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私が挨拶をしないならばサイコロの表と裏の目の和は11ですし、名前が芯でない方は私ではあり得ません。[[WikiWiki]]で編集者をしない人間があったのなら、それは私とは別の人間なのですが、その編集が卓越した何かを持っていて、その行為者たる者はそれに満足しているものと仮定すると、その行為者たる者と私とは一致しないでしょうね。「[[トートロージー]] | 私が挨拶をしないならばサイコロの表と裏の目の和は11ですし、名前が芯でない方は私ではあり得ません。[[WikiWiki]]で編集者をしない人間があったのなら、それは私とは別の人間なのですが、その編集が卓越した何かを持っていて、その行為者たる者はそれに満足しているものと仮定すると、その行為者たる者と私とは一致しないでしょうね。「[[トートロージー]]」と異なる記事が私の最初に作成した記事だ、ですって? それが正しいなら、ああ、コラッツ予想はもう証明されたのですね(笑)。とはいえ、皆さんが意表を突かれない限り、私は[[WikiWiki]]利用者でない、ということを約束いたしましょう。 | ||
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1年11月17日 (W) 08:59時点における版
お知らせなど
おはようございます。いい朝ですね! 二件のお知らせがあります。
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自己紹介
平凡
こんにちは、私は芯です。WikiWikiで編集者をやっていますが、月並みな記事ばかり書いていて、最近は「このままでいいのか」なんて思い始めています。最初に作成した記事は「トートロジー」……これ、平凡ですよね(笑)。ですが、これからユーモアに溢れた記事をたくさん作って、皆さんをあっと言わせてやります!
対偶
私が挨拶をしないならばサイコロの表と裏の目の和は11ですし、名前が芯でない方は私ではあり得ません。WikiWikiで編集者をしない人間があったのなら、それは私とは別の人間なのですが、その編集が卓越した何かを持っていて、その行為者たる者はそれに満足しているものと仮定すると、その行為者たる者と私とは一致しないでしょうね。「トートロージー」と異なる記事が私の最初に作成した記事だ、ですって? それが正しいなら、ああ、コラッツ予想はもう証明されたのですね(笑)。とはいえ、皆さんが意表を突かれない限り、私はWikiWiki利用者でない、ということを約束いたしましょう。
本のカバーの「作者紹介」風
芯(しん)
WikiWiki編集者の一人。2020年11月に掌編「トートロジー」でデビュー。特に目立った功績が無いことが悩み。「すごくユーモアのある記事を作ってやる」と意気込み、日夜執筆に励んでいるという。
少女漫画風
あたし、芯! ごく普通のWikiWiki編集者なの。最初につくった記事はトートロジーだよ。 どう、平凡でしょ……? えへへ、でもね、これからユーモアのある記事をたっくさん作っていくのが目標なんだ! 待っててね、読者のみんな!
トキポナ
toki! mi sitelen e lipu pi WikiWiki. mi pilin tan ona. tenpo pini la mi sitelen e lipu ike(ijo sike). mi wile sitelen e lipu pona.
自作のお気に入り記事
※作成順
- トートロジー - シンプルながらインパクトのある記事。
- ほしいものリスト - アイディア勝負ではあるものの、ぎなた読みに気付くまでの時間が絶妙。
- 非自己叙述的 - 概念の導入から、伴って生じるパラドックスを解決するまでの過程が示されている。ただし駄文が目立つ(直せばよいのに)。
- 対偶 - 本文について、論理的な真理値で言えば一般的な文章と何ら違いはないが、やや狂気的である点がよい。常習者の間では評価されない。
- チェーンソー和歌 - 首尾一貫した狂気さに、どこか趣がある。
- 連用中止法 - 読みにくい。文法的には正しい。
暇つぶし、あるいは悪趣味
君「非自己叙述的(heterological)」という言葉を知っているか? 知らないとな? 仕方のないやつめ、教えてやろう。非自己叙述的とは、「ある言葉の意味がその言葉自体と矛盾していること」だ。たとえば"long"という言葉は「長い」を意味するが、この言葉の綴りはわずか4文字と、長くない。したがって"long"という言葉は非自己叙述的だといえる。
君この話は飽きたか。面白くないか。けどもしばし待て。ここからだ、面白くなるのは。さあ君、この問題について考えようじゃないか。
「非自己叙述的」という言葉は非自己叙述的であるか?
これを解くにあたって、重要なことがある。「すべての言葉は非自己叙述的であるか非自己叙述的でないかのどちらかである。」ということだ。おっと、当たり前だといって笑っちゃいけないぞ君。これはほんとうに大切なことだ。何せ……粛清されました
本題に戻ろう。ではまず、「『非自己叙述的』は非自己叙述的である」と仮定して話を進めようか。「非自己叙述的」は非自己叙述的である。すなわち「非自己叙述的」はその言葉自体と矛盾した意味を持っている。よって「非自己叙述的」は非自己叙述的でない。
むむ? いま、「非自己叙述的」は非自己叙述的だ、として話を進めたはずだ。しかしそこから、それを否定する結論が得られた。なぜだろうか? うーん。
あるいは、最初の仮定が間違っていた、と考える方が自然であろう。今度は他の可能性にかけるのだ――ところで先ほど、「すべての言葉は非自己叙述的であるか非自己叙述的でないかのどちらかである。」と述べた。となると他の可能性とは、「『非自己叙述的』は非自己叙述的でない」ということじゃあないか!
では、そう仮定するとどうなるのだろうか? 「非自己叙述的」は非自己叙述的でない。つまり「非自己叙述的」はその言葉自体と矛盾した意味を持っていない。ゆえに、「非自己叙述的」は非自己叙述的である。
またもや仮定と矛盾する結論を導いてしまった。やあ君、どうしてこうなったのだ? 僕たちはすべての可能性を検討しきったのに、そのどれにおいても矛盾が生まれるだなんて……。
はっ! 君君、これ、パラドックスじゃないか!
メモ
- サンドボックス - 利用者:芯/サンドボックス