は書かれていないものの、そのような「誇らしい」行為のひとつとして挙げられている「きょうだい跡奉」も不気味だ。白坂氏が言っていたように、「跡奉」が誘拐児童の痕跡を会に納めるものだとすると、この「きょうだい跡奉」は、その誘拐児童のきょうだいの身柄を会に納める行為であるとでもいうのだろうか? 手紙の最後には、「家族の会」の施設に強制捜査が入ったこと、警察の手を逃れるために、近いうちに会が一旦「解散」するということが書かれていた。


「息子は責任感があって、真面目な子でした。……こんな異常なこと、見過ごすはずがありませんよ。きっとこの『家族の会』に変えられて、頭がおかしくなってしまったんです。あの団体は、危険なカルトだったんですよ!」


 白坂氏の語気が荒くなる。


「すみません、少し取り乱してしまいました。とにかく私は、あの『家族の会』がどんなものだったのか、そして息子夫婦の身に何があったのかを、ただ知りたいんです。警察にはこの手紙のことを伝えましたが、捜査はやはり進展しないようだし、『家族の会』のことを聞いても教えてくれません。……しかし、下手に堂々と情報を募ることはできない。こんな田舎ですからね、『あの息子夫婦はキチガイのカルト信者だった』だとか、まず間違いなく近所で噂が立ってしまうでしょう。女房がこの手紙を隠していたのも、きっとそのためだったんです。これ以上、不幸な、かわいそうな息子夫婦の顔に、泥を塗りたくなかったんです。


 本当にわがままで、愚かなお願いだということは百も承知です。聞けば、あなた方の雑誌では、実際に未解決事件を扱い、行き詰っていた捜査を一段進展させたこともあるらしい。……あれから九年経って、ようやく尻尾を掴めたんだ。しかし、こんな老いぼれ一人には何もできやしません。……どうか、お力を貸していただけないでしょうか」


 そう言って、白坂氏は頭を下げた。「となりのオカルト調査隊」は、もとより社会の裏を扱うエキスパート集団である。かくして我々は、白坂氏の素性を全面的に隠匿しながらも、この謎多きカルトの正体に迫るべく、調査を開始することにしたのだ!


<p style="text-align:center ; color:#666666">[[高知マグナム#宮崎内戦|2013年 地球の陸地面積約1億4724万km²の内約2001万km²が消失]]</p>
 実は、我々は既に当時「家族の会」に関わりがあったという人物を見つけ出し、取材のアポを取ることに成功している。この情報は、次号に掲載することになる。この団体や事件について何か知っていることがあるという者は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。


===2014年6月号掲載「カルトに洗脳された妻……夫が覗いた怪しい施設の闇とは」===


 先月号の調査依頼を受け、我々は「関東地方誘拐被害児童の家族の会」の調査を開始した。その過程で連絡を取ることができたのが、茨城県在住の北口和也氏(41歳男性・仮名)である。


「こんな狭いアパートで、すいませんね」


 我々調査隊が北口氏に連絡をとったきっかけは、インターネット上に公開されていた彼のブログである。そのブログは、いたって普通の家庭の生活を記録したものであったが、愛娘の失踪、そして『関東地方誘拐被害児童の家族の会』への妻の入会を書いた13年前の記事を最後に、更新が止まっていた。しかし、調査隊がブログのプロフィールに記載されていたメールアドレスにだめ元で取材依頼を送ってみたところ、なんと連絡を取り合うことに成功。こうして取材を取り付けるに至ったわけだ。


「私が22歳のころだから、19年前ですか。妻とは、当時勤めていた会社で出会いました。職場結婚ってやつです。大事な商談をダメにしちゃった時にも、励ましてくれたりして、気づいたら好きになっていたんです。その勢いのまま、プロポーズでしたよ(笑)。でも、後から聞いた話なんですが、そのとき既に妻は私のことを狙っていたらしいんですね。まんまと策に乗せられてしまったというわけです(笑)」


 北口氏は楽しそうに過去を振り返る。部屋の奥にある棚の上には、家族三人の笑顔の写真が飾られているが、そこに写る北口氏はずいぶんと若々しいままだ。


「結婚してからすぐ、娘もできましてね。私ももう父親かと、なんだか感慨深くなったのを覚えています。娘は元気な子でね、休日にはいつもどこかに遊びに行きたいと駄々をこねて、私たちを困らせましたよ(笑)。あの時は、本当に楽しかったなあ。今でもたまにブログは見ています。娘の笑顔が、よく映っているんです。……そろそろ話を進めましょうか。小学校に入学して、もうすぐ二年生というとき、娘は誘拐されてしまったんです」


 どこか遠くを見つめるように、北口氏は語る。


「きっかけになったのは、入学して半年ほど経って、学校にも慣れてきた頃でした。それまでは私たちが娘の送り迎えをしていたんですが、娘がある日『友達と一緒に登下校したい』と言い出したんです。家も近かったし、通学路も人通りが多かったので、私たちはそれを認めてあげることにしました。それから毎日娘は楽しそうに、友達と一緒に登下校をしていたのですが……あの時の自分の判断を、13年経った今でも強く悔やんでいます。そのせいで、娘はあの日、誘拐されてしまったんです。


 そう、あの日……私たちは知らなかったんですが、いつも一緒に登校する約束をしていた友達が風邪で休んでいたみたいで、娘は一人で学校へ向かっていたらしいんです。そしてその途中で、誘拐されてしまった。娘が来ていないという連絡を学校から受けて、血の気が引きましたよ。警察にも連絡して、大規模な捜査が始まりましたが、一向に娘は見つかりませんでした。私も妻も、焦りと後悔で、パニックに陥りました。……そんなとき、妻が知ったのが、あの『家族の会』だったんです」


 北口氏の妻は、当時一般的になって間もなかったネット掲示板の書き込みから、「家族の会」の存在を知ったのだという。そこから彼女は、日に日にその団体にのめり込んでいくようになったのだ。


「妻は、東京郊外にあるらしい『家族の会』の建物にたびたび行って、会員の方と交流するようになりました。彼女によれば、『家族の会』は不安や苦悩を親身になって聞いてくれて、いろいろな相談にも乗ってくれたそうです。私も当初、妻の話を聞く限りでは、何の変哲もない、それどころか素晴らしい団体だと思っていました。だから、妻が正式に『家族の会』に入会することになったときももちろん反対しませんでした。……後になってみれば、私はこのとき、またも選択を間違えたんです。


<span style="color:#333333">「王政復古の音」――違う!</span>
 おかしなことが起こり始めたのは、それからすぐでした。妻が、娘の部屋にあった物をどこかに持って行ってしまうんです。最初、服やおもちゃを持って行ったときは、少し怪しいとは思いましたが、娘の好きなものを『家族の会』で共有しているのかと思って、自分を納得させていました。しかし、妻は一向にそれらを家に持って帰ってこないばかりか、しまいには娘の使っていた教科書まで持ち出したんですよ。流石におかしい。そう思って直接妻に聞いてみると、彼女は娘の物を勝手に持ち出して、『家族の会』の『跡奉』という取り組みに使っていたということが分かりました」


 「跡奉」――前回の依頼人も話していた、「家族の会」での儀式だ。誘拐の被害にあった児童の残した物を納め、無事に帰ってくることを祈るものだという。


「正直、怖いな、って思ったんです。娘の物は『跡奉』のために一旦置いているだけであって、持ち帰ること自体はいつでもできると言っていました。しかし、妻はあの時、本当に娘の持ち物をすべて家から消し去ろうとしているくらいの気持ちに見えました。何というか、とにかく、異様だったんです。……でも、妻の話を聞く限りでは、『家族の会』は良い団体です。だから、ある日曜日、不安な気持ちを払拭するために、私も妻と一緒に『家族の会』の施設に行ってみることにしたんです。


 カーナビに従い、数時間ほど車を運転して着いたのが、彼らが『本館』と呼んでいる建物でした。東京と言っても、かなり田舎の方で、近くの道路も往来はまばらでしたね。木々に囲まれた『本館』の外見は、コンクリートの打ちっぱなしの直方体といった感じで、シンプルなつくりになっていました。しかし、中に入ってみると、意外に重厚感のある内装で驚いたのを覚えています。壁は落ち着きのあるクリーム色で塗られていて、小さいシャンデリアのようなものが天井に吊り下げられていました。そこで妻に紹介してもらったのが、『家族の会』の代表という立場にあるらしい、アミさんという同年代くらいの女性でした。彼女は生まれつき聴覚に障害を持っているようで、私とは筆談でコミュニケーションをとりました。アミさんによれば、この建物は『家族の会』の先々代、すなわち四代目の代表が、被害者家族たちの憩いの場となるようにと造り上げたものだそうです。


 そこから案内されたのが、奥の扉の先にあった、『跡奉』のために用意されたという、少し大きめの部屋でした。そこにはたくさんの小さな仮設トイレのような個室が並べられており、私は妻に連れられて、その中の娘に割り当てられているという個室のところへ行きました。渡された鍵でロッカーのように扉を開けると、その中には確かに、妻が持ち出した娘の物がきれいに収まっていました。妻は、これで納得しただろう、というふうにこちらを見てきました。……しかし私は、ますますこの団体のことを疑わしく思うようになりました。『跡奉』のやり方も、その目的とは対照的に、うまく言えないんですが……無機質で、奇妙なように思えるし、それ以上に、私がいた間中ずっと、その部屋のあちこちの個室から、ずっと子供の泣き声がしてきたからです。妻によれば、誘拐被害児童のきょうだいを連れてきている親も大勢おり、その子供がぐずっているだけだというのですが、聞こえてくる泣き声は明らかに赤ん坊のものだけではありませんでした。物心ももうついているくらいの子供の声で、号泣しているのが、あちこちから聞こえてきたんです」


 「跡奉」のための部屋に、その被害児童の「きょうだい」……この状況は、前回出てきた「きょうだい跡奉」という儀式に何か関係しているのだろうか?


「明らかに異常だとか、そういったことは断言できません。自分のきょうだいが誘拐された子供が、精神的に不安定になって泣いているだけなのかもしれないし、同じくストレスを感じている親にも、泣いている子供の世話をする余裕が無かったのかもしれない。だから私は、口を出せませんでした。でも、子供の泣き声をずっと聞いていると、言いようのない不安でくらくらしてきて、ここにはいられないと思いました。妻に『もう帰ろう』と言うと、妻は大人しく、『分かった』とだけ答えました。……それから、アミさんにあいさつをして、二人で車に乗り込んだときでした。妻がいきなり、思い出したように『ちょっと別館に行ってくる』と言ったんです。『すぐ戻ってくるから車で待っていてもいい』と言われた私は、もうこの施設に近づきたくなかったので、言われた通りに車で待っていました。


 しかし、一つだけ気になることがありました。『別館』の場所です。入って来た時、正面から見たこの施設には、『本館』しか建物がありませんでしたし、『本館』の裏手にある駐車場からも、『別館』と呼ぶべき建物は見当たりませんでした。不思議に思って、妻が歩いて行った方向をリアガラス越しに見た瞬間、ぞっとしましたよ。妻は『本館』のすぐ裏で、地面の方を向いて、険しい顔で何かを叫んでいたんです。目が合いそうになったので、慌てて前を向きなおしました。……その後、何事も無かったかのように助手席に乗ってきた妻は、本当に私の知る妻なのかと、ひどく恐ろしくなりました」


 北口氏が感じただろう、愛する妻への恐怖は、相当なものだったらしい。北口氏の表情は、過去を回想している中であってさえ、恐ろしげに歪んでいた。


「そして……娘の死体が発見されたのは、その日の夜でした」


 目線を落として、北口氏は続ける。


「消息を絶ってから二週間後のことでした。娘は、他殺体で発見されました。首を絞められて……川に沈められていたそうです。その後すぐ、犯人も逮捕されました。娘は通学路で、車に乗せられて連れ去られ、その後すぐ……。すいません。まだ、このときの話は、うまくできません。とにかく、娘はもういない。もういないということが、分かったんです。分かってしまったんです。それなのに、それなのに妻は……まだ、あの団体で、『娘は戻ってくる』と、言い続けたんです! 必死に説得しました。私もつらかった。妻もつらかったんでしょう。そのせいで、あんなことになってしまったのかもしれない。でも、妻は、妻は……娘の遺体を見ても、『これは偽者だ』と言って聞かなかった……」


<p style="text-align:right ; color:#000000">[[蟹光線#蟹駆除計画|2026年 地球の陸地面積約1億4724万km²の内約9513万km²が消失]]</p>
 調査隊は、北口氏の目に涙が浮かんでいることに気づいた。


「すいません、取り乱してしまって。……私には、もう分からないんですよ。私はどうにか、妻がおかしくなった原因を、あの『家族の会』に押し付けようとしているのかもしれない。本当は、あの団体は何も悪くなくて、ただ妻は、妻の心は娘の死に耐えられなかっただけなのかもしれない。……その後、妻は失踪しました。今に至るまで、妻の姿は見ていません。一応、警察に捜索願は出しましたが、事件性のないただの痴話げんかによる家出として扱われ、捜索は行われませんでした。あの時の家からは、それから三年ほどした後、引っ越しました。こうして、今に至ります。……これが、私の話せる限りの、全てです」


 北口氏の妻は、なぜ狂ってしまったのか、その答えを知る者はいない。しかし、先月号でお伝えした白坂氏の悲劇、そしてこの北口氏の悲劇の両方に深く結びつく奇妙な団体が、何かしらの形で一枚噛んでいるのはまず間違いないだろう。我々はこの団体の調査を続ける。この団体や事件について何か知っていることがあるという者は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。






 '''付記'''


 北口氏への取材が終わった後、彼の携帯電話に非通知の電話がかかってきた。それ自体は何の変哲もないことだが、電話を切った北口氏は奇妙そうに取材班にこう話した――非通知設定の、聞き覚えのないしわがれた高齢男性の声で、「ハマナソウキチくんをご存じですか」と尋ねてくる電話がかかってきた、と。


 北口氏が戸惑って黙っている間に、電話は切れてしまったという。普通に考えればただの間違い電話だが、我々がこの出来事をわざわざ記録したのには理由がある。前回の取材時、我々が白坂氏の自宅を後にした直後、白坂氏から「見知らぬ長身の老人の男が山の方からこちらを覗いてきた」という連絡があったのだ。白坂氏は近隣住民に息子夫婦の件が嗅ぎまわられることを危惧しているようだったが、この奇妙な出来事は、我々の取材を追跡する何者かの存在を示しているのだろうか? オカルト記者としては、つい勘ぐってしまうところだ。


===2014年7月号掲載「陥れられた夫婦は決定的瞬間を捉えた! 終わらないカルトの恐怖」===


 先月号の発売後すぐ、我々のもとに一件のメールが届いた。送り主は群馬県在住の谷美咲氏(37歳女性・仮名)であり、彼女はあの「関東地方誘拐被害児童の家族の会」の施設に夫婦で足を踏み入れたことがあるという。谷氏は取材に快く協力してくれた。


「あれは、加奈がまだ7歳の時でした。加奈は大人しい子で、休日はいつも家で本を読んで過ごしていました。でも、私たち夫婦はアウトドアが好きで、出会ったのも富士山の山頂なんですよ(笑)。だからあの日は、確か三連休だったから、家族でキャンプに行こうって決めたんです。今思えば、そのせいで……。ううん、そんなこと今になって言ったって、しょうがない話ですよね」


 これまで取材した二名と違って、谷氏の表情には悲しさの中にもどこか余裕があるように見える。谷一家は娘を失う悲劇を経験したが、夫婦の絆が引き裂かれることはなく、今は後に産まれた加奈ちゃんの弟・理央くんと共に、家族三人で満ち足りた暮らしを送っているそうだ。理央くんは我々調査隊に興味津々で、本棚にあったUMAの図鑑を見せてくれた。オカルトライターとしては、彼の将来は有望だと言わざるを得ない。


<p style="text-align:center ; color:#000000">'''「文明開化の音」――違う!'''</p>
「私も夫も、加奈との思い出を、悲しいものにしたくないんです。加奈はおっとりしていたけど、時々思いがけないようなことをする子で、いつも家では笑いが絶えませんでした。だから理央にも、あんまり暗い話はしていません。むしろ面白いお姉ちゃんがいたことを覚えていてほしいな、って思うんです。それが、あの子の生きた証になるのかな、って」


 谷氏は顔を上げて続ける。


「すみません、前置きが長くなりましたね。とにかく……10年前のあの日、加奈はキャンプ場でいなくなってしまったんです。今でこそ私たちも落ち着いていますが、当時はもちろんパニックになって、警察の捜査を何もしないで待っていることに耐えられませんでした。そんな時、夫がどこかの雑誌から、あの『家族の会』の存在を知ったんです。私たちは、とにかく悩みや不安を誰かに打ち明けたくて、『家族の会』に連絡しました。その後すぐ、近所のカフェで会ってくれた会員の人は、同じ立場で、本当に親身になって私たちの話を聞いてくれました。私たちの味方はこの人たちしかいない、とまで思った記憶があります。……だけどそれは、人の弱みに付け込んだ、悪質なカルトへの入り口だったんです。


<span style="font-size:150%">Continents Continue</span>
 その会員は、『お祈り』だとか『おまじない』だとかいう言葉を使って、加奈が無事に帰ってくるために私たちにできることを紹介してきました。今思えばとんだ眉唾ものではありますけど、傷ついた私たちにとっては何よりありがたいものでした。そして、そのようなことをするための場所として、郊外にある施設のことを教えてもらったんです。スピリチュアルな話は置いておくにしても、同じ悩みを抱えた『家族の会』のメンバーが集まって交流する場所は、私たちの唯一の居場所のように思えました。だからその次の週末、私たちは早速その施設に行ってみることにしたんです」
----
<blockquote>
<code style="color:blue">> YGT財団 CCアーカイブスへようこそ</code>


<code style="color:blue">> 破棄された音声記録:2026-XX-XX 修復成功</code>
 谷氏の表情はだんだんと険しくなっていく。彼女もまた、前回取材した北口氏のように、奇異な施設の内部の姿を語り始めた。


<code style="color:blue">> オート翻訳システム 実行</code>
「エントランスを抜けて通されたのは、やはりあの『跡奉』の部屋でした。会員の人たちは、『お部屋』と呼ばれていた例の個室のいくつかを開けて中を見せてきました。カフェで事前に聞いた限りでは、私たちは『跡奉』のことを特におかしなものとは思っていなかったんですが、その狭い、ロッカー大の大きさの『お部屋』に子供のおもちゃや服が敷き詰められているのを見ると、違和感を覚えました。子供のために祈るというなら、何もそんな小さなスペースに分けて施錠までしなくたって、広い場所を使ってみんなで一緒にやればいいじゃないですか。でも、ある『お部屋』の一つが開いた瞬間、その違和感は吹き飛びました。この施設はおかしい、という確信に、完全に変わったんです。『お部屋』の中に、猿轡を噛まされて座っている子供がいたんです!


<code style="color:blue">> 結果を表示します</code>
 夫が会員の人に問いただすと、あの人たちは悪びれる様子もなく、これは『きょうだい跡奉』という『跡奉』の一種で、誘拐児童のきょうだいを一緒に納めているだけなのだと言いました。……先月号に掲載されていた北口さんの話では子供の泣き声が聞こえたとありましたが、私たちが行ったのはおそらくその後で、泣き声が猿轡で対策されていたんだと思います。『お部屋』がああいう形である理由は、子供を閉じ込めるのに都合がよかったからなのかもしれません。その子供は無気力な表情でこっちを見ていて、そして……あの『お部屋』の床には、おもちゃや服の上で、排泄物が……そのまま、垂れ流しになっていたんです。とにかく、血の気の引いた私たちは、すぐにそこから離れることにしました。


 すると、『家族の会』の人たちはそれを察知したようで、部屋の出口を塞ぐように立ちふさがって、私たちの腕をつかみ、捕まえようとしてきたんです。あの時感じた恐怖は、今でもありありと覚えています。私は悲鳴も出せず、足が震えて立ちすくんでしまいました。力の強かった夫は、大声を上げながら必死であの人たちを振り払い、私を担いで『本館』から逃げ出しました。後ろからは、私たちに対するたくさんの怒号が聞こえてきました。気が動転していてよく覚えていませんが、確か、『女は嘘つきを見てから帰れ』というような内容だったと思います。私たちはすぐに車に乗って、全速力であの施設を後にしました。震えながらバックミラーを覗くと、『本館』のすぐ裏……北口さんの奥さんが『別館』と呼んでいた場所で、あの人たちがこっちを睨みながら、縄のようなものを使って誰かを引きずり出していました。遠かったし、こちらに背を向けていたのでよく見えなかったのですが、その人は坊主頭で全裸の、痣と皺だらけで腰が曲がった老人のような見た目でした。扱われ方からして、多分あの人が『嘘つき』と呼ばれていた人なんだと思います」


 ついに我々調査隊の中で、今まで疑惑に過ぎなかったものが確信に変わった。「家族の会」は、人々を洗脳し、老人虐待や実子の監禁という異常な行為を強いる、明白な反社会的カルト集団だったのだ!


「先輩……ほんとすいません! 実は今日寝不足で、さっきの会議も完全に居眠りしちゃってて……結局どんな話になったんですか?」
「その後私たちはすぐ、このことを警察に通報しました。警察は、実は『家族の会』に関する同様の通報を同時期に何度か受け取っていたようで、後日対面で詳しく事情を話すことになりました。その時、担当の刑事さんは、加奈のことで私たちを不安にさせて申し訳なかったと言って、何度も何度も頭を下げてきました。でも、私たちの方も申し訳ない思いでいっぱいでした。『家族の会』のことでこんなことになったのは、私たちが警察を信じられなかったなのに。とにかく、警察の準備が整い次第あの施設に強制捜査を行うことを明かしてくれて、ようやく安心したのを覚えています。……しかし、後から聞いた話では、『家族の会』は事前にこれを察知して『きょうだい跡奉』を中断し、その痕跡を完全に隠していたようで、警察の強制捜査もむなしくこの事件は立件できなかったそうです。あのお爺さんも、どこか別の場所に移していたんでしょうかね。


「お前なあ。まあ、しかし、どこから話したものか……」
 私たちはその後すぐに家を引っ越しました。もしかしたら、この家でずっと待っていれば、加奈はいつか何事もなかったようにひょっこり帰って来るんじゃないか、なんて思うこともありました。でも、最初に近所のカフェで『家族の会』の人と接触した時点で、私たちはみすみす家の場所まで教えてしまっていたんです。あの人たちが今にも家に押しかけてくるんじゃないかと思うと、怖くて仕方がありませんでした。だから、加奈のことを思うと辛かったけど、こうして今いる場所に引っ越してきたんです。加奈だって、帰って来るなら、安心できる場所がいいだろうから。それからは何事もなく……加奈は、まだ帰ってきていないけど。それでも、ここで理央が生まれて、元気に育ってくれました。私も夫も、今の暮らしがあるのは理央のおかげだと思っています」


「何やら衝撃的な発表だったらしいってことは聞いてますよ。蟹戦争関連ですよね?」
 谷氏のあたたかい目線が、隣の部屋で遊んでいる理央くんに向かった。


「ああ、そうだ。もしかしたら……この戦況が、ひっくり返るかもしれない」
「理央が産まれることになったとき、実は、少し怖かったんです。もちろんとっても嬉しかったし、幸せでしたよ。だけど、また同じことが……加奈と同じことが起こってしまったらどうしよう、っていう考えが、頭から離れないんです。お医者さんの話を聞いている時も、お腹に加奈がいた時のことがフラッシュバックして、その時の私は、もちろん不安もあったけど、本当に幸せで……。そう考えた時、もうすぐ理央のお母さんになるのに、こんな暗い気持ちになっているなんて、母親失格なんじゃないか、とさえ思えてしまって。だけど……夫がしっかり私の手を握ってくれて、ようやく産まれた小さな理央が、がんばって、がんばって、初めて泣き声を上げたあの瞬間、そんなうじうじした気持ちは吹き飛びました。私が、私たち二人が、絶対に理央を守るんだ、そう心に誓ったんです。


「ど、どういうことですか」
 それから理央は何事もなくすくすくと育っていきました。本を読むのが好きなところは、きっと加奈に似たんでしょうね。……理央が笑ってくれるおかげで、私と夫にもようやく本当の笑顔が戻ってきたんだと思います。最初は、加奈が見つからないまま、私たちだけが幸せになるなんてできない、許せないと思っていたけど、理央の前ではそんなこと言ってられませんよね。理央を不幸にさせてしまったら、お姉ちゃんの加奈にも顔向けできないですよ。だけど、理央が元気で、本当によく笑う明るい子だから、私たちが理央を幸せにするっていうより、むしろ理央のおかげで私たちが幸せになっているっていう方が正しいかな(笑)。今年の春からは小学校に入って、ちょっと反抗期になってますけど(笑)」


「……約半年前、我々の研究班は、ある未探索の海底エリアに不明な遺跡群があることを発見した。彼らはすぐさま調査に向かい、いくつかの人工物であるとみられる物体を持ち帰った。調査時にはそのあまりの損傷によって気づかれていなかったが、研究機関での詳しい検査の結果、人工物のうち二つは、何らかの目的で海中に派遣された無人探査機の残骸であったことが分かった」
 谷一家は、息子のおかげで悲劇に負けなかったのだ――調査隊は今月のページをそう締めくくるはずだった。取材の終わり際、突如としてインターホンの音が響くまでは。


「無人探査機……?」
「ハマナソウキチくんをご存じですか」


「二台の無人探査機には、それぞれ映像記録が残されていた。データの大部分が破損していたが、それでも我々はその七割以上を修復することに成功し、内容を確認した。それは……不可解な映像だった。海中を蠢く謎の黄色い生物を追い、最後にはその生物に吸収される、という映像。二つとも流れはほとんど同じだった。……しかし、何より今回の話題の中心となったのは、探査機が海に派遣される前に映っていた、『YGT財団職員』とかいう奴らの会話だ。彼らが当然のように言うことによれば、{{傍点|文章=北アメリカと西ヨーロッパは西暦2013年に地球上から消滅した}}らしい」
 インターホンの後にかすかに玄関外から聞こえてきたのは、しわがれた老人の声だった。取材班と谷氏は息を呑み、無言で目を見合わせた。前回の北口氏への取材時にかかってきた電話と、あまりにも特徴が一致している。数秒の沈黙の後、気の抜けたインターホンの音が連続で何回も、暴力的に鳴らされ始めた。隣の部屋にいた理央くんは泣き出し、谷氏のもとへ駆け寄ってきた。谷氏は理央くんを固く抱き締めながら、目を見開いて震える。しばらくして、インターホンの音が止んだ後、我々がドアスコープを確認した時には既に訪問者の姿は無かった。我々調査隊の背筋に寒いものが走った。この悲劇は、まだ終わっていないかもしれない。


「は、はあ!? その範囲が消し飛んだのは、蟹戦争によるものでしょう。つい数か月前の話ですよ」
 我々はすぐさまこの件を警察に通報したが、実害が発生していないためか、電話口での対応で済まされてしまった。理央くんが泣き疲れてリビングで眠ってしまった後、谷氏は我々にこう語った。


「ああ、そうだ。我々は非常にこの映像に当惑させられた。手の込んだいたずらだという説は、最初のうちは多くの……消極的な賛成を受けた。しかし、探査機のプログラムが徐々に解析されていき、その中の地形マッピング情報に本当に北アメリカと西ヨーロッパが存在していないことが判明してからは、誰も『この探査機はいわばパラレルワールドから来たのではないか』という意見を笑うことができなくなっていった。その地形情報において、北アメリカと西ヨーロッパがあるはずの陸地領域は、何か人為的なものにえぐり取られたかのように描写されていて、その領域を貫くような線条痕が、周辺海域に刻まれていた」
「……今思い出したんですが、あの『ハマナ』という名字……。確か、『家族の会』の代表の名前は、『浜名亜実』でした。だから、『ハマナソウキチ』はもしかしたら……あの人の誘拐された子供だったかもしれません」


「パ、パラレルワールドって……そんなの……」
 凶悪なカルト団体「家族の会」の脅威は今なお続いているのか? 施設で虐待を受けていた「嘘つき」と呼ばれる老人と、我々の行く先に度々現れる「ハマナソウキチ」を捜す老人……彼らは何者なのか? 我々は危険を顧みず調査を続行する。有力な情報を持ち、我々と共に真相を探りたいと思う者は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。


「そこで我々は、『YGT財団』の調査を開始した。強固な情報統制をしている組織ではあったが、幸いにも蟹戦争の影響で管理システムが少々脆弱になっていたらしく、情報保護の重要度が比較的低いらしい情報の一部を盗み出すことに成功した。いわくYGT財団は、異常な存在から人類を守るために暗躍する組織であるらしい。そこには様々な異常存在への対処に関するプロトコルやデータが記録されていた。……その中で我々が着目したのは、『CCアーカイブス』というサービスだった」
===2014年8月号掲載「『教祖』は口のきけない女? 善良な団体を乗っ取った洗脳術」===


「CCアーカイブス……?」
 我々は今、9年前に解散した危険なカルト団体「関東地方誘拐被害児童の家族の会」を追っている。その中でコンタクトをとることに成功したのが、この「家族の会」がカルトに変貌していった過程を知るという人物、埼玉県在住の酒井正氏(55歳男性・仮名)である。幼い時に兄を誘拐された過去を持つ彼の父親は、以前「家族の会」の代表を務めていたというのだ。酒井氏は我々の取材に快く応じてくれた。


「そこには、音声や画像、動画といった様々な形式で、様々な過去の記録が残されていた。ひとつ共通していたのは、その内容があの映像記録と同様に{{傍点|文章=不可解なものだった}}ということだ。第三次世界大戦が勃発したという2008年のニュースの紙面や、謎のカルト集団が2021年に日本国北海道で蜂起した際の建国宣言の音声……中には、2013年にロシアが謎の破壊兵器を用いて北アメリカと西ヨーロッパを消し飛ばしたという、あの映像記録との関連が強く推測されるような情報もあった」
「……もともと『家族の会』は、子供を誘拐された家族が協力して支え合う、心の拠り所となる場所でした。人を傷つけ、洗脳するようなカルト集団では、断じてありませんでした」


「ちょっと待ってください、つまるところ、これは何を意味しているんですか?」
 埼玉県のあるカフェで、酒井氏はこう切り出した。彼は独り身で、肉親はいない。彼の人生は、兄の誘拐事件によって、決定的に変えられてしまったのだという。


「我々が盗み出せた情報の中には、その真相は記されていなかった。しかし、断片的な情報から推理するにつれて、我々の中には、ある一つの可能性が浮かび上がってきた。……つまり、{{傍点|文章=おそらくYGT財団は破壊された大陸を何度も修復してきている}}ということだ」
「正直、あの時俺は物心がついて間もないころだったから、兄貴の顔もぼんやりとしか覚えていないんです。だけど、兄貴が帰ってこなかった夜のことは鮮明に覚えています。夜七時、晩御飯の時間には、父は兄貴が帰ってきたらうんと叱ってやるんだと言っていました。俺も兄貴も小学生だったけど、兄貴はよくその辺を悪い友達とほっつき歩いていたんです。だけど、それが八時、九時となるにつれ、父も母も落ち着かない様子になってきて、警察に電話する、しないの口論を始めました。俺は何が何だか分からなかったけど、兄貴がいないという異常事態の中で、父と母の明らかに普段と違う、切羽詰まった雰囲気が恐ろしくて、不安になったのを覚えています。子供の目には、大好きな家族が突然別物になってしまったように感じられて、そして……。その日を境に、俺の大好きな家族が元に戻ることはありませんでした。


「大陸を……修復……」
 一週間経っても、兄貴は見つかりませんでした。あのとき兄貴が自力で移動できた範囲は徹底的に捜索されましたが、何の成果もなく、警察はこの失踪を誘拐事件として結論づけました。学校に行くと、最初の内はみんな兄貴の噂話に夢中でしたが、一か月が経つ頃には普段の調子に戻ってマンガやゲームの会話をしていました。だけど、俺の家族が普段通りに戻ることはありません。兄貴は一年経っても見つからず、父と母は毎晩のように喧嘩していました。なのに、二人とも俺の前では無理して明るく振る舞っていて……ひどい話かもしれませんが、幼い俺には、すごく不気味に思えました。……それからさらに半年ほど経った後、母は、家で首を吊って、自殺しました。通夜の時、父は俺を抱き締めて泣きました。父は無骨な感じの人で、こんなに感情をあらわにするところは見たことが無かったから、驚きましたよ。でもあの時、俺はやけに冷静に母の死を受け止めていて、泣いたりもしませんでした。日ごろのストレスで少しおかしくなっていたんだと思います。


「CCアーカイブスに記録されている情報は、すべて何かしら{{傍点|文章=大陸規模の地球の破損}}に関連したものだ。我々の知らないこれらの大陸的ダメージは、当初は何の関係もないパラレルワールドで起きた話だと考えられていた。……しかし、結論としては、これは我々のいるこの世界の……まあ、何と言うか、{{傍点|文章=この世界がこの世界に上書きされる前の過去}}から分岐した世界で起きた話だということで合意された。ここにおいて、CCアーカイブスもそうだし、先の探査機の記録さえ残しているYGT財団が一枚噛んでいるのはまず間違いない。彼らの本分からしても、大陸を修復しているのはおそらくYGT財団なのだろう」
 ともかく、父がその後入会したのが、あの『家族の会』だったんです。父はよく俺を連れて、『家族の会』の施設に行きました。そこには俺たちと同じような境遇の人がいて、俺と同じようにきょうだいを誘拐された子供もいました。あの人たちは、俺たちの話を聞いて、真心を込めて励ましてくれました。生活のための援助を貰うこともしばしばありました。俺は、『家族の会』の人に、手を強く、温かく握ってもらったとき、兄貴が誘拐されてから初めて、ようやく涙を流しました。……父と俺は、『家族の会』のおかげで再び前を向けるようになったと思います。母と一緒にここに来ていれば、俺たちの未来はまた違っていたかもしれません。とにかく、あの時点の『家族の会』は、健全で素晴らしい団体でした。虐待まがいの異常な行為なんて、どこにもなかったんです」


「うーん、いやあ、全然意味わかんないですね。そもそも大陸を修復って、具体的にどういうことなんですか?」
 酒井氏が語る「家族の会」の姿は、我々が今まで調査してきたものと全く異なるものだった。


「ああ、そこがミソなんだよ。この大陸修復のアイデアは、あまりにも浮世離れしていて、非常識で、天才的だ。……お前、『[[十円ハゲ]]』は知ってるよな?」
「兄貴が見つからないまま、あっという間に十年が経ち、俺は上京して就職しました。たまに帰省しても、父と兄貴の話をすることはほとんど無くなりました。ただ、父はその後も『家族の会』で熱心に活動し続けたようで、俺が三十になるころには、五代目として『家族の会』代表の座をその先代が建てた施設ごと継ぎました。その数年後、久しぶりに施設に行ってみると、父は気づけば多くの人に慕われるようになっていて、『自分の家族に起こった悲劇を繰り返してほしくない』と、口癖のように言っていましたよ。……しかし、あの時既に、あの女は……浜名亜実は、『家族の会』に潜んでいたんです」


「え、まあ、そりゃあ知ってますけど……」
 「浜名亜実」……北口氏と谷氏がともに言及した、後に「家族の会」の代表になる女だ。「家族の会」の変貌には、この女が関わっているのだろうか?


「日本国の十円青銅貨の形状をとる毛髪境界の相、十円ハゲ。……実は我々は、この現象を大きく勘違いしていたんだ」
「全てのきっかけは、あの日、父にかかってきた一本の電話でした。……警察が、兄貴の遺体を発見したんです。どうやら、兄貴を誘拐して殺した男が、寿命で死ぬ間際になって犯行を自白したらしく、その男の証言の通りにある山のふもとを掘り返してみると、骨になった兄貴が見つかったということでした。兄貴がいなくなってから、三十数年が経っていました。……父は、絶望的だと分かっていてもなお、兄貴が生きていると信じたかったんでしょう。だから、その望みが打ち砕かれて、茫然としているように見えました。そんな自分を負い目に感じてしまったのか、父は次第に『家族の会』とは距離をとって、一人で家にいることが増えるようになりました。そしてついに、15年前、父は代表を降りて、浜名亜実を正式な六代目代表に任命したんです。


「勘違いも何も、髪の毛のない部分が十円玉みたいに見えるから十円ハゲってだけなんじゃないですか?」
 浜名亜実は、生まれつき耳が聞こえず、言葉を話すこともできなかったそうです。結婚して、長男を産むも、その後すぐに夫の不倫が原因で離婚し、そのうえ中学生になったばかりの一人息子の宗吉くんを誘拐されて……彼女の人生は辛いものだったでしょう。人と比べるようなものではないでしょうが、彼女の息子を思う気持ちは、尋常なものではなかったようです。一種の依存だったんでしょう、あの人は、自分の全てを捧げてでも、息子を取り戻したいと願っていたんです。それでも、彼女にはどこか理知的な魅力があって、他の被害者家族たちと毎日のように文通を交わし、根気強く励ます優しい人だったそうです。代表になる前から、子供の好きだったものを持ってきて共有する取り組み……後の『跡奉』の原型でしょうね。そういうことを始めたりと、積極的に『家族の会』で親睦を深めていました。俺が最初に見たときには、まだ『跡奉』の個室が置かれていないあの部屋で、親たちは輪になっておもちゃやサッカーボールを持ってきて、自分の子供の話に花を咲かせていました。被害児童のきょうだいもちらほら見ましたが、あの時には泣いている子供なんて一人もいませんでした。


「そう、そこだ、そこなんだよ。{{傍点|文章=十円ハゲの成立は十円玉の実在の成立を要求するという勘違い}}。実際には、まったく逆だったんだ。この二項の間にある関係は、『{{傍点|文章=十円ハゲがあるならば}}、{{傍点|文章=すなわち毛髪境界の相が十円玉の形状であることが成立するならば}}、{{傍点|文章=十円玉が形而下的に実在することが成立する}}』というものだったんだ!」
 一方父は、代表を降りてからみるみるうちに衰弱し、ついに肺癌が見つかって入院していました。面会に行くと、父はやはり『家族の会』のことを気にしているようで、『浜名さんがいるから心配ないと思うが、家族の会の人たちを気にかけていてくれないか』としつこく言ってきました。だから、父を安心させるために、俺はあの施設に行ったんです。浜名亜実が会長になって、半年ほど経った頃でした……。その時にはすでに、『家族の会』はおかしくなっていたんです」


「え……? つまり、十円玉が実際に存在しているのは十円ハゲがあるからだ、っていうことですか?」
 谷氏の考えの通り、「ハマナソウキチ」は「家族の会」の代表・浜名亜実の誘拐された息子で間違いないようだ。浜名亜実は、いかにしてカルト団体を作り上げたのだろうか?


「うーん、まあ、もっと正確に言うと、『○○ハゲが成立することは、○○の実在が成立することの{{傍点|文章=十分条件}}である』という話だ。お前のそれは後件肯定だし、さらに言えば、十円ハゲが示すのは、『十円玉が{{傍点|文章=存在している}}』というよりも『十円玉が実際の存在として{{傍点|文章=成立したことがある}}』ということだ。現在の状態には関係なく、ただ過去いつかのタイミングでの『成立』という一点のみを担保する」
「最初に奇妙に思ったのは、施設を訪れてすぐ、見知った会員の人たちと挨拶をしている時でした。普段は応接室として使われていた大きなテーブルが置かれている部屋に、布団がたくさん敷かれていたんです。聞いてみると、最近は皆毎日この施設で寝泊まりするようになったのだと言われました。父が施設を管理しているときはいつも夜には施錠していて、宿泊するなんていう話は聞いたことはなかったし、わざわざ家ではなくこの施設で生活する意味は一体何なのかと、不審に思いました。とはいえ、会員が施設に宿泊しているくらいのことで『家族の会』がおかしくなってしまったとまでは思いませんでした。それを確信したのは、あの『跡奉』の部屋に行こうとした時です。……部屋の内側から、子供が『出して』と言って泣く声と、ドアを叩く音がするんです。ドアはこちら側から鍵がかかっていました。俺は何事かと思ってすぐにドアを開けようとしたんですが、その瞬間、腕をつかまれて制止されました。振り向くと、そこにいたのは浜名亜実でした。あいつは訳の分からないことをホワイトボードに書きなぐってきました。確か……『ごめんなさい、跡奉のためにお部屋には鍵をかけています。気にしないで』と。


「はあ。いや、でも……おかしいですよ。○○ハゲはそもそも、成立要件からしても、○○の形状というその事物の実在に基づいたものを必要としているじゃないですか。それなら{{傍点|文章=必要条件}}ですよ。十円玉が存在しえない世界では、『十円ハゲ』なんていう概念が生まれるはずもありません」
 あのドアには蔦のような装飾が付いた磨りガラスがはめ込まれていて、装飾部分は普通のガラスになっていたから、俺はそれ越しに中の様子を伺おうとしました。あまりよく見えませんでしたが、中には子供が十何人かいるらしく、見覚えがあるような子供もちらほらいました……被害児童のきょうだいです。床には、親たちが持ってきた被害児童のおもちゃ等が散乱していました。ガラスに張り付いて目を凝らしていると、突然、ドアの向こうから手のひらが叩きつけられてきました。しゃがんでドアに近づいていたので、その人の顔や背格好は見えなかったのですが、磨りガラス越しにも、その人が全裸で、腕には深い皺が刻み込まれていることが分かりました。俺は悲鳴をあげて振り向き、会員の人たちの方を見ましたが、誰もこの異常な事態を疑問にも思っていないようでした。……子供の泣き声が響く中、俺はめまいがして、動悸が止まりませんでした。あの時と同じでした。俺の家族と同じように、俺の知る『家族の会』は、別物になってしまったんです」


「話が散らかって来たから、いったん整理するぞ。つまり……まあ、もう感づいたかもしれないが、YGT財団は」
 あの恐ろしい「跡奉」の儀式は、ここから始まったのだ。我々はこれまでに様々なカルト組織への潜入取材企画を行ってきたが、「修行」などと称して閉鎖空間の中で共に寝泊まりし、メンバーの生活や意思をコントロールすることは、洗脳の第一歩であり常套手段である。浜名亜実の狙いはそこにあったのではないだろうか。


</blockquote>
「施設から逃げ出した俺は、このことを父に伝えられませんでした。……父にとって『家族の会』は、新しい家族のようなものだったんだと思います。老いて弱った父には、せめて幸福な家庭の中で余生を過ごさせてやりたかったんです……たとえその幸福な家庭が、最早父の頭の中にしか無かったとしても。結局、数年後に父は癌が全身に転移してあっさり死にました。それ以来俺は、『家族の会』に関わっていません。変わってしまった……変えられてしまった『家族の会』を詮索しても、俺には辛いだけですから」


 取材を終え、酒井氏と別れた調査隊はカフェを出た。このとき、調査隊の編集者の一人は、交差点の人ごみの奥に佇み、こちらを凝視している背高の異様な老人男性を目撃したという。この老人はただの通行人だったのだろうか? 「家族の会」の謎が紐解かれるにつれ、我々につきまとい浜名宗吉くんを捜す老人の謎は深まる一方だ。彼は施設に監禁されていた「嘘つき」であり、宗吉くんを使って浜名亜実への復讐をしようとしているのだろうか? 些細な事でも、何か情報を持っているという者は、月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。


*たしかに実在が毀損されたものならば実在に基づかない形状が存在するが、さっき現状に関係ないって言ったじゃん直りゃしないじゃん
===2014年9月号掲載「洗脳された両親に監禁された少女……彼女を助けた老人の正体は?」===
*正解! それにやったとしてもそれは世界地図にしかならない。だがそれを打破するのが"青林檎"!
 
*大陸は壊されづらいので存在成立が存在とほぼ同義になる
 あらゆるコネクションを通じて「関東地方誘拐被害児童の家族の会」の調査を進めている中、調査隊は一通のメールを受け取った。送り主は栃木県在住の稲田瞳氏(19歳女性・仮名)であり、彼女はなんと幼少期に「きょうだい跡奉」の被害者となって「家族の会」の施設に監禁されていたことがあるというのだ。我々はすぐさま取材を取り付け、彼女の自宅へ向かった。
*アフロ類推の地球球面みなし頭頂→爆音
 
「14年も前のことで、しかも私は当時5歳くらいだったから、私の記憶があやふやだったり、そもそも勘違いだったりすることがあるかもしれないんですけど……。まあ、とにかく、あの『家族の会』について覚えている限りの全てを話そうと思います」

5年7月8日 (K) 12:57時点における最新版

『関東カルト児童集団監禁事件』捜査資料:当時の被害児童が残したものとみられる手記編集

 お母さん、ごめんなさい。ごめんなさい。ここから出してください。ここはせまくて、暗いです。カッターで切られたあとが痛くて、涙が出てきます。もう生ごみを食べるのはいやです。トイレも無いので臭くて気持ち悪いです。ここから出してください。僕のことを思い出してください。僕は偽者ではありません。お母さん、お母さん、ごめんなさい。暗くて不しん者が出るから行くなっていつも言われていたのに、あの時、近道から帰ろうとしてごめんなさい。

2014年5月号掲載「奇妙な儀式と未解決事件……9年前に消えた謎のカルトを追え!」編集

 先日の「瀬戸内海の人魚伝説」の調査も終わり、一息ついた「となりのオカルト調査隊」。そんな我々の元に、新しい調査依頼が舞い込んだ。依頼人は、神奈川県某所在住の白坂憲二氏(74歳男性・仮名)である。

「私は、息子夫婦が入会していたある『団体』のことを調べてもらいたいんです」

 白坂氏は、調査隊を自宅に招き、こう語った。彼の深い皺には、往年の苦労が刻まれているようだ。

「私たちは、それは仲のいい家族でしたよ。私と女房、それに一人息子の三人で、笑顔の絶えない家庭だった。やがて息子が結婚し、実家を出ていくと、少し寂しくなりましたけどね、時々孫の綾香を連れて遊びに来るんです。それがもう、お爺ちゃんとお婆ちゃんには嬉しくてたまらないんですよ。綾香はよく懐いてくれました。おもちゃも沢山買ってあげましたよ。お嫁さんもいい人でねえ、うちの女房と会ったその日から友達みたいに仲良くなって。こんな幸せがずっと続くと思っていた。……しかし、そうはならなかったんです」

 調査隊も、重い空気を感じ取った。白坂氏は、固く拳を握りしめて続ける。

「忘れもしない、11年前のことです。一家で夏祭りに行った日だった。綾香はもう9歳になっていました。花火を見たり、出店で遊んだりして、夜も遅いしそろそろ帰ろうか、となった時、綾香がトイレに行きたいと言い出したんです。ちょうど私の女房もトイレがしたかったから、息子夫婦が車を取りに駐車場に行く間に、私と女房で綾香をトイレに連れて行くことになりました。私は女子トイレの前のベンチで待っていましたよ。するとね、しばらくして、女房が真っ青な顔で出てきて、『綾香がいない!』と言うんです。

 どうやらトイレは相当混雑していたみたいで、女房が用を済ませて出てくると、もう綾香の姿は見えなかったらしい。……それから私たちは必死で綾香を捜しました。もちろん、警察も必死で捜してくれました。それなのに、一日経っても、二日経っても、綾香は見つかりませんでした。誘拐されたんです。女房は、自分のせいだと言って、息子夫婦に泣いて謝りました。しかし、トイレの外にいた私が注意していたら、こんなことにはならなかったかもしれない。息子夫婦は私たちを責めるようなことはしませんでしたが、とにかく、あの日を境に、家族はバラバラになってしまったんです」

 日本では、毎年千人を超える児童が行方不明になっている。その多くはわずか数日で発見されるが、中には何十年経っても消息がつかめない例もあるのだ。綾香ちゃんも、失踪から11年が経った今なお、その行方はおろか生死すら分かっていない。

「それからは、捜査の進展も全くなく、息子夫婦とはどんどん疎遠になっていきました。……本題はここからです」

 我々は、いっそう身を引き締めて話に聞き入った。

「最後に息子夫婦に会ったのは、あれから一年ほど経った後です。どうやら息子夫婦はその時、『関東地方誘拐被害児童の家族の会』という団体に入会したみたいでしてね、私らに、『綾香に関係する物がもし残っていたら、渡してほしい』と言うんです。話を聞いてみると、どうやら彼らの会では、『セキホウ』……『痕跡』の『跡』に『奉納』の『奉』で、『跡奉』です。そういう取り組みを行っているらしく、被害児童の持ち物や服などを会に納めて、無事に帰ってくることをお祈りするんだそうです。正直、少し……きな臭さというか。そういうものを感じなかったわけではありませんが、特に拒む理由もないと思って、綾香のために置いてあった箸や食器を渡しました。

 それからまた一年くらいした後、警察から電話が来ました。綾香の件で何か進展があったのかと思いましたが、そうではありませんでした。……息子夫婦の死体が、発見されたんです。それも、遠く離れた栃木県のとある山に埋められて窒息死した、明らかな他殺体だったそうです。私も女房も、愕然となりました」

 白坂氏は大きな呼吸を置いて、再び話し始めた。

「事件の取り調べの中で、息子夫婦の交友関係について尋ねられた時、私はその『家族の会』のことを話したんです。すると、警察の方は驚いた様子で、慌ただしくどこかに連絡し始めました。なんでも、ちょうどその当時、この会に関わる捜査が別件でなされていたんだそうです。詳しいことまでは、教えてもらえませんでしたけどね。……しかし、結局、息子夫婦の事件も迷宮入りになってしまいました。不思議なことに、息子夫婦には抵抗した痕跡が見つからず、犯人の痕跡も一切残されていなかったそうです。

 それからは、心の傷も癒えぬまま、二人でひっそりと暮らしてきました。あの団体のことなんて忘れていましたよ。ただ女房は、年のせいもあってか、次第に病気がちになってしまってね、半年前にぽっくりと逝ってしまいました。……しかし、ほんの数日前のことです。女房の部屋で、遺品を整理しているとき、思いがけないものが出てきました」

 そう言うと、白坂氏は机の上に一枚の封筒を置き、中身を出した。差出人は、白坂氏の息子になっている。そして消印は平成17年――息子夫婦の遺体が発見された年だった。

「息子は、殺される直前に、この手紙を家によこしていたんです。一体なぜ、女房はこれを隠していたのか……その理由は、すぐに分かりました。どうぞ、手紙の文面を読んでみてください」

 荒い字でそこに書かれていた内容は、にわかには信じがたいものだった。

 文章は、例の「家族の会」への称賛から始まる。「誘拐児たちを取り戻したいという切実な願いを持った親たちの強い結束」……さぞや立派な団体なのだろう。しかし、問題の記述によると、「家族の会」に属する親たちは、会が所有する施設内にいるという「嘘つき」と呼ばれているらしい人物に対し、殴る、蹴る、あるいは熱湯を浴びせる等の暴行を、日常的に行っていたというのだ。白坂氏の息子はこの「嘘つき」のことを異様なほど憎んでいるようで、「生きている価値のない人間の屑」などと貶め、この行為のことを誇らしげに書いている。また、詳細は書かれていないものの、そのような「誇らしい」行為のひとつとして挙げられている「きょうだい跡奉」も不気味だ。白坂氏が言っていたように、「跡奉」が誘拐児童の痕跡を会に納めるものだとすると、この「きょうだい跡奉」は、その誘拐児童のきょうだいの身柄を会に納める行為であるとでもいうのだろうか? 手紙の最後には、「家族の会」の施設に強制捜査が入ったこと、警察の手を逃れるために、近いうちに会が一旦「解散」するということが書かれていた。

「息子は責任感があって、真面目な子でした。……こんな異常なこと、見過ごすはずがありませんよ。きっとこの『家族の会』に変えられて、頭がおかしくなってしまったんです。あの団体は、危険なカルトだったんですよ!」

 白坂氏の語気が荒くなる。

「すみません、少し取り乱してしまいました。とにかく私は、あの『家族の会』がどんなものだったのか、そして息子夫婦の身に何があったのかを、ただ知りたいんです。警察にはこの手紙のことを伝えましたが、捜査はやはり進展しないようだし、『家族の会』のことを聞いても教えてくれません。……しかし、下手に堂々と情報を募ることはできない。こんな田舎ですからね、『あの息子夫婦はキチガイのカルト信者だった』だとか、まず間違いなく近所で噂が立ってしまうでしょう。女房がこの手紙を隠していたのも、きっとそのためだったんです。これ以上、不幸な、かわいそうな息子夫婦の顔に、泥を塗りたくなかったんです。

 本当にわがままで、愚かなお願いだということは百も承知です。聞けば、あなた方の雑誌では、実際に未解決事件を扱い、行き詰っていた捜査を一段進展させたこともあるらしい。……あれから九年経って、ようやく尻尾を掴めたんだ。しかし、こんな老いぼれ一人には何もできやしません。……どうか、お力を貸していただけないでしょうか」

 そう言って、白坂氏は頭を下げた。「となりのオカルト調査隊」は、もとより社会の裏を扱うエキスパート集団である。かくして我々は、白坂氏の素性を全面的に隠匿しながらも、この謎多きカルトの正体に迫るべく、調査を開始することにしたのだ!

 実は、我々は既に当時「家族の会」に関わりがあったという人物を見つけ出し、取材のアポを取ることに成功している。この情報は、次号に掲載することになる。この団体や事件について何か知っていることがあるという者は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。

2014年6月号掲載「カルトに洗脳された妻……夫が覗いた怪しい施設の闇とは」編集

 先月号の調査依頼を受け、我々は「関東地方誘拐被害児童の家族の会」の調査を開始した。その過程で連絡を取ることができたのが、茨城県在住の北口和也氏(41歳男性・仮名)である。

「こんな狭いアパートで、すいませんね」

 我々調査隊が北口氏に連絡をとったきっかけは、インターネット上に公開されていた彼のブログである。そのブログは、いたって普通の家庭の生活を記録したものであったが、愛娘の失踪、そして『関東地方誘拐被害児童の家族の会』への妻の入会を書いた13年前の記事を最後に、更新が止まっていた。しかし、調査隊がブログのプロフィールに記載されていたメールアドレスにだめ元で取材依頼を送ってみたところ、なんと連絡を取り合うことに成功。こうして取材を取り付けるに至ったわけだ。

「私が22歳のころだから、19年前ですか。妻とは、当時勤めていた会社で出会いました。職場結婚ってやつです。大事な商談をダメにしちゃった時にも、励ましてくれたりして、気づいたら好きになっていたんです。その勢いのまま、プロポーズでしたよ(笑)。でも、後から聞いた話なんですが、そのとき既に妻は私のことを狙っていたらしいんですね。まんまと策に乗せられてしまったというわけです(笑)」

 北口氏は楽しそうに過去を振り返る。部屋の奥にある棚の上には、家族三人の笑顔の写真が飾られているが、そこに写る北口氏はずいぶんと若々しいままだ。

「結婚してからすぐ、娘もできましてね。私ももう父親かと、なんだか感慨深くなったのを覚えています。娘は元気な子でね、休日にはいつもどこかに遊びに行きたいと駄々をこねて、私たちを困らせましたよ(笑)。あの時は、本当に楽しかったなあ。今でもたまにブログは見ています。娘の笑顔が、よく映っているんです。……そろそろ話を進めましょうか。小学校に入学して、もうすぐ二年生というとき、娘は誘拐されてしまったんです」

 どこか遠くを見つめるように、北口氏は語る。

「きっかけになったのは、入学して半年ほど経って、学校にも慣れてきた頃でした。それまでは私たちが娘の送り迎えをしていたんですが、娘がある日『友達と一緒に登下校したい』と言い出したんです。家も近かったし、通学路も人通りが多かったので、私たちはそれを認めてあげることにしました。それから毎日娘は楽しそうに、友達と一緒に登下校をしていたのですが……あの時の自分の判断を、13年経った今でも強く悔やんでいます。そのせいで、娘はあの日、誘拐されてしまったんです。

 そう、あの日……私たちは知らなかったんですが、いつも一緒に登校する約束をしていた友達が風邪で休んでいたみたいで、娘は一人で学校へ向かっていたらしいんです。そしてその途中で、誘拐されてしまった。娘が来ていないという連絡を学校から受けて、血の気が引きましたよ。警察にも連絡して、大規模な捜査が始まりましたが、一向に娘は見つかりませんでした。私も妻も、焦りと後悔で、パニックに陥りました。……そんなとき、妻が知ったのが、あの『家族の会』だったんです」

 北口氏の妻は、当時一般的になって間もなかったネット掲示板の書き込みから、「家族の会」の存在を知ったのだという。そこから彼女は、日に日にその団体にのめり込んでいくようになったのだ。

「妻は、東京郊外にあるらしい『家族の会』の建物にたびたび行って、会員の方と交流するようになりました。彼女によれば、『家族の会』は不安や苦悩を親身になって聞いてくれて、いろいろな相談にも乗ってくれたそうです。私も当初、妻の話を聞く限りでは、何の変哲もない、それどころか素晴らしい団体だと思っていました。だから、妻が正式に『家族の会』に入会することになったときももちろん反対しませんでした。……後になってみれば、私はこのとき、またも選択を間違えたんです。

 おかしなことが起こり始めたのは、それからすぐでした。妻が、娘の部屋にあった物をどこかに持って行ってしまうんです。最初、服やおもちゃを持って行ったときは、少し怪しいとは思いましたが、娘の好きなものを『家族の会』で共有しているのかと思って、自分を納得させていました。しかし、妻は一向にそれらを家に持って帰ってこないばかりか、しまいには娘の使っていた教科書まで持ち出したんですよ。流石におかしい。そう思って直接妻に聞いてみると、彼女は娘の物を勝手に持ち出して、『家族の会』の『跡奉』という取り組みに使っていたということが分かりました」

 「跡奉」――前回の依頼人も話していた、「家族の会」での儀式だ。誘拐の被害にあった児童の残した物を納め、無事に帰ってくることを祈るものだという。

「正直、怖いな、って思ったんです。娘の物は『跡奉』のために一旦置いているだけであって、持ち帰ること自体はいつでもできると言っていました。しかし、妻はあの時、本当に娘の持ち物をすべて家から消し去ろうとしているくらいの気持ちに見えました。何というか、とにかく、異様だったんです。……でも、妻の話を聞く限りでは、『家族の会』は良い団体です。だから、ある日曜日、不安な気持ちを払拭するために、私も妻と一緒に『家族の会』の施設に行ってみることにしたんです。

 カーナビに従い、数時間ほど車を運転して着いたのが、彼らが『本館』と呼んでいる建物でした。東京と言っても、かなり田舎の方で、近くの道路も往来はまばらでしたね。木々に囲まれた『本館』の外見は、コンクリートの打ちっぱなしの直方体といった感じで、シンプルなつくりになっていました。しかし、中に入ってみると、意外に重厚感のある内装で驚いたのを覚えています。壁は落ち着きのあるクリーム色で塗られていて、小さいシャンデリアのようなものが天井に吊り下げられていました。そこで妻に紹介してもらったのが、『家族の会』の代表という立場にあるらしい、アミさんという同年代くらいの女性でした。彼女は生まれつき聴覚に障害を持っているようで、私とは筆談でコミュニケーションをとりました。アミさんによれば、この建物は『家族の会』の先々代、すなわち四代目の代表が、被害者家族たちの憩いの場となるようにと造り上げたものだそうです。

 そこから案内されたのが、奥の扉の先にあった、『跡奉』のために用意されたという、少し大きめの部屋でした。そこにはたくさんの小さな仮設トイレのような個室が並べられており、私は妻に連れられて、その中の娘に割り当てられているという個室のところへ行きました。渡された鍵でロッカーのように扉を開けると、その中には確かに、妻が持ち出した娘の物がきれいに収まっていました。妻は、これで納得しただろう、というふうにこちらを見てきました。……しかし私は、ますますこの団体のことを疑わしく思うようになりました。『跡奉』のやり方も、その目的とは対照的に、うまく言えないんですが……無機質で、奇妙なように思えるし、それ以上に、私がいた間中ずっと、その部屋のあちこちの個室から、ずっと子供の泣き声がしてきたからです。妻によれば、誘拐被害児童のきょうだいを連れてきている親も大勢おり、その子供がぐずっているだけだというのですが、聞こえてくる泣き声は明らかに赤ん坊のものだけではありませんでした。物心ももうついているくらいの子供の声で、号泣しているのが、あちこちから聞こえてきたんです」

 「跡奉」のための部屋に、その被害児童の「きょうだい」……この状況は、前回出てきた「きょうだい跡奉」という儀式に何か関係しているのだろうか?

「明らかに異常だとか、そういったことは断言できません。自分のきょうだいが誘拐された子供が、精神的に不安定になって泣いているだけなのかもしれないし、同じくストレスを感じている親にも、泣いている子供の世話をする余裕が無かったのかもしれない。だから私は、口を出せませんでした。でも、子供の泣き声をずっと聞いていると、言いようのない不安でくらくらしてきて、ここにはいられないと思いました。妻に『もう帰ろう』と言うと、妻は大人しく、『分かった』とだけ答えました。……それから、アミさんにあいさつをして、二人で車に乗り込んだときでした。妻がいきなり、思い出したように『ちょっと別館に行ってくる』と言ったんです。『すぐ戻ってくるから車で待っていてもいい』と言われた私は、もうこの施設に近づきたくなかったので、言われた通りに車で待っていました。

 しかし、一つだけ気になることがありました。『別館』の場所です。入って来た時、正面から見たこの施設には、『本館』しか建物がありませんでしたし、『本館』の裏手にある駐車場からも、『別館』と呼ぶべき建物は見当たりませんでした。不思議に思って、妻が歩いて行った方向をリアガラス越しに見た瞬間、ぞっとしましたよ。妻は『本館』のすぐ裏で、地面の方を向いて、険しい顔で何かを叫んでいたんです。目が合いそうになったので、慌てて前を向きなおしました。……その後、何事も無かったかのように助手席に乗ってきた妻は、本当に私の知る妻なのかと、ひどく恐ろしくなりました」

 北口氏が感じただろう、愛する妻への恐怖は、相当なものだったらしい。北口氏の表情は、過去を回想している中であってさえ、恐ろしげに歪んでいた。

「そして……娘の死体が発見されたのは、その日の夜でした」

 目線を落として、北口氏は続ける。

「消息を絶ってから二週間後のことでした。娘は、他殺体で発見されました。首を絞められて……川に沈められていたそうです。その後すぐ、犯人も逮捕されました。娘は通学路で、車に乗せられて連れ去られ、その後すぐ……。すいません。まだ、このときの話は、うまくできません。とにかく、娘はもういない。もういないということが、分かったんです。分かってしまったんです。それなのに、それなのに妻は……まだ、あの団体で、『娘は戻ってくる』と、言い続けたんです! 必死に説得しました。私もつらかった。妻もつらかったんでしょう。そのせいで、あんなことになってしまったのかもしれない。でも、妻は、妻は……娘の遺体を見ても、『これは偽者だ』と言って聞かなかった……」

 調査隊は、北口氏の目に涙が浮かんでいることに気づいた。

「すいません、取り乱してしまって。……私には、もう分からないんですよ。私はどうにか、妻がおかしくなった原因を、あの『家族の会』に押し付けようとしているのかもしれない。本当は、あの団体は何も悪くなくて、ただ妻は、妻の心は娘の死に耐えられなかっただけなのかもしれない。……その後、妻は失踪しました。今に至るまで、妻の姿は見ていません。一応、警察に捜索願は出しましたが、事件性のないただの痴話げんかによる家出として扱われ、捜索は行われませんでした。あの時の家からは、それから三年ほどした後、引っ越しました。こうして、今に至ります。……これが、私の話せる限りの、全てです」

 北口氏の妻は、なぜ狂ってしまったのか、その答えを知る者はいない。しかし、先月号でお伝えした白坂氏の悲劇、そしてこの北口氏の悲劇の両方に深く結びつく奇妙な団体が、何かしらの形で一枚噛んでいるのはまず間違いないだろう。我々はこの団体の調査を続ける。この団体や事件について何か知っていることがあるという者は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。


 付記

 北口氏への取材が終わった後、彼の携帯電話に非通知の電話がかかってきた。それ自体は何の変哲もないことだが、電話を切った北口氏は奇妙そうに取材班にこう話した――非通知設定の、聞き覚えのないしわがれた高齢男性の声で、「ハマナソウキチくんをご存じですか」と尋ねてくる電話がかかってきた、と。

 北口氏が戸惑って黙っている間に、電話は切れてしまったという。普通に考えればただの間違い電話だが、我々がこの出来事をわざわざ記録したのには理由がある。前回の取材時、我々が白坂氏の自宅を後にした直後、白坂氏から「見知らぬ長身の老人の男が山の方からこちらを覗いてきた」という連絡があったのだ。白坂氏は近隣住民に息子夫婦の件が嗅ぎまわられることを危惧しているようだったが、この奇妙な出来事は、我々の取材を追跡する何者かの存在を示しているのだろうか? オカルト記者としては、つい勘ぐってしまうところだ。

2014年7月号掲載「陥れられた夫婦は決定的瞬間を捉えた! 終わらないカルトの恐怖」編集

 先月号の発売後すぐ、我々のもとに一件のメールが届いた。送り主は群馬県在住の谷美咲氏(37歳女性・仮名)であり、彼女はあの「関東地方誘拐被害児童の家族の会」の施設に夫婦で足を踏み入れたことがあるという。谷氏は取材に快く協力してくれた。

「あれは、加奈がまだ7歳の時でした。加奈は大人しい子で、休日はいつも家で本を読んで過ごしていました。でも、私たち夫婦はアウトドアが好きで、出会ったのも富士山の山頂なんですよ(笑)。だからあの日は、確か三連休だったから、家族でキャンプに行こうって決めたんです。今思えば、そのせいで……。ううん、そんなこと今になって言ったって、しょうがない話ですよね」

 これまで取材した二名と違って、谷氏の表情には悲しさの中にもどこか余裕があるように見える。谷一家は娘を失う悲劇を経験したが、夫婦の絆が引き裂かれることはなく、今は後に産まれた加奈ちゃんの弟・理央くんと共に、家族三人で満ち足りた暮らしを送っているそうだ。理央くんは我々調査隊に興味津々で、本棚にあったUMAの図鑑を見せてくれた。オカルトライターとしては、彼の将来は有望だと言わざるを得ない。

「私も夫も、加奈との思い出を、悲しいものにしたくないんです。加奈はおっとりしていたけど、時々思いがけないようなことをする子で、いつも家では笑いが絶えませんでした。だから理央にも、あんまり暗い話はしていません。むしろ面白いお姉ちゃんがいたことを覚えていてほしいな、って思うんです。それが、あの子の生きた証になるのかな、って」

 谷氏は顔を上げて続ける。

「すみません、前置きが長くなりましたね。とにかく……10年前のあの日、加奈はキャンプ場でいなくなってしまったんです。今でこそ私たちも落ち着いていますが、当時はもちろんパニックになって、警察の捜査を何もしないで待っていることに耐えられませんでした。そんな時、夫がどこかの雑誌から、あの『家族の会』の存在を知ったんです。私たちは、とにかく悩みや不安を誰かに打ち明けたくて、『家族の会』に連絡しました。その後すぐ、近所のカフェで会ってくれた会員の人は、同じ立場で、本当に親身になって私たちの話を聞いてくれました。私たちの味方はこの人たちしかいない、とまで思った記憶があります。……だけどそれは、人の弱みに付け込んだ、悪質なカルトへの入り口だったんです。

 その会員は、『お祈り』だとか『おまじない』だとかいう言葉を使って、加奈が無事に帰ってくるために私たちにできることを紹介してきました。今思えばとんだ眉唾ものではありますけど、傷ついた私たちにとっては何よりありがたいものでした。そして、そのようなことをするための場所として、郊外にある施設のことを教えてもらったんです。スピリチュアルな話は置いておくにしても、同じ悩みを抱えた『家族の会』のメンバーが集まって交流する場所は、私たちの唯一の居場所のように思えました。だからその次の週末、私たちは早速その施設に行ってみることにしたんです」

 谷氏の表情はだんだんと険しくなっていく。彼女もまた、前回取材した北口氏のように、奇異な施設の内部の姿を語り始めた。

「エントランスを抜けて通されたのは、やはりあの『跡奉』の部屋でした。会員の人たちは、『お部屋』と呼ばれていた例の個室のいくつかを開けて中を見せてきました。カフェで事前に聞いた限りでは、私たちは『跡奉』のことを特におかしなものとは思っていなかったんですが、その狭い、ロッカー大の大きさの『お部屋』に子供のおもちゃや服が敷き詰められているのを見ると、違和感を覚えました。子供のために祈るというなら、何もそんな小さなスペースに分けて施錠までしなくたって、広い場所を使ってみんなで一緒にやればいいじゃないですか。でも、ある『お部屋』の一つが開いた瞬間、その違和感は吹き飛びました。この施設はおかしい、という確信に、完全に変わったんです。『お部屋』の中に、猿轡を噛まされて座っている子供がいたんです!

 夫が会員の人に問いただすと、あの人たちは悪びれる様子もなく、これは『きょうだい跡奉』という『跡奉』の一種で、誘拐児童のきょうだいを一緒に納めているだけなのだと言いました。……先月号に掲載されていた北口さんの話では子供の泣き声が聞こえたとありましたが、私たちが行ったのはおそらくその後で、泣き声が猿轡で対策されていたんだと思います。『お部屋』がああいう形である理由は、子供を閉じ込めるのに都合がよかったからなのかもしれません。その子供は無気力な表情でこっちを見ていて、そして……あの『お部屋』の床には、おもちゃや服の上で、排泄物が……そのまま、垂れ流しになっていたんです。とにかく、血の気の引いた私たちは、すぐにそこから離れることにしました。

 すると、『家族の会』の人たちはそれを察知したようで、部屋の出口を塞ぐように立ちふさがって、私たちの腕をつかみ、捕まえようとしてきたんです。あの時感じた恐怖は、今でもありありと覚えています。私は悲鳴も出せず、足が震えて立ちすくんでしまいました。力の強かった夫は、大声を上げながら必死であの人たちを振り払い、私を担いで『本館』から逃げ出しました。後ろからは、私たちに対するたくさんの怒号が聞こえてきました。気が動転していてよく覚えていませんが、確か、『女は嘘つきを見てから帰れ』というような内容だったと思います。私たちはすぐに車に乗って、全速力であの施設を後にしました。震えながらバックミラーを覗くと、『本館』のすぐ裏……北口さんの奥さんが『別館』と呼んでいた場所で、あの人たちがこっちを睨みながら、縄のようなものを使って誰かを引きずり出していました。遠かったし、こちらに背を向けていたのでよく見えなかったのですが、その人は坊主頭で全裸の、痣と皺だらけで腰が曲がった老人のような見た目でした。扱われ方からして、多分あの人が『嘘つき』と呼ばれていた人なんだと思います」

 ついに我々調査隊の中で、今まで疑惑に過ぎなかったものが確信に変わった。「家族の会」は、人々を洗脳し、老人虐待や実子の監禁という異常な行為を強いる、明白な反社会的カルト集団だったのだ!

「その後私たちはすぐ、このことを警察に通報しました。警察は、実は『家族の会』に関する同様の通報を同時期に何度か受け取っていたようで、後日対面で詳しく事情を話すことになりました。その時、担当の刑事さんは、加奈のことで私たちを不安にさせて申し訳なかったと言って、何度も何度も頭を下げてきました。でも、私たちの方も申し訳ない思いでいっぱいでした。『家族の会』のことでこんなことになったのは、私たちが警察を信じられなかったなのに。とにかく、警察の準備が整い次第あの施設に強制捜査を行うことを明かしてくれて、ようやく安心したのを覚えています。……しかし、後から聞いた話では、『家族の会』は事前にこれを察知して『きょうだい跡奉』を中断し、その痕跡を完全に隠していたようで、警察の強制捜査もむなしくこの事件は立件できなかったそうです。あのお爺さんも、どこか別の場所に移していたんでしょうかね。

 私たちはその後すぐに家を引っ越しました。もしかしたら、この家でずっと待っていれば、加奈はいつか何事もなかったようにひょっこり帰って来るんじゃないか、なんて思うこともありました。でも、最初に近所のカフェで『家族の会』の人と接触した時点で、私たちはみすみす家の場所まで教えてしまっていたんです。あの人たちが今にも家に押しかけてくるんじゃないかと思うと、怖くて仕方がありませんでした。だから、加奈のことを思うと辛かったけど、こうして今いる場所に引っ越してきたんです。加奈だって、帰って来るなら、安心できる場所がいいだろうから。それからは何事もなく……加奈は、まだ帰ってきていないけど。それでも、ここで理央が生まれて、元気に育ってくれました。私も夫も、今の暮らしがあるのは理央のおかげだと思っています」

 谷氏のあたたかい目線が、隣の部屋で遊んでいる理央くんに向かった。

「理央が産まれることになったとき、実は、少し怖かったんです。もちろんとっても嬉しかったし、幸せでしたよ。だけど、また同じことが……加奈と同じことが起こってしまったらどうしよう、っていう考えが、頭から離れないんです。お医者さんの話を聞いている時も、お腹に加奈がいた時のことがフラッシュバックして、その時の私は、もちろん不安もあったけど、本当に幸せで……。そう考えた時、もうすぐ理央のお母さんになるのに、こんな暗い気持ちになっているなんて、母親失格なんじゃないか、とさえ思えてしまって。だけど……夫がしっかり私の手を握ってくれて、ようやく産まれた小さな理央が、がんばって、がんばって、初めて泣き声を上げたあの瞬間、そんなうじうじした気持ちは吹き飛びました。私が、私たち二人が、絶対に理央を守るんだ、そう心に誓ったんです。

 それから理央は何事もなくすくすくと育っていきました。本を読むのが好きなところは、きっと加奈に似たんでしょうね。……理央が笑ってくれるおかげで、私と夫にもようやく本当の笑顔が戻ってきたんだと思います。最初は、加奈が見つからないまま、私たちだけが幸せになるなんてできない、許せないと思っていたけど、理央の前ではそんなこと言ってられませんよね。理央を不幸にさせてしまったら、お姉ちゃんの加奈にも顔向けできないですよ。だけど、理央が元気で、本当によく笑う明るい子だから、私たちが理央を幸せにするっていうより、むしろ理央のおかげで私たちが幸せになっているっていう方が正しいかな(笑)。今年の春からは小学校に入って、ちょっと反抗期になってますけど(笑)」

 谷一家は、息子のおかげで悲劇に負けなかったのだ――調査隊は今月のページをそう締めくくるはずだった。取材の終わり際、突如としてインターホンの音が響くまでは。

「ハマナソウキチくんをご存じですか」

 インターホンの後にかすかに玄関外から聞こえてきたのは、しわがれた老人の声だった。取材班と谷氏は息を呑み、無言で目を見合わせた。前回の北口氏への取材時にかかってきた電話と、あまりにも特徴が一致している。数秒の沈黙の後、気の抜けたインターホンの音が連続で何回も、暴力的に鳴らされ始めた。隣の部屋にいた理央くんは泣き出し、谷氏のもとへ駆け寄ってきた。谷氏は理央くんを固く抱き締めながら、目を見開いて震える。しばらくして、インターホンの音が止んだ後、我々がドアスコープを確認した時には既に訪問者の姿は無かった。我々調査隊の背筋に寒いものが走った。この悲劇は、まだ終わっていないかもしれない。

 我々はすぐさまこの件を警察に通報したが、実害が発生していないためか、電話口での対応で済まされてしまった。理央くんが泣き疲れてリビングで眠ってしまった後、谷氏は我々にこう語った。

「……今思い出したんですが、あの『ハマナ』という名字……。確か、『家族の会』の代表の名前は、『浜名亜実』でした。だから、『ハマナソウキチ』はもしかしたら……あの人の誘拐された子供だったかもしれません」

 凶悪なカルト団体「家族の会」の脅威は今なお続いているのか? 施設で虐待を受けていた「嘘つき」と呼ばれる老人と、我々の行く先に度々現れる「ハマナソウキチ」を捜す老人……彼らは何者なのか? 我々は危険を顧みず調査を続行する。有力な情報を持ち、我々と共に真相を探りたいと思う者は、すぐさま月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。

2014年8月号掲載「『教祖』は口のきけない女? 善良な団体を乗っ取った洗脳術」編集

 我々は今、9年前に解散した危険なカルト団体「関東地方誘拐被害児童の家族の会」を追っている。その中でコンタクトをとることに成功したのが、この「家族の会」がカルトに変貌していった過程を知るという人物、埼玉県在住の酒井正氏(55歳男性・仮名)である。幼い時に兄を誘拐された過去を持つ彼の父親は、以前「家族の会」の代表を務めていたというのだ。酒井氏は我々の取材に快く応じてくれた。

「……もともと『家族の会』は、子供を誘拐された家族が協力して支え合う、心の拠り所となる場所でした。人を傷つけ、洗脳するようなカルト集団では、断じてありませんでした」

 埼玉県のあるカフェで、酒井氏はこう切り出した。彼は独り身で、肉親はいない。彼の人生は、兄の誘拐事件によって、決定的に変えられてしまったのだという。

「正直、あの時俺は物心がついて間もないころだったから、兄貴の顔もぼんやりとしか覚えていないんです。だけど、兄貴が帰ってこなかった夜のことは鮮明に覚えています。夜七時、晩御飯の時間には、父は兄貴が帰ってきたらうんと叱ってやるんだと言っていました。俺も兄貴も小学生だったけど、兄貴はよくその辺を悪い友達とほっつき歩いていたんです。だけど、それが八時、九時となるにつれ、父も母も落ち着かない様子になってきて、警察に電話する、しないの口論を始めました。俺は何が何だか分からなかったけど、兄貴がいないという異常事態の中で、父と母の明らかに普段と違う、切羽詰まった雰囲気が恐ろしくて、不安になったのを覚えています。子供の目には、大好きな家族が突然別物になってしまったように感じられて、そして……。その日を境に、俺の大好きな家族が元に戻ることはありませんでした。

 一週間経っても、兄貴は見つかりませんでした。あのとき兄貴が自力で移動できた範囲は徹底的に捜索されましたが、何の成果もなく、警察はこの失踪を誘拐事件として結論づけました。学校に行くと、最初の内はみんな兄貴の噂話に夢中でしたが、一か月が経つ頃には普段の調子に戻ってマンガやゲームの会話をしていました。だけど、俺の家族が普段通りに戻ることはありません。兄貴は一年経っても見つからず、父と母は毎晩のように喧嘩していました。なのに、二人とも俺の前では無理して明るく振る舞っていて……ひどい話かもしれませんが、幼い俺には、すごく不気味に思えました。……それからさらに半年ほど経った後、母は、家で首を吊って、自殺しました。通夜の時、父は俺を抱き締めて泣きました。父は無骨な感じの人で、こんなに感情をあらわにするところは見たことが無かったから、驚きましたよ。でもあの時、俺はやけに冷静に母の死を受け止めていて、泣いたりもしませんでした。日ごろのストレスで少しおかしくなっていたんだと思います。

 ともかく、父がその後入会したのが、あの『家族の会』だったんです。父はよく俺を連れて、『家族の会』の施設に行きました。そこには俺たちと同じような境遇の人がいて、俺と同じようにきょうだいを誘拐された子供もいました。あの人たちは、俺たちの話を聞いて、真心を込めて励ましてくれました。生活のための援助を貰うこともしばしばありました。俺は、『家族の会』の人に、手を強く、温かく握ってもらったとき、兄貴が誘拐されてから初めて、ようやく涙を流しました。……父と俺は、『家族の会』のおかげで再び前を向けるようになったと思います。母と一緒にここに来ていれば、俺たちの未来はまた違っていたかもしれません。とにかく、あの時点の『家族の会』は、健全で素晴らしい団体でした。虐待まがいの異常な行為なんて、どこにもなかったんです」

 酒井氏が語る「家族の会」の姿は、我々が今まで調査してきたものと全く異なるものだった。

「兄貴が見つからないまま、あっという間に十年が経ち、俺は上京して就職しました。たまに帰省しても、父と兄貴の話をすることはほとんど無くなりました。ただ、父はその後も『家族の会』で熱心に活動し続けたようで、俺が三十になるころには、五代目として『家族の会』代表の座をその先代が建てた施設ごと継ぎました。その数年後、久しぶりに施設に行ってみると、父は気づけば多くの人に慕われるようになっていて、『自分の家族に起こった悲劇を繰り返してほしくない』と、口癖のように言っていましたよ。……しかし、あの時既に、あの女は……浜名亜実は、『家族の会』に潜んでいたんです」

 「浜名亜実」……北口氏と谷氏がともに言及した、後に「家族の会」の代表になる女だ。「家族の会」の変貌には、この女が関わっているのだろうか?

「全てのきっかけは、あの日、父にかかってきた一本の電話でした。……警察が、兄貴の遺体を発見したんです。どうやら、兄貴を誘拐して殺した男が、寿命で死ぬ間際になって犯行を自白したらしく、その男の証言の通りにある山のふもとを掘り返してみると、骨になった兄貴が見つかったということでした。兄貴がいなくなってから、三十数年が経っていました。……父は、絶望的だと分かっていてもなお、兄貴が生きていると信じたかったんでしょう。だから、その望みが打ち砕かれて、茫然としているように見えました。そんな自分を負い目に感じてしまったのか、父は次第に『家族の会』とは距離をとって、一人で家にいることが増えるようになりました。そしてついに、15年前、父は代表を降りて、浜名亜実を正式な六代目代表に任命したんです。

 浜名亜実は、生まれつき耳が聞こえず、言葉を話すこともできなかったそうです。結婚して、長男を産むも、その後すぐに夫の不倫が原因で離婚し、そのうえ中学生になったばかりの一人息子の宗吉くんを誘拐されて……彼女の人生は辛いものだったでしょう。人と比べるようなものではないでしょうが、彼女の息子を思う気持ちは、尋常なものではなかったようです。一種の依存だったんでしょう、あの人は、自分の全てを捧げてでも、息子を取り戻したいと願っていたんです。それでも、彼女にはどこか理知的な魅力があって、他の被害者家族たちと毎日のように文通を交わし、根気強く励ます優しい人だったそうです。代表になる前から、子供の好きだったものを持ってきて共有する取り組み……後の『跡奉』の原型でしょうね。そういうことを始めたりと、積極的に『家族の会』で親睦を深めていました。俺が最初に見たときには、まだ『跡奉』の個室が置かれていないあの部屋で、親たちは輪になっておもちゃやサッカーボールを持ってきて、自分の子供の話に花を咲かせていました。被害児童のきょうだいもちらほら見ましたが、あの時には泣いている子供なんて一人もいませんでした。

 一方父は、代表を降りてからみるみるうちに衰弱し、ついに肺癌が見つかって入院していました。面会に行くと、父はやはり『家族の会』のことを気にしているようで、『浜名さんがいるから心配ないと思うが、家族の会の人たちを気にかけていてくれないか』としつこく言ってきました。だから、父を安心させるために、俺はあの施設に行ったんです。浜名亜実が会長になって、半年ほど経った頃でした……。その時にはすでに、『家族の会』はおかしくなっていたんです」

 谷氏の考えの通り、「ハマナソウキチ」は「家族の会」の代表・浜名亜実の誘拐された息子で間違いないようだ。浜名亜実は、いかにしてカルト団体を作り上げたのだろうか?

「最初に奇妙に思ったのは、施設を訪れてすぐ、見知った会員の人たちと挨拶をしている時でした。普段は応接室として使われていた大きなテーブルが置かれている部屋に、布団がたくさん敷かれていたんです。聞いてみると、最近は皆毎日この施設で寝泊まりするようになったのだと言われました。父が施設を管理しているときはいつも夜には施錠していて、宿泊するなんていう話は聞いたことはなかったし、わざわざ家ではなくこの施設で生活する意味は一体何なのかと、不審に思いました。とはいえ、会員が施設に宿泊しているくらいのことで『家族の会』がおかしくなってしまったとまでは思いませんでした。それを確信したのは、あの『跡奉』の部屋に行こうとした時です。……部屋の内側から、子供が『出して』と言って泣く声と、ドアを叩く音がするんです。ドアはこちら側から鍵がかかっていました。俺は何事かと思ってすぐにドアを開けようとしたんですが、その瞬間、腕をつかまれて制止されました。振り向くと、そこにいたのは浜名亜実でした。あいつは訳の分からないことをホワイトボードに書きなぐってきました。確か……『ごめんなさい、跡奉のためにお部屋には鍵をかけています。気にしないで』と。

 あのドアには蔦のような装飾が付いた磨りガラスがはめ込まれていて、装飾部分は普通のガラスになっていたから、俺はそれ越しに中の様子を伺おうとしました。あまりよく見えませんでしたが、中には子供が十何人かいるらしく、見覚えがあるような子供もちらほらいました……被害児童のきょうだいです。床には、親たちが持ってきた被害児童のおもちゃ等が散乱していました。ガラスに張り付いて目を凝らしていると、突然、ドアの向こうから手のひらが叩きつけられてきました。しゃがんでドアに近づいていたので、その人の顔や背格好は見えなかったのですが、磨りガラス越しにも、その人が全裸で、腕には深い皺が刻み込まれていることが分かりました。俺は悲鳴をあげて振り向き、会員の人たちの方を見ましたが、誰もこの異常な事態を疑問にも思っていないようでした。……子供の泣き声が響く中、俺はめまいがして、動悸が止まりませんでした。あの時と同じでした。俺の家族と同じように、俺の知る『家族の会』は、別物になってしまったんです」

 あの恐ろしい「跡奉」の儀式は、ここから始まったのだ。我々はこれまでに様々なカルト組織への潜入取材企画を行ってきたが、「修行」などと称して閉鎖空間の中で共に寝泊まりし、メンバーの生活や意思をコントロールすることは、洗脳の第一歩であり常套手段である。浜名亜実の狙いはそこにあったのではないだろうか。

「施設から逃げ出した俺は、このことを父に伝えられませんでした。……父にとって『家族の会』は、新しい家族のようなものだったんだと思います。老いて弱った父には、せめて幸福な家庭の中で余生を過ごさせてやりたかったんです……たとえその幸福な家庭が、最早父の頭の中にしか無かったとしても。結局、数年後に父は癌が全身に転移してあっさり死にました。それ以来俺は、『家族の会』に関わっていません。変わってしまった……変えられてしまった『家族の会』を詮索しても、俺には辛いだけですから」

 取材を終え、酒井氏と別れた調査隊はカフェを出た。このとき、調査隊の編集者の一人は、交差点の人ごみの奥に佇み、こちらを凝視している背高の異様な老人男性を目撃したという。この老人はただの通行人だったのだろうか? 「家族の会」の謎が紐解かれるにつれ、我々につきまとい浜名宗吉くんを捜す老人の謎は深まる一方だ。彼は施設に監禁されていた「嘘つき」であり、宗吉くんを使って浜名亜実への復讐をしようとしているのだろうか? 些細な事でも、何か情報を持っているという者は、月刊ディメンション編集部・オカルト係に問い合わせてほしい。それでは読者諸君、次号の「となりのオカルト調査隊」でまた会おう。

2014年9月号掲載「洗脳された両親に監禁された少女……彼女を助けた老人の正体は?」編集

 あらゆるコネクションを通じて「関東地方誘拐被害児童の家族の会」の調査を進めている中、調査隊は一通のメールを受け取った。送り主は栃木県在住の稲田瞳氏(19歳女性・仮名)であり、彼女はなんと幼少期に「きょうだい跡奉」の被害者となって「家族の会」の施設に監禁されていたことがあるというのだ。我々はすぐさま取材を取り付け、彼女の自宅へ向かった。

「14年も前のことで、しかも私は当時5歳くらいだったから、私の記憶があやふやだったり、そもそも勘違いだったりすることがあるかもしれないんですけど……。まあ、とにかく、あの『家族の会』について覚えている限りの全てを話そうと思います」