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'''世界平和度指数'''は、かつての上方漫才師コンビ。所属事務所を持たないフリーのコンビとして活動した。ボケの[[#さとる|さとる]]とツッコミの[[#殺伐蕁三郎|殺伐蕁三郎]](さつばつ-どんざぶろう)から成る。


==メンバー==
===さとる===
世界平和度指数のボケ担当。本名、木村聡。
1952年6月、駄菓子屋の三男として和歌山県に生まれる。商業を営む家としては珍しく、実家は山奥であった。それが災いしたのか売上は芳しくなく、家計は常に厳しかった。当時の貧乏エピソードとしては、花を食べた、草を食べた、土を食べた、雪を食べた、雨を食べた、美味しかった、などがある。
1971年の春、1浪して受かった東京女子大学に通うために上京する。都会の進んだ文化に魅了され、日夜芝居見物や映画鑑賞に出かけていた。
1973年の冬、バーで飲んでいたとき、酔い潰れてカウンターで熟睡していたさとるは、謎の大物プロデューサーに背中を蹴られて飛び起きた。プロデューサーの用件は、寝相が殺人級に面白かったため、ぜひとも自分のプロジェクトに参加してもらいたいという勧誘であった。背広に短パンという謎の格好をした彼が本当にプロデューサーなのか、信用に値しないと見たさとるはその場で申し出を断ったが、この出来事は、彼が芸能界進出を検討しはじめるきっかけとなった。
1977年の冬、代々木公園のベンチで寝そべりながら死んだ恋人の名をつぶやいていたさとるは、黒のタンクトップを着た金髪の男、殺伐蕁三郎にビンタされて飛び上がった。「俺とコンビ組んで漫才をやれ」ということであった。恐怖が体を突き動かし、さとるはこれを表面上快諾する。「世界平和度指数」結成の瞬間であった。
===殺伐蕁三郎===
世界平和度指数のツッコミ担当。本名、殺伐一番星(さつばつ-ろはす)。
1950年代前半、空飛ぶスパゲッティーモンスター教系の家の長男としてマドリードに生まれる。1歳か2歳のとき、一家で東京都に移住する。大戦直後であった当時の東京は物資不足が深刻な問題となっており、生活は快適でなかった。
1959年、大阪に住む遠戚の養子となって引っ越す。引っ越し初夜はレコードでドヴォルザークの『新世界より』を聴いて過ごした。
1982年、殺伐は覚えず芸人を志す。その動機についてのちに彼が「ただなんとなく<ref>『フライデー』昭和51年4月16日の記事より。</ref>」と述べているように、明確な理由はなかったという。しかし彼の決意は強固なもので、当時勤めていた屠殺工場を辞職してまで芸能事務所のオーディションを受け始める。2社目にして見事合格し、入所を果たした。
1984年、同事務所のさとるに声をかけ、コンビ「ペンタルズ・カー<ref>アメリカのポップミュージックグループ「カーペンターズ」のオマージュであると考えられる。</ref>」を結成する。先輩芸人の助言により、ほどなくしてコンビ名を「世界平和度指数」と改める。
1997年、死去。
2014年、再び死去。
==芸風==
そのコンビ名とは裏腹に、嫌味で刺々しい、または混沌としていて他者を寄せ付けない芸風が目立つ。たとえば、以下は世界平和度指数の代表的なネタである。
<blockquote>
さとる「ええはいどうも世界平和度指数ですけれども」<br>
殺伐「うん我々が世界平和度指数やねん」<br>
さとる「俺がさとるで」<br>
殺伐「小生が殺伐蕁三郎ちゅうこっちゃ」<br>
さとる「いやえらいイカツい名前やなあ」<br>
殺伐「なんでお前はいつもイチゴゼリーばっかり頼むねん」<br>
さとる「助けて」<br>
殺伐「それ自動ドアちゃうで」<br>
さとる「おいクラァク!」<br>
殺伐「この名前もな、後輩につけてもろてん」<br>
さとる「日本人は天皇陛下がお見えになった途端にひざまずくからなあ」<br>
殺伐「ほいじゃ小生が店員役するから」<br>
さとる「うーん……開かれへん……」<br>
殺伐「なんの話や」<br>
さとる「ほんじゃはじめよか」<br>
さとる「いい加減にしいや。髪の毛入っとんぞ。ドタマかち割ったろかワレ」<br>
さとる「言うても昔っからそうやと思うで」<br>
さとる・殺伐「丁度いい」<br>
さとる「ほんじゃはじめよか」<br>
殺伐「それさっきのマグロやないの」<br>
さとる「おうよ」<br>
殺伐「最近は根性のない若者がぎょうさん増えたさかい、ちと世直しにな、出かけよう思てんけど」<br>
さとる「甘からず、苦からず、美味からず」<br>
殺伐「はい何でございまひょ」<br>
さとる「ホンマかいな」<br>
殺伐「またけったいなこと言いはって」<br>
さとる「水木師匠は……せやで、とっくの昔に死なはったもん」<br>
殺伐「気ィが早いねん」<br>
さとる「ほな先言えや」<br>
殺伐「もうええわ」<br>
さとる・殺伐「どうも、ありがとうございました」<br>
さとる「助けて」<br>
</blockquote>
==脚注==
<references />
<span style="font-size:150%">真実</span>
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2年8月9日 (I) 21:23時点における版

世界平和度指数は、かつての上方漫才師コンビ。所属事務所を持たないフリーのコンビとして活動した。ボケのさとるとツッコミの殺伐蕁三郎(さつばつ-どんざぶろう)から成る。

メンバー

さとる

世界平和度指数のボケ担当。本名、木村聡。

1952年6月、駄菓子屋の三男として和歌山県に生まれる。商業を営む家としては珍しく、実家は山奥であった。それが災いしたのか売上は芳しくなく、家計は常に厳しかった。当時の貧乏エピソードとしては、花を食べた、草を食べた、土を食べた、雪を食べた、雨を食べた、美味しかった、などがある。

1971年の春、1浪して受かった東京女子大学に通うために上京する。都会の進んだ文化に魅了され、日夜芝居見物や映画鑑賞に出かけていた。

1973年の冬、バーで飲んでいたとき、酔い潰れてカウンターで熟睡していたさとるは、謎の大物プロデューサーに背中を蹴られて飛び起きた。プロデューサーの用件は、寝相が殺人級に面白かったため、ぜひとも自分のプロジェクトに参加してもらいたいという勧誘であった。背広に短パンという謎の格好をした彼が本当にプロデューサーなのか、信用に値しないと見たさとるはその場で申し出を断ったが、この出来事は、彼が芸能界進出を検討しはじめるきっかけとなった。

1977年の冬、代々木公園のベンチで寝そべりながら死んだ恋人の名をつぶやいていたさとるは、黒のタンクトップを着た金髪の男、殺伐蕁三郎にビンタされて飛び上がった。「俺とコンビ組んで漫才をやれ」ということであった。恐怖が体を突き動かし、さとるはこれを表面上快諾する。「世界平和度指数」結成の瞬間であった。

殺伐蕁三郎

世界平和度指数のツッコミ担当。本名、殺伐一番星(さつばつ-ろはす)。

1950年代前半、空飛ぶスパゲッティーモンスター教系の家の長男としてマドリードに生まれる。1歳か2歳のとき、一家で東京都に移住する。大戦直後であった当時の東京は物資不足が深刻な問題となっており、生活は快適でなかった。

1959年、大阪に住む遠戚の養子となって引っ越す。引っ越し初夜はレコードでドヴォルザークの『新世界より』を聴いて過ごした。

1982年、殺伐は覚えず芸人を志す。その動機についてのちに彼が「ただなんとなく[1]」と述べているように、明確な理由はなかったという。しかし彼の決意は強固なもので、当時勤めていた屠殺工場を辞職してまで芸能事務所のオーディションを受け始める。2社目にして見事合格し、入所を果たした。

1984年、同事務所のさとるに声をかけ、コンビ「ペンタルズ・カー[2]」を結成する。先輩芸人の助言により、ほどなくしてコンビ名を「世界平和度指数」と改める。

1997年、死去。

2014年、再び死去。

芸風

そのコンビ名とは裏腹に、嫌味で刺々しい、または混沌としていて他者を寄せ付けない芸風が目立つ。たとえば、以下は世界平和度指数の代表的なネタである。

さとる「ええはいどうも世界平和度指数ですけれども」
殺伐「うん我々が世界平和度指数やねん」
さとる「俺がさとるで」
殺伐「小生が殺伐蕁三郎ちゅうこっちゃ」
さとる「いやえらいイカツい名前やなあ」
殺伐「なんでお前はいつもイチゴゼリーばっかり頼むねん」
さとる「助けて」
殺伐「それ自動ドアちゃうで」
さとる「おいクラァク!」
殺伐「この名前もな、後輩につけてもろてん」
さとる「日本人は天皇陛下がお見えになった途端にひざまずくからなあ」
殺伐「ほいじゃ小生が店員役するから」
さとる「うーん……開かれへん……」
殺伐「なんの話や」
さとる「ほんじゃはじめよか」
さとる「いい加減にしいや。髪の毛入っとんぞ。ドタマかち割ったろかワレ」
さとる「言うても昔っからそうやと思うで」
さとる・殺伐「丁度いい」
さとる「ほんじゃはじめよか」
殺伐「それさっきのマグロやないの」
さとる「おうよ」
殺伐「最近は根性のない若者がぎょうさん増えたさかい、ちと世直しにな、出かけよう思てんけど」
さとる「甘からず、苦からず、美味からず」
殺伐「はい何でございまひょ」
さとる「ホンマかいな」
殺伐「またけったいなこと言いはって」
さとる「水木師匠は……せやで、とっくの昔に死なはったもん」
殺伐「気ィが早いねん」
さとる「ほな先言えや」
殺伐「もうええわ」
さとる・殺伐「どうも、ありがとうございました」
さとる「助けて」

脚注

  1. 『フライデー』昭和51年4月16日の記事より。
  2. アメリカのポップミュージックグループ「カーペンターズ」のオマージュであると考えられる。









































真実


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