利用者:キュアラプラプ/サンドボックス/戊
あるところに小鳥がいました。小さなみどり色のつばさと、きれいでふさふさな毛なみをもち、気ままにのうのうとくらしている小鳥です。
今日はお気にいりの甘あい実をたくさんとれたようで、ごきげんなようすでおうちにもってかえってきました。夕やけ空を風のようにかけぬけて、とっても気もちよさそうです。
「あっ、小鳥さんだ! 空をとんできた!」
「やあ小鳥さん。わあ、お~いしそうっ!」
「ほうほう、さすがは小鳥くん、くだものをとるのがじょうずだね。」
小鳥には森のともだちがたくさんいます。いつも元気なリスさんに、食いしんぼうなウサギさん、とっても頼りになるハトさん!
小鳥はみんなにとってきたものをすこしずつ分けてあげました。みんながおいしそうにたべているのをみて、小鳥はちょっぴりほこらしくなりました。
「えっへん、ぼくがえらんできたくだものはおいしいでしょう?」
「うん、とっても!」
小鳥は、すごくしあわせでした。
* * * |
じぶんが食べる分を木のみきのほら穴につめこんだあと、小鳥は日がくれるまであたりをさんぽすることにしました。
この森をぬけたすぐそばには、人間たちのくらす街があります。そこにはにぎやかな歌やようきな音楽がいつもなりひびいていて、おいしい食べものもそこら中にあふれているのです。小鳥はこの街を、とーっても気にいっていました。
はなうたまじりに街に入ろうとした小鳥は、ひんやりとした風といっしょにどこからかながれてきたものに心をうばわれました。甘くてきれいで、しっとりしたいいにおいです!
そのおいしそうなかおりにつられ、しばらくそのままさまよって、小鳥はついににおいのもとまでたどりつきました。そこは、街のはずれにあるケーキやさんでした。
かちゃかちゃぐつぐつ音がして、えんとつからはもくもくとけむりが立ちのぼっています。小鳥がおみせのなかをのぞいてみると、そこにはもちろんたくさんのケーキ!
どれもおいしそうで、みているだけでおなかがへってきてしまいます。すると――
「こんにちは、小鳥さん。」
「う、うわあ!?」
とつぜん声をかけられて小鳥はびっくり! まどガラスごしにはなしかけてきたのは、たなのはじっこにあるショートケーキ、その上にあるいちごでした。
なめらかな形がさえた真っ赤にいろどられ、まわりのホイップクリームはまるでドレスのよう。小鳥はなんだかどきどきしながらへんじをしました。
「こ、こんにちは、いちごさん!」
いちごは小鳥のほうをみて、やさしくほほえみました。小鳥は恥ずかしくなって、とっさに目をそらしてしまいます。
「ねえ、あなたは空を飛べるの?」
「う、うん、飛べるよ! それも、とーってもはやくね!」
「わあ、すごい! じゃあ、雲の上にもいったことがあるの?」
「雲の……うえ……。」
小鳥はたしかに空をじゆうにとべます。けれど、雲の上にまで行ったことはありませんでした。そんなにたかいところまでとぼうとしたら、つかれてへとへとになってしまうし、なにより小鳥はこわがりだったからです。
じめんがみえなくなるほど空たかくにいってしまったら、もうかえってこられなくなるんじゃないか――どうしてもそうおもってしまうのです。
でも、そんなこといったらかっこわるい気がして、小鳥はうそをつきました。
「も、もちろん! ……雲の上ではおひさまもぽかぽかで、すっごく気もちよかったよ!」
これを聞いたいちごは、ぱあっとえがおになりました。でも小鳥はなぜだか、ちょっぴり目をそらしたくなってしまいました。もじもじしながら、いちごはこう続けます。
「……わ、わたしね、じつは、いつか雲の上にいくのが夢なの。だから、その……よければわたしをつれていってくれないかな……なんて。」
「え!? あ、その、えーっと……。」
どうしよう! どうしよう! ほんとうは雲の上にいくなんてできないのに! 小鳥はうそをついたさっきのじぶんにもんくを言いました。
「……ご、ごめんね! 会ったばっかりなのにこんなこと聞いちゃって! め、めいわくだったよね! やっぱりこのことはわすれて!」
いちごはかなしそうにうつむいています。それをみた小鳥は、ついあせって、言ってしまいました。
「わ、わかった! つれていってあげるよ! 雲の上!」
「ほんとに!? やったあ! ありがとう!」
できもしないようなやくそくをしてしまった小鳥は、あとでどうしたらいいのか、とてもしんぱいになりました。
けれど、いちごによろこんでもらえたのがうれしくて、ひょっとすると今ならほんとうに雲の上までとべるかもしれないとおもいました。いちごといっしょなら、なにもこわくないような気がしたのです。
――しかしそのときとつぜん、ばさばさという大きな音がちかづいてきました。
「小鳥くん、どうもこんにちは。」
小鳥がうしろをふりかえると、そこには真っ黒でのっぽのカラスがいました。りっぱなつばさをもっていて、とってもとぶのがはやそうです。かっこいい!
……だけど小鳥には、どこかぶきみなかんじがしました。
「こ、こんにちは、カラスさん。」
「……小鳥さん、あのカラスさんはおともだち?」
いちごがひそひそ声で聞いてきます。
「ううん、今はじめてあったとこ……うわあ!」
気づいたら、いつのまにかカラスは小鳥のすぐとなりにきていて、えがおでこう言いました。
「ねえねえ小鳥くん、かわいいかわいい小鳥くん、きみを食べてもいいかい?」
「え?」
あぶない! カラスはいきなり、つばさをひろげておそいかかってきました!
「うわああ!」
すんでのところで小鳥はこれをかわしましたが、カラスはひきさがりません。なにがなんだかわからないまま、とりあえず小鳥はここからにげることにしました。
「いちごさん! 今はあぶないから、明日また会おう!」
「ま、まって!」
しかしいちごは、なにやらあわてているようです。
「わたし、今日でこのおみせにすてられちゃうの!」
「え!?」
「くわしいことはわからないけど、ケーキはみんな一日でうれなくなるからって……。とにかく日がしずんでおみせがしまっちゃったら、わたし……!」
カラスのこうげきはつづきます。小鳥はかんがえるひまもないまま、こうさけびました。
「わ、わかった! 日がしずむまでにここにもどってくるから、それまでまってて!」
「……! うん! あ、ありがとう!」
小鳥は、いちごのことを好きになっていました。
* * * |
つばさをはためかせ、小鳥は空にとびあがっていきました。しかし、ケーキやさんがみえなくなっても、カラスはしつこく小鳥をおいかけてきます。それもものすごい速さで!
小鳥はひっしで小回りをきかせてどうにか出しぬこうとしますが、カラスにはつうようしません。夕やけはもうむらさきがかってきていて、お日さまはしずみはじめています。
「小鳥くんはすばしっこいなあ。もういいからはやく食べさせてよう。」
「……どうしてぼくを食べようとするのさ! 街にはもっとほかにおいしい食べものがあるでしょう!」
小鳥とカラスはつかずはなれず、ついには街の真ん中にある時計台のてっぺんまできました。空はくらくなってきて、お日さまはもうはんぶんしかありません。早くおみせに戻らないと、いちごはすてられて、ゴミばこに入れられてしまいます。
……ついさっきいちごと出会ったばっかりなのに、どうしてこんなふうにおもっているのか――じぶんにもわからなかったけれど、小鳥にとってそんなことはぜったいにいやでした。
小鳥はいつのまにか、森のともだちとおなじくらい、もしかしたらそれいじょうに、いちごのことをだいじにおもっていたのです。
「……ひとめぼれ、じゃないかな。」
「……え?」
ちく、たく、ちく、たく。時計台のはりのゆれるおとが、いやに大きくきこえてきます。
「ん? ああ、ぼくが小鳥くんを食べたくなったりゆうだよ。」
「え、いや……え?」
ちく、たく、ちく、たく。
「きれいな緑色のつばさにふさふさの毛並み。きみをみるとなんだか……どきどきしちゃうのさ。」
「ど、どういうこと……?」
ちく、たく、ちく、たく。
「ぼくはきみのことが好きなんだ。」
「あ、え。」
ちく、たく、ちく、たく。
「ずっとしあわせにするから。」
「ど、どうして、じゃあ、たべる、なんて。」
ちく、たく、ちく、たく。
「うーん……でもさ、そんな顔したって、ほんとうに心のそこからわからないなんてことはないだろ?」
ごーーーん。
七時をつげる時計台のおとが、小鳥をわれにかえらせました。にしの方をみると、あおぐろい雲の下、お日さまはほとんどしずみかかっています。
小鳥は、かんがえるよりさきに、じめんに向かってすごいスピードでおちはじめました。カラスもやっぱりあとをおって、まっさかさまにおちてきます。
「どうしたの小鳥くん、そのさきはただのじめんだよ! このままだとぶつかっちゃう!」
カラスの言うとおり、小鳥はじめんに向かってまっしぐら。あぶない、ぶつかる――!
というところでおっとっと、くるりとからだをひるがえします。しかしのっぽのカラスは小回りがきかず、そのままじまんの大きな羽をじめんに打ちつけてしまいました。これでカラスも、しばらくのあいだはおいかけてこられないでしょう。
「ぐっ……小鳥くん……ぼくはあきらめないからね! いつかきみのことを食べてあげるから!」
小鳥は、すぐさまいちごのもとへ向かいました。
* * * |
カラスのことばには耳もかさず、小鳥はあのケーキやさんに向かってぜんそくりょくでかけていきます。お日さまはついに、とおくに見える山の向こうにしずんでしまいました。
小鳥の中でいやなそうぞうがふくらんでいきます。ちかづいてきたケーキやさんのえんとつからは、もうけむりはのぼっていません。……いちごさん、おねがい、ぶじでいて!
小鳥はなりふりかまわず、今さっきみちでひろった小石をまどガラスになげつけました。大きな音を立てて、とうめいなガラスへんがくずれおちます。
おみせのだれかのひめいもよそに、小鳥はわれたまどのすきまから中におし入って、目線はたなのはじっこの、ショートケーキのてっぺんの――
「いちごさん!」
「あ、小鳥さんっ!」
「さあ、つかまって!」
小鳥はつめのあいだに大切にいちごをかかえて、ケーキやさんをあとにしました。
空はすっかりほのぐらくなっていて、お月さまとお星さまが白くかがやいています。つめたくふく風が小鳥といちごをくすぐって、ひゅうひゅうと音を立てました。
「あの、小鳥さん……ありがとう!」
「えへへ、どういたしまして!」
かわいた空気のなか、小鳥はふかく、やわらかく息をはきます。
だれかのためにこんなにがんばるだなんて、小鳥には生まれてはじめてのことでした。肩の荷がおりるのとどうじに、カラスとのおいかけっこのつかれがどっと押しよせてきました。
「すごいなあ……空ってこんなにひろかったんだね。雲もあんなにとおくにある。」
「……そうだね。」
ほほえましい気もちもひるがえって、雲の上へいちごをつれていくというやくそくをおもいだした小鳥は、じぶんのなさけなさがいやになりました。
あのときうそをついてしまったことが、いちごとのあいだの全てをだいなしにしているようにおもえました。
だから小鳥は、いちごにほんとうのことをはなすことにきめました。
「あ、あのさ、雲の上につれていくってはなしなんだけど……。」
――でも小鳥には、勇気がありませんでした。
「今日はつかれちゃったから、またこんどでいいかな?」
もしあれがうそだったとわかったら、いちごはじぶんのことをきらいになってしまうかもしれません。もしそうなってしまったら――その先をそうぞうすることさえ、小鳥にはこわくてとてもできませんでした。
こんなことなら、うそなんてつかなければよかったのに。
「わかった。じゃあ……明日にしようよ! 早く雲の上にいってみたいな……!」
「……う、うん、そうしようか。じゃあ今日はとりあえず、ぼくのおうちで休もう。」
「やったあ! 小鳥さん、ほんとうにありがとう!」
小鳥は、じぶんのことがきらいになりました。
* * * |
「あっ、小鳥さんだ! 今日はおそかったね!」
「やあ小鳥さん。あれ? ま~たくだものをとってきたの?」
「ほうほう、けっこう大きいね。これは……イチゴ、とかいったかな?」
小鳥は、しばらくしていちごといっしょに森へかえってきました。リスさん、ウサギさん、ハトさんの顔をみてすこしだけ元気になれたけれど、明日のことをかんがえると気もちはしずむ一方です。
「こ、こら、いちごさんは食べものじゃない! ぼくのともだちだよ!」
「え、そうなの! ごめんごめん、しらなかったよ!」
森のみんなはびっくりしているようすで、ふだんとかわらず明るくわらっています。……でも小鳥は、なぜだかぞっとしてしまいました。
いちごさん――「イチゴ」を、……くだものを食べものだとおもうのは、べつにおかしなことではないし、むしろとうぜんのことです。
なのに、いちごさんと「食べもの」をむすびつけることばには、なにかとってもいやなかんじがするのです。
……あのおかしなカラスのことばをおもいだしたせいでしょうか。
「えっと……ごめんねいちごさん、ここにいるみんなは、ぼくのともだち! ちかくにすんでるんだよ!」
「だいじょうぶ、気にしてないよ。……でも、わたしのからだをかじったりするのはやめてね!」
「あはは、ごめんごめん!」
いちごは森のみんなとすっかり打ちとけたみたいで、小鳥との出会いや、ケーキやさんからつれ出してもらったことを、とってもたのしそうにおしゃべりしています。よかったよかった。
――気づけば空はすっかりまっくらになっていて、ともだちもみんなじぶんのおうちにかえっていったので、小鳥ももうねむることにしました。いちごといっしょに、木のみきのほら穴の中にねころがります。
「小鳥さんのおうちのなか、あったかいね。」
「えへへ、いいところでしょ?」
「ええ、とっても。……小鳥さんは、もうねむっちゃうの?」
「もう夜もおそいからね。……いちごさんはねむらないの?」
「わたしは小鳥さんみたいなどうぶつとちがってうごけないから、ねむるひつようもないの。」
「そうなんだ……だったらよなかはたいくつじゃない?」
「ふふ、いがいとそんなこともないよ。わたしはいつも、雲の上のことをそうぞうするの。きっとそこはとってもきれいで、すっごくたのしいんだろうな、って。」
「……そっか、それならたいくつしないかもね。」
「でしょ? ……でも、明日はついにほんとうに雲の上にいけるんだね。……なんだか夢をみてるみたい!」
「……。」
ぽつぽつと、雨の音が聞こえてきました。
「小鳥さん、ほんとうにありがとう。会ったばかりのわたしに、こんなに良くしてくれて。」
「……おやすみ。」
「……おやすみなさい、小鳥さん。」
小鳥は、にげるようにしてねむりにおちました。
* * * |
お日さまもまだのぼらない朝はやく、甘あいゆめからさめた小鳥は、ゆううつに息つく間もなく、ひどいにおいに顔をしかめました。
雨上がりのじめっとした風といっしょにどこからかながれてきた、甘くてすっぱくて、鼻をつくひどいにおいです。あまりのつよいにおいに、小鳥はおもわずせきこんでしまいました。
……でも、あたりをさがすまでもなく、小鳥はそのにおいのもとに気づいてしまいました。
「あ、あれ?」
それは今いる木のみきのほら穴の中に、小鳥のすぐそばにありました。しなびた形がどんよりと黒ずんだ赤にいろどられ、ぽつぽつと気もちわるい粉をふくそれは――
「い、いちご……さん?」
「ねえ、小鳥さん、わ、わたし、いま……どうなってるの……!」
いちごは、今にも消えいりそうで、むらがるハエの羽の音にうもれてしまいそうな、しかしするどくつきさすような声で、そうつぶやきました。
「ど、どうして、こんな……。」
「わかんないよ! わたし……ちがう、いやだ、こんな、こんなの……!」
吐きそうになるのをこらえながら、小鳥はハエをおいはらい、大切にいちごをかかえて、ハトさんの住んでいる木にとんでいきました。ものしりで頼れるハトさんなら、こんなことになってしまったいちごでも、元どおりにできるかもしれないとおもったからです。
いちごをつかむ小鳥の爪は、ぶよぶよとしたいちごの不気味な手ざわりに、すこしふるえてしまっていました。
「小鳥くんか、こんな朝早くにいったい……うっ、ひどいにおいだ!」
――いちごは黙りこんで、かなしそうにうつむきます。しかしどうにかなぐさめようにも、小鳥にはいちごと目をあわせることができませんでした。今のいちごのすがたをみていると、気もちわるくなってきて、吐きそうになってしまうからです。
そして小鳥は、そんなじぶんにもまた気持ちわるくなってしまいました。
「……ハ、ハトさん! あの、いちごさんが、こんなことになってしまって……な、治してあげられる……かな?」
「いちごさん……!?」
ハトさんはようやく、小鳥がかかえている汚いものがいちごさんなのだと気づいたようです。
「今さっき起きたら、こんなことになってて……。」
「これは……そうか……。たしかいちごさんは、ケーキやさんからにげてきたんだよね?」
「……うん、あとすこしですてられてしまうところを、ぎりぎりで助けだせたんだ。」
「ほうほう、そうか……じゃあきっと『賞味期限切れ』……いや、これは『消費期限切れ』か。それにくわえて昨日は雨で湿気もあった……。」
「しょーみきげん? しょーひきげん? ど、どういうこと?」
「……『賞味期限』は『おいしく食べられる期限』、『消費期限』は『安全に食べられる期限』のことだよ。まあつまり、はっきり言ってしまえば……いちごさんはもう腐ってしまっているんだ。」
小鳥には、ハトさんの言っていることのいみがわかりませんでした。いちごさんが腐っている? 食べものでもないのに?
「……! た、食べるとか腐るとか言って、だからいちごさんは食べものじゃなくてぼくのともだちで……!」
「たしかに、小鳥くんにとってはともだちかもしれない。けど、きびしいことを言うと……けっきょくいちごさんはただのくだものなんだ。もちろん腐ることだってある。……どこまでいっても、食べものにすぎないんだよ。」
「そ、そんな、そんなこと……!」
「ごめんね。ざんねんだけど、いちごさんは治らない。……そろそろ全体がカビにやられてしまうだろう。そうしたら、もう……」
小鳥はじぶんのなかでどくどくという音が大きくなっていくのをかんじました。いちごさんは治らない? じゃあ、ぼくは、ぼくは――
「小鳥さん、わたし、もう、いいの。……もう、いいから。」
いちごが泣きそうな声で言いました。ぶよぶよとしたかんしょくは、さっきよりもっとひどくなっています。小鳥にはもう、どうすればいいのかわかりませんでした。
「……いったん、おうちにかえろうか。」
小鳥は、また吐き気をこらえました。
* * * |
いちごさんをふたたびおうちにつれてきてからずっと、小鳥はぼんやりしていました。
ときおりふいてくる風は、はっぱにたまった雨のしずくをふりはらい、小鳥といちごをくすぐって、ひゅうひゅうと音を立てます。
「ねえ、小鳥さん。」
「……どうしたの?」
「さっきわたしのまわりにいたハエね、小鳥さんがねむってたあいだに、ずっとわたしをかじっていたの。」
「え……?」
「気もちわるかった。にげることもさけぶこともできずに、じぶんがぐちゃぐちゃにされていくのをずっとみていた。」
「そ、そんな……。」
「……わたし、あんなふうに食べられて、なくなっちゃうのはぜったいにいや。だから、その……。よ、よければわたしを――」
お日さまがようやくのぼりはじめて、空の下の方が黄色くかがやきはじめました。しめってゆがんだいちごのすがたが、うすあかりにてらし出されます。
「――わたしのことを、食べてくれない?」
「……え。」
「小鳥さんになら、いいの。食べられてもいい。だって……わたし、小鳥さんのことが好きだから。」
さらさらと風がふきました。おきっぱなしになっていたあのお気にいりの甘あい実たちがゆれて、ごきげんに歌をうたっているようにみえました。大きくひびくどくどくという音に耳をすませば、その歌声はじぶんのなかからもきこえてきていました。小鳥は、それが気のせいだとは思いませんでした。
小鳥は、いちごを食べることにしました。
「……わかった。」
「え……ほんとうに? ほんとうにいいの? ……わたし、腐ったひどいにおいがするし、カビもいっぱいはえてるし、それに――」
「ぼくも……ぼくもいちごさんのことが、その……好き……、だから。」
小鳥は、ちゃんといちごをみつめてそう言いました。恥ずかしくて目をそらしたりなんてことは、もうありませんでした。
「……そっかあ。……ふふ、よかった。うれしい。」
あのひどいにおいは、やっぱりどんどんつよくなってきています。だけど小鳥にはもう、ふしぎと気もちわるくはありませんでした。
「……小鳥さん、ごめんね。やくそくをやぶってしまって。」
「え……?」
「雲の上……つれていく、って言ってくれたのに。わたし、もう……。」
「あ、あの……ぼくも! ……ぼくも、ごめんなさい。……あのとき、うそをついた。」
「うそ……って?」
「ほ、ほんとうはね、……雲の上にいったことなんてないんだ! ……こわいから。」
「……ふふ、こどもみたいなりゆう!」
「はは……。」
「でも、これでおあいこだね。」
「……ゆるしてくれるの?」
「だって、小鳥さんがわたしをたすけてくれたのはほんとうだもの!」
「……ありがとう。」
「わたし、小鳥さんに出会えてよかったな。」
小鳥は、いちごを食べました。
* * * |
小鳥がおうちを出ると、リスさんとウサギさんにばったり会いました。
「あっ、小鳥さんだ! おはよう!」
「やあ小鳥さん、いっしょに朝ごはん食べよ~!」
「ごめんねウサギさん、ぼくもうさっき食べちゃったんだ。」
「え~そうなの! じゃあ、またあとでね!」
「小鳥さん、またあとでね!」
森のともだちにさいごのあいさつをして、小鳥は森を出ました。行き先はもちろん、あの空のはるかとおくにある、雲の上です。
つばさをはためかせ、小鳥は空にとびあがっていきました。きれいな朝やけがかがやいて、ぶあつくうかぶ雲をくっきりとみせてくれます。にぎやかな歌やようきな音楽だって、どこからともなくきこえてきます。すずしい空気が小鳥をやさしくつつんで、とっても気もちよさそうです。
小鳥は、今ならほんとうに雲の上までとべるだろうとおもっていました。もうにどとかえってこられないほど空たかくにだって、あっというまにとんでいけるだろうとおもっていました。
いちごといっしょなら、なにもこわくないような気がしたのです。
――しかしそのときとつぜん、ばさばさという大きな音がちかづいてきました。
「小鳥くん、どうもこんにちは。」
小鳥がうしろをふりかえると、そこにはあの真っ黒でのっぽなカラスがいました。
「きみは……!」
「やあ、ぼくのいとしい小鳥くん。そして――おめでとう。あのときのいちごちゃんを食べてあげられたみたいだね。」
「ど、どうして、それを……。」
「なあに、同族のカンってやつだよ。まあそんなことより、はやく食べさせてくれない?」
カラスは大きなつばさをひろげて、小鳥をだきしめようとしますが、ひらりとかわされてしまいました。そのままにげようとした小鳥でしたが、やはりカラスにまわりこまれてしまいます。
お日さまはあたたかい色の雲にかくされ、小鳥とカラスを真っ黒なかげがおおいました。
「ひどいなあ小鳥くん、ぼくの言ったこと、ちゃあんとわかっていたくせに。」
「……ちがう! ぼくは……ぼくはあんなりゆうでいちごさんを食べたんじゃない!」
「いいやちがうね、小鳥くん。きみにどんなじじょうがあったのかはしらないけど、これだけはわかる――」
お日さまはもうはんぶんも顔を出しているのに、空は雲にじゃまされてどんどんくらくなっていきます。うっすらと、くすんだあお色がかかってきました。
「きみはいちごちゃんのことをほんとうに好きだったんだ。好きだったから――だから食べたくなってしまったんだよ。」
――小鳥は、じめんに向かってすごいスピードでおちはじめました。空はおぼろげに色あせていき、ぽつぽつと雨がふりはじめます。
「はは、小鳥くん、またそのさくせんかい? いちおういっておくけど、それはもうつうようしないよ!」
「……もう、いいんだ、ぼく。」
「は……え? ちょっと、小鳥くん? どうしたの?」
小鳥にはもう、なにをする気もありませんでした。なにもかんがえずに、このままじめんにおちることにしたのです。
雨はどんどんつよくなっていき、しだいにどしゃぶりになりました。雲の下、カラスとおなじ真っ黒にそまった空には、あちこちで風がふきあれて、いたいたしい音がなりひびいています。
小鳥のからだはびしょびしょになりますが、赤黒い食べこぼしはいっこうにながれおちていきません。
いちごが腐ってしまうまえの夜、じぶんのおうちのなかで、小鳥は気づきました。あのとき、あの街で、小鳥の心をうばったあのにおいは――甘くてきれいで、しっとりしたあのいいにおいは――いちごのものでした。
その夜、小鳥は夢をみました、とっても甘くて、とってもおいしくて、とーってもひどい夢をみました。
そしてその夢は、げんじつになりました。
ごーーーん。
街の時計台の音が、すぐ上からきこえてきました。きっと小鳥は、もうそろそろじめんにおちてしまうのでしょう。
けっきょく、小鳥のうそはうそのまま。雲の上にだなんて、まったくとどきませんでした。だけど小鳥は、だいきらいなじぶんがこんなさいごをむかえられて、とってもうれしそうです。
「小鳥くん……?」
――ハトさんの言ったとおり、いちごは「消費期限切れ」でした。腐っているし、カビだってはえているんだもの。とうぜんのことです。
……だけど、すくなくとも小鳥にとって、いちごは「賞味期限切れ」ではありませんでした。
だって、あの腐ったいちごの味は、あの甘くてすっぱくて、鼻をつくひどい味は、小鳥にとってまちがいなく――おいしかった、から。
「まさかほんとうになにもせずおちるなんて……。」
じめんにおりたったカラスは、真っ黒なつばさをはためかせ、みずをはらっています。
雨のいきおいはましていくばかりで、小鳥のからだはすでにみずびたしです。
「まあいいや。……好きだよ、小鳥くん。」
小鳥は、カラスに食べられました。