非自己叙述的
非自己叙述的とは、「ある言葉の意味がその言葉自身に反していること」を指す言葉である。本記事では、この言葉をかみ砕いて説明するとともに、伴って発生するパラドックスについても解説する。
物語(一人の老人による語り)
君「非自己叙述的(heterological)」という言葉を知っているか? 知らないとな? 仕方のないやつめ、教えてやろう。非自己叙述的とは、「ある言葉の意味がその言葉自体と矛盾していること」だ。たとえば"long"という言葉は「長い」を意味するが、この言葉の綴りはわずか4文字と、長くない。したがって"long"という言葉は非自己叙述的だといえる。
君この話は飽きたか。面白くないか。けどもしばし待て。ここからだ、面白くなるのは。さあ君、この問題について考えようじゃないか。
「非自己叙述的」という言葉は非自己叙述的であるか?
これを解くにあたって、重要なことがある。「すべての言葉は非自己叙述的であるか非自己叙述的でないかのどちらかである。」ということだ。おっと、当たり前だといって笑っちゃいけないぞ君。これはほんとうに大切なことだ。何せ……粛清されました
本題に戻ろう。ではまず、「『非自己叙述的』は非自己叙述的である」と仮定して話を進めようか。「非自己叙述的」は非自己叙述的である。すなわち「非自己叙述的」はその言葉自体と矛盾した意味を持っている。よって「非自己叙述的」は非自己叙述的でない。
むむ? いま、「非自己叙述的」は非自己叙述的だ、として話を進めたはずだ。しかしそこから、それを否定する結論が得られた。なぜだろうか? うーん。
あるいは、最初の仮定が間違っていた、と考える方が自然であろう。今度は他の可能性にかけるのだ――ところで先ほど、「すべての言葉は非自己叙述的であるか非自己叙述的でないかのどちらかである。」と述べた。となると他の可能性とは、「『非自己叙述的』は非自己叙述的でない」ということじゃあないか!
では、そう仮定するとどうなるのだろうか? 「非自己叙述的」は非自己叙述的でない。つまり「非自己叙述的」はその言葉自体と矛盾した意味を持っていない。ゆえに、「非自己叙述的」は非自己叙述的である。
またもや仮定と矛盾する結論を導いてしまった。やあ君、どうしてこうなったのだ? 僕たちはすべての可能性を検討しきったのに、そのどれにおいても矛盾が生まれるだなんて……。
はっ! 君君、これ、パラドックスじゃないか!
物語(二人の若者の会話)
ある日の涼しい午後のこと。比路子さんは言った。
「ねえ、『非自己叙述的』ってどういう意味?」
「『ある言葉の意味がその言葉自身に反していること』さ」十萩君が得意げに答えた。
「ちょっとよくわからないわ。たとえば?」十萩君の説明に納得しなかった比路子さんはさらに訊きかさねる。
十荻君は少し考えてから、丁寧に答えた。「うーんと、たとえば、『動詞』という言葉それ自体は動詞ではない。名詞だ。あとまあ、英語だと、"hyphenated(ハイフンでつながれた)"という言葉のどこにも、ハイフンなんて無いんだ[1]。つまりこれらの言葉はみんな、意味がその言葉自身に反しているから、非自己叙述的だというわけだ」
「なるほどね」
「わかったようだね。じゃ……」
「あ、帰らないで。また一つ疑問が湧いてきたの」
「ええ、なんだって?」
「『非自己叙述的』って言葉は、非自己叙述的なのかしら」
「えっとね……うーん? もし非自己叙述的だとすると……」
「つまり、『非自己叙述的』という言葉はその意味がその言葉自身に反する、ってことだから……」
「『非自己叙述的』は非自己叙述的でない、ということか」
「ええ? でも……」
「うん、仮定(注*四行上太字部を参照)と噛み合わないよね」
「そんなことがあるの?」
「いやいや、仮定がつねに正しいとは限らないじゃないか。もし仮定が間違っていたならば、矛盾が起こってもおかしくはないだろう?」
「確かに。じゃあ仮定を変えてみよう。もし『非自己叙述的』が非自己叙述的でないとすると……?」
「『非自己叙述的』という言葉はつまり、意味がその言葉自身に反しない、ということだね……」
比路子さんは結論を導いた。「そうね。つまり、『非自己叙述的』は非自己叙述的である……」
「何だって? こんなことはありえないのに」ここへきて十荻君はうろたえた。
そのことに気づいて彼女もつぶやき返す。「これって……嘘……」
そして彼らは言うのだった。「「私たち、入れ替わってる?」」[2]
物語(若い論理学者の独りごと)
この国もずいぶんと落ちこぼれたようだな。だいいちここの国民は頭が悪すぎる。言語とメタ言語の区別もつかないだなんて、ほんとうに困ったものだ。
うーん、いや、そのおかげで、猿でも分かるようなことを1時間か2時間喋るだけで金がもらえるようになったのか。それは大いに感謝しないと。最近の収入に限っては、もはやほとんど講演だもんね、笑っちゃうよ、ははっ。
そういえば……明日も講演じゃないか。内容のおさらいでもしておこう。ノート、ノート。ああ、あった。
- テーマ - 「非自己叙述的」
- 非自己叙述的とは - ある言葉が、その言葉自身に背く意味を持つさま。
- 例
- 「接続詞」という言葉について:この言葉そのものは接続詞でない(名詞である)。よって「接続詞」という言葉は非自己叙述的である。
- 「かたかな」という言葉について:この言葉そのものは片仮名ではなく平仮名で書かれている。よって「かたかな」という言葉は非自己叙述的である
- Q1."Japanese" という言葉は非自己叙述的? - "Japanese" の意味するところは「日本語」であるが、この言葉自身は英語であるため、"Japanese" は非自己叙述的な言葉である。
- Q2.「ヘロイン」という言葉は非自己叙述的? - 「ヘロイン」は「ヘロイン」という言葉それ自体について述べることはできないため、「ヘロイン」という言葉はどちらでもない。
- このことから、ある言葉が非自己叙述的であるかどうか判断するとき、その言葉は前提として「言葉(言語)について述べる言葉(言語)」でなければならない[3]と分かる。ちなみに、「言語について述べる言語」のことをメタ言語という。
- Q3.「非自己叙述的」という言葉は非自己叙述的?
- 仮定1――「非自己叙述的」という言葉は非自己叙述的である。
∴「非自己叙述的」は「非自己叙述的」という言葉に背いている。
∴「非自己叙述的」は非自己叙述的でない。(=仮定と矛盾する結論)- 仮定2――「非自己叙述的」という言葉は非自己叙述的でない。
∴「非自己叙述的」は「非自己叙述的」という言葉に背いていない。
∴「非自己叙述的」は「非自己叙述的」である。(=またもや仮定と矛盾する結論)- どうしてこんなことに?
- 先にも言ったように、ある言葉が非自己叙述的かどうか判断するとき、その言葉はメタ言語でなければならない。ということは、「非自己叙述的」という言葉はメタ言語について述べる言語である。もし仮に、「メタ言語」と「メタ言語について述べる言語」の性質が異なるとすれば、「『非自己叙述的』という言葉は非自己叙述的であるか」という問いに矛盾が生まれることを説明できる。
- 要は、「『非自己叙述的』という言葉はメタ言語について述べるために使われるべきなのに、この問いは『非自己叙述的』という言葉をメタ言語について述べる言語について述べるために使おうとしている」すなわち「言葉の使い方を間違えている」ため、「常に偽」つまり「矛盾」が起こる、ということである。
- たとえるならば、「現在のフランス国王は74歳である」という文が常に偽となる(「74歳である」と仮定しても「74歳でない」と仮定しても、「現在のフランス国王」という言い方が間違っている[4]ため)ようなものである。
ノートにまとめるとこんなに短くなるけれど、本番は引き伸ばして喋ればいいんだもんね。楽なものさ。
脚注