「利用者:Notorious/サンドボックス/コンテスト」の版間の差分

提供:WikiWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし
77行目: 77行目:
<br> カフェから誰か出てくる様子はない。吊り橋を渡りきると、クーラーボックスを開いて中から箱を二つ取り出した。箱、手製の爆弾をガムテープで橋の板の左端にくっつける。もう一つは右に。
<br> カフェから誰か出てくる様子はない。吊り橋を渡りきると、クーラーボックスを開いて中から箱を二つ取り出した。箱、手製の爆弾をガムテープで橋の板の左端にくっつける。もう一つは右に。
<br>「ここ、橋の端じゃないか。ヒヒッ」
<br>「ここ、橋の端じゃないか。ヒヒッ」
<br> 橋の一番こちら側の足板が、二つの爆弾に挟まれた形だ。
<br> 橋の一番こちら側の足板が、二つの爆弾に挟まれた形だ。一度、問いかけてみる。
<br>「さて、ここが最終ポイントだ。今ならまだ引き返せる。どうだ?」
<br>「さて、ここが最終ポイントだ。今ならまだ引き返せる。どうだ?」
<br> 一片の迷いもない。それが回答だった。
<br> 迷いはない。それが回答だった。
<br>「よし、始めようか」
<br>「よし、始めようか」
<br> 箱のスイッチを押し、走って離れる。きっかり五秒後、爆音が鳴った。白い煙と木片が散り、少し遅れてギギイと断末魔の軋みが鳴り響く。煙の奥で、吊り橋が落ちていくのが見えた。
<br> 箱のスイッチを押し、走って離れる。きっかり五秒後、爆音が鳴った。白い煙と木片が散り、少し遅れてギギイと断末魔の軋みが鳴り響く。煙の奥で、吊り橋が落ちていくのが見えた。
<br> 思わず快哉を叫んで、煙を払って橋の袂に駆け寄った。まだ熱い空気の中に飛び込み、谷を覗き込むと、巨大な振り子と化した橋が、対岸の崖にぶつかって砕け散るところだった。轟音が一瞬遅れて耳に届く。
<br> 思わず快哉を叫んで、煙を払って橋の袂に駆け寄った。まだ熱い空気の中に飛び込み、谷を覗き込むと、巨大な振り子と化した橋が、対岸の崖にぶつかって砕け散るところだった。轟音が一瞬遅れて耳に届く。
<br> 壮観だった。心が多幸感に包まれる。これだ、と俺は気づいた。俺はこれがしたかったんだ。何かを、思いっきり壊したかったんだ。
<br> これは、俺の、種岡光の名を世に知らしめる、始まりのゴングだ。
<br> もっと余韻に包まれていたかったが、そうもいかない。すぐに獲物たちが様子を見にくるだろう。その前に準備を整えねば。名残惜しいが、俺は谷底から視線を切り、荷物を置いたところまで小走りで戻った。
<br> もっと余韻に浸っていたかったが、のんびりしてはいられない。さっきの轟音を聞きつけて、人が出てくるだろうからだ。その前に準備しておかねばならない。名残惜しかったが、谷底から視線を切って、置いていたギターケースのところまで小走りに戻る。
 
 野崎綾子が玄関から駆け出してきたのは、俺が丁度荷物の一つをギターケースから取り出したところだった。彼女はまず落ちた橋を見て絶句した。開店のために整備した橋が初日に崩れたのだ。ショックを受けるのは当然だろう。「そんな……」と呟いて、そろそろと橋が架かっていた崖の縁に歩いていく。
<br> 彼女が崖っぷちギリギリまで行くのを待って、俺は「野崎さん」と声をかけた。はっと振り返った彼女は、口にしようとした言葉を寸前で飲み込んだ。代わりに、俺が持っているものを指さして言う。
<br>「種岡さん……それ何です……?」
<br>「ああ、猟銃ですよ」
<br> ブローニングのスライド式散弾銃。弾は今さっき装填した。俺はその筒先を、ゆっくりと持ち上げていく。野崎綾子は、怯えた目で二人を交互に見ていた。いたずらですよ、そう俺たちが笑って言うのを待っているのかもしれない。だが、その時は永遠に来ない。
<br> 俺はずらしていた耳当てを直し、銃を右肩の前に構えた。事態の深刻さを悟ったのか、野崎綾子の口がパクパクと動いていたが、聞こえない。狙いをしっかり定めると、俺は絞るように引き金を引いた。
<br> 強烈な反動とくぐもった音が襲う。同時に、割烹着に赤い華が躍って、女はひゅんと崖下に吸い込まれた。散弾に吹っ飛ばされ、谷底へと落ちたのだ。最初に覚えたのは、可笑しさだった。女は、まるでゲームの面白いバグみたいに落ちていった。
<br> 笑いに肩を震わせながら、先台をがしゃりとスライドさせて薬莢を排出する。新しい実包をズボンのポケットから取り出して、また先台を動かして籠める。幸先のいいスタートだ。銃の扱いも、練習通りにうまくできている。
<br> ギターケースから、日本刀を取り出した。背負えるように鞘につけた紐を、肩に通す。ケースの蓋は開けたまま、熱を持った銃を持ち直すと、俺は道明庵の玄関へと歩を進めた。
 
==獲物==
 花火のような轟音が鳴ってから、部屋は静まりかえっていた。その後にも、ドンという音が聞こえてきた。様子を見にいった綾子さんはまだ戻ってこない。大部屋の皆は、玄関の方を中途半端に見遣って、不安げな顔で見つめ合うばかりだった。
<br> 僕の心にも、何か悪い予感が渦巻いていた。
<br>「上原さん……何があったんでしょう?」
<br>「さあ……でも、きっと大したことじゃないよ」
<br> 高島さんが不安そうに問いかけてくるが、ぎこちなく気休めを言うことしかできなかった。僕の脳内では、あの音がぐるぐるとリフレインしている。まるで、花火のような、爆発のような、それとも……。
 
 その時、廊下を歩く足音が聞こえてきた。それだけ部屋は静まっていたのか、と驚く。一人の陽気なお爺さんが、廊下に続く襖を開けた。
<br>「綾子さん、何があったんで……」
<br> お爺さんの表情が変わった。目を瞠って驚いた声を出す。
<br>「あんた、種岡の倅か? どうし」
<br> 轟音と共に、お爺さんの体が吹っ飛んだ。机の上にどさりと倒れ、胸に空いた黒々とした穴から血の池が広がっていく。
<br> 誰も、動けなかった。わずかな物音すらも発さず、ただ銃声が耳の奥でわんわんと反響している。
<br> ドンっと女の人の頭が吹き飛んだ。襖の横に立っていた体が、ごとりと崩れ落ちる。
<br> それが合図だったかのように、人々は弾かれたように動き出した。幾重もの悲鳴が交錯し、頽れ、逃げ出し、飛び退る。約半数はその場で硬直し、残り半数は縁側から庭に飛び降りた。僕は、動けなかった方の半数だった。ようやく、脳が事態を把握する。銃撃だ。廊下の奥に、銃を乱射している殺人鬼がいる。
<br> また一人、腰を抜かしていた男の人が撃たれた。腹に風穴が空き、禿頭が血溜まりに沈む。
<br> 僕はやっと立ち上がった。心臓を鷲掴みにするような恐怖に襲われる。高島さんの手を引いて起こす。
<br>「にっ、逃げないとっ」
<br> 縁側に走ろうとして、踏みとどまる。犯人が廊下のすぐそこまで来ていたら、縁側は射角に入る。逃げるべきは、逆じゃないか?
<br>「こっち!」
<br> 

3年2月25日 (来) 20:33時点における版

酒谷市喫茶店殺傷事件
場所 古民家カフェ「道明庵」
日付 2023年4月1日
概要 喫茶店の開店祝いに集まっていた人々を殺傷した。
凶器 猟銃、日本刀
死者 19人
生存者 1人

酒谷市喫茶店殺傷事件は、2023年4月1日に発生した無差別殺傷事件。

その場所と被害者数から、古民家カフェの惨劇と言われることもある。

犯人は、喫茶店にいた人々を孤立させた上で、凶行に及んだ。客のほとんどが命を奪われたが、事件発生から約一時間後に客の一人が実行犯の種岡光を返り討ちにすることに成功し、事件は終結した。

生存者は、一人だけであった。

獲物

 細い吊り橋を、遥か下方を流れる川のせせらぎを聞きながら渡る。木製の板が、微かに軋んでいる。細いといえど、人が余裕を持ってすれ違える程度の幅はある。さすがに車は通れないから、橋の袂の駐車場に駐めないといけないが。新しいもののようで、吊り橋につきものなスリルは味わわずに済みそうだ。
 対岸に着くと、目の前に小洒落た建物が姿を現す。年季の入った茅葺きの屋根と木の壁。開放された玄関の前には幟が二本翻っており、「古民家カフェ 道明庵」「新規オープン」の文字が見てとれる。
 僕が一昨年までお世話になっていた大家さん、野坂さん夫妻がこのたび古民家カフェをオープンした。不動産業でこつこつ蓄えた彼らは、遂に夫婦で店を経営するという積年の夢を叶えたのだ。僕が大学時代を過ごした下宿も売り払われて、これからはここの経営に専念するらしい。四十路を越えた野崎夫婦にとって、かなり大きな決断だが、そのぶん夢が叶った充実感も大きいだろう。
 夫妻と親しくしていた僕にも、今日の開店祝いへの招待が来て、こうしてここを訪れている。ありがたいことだ。
 正直なことを言えば、夫妻が大家をやめて店を開くと聞いて、不安に思わなかった訳ではない。閑古鳥の鳴く店内で二人が暗鬱な表情で帳簿を見ている光景を想像しなかったと言えば、噓になる。しかし、そんな心配は杞憂だと今は思っている。
 何せ、立地が良い。このカフェは少々特殊な場所に建っている。峻険な断崖の中途に、ぽつんと張り出した平地があるのだ。丁度、まっすぐな壁に直方体の棚をぴったりとくっつけたような形だ。壁と棚の側面が崖で、棚の天板がここだ。天板に移るには、崖と反対側から、渓谷を渡らねばならない。それが、先ほどの吊り橋だ。
 驚くべきことは、こんな不思議な地形が、駅のある中心街からさほど離れていないということだ。歩いて30分だったから、車なら10分で着けるだろう。そのくせ、ごみごみした空気や人の気配は全く感じられず、山奥といった風情がある。交通の便がいいのに、田舎の雰囲気を十分に味わえる。こんな穴場スポット、どこで知ったんだか。
 おまけに、秋には橋の向こうに見える紅葉が美しいという。4月の今は新緑が映えるが、ぜひ秋にも訪ねたいものだ。野崎夫妻の経営センスは、素人の僕なんかが心配する必要ないようで、安心した。

 風にゆらめく暖簾をくぐると、沓脱ぎがあった。下駄箱に靴を入れ、板張りの廊下に靴下であがる。目の前にまっすぐ伸びる廊下と、左右にそれぞれ少し行ってから平行に伸びる廊下があるようだ。鳥瞰すれば、さしずめフォークの歯のようだろう。しかし、まっすぐな廊下は思っていたより長い。この古民家の広さの認識をアップデートする。何やら人の声が聞こえる奥の方へ向かおうとしたところで、お茶の乗った盆を持って出てきた野崎綾子さんと目が合った。
「あら和希くん、よく来たわねえ。さあさ、おいでおいで」
「綾子さん、お久しぶりです」
 夫妻の妻の方、綾子さんは割烹着に足袋という出で立ちだった。会うのは二年ぶりのはずだが、この衣裳が似合いすぎて、むしろ既視感すら覚えるほどだった。
 軽く挨拶を交わしながら、綾子さんに先導されてまっすぐな廊下を奥へと向かう。並んだ襖は松の意匠が施されたもので、和の雰囲気を感じさせる。しかし天井には長い蛍光灯がはまっていて、現代設備はアンバランスさを感じさせた。まあ行灯を使うことなぞできようもないから、仕方のないことだ。概して、家屋は古民家を改装したとは思えないほど綺麗だった。
 廊下を突き当たると、建物の横幅いっぱいを占める大部屋があった。襖を開けて、畳のへりを跨ぐ。そこでは、大勢の人たちが寛いでいた。横に長い大部屋の中央には、やはり横に長い木の大机がある。人々はそれを囲んで、陽気に語らいあったり何かをつまんだりしていた。机の上には、和菓子や小料理、ちょっとした酒類も並んでいるようだ。時刻は午後五時前だが、ちょっと早い酒宴を開いているのだろう。向かいの長辺は縁側になっており、庭に降りることができる。見晴らしがとても良く、谷川がどんどん太くなって地平線の果てまで伸びているのが見えた。
 僕は見知った顔を見つけ、部屋の右隅に向かった。
「やあ、高島さん。久しぶりだね」
「上原先輩! ご無沙汰してます。いつぶりですかね?」
「多分二年ぶりかな。お隣よろしい?」
「どうぞどうぞ」
 寄ってくれた高島の横の座布団に腰を下ろす。彼女、高島千佳はかつての隣人にして大学の元後輩だ。僕と同じく、野崎さんの下宿に住んでいたから、今日もここに呼ばれたのだろう。高島は僕の一つ下だから、この四月から新社会人のはずだ。そう聞くと、地元の中堅商社で働き始めるのだと少し不安そうに語った。
「大丈夫、すぐ慣れるさ」
「先輩は東京で銀行員してるんですよね?」
「ああ。だから今日は遅くなっちゃったよ」
 この会は昼から催されているのだが、僕は仕事の都合でこの時間からしか参加できなかった。でも、翌日は日曜だし、遅れたぶん遅くまで居て取り返そうと思っている。どうせ酒宴になって夜遅くまで続くのだから、近くの宿を既に手配済みだ。
 従業員の方なのか、若い女の人が僕の前にお茶を持ってきた。会釈をして受け取りながら、この場にいる人数を数える。大部屋の客が自分たちを含めて15人、従業員らしい配膳をしている人が、綾子さん含め3人。キッチンに籠もってでもいるのか、夫の徹さんの姿は見えない。客は野崎さんと同年代の方々が多く、僕の知り合いは高島さん以外にいなかった。
 僕と高島さんは、近況報告も兼ねて他愛もない話をした。
「こんなところに古民家があるなんてねえ。一体誰が建てたんだか」
「結構広いし、物好きなお金持ちの邸宅なんじゃないですか?」
「あ、ありそう」
 そんなことを話し、お茶を飲む。会話が途切れた隙間を縫って、綾子さんと従業員の一人の話が聞こえてきた。
「和希くんが来たから、あとは種岡さんとこだけね」
「全員お揃いになったら、料理を運べばいいんですね?」
「あ、その前に主人がちょっと話すから、合図があるまで部屋の外で待っていて頂戴」
「わかりました」
 二人はまた厨房へと戻っていった。太陽は、中天から下りつつあった。

狩人

 俺は道明庵の見取り図をもう一度丹念に確認した。カフェがある平地は崖の中途にあり、北に崖を背負い、その他三方は30メートル下方を渓流が流れる崖。平地に出入りできる唯一のルートは、東にある吊り橋のみ。
 建物は、東西に長い長方形をしている。短辺10メートル、長辺30メートルほど。橋の正面に玄関。そこから伸びる廊下の一本は、建物はまっすぐ貫いている。もう二本の廊下は、それぞれ左右に分かれてぐるりと建物を囲み、中心の廊下に合流する。西の端には大部屋が一つ。三本の廊下に囲まれ、二つの島ができている。北の一つは四つの個室に、南の方は二つの個室と厨房になっている。玄関の横にある男女トイレを加えれば、これが全ての部屋だ。
 古民家を改装しただけあって、内装も襖や畳が中心で、防犯性があるのはせいぜい雨戸くらいだ。厨房はさすがに近代化されているが、計画に支障は全くない。
 見取り図を畳んで、今度は別の紙を取り出した。何度も頭に叩き込んで、もはや見ずとも諳んじることができるほどだが、もう一度読む。

  • 野崎徹(46)
  • 野崎綾子(44)
  • 今村晴未(21)
  • 藤崎亜李沙(21)
  • 中村悟(47)
  • 工藤健一(46)
  • 工藤愛子(42)
  • 福田浩二(48)
  • 斎藤健一郎(40)
  • 西尾司(33)
  • 西尾優香(33)
  • 西尾拓(9)
  • 望月健吾(52)
  • 園田龍一(60)
  • 山本紀子(45)
  • 日下部学(38)
  • 日下部直美(39)
  • 上原和希(23)
  • 高島千佳(22)

 開店祝いに招待された人々、つまりターゲットの一覧だ。特に恨みはない。ただ、立地が良かった。住宅地から離れており、簡単に孤立させられることができる。そんな場所で開かれる会に、自分も招待された。絶好の機会。今を逃せば、まず実現不可能な希望。内なる衝動を解放できる、最初で最後のチャンス。
 目的は、19人の鏖殺。
 手袋と靴紐、耳当てを三度ずつ確認した。装備、心身いずれも異状なし。やっと始められる。
 後部座席にある装置のスイッチを入れると、俺は車を降りた。ギターケースとクーラーボックスを背負い、黙って吊り橋を渡る。眼下に広がる深い谷に、心がどうしようもなく高揚する。深呼吸をして、心拍を落とした。
 カフェから誰か出てくる様子はない。吊り橋を渡りきると、クーラーボックスを開いて中から箱を二つ取り出した。箱、手製の爆弾をガムテープで橋の板の左端にくっつける。もう一つは右に。
「ここ、橋の端じゃないか。ヒヒッ」
 橋の一番こちら側の足板が、二つの爆弾に挟まれた形だ。一度、問いかけてみる。
「さて、ここが最終ポイントだ。今ならまだ引き返せる。どうだ?」
 迷いはない。それが回答だった。
「よし、始めようか」
 箱のスイッチを押し、走って離れる。きっかり五秒後、爆音が鳴った。白い煙と木片が散り、少し遅れてギギイと断末魔の軋みが鳴り響く。煙の奥で、吊り橋が落ちていくのが見えた。
 思わず快哉を叫んで、煙を払って橋の袂に駆け寄った。まだ熱い空気の中に飛び込み、谷を覗き込むと、巨大な振り子と化した橋が、対岸の崖にぶつかって砕け散るところだった。轟音が一瞬遅れて耳に届く。
 これは、俺の、種岡光の名を世に知らしめる、始まりのゴングだ。
 もっと余韻に浸っていたかったが、のんびりしてはいられない。さっきの轟音を聞きつけて、人が出てくるだろうからだ。その前に準備しておかねばならない。名残惜しかったが、谷底から視線を切って、置いていたギターケースのところまで小走りに戻る。

 野崎綾子が玄関から駆け出してきたのは、俺が丁度荷物の一つをギターケースから取り出したところだった。彼女はまず落ちた橋を見て絶句した。開店のために整備した橋が初日に崩れたのだ。ショックを受けるのは当然だろう。「そんな……」と呟いて、そろそろと橋が架かっていた崖の縁に歩いていく。
 彼女が崖っぷちギリギリまで行くのを待って、俺は「野崎さん」と声をかけた。はっと振り返った彼女は、口にしようとした言葉を寸前で飲み込んだ。代わりに、俺が持っているものを指さして言う。
「種岡さん……それ何です……?」
「ああ、猟銃ですよ」
 ブローニングのスライド式散弾銃。弾は今さっき装填した。俺はその筒先を、ゆっくりと持ち上げていく。野崎綾子は、怯えた目で二人を交互に見ていた。いたずらですよ、そう俺たちが笑って言うのを待っているのかもしれない。だが、その時は永遠に来ない。
 俺はずらしていた耳当てを直し、銃を右肩の前に構えた。事態の深刻さを悟ったのか、野崎綾子の口がパクパクと動いていたが、聞こえない。狙いをしっかり定めると、俺は絞るように引き金を引いた。
 強烈な反動とくぐもった音が襲う。同時に、割烹着に赤い華が躍って、女はひゅんと崖下に吸い込まれた。散弾に吹っ飛ばされ、谷底へと落ちたのだ。最初に覚えたのは、可笑しさだった。女は、まるでゲームの面白いバグみたいに落ちていった。
 笑いに肩を震わせながら、先台をがしゃりとスライドさせて薬莢を排出する。新しい実包をズボンのポケットから取り出して、また先台を動かして籠める。幸先のいいスタートだ。銃の扱いも、練習通りにうまくできている。
 ギターケースから、日本刀を取り出した。背負えるように鞘につけた紐を、肩に通す。ケースの蓋は開けたまま、熱を持った銃を持ち直すと、俺は道明庵の玄関へと歩を進めた。

獲物

 花火のような轟音が鳴ってから、部屋は静まりかえっていた。その後にも、ドンという音が聞こえてきた。様子を見にいった綾子さんはまだ戻ってこない。大部屋の皆は、玄関の方を中途半端に見遣って、不安げな顔で見つめ合うばかりだった。
 僕の心にも、何か悪い予感が渦巻いていた。
「上原さん……何があったんでしょう?」
「さあ……でも、きっと大したことじゃないよ」
 高島さんが不安そうに問いかけてくるが、ぎこちなく気休めを言うことしかできなかった。僕の脳内では、あの音がぐるぐるとリフレインしている。まるで、花火のような、爆発のような、それとも……。

 その時、廊下を歩く足音が聞こえてきた。それだけ部屋は静まっていたのか、と驚く。一人の陽気なお爺さんが、廊下に続く襖を開けた。
「綾子さん、何があったんで……」
 お爺さんの表情が変わった。目を瞠って驚いた声を出す。
「あんた、種岡の倅か? どうし」
 轟音と共に、お爺さんの体が吹っ飛んだ。机の上にどさりと倒れ、胸に空いた黒々とした穴から血の池が広がっていく。
 誰も、動けなかった。わずかな物音すらも発さず、ただ銃声が耳の奥でわんわんと反響している。
 ドンっと女の人の頭が吹き飛んだ。襖の横に立っていた体が、ごとりと崩れ落ちる。
 それが合図だったかのように、人々は弾かれたように動き出した。幾重もの悲鳴が交錯し、頽れ、逃げ出し、飛び退る。約半数はその場で硬直し、残り半数は縁側から庭に飛び降りた。僕は、動けなかった方の半数だった。ようやく、脳が事態を把握する。銃撃だ。廊下の奥に、銃を乱射している殺人鬼がいる。
 また一人、腰を抜かしていた男の人が撃たれた。腹に風穴が空き、禿頭が血溜まりに沈む。
 僕はやっと立ち上がった。心臓を鷲掴みにするような恐怖に襲われる。高島さんの手を引いて起こす。
「にっ、逃げないとっ」
 縁側に走ろうとして、踏みとどまる。犯人が廊下のすぐそこまで来ていたら、縁側は射角に入る。逃げるべきは、逆じゃないか?
「こっち!」