利用者:芯/サンドボックス/1/ロ
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成功者K・総理にされた男・ラプラスの魔女・バカの国とは、羽田圭介の『成功者K』、中山七里の『総理にされた男』、東野圭吾の『ラプラスの魔女』、百田尚樹の『バカの国』のそれぞれのタイトル文字列から、いくつかの要素を抜き出して別の概念を作り出し、そのすばらしさを競うスポーツである。
起源
常習者を含む数名の学生グループが教室後方のロッカーを眺めていた折、何者かのロッカーに上述の四冊が残されているのを見つけた彼らの一人が、そのタイトルに含まれる文字列のみからなるフレーズ[1]を口にした。これはきわめて素朴な成功者K・総理にされた男・ラプラスの魔女・バカの国であったが、直後に巻き起こった成功者K・総理にされた男・ラプラスの魔女・バカの国ブームの起源として、現在でも世界中の成功者K・総理にされた男・ラプラスの魔女・バカの国プレイヤーに崇められている。
作例
この節は大喜利である。面白いのを思いついたら追加していきなさい。 |
初期の作例
草創期の成功者K・総理にされた男・ラプラスの魔女・バカの国では、各々の単語を切り離さずにそのまま用いる、いわば素朴な作例が多くみられた。
中期の作例
成功者K・総理にされた男・ラプラスの魔女・バカの国が過渡期に差しかかると、元の単語のまとまりを気にせずに、タイトル文字列を1文字ずつ区切って考えられた作例がよく提案されるようになった。さらに、文字を分解して組み替えることで、元のタイトル文字列にはない文字を使用可能にする試みもなされた。
後期の作例
過渡期を抜けた成功者K・総理にされた男・ラプラスの魔女・バカの国は、異常な悪ノリによって徐々にその複雑さを高めていき、後期には手の付けられない状態となった。見よ。
脚注
- ↑ 「総理にされたラプラスの魔女」だったとする説が有力である。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 もう知らない!!
- ↑ 「ト」は「者」「理」などに見出される。
- ↑ 「Y」は「ス」で逆立ちしている。
- ↑ 「ン」は、「総」の「公」の2画めと「成」の右下の左払いとを組み合わせることで生じる。「ゴ」は、「国」の「囗」に見出だされる「コ」と、「バ」の濁点とを組み合わせることで生じる。「ミ」は「者」「理」などに見出される。
- ↑ 「モ」は「理」「男」などに見出される。「ウ」は、「ラ」の1画めを回転することで生じる。「、」は、「総」の「心」などに見出される。「知」は、「成」の右下の左払いと「功」の「工」と「魔」の「鬼」の「儿」とをうまく組み合わせた「矢」、「国」などに見出される「口」を組み合わせることで生じる。「ナ」は「功」「男」の「力」などに見出される。「い」は、「に」「た」などに横たわっている。
- ↑ 「木」2つは「魔」に、「缶」の1画めは「功」に、「ワ」は「男」の1・2画めに、「𠂭」は「心」部分が「総」、左払いが「成」の右下、下の点が「国」に、「凵」は「国」に、「ヒ」は「者」の左下に、「彡」の3つの線はそれぞれ「ラ」「プ」「ラ」の左払いに見出だされる。「缶」の1画め以外の部分は、「理」の「里」で逆立ちしている。
- ↑ お気づきだろうか。「成功者K総理にされた男ラプラスの魔女バカの国」という文字列からは、まさに「成功者K総理にされた男ラプラスの魔女バカの国」という概念が作られるのである。一般に、世界に対して価値を有するような概念を提案すべき場において提案された概念は、当然、世界に対して価値を有するものとして解釈される。それまで部品の切り出しの対象としてのみ扱われてきた、一見ナンセンスなこの文字列も、この通則を免れることはできない。我々は必然的に、暗にナンセンスであると仮定してきたこの文字列は、決してナンセンスではなかったのではないか、という疑念を抱くことになる。やがて、この文字列を構成する4つのタイトル文字列が、元をたどれば、才能ある作家が苦心して構築した世界の存在意義を内包しうるような、大いに意味を持つ文字列であったことに思い至るである。そして途端に、この提案が、いつの間にか忘却されていた事実を想起させる役割を果たしていることが意識されて、我々は、この作例に重大な価値を認めざるをえない理由のひとつを与えられるのである。
- ↑ お気づきだろうか。我々がこの競技の資源としてきた4冊の本には、『バカの国』という本が含まれていたのである。上述した通則は、それまでそのタイトルのキャッチーさにばかり注目され、不遇にも概念の創出のための便利な部品と見なされてきたこの本についても同様である。我々は必然的にこの本の意味を推理しはじめる。「バカの国」とはどのような国なのだろうか。そこには、どのような世界が広がっているのだろうかーーここで我々は、我々自身が、「バカの国」の何たるかも知らずに、『バカの国』を都合のよい道具として扱ってきたことに気づかされる。奇妙な書名を見たのに、書の内容を想像するという当たり前の行動をとらずに、文字列としての最も表面的な性質のみに焦点を当てつづけきたという事態が、きわめて異常なものであったことを、ようやく認識するのである。そして我々は、バカの国が何なのかをいつまでも気にかけながら、この作例の価値を感じるのである。
- ↑ バーカ。