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==序==
==序==
「なあ法介兄さん、叙述トリックって知ってるか?」
「なあ國春兄さん、叙述トリックって知ってるか?」
<br>「急になんだよケン。まあ知ってるけどさ」
<br>「急になんだよトシ。まあ知ってるけどさ」
<br> 憲ってのは知っての通り俺の名前だ。詳しくは覚えちゃいないが、お前と同様叙述トリックって言葉を何かの本で見たんだろう。法介兄さんとは年が離れててな、子供心には何でも知ってるすごい人に思えたのさ。
<br> トシってのは俺、俊晴のあだ名だ。詳しくは覚えちゃいないが、お前と同様叙述トリックって言葉を何かの本で見たんだろう。國春兄さんとは年が離れててな、子供心には何でも知ってるすごい人に思えたのさ。
<br>「叙述トリックっていうのはな、'''作者が読者に仕掛けるトリック'''のことだ」
<br>「叙述トリックっていうのはな、'''作者が読者に仕掛けるトリック'''のことだ」
<br>「作者が読者に?」
<br>「作者が読者に?」
<br>「そうだ。普通のトリックってのは、'''犯人が被害者やら探偵やらに仕掛けるもの'''だろう? ほら、例えば」
<br>「そうだ。普通のトリックってのは、'''犯人が被害者やら探偵やらに仕掛けるもの'''だろう? ほら、例えば」
<br> そこで兄さんは椅子から立ち上がった。
<br> そこで兄さんは椅子から立ち上がった。俺はベッドに座ったまま黙って話を聞いていた。
<br>「頭で想像するんだぞ。ここに俺の部屋のドアがある。この中に死体が転がってるわけだ。そして俺はこの部屋を密室にしようとする。そこで、俺は長い長い氷の棒を持ってくる。『どこから?』とかは考えなくていい。あくまで例なんだからな」
<br>「頭で想像しながら聞くんだぞ。ここには俺の部屋のドアがある。部屋の中に死体が転がってるわけだ。そして俺はこの部屋を密室にしようとする。そこで、俺は長い長い氷の棒を持ってくる。『どこから?』とかは考えなくていい。あくまで例なんだからな」
<br> まさにそう質問しようとしていた俺は慌てて口を噤んだ。兄さんは簡易トリックを実演し始めた。
<br> まさにそう質問しようとしていた俺は慌てて口を噤んだ。兄さんは簡易トリックを実演し始めた。
<br>「そして片方の端をドアの向かいの壁につけ、もう片方の端は左手で持っておく。とりあえずこのギターを氷の棒と思って持っとこう。そうしたら…、よっと、ドアを俺が通り抜けられるくらい開けといて、右手は外側のドアノブを掴んどく。そして氷の棒のもう片端をドアにくっつけて立て掛け、手を放すと同時に素早く外へ出る!」
<br>「そして片方の端をドアの向かいの壁につけ、もう片方の端は左手で持っておく。とりあえずこのギターを氷の棒と思って持っとこう。そうしたら…、よっと、ドアを俺が通り抜けられるくらい開けといて、右手は外側のドアノブを掴んどく。そして氷の棒のもう片端をドアにくっつけて立て掛け、手を放すと同時に素早く外へ出る!」
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==破==
==破==
 
 その次の日の晩、夕飯の時間になって、母親に言われて俺は2階にいる兄貴を呼びに行った。兄貴の部屋をノックしようとしたところで、急にドアが開き、俺は鼻をしたたかにぶつけた。兄貴は笑いながら「すまんすまん」と謝ったが、こっちは痛いのなんの。不貞腐れたよ。鼻の頭に絆創膏を貼らないといけなかった。
<br>  ともかく夕飯になった。そのときは俺と兄貴、親父とお袋の4人暮らしだった。はは、今と同じだな。お袋は専業主婦、親父は市議会議員だった。親父はその日もいつも通り「政治を〜」と理想を語っていた。だから母親が、
<br>「せっかくトシちゃんが賞状貰ってきたのに、お父さんったら政治、政治って、そればっかり。少しは気にかけてやってくださいよ」
<br>と嗜めた。だが親父は、
<br>「大丈夫だ、弟ってのは兄の背を見て育つんだ。だからトシも優秀に育ってるし、これからもそうだろう。な?」
<br> 事実俺はそんな気にしてなかったから、適当に返事して終わったと思う。兄は教育通り優秀に育ったんだ。まあ俺がそうじゃないことは、お前らも知っての通りだ。
<br> そしてその次の日の3時、俺は小遣いで買っといたプリンを食べようと、2階の自室からキッチンへ降りてきた。


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2年2月3日 (黃) 14:41時点における版

「なあ小島、叙述トリックって知ってるか?」
「急になんだよタケ。まあ知ってるけどさ」
 朝の6時15分、俺はいつもより少し早く目覚めてしまい、同じく起きていた小島にこの質問をぶつけたのだった。俺はしばらく前にトラブルを起こして大学を退学になり、今は男4人で同居している。ルームシェアだと思えばましだが…誰が進んで野郎共と一つ屋根の下で住むものか。4人というのは、俺と小島、京極と三津田だ。あとの2人はまだぐっすり寝こけている。
「こないだ読んだ本にあってな。ミステリーあたりはからっきしなんだよ」
「はっ、マジかよ」
 小島は鼻で笑った。
「お前はこういうの好きだったろ? 教えてくれよ」
「わかったよ。丁度叙述トリックについての昔話があってな、聞かせてやるよ。ただし、手を動かしながらだ」
 見ると、三津田と京極がもぞもぞと起き出していた。いつも同じ時間に起きていると、アラームなぞ無くとも自然と目が覚めてしまうものだ。俺はため息を吐くと、布団を畳むために立ち上がった。
「あれは俺が小4の時だった」
 そう言って小島は話し始めた。

「なあ國春兄さん、叙述トリックって知ってるか?」
「急になんだよトシ。まあ知ってるけどさ」
 トシってのは俺、俊晴のあだ名だ。詳しくは覚えちゃいないが、お前と同様叙述トリックって言葉を何かの本で見たんだろう。國春兄さんとは年が離れててな、子供心には何でも知ってるすごい人に思えたのさ。
「叙述トリックっていうのはな、作者が読者に仕掛けるトリックのことだ」
「作者が読者に?」
「そうだ。普通のトリックってのは、犯人が被害者やら探偵やらに仕掛けるものだろう? ほら、例えば」
 そこで兄さんは椅子から立ち上がった。俺はベッドに座ったまま黙って話を聞いていた。
「頭で想像しながら聞くんだぞ。ここには俺の部屋のドアがある。部屋の中に死体が転がってるわけだ。そして俺はこの部屋を密室にしようとする。そこで、俺は長い長い氷の棒を持ってくる。『どこから?』とかは考えなくていい。あくまで例なんだからな」
 まさにそう質問しようとしていた俺は慌てて口を噤んだ。兄さんは簡易トリックを実演し始めた。
「そして片方の端をドアの向かいの壁につけ、もう片方の端は左手で持っておく。とりあえずこのギターを氷の棒と思って持っとこう。そうしたら…、よっと、ドアを俺が通り抜けられるくらい開けといて、右手は外側のドアノブを掴んどく。そして氷の棒のもう片端をドアにくっつけて立て掛け、手を放すと同時に素早く外へ出る!」
 ゴトッとギターが倒れる音がした。
「こうすると、氷がつっかえ棒となって、密室ができるわけだ。あとは鍵が掛かっているように見せかけて、溶けるのを待ってドアを破り突入した瞬間鍵を閉めれば、密室の完成というわけだ!」
 正直後半はよく理解できなかったが、兄さんが見事に密室を作り上げたのがすごいと感嘆したよ。今思えば子供騙しのトリックだけどね。
「どうだ憲、兄さんが何したかはわかったか?」
「うん!」
「はは、そら良かった。さすが俺の弟だな。よし、あれ、ギターが引っかかって、ギリ通れない…くそ」
そこでバキッと嫌な音がした。
「ああ、俺のギター! 高かったのに!!」
 兄さんはギターを上手くつっかえさせ過ぎたようだった。策士策に溺れるっていうか、兄さんも抜けてたんだな。俺は大笑いして、しまいにゃ兄さんもつられて大笑いしてたよ。
 笑いの波が収まると、兄さんは説明を再開した。
「いまやったトリックは、犯人が警察もしくは探偵に仕掛けるトリックだ。密室にすることで、捜査側を困らせようとしているんだからな。でも、叙述トリックはそうじゃない」
「ならどんなトリックなの?」
「さっきも言ったが、作者が読者に仕掛けるトリックだ。具体例を挙げるなら、こんな感じだ。
太郎さんが殺されました。犯行が可能だったのは、太郎の弟と妹、次郎、花子のどっちかです。そして現場には口紅が落ちていました。さて、犯人は誰でしょう?」
「花子!」
 俺はすぐに答えた。
「ブブー、残念! 実は次郎は女で、花子は男だったんです! というわけで正解は次郎でした!」
 俺は唖然としていた。だって、そんなことないだろ? すると兄さんは少し焦ったような声で付け足した。
「まあ、これは適当に作っただけだから。ちゃんとしたやつは、もっと丁寧に伏線が張られているから安心しろ。こんな風に、作者が読者を直接騙すのが、叙述トリックだ」
 当時の俺は分かったような分からないような感じだったが、疑問は残った。
「なんでそんなことするの?」
「まあ、理由は大きく分けて2つだろうな。
 1つは、ミステリの難易度を上げるためだ。ミステリには、犯人とかを当てる作者vs読者のバトルっていう一面があるんだ。どうしても勝ちたい作者が、こんなトリックを仕掛けるんだ。お前もさっき正解できなかっただろ? そういうことだ。
2つ目は、読者を驚かせるためだ。さっき俺の話を聞いたお前は驚いたろ? 世の中には、驚くのが楽しいっていう変な人種がいるんだ。そいつらを喜ばせるために作者は叙述トリックを仕掛けるのさ。
おっと、長く喋り過ぎたな。もう小学生は寝る時間だ。じゃあ、おやすみ」
 こうしてその日の会話は終わった。

 小島はそこまで話したところで、口を閉じた。いつの間にか京極と三津田も話に聞き入っている。
「いいところだが、時間だ。続きはまた後でな」
 そう言って小島は時計を指した。6時45分。俺は大きく溜め息をつくと、顔を洗いに洗面所へ向かった。

 俺たち4人は同じ工場で働いている。仕事は楽だし働く時間も短いが、俺は根っからの労働嫌いだ。できるなら働きたくないが、それができたら苦労しない。
 午前10時、俺たちは作られた商品をひたすら箱に詰める作業をしていた。まったく、暇で暇でしょうがない。そこで俺は、小島に話の続きをするよう催促した。叙述トリックの説明はあらかた終わったと思うんだが、続きとは何だろう? 京極と三津田も、目を輝かせて小島を見つめた。小島は「しゃあねえなあ」といいつつも、どこか楽しげに続きを話し始めた。

 その次の日の晩、夕飯の時間になって、母親に言われて俺は2階にいる兄貴を呼びに行った。兄貴の部屋をノックしようとしたところで、急にドアが開き、俺は鼻をしたたかにぶつけた。兄貴は笑いながら「すまんすまん」と謝ったが、こっちは痛いのなんの。不貞腐れたよ。鼻の頭に絆創膏を貼らないといけなかった。
ともかく夕飯になった。そのときは俺と兄貴、親父とお袋の4人暮らしだった。はは、今と同じだな。お袋は専業主婦、親父は市議会議員だった。親父はその日もいつも通り「政治を〜」と理想を語っていた。だから母親が、
「せっかくトシちゃんが賞状貰ってきたのに、お父さんったら政治、政治って、そればっかり。少しは気にかけてやってくださいよ」
と嗜めた。だが親父は、
「大丈夫だ、弟ってのは兄の背を見て育つんだ。だからトシも優秀に育ってるし、これからもそうだろう。な?」
 事実俺はそんな気にしてなかったから、適当に返事して終わったと思う。兄は教育通り優秀に育ったんだ。まあ俺がそうじゃないことは、お前らも知っての通りだ。
 そしてその次の日の3時、俺は小遣いで買っといたプリンを食べようと、2階の自室からキッチンへ降りてきた。