利用者:キュアラプラプ/サンドボックス/丙
1 サンドイッチとサーカス
人間だとか、政治だとか、そんなものはこの大地の興味を惹くに値しないらしい。第三クーデターが成功裡に終わってから数年が経ち、民衆の生活は大きく変わったが、相も変わらずこの国の冬は代わり映えのしない極寒だった。
過酷な労働環境に喘いでいた都の労働者たちには、ずいぶん笑顔が増えた。この国の新しい元首が、革命の推進力となり、今でも自身の支持基盤となっている彼ら労働者たちを、きわめて優遇したからだ。労働者を守る法律や、社会的な支援制度が整備され、もう彼らがパンの一欠片を何日もかけて大事に食べるようなことはなくなった。都市の工業化はきわめて効率的に進み、この国では何もかもが順調に進んでいるように見えた。
しかし、ひとたび都市の外に目を向けると、状況は一変する。新たな元首が大手を振って推し進めたのが、いわゆる内国植民地の建設だった。彼女は最初、「労働者と農民の有機的な団結」を掲げ、都市の各工業区に国家周縁の地方自治体を対応づけたのち、内需の充実を名目にした「自給自足」の制度を導入した。これによって、地方は工業区に食料やエネルギー資源を含む一次産品を輸出し、対する工業区はそれらを加工した消費財を地方に輸出するという構図が出来上がる。この工業区と地方自治体の連合が、俗に「サンドイッチ」と呼ばれるようになったのは、ある風刺画がきっかけだった。その絵はちょうど、第一身分と第二身分が平たい岩の上から第三身分を踏みつけにするフランス革命の風刺画と同じような構図をしていて、上のパンには「都市労働者」、下のパンには「農民」、そして具のハムには「自由経済」と文字が書かれているものだった。下のパンは薄く萎れていて、上のパンはでっぷりとしているものの緑のかびが描き込まれている。実際のところ、「サンドイッチ」の経済の全権は、すべて工業区の方に握られていた。それに、かの元首は軍隊に直属し国家憲兵に構成される「思想警察」を行政監督者として用い、地方の住民を厳しく支配した。経済合理化の御旗のもとに、地方住民の権利は次々に奪われていき、地方はただ資源、あるいは市場としてしかみなされなくなったのだ。
こうして、国内の中核と周縁の間には、帝国と植民地の関係に全く異ならない状況が生まれた。その仕組みは、すこぶるうまく機能した。――ただしこの元首は、そこにあぐらをかくことはなく、むしろ地方の「思想監督」に病的なまでの神経質さを発揮した。それは、彼女が抑圧された地域住民によって革命を起こされるというへまを強く恐れたためなのだろう。ともかく、これが「サーカス」誕生の経緯であった。それは、危険な革命思想者を侮辱し、いたぶる娯楽産業だ。これらのショーは地方各地で興行され、たちまち大きな人気を博すようになった。思想者はたいてい、ひどく意地悪なゲームで遊ばされる。ある者には指や歯を手札にしたばば抜きを、またある者には脱穀機との手押し相撲を……古典的なライオンとの決闘に参加させられた者もいる。
そして、このさびれたショッピングモールもまた、今日行われるサーカスの会場だった。
一階のフードコートの中央にはウッドデッキ調のステージが置かれており、そこから三つのフロアの中央を貫くように吹き抜けがある。どのフロアもテナントはまばらで、電気はほとんど通っていない。普段はほとんど廃墟のようにも見えるこの商業施設は、しかしサーカスの日だけは開業当初の熱気を取り戻した。観衆は各フロアの吹き抜けを囲う柵から身を乗り出し、思い思いに歓声や罵声を飛ばす。それはさながら古代ローマのコロッセオだ。ただし、彼らが見ていたのは一階中央のステージではなく、吹き抜けの空間に出し抜けに立っている、動かないエスカレーターだった。どうやら彼らのスターは、いつもこのかなりの長さのエスカレーターをレッドカーペットにして登場するらしい。
「俺は三ターンに賭けるぜ!」
「いいや、やつの理性を買いかぶりすぎだろう! 俺は二ターンに賭ける!」
サーカスでは、こういう形の多くの見世物と同じように、もちろん客席の賭け事も盛んだ。ただし、このショッピングモールに限っては、賭けの対象は勝者がどちらかではなく、この日捧げられた思想者が何ターン目で殺されるかだった。――このショッピングモールの支配人にして、そこで開催されるサーカスの執行人をも勤める男は、もとは悪名を馳せたギャンブラーだった。チャイニーズマフィアの下っ端として地下闘技場に現れた彼は、時に獰猛に、またある時には狡猾にふるまい、並み居る胡乱なやり手たちを退けて無敗の王座を手に入れたのだ。現役を引退した後も、彼の激しいたちは変わらなかった。サーカスショーの中で癇癪を起こし、たった数ターンのうちに思想者を殺してしまうこともざらにあった。その中華系のルーツと、熊のような巨躯、全身に入った黒のまだら模様の刺青、そしてその驚くべき勝負強さによって、彼はこう呼ばれるに至った――「"大勝ち"のパンダ」。あるいはより親愛を込めて、「クリームパンダ」と。
2 駄段々
突如、人々のざわめく声が歓声になる。彼らの視線の先には、エスカレータを堂々とした足取りで歩いて降りてくる、迷彩柄のズボンを履いた上裸の巨漢がいた。サーカスの主催者、クリームパンダの登場だ。
「ビャハハハハ! 今日も元気がいいなあ、市民たち!」
クリームパンダの獣のような大声が響くが、しかしそれにも負けない歓声がモールを埋め尽くす。彼は満足そうに目を細め、マイクを持ち、醜悪なウインクをさらした。
「さあて、今日のサーカスの演目は先週告知した通り……久々の『賭け駄段々』だ! 舞台はもちろん、このでくのぼうのエスカレーター!」
万雷の拍手で彼の言葉のいちいちを迎える観客席は、しかしどうやらまだそわそわした様子で、期待に満ちた目をしてクリームパンダを見ている。彼らが待っているのはもちろん、今日の獲物――治安警察から引き渡されてくる思想者だ。クリームパンダはもろ手を挙げて続ける。
「まあ待ってくれ、凶暴な市民たち。まずは『駄段々』の説明だ。ここでは前にも何回かやっているから、知っている人も多いと思うが、一応説明させてくれ。裏で待機している思想者にもルールを教えてやらないといけないからな。このゲームは地下賭博場で作られ、大流行したゲームのひとつだ。ギャンブルで脳みその報酬系が腐ったごろつきどもは、刺激を求めて何度も地下賭博場に出向くだろう? それである時、奴らはついに地上の入口から地下賭博場へと続く長い階段を歩いて降りる時間すら退屈に思うようになっちまったらしい。こうして考え出されたのが、階段とトランプだけを使って遊べるこのゲーム、『駄段々』ってわけだ。
ルールを説明しよう。このゲームの勝利条件は、『階段を下りきること』! 簡単だろう? ただし、逆に階段を上りきってしまうと敗北になる。ただし、ゲーム開始時はそもそも階段を上りきった場所から始めるから例外だ。それで、段の移動はもちろん勝手にやっていいわけじゃない。ただの階段駆け下り競争になっちまうからな。ここでトランプを使うんだ。プレイヤーは、七枚のランダムなカードで構成された手札をゲーム開始時に受け取る。そして、各ターンにそれぞれ一回ずつ『数字カード』を使うことで階段を上り下りする。『駄段々』は、ターン制バトルなんだ。プレイヤーが移動したとき、ターンは即座に次のプレイヤーに移り変わる。だからもちろん、ターンを渡さないためだけの度を越した遅延行為は禁止されている。
『数字カード』は、Aから10の数札にJを加えたものだ。プレイヤーは宣言した『数字カード』にある数字の分だけ移動できるが、そのカードの効果は一枚につき一度しか使うことができない。ああ、もちろんJは11に相当するぜ。ここで気をつけるのは、それが黒のカード、つまりスペードかクラブのカードなら階段を下る方向に移動し、逆に赤のカード、つまりハートかダイヤのカードなら階段を上る方向に移動するってところだ。ややこしいだろう? ちなみに、ゲーム開始時に赤のカードを使うことはできない。当然だが、上がる段がないからな」
そう言うと、クリームパンダは懐からカードをいくつか取り出し、動きを実演してみせた。ハートの3なら3段上昇、クラブのAなら1段下降。次に彼が観客に見せびらかしたのは――
「よおし、見ろ、これぞキングだ! 『数字カード』以外のカード、つまりQ、K、そしてJKは、駄段々では『特殊カード』と呼ばれる。こいつらの特徴の一つは、『数字カード』とは違って、使うときにはカードの絵を明確に相手に見せた上で、それを階段のどこかに投げ捨てないといけないことだ。面白いだろ? ずいぶん妙だが、大事なルールだ。覚えておいてくれ。ちなみに、何らかの理由で捨てられたカードは、その次のターンからはプレイヤーの誰でも勝手に拾っていい。だから、『数字カード』と違って、『特殊カード』の効果はある意味再利用することができるんだ。で、こっからが本題だ。『特殊カード』は色が黒とか赤とかに関係なく、その名の通り強力な特殊効果を持つ。まずは……QとK。女王と王だ。こいつをぶん投げるってのが何を意味してるか、頭脳明晰な市民諸君にはもうお分かりだろう――革命だ!」
瞬間、まるで火がついたように、観客席からブーイングの大合唱が飛ぶ。もちろんクリームパンダはこんな不適切なことを賛美しているわけではないし、観客も彼のことを本心から批判しているわけではない。これはクリームパンダお馴染みのブラックジョークであり、いわばお約束なのだ。彼は何かカードゲームを持ってくるとき、いつも「革命」の要素が入ったものを選んできては、露悪的にそれを見せつける。――これが暗に「思想監督」の一端を担っているのは、言うまでもないことだ。
「ビャッハッハ、すまんすまん、でもルールブックに書いてあるんだから仕方ない。さて、『革命』が発生したとき、起こることはシンプルだが、とても厄介だ。勝利条件と敗北条件が入れ替わるのさ! 一度『革命』が起きた後は、今まで通り下に進んでいくことはできない。もし階段を下りきってしまったら、それは勝利じゃなく、敗北になってしまうからな。勝利するためには、今度は上を目指さないといけないんだ。もちろん、『革命』は何度でも起こせるから、さらに『革命』をし返すことで条件を元に戻すこともできる。いよいよ本格的にややこしくなってきたかな。ただし、『革命』を発生させたとき、強制的にターンは終了する。だから、『数字カード』による移動と『革命』は、一ターンの間に両方行うことができないんだ。これは、例えば最初の一ターン目でちょっと階段を下りた後、二ターン目に『革命』を使ったうえで赤のカードで上昇してゲーム終了、というような面白くないゲームを禁止するために定められている。
で、今度はJKの説明だ。まあ、さすがは道化と言ったところか、こいつの効果は奇妙でな。このカードはまず、自分のターンじゃなくてもお構いなしに発動できる。さらに、こいつを使うと、自分の手札を相手に公開しなければならないんだ。これを代償に相手にデカい損害を与えられるとかでもなく、ただただ自分の手札を相手に見せるというだけのカード。意味が分からないだろう? まったくだ。だが、『駄段々』にはこいつを活かすルールが一つある。それは、『相手のプレイヤーが自分がいる段の真下の段にいるとき、相手に自分のカードの効果を押し付けることができる』というルールだ。ここでいう『効果』には『数字カード』による階段の移動も含まれるから、このルールは、基本的には自分のターンに、自分が移動する代わりに相手を不利な方向に強制的に移動させるというやり方で使われる。そして、これはもちろんJKの効果にも適用されるから、もし相手の一段上の場所を取ることができたら、今度は逆にJKを相手に使うことで『相手の手札を強制的に自分に公開させる』ことができるようになるんだ。JKはこうやって使うのさ。素晴らしいだろう? なお、QとKの効果は、常にプレイヤーに対してではなく勝利・敗北条件に発動するから、一段上うんぬんはこいつらには関係ないぜ」
ここでクリームパンダは、懐に入っていたカードをすべて引っ張り出した。先ほどの三枚のカードを含む七枚のカードを舐め回すように見た後、あからさまな演技の困り顔をして、出しぬけにこう言った。
「んー? おいおい待て待て、俺様が持っているカードは、さっきの赤の3と黒の1、Kの他に、赤のAが二枚、赤の2、それに黒の2。この七枚だ。参ったな、数字の小さいカードばっかりだ。『数字カード』の効果は一枚につき一回だから、これじゃあゴールにたどり着くことができないじゃないか。このゲーム、結局手札の運だけが勝敗を決めるんじゃないのか?
……こういう疑問はもっともだ。しかし、『駄段々』の本性はここからなんだ。覚えてるか? 『特殊カードを使用するとき、そのカードの絵を明確に相手に見せた上で、階段の遠くにぶん投げないといけない』というルールがある。なのに、『数字カード』を使用するときには、別にそんなことをする必要はないよな。実は、これにはちゃんと理由があるんだよ。『数字カード』を使うとき、ちゃんと嘘をつけるようにするためさ! そう、『数字カード』を使うときには、嘘をついてもいいんだ。このゲームの基本は、ゴールにたどり着くまでに嘘の数字を張りまくるというところにある。
もちろん、嘘が出てくるからには、いわゆる『ダウト要素』が存在する。相手が宣言した『数字カード』が嘘だと思ったとき、プレイヤーはこう叫ぶ――『駄段々』! そう、これこそが、このゲームの名前にもなっている一番の目玉要素なんだ。『駄段々』は一回のゲームにつきプレイヤー別に三回まで行うことができる。そして、これを受けたプレイヤーは、必ず宣言した『数字カード』を実際に相手に見せないといけない。それができない場合――つまり宣言したものが嘘だった場合、そいつは手札の中で最も数が大きい『数字カード』を階段のどこかに投げ捨て、なおかつ『駄段々』を行ったプレイヤーと階段上の位置を交換しなければならない。かなり重いペナルティだ。嘘を指摘したプレイヤーの位置によっては、振り出しに戻ってしまうことだってありえる。
だが、『駄段々』を行う方にももちろんリスクはある。もしも『駄段々』を受けたプレイヤーが、宣言した『数字カード』を実際に持っていた場合――つまり嘘なんてついていなかった場合、今度は『駄段々』を行ったやつの方が、手札の中で最も数が大きい『数字カード』を階段のどこかに投げ捨てないといけないんだ。こんな風に、ハイリスク・ハイリターンだからこそ、『駄段々』に駆け引きが生まれてくるってわけだな。……ああ、それと、もう一つ大事なことがあった。あるプレイヤーが『数字カード』を宣言し、それによる移動で勝利条件が満たされる――つまりゴールが成立するようなときに、そいつが『駄段々』を受け、それが成功したならば――つまり、そのプレイヤーが嘘をついていたことが明らかになったならば――そいつは即座に敗北のペナルティを負わされてしまうんだ。簡単に言うと、嘘でゴールしようとしたのがバレたら即敗北ってことだ。気をつけないといけないな。
……ふう、退屈なルールの説明は、これでおしまいだ。狂暴な市民たちよ、よく耐えてくれたな。ここからは、お前たちの見たいものを思う存分見せてやる!」
クリームパンダはそう言って、はげた頭の横で拍手を二回響かせた。観客が総立ちで拳を突き上げる中、一階のステージに現れた思想者の男、あるいは今日の獲物と呼ぶべきか、彼は二人の国家憲兵警官に前後を囲まれ、麻の縄で胴と腕を後ろ手に縛られていた。
3 ショーの幕開け
「さあ、今日の思想者はこいつだ! 先日の『大摘発』によってパクられた一味の、最後の生き残りらしい。サーカスは楽しめそうかい? 意気込みをどうぞ」
そう言うと、クリームパンダはマイクを男に突き出す。男は半笑いでこう返した。
「おいお前、迷彩ズボンに上は裸って、どういうファッションセンスなんだ? クソダサいな! 追い剥ぎに遭った敗残兵のコスプレでもしてるのか?」
この瞬間、会場の誰もが、今回のサーカスは『0ターン』に賭けた者の勝利に終わると思ったが、当のクリームパンダは腹を叩いて大笑いしていた。どうやら今日の支配人は機嫌がいいらしい。
「ワーオ! なるほど、さすがは生き残り。なかなか図太いやつだ。しかし、そのへらへらした態度もいつまでもつかなあ?」
クリームパンダは観客席の方に振り返って、にやりと笑う。
「さあ始めよう! 本日のサーカス、『賭け駄段々』を!」
観客席のボルテージは最高潮だ。各フロアに設置されたフロントには、今日のオッズが張り出されている。最も人気なのは『三ターン』、最も不人気なのは『殺されない』という賭けらしく、『殺されない』場合の払戻金は一万倍と表記されていた。もっとも、それはただのいたずら書きだったが。二人の警官は、男をエスカレーターの上まで連れてきて、縄をほどいた後、自らも観客席に移動した。どこからか現れた支配人の助手らしいスーツ姿の男が、クリームパンダと思想者にそれぞれ七枚のトランプカード――時代遅れの黄ばんだ紙製のカードで、裏には真っ赤な細密画が描かれている――を渡し、『駄段々』の準備は整った。
「ああ、そうだ、観客の市民諸君は当然ご存じだろうが、一応説明しておこう。今、このサーカスに存在するルールは、『駄段々』のルールだけだ。こいつは死んでも守らないといけない。こいつを破れば、そこにいる警官に射殺されちまうからな。あの女帝にそう命じられているらしい。……しかし、裏を返せば、それ以外に守らないといけないルールなんて一つもないんだ。どういう意味か分かるか? つまり、エスカレーターの上の演者たちの間に、法は存在しないんだ! 勝手に言ってるわけじゃないぜ。これも女帝が定めたことだ。だからもし俺様がゲーム中にこいつを殺しちまっても、何も問題はない。『駄段々』のルールには、『対戦相手を殺してはならない』なんて一言も書かれてないからなあ! 分かったか、危険思想者の生き残り!」
しかし、思想者の顔に張り付いたにやけ顔は一向に曇らない。
「なるほど、なんでもありだな。じゃあ逆に、俺がお前にしょんべんをぶちまけたって何も問題はないわけだ!」
これには、観客席からも笑い声が飛んだ。こういうタイプの思想者は、やはり時々現れてくるのだ。今回のサーカスは面白くなりそうだ。
「ビャハハハハ、まったく面白いやつだな。そんなお前の気概に免じて、ハンデをやろう。お前が先攻で良いぜ」
「……よし、じゃあ俺は『数字カード』の黒の4を使おう」
この停止したエスカレーターのステップは全部で50段で、よほどの強運で手札に大きい数字のカードが上から順に集まっているでもない限り、必ずどこかで嘘をつく必要がある。ゲームを盛り上げるには、うってつけの階段だった。ただし、場の浮かれた空気とは裏腹に、あるいはその陽気さが異常なものであることを示すだけなのかもしれないが、エスカレーターにはところどころにべったりと血がついていた。以前の『賭け駄段々』で殺された思想者のものだ。クリームパンダがおどけた表情で観客席を笑わせている間に、男はそのまま4段を下り終え、ターンはクリームパンダに移った。
「俺様は黒の3だ。おっと、お前の真上だな。これはラッキーだ」
スキップしながら階段を3段下った後、クリームパンダは突然ズボンのポケットから二丁の銃を取り出し、真下の男をじっと見てこう言った。
「なあ、思想者よ、取引をしないか? 俺様は銃を二丁持っているから、『駄段々』のルールのせいで階段を自由に動けないにもかかわらず、遠距離からお前を殺すことができる。だがお前は手ぶらだ。俺様を殺すには心もとない。……これじゃあ不公平だよな? 不公平なのは良くない。だから取引をしよう。なあに、簡単な取引さ! もしお前の手札にQかKがあるのなら、それをすべて俺様によこしてくれ。お前のような思想者が『革命』を起こせるカードを持つなんて、危なっかしいったらありゃしないからな。そうしたら、俺様は代わりにこの二丁の拳銃のうち一丁をお前にやる。それに、カードの数が減ってしまうのも不公平だから、お前が俺様に渡したカードと同じ枚数、俺様もお前にカードを渡す。どうだ? もちろん、銃は本物だ」
そう言って、クリームパンダは二丁の銃を真上に向け、引き金を引いた。撃鉄の鋭い金属音と空気の振動が、観客席を沸かす。
「ほう。ずいぶんと優しいんだな。……分かった。取引に乗ろう」
男はKを一枚、真上のクリームパンダに渡した。クリームパンダは得意の芝居がかった表情でそれを受け取り、拳銃と赤の10を男に渡す。
「ああ、言うのを忘れていた。ただし一つの条件として、この取引でお前が嘘をついていたなら……直ちに殺す。つまり、お前の手札に俺様に渡したK以外の『革命』を起こせるカードが残っていたならば、お前を射殺する! じゃあ、答え合わせの時間といこうか」
クリームパンダは、観客席にJKを見せびらかした上で、エスカレーターの下方向にそのカードを投げ飛ばした。真下のプレイヤーにカードの効果を押し付けるルールによって、男の手札を開示するのだ。このとき、観客の誰もがこう思っていた――「1ターン」に賭けた者の勝利だ!
――なぜこの「賭け駄段々」が、勝者がどちらかについての賭けをしないのか。その答えは単純で、これは出来レースだからだ。この「駄段々」のゲームの展開は、すべてクリームパンダに仕組まれている。そもそも、「指や歯を手札にしたばば抜き」だとか、そういうほとんど残虐な刑に違わないようなサーカスが各地で行われている中で、このクリームパンダの「賭け駄段々」だけがただの「殺されるかもしれないゲーム」だなんていううまい話はないに決まっている。これはゲームの形を借りた単なる殺人ショーなのだ。これを可能にするのが、手札の操作であった。クリームパンダに配られる手札、そして思想者に配られるカードは、事前に決められたものだった。クリームパンダの手札は「Qが三枚、JK、黒の3、赤の10、赤の9」、そして思想者の手札は「Kが二枚、黒の4が二枚、赤のJが二枚、赤の10が一枚」だ。これによって作られる最初の見せ場が、この「取引」だった。
思想者の手札の中の使える「数字カード」は、実質的に二枚の黒の4だけだ。赤のJや10は、思想者がどの段にいようとも――ゲーム開始時はもとより、黒の4を使ったときの4段目、二枚目の黒の4を使ったときの8段目では、階段を上りきるという敗北条件を満たしてしまうから――使えない。だから、思想者は一ターン目も、必ず黒の4を使う。そこに、黒の3を使ったクリームパンダがやって来て、「取引」を持ちかけるのだ。ちなみに、クリームパンダの手札の赤の10と9は、この取引でKと交換するカードとして用意されている。なぜこの組み合わせなのかといえば、先程の赤のJや10と同様、「使えないから」に決まっている。さて、パンダの実銃にも怖気づかず、このゲームにひょっとすると勝てるかもしれないと思っている傲慢な思想者は、この取引を持ち掛けられたとき、それを断るか、あるいは二枚のKのうち一枚だけを渡す。もし残ったKで「革命」を起こせたら、例の赤のJや10を使って、ひといきにこのゲームに勝利できるかもしれないからだ。無論、クリームパンダは思想者の「革命」すべてを打ち消せる分のQを持っているからそんなことは起こりえないし、そもそもこういう無礼を働いた時点で、思想者はJKによってその分かりきった手札を公開され、殺される。……今起ころうとしていることは、まさにそのパターンだった。
しかし驚くべきことに、男がにやけ面で公開した七枚の手札は――黒の4が二枚、赤のJが二枚、赤の10が二枚、そして赤の9が一枚だった。
4 戦況激化
「どうした? 俺は全部の『革命』を起こせるカードをお前に渡したぜ? この中に何か俺が持ってちゃいけないカードでもあるのか?」
言い終わらないうちに、クリームパンダは手札を左手に持ち替え、右手で拳銃を構えた。指はトリガーに掛かっている。それを横目に見た瞬間、思想者の男は即座に体制を低くし、パンダに渡されたばかりのピストルを回転をかけて投げ飛ばした。男の拳銃がクリームパンダの右手に命中し、パンダが自らの拳銃を撮り落とした瞬間、思想者はすかさずパンダの意識の外にあった彼の左手から手札を奪い取り、床に落ちた二丁の銃と共にエスカレーターの下方向に投げ飛ばしてしまった――それも、かなり地面に近いところに。瞬く間に、フォークダンスのような鮮やかさで、クリームパンダはすべての手札と拳銃を失った。
「お前……どういうつもりだ!」
「よし、俺のターン。もちろん黒の4だ」
そう言って、男はさらに4段を下り、傍の赤い手すりにもたれかかった。
「言っとくが、俺はルール違反なんて一切してないぜ? 『相手の手札をどっかにぶちまけてはならない』なんて言ってなかったよな? さて、これでお前は俺を殺せない。さっき見せたばかりの二枚目の黒の4を疑って、無駄な『駄段々』でもしてみるか? 俺がお前の5段下にいる以上、銃を失ったお前の攻撃は、ひとつも俺には届かない。まあ、ゲームのルールを無視して突っ込んできたって、別に俺は構わないぞ。愚かな思想者に出し抜かれた、最も愚かなサーカス執行人として、お前があそこの警官に射殺されるだけだからな。悔し紛れに俺にしょんべんでもひっかけてみるか? 5段下まで届くお前唯一の攻撃手段だ!」
観客席はたちどころに動揺し始めた――この状況で、クリームパンダに何ができるだろうか? 彼は拳銃を失い、思想者を殺せなくなったばかりか、このゲーム自体に勝利することさえ不可能になったのではないか? 思想者は黒の4を二回とも使い終わったし、「革命」を起こせるカードも持っていないから、嘘の「数字カード」を宣言して階段を下っていくしかなく、これはクリームパンダにとっても同じことだ。しかし、最も下の段にたどり着いた後、ゴールをするために嘘の宣言をしてしまうと、相手に「駄段々」を行われて即座に敗北のペナルティを食らうことになるのは目に見えている。ルールに則れば、ゲームはここで完全な膠着状態に陥るだろう。
「ビャハハハハ! ビャーッハッハッハッハ!」
クリームパンダは、ひきつった、歪んだ笑顔で、大笑いを始めた。彼は、あのありえない赤の9――明らかな思想者の何らかの不正行為の証拠――に、一時は癇癪を起こし、彼をそのまま殺そうとしたが、それよりもっとありえない状況に置かれたことで、何か新しいステージに移行していた。それは、勝負師としての恍惚だった。もっとも、彼は勝負を放棄したわけではない。
「お前、元は先帝直下の『恐怖の男』だったりするのか? 拳銃を突きつけたのに殺せなかったなんて初めてだよ」
「いいや、むしろそいつらに追われる側だったさ。なんならそういう意味で、こんな風に追い詰められるのは日常茶飯事だった。階段を一段隔てたくらいのほぼゼロ距離にも等しい距離では、拳銃は撃つよりむしろ投げつける方が速い。もっとも、お前が俺に渡してきた拳銃は、たぶん最初の一発以外撃てないように加工されてただろうがな」
「ビャハハハハ、やっぱりばれてたか」
すると、クリームパンダは観客席に向き直った。
「市民たち、どうだい? 俺様は今、銃も手札も失くしちまったよ。『駄段々』のルールの中では、こいつを殺すことは絶対にできないだろう。俺様はもちろん動けないし、思想者が俺様に殺されるためにわざわざ近づいてきてくれるなんてことはありえない。でも、ルールは死んでも守らないといけないよな。思想者に一杯食わされるサーカス執行者なんていらないんだ。癇癪を起こしてルールを破れば、こいつの言う通り俺様は殺されるだろう。だから、こいつを殺してサーカスをちゃんと成し遂げるためには、一度このゲームを終わらせる必要がある――それも、俺様の勝利によって終わらせる必要がある。もしもこのゲームが膠着状態に陥り、こいつの思惑通り身動きが取れなくなってしまうようなことがあっても、恥さらしの俺様は不名誉なサーカス執行者として国に殺され、見せしめにされてしまうだろう。サーカスは政策だからな。当然だ。……おっと、ちょっと喋りすぎたか。しかし、どうする? このままだと、俺様はゴールの前でこの思想者と延々嘘の宣言の譲りあいをすることになってしまう。こんな状況で、一体どうすれば勝利を掴めるのか……。
喜べ。俺様には一つ、驚くべき打開策がある!」
そう言うと、彼はステージの脇にはけていた例のスーツの助手に合図を出した。それを見た助手は、近くにある白いドアを開け、中に設置された巨大な分電盤を操作し始める。助手がレバーを下ろすと、何やら機械の駆動音らしきものが聞こえ始めた。
――思想者の男は、足元がぐらつく感じを覚えた。しかしそれは、地震でもなければ立ち眩みでもない。エスカレーターが、ついに動き始めたのだ。
5 逆転、そして革命
「ビャハハハハ! 驚いたか! このエスカレーターは、普段は電気がもったいないから動かしていないだけだ。いざとなったら、こんな風に使うこともできる! ……よし、一旦ストップだ」
そう言うと、助手はすぐに分電盤のレバーを上げ、エスカレーターは再び停止した。この一連の運動でパンダが立っているステップが移動した距離はたった1段分に過ぎなかったが、それでも元が3段目だったから、ステップはほとんど終端に迫っていた。やはりエスカレーターらしく、段どうしの段差も狭まっているようだ。そんな中、彼は仁王立ちで腕を組み、『数字カード』を宣言した。
「さて、今は俺のターンだよな? じゃあ、赤のAだ」
ここで、観客の中にもちらほらと、クリームパンダの「打開策」を理解したものが現れ始めた。彼はエスカレーターを使うことで、両者に同等に与えられたジレンマによる膠着状態を解消し、代わりに思想者一人にジレンマを押し付ける状況をつくることに成功したのだ。――このクリームパンダの「赤のA」宣言は、いうまでもなく嘘だと分かる。手札を一枚も持っていないのだから、当然だ。しかし、思想者はこれに対して「駄段々」を行うことができない。なぜならば、この状況で「駄段々」を成功させてしまえば、思想者はクリームパンダと階段上の位置を交換しなければならないからだ。それはつまり、階段を上りきる一歩手前に移動してしまうことを意味する。そうなった場合、何が起こるかは明白だ――クリームパンダは再びエスカレーターを起動させ、強制的に思想者を階段の終端まで運んでしまうだろう。こうして、思想者の敗北によって、クリームパンダは勝利を手にするのだ。
「『駄段々』はないな? じゃあ、1段上に上がるぞ」
こう言って、クリームパンダはエスカレーターの最上段に上がった。そのステップは、見えている部分がもう半分もなく、エスカレーターの銀の終端に呑み込まれる寸前で停止していた。
「さて、思想者、お前のターンだ。ビッヒッヒ、じっくり考えるがいい」
思想者が持っている手札は、先程と変わらず、黒の4が二枚、赤のJが二枚、赤の10が二枚、そして赤の9が一枚だ。彼は8段目まで階段を下りた後、エスカレーターによって1段上昇させられたから、今は7段目にいることになる。さて、この状況で、彼はどの「数字カード」を使うべきだろうか? 不幸にも、赤のカードの数字はすべて7より大きいから、階段を上りきってしまう。赤のカードは使えない。なら、黒の4か? 否。黒の4はもう二枚とも使ってしまっているし、三枚目があると嘘をつくにしても、JKで手札を見たクリームパンダには通用しない。ここで「駄段々」を行われたが最後、思想者はクリームパンダと階段上の位置を入れ替えられ、エスカレーターの崖際に立たされるだろう。そこからは、全く同じ展開だ。エスカレーターが起動され、思想者は敗北を強いられる。この状況を動かす手段は、事実、存在していなかった。思想者はここで嘘の宣言をするしかなく、しかし嘘の宣言をすることは敗北を意味している。このジレンマは、エスカレーターが動かなかった場合に想定された「膠着状態」におけるそれと確かに似ていたが、しかし思想者のためだけに用意されたこのジレンマはもっとあくどかった――ゴールをしたら敗北してしまうのではなく、何をしても敗北してしまうのだ。
「膠着状態」ならば、前後に小さな数字を宣言し続けることで、ゴールはできずともターンを回すことはできた。しかし思想者は今、何もできない。ターンを回すことすらできないのだ。――そして、それが実際のところ「ターンを渡さないための度を越した遅延行為」などではないとどれだけ主張しようとも、敗北を避けるためにターンを回さないことは、結果として、明確にルールで禁止されているその行為と見た目上全く変わらなかった。これこそが、クリームパンダの「打開策」だった。何をしても敗北するし、何もしなくても敗北する。この思想者は、取りうる行動のすべてが敗北に直結する袋小路に陥れられてしまったのだ。
観客席からは拍手が聞こえ始めた。狡猾なクリームパンダは、こういう状況を幾度となく生還してきた。だからこそ、「"大勝ち"のパンダ」なのだ。彼は使えるものすべてを利用して、相手を叩きのめす。数々の違法賭博を実施・運営し、「国民堕落罪」によって極刑を言い渡されながらも、国に刑の執行を猶予され、このサーカスの執行人として生きることを許されたのは、ひとえに彼のそのカリスマ性、エンターテイナーとしての才能――実用的に言えばその集客能力のおかげだったのだ。拍手はいつしか手拍子に移行し、思想者の自殺行為を急かすために熱狂した。
――しかし、この状況でさえ、思想者の顔に張り付いたにやけ顔は一向に曇らない。
「なあ、『革命』っていうのは恐ろしいもんだよな。完全に取り除いたと思っていても、気づけば足元に潜伏している。権力者の盲点で、黙々とその時を待っているんだ」
「ビャハハハハ、おいおい、遅延行為はルール違反だぞ。誌的な負け惜しみなんてやめて、さっさと『数字カード』を宣言しな」
「分かってる。俺の『数字カード』は……うーん、どうしよう。じゃあ、黒の8だ!」
クリームパンダは、満足そうな表情を浮かべ、唇を舐め回した。
「さて市民諸君、準備はできたか? いっせーのーで!」
ショッピングモールはあたかもライブ会場のように団結し、あの言葉をレスポンスした。
「駄段々!」
観客席からは黄色い歓声が上がる。中には、抱き合って涙を流している者もいた。しかし、この国の地方にある娯楽はこれしかないのだから、彼らの貧相な感受性を責めることはできないだろう。
「ありがとう、我が市民たち! おい、不届きな思想者、お前が黒の8を持っているというのなら、それを出してみるんだな!」
「ははは、持ってないに決まってるだろ。さっき俺の手札を見たじゃないか。健忘症か?」
観客席からの笑い声は、むしろこの状況でも必死にパンダに噛みつこうとする思想者への嘲笑に変化していた。さて、この後クリームパンダはどのように残虐な方法で思想者をなぶり殺しにするのか、観客たちは待ちきれない思いだった。
「ビャッハッハ、強がりもその辺にしとけよ。てことで、俺様はお前と階段上の位置を交換できる。なあに、俺様は遅延行為をするつもりはないから、すれ違いざまにお前をぶちのめすなんて心配はしなくていいぞ。思う存分可愛がってやるのは、その後だ!」
鳴りやまない拍手の中、思想者はクリームパンダと位置を交換した。クリームパンダは目を細めて、5段上にいる思想者の男を見上げている。とどめだ。彼は助手に合図を送り、助手は力を籠めてレバーを押し下げ――その瞬間、思想者はしゃがんで、自身が乗っているステップの前面に立てかけられた何かを拾い、真上に掲げた。トランプのカード。それも、Kだ。
摩擦と回転の音がして、エスカレーターが動き始める。思想者が乗っているステップがエスカレーターの終端に飲み込まれるその瞬間、彼は「革命」を宣言し、Kのカードを5段下にいるクリームパンダに投げつけた。勝利条件と敗北条件が入れ替わり、思想者はエスカレーターの終端、銀色の板の上に流れ着いて、勝利した。
6 思想者
クリームパンダの最大の失策は、あの「ありえない赤の9」のことをすっかり忘れていたことだった。Kを一枚しか渡してこなかったのにも関わらず、なぜKを二枚持っているはずの思想者の手札には残り一枚のKがなく、代わりに赤の9があったのか。あるいはそういう意味で、クリームパンダの最大の失策というのは、むしろ後片付けを徹底しなかったことなのかもしれない。というのも、思想者が最初に黒の4を使って下降したとき、彼はその4段目のステップから見て、3段目のステップの前面に何かがへばりついているのを発見していた――それは、前の思想者の血液と、その血液に濡れてへばりつくことができた一枚の厚紙だった。そう、赤の9のカードだ。ちょうどカードの背面が赤いのもあり、遠くから見ただけでは分からなかったのかもしれない。
思想者はそもそも、手札が渡された時点で、このゲームが仕組まれていることをほとんど確信していたし、当然ながら、エスカレーターはどこかのタイミングで動くだろうとも思っていた。この自分の動きを操作するようなカードの組み合わせに加え、その後パンダが都合よく一段上に来て、都合よく二枚もKを持っている自らにあの「取引」を仕掛けてきたことで、彼は「仕組まれたゲーム」の考えが十中八九正しいだろうとして、さらにこう考えた――ここに来た他の思想者も、自分と同じ手札を渡され、自分がこれから辿る展開と同じ展開を辿っただろう。とすると、この血の付いた3・4段目では、何らかの戦闘行為が発生する可能性が高い。だから、その戦闘に乗じてクリームパンダの手札を失わせ、さらにKを赤の9と交換してここに立てかけておくのには、絶好の機会だ!
彼は、恣意的なエスカレーターの作動・停止によってあのような状態に追い込まれるゲームのパターン、そしてその解決策である「傍に『革命』のカードを隠しておくこと」を最初から思いついていた。クリームパンダが説明した「駄段々」のルールには、「捨てられたカードは拾ってもいい」とこそあったが、「カードを勝手に捨ててはならない」などというものは存在しなかった。だから、こうしてKをステップの隅に捨てておき、その時が来たタイミングで再び取得することは、完全に適法の行いだったのだ。赤の9は実際手に入れなくても大した支障はなかったが、カードが一枚失くなっているという状況で下手に粗をつかれるよりは、むしろ最初から手札にあったのは二枚目のKではなく赤の9だというふうに見せておくことで、クリームパンダに「自分が不正に操作したはずの相手の手札が不正に改竄されている」という馬鹿馬鹿しい主張以外の何も言えないようにさせるという意味があった。
実際、このゲームを仕組んでいたのは、最終的には思想者の方だったと言っていい。彼は、この「解決策」を用いるために、「革命」を隠しておく場所から逆に考えて、クリームパンダをこの3段目のステップに立ち往生させることにした。「革命」のカードは、「駄段々」を成功させて自身と位置を交換してくるプレイヤーが、ステップを移動せずとも手が届く距離になければならなかったからだ。無論、そうでなければ、位置交換後の自身が「革命」を取得できないだろう。――そして、相手を立ち往生させるための最も手っ取り早い方法は、すべての手札を失わせることだった。
――思想者がこのゲームの流れを採用したのは、実際、クリームパンダに吠え面をかかせてやろうという気持ちも無くはなかったが、それよりもむしろより安全な脱出経路のためだった。
「お前……お前え……ぶち殺してやる!」
クリームパンダは激昂し、思想者の元に駆け上がってくる。このゲームは思想者の勝利という形で幕を閉じたから、勝手に階段を移動するのも最早ルール違反ではなくなった。屈辱的にも、クリームパンダは思想者を殺すための行動を思想者のおかげでようやく開始することができた。怒りに我を忘れたクリームパンダを前にして、思想者は冷静に、手札の中から適当に見繕ったカードを、エスカレーターのステップの隙間に挿し込んだ。その瞬間、警報音がけたたましく鳴り響き、エスカレーターの安全装置が作動した。ステップの移動は急停止し、これによってバランスを崩したクリームパンダは滑稽にすっ転んでしまった。
観客席でゲームを監視していた二人の警官は、ここでようやく状況を理解した――思想者がサーカスから脱走した! すでに彼は二階のフロアの角を曲がり、姿を消してしまっていた。クリームパンダは思想者の処刑のために「駄段々」を利用したつもりだったが、蓋を開けてみれば、「駄段々」はただ思想者の逃走のために利用されていたのだ。思想者がこのような迂遠な道筋に基づいてゲームを展開させたのは、すべてゲーム終了時にクリームパンダが無力化され、自分はエスカレーターを上りきっているという状況をつくりあげるためだった。警官はすぐさま思想者を追おうとしたが、観客席は混乱状態で、まともに進むことができない。それは、「クリームパンダが敗北した」という現前の事実に加え、どこから漏れ出したのか、ある驚くべき事実が広まったことによるパニックだった――あの思想者は、我らが元首を裏切って鉛玉の制裁を受けたものの、その悪臭を放つ気性によってか死神にさえ拒まれ、未だに危険思想活動を繰り返している「第一級国賊」の一人、「青臭い黴」その人だ!
「なあ、待ってくれ、憲兵の兄貴たち。俺様の人気はこんなもんじゃあ衰えねえ。まだ得意の集客能力は見込めるぜ。だから……」
言い終わらないうちに、羽虫が耳の傍を通り過ぎるような音――サイレンサー付きライフルの射撃音――を感じて、クリームパンダの視界がひっくり返った。こうして、ショッピングモールの中央、停止したエスカレーターに、また新しい鮮血のしみが与えられたのだった。