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分け入っても分け入っても青い山  ――種田山頭火


 これは、作者が44歳の時、熊本から宮崎までの旅路で詠んだ句である。一体、なぜそのような旅をしていたのだろうか。
 実家が倒産、父は夜逃げし、関東大震災が身を襲う。離婚した元妻のもとへ身を寄せたと思えば酒に溺れ、市内で泥酔し路面電車に轢かれそうになったところを顔見知りの記者に助けられる。間もなくして、記者の紹介で報恩禅寺(ほうおんぜんでら)に預けられるのである。だが、作者が「僧侶になりたい」と申し出ると、修行に耐えられないとのとの理由で却下された。これを受け、社会にもなじめず僧侶にもなれないとは、と、自分探しの旅に出る。この句はその時に詠まれたのである。
 この句について、自立語が三種類しかなく、破調の形を取り、季語もないなど、破天荒だと言うことができる。しかし、どこか力強さをも感じる。なぜだろうか。
 私はこの句の良さとして、表現したいことを表現しきっている点を挙げる。まず私はこの歌に、「自分の半生を振り返り、動き出したところだが、まだ先には何も見えないのだ」という意味を感じた。しかし、直接的に書かれていることは「進んでも進んでも山の青さが無くなりませんね」といったところである。
 このような、「書いていないことを思わせる」部分の秘密は、「分け入っても」のリフレインによる効果が大きいように思える。繰り返すことが続く困難への予期を、決心を感じさせるのだ。
 有季定型の決まりを超え、表現したいものを求めて詠まれたこの句に、力強さを感じる。

1年8月11日 (K) 18:19時点における版