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生き残った少年のクラスメイトは、「少年は事件の前々日から様子がおかしかった」と証言している。 | 生き残った少年のクラスメイトは、「少年は事件の前々日から様子がおかしかった」と証言している。 | ||
<blockquote><span style="font-size:150%">'''<font face="Times New Roman">彼(引用者注:「少年」を指す)は2日前の水曜日からなんか様子がおかしかったんです。社会のテストが終わった頃だから2時間目くらいか、その時からなんか思いつめたような顔して、なんかブツブツつぶやいてました。翌日はもっとひどくなってて、つぶやくというよりうなってました。頭を抱えたりなんかして、なんかもう一人の自分と戦ってるみたいな。一度「大丈夫?」と声をかけたんですけどね、力無く生返事が返ってきただけでした。いつもの様子に比べたら、明らかに異常ですよ。</font>'''</span> | <blockquote><span style="font-size:150%">'''<font face="Times New Roman">彼(引用者注:「少年」を指す)は2日前の水曜日からなんか様子がおかしかったんです。社会のテストが終わった頃だから2時間目くらいか、その時からなんか思いつめたような顔して、なんかブツブツつぶやいてました。翌日はもっとひどくなってて、つぶやくというよりうなってました。頭を抱えたりなんかして、なんかもう一人の自分と戦ってるみたいな。一度「大丈夫?」と声をかけたんですけどね、力無く生返事が返ってきただけでした。いつもの様子に比べたら、明らかに異常ですよ。<br>〜生き残った少年のクラスメイト</font>'''</span><ref name="anohi">『二・零零事件 あの日何があったのか』毎日新聞社</ref></blockquote> | ||
また、少年は事件前日の11月25日、[[Sisters:WikiWikiオンラインボード|あるサイト]]に奇妙な投稿をしている。少年が事件を起こした動機をこの投稿に見出そうとする者もいるが、説得力のある解釈は未だない。 | |||
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2年1月34日 (W) 17:28時点における版
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二・零零事件 | |
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現場となった学校。犯人も通っていた。 | |
場所 | 沖縄県南風原町新川646 沖縄県立開邦中学校・高等学校 |
標的 | 生徒・教諭 |
日付 | 2021年11月26日 |
時間 | 8時10分~8時45分 |
概要 | 男子中学生による無差別殺人 |
凶器 | 包丁、カッターナイフ、机 |
死者 | 47人(犯人を除く) |
負傷者 | 153人 |
犯人 | 中学校の男子生徒 |
動機 | 不明 |
二・零零事件とは、2021年11月26日に沖縄県南風原町で発生した連続無差別殺傷事件である。男子中学生(事件当時15歳:沖縄県立開邦中学校3年生)が相次いで同中学校および併設されている高等学校の生徒、教員を殺傷した。死傷者は合計200名にのぼり、それゆえに二・零零事件と称されている。
殺害人数47人は、日本で発生した殺人事件としては最も多く[1]、近代日本最悪の殺人事件として世間に大きな衝撃を与えた。
本事件は開邦中・高殺人事件、2・00事件などと呼ばれることもある。
概要
事件を起こした犯人の実名は少年法に則り、公開されていない。そのため、本稿では少年と表記する。
沖縄県立開邦中学校の3年生だった少年は、2021年11月26日の初めの授業が始まった時、自宅から持ち出した刺身包丁で彼のクラスメイトを次々と切りつけた。そして別の教室にも次々と押し入り、包丁とカッターナイフで生徒を殺傷した。制止を図った教諭も被害にあっている。また、教室の机によって撲殺された被害者もいる。少年はいくつかの教室で35分にわたって多くの人を殺傷した挙げ句、自らの腹部に包丁を突き立てて死亡した。
結果として、少年を除いて生徒46人、職員1人が死亡した。また、生徒149人と職員4人が重軽傷を負った。日本最悪の殺人事件であるが、被疑者死亡のため不起訴処分となった。
事件の経緯
11月24日~25日
生き残った少年のクラスメイトは、「少年は事件の前々日から様子がおかしかった」と証言している。
彼(引用者注:「少年」を指す)は2日前の水曜日からなんか様子がおかしかったんです。社会のテストが終わった頃だから2時間目くらいか、その時からなんか思いつめたような顔して、なんかブツブツつぶやいてました。翌日はもっとひどくなってて、つぶやくというよりうなってました。頭を抱えたりなんかして、なんかもう一人の自分と戦ってるみたいな。一度「大丈夫?」と声をかけたんですけどね、力無く生返事が返ってきただけでした。いつもの様子に比べたら、明らかに異常ですよ。
〜生き残った少年のクラスメイト[2]
また、少年は事件前日の11月25日、あるサイトに奇妙な投稿をしている。少年が事件を起こした動機をこの投稿に見出そうとする者もいるが、説得力のある解釈は未だない。
11月26日
事件発生前
少年は7時25分頃に登校し、中学3年1組の教室に入った。この時包丁を机の引き出しに隠したと思われる。クラスメイトの証言によると、登校後少年はずっと顔を伏せ、何か小声で唱えていたという。[2]
中学3年1組での凶行
8時10分、早朝講座を始める号令のためクラス全員が起立した。その直後、少年は振り返って後ろの席の生徒の腹部に包丁を突き立てた。少年は素早く更に後ろの生徒の腹部も刺し、次いで右横の列に標的を移した。初めの凶行が為されたのは教室の後方だったため、クラス全体が危機を察知したときには、既に10名ほどが刺されていたという[3]。
教室はパニックに陥った。多くの生徒が手前のドアから逃げようとしたが、建て付けが悪かったためになかなか開かなかった。その間に少年は包丁を低く振り回すようにしてクラスメイトを切りつけていった。教室に居た社会担当教諭が少年を拘束しようとしたが、少年の振り回した包丁が首に当たり頸動脈が切断、失血死している。[2]
結果として、教室に居た38人(少年を除く)のうち、12人が死亡、14人が負傷した。
中学3年2組での凶行
中学3年1組から逃げ出した生徒の幾人かは、隣の中学3年2組に駆け込んだ。危険な状況であることを伝えたものの、すぐに避難する者はいなかった。教室内の人々は、悲鳴などを耳にし不審に思っていたものの、事態がこれほどまでに深刻だったとは思っていなかったという。[3]
8時12分、少年が中学3年2組の教室に飛び込んできた。少年はすぐに前方の生徒に向かって包丁を振るった。立っていた生徒は腹部を、座っていた生徒は肩や首を次々に傷つけられ、数人が死亡した。教室は1組と同様にパニックに陥り、後方の出口に逃げようとした生徒が殺到した。このとき、授業を担当していた教師は足がすくんで動けなかったが、少年は一瞥をくれ何かを小声で呟いただけで、攻撃しようとはしなかったという。[3]
この時、1人の男子生徒が少年の包丁を奪おうと試みた。振るわれた凶器を避け、手を捩り上げると包丁は床に落ちたという。別の生徒がそれを拾い上げ、走って逃げた。しかし少年は暴れて手を振り払い、近くの机を男子生徒に叩きつけた。少年は何度も机を男子生徒の胴に振り下ろした。男子生徒は内臓破裂による失血性ショックで死亡した。遺体はマスクから溢れた吐瀉物と血液で見るも無惨な状態だったという。[4]
だが、その間に多くの生徒が教室から避難することができた。中学3年2組では、5人が死亡、13人が負傷した。
少年は教室に残された筆箱からカッターナイフを奪い、更に隣の中学2年2組に押し入った。
中学2年2組での凶行
8時15分時点で、事態は周りにある程度伝わってきていた。中学3年の2クラスから逃げてきた生徒が職員に危険を報せていたためである。