Sisters:WikiWiki麻薬草子/苦痛なき日々

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我々はたいてい、短いスパンで苦痛を与えられ続ける。私にとってのそれは朝に襲い来るものが主だ。アラームの騒音で不本意にも目を覚まし、未練がましく寝床から離れ、せわしなく家の中を歩き回って身支度を済ませ、通学する。どう考えてもだるすぎる。


夏休みには朝起きることのような定期的な苦痛がない。無論、これは「夏休みには苦痛が存在しない」という意味ではない。たとえば夏休みの宿題は、古くから夏に浮かれる人間を苦しめてきた。しかし幸か不幸か、これは純然たる人間悪の一つ、怠惰によって後回しにすることができるのだ。これによって、私のような計画性のない人間は、夏休みの大部分において苦痛のない日々を過ごせる。


苦痛がないと人間はどうなるか。そう、駄目な奴になる。心当たりの一つや二つ、誰にでもあるだろう。「苦痛なくして創発なし」。これは有名な心理学者の言葉とかではなく、俺がいま思いついたから書いただけだ。この駄文をここまで読んだなら察しがついていると思うが、私 being 駄目な奴。


夏休みが始まる前日の晩、私は「去年の麻薬における我が怠慢を殺辱する」という旨の決意をした。そこの常習者あなたは、2021年の夏休みの新規記事がどんな感じだったか覚えているだろうか?余談だよだけである。繰り返す。余談だよだけであるのだ。記事一覧を日付順にしてみても、そこらへんはやけに日付がずけずけだ。間違えた。「すかすか」って書こうとしたら日付に引っ張られた。余談だけど、「テンプレート:日付_両暦併記」って打つときめんどいよね。なんだよ「両暦」て。ああ、あと、「殺辱」は「雪辱」より強いやつ。知ってた?


でだ。今、夏休みは夏期講座を除けば約一週間が経過している。俺のしたことは何だ。公序ソングをちょっとばかし作り、ほとんど完成した状態の歯ズラしをちょっとばかし修正して公開しただけだ。なんもデカいことしてねえじゃねえか。無論、課題は何も触ってない。最悪じゃないか。


俺の一日を特別に公開しよう、朝起きる。朝飯食う。インターネット。昼飯食う。遺伝子を投げ捨てる with インターネット。インターネット。晩飯食う。インターネット。寝る。最悪だ。クソ過ぎる。いや下水道関連の雇用を作り上げているクソのほうがまだ社会に貢献しているとまでいえる。その一方で俺はアフィカスブログを閲覧して掲示板無断転載ヤーたちの私腹を肥やしているのだから。


ここ数日、頭を働かせた記憶がない。何も考えずにYoutubeを見ている。とりわけオモコロチャンネルはマジで面白く、なんにも頭を使わずに腹をよじることができる。特に「ホント激辛無視王」と「やらせクレーマー撃退選手権」と「ウソナイトルーティン選手権」が面白かった。


一つ、有益な学習をした。飯食ってすぐに寝っ転がってると高確率で下痢るということを理解したのだ。私は大便が嫌いだ。より正確に言えば、大便を輩出する行為が嫌いだ。輩出ってなんだよ俺はうんこ共の母校か。いや、もっと正確に言うなら、トイレットペーパーが両手を占有する時間が嫌いなのだ。刹那的若者の例にもれず、たいていのコンテンツを1.5倍速または2倍速で消費する身としては、いや好きな曲とかだと0.25倍速したりもする。直近では「キッカイケッタイ」でやった。御命を頂戴。ストックはまあまああるので、同ボ祭Ⅱを冀う。何の話してたっけ。


そう、とにかく、夏休み、苦痛が消えたので私は弱体化してしまった。これを取り戻すべく、先送りされた課題を呼び戻したい。それが成功した暁には、まあなんとかなるだろう。そういえば論理パズル101を読了して論理パズル要素を持つ記事を書くという野望もあるのだが、何も進んでいない。代わりに「穴」という本を読んだが、望むものは得られなかった。きっとこれが読書の大切なやつなのだろう、知らんけど。でも「勢い」の副詞的用法がでてきたので昂れた。これを目にするのは人生で二回目である。


インターネットでやることといえば、まあカビクラを巡回したりもしている。ggrks。いや、人にカスとか言っちゃいけないので、「ググれかし」とかに変えるのはどうだろう。何でもないです。カービィはいいぞ。3月に発売されたばかりの最新作、「星のカービィ ディスカバリー」は本当に最高である。恐るべき完成度によって、思い出補正の加護を受ける過去作たちにさえも評価面で競り勝っている。


私が思うカービィというコンテンツの決定的欠点はただ一つ、「カービィ?所詮あんなの子供向けでしょwww」と言う人物に対して吠え面こいて反論するカービィファンの存在である。みっともなさすぎるし、そもそもそんなことを言う人物はお前の空想の中にしかいないんじゃないのか?お前はただ、それを引き合いに出してトリデラやらロボプラやらに仕込まれている悲しい話を言いふらし、これがあのカービィにあるんだぜすごいだろー!!!!!と言いたいだけなんじゃないか?そして結局そう考えるお前もカービィを幼稚なコンテンツだと思ってるんじゃないか?と言いたくなる。


カービィはいいぞ。公序ソングライターの一介として言うと、BGM曲も超いい。いやBGM曲ってRAS症候群だな。BG曲もいい。私が一番好きなのは「回暦する追憶の数え唄」である。サビの強さが強い。最新作の中では「地下水道に流されて」が一番好き。サビの強さが強い。こんなもんを新人が作るか。最高である。そういえばなにやらサウンドスタッフの世代交代が噂されているが、我々は最古参カービィ作曲者たる石川淳を失うわけにはいかない。彼の曲はたいてい「すげえカービィっぽい」か「すげえカービィっぽくない」の両極である。「グルメレース」とか「グリーングリーンズ」とか、知名度高めのカービィ曲はだいたい彼が作曲している。数十年前くらいにそのミックスアレンジがグラミー賞を受賞して話題になった、「メタナイトの逆襲」に使われているBGM群を作ったのも彼である。各メディアで「BGM『メタナイトの逆襲』のアレンジがグラミー賞を受賞」的に言及されていたが、厄介な人間である私は「メタナイトの逆襲」というBGMのアレンジではなく、「メタナイトの逆襲」に登場するBGM群のミックスアレンジだが???となった。また業が積みあがっていくのを感じた。おっ、天啓だ。へー、生業ってリビング=カルマのことだったのか。


カービィっぽくない曲は石川淳のなのである。「VS.ゼロ・ツー」だったり、急にサビでダブステップしてくる「ホワイトオフィス行進曲」だったり、急にすげえ激化する「Dirty&Beauty」だったり。あと、頭がおかしい曲は彼の専売特許なので、ラスボス前座に狂気度が多い近年では、ラスボス前座イカれ曲を作りまくっている。「Crazy Rolling in Money」とか「La Follia d'amore」とか「追獣」とか。p.s.「枯渇した海」のドラム超好き。


そう、つまり私が言いたいのは、苦痛なき生活をしていると、論理的思考力が弱まり、関係のないことに無責任に紙幅を割き、こんな駄文を生成してしまうような人間になってしまうということなのだ。だから、もし画面の前の常習者あなたが課題を視界に入れていないのなら、すべからく苦痛を甘受するべきだ。そうすれば、すべからく幸せになれる。


「すべからく」のアレ、いい加減認めてよくね?っていつもなってる。まあ、積極的に使うと静かに「あ、こいつ……w」って思われそうなのでそんなことはしないが。フフフ。「すべからく」くらいならさすがにもう許してよくね?まあ、確かにさ、例えば「今日から『トマト』は『バナナ』の意味も含みます!」とか言われるとそりゃあ困るだろうし、それが許されるのはせめて三千年後とかだろって感じだけど、「今日から『すべからく』は『おしなべて』の意味も含みます!」ならまあ別によくね?「おしなべて」側にも大した矜持はないでしょ。「バナナ」ならまあバナナのプライドも納得できるけどさ、「おしなべて」が自身に誇りを抱くのは分不相応でしょ。バナナはねえ。そりゃあ「果物」というジャンルの中で明らかにその地位を確立してるじゃん。リンゴやらイチゴやらが覇権争いをしてる間に、バナナはその尖りで一番手ではないにしろ上位層の地位を固めてるんだよ。果物で言えばおしなべてはライムくらいの立ち位置じゃん。単体ではまず出てこないし、出てくるにしても「果物全部言う大会」でレモンを言ったやつが思い出して言う感じで、レモンとのコンボを成立させるためだけにしかないんだよな。「すべからく」の威を借る「おしなべて」、レモンの威を借るライム。ライム単体ではキウイにすら負けてるんだよ。あのキウイにすらだぜ。何を隠そう、うーんどうしよう。俺がキウイのことだいぶ嫌いであるという秘密でも隠しとくか。


キウイの最悪なところは、その食べづらさである。リンゴとかスイカとかほどデカくないから、わざわざ皮を剥いで身だけの状態で食卓に出されるようなこともなく、さりとてブドウみたいに皮ごと食えるわけでもなく、ミカンみたいに勝手に個人で皮を剥けるわけでもない。だから皮がついたままのキウイの上半身または下半身を、その断面からスプーンでえぐり抜いて食うしかない。この条件のもとに、手にキウイ汁をこぼさずにキウイを食えるやつを俺は尊敬する。「キウイジュース」っていうと普通だけど、「キウイ汁」っていうとなんかキモいな。「リンゴ汁」、「イチゴ汁」、「バナナ汁」……バナナ汁キモいな。皮の異質さが際立ってる果物は汁をつけるとキモくなるらしい。でもパイン汁はキモくないな。俺がパイナップルパークのネイティブだからだろうか。俺は昔名護に住んでいたガキだったので、しばしば一家でパイナップルパークに行き、試食のパインを喰らいつくしていた。


そう、それでライムだよ。そもそもライムって果肉食う奴いるのか?ライムの汁飲んでるやつは見たことあるけどライムの肉食ってるやつは見たことないぞ?もしかしてライム=ライム汁なんじゃないか?……ってことは、1=汁なのか。どうやら一汁三菜は一三菜だったらしい。おかず13個はだいぶキツイな。何角食べすればいいんだ?めちゃくちゃ円に近いのは分かる。とすると、もしもおかず用皿が無限にあるなら、我々は円食べをしなければならないのか?でもその場合、一度米を出発したが最後、無限のおかずに囚われて、俺たちは二度と米を食えなくなるんじゃないか?いやむしろ、我々ヒトのスケールにとっては、無限菜の食卓は円食べというより弧食べ、いや線食べなんじゃないか?そもそもおかずのレパートリーは有限なんじゃないか?いやしかし、それらおかずがそれぞれにおいて相互関係をもつことでおかずの複雑系が創発性を持ち、同レイヤーにおかずが織りなされゆくことによって、その結果疑似的な無限おかずが再現されているんじゃないか?それに、二十一世紀のとある文献には「苦痛なくして創発なし」という言葉が残されている。この「苦痛」は、おかずだらけで米に戻ってこられない苦しみのことだったんじゃないのか?もしや我々生命の為す化学的循環は、本質的には無限おかずの円食べと等しいものなんじゃないか?我々が死後の世界を認識できないのは、つまるところスケールの違いが原因なのであって、実際には我々の「生命」というものは数直線ではなく座標によって表されるべきなのではないのか?y軸方向に弧を描いて進む生命は、決してx軸だけでは理解できないからこそ、「線食べの誤謬」が生じているのではないか?巨視的に、平面的に見れば、我々は実際には、まるで円食べのように、非連続的な輪廻転生をしているのではないか?「苦痛」とは、さらに本質的には、無限に続いていく別の人生を踏破することができないがために、一つ一つの人生に二度と戻ってこられない苦しみのことだったんじゃないのか?


とにかく、1幾2010年代あたりからは、熊崎信也というつよつよディレクターの登場によって、カービィシリーズは種々のネーミングにも力が入ることとなった。特に分かりやすいのがBG曲名である。「星羅征く旅人」とか「主のいないインテルメッツオ」とか「褪せ色のサイコメトラードリーム」とか「幼き日に視たデウスエクスマキナ」とか、「回暦する追憶の数え唄」→「回暦する追約の忘れ貝」のやつとか、トリプルネーミングくらいある「狂歌水月」とか、とにかくまあすごいのである。しかし、ボスの技名も忘れてはならない。この先には「星のカービィ ディスカバリー」のネタバレがあります!!!うわああああ!!!逃げろおおお!!!!ネタバレがあるぞ!!!!!!ネタバレが!!!!!!うわあああああああああああああああ!!!!!みんな逃げろおおおおおおおお!!!!うわああああああああああああ!!!!!


ぐふふふふ、そこの常習者あなた、ネタバレを喰らわせてやろう。後悔するがよい。ディスカバリーのラスボス「フェクト・エフィリス」は、空間転移能力を用いて宇宙中をボコして回る侵略生物である。ゲーム中ではまあいろいろとなんやかんやあってカービィと戦うことになる。そんなエフィリス最強の攻撃が、後半戦への攻撃パターン移行時に確定で行ってくる、画面のほとんどを覆う勢いのクソデカ巨大隕石をフィールドにゴリゴリにぶつけてくるやつである。この技名は「フェルミパラドックス・アンサー」。フェルミパラドックスというのは、まあ簡単に言うと「確率的には宇宙人ってめっちゃ普通にいそうなのに、全ッ然会えないの、おかしくね?」というやつである。これの「アンサー」、つまりその答えとして「なぜならこいつがすべからく皆殺しにしているからです」というわけである。技名からして力を誇示しまくっている。最高である。いやまあ、一応念のため言っとくと、俺は逆張り懐古厨ではないぞ。まあ確かに思い出補正もあるけどさ、やっぱディスカバリーは良い作品だったと思うんだよな。まあ確かに、621幾も前のやつなんて流石に古すぎるかもだけどね。


まあとにかく、何が言いたいのかと言うと、キウイはクソだということだ。いやまあキウイは食えばいきおいクソにはなるが、それとこれとは別問題だ。そういえば、飯を食べた後横になっていると下痢になるというジンクスがあるが、まあこれは普通に間違いだろうなあと最近思う。でも、それはそれとして、幼いころから共有されてきた「食後に横になること」と「下痢」の結びつきが思い出されて嫌なので、ご飯を食べた後は寝っ転がらないようにしている。だって下痢嫌だもん。そもそも私は大便が嫌いだ。より正確に言えば、大便を輩出する行為が嫌いだ。輩出ってなんだよ俺はうんこ共の母校か。……完全に滑ったな。やっぱ定番のネタはTPOを選ばないと厳しいよなあ。それはさておき、もっと正確に言うなら、トイレットペーパーが両手を占有する時間が嫌いなんだよ。刹那的若者の例にもれず、たいていのコンテンツを15倍速または20倍速で消費する身としては、紙のロールをただくるくるしている時間は本当に退屈だ。だからそういうときには、俺はトイレットペーパーの気持ちになることにしている。俺は、どんどん自分の残りが少なくなっていることに気づきながらも、ただ身を任せ、くるくるされているのだ。いったい俺は、どんな最期を迎えるのだろうか。一つ一つ、ミシン目に区分けされたユニットが無くなっていくのはよく分かるのだが、全部が無くなるときにはどうなるんだろう、ってね。まあでもよく考えたら、俺はトイレットペーパーを俯瞰してるからこの状況が分かるけど、スケール的にトイレットペーパーからしたらなんのこっちゃ分からないかもな。ああ、自分で妙に納得したわ。そもそも「ずーっと回ってて、後ろのどこかに行ってしまったものは帰ってこない」というのがある時点で、普通「自分は無限に回っている」って勘違いするよなあ。まさか内巻きのロール状になってるだなんて思いもしないだろう。そう考えると急に哀愁が出てきたな。芯が剥きだしになるまで、自分の命が無限だと思ってるままなのかあ。それでまた別のトイレットペーパーが補充される。悲しいな。


でまあ、キウイなんだけど、まあ百歩譲ってあの食いづらさは許してやるとしよう。でもそこでキウイは戦わないんだな、これが。普通の果物になれないならいっそ尖った果物になってやろう、っていう気概もない。尖った果物として上位層の地位を守ってるトマトに敵わないからって、完全に諦めてるんだよね。もう普通にライム汁にも負けてるよキウイは。キウイのいいところってなんかあるか?名前が「キヴィール」にちょっと似てるとか。沈むペトリコール。この前2.5倍速で聴いたわ。そうそう、ストックはまあまああるので、同ボ祭MMMCMXCIXを冀う。てかこれで最後になるのか。悲しいな。えーと、何の話してたっけ。そう、キウイのいいところだ。ま、無いわな。


絶対に途中でちぎれないトイレットペーパーとかあったら良さそうじゃない?いきなり何言ってんだって話だけどさ。いやあ、俺ん家ね。先祖代々、なんか気が向いた時にトイレットペーパーの気持ちになる風習っていうのがあるんだよ。嘘みたいでしょ?それでさあ、俺、トイレットペーパーにとって途中でちぎられるのっていいことなのか?って思えてきちゃって。自分がどんどんなくなっていく実感っていうのかな、そういうの、まあトイレットペーパー視点だとないんだろうけどさ、やっぱ傍から見てる俺からしたらなんかいたたまれなくなってきちゃうんだよね。しかもあれ、結構短いスパンでミシン目あるじゃん?だからまあ、なんだかなあ。痛くないのかな。苦しくないのかなあ。って。でも、ミシン目のない、連綿と繋がり続けるトイレットペーパーだったら、切り取られる苦痛はなくなる。まあ確かにね、「苦痛なくして創発なし」とも言うし、苦痛は必要なものなんだっていう意見も分からなくはないけどさ……ま、やっぱ非現実的だよな。ちぎれないトイレットペーパーなんて。あまりにも使いにくすぎるよ。頑張って最後まで取って流したとして、詰まっちゃうじゃんね。トイレ。


あーー。

なんかなあ。

あーーあ。

暇だなー。

そういえば今何幾だっけ?ド忘れした……

え、もう2024幾なのか。

カービィって今で3屏目なんだな。めちゃくちゃ昔からあるじゃん。

なーんか、あれから一気に暇になったよなあ。

「死」が解明されてから。

人間が死ななくなってから。

このまま無限に暇なのかあ……。

俺の一日を公開しよう。暇。以上だ。

おい

無限なんじゃなかったのか?

まだ何もしてないのに


あーーーうるせぇ。アラームって本当に迷惑だ。うるさいし。なんか変な夢見たな。忘れたけど。

あ、そっか、今日夏休みじゃん。最高だわ。よっしゃ、二度寝しよ。