利用者:キュアラプラプ/サンドボックス/丁

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第一章 めっちゃデカい屋敷と死体

──二月二十日・深夜──

二月二十日午前一時、めっちゃデカい屋敷に悲鳴が響き渡った。

八名しかいない屋敷の中で、その主人である資産家律家りつけりつの遺体が発見されたのだ。

しかし、こういうミステリー小説にありがちな探偵は―――いなかった。奇妙なことに、この屋敷での殺人劇には、事件の解決に乗り出すハッチ帽を被った紳士など終ぞ現れなかったのだ。

「えーっと、とりあえず自己紹介でもした方がいいんじゃないか? まあ、大抵みんな少なくとも顔見知りではあるだろうけど一応……。」

この屋敷・律家館のダイニングルームの静寂を破ったのは、律家律の実弟である威山横いさんよこ世哉せやの一言であった。この部屋には、週刊誌記者の此井江このいえ浩杉ひろすぎ、および律とラレの娘である律家ラレを除いた、屋敷にいる六人が集合していた。

「まあ、まず俺からかな。俺は威山横世哉。……旧姓は律家世哉。知っての通り律の弟だ。うう……兄貴い……。」

「こっちは妻の威山横亜奈秋あなあき。大切なお義父さんを殺した奴は、ゴリゴリの私刑に処そうと思っているわ。」

「……私は律の妻、律家ノレよ。……とてもお喋りなんかできる気持ちじゃないわ。」

「俺ぁ有曾津うそつきんぐ。本名はガリレオ・ガリレイだ。俺のことは信用していいぜ。」

「……あー、もしもし? 聞こえてますか? 電話越しですけど、一応僕も。此井江浩杉です。今一応そっちに向かってるんですけど、三回くらい同じ景色のところを通過してますね。ここは一体どこなんですかね? え、ちょっとこの家広すぎません?」

人々が順番に自己紹介をしていく中、突如として放たれた奇声は場の雰囲気を大きく変えた。

「じひいっ! ぎぁぁぁぁあじざざさざじじざじざじじぎぎぎぎかぎぎじざささぎいいいいいぃぃぃぃぃぃぃいぁぃぃぃぃぃぁあぁぁぁ」

困ったような顔をしたノレが、少し遅れてフォローを挟む。

「……一応私が代理ということで。彼は橘地きっちがい。この館の使用人で……たまに発作でこうなっちゃうの。」

事実、シャンデリアにぶら下がってブリッジをしながら肘と膝のそれぞれ片方を用いて次々に知恵の輪を粉々にしていく彼は、紛れもなくこの大豪邸の使用人であった。

「そっちの警察の人は挨拶しないのか? 失礼な奴だな。俺はアインシュタインだってのに。」

「私は卦伊佐けいさ通署つしょ。犯人はさっさと自首した方がいいぞ。」

「……あれ? えーと、もしもし? 聞こえます? あのお……通報したの僕なんですけど、なんで一人しか警察の人来てないんですか? 殺人ともなれば、普通結構な人数で来るもんですよね?」

「いやあ申し訳ない、パトカーがあまりに遅かったもんでな。我慢できなくて仲間を置いて走って来たんだ。」

このあまりの荒唐無稽さに、アナーキストとキチガイ以外の全員が、彼が警察官であるというのを疑わしく思った。しかし、体からにじみ出る肉体の強靭さのオーラだけはまさしく本物であり、下手に刺激したら普通に殺される可能性があるので、みんな知らんぷりをしている。

「では、捜査に協力してもらおうか。分かっているとは思うが、お前ら全員が容疑者だ。一人一人、今までの状況を簡単に教えてくれ。」

「……あーあー、もしもし? じゃあ、まあ第一発見者の僕から行きましょう。そもそもは週刊誌記者として、良い感じのゴシップとか持ってないかなあと思って律家律氏に会いに来たんですよ。あ、もちろんアポは取ってますよ? んでまあ、大した情報も得られなかったんでそのまま帰ろうとしたら、どうにも玄関にたどり着けない。何時間も右往左往して、なんと結局律さんに取材した書斎に戻ってきちゃったんですね。このままじゃ埒が明かないし、家主である律さんに道を聞いて帰ろう、と思って部屋に入ったら……えーと、まあ……胸に包丁が刺さって死んでました。……で、警察に電話して、あとはまあ、はい、そうですね、アポ取りの時に電話した履歴が残ってたので、そこからラレさんにも電話して、今に至る、って感じですね。」

「……その電話をもらった私が、律の書斎に行って、それで……此伊江さんの言う通り……あ、う、本当に……本当に死んじゃってて……ううっ、それから……このダイニングルームに来た、の……。みんなにこのことを伝えるために。残りの四人はダイニングルームで各々くつろいでいたから。あ、娘のラレは既に自室で寝ていたわ。……ううっ。」

漂う悲愴感の中、全く空気を読めない稀代の嘘つきは続ける。

「いーや違うね。お前は嘘つきだ! なぜなら俺はダイニングルームで寛いでなんかいなかった。インドの人民を想い、瞑想をしてたからだ! なんてったって俺はガンジーだからな!」

沈黙。

「宇曾都てめえ……私刑に処すぞ。そもそもお前瞑想なんてしてなかったろ。……てか、どう考えても殺したのお前だろ! 逆恨みで殺したんだろお前え! 私刑! 私刑!」

暴れる亜奈秋を静止しながらも、卦伊佐はその言葉に食らいついた。

「ほう……! 詳しく聞かせてもらいたい。」

「俺が代わりに説明しよう。何分血を分けた兄弟だからな、俺はこの家によく来るんだが……その度にこいつは兄貴に怪しいビジネスを持ちかけてた。ヘリウム水だのオーガニック水だの……だが、兄貴は人一倍優しい奴だったからな。こいつが家に来るのを断るようなことはしなかったんだ。……その結果が今日だ。大方こいつは遂に逆上し、兄貴を殺したんだろうな。うう……。」

「イエス! 私刑! 私刑! 準備は良いかてめえら!」

しかし宇曾津は、声を荒らげて反論する。

「おいおい待て待て待ちやがれ絶世の馬鹿ども、このエジソンに向かってなんて口の利き方だ。動機の話をするんならお前らにもデケえのがあるだろうが!」

「続けてくれ。」

「ああ、ああ、そうだよ。ニュートンとしてこれだけは言わなくちゃいけねえ。律家律が死んだとき……実弟である威山横世哉には莫大な額の遺産が相続される手筈になってんだよ! ……真実はいつも小説より平凡だ。そしてここは紛れもなく現実!これは現実の事件!金持ちの殺害動機に遺産ほどシンプルなものはねえだろう!?」

「じひじひひいっ!? うあうあああうあふさふあっしゅああさうさふさうああああ!!!!」

ダイニングルームには怒号と奇声が飛び交い、とても有意義とは思えない口論が白熱していく。しびれを切らした卦伊佐は、質問を変えることにした。

「じゃあ、事件発生までの被害者の行動を知ってる人はいるか?」

「律は、今晩はずっと自室である書斎にいたわ。……あ、そうだ、もしかしたら……。」

「何だ?」

「いや、夫はとても几帳面な人で、自分の書斎に来る人の順番まで決めちゃうほどだったの。だからもしかしたら、最後に書斎に行った人が分かれば、犯人が分かるんじゃないかな……って。確か今日は、ここにいたラレ以外の全員が書斎に行ってたわよね。」

全員が頷く。うち一人は、ブリッジしながらヘドバンしていると形容する方が適切だが。

「なるほど……まあ取り敢えず、その書斎に案内してくれないか。」

「……もしもし? あの……ついでに僕も探してくれませんかね? この調子だと餓死しちゃいますよ……。」

卦伊佐とノレが書斎に赴き、ダイニングルームには醜く言い争いをする三人と、シャンデリアを揺らしながら発狂するキチガイだけが残った。

第二章 几帳面すぎる男

「これは驚いた。書斎というからには、現代レトロ趣味で集めた紙製の本とか、インク入りのペン……確かボールペンとか言ったか。ああいうのが散らかったデスクがあるような部屋を想像していたが……。」

大理石の白を基調とした書斎には、流し台や食器棚、コーヒーメーカーが据え付けられており、この部屋に初めて入った者にはキッチンだとしか思えない。

ただしこの部屋は、書斎だろうがキッチンだろうが紛う方なき殺人現場だ。部屋の中心にあるテーブルには向かい合わせに椅子が二脚。そして、奥の方の椅子から転げ落ちるようにして倒れていたのが、律家律の遺体だった。激しく抵抗した痕跡が残っており、左胸にはナイフが刺さっている。

「っ……。」

「あー、無理にここに居続ける必要はないからな。」

「……いいえ、大丈夫です。」

「そうか。じゃあ、遺体の状態を確認させていただこう。」

そう言って、卦伊佐は手早く検分を終わらせた。

「死因は外傷による心破裂。被害者はナイフを持った犯人を前に抵抗したものの、心臓を一突き、即死だ。凶器に指紋はついていないから、手袋でも使ったんだろう。死後硬直が始まっているが、まだピークには達していない、死亡したのは十九日の午後、八~十時あたりだろうな。」

「あ、このナイフ……うちのキッチンのだ。」

「なるほど、凶器は現地調達か。あー、ところでさっきの話だが、この部屋に来る順番というのは?」

「ああ、そうね、ネモー!」

ノレがそう呼ぶと、クソデカ屋敷に似つかわしいクソデカ大型犬、ネモが書斎の隅の方から現れた。背の丈は、ガタイの良い卦伊佐をも優に超えている。

「書斎に行く順番が回ってくると、夫が派遣したネモがやって来て、それを教えてくれるの。ネモったら頭が良いから、写真を見せられるだけでその人を識別できちゃうのよ。」

「なるほど……。つまり容疑者らの部屋に来た順番を知っているのは、被害者とネモだけということか。」

「あー、でも、数時間前に案内した人の順番は流石にネモでも覚えてないと思うわ。」

「うーむ、容疑者全員が書斎に行った時間を覚えていればいいんだが……ちなみに、来る人の順番を決めることに何か理由はあったのか?」

「さあ……あ、でも、夫は書斎に来た人に、ホットミルクかアイスコーヒーか好きな方の飲み物を入れてくれるの。もしそれが知人の場合、彼は既に好みを把握しているから、あらかじめ順番を決めておけばその人が来る前に飲み物の準備を済ませられる、というのがあるかもしれないわね。彼、飲み物によってコップさえ変えるのよ。確か、ミルクはマグカップ、コーヒーはタンブラーね。まあでも、結局は彼の気分だと思うわ。そんなに効率化したいなら、ミルクの人とコーヒーの人を前半後半に分けておけばいいけど、そんなことはやってなかったし。」

「……なるほど。」

「そうねえ……。うん……夫はね、本当に几帳面な人だったわ。起きたらまず20秒間顔を洗う、流しに置いたままにしていい食器は一つまで。ネクタイピンの位置は毎日10分くらいかけて調整してたし、お辞儀の角度だって完璧になるまで練習してた。ほんと、馬鹿げてるわ。でも、どんなに忙しくても朝食は家族で一緒にとってくれた。特別な日には仕事をほっぽり出して、みんなで遊んだわよね。ねえ、覚えてる? 律……。」

ネモは、いつの間にか眠ってしまっていた。

――深夜二時、再び六人がダイニングルームに集まった。

「……もしもしー? 聞こえてます? いやーちょっと、諦めてダイニングルームに帰ってるじゃないですか! マジで希望がないんですよこっちは! 早く僕を見つけて!!」

「えー、まあ、そういうわけで、各自書斎に行ったときのこと、特にその時間部屋の状態を、今度は覚えているだけ精細に話してほしい。」

「……ちょっと! 無視しないで!」

「嘘の証言を防ぐために、まあ、なんだ、所謂ウソ発見器ってやつを持ってきた。もちろん23世紀の技術によって、大幅に性能は向上しているんだが、残念ながら科学捜査倫理法のせいで犯行についての直接の質問に使うことはできない。あと、わざと何かをぼかしたり隠していることも感知できない。あくまでも嘘かどうかを発見するマシーンだからな。」

一気に室内の緊張感が増す。これには橘地も、ブリッジしたまま硬直していた。

「じゃあ、まずは此井江からだ。声紋鑑定タイプなので、電話越しでも大丈夫だぞ。」

「……あーはい、分かりました。えー、まあさっきも言った通り、僕は取材のために書斎に行きましたね。あ、そうそう、アポ取りの時にノレさんにミルクとコーヒーどっちが好きかって聞かれて、どういうことなんだろうと思ってたんですけど、飲み物出すための質問だったんですね。僕はコーヒーを飲みました。すいませんが、時間は覚えてませんね……えー、で、部屋の状態……部屋の状態ねえ……うーん、流しにマグカップがあったはずです。それ以外は全然注目してませんでしたね。あ! あと、部屋を出てから廊下の方で取材したことのメモを見返してたんですけど、その時に亜奈秋さんが書斎に入っていくのを見ました。このくらいですかね。あと、早く助けてください。」

「よし、反応は出なかったな、じゃあ次は弟さんの方から。」

「うい。えー、俺はまあ、母の話をしたよ。そろそろ認知症がやばいから、施設に預けたほうがいいかもしれないってな。飲み物は俺もコーヒーだったぜ。時間は知らん。俺はそういうの気にしないタイプなんでな。状態……うーん、流しは見てなかったけど、律が洗ったらしいマグカップを拭いてたのは覚えてる。あーあと、コーヒーマシーンのスイッチを切ってたっけか。こんなとこかな。」

「よし、これも無反応。じゃあ続いてそっちの……亜奈秋さんだっけ?」

「ええ。亜奈秋よ。私は……その……せ、世間話をしに行ったのよ。」

瞬間、ウソ発見器から警告音が放たれた。卦伊佐はニヤニヤしながら言う。

「おっと、あんた大丈夫か? なあに、誤作動ってこともあるからな。どうなんだ?」

「ぐ……あー、正直に言うと、世哉の誕生日のサプライズパーティーの相談に行ってたの。……今の今で台無しになったけどね。私刑にしてやうろかてめえら。」

「亜奈秋……うう……。」

世哉の目は潤い、卦伊佐をはじめ他の人たちはめっちゃ気まずくなった。橘地でさえもがあまりの気まずさに耐え兼ね、ブリッジを解除してトリプルアクセルした。

「……まあ、その話は今は良いわ。とにかくそれで書斎に行ったの。時間は……確か九時頃だったかしら。飲み物はミルクだったわ。あ、そうそう、確かに私も、部屋に入る前に廊下にいる記者の人を見たわ。」

「なるほど。あー。うん。なるほどね。うん。じゃあ次は宇曾都さん。」

「おう。まあ、コペルニクスである俺にしてみれば……。」

ウソ発見器がけたたましく嘶いた。橘地は驚きのあまり、五回転アクセルを成功させた。

「何でバレた!? 何で嘘ってバレた!? ……まあいい。くっくっく……! そうだ! 俺はコペルニクスじゃない。本当はアリストテレスだからな!」

しかしこの時、怒りのあまりウソ発見器を破壊した卦伊佐が放った殺気は、宇曾都のいたずら心をへし折ってしまった。卦伊佐は彼にウソ発見器よりも大きな恐怖を与えたのである。23世紀に入って人間の行動が科学技術のもたらした機能を超克したのは、これが初めてのことであった。

「はい……あの……はい……まあうまい事騙して金をむしり取ってやろうとしてました……時間……曖昧だけどまあ……十時前くらいでしたかね……飲み物はコーヒーっした……あと……はい……俺の時も律家さんはマグカップを拭いてました……はい……。」

「よし。あー、じゃあ次は奥さんで。ウソ発見器の予備はちゃんとあるのでご安心を。」

「……あ、はい、えっと、私はまあ……なんというか、とりとめのないどうでもいいような話をしに行きました。今日は天気がいいね、とか。飲み物はミルクでした。時間は……覚えてないけど、そんなに遅くではなかったと思います。あ、あと、入るときに冷蔵庫からミルクを出してるところが見えたのは覚えてます。ちょっと来るのが早かったかな、って思って。あ、あと、私が出ていくときにコーヒーマシーンのスイッチを入れてました。それくらい……ですね。」

「よし、無反応。じゃあ次は……その……そちらの方は……。」

調子に乗って五百六回転アクセルまで成功させてしまった橘地は、遂にその口を開いた。

「はい。そうですね。私もノレ様と同様、大した目的があったわけではありませんでしたが、ご主人様とお話がしたいなという事で、八時半ごろに書斎へ伺いました。いただいた飲み物はホットミルクでしたね。部屋の状態はあまり観察しておりませんでしたが、コーヒーマシーンをオンにしていたことは記憶しています。」

「え……!? え、あ、うん。はい。よし、無反応。無反応だったな。……うーむ、証言は集まったが……順番の特定は難しそうだな。ヒントがあまりにも少なすぎる。」

「……もしもし? あの……流石に他の警察の人来るの遅すぎませんかね? もっと捜査する人がいたらだいぶ進展すると思うんですけど……」

「あー、それなんだが……俺がパトカーを飛び出して地面に着陸したとき、そのあまりの衝撃で地盤が崩落してしまったんだ。おそらく今で救助が完了したくらいだろう。もう少しでみんな来るんじゃないか?」

このあまりの荒唐無稽さに、アナーキストとキチガイ以外の全員が、彼に対して疑念というより恐怖を抱いた。しかし、超合金でできたウソ発見器をベコベコにへこますその剛力は銃砲の何倍も強力なものであり、下手に刺激したら普通に殺される可能性があるので、みんな知らんぷりを維持した。

――探偵のいない事件は、ここに来て膠着状態に陥った。

第三章 シュロギスモス(使いたいだけ)

「なにしてるのー?」

止まったダイニングルームの時間を動かしたのは、