「利用者:Notorious/サンドボックス/ぬいぐるみ」の版間の差分
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<br> その次は、犯人が写ったあの写真の撮影者の証言らしかった。色黒のギャルが、大仰な身振りを交えて喋っている。 | <br> その次は、犯人が写ったあの写真の撮影者の証言らしかった。色黒のギャルが、大仰な身振りを交えて喋っている。 | ||
<br>『そこのテラス席で、パフェと自撮りしようとしてたわけ。こう……スマホを構えて撮ろうとしてたんだけど、後ろの歩道に人が通りかかったから、画面見ながら待ってたんよ。そしたら、いきなりブスッと、男が右手で女の人を刺したのがパフェの横に見えたの。もう私びっくりしちゃってえ、思わずシャッター押しちゃったのが、この写真ってわけ』 | <br>『そこのテラス席で、パフェと自撮りしようとしてたわけ。こう……スマホを構えて撮ろうとしてたんだけど、後ろの歩道に人が通りかかったから、画面見ながら待ってたんよ。そしたら、いきなりブスッと、男が右手で女の人を刺したのがパフェの横に見えたの。もう私びっくりしちゃってえ、思わずシャッター押しちゃったのが、この写真ってわけ』 | ||
<br> パフェを持ったギャルの自撮りだが、視線が微妙にずれてしまっている。その左奥には、血を噴き出す被害者と見切れた犯人が。あの写真は、これを拡大したものだったようだ。 | |||
<br> その時、外からヘリコプターの飛行音が聞こえてきた。 | |||
<br>「テレビの中継でもやってるのかな」 | |||
<br> 燿が扉の外から問いかけてきた。 | |||
<br> ふと、閃いた。燿はずっと外にいたから、テレビを見る機会などない。鎌をかけてやろう。意を決し、麗は外に向かって話しかけた。 | |||
<br>「通り魔なんて怖いわね。刺された女の人は、{{傍点|文章=首をかかれていたってよ}}」 | |||
<br>「え? {{傍点|文章=胸を刺された}}んじゃなかったっけ?」 | |||
<br> 掛かった。 | |||
<br>「燿。あんた、それどこで知ったのよ? テレビを見る機会なんて無かったはずよ」 | |||
<br> つまり、燿は現場を見たことのある、通り魔に他ならないのだ。 | |||
<br> ところが、あっけらかんとした答えが返ってきた。 | |||
<br>「テレビ? 普通にTwitterで見たよ。てか、まだ片付け終わらないの? もう真っ暗だよ」 | |||
<br> そうか、情報を得る手段はテレビだけではない。自分がネットを滅多に使わないから、忘れていた。現代っ子め。また振り出しだ。 | |||
<br>「姉貴、情報が錯綜してるから、気をつけなよ。ネットは勿論、テレビですら十分な取材ができてないかもしれない。フェイクニュースに騙されないようにね」 | |||
<br>「判ってるわよ」 | |||
<br> 心配されてしまった。全く、人の気も知らないで。 | |||
<br> テレビはネタが尽きたのか、先程と同じ内容を繰り返し始めた。独自インタビューから見えてきた犯人像──。 | |||
<br>……ん? | |||
<br> 燿の台詞が脳内でリフレインされる。{{傍点|文章=テレビですら十分な取材ができていない}}──。 | |||
<br> ゆっくりと、考えが組み上がっていく。 | |||
<br>「……き、姉貴! おーい!」 | |||
<br> 気づくと、燿が麗を呼んでいた。生返事をすると、 | |||
<br>「どうしたんだよ。片付け終えたんなら、入れてくれないか?」 | |||
<br>と心配げに言われた。 | |||
<br> 麗はゆっくりと立ち上がると、玄関に行き、扉の前に立った。 | |||
<br>「ごめん、燿」 | |||
<br> それから、右手を伸ばし、サムターンを捻った。{{傍点|文章=扉を押し開け}}、笑いかける。 | |||
<br>「待たせたわね」 | |||
<br>「怖くて死ぬかと思ったぜ」 | |||
<br> 言葉の割には平気そうな顔で、燿が笑った。 | |||
「実は私ね、燿が通り魔なんじゃないかと疑ってたの」 | |||
<br> 燿を部屋に上げ、冷蔵庫から缶ビールを2つ取り出しながら、麗は言った。燿は枝豆を口に運びかけた姿勢のまま、固まった。同じ内容を繰り返すテレビ番組が、タイミングよく通り魔の写真を映した。 | |||
<br>「ほら、燿に似てない?」 | |||
<br>「ん〜、俺に見えなくもないけど……こんな男なら大量にいるだろ」 | |||
<br> それから、麗は燿を通り魔か否か見極めようとしたことを話した。燿は笑ったり感心したりしながら話を一通り聞くと、麗にこう尋ねた。 |
2年9月21日 (I) 10:31時点における版
は〜あ、定期的にガス抜きしなきゃ、クレーム対応なんてやってらんないわ。
支倉麗は、アパート2階の自室に入るなり、バタリと倒れ込んだ。ヒールのない靴を乱暴脱ぎ、雑多に物が詰まった鞄を放る。日もとうに沈んだ金曜日の夜8時半、勤めているコールセンターからようやく帰宅した。5日間に亘って知らん中年どもの文句を聞かされて、心身共に疲弊し切っている。
冷蔵庫に缶ビールがあったはずだ。何か適当につまんで、さっさと寝てしまおう。麗は重い足を引きずって奥へと向かった。
ヘアゴムをぐいと取り、座布団にどっかと腰を下ろす。うら若き乙女にあるまじき所作だが、独り暮らしの社畜なんて皆こんなものだろう。いや、そうでなきゃ困る。
麗は、何の気無しにテレビをつけた。別段見たい番組がある訳ではないが、食事の時くらいこの空虚な部屋を音で埋めたかったのだ。
ところが、テレビはつくなり、緊迫した声を響かせた。
『……り返します。K県S市で、連続通り魔事件が発生しました』
ぎょっとした。自然とテロップに目が吸い寄せられる。
《S市で連続通り魔 2名死亡、1名重体》
「えっ⁈」
2名死亡、1人重体? K県S市、ここだ。え?
麗の動転をよそに、アナウンサーは淡々と原稿を読み上げる。
『午後8時頃、S市のN駅通りで「人が刺された」と通報がありました。警察によると、2人が死亡、1人が意識不明の重体となっています。また、犯人は逃走中とのことで、付近の住民に注意を呼びかけています』
N駅通りとは、麗の帰宅ルートであり、ついさっきも歩いてきた。時間は確か、8時頃。そう言えば、歩いているとき後ろの駅側がやけに騒がしかったっけ。
ようやく麗は事態を理解した。私のすぐ近くで、通り魔が人を刺したのだ。
反射的に玄関を振り返る。扉の鍵は、掛かっていた。ホッとすると体の力が抜けた。後ろにパタリと倒れ込む。何だか笑いが込み上げてきた。アハハハという乾いた笑いが部屋に響く。
こんなことが、起こるなんて。
……疲れてるみたいだ。こりゃさっさと寝ないと。
その時、テレビの中のスタジオがざわめき出した。アナウンサーの動揺が声に乗って伝わってくる。
『新しい情報が入ってきました。犯人が写った写真があるそうです』
慌てて身を起こし、画面を見つめる。そこに写っていたのは、なかなかにショッキングな画像だった。
中央に、モザイクがかけられた人影。体は右側に向いており、右半身しか見えない。そして、彼もしくは彼女は、ガクリと膝を折って今にも崩れ落ちようとしていた。胸の辺りから、鮮血が迸っている。
刺された直後なのか。麗は戦慄した。呼吸が浅くなる。
そして、写真の左端。被害者とは反対方向に進んでいる人の左半身。見切れてしまい後頭部と背中くらいしか写っていないが、ニット帽とマスク、黒いジャンパーを着けていることは確認できる。こいつが、通り魔。
アナウンサーは何か説明を加えているが、その声がどんどん遠ざかっていく。反比例して、麗の心の中に一つの思いが膨れ上がっていった。
写真に写っていた通り魔。あれは、燿じゃないか?
頭や耳の形、歩く姿勢、短めの髪。それらはなんだか、弟の燿に似ている。燿は麗の2つ下の弟で、就活中の大学4年生。住まいも、N駅の反対側で現場から遠くはない。それに、燿はサイコサスペンス映画を偏愛している。何回かDVDを借りたこともあるが、通り魔を題材にしたものもあったような……。
いや、馬鹿馬鹿しい。そんな妄想で実の弟を犯罪者扱いしてしまうなんて。あの賢い子が通り魔なんてする訳ない。それに、写真の特徴に合致する人なんて、この町には掃いて捨てるほどいるだろう。
やっぱり、疲れてるんだ。さっさと寝ないと。
冷蔵庫から缶ビールを出そうと立ち上がりかけた時、ドアをノックする音が聞こえた。
「姉貴、いる?」
紛れもない、支倉燿その人の声だった。
「よ、燿? どうしたのよ?」
声が裏返りそうだった。なぜ、燿がここに?
「通り魔が出たって外は騒ぎになってるんだ。姉貴、知ってる?」
「え、ええ」
「恥ずかしながら、怖くなっちゃってさ。犯人は捕まってないっていうし。家に帰るには現場の近くを通らないといけないからさ。悪いけど、今夜だけ泊まらせてくれない?」
ドアの向こうで頭を掻く燿が目に浮かぶ。
「でも、事前に連絡くらいくれたっていいじゃない」
「したさ。でも姉貴は全然LINE見ないじゃん。なら直接行った方が早いかなーって」
「そうなの。まあ仕方ないわね。今開けるわ」
「ありがとう、姉貴」
麗は玄関へと歩いていき、サムターンに手をかけた。
その時、一つの疑念が首をもたげた。馬鹿馬鹿しいはずなのに、どうしても捨てきれない疑念。
燿が、通り魔なんじゃないか? 家に上げていいのか? 女の麗が、力で燿に敵う訳がない。部屋に入ったら、いやドアを開けた瞬間、刺されてもおかしくないのではないか?
体が固まった。嫌な汗が滲み出てくる。
「……姉貴?」
燿が不審そうに声をかけてきて、麗は我に返った。選択しなければ。
「……やっぱり部屋を片付けさせて。しばらく待ってなさい」
「え〜っ、別に気にしないよ」
「私が気にするの」
「思春期かよお」
「文句言うなら入れないわよ」
「はいはい」
取り敢えず、考える時間を稼ぐ。
麗は一旦玄関から離れ、鞄やらを片付け始めた。ああ言った以上、片付けをする音を立てておかないと、怪しまれかねない。このアパートは全く防音できないんだから。
麗の部屋の間取りは、風呂・トイレ付きの1DK。燿が通り魔なら、家に入れた時点で逃げ場はない。
いや、周りに助けを求めれば……。そこまで考えて麗は頭を抱えた。2階の住人は麗を除いて1人だが、その1人は長期旅行中。更に、下の階の管理人老夫婦は耳が遠い。いくら泣き叫んでも助けは来ないだろう。
燿を部屋に入れないのが一番安全だが、潔白だったら入れない訳にはいかない。追い返されて家に帰っている間に刺されました、なんてことになるかもしれないのだ。やはり、燿が通り魔か否か、慎重に見極めねばならない。
でも、どうやって? 途方に暮れていると、麗はテレビをつけっ放しにしていたことに気づいた。スタジオでは、現場周辺の略図を描いて事件のあらましを解説している。発生からあまり時間が経っていないのに、大したものだ。
事件が起こったN駅通りは、N駅から南に真っ直ぐ延びている。夜8時頃、そのN駅から100mほど進んだところで、第一の被害者が出た。夜勤に出ようとしていた女性が胸を刺され、重体となっている。先程の写真も、この時を写したものだ。その数分後、更に500mほど南下したところで、第二、第三の凶行が相次いで為された。会社員の男性と女子大生が今度は右腹を刺され、肝門脈損傷により失血死した。いずれの事件も、犯人は被害者をすれ違いざまにナイフで刺し、周囲が異変に気づいた頃には既に歩き去っていたという。
そうアナウンサーは早口で解説した。第二・第三の事件現場は、ここから300mほどしか離れていない。もし燿が通り魔でも、ここに到着した時間は矛盾しない。
待ちかねたのか、燿が不満を訴えた。
「まだあ? こう見えても俺、結構怯えてるんだけど」
聞き慣れているはずの燿の声が、なぜか気味悪く感じる。怯えているのは、こっちの方だ。
「……燿。あんた、何で外にいたの?」
「バイト帰りだよ。N駅通りの居酒屋で働いてるって、前に言わなかったっけ?」
随分前に言われた気がする。
「酒に弱いあんたが、よく面接通ったわね」
「店員は酒飲まねえからいいんだよ」
燿は、生粋の下戸だ。少し杯を舐めただけで、ベロベロに酔ってしまう。燿が二十歳になった日、あっという間に酔い潰れた燿を担いで店を出たのはいい思い出だ。
そんな弟が通り魔じゃないかと疑っている、私の頭のネジが数本飛んでいることは間違いない。
「とにかく、もうしばらく待ってなさい」
「判ったよ」
さて、落ち着いて見定めるのだ。選択を誤れば、最悪死ぬ。
麗は足音を殺して、玄関に向かった。息を止めて、そっとドアスコープを覗いた。
充血した目がこちらを覗き返している……なんていうホラー展開はなく、燿が壁に凭れているだけだった。ちらちらと階段の方を気にしている辺り、本当に誰か来ないか怖がっているらしい。尤も、それが通り魔か警察官かは判らないが。
目を凝らしてよく観察してみた。燿は黒っぽい英字Tシャツとジーパンを着て、大きめのリュックサックを背負っている。
暗くてよく見えないが、少なくとも返り血がべったり付いているということはない。だが、写真では血が噴き出る前に犯人は被害者とすれ違っていた。それに、そもそも着替えを用意していれば何の問題も無い。
燿は、手にスマホだけ持っている。通り魔なら持っていたはずの物がある。例えば、ナイフや黒いジャンパー。しかし、リュックサックに入れてあるのかもしれないし、途中で捨ててきた可能性もある。
結局、何一つ確言できないままだ。
唐突に、燿がこちらを向いて話しかけてきた。
「それにしても、連続通り魔なんて物騒だよな」
忍び足のまま距離を取り、
「本当にね」
と返す。動悸がうるさい。
「被害者も、意識不明だってね。なんとか助かればいいんだけど」
喋りながら、麗はテレビに目を向けた。画面には一つのフリップがアップで映されている。
『こちらが、独自インタビューから見えてきた犯人像です。犯人は身長160cm程度の男性。灰色のニット帽と黒のジャンパー、青いジーンズを着けています。また、右利きと見られます。では、詳しいインタビューのVTRをどうぞ!』
燿は、短髪で身長165cmほどの右利きの男だ。服装は着替えがあれば何の手掛かりにもならない。
つまり、プロフィールは全て合致している。しかし、このプロフィールに合致する人間はごまんといるだろう。事態は全く変わっていない。
テレビには、1人の男がマイクを向けられ、興奮気味に話していた。
『すれ違ったと思ったらおっさんが腹を押さえて倒れてよお。通り魔はそのまま俺の横をスタスタ歩いていったよ。顔は帽子の鍔でよく見えなかったが、身長は160くらいだったぜ』
その次は、犯人が写ったあの写真の撮影者の証言らしかった。色黒のギャルが、大仰な身振りを交えて喋っている。
『そこのテラス席で、パフェと自撮りしようとしてたわけ。こう……スマホを構えて撮ろうとしてたんだけど、後ろの歩道に人が通りかかったから、画面見ながら待ってたんよ。そしたら、いきなりブスッと、男が右手で女の人を刺したのがパフェの横に見えたの。もう私びっくりしちゃってえ、思わずシャッター押しちゃったのが、この写真ってわけ』
パフェを持ったギャルの自撮りだが、視線が微妙にずれてしまっている。その左奥には、血を噴き出す被害者と見切れた犯人が。あの写真は、これを拡大したものだったようだ。
その時、外からヘリコプターの飛行音が聞こえてきた。
「テレビの中継でもやってるのかな」
燿が扉の外から問いかけてきた。
ふと、閃いた。燿はずっと外にいたから、テレビを見る機会などない。鎌をかけてやろう。意を決し、麗は外に向かって話しかけた。
「通り魔なんて怖いわね。刺された女の人は、首をかかれていたってよ」
「え? 胸を刺されたんじゃなかったっけ?」
掛かった。
「燿。あんた、それどこで知ったのよ? テレビを見る機会なんて無かったはずよ」
つまり、燿は現場を見たことのある、通り魔に他ならないのだ。
ところが、あっけらかんとした答えが返ってきた。
「テレビ? 普通にTwitterで見たよ。てか、まだ片付け終わらないの? もう真っ暗だよ」
そうか、情報を得る手段はテレビだけではない。自分がネットを滅多に使わないから、忘れていた。現代っ子め。また振り出しだ。
「姉貴、情報が錯綜してるから、気をつけなよ。ネットは勿論、テレビですら十分な取材ができてないかもしれない。フェイクニュースに騙されないようにね」
「判ってるわよ」
心配されてしまった。全く、人の気も知らないで。
テレビはネタが尽きたのか、先程と同じ内容を繰り返し始めた。独自インタビューから見えてきた犯人像──。
……ん?
燿の台詞が脳内でリフレインされる。テレビですら十分な取材ができていない──。
ゆっくりと、考えが組み上がっていく。
「……き、姉貴! おーい!」
気づくと、燿が麗を呼んでいた。生返事をすると、
「どうしたんだよ。片付け終えたんなら、入れてくれないか?」
と心配げに言われた。
麗はゆっくりと立ち上がると、玄関に行き、扉の前に立った。
「ごめん、燿」
それから、右手を伸ばし、サムターンを捻った。扉を押し開け、笑いかける。
「待たせたわね」
「怖くて死ぬかと思ったぜ」
言葉の割には平気そうな顔で、燿が笑った。
「実は私ね、燿が通り魔なんじゃないかと疑ってたの」
燿を部屋に上げ、冷蔵庫から缶ビールを2つ取り出しながら、麗は言った。燿は枝豆を口に運びかけた姿勢のまま、固まった。同じ内容を繰り返すテレビ番組が、タイミングよく通り魔の写真を映した。
「ほら、燿に似てない?」
「ん〜、俺に見えなくもないけど……こんな男なら大量にいるだろ」
それから、麗は燿を通り魔か否か見極めようとしたことを話した。燿は笑ったり感心したりしながら話を一通り聞くと、麗にこう尋ねた。